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1:2024.1.23 (23:30)

「ソファ。」

どうやっても世界でうまくやっていくには
根回しや気遣いといった大人世界の常識が必要で、
僕もそんなねっとりとした優しいような冷たいような空気の中で
あんまり深くものを考えないで生きています。

が。

絵を描きたい時、人と仲良くなりたい時
つまり寂しい時、
自分が自分でなければならない時、

世界を見下ろして大人の態度ばっかりとってると
ほんとうにつまんねえんだ。

僕はいつもそう思う。

4:2024.1.23 (1:26)

「海辺のバス停。」

僕は「描くのに人知れず苦労して苦労して、それが画面に全く現れていないさらっとした絵」をいい絵だと思っています。
これは高校生の時にノムラ先生が言った言葉の受け売りで、
先生も自分の先生から聞いた言葉なのかもしれません。

僕はまださらっと描こうとすると不安で不安で、
あっちこっち無闇に線を描いているうちに
すごく苦労して描いたっぽい絵になってしまいます。

それはそれでよいのかもしれませんが
いい加減そこから脱出したいといつも思っています。

思っているだけで、
やっぱり心の中では「こんなに苦労して描いたんだ!」と言いたい自分もいて、
あーあ、とうつむきながらまた次の絵を描き始めます。

7:2024.1.22 (2:09)

「エル=グレコのあるヌード。」

リンク:エル・グレコ 受胎告知

倉敷の大原美術館にある一枚。
学生の頃何度もでかけて何度も観た。

こういう宗教画って我々日本人には理解しずらいテーマの一つで、
そもそも「受胎告知」だって意外と知られていないんでは、と思う。

源氏物語絵巻だって源氏物語の内容を知らなかったら
何の絵だかさっぱりわからない。キリスト教の話ならなおさらだ。

そういう絵画の背景を知ってから観るとまた別の見方ができる、
それが面白いという考え方もあるし、
そんなもんいらん、顔がかわいい、ダイナミックでなんだか好き、
そんな感じでも全然いいと思う。

ただ自分にわかるものだけが素晴らしいものなんて考え方は退屈で、
結局すぐ飽きて何も残らない、
だから無駄という結論になってしまうのでは。
恋愛もきっとそうだろう。

よくわからなくて不安だから面白いんだけどな。

ああ説教くさい。やめよう。

12:2024.1.21 (3:27)

「『白い巨人』のあるヌード。」

サハラ砂漠にあるタッシリ・ナジェールには古代の人類の残した岩絵が多数存在する。
アフリカにはエジプトに行ったきり他の地域には行ったことがない。
死ぬまでに一度は実物を見てみたい。

「セファールの白い巨人」はセファール地区に残された約1万年前の岩絵。
1万年前!

古代の人類が描いたとは思えない。
牛や人間の営みを描いた壁画もあるが、いずれも写実的で
キリン、ライオン、牛、ラクダ、みな現代人が見てもすぐわかる。

リンク:サハラ岩壁画パノラマ写真

不思議なことに他の民族がやってきて異文化交流が行われると、
絵が段々下手になって廃れたりしたようだ。

もちろん芸術なんて概念は当時にはなかっただろうけど、
絵が得意な民族、興味ない民族とかに分かれていたんだろうか。
大して今と変わらない気もする。

ツノみたいに見える突起物とか肘のあたりの出っ張りは
なんなんだろうね。神様の霊媒となるシャーマンが身につけてた神具だろうか。

疑問ばかりわいてきて眠れなくなる。
興奮もするが不安にもなる。

人間てなんなんだろう。

13:2024.1.20 (23:12)

「同じことを何度でも。」

30になっても40になっても「初恋の人が忘れられない」って人結構いますよ。
男同士ならバカにもされないと思いますけど。
まあ女の人には「うわあ…」って言われますがそれはそれ。

「忘れるにはどうしたらいいですか」って相談されたら
みなさんどう答えますか。
時間が解決してくれる、あるいは次に好きな人ができれば忘れる、
それはそうなんですけど、それは僕たちがそうだったからというだけなんで、
アドバイスになるんだろうかと考えてしまいます。

忘れなくていいんじゃないですかね。忘れるまで。

僕はやっぱり上手く答えられないんで、自分のことを描くしかできないんですが。

14:2024.1.20 (20:17)

「看板。」

毎週京都から島根まで国道9号線をえんえんと走ったのも
遠い昔となり、何もかも忘れてしまいましたが、

ふと米子から松江へ向かう辺りで
「ごだっしゃい」と書いた看板があったことを思い出しました。

きっと「いらっしゃい」みたいな意味なんだろうとは思いつつ、
それが鳥取の言葉なのか島根の言葉なのか、
奥崎に聞こうと思って結局聞かずじまいだったな、なんて
どうでもいい小さなことばかり憶えています。

15:2024.1.20 (17:04)

「おきもち雑談。」

こういう煽り文句は90年代からあって、僕も比較的早くから接していました。

そうした匿名掲示板の中では逆に「お前」「こいつ」「死ね」が普通で、
難しい漢字を使ったりわけのわからない高尚そうなポエムを書いたり、
真面目ぶったりすると一発で総攻撃に遭う、という文化だったわけです。

そこに選民意識や一体感があったんですよ。
腐った偽善的な世界ではない俺らの居場所、のような。
卑屈ですがあれはあれで必要だと思った。

ところがそうした文化など何も知らない多数の人もSNSを使い始め、
普通だったことが急に誹謗中傷になってしまったわけで、
昔からその文化圏で育ってきた人にとってはそりゃあ許せない。
タバコやフェミニズムの問題ともちょっと似てる気がします。

それはそれとして、
僕は以前自分の生徒が言った
「Twitterで真面目なこと書くとか、空気読めないやつみたいじゃないですかw」
がすごく引っかかってね。

それは君がフォローしているタイムラインが
真面目なことを書かないタイムラインになっているだけじゃないのかと思った。
空気を読んでるんじゃなくて自分で作った世界に流されてるだけじゃないの、と。

こういうの、使い分けるのが上手な人はいいんですよ。
僕は下手クソでねえ。向いてないんだと思います。

多分メッセージでわざわざ送らないだけで、
漫画の中の「僕」の自意識やエゴについて腹の立つ人はたくさんいると思います。
それは仕方ないな。公開してる以上は。
でもそれはそっと無視する、あるいは二度と見ないという方向で
解決しているのが現時点での空気の読み方だろうと思います。

昔はどんなこと言われても反撃できませんでしたが、
今はすっかり簡単になって個人を特定できるようになっちゃいましたからね。
それはそれでストレスのたまる世界ではありますが、もう仕方ないだろう。

僕自身時々これはアウトだろうという言葉をぶつけられたりしますが、
それでも結局描くものは変わらず、描きたいものもずっと同じです。
そうでないなら絵なんてやめてしまえばいいと思っています。

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