「スタートライン。」
全ての教科の中で美術が一番苦手でした。
画用紙を渡されても何を描いていいか、
描きたいものなど何もなかったのです。
ノートや机の落書きさえ、一度もしたことはなかった。
関係がうまくいかず、家に何週間もとじこもっていた時に、
ふと頭の中にあるマキタを描いてみたら、少し楽になった気がしました。
それが始まりでした。
今も同じです。
フォロー0、ツイートは全て手書き、必ず落書きを入れる、という縛りで始めたTwitter-日々ジブンガタリ
もう誰の顔色も伺わない。
ページ内の表示数
全ての教科の中で美術が一番苦手でした。
画用紙を渡されても何を描いていいか、
描きたいものなど何もなかったのです。
ノートや机の落書きさえ、一度もしたことはなかった。
関係がうまくいかず、家に何週間もとじこもっていた時に、
ふと頭の中にあるマキタを描いてみたら、少し楽になった気がしました。
それが始まりでした。
今も同じです。
大体お習字の手本というと、「希望の朝」とか「春夏秋冬」とか
つまらないわけです。
なので僕は漢和辞典を携行し、琴線に触れる文字以外は
練習しませんでした。
ちなみに「障泥烏賊」で五十鈴川賞という謎の賞をもらいました。
ところで僕が高校生の頃、
女子の間ではまるっこい字が流行っていたのですが、
「○○さんへ」の「へ」にいつもヒゲが生えていました。
あのヒゲは何だったのか、今でもよくわかりません。
美術部の一階下にある演劇部の部室は、
元々柔道部が使っていた畳敷きの部屋だった。
文化部とは言え、体育会寄りの演劇部は、
上の階の僕たちにまで聞こえる大声で、
跳んだり跳ねたりしていた。
夏休みには、マキタが一人で練習していることもあった。
僕は一人、美術室で絵を描いていて、
声が聞こえなくなるとジュースを買って差し入れに行った。
胸が高鳴った。
好きな人に好きとちゃんと言えました?
僕は自分だけで盛り上がれば盛り上がるほど全く言えず、
そのかわり、わかったようなわからんような、
自分でも何を言いたいのかわからないことを述べ、
「意味わからん。何が言いたいの?」
と言われるとしょげる、そんな童貞でした。
ずっと心の中では「察してくれ!察してくれ!」と叫んでいました。
心の中で「好きだ」と思うことさえも恥ずかしかった。
否定されるのが何よりも怖かった。