「手紙のころ。」
当時最新の通信手段はポケベルだった。
僕はポケベルはおろか電話さえ拒否し、
手紙だけを是として生活する大学生だった。
流行ってるものが嫌いなのは今も昔も一緒だ。
秒刻みで生きる今に、
僕は大分前からついていく気がない。
もどかしいから育つ気持ちもある。
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当時最新の通信手段はポケベルだった。
僕はポケベルはおろか電話さえ拒否し、
手紙だけを是として生活する大学生だった。
流行ってるものが嫌いなのは今も昔も一緒だ。
秒刻みで生きる今に、
僕は大分前からついていく気がない。
もどかしいから育つ気持ちもある。
マンガではひどい扱われ方のムロイですが、
卒業の頃にはずいぶん雰囲気も変わって、
こんな手紙をくれました。
1993年。
気弱で挙動不審で自称コミュ障のムロイでしたが、
最後の手紙は
高校生らしい、前向きで素直な気持ちに溢れていた。
僕はずっと厳しい言葉でムロイを詰ったことを後悔していました。
その手紙には、
そんなの気にしなくてよかったんだよ、
と書いてありました。
特定の誰かに向けたジブンガタリは
もうジブンガタリではなく、
メッセージであり、
要求であり、
ぱんぱんに膨らみきったエゴなのだ。
当たり前のことを当たり前にさらっと言える人には
なかなか出会えません。
面白くもない妙なネタに混ぜたり、
説教トーンでしかものを言えなかったり。
ただの当たり前のことなんです。
僕が言いたいことも。
体がちょっと楽になったら
こうしてすぐ描きたくなって
そのうちまた具合悪くなる。
でもやめられないでいる。
カンディンスキーのこの絵は
本棚のどこかの画集にあったはずだ。
でももう、捨ててしまったのか、
どこにも見つからない。
あと何枚僕には描けるんだろう。
地に足のついていない、
まだ何者でもない人間が何を語ろうと
そんなもの誰も聞きやしない。
人を好きでいる資格も好かれる資格もない。
などと、また自分の方へ自分の方へと
話を引き寄せて考える。
つきあってられないさ。
自分のことながら。
3年前も血を吐いたりして明らかに尋常じゃないのに、
「俺のは甘え」と強行に仕事を続けた結果、
入院となった。
今回も同じで、明らかにずっと具合が悪いのに、
「俺の努力が足りない」と思いこんだ。
それは逃避なのだ。
病気じゃなくて俺の精神が弱い、という
ことにしたかったのだ。
それこそが、
本当の意味で「メンタルが弱い」ということなのだ。