「オータニ。」
「友達」の定義をしよう。
僕にとっての友達を。
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リアル調とイラスト調のどこを妥協点にするかって
今の僕でも相当悩むので、
多分世の絵描きたちもさんざん悩む箇所なんだろうなあと思います。
でも今流行りの、
顔はアニメで体だけ肉肉しい、あのタッチはキメラみたいで好きじゃない。
あれが好きじゃないってことは流行りの絵は描けないということになる。
ブラウスはよい。
いろんなところにシワがはいって、
そのシワを描くのが楽しい。
とにかく漫画で状況を説明しなくちゃ、
わかりやすくしなくちゃ、
はっきりさせなくちゃ、
って思って描いてたら
描いてても全くおもしろくなくなってしまいましてねえ。
もっと徹底して「どう読んでほしいか」を排除して、
よりリリックの本質的なところを追求してかないといけないなあと。
想像の余地と余白を入れて。
漫画で頭使いたくねえよ、なんてよく見かけますが
まあそういう人を楽しませる漫画って
毎日毎日無限に増産されてますしね。
この季節、学生には卒業証書が渡されます。
センチメンタルですね。
先生には通知表が届きます。
この先生頭大丈夫かどうか、授業がクソかどうかなど、学生が5段階で評価します。例年辛辣です。Twitterで人格否定されるのもイヤですが、現実の人格否定もイヤです。
わたくしは本年度オール5で成績を終えました。
僭越ながら見てやってください。
わたくしが日頃からお菓子などを与え、このクソガキがと怒鳴りたいところを「まあいけない子ね」と変換し、学校からちゃんと役に立つことしゃべれと怒られつつ、それでも一年間そこそこみんなで楽しく過ごせた、このオール5を。
学生アンケートでオール5にするのってね、何十人かいるクラスの学生のうち、一人が一科目でも4とかつけたら当然平均は5にならないんですよ。
自分だけ努力すればオール5でもオール100でもどうとでもなる学校の成績とは違います。
なので喜ぶのです。
ヌードデッサンのモデルはスレンダーな人より
ちょっと肉肉しい方が好まれるので
自然とそういう手癖になっていった。
誰を描いてもなんかこう、むちむちした感じになるのは
その名残だろうと思う。これでも大分現実よりは細くしているんだけど。
僕にとってもっとも馴染みがないのが子供と中学生だ。
まともに描いたことがない。描きたいと思うこともない。
中学生の思い出が全然ないからマンガにもならない。
というわけでどう描くと中学生に見えるのか、
これはまた難しく、普段の倍の時間がかかった。
フェティッシュと言えるのかどうかもよくわからないけど、
「みんなが同じ水色のピアニカを持参しているが
一人だけ姉のお下がりの茶色のを持ってきてた」
とかもなんとなく好きだ。
なんで好きなのかはわからない。
一人だけ違うことしてるやつが好きだったのかもしれない。
メールやLINEは無視してしまえるし、
無理に返信しなくてよいという空気もある。
手紙は出してそのまま無視された記憶はほぼない。
時間はかかるが、必ず何らかのリアクションがあった。
携帯のない時代の僕たちでも
手紙はとっくに時代遅れだったから、
僕と同世代で筆まめだった人間(特に男)は少数派だろう。
書くのも出すのも時間がかかった。
Twitterに投稿するのが、よく考えても1時間程度の推敲であるのに対し、
手紙だと何日もかけて何回も書き直して出していたと思う。
それが伝わる時も伝わらない時もあるが、
別にそれは構わない。
ただ何かは伝わるから無視されることはなかったんだと思う。
重たいとはよく言われたが。
人間関係に限って言えば、
僕は手軽や気軽とは無縁だった。
それが嫌いな人もいるし、好きな人もいるだろう。
それは僕とは関係がない。
時代や空気とも関係がない。