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1:2020.6.23 (15:58)

「1995年2月3日深夜」

この日は特に印象に残っていて、日記も細かく書き記してあるのだけれど、この曲を弾けば更に記憶が戻るだろうと勝手に思っている。

戻ったから何だ、という話ですが、
失われたものを取り戻したいと願うのは生理的欲求だ。

25年前。

2:2020.6.22 (20:18)

「僕の好きな茶番。」


家内ちゃんは理屈っぽいんだが、
理路整然と全く理屈になってないことを言う。

「意味わからん」と言うと理屈っぽく
「なぜなら私は夫にもわかるように噛み砕いて説明している」
と答える。それも全く意味がわからん。

まあよい。

3:2020.6.22 (14:56)

「悪気がないから余計始末が悪い。」


コミュ障でなく天然。
天然の割にウラオモテ激しく顔に丸出し。

人に敏感なんで、ちょっと強く言うとアワアワとなる。
そのアワアワも自分のことだけ考えている。

底は浅い。
かわいくなくもないが年齢次第。

5:2020.6.20 (22:54)

「ジブンガタリ。」


今思えば、
あの悪寒のことを承認欲求と呼ぶのだと思います。

褒めてもらいたくて上手に描こうとしてるのに、「上手だね」と褒められるとイライラする、わかるでしょう?

そうじゃないんですよね。見て欲しいところは。

7:2020.6.19 (23:47)

「かりそめに騙された貴女に。」


マキタの話は17、8の時で、村木の話は20歳くらいだから、月並みだけれど、この頃の1年2年て人生の中でかなり比重が重い。

僕の人生には波乱万丈など何もない。
だからこうした経験と言葉だけが記憶に残る。

8:2020.6.19 (21:28)

「はなし。」


聞いて欲しいなら、聞いてもらえる人間になるしかない。聞いてもらえる人間になるには、まずちゃんと聞けるようになるしかない。

という基本さえ自分のことだと気づけない。
空気なんか読めてもこういう時何の役にも立たない。

9:2020.6.18 (21:26)

「好きなものはそんなにいらない。」


まずルサンチマンをきちんと勉強するといい。
そして人が簡単に発するルサンチマンに共感しないよう、いいねボタンを押さないよう気をつければいい。

それだけで自分にとって必要ない人間は自動的にいなくなる。

11:2020.6.17 (0:24)

「すりかえ。」


「理解してほしい」は大体「理解してほしい」以外の本音が裏にある。
そんなこと言われたらもっと冷める。

こんなに好きなのに諦められない。
どうしたらいい?

どうしたもこうしたも諦める以外に選択肢はない。
苦しんで諦めろ。

13:2020.6.16 (19:05)

「使えないひと。」


「これ俺が悪いんか?」「自分で渡すべきだろ」などと自分を正当化してると使えない人間になっていく。

逃げ癖や責任放棄の「メンタル弱い」は、味方がいると悪化する。ストレスは溜める方がいい。

僕はそうだった。

14:2020.6.15 (23:56)

「だって忘れるわけないじゃないか。」


自分の話をただ語ると幸せだ。
それが暗い話でも明るい話でも。

人と話し合ったって何も幸せにならない。
意見や主張を述べてると、
めくらになって気持ちよくなるかわりに
幸せは赤方偏移で遠ざかる。

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