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2:2024.10.31 (21:02)

「日記。」

治療法がない病気に対して
大量の薬を飲み、結構な薬代を払い続けているわけですが、
それが一体何になっているのか
考えるのも億劫なほどくたびれた。

せっかく毎度血液検査をしているのだから、
HbA1cの項目もついでに検査表にのせていただくわけには…と相談してみたものの、
あなたは糖尿ではないので必要ありません、とのことだった。
たまに健康診断を受けて調べてくださいと。

なんだかよくわからない。
あっちこっちの病院に行ってその度に血を抜かれる。

3:2024.10.31 (2:31)

「絵。」

慣れて手癖がついてくると、
激しくズレてた目鼻の位置がまあまあ
福笑いにならない程度に落ち着いてきて、
だから逆に現実より整った顔ばかりになってしまい、
さりとて所詮手癖なのでやっぱりどこかズレており、
あーあーと唸りながら過ごす。

色々あるなあと思います。

病院に行くのがいやで、今日もだらだらとそんなことを考えながら過ごしています。

4:2024.10.30 (23:31)

「にんげんのうた。」

かつての僕の深刻さは
深刻だと周りに認められないと自分を保てない
そういう深刻さだった。

深刻なもの同士で群れても
ただ結論が先延ばしになって長く苦しむだけで
俺はもう苦しむのはごめんだ、と
気付いた時には20代も半ばになっていた。

6:2024.10.30 (4:47)

「少女。」

「少女」という言葉から僕が連想するのは
純真無垢で穢れのない天使ではなく
不機嫌と憂鬱と孤独とがあり、
その理不尽に支えられた無軌道で不安定な正義です。

純粋で穢れのない天使が存在するとすれば、
それは生まれて間もない赤子と
寿命の尽きかけた老人だけだろうと僕は考えており、
彼彼女らを心の底で常に畏怖、畏敬しています。

——

Zu Hause trage ich das ganze Jahr über kurze Ärmel und Shorts.

8:2024.10.29 (4:51)

「夜のうた。」

抱えた傷が深すぎてそうなるのか、単に心が弱すぎてそうなるのか、寄り添おうとすればするほどわからなくなる。
今は「両親から受けた傷」や「それによる関係不全」の例があまりにも目に入りすぎ、僕もすっかり麻痺してしまった。少なくともネット上では上手く人に優しくできない。

何も知らない頃が優しかったわけではない。
しかし相手が望むものを与えたい強い本能があった。

だから村木は僕に何も望まなかった。

9:2024.10.28 (23:56)

「ワンドロ。」

イラストを描かない人には「ワンドロ」って何?って
感じだと思いますが、
ワンアワードローイング、1時間で描く絵のことです。
時間を区切って描くのはとてもいいことですけどね。

SNSで流行ってだんだん「1時間でこれかける俺すげー」色が強くなり、スタートする前に既に描いてるとか、終了しても描いてるとかルールも守られなくなり、論争が起き、
お子様の世界になったのでやめました。

僕ねえ、年齢からじゃなくて元々頭カチカチなんですよ。
自分の好きなことになればなるほど。

12:2024.10.27 (22:08)

「ヨシダ。」

僕たちの核は
「はやく大人になりたい」
「はやく自立したい」
であり、

僕はその中でも
「大人とはなにか」「自立とはなにか」を考えるあまり
10年も遠回りすることになった愚かものではあります。

時々この「もう忘れました?」のように
記憶には残っているが当時も意味がわからなかった会話があって、
マキタのことを指すのか、
誕生日やら記念日のことなのか、
あるいは日頃の僕の主張なのか、
今となっては確かめるすべもありません。

しかしきっとそういう会話、そんな記憶こそが
青春であると後で思うのでしょう。

13:2024.10.27 (12:13)

「夫婦。」

九里四里うまい十三里。

九里(くり)四里(より)
うまいのは十三里(=さつまいも)
という江戸時代の焼き芋屋が考えたキャッチコピーです。

家内ちゃんは両方好きです。
お高い栗とお高い芋が好きです。

15:2024.10.26 (22:07)

「絵。」

僕は暑さに異常なほど弱く、暑さが続く限り精神が乱調です。
やっと涼しくなり(相変わらず半袖短パンですが)、多少落ち着いてきました。

落ち着くと憂鬱なポエムの頻度は減り、
絵の技術を向上させたいという期間に変わります。
なのでしばらくは見ても退屈な絵が続くでしょう。

毎年そうです。

僕はいやなことがあったとか、嫌いな人がいるとか、
そういう打開可能な理由で不安定にはならず、
ただ暑いとか寒いとかでおかしくなる動物です。

難しいことは考えていません。