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2:2020.10.12 (11:49)

「思い込み。」

わかりますわかります、
と繰り返す人間がまるで何もわかってないのと同じで、

人に言われるまで
自分のことに気づかない。

言われてさえ、なかなか認められない。
認められなくて、過敏に反応する。

その反応する姿はひどく言い訳がましく醜く、
どんどん大事な人との距離が離れてゆく。

のを見ていながら、見てみないふりをする。

4:2020.10.10 (22:38)

「見知らぬバス停。」

さみだれちゃんと僕は10歳ほど年が違う。

何も話さないので、話で盛り上がったとか、盛り下がったとか、
そんな記憶はない。

ただ待っている。
ただついてくる。

ちょっと感傷的かも過ぎるかもしれないが、
その代わり、さみだれちゃんの感情を代弁するように、

ごうと強く、風が吹いた。

6:2020.10.10 (15:55)

「よいものだよこれも。」

新鮮味もなくなって、なんだかだるい空気に包まれる。
それはそれで僕は好きだったし、
そういう時ならではの気まずさとか不安とかが、
また養分になって人と向き合う養分になってゆく。

一度すごく好きな人とつきあって別れたことがあれば、
もしかしてまた同じようになるかと思うと
怯えて踏み出せない気持ちもわからないではないが、

結局何度も出会いと憂鬱と破滅をゆっくりと繰り返し、
一連の流れの中で、自分を飾らないことを覚えていくのだと思う。

いつも言うけれど、
飾らない自分でいられるかどうかは自分の心がけではない。
飾らないでいられる人間に会ったか会わなかったかだけの話だ。

7:2020.10.9 (23:11)

「当然。」

今なら、と思うことはたくさんある。
今ならこんな結末にはならなかったはずだ、と。

このメールがこないだ復旧したHDDから出てきた時に、
当時は「なんて冷たいこと言うんだ、僕がノイローゼになってるのに」と
ただ哀しかったことを覚えている。

僕は甘えていただけだったのか、と
気づくのはもっと後の話。

もっと早く気付けよ、って思うでしょう?
自分のことを考えるのって結構難しいですよ。

8:2020.10.8 (23:01)

「明るい闇の中。」

なんとなくふと「明るい闇」という言葉が思い浮かんで、
高校生ってそんな感じだったなと思った。

もちろん僕本人にとっては、暗い闇の中にいて、
何をしても、何も見ても
何となくイライラ、ソワソワして、
落ち着かなかったわけですが。

雨が降り出した帰り道、
傘を持っているマキタに傘を無理やり貸すとか、
手ぶらのマキタに荷物持ってやろうと言うとか、

今だったら脳に障害があるんじゃないのと言われても
おかしくないあの季節は、

言い換えれば、自分のことを何も知らなかった季節だとも言える。

でも変に斜に構えてスルーしたり、
冷静に大人ぶったふりをすることなく、
この短い季節の明るい闇の中に全身で浸っていたことは、

僕にとって、やはり幸福だったと思う。

9:2020.10.8 (5:54)

「それぞれの気持ち。」

小学校や中学校では好きも嫌いも何もなく
素通りしてきたので、

高校生になって初めて好きだと思えるような経験をし、
一体どうしていいものか、どう距離をとればいいのかわからず、
いつも地雷を踏みました。

マキタもそうでしたが、
僕はどうも女の子らしい女の子は苦手で、
でもその「女の子らしくない女の子」も僕の一方的な思い込みに過ぎず、

やっぱり後回しにすればするほど、
恋愛には苦労しました。

10:2020.10.8 (1:17)

「欲しがりますよ買うまでは。」

僕はテレビなんて早く捨てたいし、
色んなものを全部捨てたくて仕方ない。

ほしいものはバイトでもして買えばいいのに、と
思うんですが、
そのしつこいプレゼン能力は夫に対してのみ有効らしい。

11:2020.10.7 (12:01)

「屋上物語。」

好きで公開してる以上、何を言われても仕方ないんですが、
「こんなんあるわけねーだろw」「虚言癖」だけはどうも
受け流すことが出来ず、反応してしまいます。

保健室登校や図書室登校をしたことはありません。
どんよりとした高校生活の中で、
僕の居場所は美術室とこの屋上だけだったのです。

色んな話をしました。
教室にいると全くしゃべらない僕も、
美術室や屋上にいるとよくしゃべりました。

なんだかムカつくので屋上から一人でツバを吐いてたこともありました。
たいてい風で自分に返ってくるので、「天に唾する」の言葉通りです。

写真が見つかったことで、より記憶が戻っていきます。
この中の一人がヨシダで、これが唯一の写真です。

12:2020.10.6 (22:50)

「夜更け過ぎて。」

昔と比べて、今はいつでもどこでも誰かと繋がれるから
寂しくなくなった、と言います。

本当かなあ、と
僕はいつも懐疑的です。

確かにYouTubeなりTwitterなりにアクセスすれば、
どんな時間でも誰かが何かをやっています。

でもただそれだけです。
むしろそれが余計に疎外感になることもあるでしょう。

僕は60億人の知らない人と出会う世界より、
一人のよく知っている人がいる場所が居場所です。

13:2020.10.6 (13:02)

「中学生。」

「中学時代は描かないのですか?」という質問をいただき、
考えてみるものの、特に描きたいことはなく、

とりあえず言われるままに言われたことを
やってたら卒業していた、というような印象しかない。

思春期の来るのが遅かったんだと思います。
女子にも全く興味はなく、大体何にも興味なかった気がする。
友だちはいたような気もするが、現在全く覚えてないので
それは友だちではないと思う。

自分の意思をもって、自分で決めたことをやるようになったのは
やっぱり高校からですね。

だから思い出として覚えているのだと思います。

14:2020.10.6 (1:09)

「春。」

ドラマみたいなことは何もなかったです。
でもケンカはしたし、気まずくもなったし、
好きになったり嫌いになったり、

色んな勘違いをしたり、
むやみに謝ってみたり、怒り出したり、

ドラマを見ているよりずっと僕は
人間でいられたと思います。

今、彼女たちに会って話したいとは全然思いません。
でも「あの時はごめんね」といつも思っています。

ごくまれにお知らせを送らせてください。 はい いいえ