「体温が高い日々。」
体温の高い僕には
体温の低い人が必要だった。
フォロー0、ツイートは全て手書き、必ず落書きを入れる、という縛りで始めたTwitter-日々ジブンガタリ
もう誰の顔色も伺わない。
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体温の高い僕には
体温の低い人が必要だった。
僕がよく使う<ジブンガタリ><自分語り>は、
スラングの「人の会話に突っ込んできてずっと自分の自慢話をすること」ではなく、
自分の話を自分の言葉でする、言葉通りの意味です。
自分の言葉といっても誰も使わない言葉を探してくることじゃない。
よそで見た言葉のコピペ、あるいはその改変で十分だと思う。
その言葉が自分の思っていることを素直に表現しているのなら。
でもそんなぴったりの言葉なんて
詩や短歌をずっと読み続けてきた僕にも簡単には見つかりません。
だから自分の中にある言葉を使ってへたくそな文章を書くしかない。
それが誠意であり、ある程度ちゃんと人に伝わります。
相手が聞く耳を持った人あるいは関係であれば。
pixvなんかをやってた頃から、
僕からの返信がないとバカにされてる、のけものにされてる、
せっかく応援してやったのに、と
傷ついたり怒ったりする人も結構いて
そのために連絡先書いてねと「読みました」ボタンに入れてあったのです。
僕はYouTubeのチャット欄のような公開の馴れ合いが苦手です。
今まで誰かに自分からメールを出したことはほぼありませんが、
ファンレターの場合は必ず返信不要と書く方です。
書くことが目的であり、送った時点で目的は達成するからです。
掲示板のようなコミュニケーションの場を作らないのもそれが理由です。
僕は「匿名で送れて」「返信不可能」な状態が
一番安心できる意思伝達手段なのです。
僕に送った言葉を逐一覚えている人はいないでしょう。
それがいいと思っています。
Twitterでは削除してもどこかのbotに自動で拾われ、ログとして残ります。
自分語りをしたい時、好きな時好きな分量で送ってください。
僕はそれを読みます。
そして数日もすればあなたも僕も忘れます。
あなたの言葉が心に残ったら、絵や漫画に遠回しに反映するかもしれません。
僕はいつかどこかであなたと偶然出会ったりすることを
いつも前提にしています。
「これは悪いことだ」と反省しないと行動は変えられないのは
僕もようく承知している。
そして本当の意味で「これは悪いことだ」と
自分に納得させることはたいそう難しい。
さりげなく接することができるのは
距離が遠いからだ。距離が遠いうちはどんな人間にでもなれる。
自分の育ちは一緒に暮らし始めると顕著に現れる。
なるほど、毒親毒親と問題になるのもよくわかる。
文化部の中でも合唱部とブラス(吹奏楽部はこう呼ばれていました)は
ノリと雰囲気が体育会だと勝手に認識されていて、全く交流がありませんでした。
お互い別世界の人種であると思っていた。
それを除くと天文部が一番人数が多かった。
特殊なスキルが必要なかったからでしょうね。
美術部は一応絵描いたり何か作ったりしないと居場所ないし。
演劇部は半分体育会で半分オタク部のような
微妙な立ち位置で、変わり者集団だった。
美術部・天文部・演劇部は部長の僕・オータニ・直列くんが
同じクラスだったんで、互いに仲良しでしょっちゅう他の
部に出入りしてましたね。
ええ、それが原因でトラブルは多発しましたが。
今となってはかわいい思い出です。
あなたの高校の文化部はどんな感じでしたか。
僕は体育会よりも文化部のがどろどろした青春劇が
熱かったと思っています。