2024年10月100P
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「日記。」
治療法がない病気に対して
大量の薬を飲み、結構な薬代を払い続けているわけですが、
それが一体何になっているのか
考えるのも億劫なほどくたびれた。
せっかく毎度血液検査をしているのだから、
HbA1cの項目もついでに検査表にのせていただくわけには…と相談してみたものの、
あなたは糖尿ではないので必要ありません、とのことだった。
たまに健康診断を受けて調べてくださいと。
なんだかよくわからない。
あっちこっちの病院に行ってその度に血を抜かれる。
「絵。」
慣れて手癖がついてくると、
激しくズレてた目鼻の位置がまあまあ
福笑いにならない程度に落ち着いてきて、
だから逆に現実より整った顔ばかりになってしまい、
さりとて所詮手癖なのでやっぱりどこかズレており、
あーあーと唸りながら過ごす。
色々あるなあと思います。
病院に行くのがいやで、今日もだらだらとそんなことを考えながら過ごしています。
「にんげんのうた。」
かつての僕の深刻さは
深刻だと周りに認められないと自分を保てない
そういう深刻さだった。
深刻なもの同士で群れても
ただ結論が先延ばしになって長く苦しむだけで
俺はもう苦しむのはごめんだ、と
気付いた時には20代も半ばになっていた。
「兵法。」
スーパーのささみも本数が奇数だと争いが起きるので
偶数のものを選んで買っている。
「少女。」
「少女」という言葉から僕が連想するのは
純真無垢で穢れのない天使ではなく
不機嫌と憂鬱と孤独とがあり、
その理不尽に支えられた無軌道で不安定な正義です。
純粋で穢れのない天使が存在するとすれば、
それは生まれて間もない赤子と
寿命の尽きかけた老人だけだろうと僕は考えており、
彼彼女らを心の底で常に畏怖、畏敬しています。
——
Zu Hause trage ich das ganze Jahr über kurze Ärmel und Shorts.
「夜のうた。」
抱えた傷が深すぎてそうなるのか、単に心が弱すぎてそうなるのか、寄り添おうとすればするほどわからなくなる。
今は「両親から受けた傷」や「それによる関係不全」の例があまりにも目に入りすぎ、僕もすっかり麻痺してしまった。少なくともネット上では上手く人に優しくできない。
何も知らない頃が優しかったわけではない。
しかし相手が望むものを与えたい強い本能があった。
だから村木は僕に何も望まなかった。
「ワンドロ。」
イラストを描かない人には「ワンドロ」って何?って
感じだと思いますが、
ワンアワードローイング、1時間で描く絵のことです。
時間を区切って描くのはとてもいいことですけどね。
SNSで流行ってだんだん「1時間でこれかける俺すげー」色が強くなり、スタートする前に既に描いてるとか、終了しても描いてるとかルールも守られなくなり、論争が起き、
お子様の世界になったのでやめました。
僕ねえ、年齢からじゃなくて元々頭カチカチなんですよ。
自分の好きなことになればなるほど。
「習性。」
夫の服はすべて家内ちゃんが購入します。
ポイントがつくからです。
「ヨシダ。」
僕たちの核は
「はやく大人になりたい」
「はやく自立したい」
であり、
僕はその中でも
「大人とはなにか」「自立とはなにか」を考えるあまり
10年も遠回りすることになった愚かものではあります。
時々この「もう忘れました?」のように
記憶には残っているが当時も意味がわからなかった会話があって、
マキタのことを指すのか、
誕生日やら記念日のことなのか、
あるいは日頃の僕の主張なのか、
今となっては確かめるすべもありません。
しかしきっとそういう会話、そんな記憶こそが
青春であると後で思うのでしょう。
「夫婦。」
九里四里うまい十三里。
九里(くり)四里(より)
うまいのは十三里(=さつまいも)
という江戸時代の焼き芋屋が考えたキャッチコピーです。
家内ちゃんは両方好きです。
お高い栗とお高い芋が好きです。
「絵。」
僕は暑さに異常なほど弱く、暑さが続く限り精神が乱調です。
やっと涼しくなり(相変わらず半袖短パンですが)、多少落ち着いてきました。
落ち着くと憂鬱なポエムの頻度は減り、
絵の技術を向上させたいという期間に変わります。
なのでしばらくは見ても退屈な絵が続くでしょう。
毎年そうです。
僕はいやなことがあったとか、嫌いな人がいるとか、
そういう打開可能な理由で不安定にはならず、
ただ暑いとか寒いとかでおかしくなる動物です。
難しいことは考えていません。