1:2020.9.9

「1999年のディストピア。」

90年代末、僕は20代前半、
自分のサイトの中で「パパ」などと呼ばれていて、

どこにも未来がない未成年に、
「逃げていいよ」ではなく、逃げてくればいい、と言って
下宿に呼んでいた。

それだけでもう今ならアウトだが、
しかし「逃げていいよ」なんて口当たりのいいことを言って、
近くの児童相談所に通報して手続きを踏んでどうのこうの、
みたいなことをやっていては彼女たちは死ぬしかない。

だから僕は、逃げたいならここに逃げてくればいいと
具体的な回答を与えた。

それは決して僕の正義ではない。
「死にたいではなく消えたいのだ」という
不可解な彼女たちに関心があっただけだ。

この話はいつか長編として描きたいと思っているのだけれど、
相変わらずオチも展開もない上、
恋愛も青春もない、中身もない。

だがその後の僕の考え方に大きな影響を与えたことは間違いない。

2:2020.9.11

「1999年のディストピア。(2)」

僕は作家ではないし、漫画家でもない。
だから話を作り出すことができない。

結論から言えば、別に出来事らしい出来事は何も起こらない。
僕はひかるの話を聞いていただけである。

だから残念ながらまた、
僕のジブンガタリにしかならない。

3:2020.9.12

「1999年のディストピア。(3)」

僕は色んな言葉を使って色んなことを語ったが、
極言すれば、それはとてもとても単純な、
子供の駄々のような部分から湧いてくるものだった。

ただそれを認めるのに人よりも数倍の時間がかかったに過ぎない。
つまり、僕は「僕は優秀じゃないから」と思っていた僕よりも、
さらに優秀でなかったということである。

それまでも死にたい人にはサイトを通じてたくさん出会った。
言葉は悪いが、彼彼女らは、僕と同じく、
世界が「思い通りになりさえすれば」生きていける人たちだった。

ひかるにもそういう部分はあったのかもしれない。
が、僕には見通せなかった。

ひかるからは、ひかるの中の世界の手触りが
何も感じられなかった。

4:2020.9.14

「1999年のディストピア。(4)」

解決できない死にたさというのを、
僕はひかるに会うことで初めて知ったのです。

解決できない、というよりも
死ぬことが唯一の解決なのです。

やる気がでないとか、友達が嫌いとか、
そういうことではなく、

死にたい、という死に向かう能動的な衝動があるわけでもない。

ひかるはただ何故自分がこうしているのかが
本当にわからないのです。

存在そのものに違和感をもっている。
逃げてきた理由など訊いても無意味です。