「17歳の見る夢は。」
マキタの「そういう」夢は見たくなかったのかもしれませんね。
17歳のかたくなな潔癖さで。
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マキタの「そういう」夢は見たくなかったのかもしれませんね。
17歳のかたくなな潔癖さで。
思ったことをそのまま描くとこんな風に恐らく誰にも伝わらないものになる。
ただ、伝わるように描こうとするよりも格段に気持ちは楽になる。
大勢の人に褒められたいならこれではだめだ。
ただ、独りよがりであることを自分で否定しない方がいい。
絵も詩も音楽も、僕にとってはそのためだけにある。
僕が絵を好きな理由は色々ありますが、
一番大きな理由は
なくしても破れても失敗してもまた描けばいいだけだということ、
そして一人だけで出来ること(他人の力を必要としないということ)、
です。
僕がいなければ何ひとつ成立しないのです。
それが救いであり、慰めでもあります。
今までにも何度かこの話は描きましたが、
「普遍的上位自我」(なんのこっちゃ)の説明をしたのがこれが初めてだと思います。
31年目の真実というわけですね。
まったくどうでもいい真実です。
でも黒歴史ではないですよ。
思い出です。
ポエムは武器です。
独り言として使う分には安全ですが、
人に向けて使ってはなりません。
よろしいですか。
僕はサブカルなんて言って既にジャンル分けされたものは好きでないです。
B級映画もそうですね。近年粗製乱造されたサメのホラーなんてただの悪ノリです。
ジョン・カーペンターのB級映画は好きだけど「アタック・オブ・ザ・キラートマト」はただの悪ノリだ。
そう書けばわかる人にはわかるかと。
一生懸命努力して努力して努力して、結果わけのわからないものに
なってしまった熱のかたまりのようなものだけが僕の心を打つのです。
ポエムの中で「君」と書く時は、
ほとんどの場合「僕」を指します。
つまんねえことなんだよ。僕の元気がでるのは。
「元気だしてね」とか「いいことあるさ」とかじゃないの。
人間と何かしら小さな小さな関わりをもつということなの。
こうした言葉はもちろん普段の生活では語らない。
変な顔されるからという理由ではなくて
語っても何も生まれないからだ。
そしてこの「何も生まない」ことを生産し続けるという矛盾を解決する唯一の方法が
僕にとってネットであったと思っている。
男と女の「寂しい」は共有できない。
僕もそんな夜、そんな涙の意味はわからなかった。
ただ理由や意味などわからなくても
その感情がとまるまで一緒にいることはできる。
一緒にいるには
その感情にひっぱられていてはいけない。
2016年1月に初めてのマンガ「村木」を描いてから
8000枚目のアップロードになりました。
僕は落書きや下書きをアップロードするのが好きではないので
まともに描いたものだけカウントした枚数になります。
7000枚目を描いたのが春くらいだった気がするので
今年は自分でもいやに多く描いています。
それだけ生活にも人生にも行き詰まっているのでしょう。
いつまで続くのかわかりませんが、
今後ともよろしくお願い致します。
罪悪感に強い興味があった。
良心や正義や道徳を考える時に常にくっついてくるものだったから。
眠れぬ夜に。
自分の痛みを笑って話せるようになることが
大人になることではない。
それはただ喉元の熱さが通り過ぎただけのことだ。
大人が何でもかんでも笑って笑わせて済まそうとすることを
決して真似てはいけない。
君が深く傷ついているなら、
それがどんなにくだらない小さなことに思えても
決して空気を読んで笑い話にしてしまってはいけない。
忘れた頃にもっと深く傷つくことになる。