「三丁目の憂鬱。」
お前のは偽善だ
その子のためにならない
犯罪者が調子乗るだけだろ
ただの感傷だ
大人になれ
さんざん色んなことつっこめるでしょ。
それは正しい。
でもイヤだったんですよ。20歳の僕は。
正しいことがイヤだったんです。
イヤでイヤで仕方なかったんです。
大学の美術部で2学年上だった先輩は、「僕」の憧れだった。
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お前のは偽善だ
その子のためにならない
犯罪者が調子乗るだけだろ
ただの感傷だ
大人になれ
さんざん色んなことつっこめるでしょ。
それは正しい。
でもイヤだったんですよ。20歳の僕は。
正しいことがイヤだったんです。
イヤでイヤで仕方なかったんです。
僕はほとんど人に好かれるということがありませんでした。
というより、好きな人に嫌われるのが怖いので、
最初から「俺のことなんか好きなやつぁいねーよ」
という設定で自分を守っていました。
だから僕はいつも片思いが好きでした。
相手が迷惑な顔をしても平気でした。
迷惑だろうと思っていたからです。
つまり自分のことしか考えていないわけです。
いわゆる「ファン」です。
ファン状態になった人間には、人の気持ちなどわかりません。
ファンはファナティック(狂信者)のファンなのです。
例外はありません。
そんな僕を困惑に追い込んだのは、
僕の「ファン」になってしまったハニワちゃんでした。
ハニワちゃんは僕のことが好きでした。
でもその「僕」は僕自身とはかけはなれた僕でした。
僕はやっと幻想の外側にいる、
人間そのものに目を向け始めました。
当時の友人には、
「好きな人と自分の部屋にずっといてそういう気分にならなかったのか」
とたびたび訊かれた。
ならなかった。
多分ヌードデッサンの授業で変な気分にならないのと同じだ。
あるいは僕は先輩のことを好きじゃなかったんだと思う。
触れてはいけないという壁を自分で作って、
頑なにそれを守ることを恋愛と錯覚していたのかもしれない。
ただ一度だけ、
それを破って僕は先輩に触れた。
先輩を思い出す時、
いつも中原中也と長谷川泰子、小林秀雄の関係を思い出す。
もちろんそんな格好いいものではなかったし、
僕は結局小林秀雄にはなれず、相手にされなかった。
ただ僕がよく「ファン」を否定したがるのは、
この辺の経験からスタートしている。
とはいえ「ファンにも色々ある!」と君たちは怒るだろう。
そんなことは知っている。
僕のマンガには芸能人も著名人も出てこない。
天才もアーティストもいない。
いるのはただ平凡な少年と少女だけである。
ファンは必要ない。
話をしたければ、自分の話をただ素直に語ればいい。