「思春期の本気なんて。」
誰だって自分を悪者にしたくはないし、傷つきたくもない。
しかし不穏な空気が流れてくれば、それにたやすく流され、
自分の責任ではないと自分自身に言い聞かせようとし始める。
思春期の正義や優しさなど誰も幸せにしない。
人からレッテルを貼られる前に、
自分から先に不幸を背負って見せることで
傷口を最小限度にとどめようとする、
それが子供の正義であり、優しさである。
わあ、何て最低なやつだ……、って思いました?
君はそう言い切れるほど自分自身を知っていますか。
フォロー0、ツイートは全て手書き、必ず落書きを入れる、という縛りで始めたTwitter-日々ジブンガタリ
もう誰の顔色も伺わない。
ページ内の表示数
誰だって自分を悪者にしたくはないし、傷つきたくもない。
しかし不穏な空気が流れてくれば、それにたやすく流され、
自分の責任ではないと自分自身に言い聞かせようとし始める。
思春期の正義や優しさなど誰も幸せにしない。
人からレッテルを貼られる前に、
自分から先に不幸を背負って見せることで
傷口を最小限度にとどめようとする、
それが子供の正義であり、優しさである。
わあ、何て最低なやつだ……、って思いました?
君はそう言い切れるほど自分自身を知っていますか。
先生をしていると、「何かアドバイスを」と求められる機会も多々ありますが、
率直に言うと助言できることなんか何もないのです。
好きなようにやりなさいと思っています。
そのかわり、何かを得るための場所は提供してあげられます。
ある人はそんなの放置プレイだ、無責任だと怒ります。
ある人は、じゃー勝手にやるから後で見てくださいねとさっさと歩き始めます。
どっちがいいのかも、僕にはわかりません。
そういう意味では僕は無責任の塊です。
ただ僕は何も思い通りにならなかったので、
今でも何か思い通りにしたいという気持ちが渦巻いています。
うんざりして、げんなりして、全部人のせいにしたい時、
割とそのわがままが僕を救ってくれたりします。
僕は大学生になるまで「おしゃべり」が出来なかった。
男女の違いなのか、ただの性格なのか、
しゃべればしゃべるほどストレスに感じた。
しゃべる=互いの時間の拘束
なんて考えていて、
どうせしゃべるなら意味がある(と思い込んでいた)ことを
話すべきだと思っていた。
やがて「意味のある会話」なんて言ってたことが
猛烈に恥ずかしくなる季節がくると、
僕はくるくるとよくしゃべるようになった。
その頃から「話をよく聞いてくれる人」「聞き上手」なんて
言われることも増えたが、
ハハハハ、笑ってしまう。
僕は全く人の話など聞かなくなっただけなのに。
みなさんの初めての挫折は何だったろうか。
部活だろうか。受験だろうか。
そもそも学校自体全く馴染めなかった人もいるかもしれない。
僕はバスケ部や水泳部にも入っていたが、
最後まで闘争心がなく、正直関心もなく、
負けても全く悔しくなかった。だからこれは挫折ではない。
勉強はどうか。
僕は環境に恵まれて、書庫の中で本に囲まれて育った。
だから高校程度のいわゆる「知識を問うテスト勉強」は
ほぼしなくて済んだ。
嫌味に聞こえるかもしれないが、事実だ。
僕の大きな挫折は恋愛だけだ。
挫折とはつまり、自分の思い通りにならなかったこと、と言い換えてもいい。
一生懸命だとか努力だとか、あるいは座学、戦略では、
一つも思い通りにならないことがあるのだと、
そこで初めて知った。
だからこんなに覚えているのだ。
君がもし20年以上も前の初恋の人を覚えているのなら、
一切絵なんか描いたことなくていい、
一生懸命描いて見せて欲しい。
僕はそんなことで救われる。
それは君にしか描けない絵だからだ。