「あの娘のリリック。」
リリック:
抒情詩(じょじょうし、英語: lyric, lyric poem, lyric poetry)は、詩歌の分類の一種。
詩人個人の主観的な感情や思想を表現し、自らの内面的な世界を読者に伝える詩をいう。
(wikipedia)
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リリック:
抒情詩(じょじょうし、英語: lyric, lyric poem, lyric poetry)は、詩歌の分類の一種。
詩人個人の主観的な感情や思想を表現し、自らの内面的な世界を読者に伝える詩をいう。
(wikipedia)
ブラックフライデーとやらを経験するため
シーチキンの缶詰をカートに入れてみましたが
「歩いて5分のスーパーで買えるものを何故ネットで買わねばならんのか」
という「便利な生活は自分がだめになる」理論が発動し、途中でキャンセルしました。
家内ちゃんは今日何やら成し遂げた顔をしていたので
明日からまたアイテムが届くのだろうと思います。
特に毎日描こうなんて思ってはいないんですけど、
一日でも描かなかったら今までの気分が全部白紙になってしまうような感覚はある。
それが病的なものなのかどうか、
僕にはわからない。
ギャンブルやアルコールの依存は人に迷惑をかけるから悪だとされる。
絵を描いていても直接的に人に迷惑をかけることはない。
じゃあ病気かそうでないかの境目は人に迷惑をかけるかどうかなんだろうか。
何を言ってるのか自分でもよくわからない。
明日も電車に乗らなければならない。
動きたくない。
肝心なことは言わずに
相手が全然興味のないことを
これでもかと語り続けるまわりくどさ。
「アイテテ」と身に覚えがあって心が痛む人のために
描いています。
一度失敗したらその後は楽だったでしょう?
高校の部活と月光は結びつきづらいイメージかもしれない。
僕は天文部の夜間観測に首をつっこんでいたのと、
市や私設の劇団から依頼のあった看板の制作などで
意外と夜、高校にいることがあった。
服装や頭髪の校則はむやみに厳しい高校ではあったが、
一部の成績優秀者や優等生(表面的にはね)には大変甘いという空気があり、
僕はそこら辺をうまく利用して好きなように部活動を行っていた。
もちろん女子ばかりの部ではあったし、
田舎道はまっくらだしで、
電車通学の者や家が遠いものは早々に帰し、
僕が送っていける距離の者だけで夜活動をした。
楽しくおしゃべりしてたわけでもない。
僕自身はあまり好かれてはいなかったし、
話しかけづらい人間だったから。
その時、セキグチは何か言いたそうにしていた。
何か言いたそうなセキグチは結局何も言わないことを僕は知っていた。
カーテンの向こうにぽつんと月光があった。
顔を見て話すのが苦手な僕は、その小さな月光を見ながら
そろそろ引き上げよう、と言った。
僕から時々、特定の業界や人間への
強い偏見が感じられると思います。
多分この辺の出来事がベースになっています。
20年経ったなあとは思うんですが、
あんまり美化できてなくって
いまだに腹が立ってきたので
やっぱ僕は仕事漫画だめだと思う。
こんな人たちほんとうにいるのかって?
こんなレベルじゃないです。
好きになるのは才能ある人、
一緒にいてうまくいくのは別の道を歩む人。
という価値観はもうこの頃にあったと思う。
でもそれを言葉でうまく自覚していたわけではないから、
一度いやだと思ったらもう誤魔化してつきあっていけなくなる。
そういった思春期の潔癖って
自分の性格で治らないものだと思ってましたけどね。
あれは性格じゃない。
ただ未熟なだけだったと後でわかる。
大体の人間はこういう時目を伏せた表情をする。
さみだれちゃんはいつもなにかを見ている。
なにかをまっすぐ見ている人はとても奇妙な感じがする。
同じ奇妙な感じがする人でも
僕に不安を抱かせる人とそうでない人がいる。
それは医学や医療の話ではない。
もっと観念的で共有できない心の話。
もし家内ちゃんが
「これからどうなっちゃうんだろうどうしようどうしよう」
「何かしなきゃスキルをつけなきゃ自分を磨かなきゃ」
という性格だったら
僕は結婚していなかっただろう。
なぜならそれは僕の性格だからだ。
現代ではプライドという単語は
ほぼ悪い意味で使う言葉になってしまいまして、
同じことをなんとか肯定的に表現したいと思った人が
「矜持」なんていかめしい言葉を持ち出してみたものの、
それももうスラング的に陳腐化してしまった。
97年に初めてパソコンを触ったことをきっかけに、
「矜持のイバラ」という即興曲集を作りました。
下宿のへっぽこピアノに小型テープレコーダーで録音した
素人の遊びです。
なんせ即興自体初めてなんで、どうなるやら何も考えずに
ただ思うまま和音を押してるだけなんですけど、
そんな遊びでも曲っぽくなるまでずいぶん何回も弾き直した気がします。
矜持とかプライドとか何も生まれませんでした。
ただ無闇に必死だっただけでした。
でも必死は必死でまあいいかと
許せるようになったので時々ひっぱりだして聴いたりしています。
■「矜持のイバラ」即興曲No.1
当時は「訊いていいのか黙ってた方がいいのか」なんて悩んだことも、
20年30年が経てばどうでもよくなっている。
例え生来の傷つきやすさは変わっていないとしても、
誰も思い出に対して傷ついたりはしない。
30年分、僕たちは確実に強くしなやかになっている。
僕の記憶は僕の知らない僕を知っている数少ない人々によって補填され、
別の記憶へと順次補正される。
その正しさだけが「ひとりよがり」というレッテルから
僕自身を守ってくれる。
思い出の答え合わせ。
よくそんな昔のことを覚えているねえと言われるけれど、
描き始めてから思い出したことの方が多い。
結婚してから40代までの間は思い出すことに興味がなかった。
それどころではなかったからだ。
多分みんなそうだと思う。
けど、写真を1、2枚もっていくだけで
全員の記憶が鮮明に復活していく。
お前たちは僕以上に僕のことを覚えている。
それくらいこの空白の期間を
それぞれが一生懸命に
生きていたということだろう。
孤独はそれによって追放できる。