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1:2024.3.28 (3:06)

「放課後。」

「金が全てではない」という主張は、自分が金持ちになったらきっと言ってやると歯ぎしりしながら思っていました。
20代の頃。
貧乏人が言っても負け惜しみだからね。

結局お金持ちにはなれなかったから、心をこめて「世の中金が全てじゃない」とは言えない。お金欲しいからさ。サーバ代とか病院代とか。

でも自分の思い出をお金に変えようとしてはいけない気がする。これはモラルだろうか。

そうじゃないな。
僕は大人の正論が今でもなんだか嫌なのだ。
残念ながらそこは全く成長していない。

子供じみている。
子供じみている自分をそんなに嫌だとも思っていない。

3:2024.4.28 (4:31)

「自尊心。」

以前は「どうしても相談したい」とメッセージをもらうと、
オフで会って話を聞いてみることもあった。

たいていの相談は
結局は自分語りで人の話を聞く気はないんですよね。
男の場合は特に。

それなら最初から「相談したい」なんて格好つけないで
すいませんが自分の話だけさしてくれと言えばいい。
それもあって、僕も基本的に僕の話しかしないことにしている。

全然聞いてあげないと、親身になってくれなかった!と
SNSで書き散らすわけですが。

悩みを話せる友人がいないなら
ネットでも言わない方がいい。言ってはだめだということじゃなく。

忘れるのがどんどん先延ばしになって
自分がつらいだけだ。

4:2024.5.12 (22:52)

「プライドを捨てる時。」

根拠のない自信や自尊心は
全然ないより高すぎる方がましだろうと個人的には思っています。
それはそれらを捨てないとどうしようもない場面に
学生時代必ずどこかで遭遇するはずだからです。

ないものは作れませんが、あるものを壊すのは努力できます。
自分の力でどうにも出来ないことはつらいだろうと思います。

僕にとってこうした20歳の一瞬はとても大事で、
以降少しづつ楽になっていった気がします。

僕は残念ながら今言う毒親や自己肯定感の低さについて
ピンとこないので何も語れないし
うわべで同情することくらいしかできません。

「僕も自信なんてなかったよ」と言うこともできますが、
多分心の底ではあったんでそれは嘘です。

僕が自信なさげなポーズをする時は、
失敗したらどうしようという不安な場面で
最初から自信がないことにして保険をかけた時だけでした。

自尊心や自立心の強かった僕にとって、
自分の勝手な理屈で助けを乞う、つまり一緒にいてくれと求めることは
相当に勇気がいることで、
故によく覚えています。

相手にとっては「なんのこっちゃめんどくせえ」という話ですけれど。