「大人には言い訳がいる。」
用なんかないんです。
何か用かって電話で訊かれると、
答えられないんです。
さみしいから、とは言えないです。
でも結局はそういうことです。
僕は黙っています。
もちろん、それでイライラさせることもあります。
でも来てくれます。
だから、僕も同じ人がいれば、
どうしたって、行ってあげます。
僕のしあわせは僕自身が「しあわせだ」と感じなかった時間にこそ存在する。
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用なんかないんです。
何か用かって電話で訊かれると、
答えられないんです。
さみしいから、とは言えないです。
でも結局はそういうことです。
僕は黙っています。
もちろん、それでイライラさせることもあります。
でも来てくれます。
だから、僕も同じ人がいれば、
どうしたって、行ってあげます。
自分が「本当はこうしてほしかった」という
さみしい気持ちでそれを人にしてあげても、
大抵自分勝手で押し付けがましい善意になります。
人に優しくしてもらったことがなければ、
人に優しくすることはできないのだと僕は思います。
そう言うと、
じゃあそんな経験のない自分はどうしたらいいんですか、
だめなんですか、と訊かれます。
なんて答えて欲しいんですか。
大丈夫だよ、これからいいことだってある、
なんて僕は絶対言いませんよ。
わかりません、と答えます。
それは君次第です。
旅は好きだった。
旅の目的は、何かを見ることではなく、何も見ないことだった。
自分を知っている人間がいないというだけで、
僕の心ははずんだ。
やがて、誰かと旅をすることを覚えた。
それは何かを見る旅だった。
目的を達するための旅だった。
僕は次第に疲弊した。
奥崎の実家に挨拶に行った。
目的は達した。
僕は君のことを知りたいと思った。
雪が降り出した。
君は君しか知らないことをたくさん話した。
僕は、そうやって人を好きになる。
詩の世界は、僕の大学時代の一つの象徴だ。
古今東西の名著と呼ばれる文学…ゲーテやらドストエフスキーやら
あるいは夏目漱石やら太宰やら三島やら、
10代の頃に読みふけったロマンティックな世界にやがて飽き、
ノイエ・ザハリッヒカイト的なものを求めて
哲学や物理学、あるいは宗教学的なものばかり読んでいた。
詩はカビ臭い、自己満足的なもので、
読んで何があるわけでもない、と思っていた。
それを180度ひっくり返したのが、
このマンガのような体験である。
結論を言えば、やっぱり何があったわけでもないとは思う。
ただ、詩の中…とりわけ現代詩の中…には人間がいた。
その一つ一つの言葉の中に、
学問よりもずっと僕の心を穿つ、
人間がいた。