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1:2020.8.31 (23:32)

「だめな日々。」

こんな大人にならないで欲しいという気持ちと、
まあ人生なんてこんなもんだよなという気持ちと、
両方ある。

思い出にすがって生きているわけではない。
懐かしいなあと明るい気分になるわけでもない。

鉛のように心が動かない時、
もうないとわかっている未来の話ではなく、
ただ、僕だけにかけられた、
優しい言葉だけが思い出される。

2:2020.8.31 (10:57)

「一人でいい、は未熟だ。」

高校辺りでの失恋ダメージを負ったまま、
それっきり何年も十何年も何もない人がたくさんいる。

それを否定したいわけじゃない。
その人の人生はその人が思うようにしか歩めない。

でもちゃんとつきあって人と過ごす楽しさを知ったなら、
また好きな人が出来るのが強くなって回復した証だと思う。
それを繰り返して、僕はやっと素直に人とつきあえるようになる。

なるほど君たちは思春期の失恋をトラウマとして僕によく話し、
それからずっと何もないですよと自虐的に笑うけれど、

違う。
トラウマのままにしておきたい子供のわがままだよそんなの。
トラウマというには、それはあまりに未熟で身勝手だ。

3:2020.8.30 (20:33)

「夏の終り。」

みなさんの初めての挫折は何だったろうか。
部活だろうか。受験だろうか。
そもそも学校自体全く馴染めなかった人もいるかもしれない。

僕はバスケ部や水泳部にも入っていたが、
最後まで闘争心がなく、正直関心もなく、
負けても全く悔しくなかった。だからこれは挫折ではない。

勉強はどうか。
僕は環境に恵まれて、書庫の中で本に囲まれて育った。
だから高校程度のいわゆる「知識を問うテスト勉強」は
ほぼしなくて済んだ。
嫌味に聞こえるかもしれないが、事実だ。

僕の大きな挫折は恋愛だけだ。
挫折とはつまり、自分の思い通りにならなかったこと、と言い換えてもいい。
一生懸命だとか努力だとか、あるいは座学、戦略では、
一つも思い通りにならないことがあるのだと、
そこで初めて知った。

だからこんなに覚えているのだ。
君がもし20年以上も前の初恋の人を覚えているのなら、
一切絵なんか描いたことなくていい、
一生懸命描いて見せて欲しい。

僕はそんなことで救われる。
それは君にしか描けない絵だからだ。

4:2020.8.29 (23:30)

「学習しなければならない。」

先輩を思い出す時、
いつも中原中也と長谷川泰子、小林秀雄の関係を思い出す。

もちろんそんな格好いいものではなかったし、
僕は結局小林秀雄にはなれず、相手にされなかった。

ただ僕がよく「ファン」を否定したがるのは、
この辺の経験からスタートしている。

とはいえ「ファンにも色々ある!」と君たちは怒るだろう。
そんなことは知っている。

僕のマンガには芸能人も著名人も出てこない。
天才もアーティストもいない。
いるのはただ平凡な少年と少女だけである。

ファンは必要ない。
話をしたければ、自分の話をただ素直に語ればいい。

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