「ひとのものは。」
自分のもの。
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自分のもの。
諦めたような、怒っているような、悲しいような。
こういう細かいことがいっぱいあって、
最後にやっぱり「そのせつはごめいわくありがとう」に続くのです。
でも僕の高校生活にオチはありません。
どんなに合理的で正しい考え方をしたって、
それが自分の生活をつまらなくするなら僕はいらない。
眠るのが嫌いなんだ。
ずっと昔から。
ねちねちとしつこくいつまでも怒る人間のがずっと多い。
僕もそうだと思う。
僕はなんとなく笑っている人間が一番苦手だったから、
空気が悪くなるとか、そんなことのせいにしないで、
ただ怒りたいだけ怒っているセキグチのことは
苦手ではなかった。
セキグチは保育園の時からずっとそうだった。
きっと今も周りに八つ当たりして生きているだろう。
それでもそれが正直な八つ当たりなら、
受け止めてくれる人は必ずいる。
大学時代に出会った人間の数は多い。
でもマンガに出てくるのはほんの数人だ。
あまりにも学生の数が多すぎて、
誰が何をやっていても大して気もとめない。
それこそが自由であり、自由の寂しさだったと思う。
大学時代のマンガには色んな人物が登場するが、
田舎と街なかをまたいで関係が続いたのは先輩一人であり、
僕の大学生活を象徴する人間である。
僕は何かを始めると才能のあるなしに関わらず
ずうっと同じことを続ける方です。
友人にそれを求めるわけではないですが、
やっぱりずうっと同じことを続ける人が好きです。
飽きたりイヤになって投げ出したり、
色々するわけですが、
結局また同じところへ戻って同じことを繰り返す、
人間関係や恋愛関係も、
そんな細長い関係が好きです。
考える時間、考え直す時間が与えられる。
多分メールがまだなかったから手紙だっただけで
もしあればメールだったかもしれない。
でも手紙は本当に時間がかかった。
読むのも書くのも時間がかかった。
僕も君も必ず「手紙は苦手だけど」と前置いて、
でも必ず一生懸命書いた。
その時間を思い出と言うのだと思う。
「君に届け」が流行っていた頃に、
ぽろっと「風早くんてそのうちヒモになりそう」と授業で言ったら
女子生徒に死ぬほど怒られたことを思い出した。
何が言いたいのかさっぱりわからない長い文章は嫌われがちだが、
「言い当ててやろう」みたいな短文も好きじゃない。
言われた言葉に引きずられるよりも、
言った自分の言葉に呪われることの方が多い。
大学はあらゆる方向に価値観が広がってゆく数年だった。
とりわけ、野菜も魚も嫌いで極端な偏食だった僕が、
嘘のように嫌いな食べ物がなくなったことが思い出深い。
そして自分の価値観(好き嫌い)を頑なに守ることが
「自分がある」ということではなく、
なんでもいいからとりあえず食べてみることが<楽しい>への近道なのだと、
身を持って知った。
食べ物で気づいたことを人間関係へと敷衍するまでに、
そう時間はかからなかったと思う。
本人の字シリーズ番外編。
僕が僕という人格を形成する上で、
もっとも大きな役割を果たしたのは思春期の人間関係、主に恋愛です。
なのでそればかり描いてます。
一方で、40代で一番考え方を変えた出来事は病気です。
でも近い経験を描くとただの病気自慢になりそうで、
あまり多くは描いていません。
僕は休むことが嫌いでした。
朝から晩まで何か勉強していないと落ち着かない性分でした。
今はほとんど情報を見ることもなく、
ぎりぎり食えるだけの仕事以外何もしていません。
というより出来ません。
高過ぎた自尊心の代償なのだと退院した頃は暗くなっていましたが、
今はただ床に転がってぼんやりしていることが好きです。
未読の方は入院当日からの日記をどうぞ
入院日記まとめ