2024.3.16
「戻りたい過去。」
40歳を超えたあたりから、しみのように「これはもう余生だ」という気持ちが僕の中に広がっていった。
僕のしあわせは僕自身が「しあわせだ」と感じなかった時間にこそ存在する。
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40歳を超えたあたりから、しみのように「これはもう余生だ」という気持ちが僕の中に広がっていった。
「若さ」のよさを考える。
融通も効かず、話も聞かず、冗談も通じず、目の前のことしか見えず、そんなでも「探せば拾ってくれる人はいた」ということだ。
それは劣等感を吹き飛ばすのに十分な力があった。
ドイツ観念論がどうのこうの、人生は罰だのなんだの、どうしようもないアホ大学生日記が続く中、このページだけ
やったー
とある。
俺はそうなのだ。「また今度」の社交辞令など知ったことではないのだ。