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1:2024.11.13 (23:05)

「ことば。」

関西弁=お笑い(またはお笑い好き)というのは
強い偏見で、僕はそう思われるのは嫌だった。

また確かに東の方に比べると口から生まれてきたような
おしゃべりの割合が多いのは確かで、
なんかの障害か?と疑ってしまうレベルのおしゃべりもいる。

僕もマキタもそんなにおしゃべりではない。といって極端な寡黙でもない。
それでも「何も考えずにお約束で返事をする」という地域特有の習性はあって、
真面目にした話が冗談みたいになってしまうことはよくある。

上京して訛りがとれてもそういう習性だけは残っていて、
「ツッコミがないとさみしいだろうな」と思ってツッコむと
「なんか怖い人」と思われたりする。

そんなの全部個人差だと言ってしまうのは簡単だけれど、
地域性とか県民性の話をするのは好きです。

2:2024.11.24 (12:42)

「思い出の答え合わせ。」

当時は「訊いていいのか黙ってた方がいいのか」なんて悩んだことも、
20年30年が経てばどうでもよくなっている。

例え生来の傷つきやすさは変わっていないとしても、
誰も思い出に対して傷ついたりはしない。
30年分、僕たちは確実に強くしなやかになっている。

僕の記憶は僕の知らない僕を知っている数少ない人々によって補填され、
別の記憶へと順次補正される。
その正しさだけが「ひとりよがり」というレッテルから
僕自身を守ってくれる。

思い出の答え合わせ。

よくそんな昔のことを覚えているねえと言われるけれど、
描き始めてから思い出したことの方が多い。
結婚してから40代までの間は思い出すことに興味がなかった。
それどころではなかったからだ。

多分みんなそうだと思う。
けど、写真を1、2枚もっていくだけで
全員の記憶が鮮明に復活していく。
お前たちは僕以上に僕のことを覚えている。

それくらいこの空白の期間を
それぞれが一生懸命に
生きていたということだろう。

孤独はそれによって追放できる。

3:2024.11.27 (21:47)

「まわりくどくてしにそう。」

肝心なことは言わずに
相手が全然興味のないことを
これでもかと語り続けるまわりくどさ。

「アイテテ」と身に覚えがあって心が痛む人のために
描いています。

一度失敗したらその後は楽だったでしょう?

4:2024.12.1 (4:33)

「絵と答え合わせ。」

いつも憂鬱で病気みたいだったと自分の記憶ではなっているものの、
長い間会ってなかった人に会うと、全然違ってたことが判明する。

学生の頃だとそうした勘違いを知ると
転げ回りたくなるくらい恥ずかしかったが、
今は「ほんまかいな」「何様やったんやろ」などと
笑って話すことができる。

僕はいつも「センチメンタルな思い出話は20年経った出来事を」と言うけれど、
それは嫌なことを全部忘れるのがそれくらいという実感に基づいている他に、
相手も嫌なことを忘れている年月であるという意味もある。

5年10年では結構忘れきっていない。
そういう状態の思い出話は顔では笑っていても
実は相手の嫌な記憶を掘り返すきっかけになったりすることも多い。

お天気の話でいい。
笑えない間はお天気の話をするのがいい。