2024年11月55P
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「その光。」
例えば「死にたい」と書きたい時があり、
死にたいとそのまま書いた時、
僕は嘘を書いている、
本当は「すべて自分の都合のいい世界になれば生きてやってもいい」
という裏がありそれが本音だがあまりに自分勝手で言えない。
ので死にたいと書くのだ、とよく思いました。
そしてそんな自分にがっかりし、
別の言い方はないものかと探しているうちに
先輩と詩に出会ったのでした。
SNSで死にたいという言葉がNGになっていったのは、
「死にたい」という言葉を目にした別の人間を
実際の死ぬ行動に駆り立ててしまう統計があるからだ、という説明があります。
練炭自殺が流行した季節くらいからですね。
ただそれで「死にたいって書くの禁止」はなんとなく納得がいきませんでした。
今もいっていません。
死にたい人間は、他人に配慮する余裕などないから死にたいのです。
「ああ私の言葉で誰かが死ぬかもしれない」
そんな余裕があるなら死んでる場合じゃない。
過去何度も何度も引用してきた、
「死にたいと書くことで死なないで済むのなら
詩はクスリみたいな役に立つ」
という詩は、死にたいと書くことで気が晴れるのではなく、
そう書くことで本当は死にたくない自分に
自分自身で気づく効果を指していると僕は解釈しています。
ルールや責任はある程度の人間が集まれば必要です。
でも僕にとって、
ルールや責任の所在を決定しなければならなくなった時点で
もうそのコミュニティには興味がなくなるのが常でした。
だからいつも単独行動。
それを「孤独」なんて甘い言葉で表現しようと思ったことはないです。
ただのわがままですからね。
ああ、死にたいと書いても
その影響で誰かが死ぬかもしれないという可能性を
考慮しなくていい世界がよい。
そんなものはないのでサイトで思う存分死にたいと書き
いつもそんな自分にげんなりしています。
「傍目八目。」
例えば現代の精神医学でいうと
統合失調は脳内のドパミンが出すぎて
神経が過敏になっている状態と定義される、なんて本で読みましたが
そしたら僕たちの高校時代はほぼ
全員統合失調な気もする。
生活に支障のあるレベルからが病気だとしても
生活に支障あったよ、眠れなかったりすぐ落ち込んだり元気になったり。
自分の言ってることがわからなかったり、
妄想で嫉妬したり、勝手に陰謀論を考えたり
誰かが自分を笑っている気がしたり。
恋愛を治療が必要な病気と定義するのが現代なら、
そんな現代の話を僕はちっとも描きたくないな。
「センチメンタル。」
「俺はなるべく働かずに適当に生きるんだうへへ」
なんて友人には言ってますけども。
本当は違います。
多分会社にいるとやらなくてもいい仕事まで全部やろうとして
全然家に帰ってこない状態になり、
さくっと崩壊することが自分でわかっていたからです。
僕は自分の身の回りにいる家族や友人よりも
自分の趣味を優先する趣味人は信用できないし、嫌いです。
「アンタも悪いで?」「そやろか。」
悩むひまもないほどすぐ大人にならなきゃいけない方が幸せなのか、
ぐずぐずと悩んで後ろめたさを抱えながら少しづつ生きていく方が幸せなのか、
それはわからない。
ただ僕はあれこれ悩まないよりも
じっと悩む時間を過ごす方が好きだ。
「問題はおうどんではない。」
僕もやっぱり高校生の頃は
いちいち相手の言動に反応してそれに振り回され、
勝手に誤解して勝手に傷つき、
一人でおおげさに嘆いてみせ、
その愚かしさを今漫画に描いています。
なぜならそれが恋愛だからです。
結婚した頃、
そんなに家内ちゃんの言うことばかり聞いて
甘やかすのは彼女のためにならない、と
とある大人に説教されましたが、
うるせえ関係ねえやつは黙ってろと声に出して怒りました。
今だったら「ですよねー」とにこやかにさようならで済ますところですが。
僕は長い時間一緒にいるのが好きです。
ひとめぼれとかゆきずりの出会いなんて興味も経験もありません。
寄り添うのとはちょっと違って、ただいるのが好きです。
目に見えてるものに振り回されやすい今、
大事なのはどれくらい一緒にいたかです。相手が男でも女でも。
「さみだれデイズ。」
見つめ合う…んじゃなくて
じいっと見てるんです。
最初に会った時からそんな感じでした。
ごめんちょっと待ってて、って言うと
何時間でもその場で待っています。
不思議と変な子とか気持ち悪いとか思いませんでした。
もっと格段に気が狂っている人と一緒にいたので
麻痺してしまっていたのかもしれません。
さみだれちゃんがどんな子だったか。
よくわかりません。
しかし少なくとも
悪い子ではありませんでした。
「カメレオン。」
ニュースで見てると「誰があんな見え透いた手口に騙されるんだ」
と思っちゃうんですけどねえ。
自分より頭のいい人間にはころっと騙されるんですよ誰だって。
詐欺師は最強に善人の顔してますからね。
「回る回る。」
これじゃあろくな大人にならんわな。
「杉ちゃんのタートルネック。」
杉ちゃんてタートルネックのセータ着てること多いよね、
って訊いたら「先輩が着てたから」とつまんなそうに答えた。
「アンタもよく着てる」というから「先輩が着てたから」と答えた。
二人で話していると、先輩呼んでみようか来るかもしれないよ、
という話にいつもなった。
結局一度も呼んだことがない。
僕たちはいつだってこそこそしていた。
「どうしても必要な時。」
色々うまくいかない時(うまくいったことなんてないわけだが)
優しくしてもらうとどうしても甘えてしまうのはしょうがなくて、
しかしやがてこれはダメなのではと気づき始める。
恋人に甘えるのではなく
母親に甘えているのと同じ気がして
気持ちが悪くなるからだ。
相手のすべてを受け入れ
許そうとする母性は本能でもあるが狂気でもある。
このままだと双方よくない。
そういう自然な直観があった。
それまで自覚を持たずに
結婚してしまってからそうした甘えや母性がでてくると
話し合っても解決せず、破綻する以外に選択肢がなかったりする。
そういう人間をたくさん見てきた。
人間は一人で生きていくことはできない。
それはそうだと思う。
でも寄り添って生きていくことを前提にすると
それもまた苦しい。
「月光。」
汚い格好の先輩が好きだった。
僕のモデルになってくれた日も、どう見てももっと年上…おばさんとか…のお下がりで
糸がほつれたようなセーターと破れたジーンズでうちに来た。
僕は先輩が欲しかった。
何をしてでもその関心を買いたかった。
先輩が与えてくれる世界は
いつもくすんだ色で溢れていた。
その言葉をすべて書き留めておくほどに
僕は先輩に近づきたいと思った。
安らぎを与えてくれる人はたくさんいた。
安らぎと共にいると僕はなめくじのように弱くなった。
僕は先輩の体にそっと手を回した。
先輩はぽつんとそれはお前が寂しくなるだけだ、と言った。
窓の外の月は僕たちを全て見ていた。