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1:2020.9.15 (13:50)

「ぱぴぷぺ・ぴくちゃん!(23)」

ぴくちゃんは誰が見ても立派な分裂病でしたが、
こちらが引いてしまわないで相手をしてあげていると、
色んな特性を見せてくれました。

言葉に強く執着するんですよね。
連想ゲームというかダジャレというか、
本気で何の意味もない文章から意味を見出そうとするのです。

そしてその自分が見つけた陰謀だったり裏の暗号だったりを
僕に必死で説明しようとします。

往々にして統合失調の患者がそうであるように、
ぴくちゃんも薬を飲んでいるうちにあっと言う間に治りましたが、
どの時点で治ったと言えるのか、僕にはわかりません。

大きな世界的組織の陰謀の中で、
殺される運命にあるヒロインだと自分を思い込む彼女を、
一体誰が不幸と断定できるんでしょうか。

目が覚めた方が不幸なのは
誰だってわかっていることなのに。

2:2020.9.15 (2:00)

「ピント。」

口ではどう言っていても、
やっぱり誰かしらの共感を誘うような
表現を使ってしまっていると反省する。

誰にもわからないような言葉を使えば
更に自己満足の世界に閉じこもってしまうのかもしれない。

でも世界は誰でもわかるように出来てはいない。

僕は目が悪い。

紙袋が何を言っているのか、
僕にはぼんやりとしてよくわからない。

3:2020.9.14 (22:05)

「1999年のディストピア。(4)」

解決できない死にたさというのを、
僕はひかるに会うことで初めて知ったのです。

解決できない、というよりも
死ぬことが唯一の解決なのです。

やる気がでないとか、友達が嫌いとか、
そういうことではなく、

死にたい、という死に向かう能動的な衝動があるわけでもない。

ひかるはただ何故自分がこうしているのかが
本当にわからないのです。

存在そのものに違和感をもっている。
逃げてきた理由など訊いても無意味です。

4:2020.9.13 (23:53)

「断罪。」

幸せとは、みたいなことは時々考えます。
その時によって思うことは違うので、
もちろんこれが幸せ、みたいなものはないんですが、

大学生活を思い出している時に
やっぱり強く思うのは、

「いい言葉をくれる人」ではなく、
「よさげな言葉を断罪してくれる人」
が近くにいたことは、

まったくもって、シアワセと言うしかありません。

大人になればなるほど、その折々で出会った「大人」こそが
価値あるものだとわかります。

いつも一歩先を歩いていく人たちに追いつこうと、
背伸びをすることもまた、幸せな思い出です。

5:2020.9.13 (19:30)

「放課後のソネット。」

横顔ばかり描いている。
横顔が好きだということもある。

何かを見ている人が好きなのだと思う。
その何かは僕ではない。

気づいているのに
気づいた顔をしてはいけない、
そんな時間がある。

気まずいと思う。
気まずくないとも思う。

画面の手前の花壇に座っている僕は、
ずっとうつむいて地面を見ている。

時々視界の端に映るマキタの影と
立ち上がった時に見た横顔とその放課後を

僕は一瞬の絵として今も記憶している。

7:2020.9.12 (23:47)

「ミスター味っ家内ちゃん。」

家内ちゃんは元々何に対してもこだわりが強いが、
特に衣食住について僕には全く理解できない激しいこだわりを持っている。

まあそれはそれでいいっちゃいいんだが、
夫用に作った料理に常に自分で細かい修正指示と反省を加えながら、
それを踏まえて自分の分を作る、というワークフローのため、

僕は完璧にしあがった家内ちゃんの料理というものを食べたことがない。

8:2020.9.12 (21:32)

「1999年のディストピア。(3)」

僕は色んな言葉を使って色んなことを語ったが、
極言すれば、それはとてもとても単純な、
子供の駄々のような部分から湧いてくるものだった。

ただそれを認めるのに人よりも数倍の時間がかかったに過ぎない。
つまり、僕は「僕は優秀じゃないから」と思っていた僕よりも、
さらに優秀でなかったということである。

それまでも死にたい人にはサイトを通じてたくさん出会った。
言葉は悪いが、彼彼女らは、僕と同じく、
世界が「思い通りになりさえすれば」生きていける人たちだった。

ひかるにもそういう部分はあったのかもしれない。
が、僕には見通せなかった。

ひかるからは、ひかるの中の世界の手触りが
何も感じられなかった。

9:2020.9.12 (16:40)

「先生と遊ぼう。」

先生と言っても非常勤講師ですんで、
そこまで生徒と仲良くなるわけではありません。

また、在学中に特定の生徒に肩入れするのは
よくないので卒業するまでは控えています。

卒業したら立場的には同じなんですが、
まあ何年経っても先生は先生、生徒は生徒なんですよね。

20年くらいやってますから、少なくとも1000人くらいの
生徒を見てきたことになります。

全員描きたい気持ちもありますが、
まあ嫌われる覚悟は必要です。

10:2020.9.11 (11:16)

「昔のヨシダ、今日のヨシダ。」

僕はあまり人を褒める方ではない。
自分も含めて、滅多に優秀だなんて思わない。

でもヨシダは優秀だった。
勉強ができるというより、やろうとしたことを
確実に実現させる意地やプライドの高さが、
とても優秀な人間だった。

色んな業種の店をいくつも構えて、
でも地元から離れず、地元の中だけで生きている。

たまこまーけっとのような世界がある。

本当に、僕なんぞと続かなくてよかったと思う。

11:2020.9.11 (3:03)

「1999年のディストピア。(2)」

僕は作家ではないし、漫画家でもない。
だから話を作り出すことができない。

結論から言えば、別に出来事らしい出来事は何も起こらない。
僕はひかるの話を聞いていただけである。

だから残念ながらまた、
僕のジブンガタリにしかならない。

12:2020.9.10 (22:03)

「大人には言い訳がいる。」

用なんかないんです。

何か用かって電話で訊かれると、
答えられないんです。

さみしいから、とは言えないです。
でも結局はそういうことです。

僕は黙っています。
もちろん、それでイライラさせることもあります。

でも来てくれます。

だから、僕も同じ人がいれば、
どうしたって、行ってあげます。

13:2020.9.10 (14:10)

「歴史。」

特に自分の(個性的な)絵柄が欲しいと思ったことはなくて、
むしろ毎回別人が描いてるんじゃないのかと思われる方が好きなのは、
一つのパターンでは一つのことしか表現できないという
もどかしさがあるからだと思います。

ジブンガタリを始めて強く思ったことは、
僕はそんなにかわいいものが好きではなかった、
ということで、大分ショックでした。

制服が好きとかジト目が好きとか、
そんなもの何もなかったのです。
何もないからその時の気分を描くしかなく。

マンガ家や絵かきに一番大事なものが欠落しています。

14:2020.9.9 (22:10)

「1999年のディストピア。」

90年代末、僕は20代前半、
自分のサイトの中で「パパ」などと呼ばれていて、

どこにも未来がない未成年に、
「逃げていいよ」ではなく、逃げてくればいい、と言って
下宿に呼んでいた。

それだけでもう今ならアウトだが、
しかし「逃げていいよ」なんて口当たりのいいことを言って、
近くの児童相談所に通報して手続きを踏んでどうのこうの、
みたいなことをやっていては彼女たちは死ぬしかない。

だから僕は、逃げたいならここに逃げてくればいいと
具体的な回答を与えた。

それは決して僕の正義ではない。
「死にたいではなく消えたいのだ」という
不可解な彼女たちに関心があっただけだ。

この話はいつか長編として描きたいと思っているのだけれど、
相変わらずオチも展開もない上、
恋愛も青春もない、中身もない。

だがその後の僕の考え方に大きな影響を与えたことは間違いない。

15:2020.9.9 (11:22)

「僕は僕の顔を知らない。」

いつだって自分の表情はよくわからない。
そうやって言われて、初めてそんなものかと思った。

ちょっと恥ずかしくもあるが、
悪い気はしない。

「自分と向き合う」というのは、
部屋に閉じ持ってうんうん頭をひねることではない。

人を鏡にして、
そこから返ってきたもので自分を知るのだ。

ひとりぼっちでは
自分のことなど何もわからない。

16:2020.9.9 (1:00)

「気分。」

僕は「なんでも見える化」には反対で、
見えなくていいものを引きずり出して白日のもとに晒すのは
不躾で興ざめだと思っています。

学生の頃は、哲学とか美術とか、そういうものを
「変えていかねばならない」という使命のもとに
一生懸命勉強していた気がしますが、

そんなことより、
ぼんやりしていい人と
ぼんやりしている方がよほど無意味に充実している。

人生はいつも皮肉だ。
そうなってみなければわからない。

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