「字下手なのと繰り返しながら書いてくれた君の手紙は。」
本人の字シリーズ。
絵も字も、あるいは文章でも会話でも挨拶でも何でもそうですけど、
上手な人が上手そうにする何かより、
下手な人が下手ゆえに丁寧にする何かの方が
僕はずっと好きです。
でも下手な人がびくびくと顔色を伺いながら、
あるいは最初から投げやりに
何かをしているのは好きでないので、
多分上手とか下手とかは関係なく、
精一杯が好きなだけなのだと思います。
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本人の字シリーズ。
絵も字も、あるいは文章でも会話でも挨拶でも何でもそうですけど、
上手な人が上手そうにする何かより、
下手な人が下手ゆえに丁寧にする何かの方が
僕はずっと好きです。
でも下手な人がびくびくと顔色を伺いながら、
あるいは最初から投げやりに
何かをしているのは好きでないので、
多分上手とか下手とかは関係なく、
精一杯が好きなだけなのだと思います。
昔はよかった、とはっきり言い切れるほど
よかった思い出はない。
でも今よりはよかった。
僕のノートには、たくさんの余白があったからだ。
ぎゅうぎゅうに詰め込まれた僕というノートは
もう買い足すことは出来ない。
ほんのわずかな余白に、
小さく小さくなってゆく僕を描く。
本人の字シリーズ。
手紙は僕の唯一の財産だ。
高価なパソコン、立派なピアノ、あるいは車、家、贅沢な暮らし、
そんなものいくらあっても僕の気分は晴れない。
でもその日その場所、その時の気持ちで書いた
君の字から、
僕はやがて衰えて死ぬまでの束の間、
人間に対して夢を見ることができる。
僕は「恋愛」について語れるほど恋愛のことをよく知らない。
だからジブンガタリという形でしか恋愛や青春を表現できない。
ただ、何度浅はかな失敗で人間関係を壊しても、
僕は何度でも同じ失敗を繰り返す。
学習能力がないと君たちは笑うだろうか。
それは違うと僕は思う。
2021.11/24(水)まで。
「冬野カモメ個展 -海を歩くみたいに-」
https://www.f-kmm.com/
本人の字シリーズ。
僕のマンガは17歳が起点になっている。
思春期が始まるのがマキタに出会う17歳だからだ。
きっとそれ以前も揉め事や憂鬱はあったのだと思うけれど、
さして語りたいことや語りたい人間はいない。
この時もクラスは違ったが同じバスにのって
同じ場所を歩いていたはずだ。でもそんな記憶はもちろんない。
出会うというのは何と不思議なことだろう。
最初は暗い思いつめた顔で描いてたんですが、
よくよく思い出すとそうじゃなかったなって。
ちゃんと暗い顔を出来る人もいれば、
それが出来ない人もいる。
マキタの手紙は授業中に投げあったメモみたいなものも含めて3通しかない。
大体バーカバーカと書いてある。
バーカバーカと言いあえるほどには
仲が良かったということでもある。
夫婦だったり両親だったり、
男女の関係は、当人以外には絶対にわからない。
わからないから余計に描いてみたくなる。
僕はマキタの絵を描くために絵を描き始めたので
当時それ以外の技術や何やらには全く興味がありませんでした。
という風に人にはよく語るんですが、
それもまたネタであって、
僕の中核は憂鬱とかメランコリー、あるいはセンチメンタルにあり、
40近くになって突然美少女イラストやマンガを描き始めましたが、
それでもいつも憂鬱で、メランコリーです。
美少女、描くの無理でした。
ごめんなさい。
僕は人前から去る(サボる)のは常習犯だったが、
遅刻するのは苦手だった。今でもそうだ。
「やってらんねえよ」と誰かに言い捨てていなくなる、
つまり言い訳をしていなくなるのは平気だけど、
「黙って自分がいない状態」というのが不安だったのだと思う。
いつも他人に承認を求めている。
その辺をクソ真面目だ、面倒くさい、と
人は色々言うけれど、
「自分勝手」は僕の憧れであり、
ずっと目標だったことに変わりはない。
身近な人間ほど気を遣わなきゃいけないんだ、と
知ったのも思春期の頃だったかしら。
見ていて気の毒になるほど
人に気を遣う人間というのは
いつになってもいますが、
彼彼女らが気を遣っているのは
自分自身であって
人のことなんて何も考えていない。
僕がそうだったから。
逃げ方にも色々ある。
僕は内ではなく外に逃げ出す方だった。
学生時代を内にこもってやり過ごしても、
いつか必ず自分を見失う時は来る。何度も何度も。
大人になってからではもうどこにも逃げられないんだよ、と
僕は学生に言いたい。
言わないけれど。