「蝉の思い出。」
蝉はその後大学に残ったが、自称心を壊して自称メディア何とかになり、その後は知らない。
40代息子が親を殺す事件を見るたび、彼ではないかとちょっとチェックしたりする。
「俺、昔は神童でさー」が口癖の神童くんに元から友達はいないが、「大人になると友達できねえー」を繰り返し、僕たちは黙り込むのだった。
思春期をサボると大体こうなる。
20代でしなかったことは30代でも40代でも出来はしない。
僕の大学には全部で3つの美術部があった。
僕が描いてきたのは、そのうち一番規模が大きく、
ゆるくて善人たちの集まりである第一美術部だ。
第一と第二美術部をかけもちしていたのは僕だけだった。
見ての通り、お互い仲良くなれないタイプの美術部なのだ。
僕はどっちも楽しかった。
入学直後の新歓コンパでいきなり居酒屋を出禁になったのは
この第二美術部の方だ。
色々描きたい。
それは今後のネタとしてとっておこう。
この手のいたずらの極北が「偽ラブレター」だと思いますが、
こういうの(別のマキタを呼んでくる)も地味にイヤでした。
マンガで描くと楽しそうに描けますが、
いやだったでしょ、向こうの方でクスクス笑われるのって。
ちなみに唯一の郷土史研究部(部長兼部員)の牧田は
色々不可解な伝説が残っているので、
描いたら描いたでこんなヤツいるのかという話になるんですが、
いました。