「喫茶店。」
思ったことをそのまま話せる、
というのも甘えということだと思う。
なかなかね、思ったことを話せる人って
いません。
甘えたい時はありますけれども。
ネットは匿名だからこそ話せる話もある、
とは言うけれど
僕はそれで「わかる」と言ってもらって
解決する程度の問題なら
抱え込まないでさっさと自分の手で解決するでしょう。
甘えて欲しいと思うのもまた甘えであって
それは長い長い時間をかけて育てていく甘えなのだと思います。
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思ったことをそのまま話せる、
というのも甘えということだと思う。
なかなかね、思ったことを話せる人って
いません。
甘えたい時はありますけれども。
ネットは匿名だからこそ話せる話もある、
とは言うけれど
僕はそれで「わかる」と言ってもらって
解決する程度の問題なら
抱え込まないでさっさと自分の手で解決するでしょう。
甘えて欲しいと思うのもまた甘えであって
それは長い長い時間をかけて育てていく甘えなのだと思います。
僕は追い込まれないと
自分で立とうとさえしないので
病気になろうが頭がおかしくなろうが
ひとりで崖っぷちにいないと
すぐだめになる。
僕は何かしている人をいつも見ている。
何もしていない人のことは
何も見えない。
僕はどうも体や声が大きいせいか、
変に目立ってからまれることが多く、
それがいやでいやでいやすぎて、
可能なかぎり人に声をかけられたくない、と
思うようになってしまいました。
正しいことを正しく一人で主張できる人って
そんなにはいなくて、
やっぱりそういう人を好きになるわけです。
まーそういう人からすれば
僕は実に頼りない人間であり、
一緒にいても
最終的にうまくはいかないわけですが。
僕が今、大学生だったら、
やはり大学に対して、あるいは社会に対して、世界に対して、
SNSで文句を言い続けるだけの学生生活を送っただろうか。
正直、わからない。
でも多分、人の話なんて全く聞かなかったと思う。
たくさん人に迷惑をかけるといい。
そして後でたくさん後悔するといい。
自由とはそういうことだ。
逆にないというなら、それはそんなもんなんだろうと思います。
理屈じゃないし、哲学でもないんですよ。
こういうの。
考え込む内容でもないと思います。
友だちだと思っていた相手が急に愛情に目覚め、
それで関係がおかしくなって……、
みたいなこともあるかもしれませんが、
それは思い返すと最初から友情ではなかったでしょう。
大事なのは「友だち」なんて言葉ではないです。
オータニは裏表がなくてとてもいい友人でしたが、
一方で地を見せない、よくわからない部分も多々あり、
どこに何の境界線があるのか、僕にはわかりませんでした。
何枚も描きましたが、
オータニを自転車の後ろに乗せて写真を
とられたことがある。
いつも調子よく絡んでくるので、肩を組んでポーズをとってみたら
烈火の如く怒った。
調子に乗るな、と。
女子の地雷がどこにあるのか、
僕は今だに全くわからないままだ。
なんでもかんでも思春期の恋愛と結びつけて考えるのも
どうかとは思うけれど、
極端な偏食だった僕が、
180度反転して急にグルメ気取りになったのも、
こうしたちょっとしたことがきっかけだったと思う。
色んなところに思い出は残る。
そして僕がここにいる。
マキタは僕の描く登場人物の中でもあまり人気がありません。
思い入れが強くて、かわいらしく美化して描けないからだと思います。
一番描いた枚数は多いんですけどね。
ちょいとやれば僕に出来ないことなどない、と
内心万能感で満ちた子供の僕の世界に、
めっためたに穴を開けて世界に風を通してくれたのが、
マキタです。
それが初恋というものだと思います。
そりゃあ忘れられません。
忘れる必要もありません。
僕は男は男、女は女で固まって
わかってない、あいつらわかってない、と
わかってないもの同士がわかってないまま敵対する、
あの学級会みたいな空気が大嫌いだ。
だからといって「みんな仲良く」と言ってできるかと言えば
できないだろうと思う。
お互いがお互いに無関心で
知る必要も意味も感じてないからだ。
僕は話したくないことは
ネットだろうが何だろうが絶対話さない。
話せばわかる、というのは嘘っぱちだ。
だから強力に狭い狭い、
半径数メートルの視界で
できるだけ少ない人を
できるだけ深く知りたい。
一度、部活で遅くまで一緒に残った時に、
まあ部長だしと家まで送っていったことがありますが、
自宅の近くでも始終キョロキョロと挙動不審で、
「なんやねん」と言ったらやっぱり
「はわわわわ」と言っていました。
ちなみにムロイがムロイ姉に「部長に家まで送ってもうた」と
話したら、
「それお前のこと好きやで絶対」のような話になり、
翌日から更に挙動不審になって距離が空いた、
というようなどうでもいい話を、
描きながら思い出しました。
「出会い」って結果なんですよ。
自分の未来で待っているものではない。
後で思い返した時に「あの時出会ったなあ」と
回顧するだけの、「青春」と同じような言葉です。
僕はいつでも目の前の人が好きなのです。
知らない人ではなく、よく知っている人が好きなのです。
嫌いなところも含めて、好きなのです。