ページ内の表示数

1:2020.8.26 (2:07)

「ごちそう。」

記憶は美化されるものだし、されてくれなければ困る。

ただ、記憶だけでマンガを描くのは恥ずかしくてできない。
だから日記を見る。あるいは手紙やメールを見る。
そこから引っ張り出された美化だけを集めて描いている。

彼女は僕が大学をやめた後、
「君は私の大学生活の、そして青春の象徴だったよ」という手紙をくれた。
それを褒め言葉とだけ受け取るほど僕は楽天家ではない。

でもお金のない僕たちは、
公園のベンチで、駅のホームで、下宿で、大学の庭で、
昼も夜もなく、ずっとしゃべり通した。

腹が減ってることすら気づかずに話し続け、
さすがにもうお開きにしよう、と
最後に半分づつ食べたカップラーメンは
実にうまかった。

2:2020.8.27 (23:56)

「自分のことが一番わからない。」

僕はほとんど人に好かれるということがありませんでした。
というより、好きな人に嫌われるのが怖いので、
最初から「俺のことなんか好きなやつぁいねーよ」
という設定で自分を守っていました。

だから僕はいつも片思いが好きでした。
相手が迷惑な顔をしても平気でした。
迷惑だろうと思っていたからです。

つまり自分のことしか考えていないわけです。
いわゆる「ファン」です。
ファン状態になった人間には、人の気持ちなどわかりません。
ファンはファナティック(狂信者)のファンなのです。
例外はありません。

そんな僕を困惑に追い込んだのは、
僕の「ファン」になってしまったハニワちゃんでした。
ハニワちゃんは僕のことが好きでした。
でもその「僕」は僕自身とはかけはなれた僕でした。

僕はやっと幻想の外側にいる、
人間そのものに目を向け始めました。

3:2020.9.8 (2:42)

「邪心一直線。」

舞台上の物語に集中しようしようとする気持ちと、
マキタのことばかり見てしまう自分は確かにいて、
余計に集中出来ず、あらぬ妄想ばかり広がって、

せっかく真面目にやってる演劇部に申し訳ないと
罪悪感を抱えてしょんぼりしながら、
全然人の乗ってない帰りの近鉄電車で、

何という自分勝手なのだ!と頭を抱えて転げ回りたい僕を
巡回にきた車掌が怪訝な顔で見る。

でも僕はマキタにそれを言うわけでなく、
本当に頭を抱えて転げ回るわけでもなく、

別にどってことない顔で学校に行き、美術室でサボる。

邪心にまみれてはいるが
でも邪心に向かって一直線。

4:2020.9.9 (22:10)

「1999年のディストピア。」

90年代末、僕は20代前半、
自分のサイトの中で「パパ」などと呼ばれていて、

どこにも未来がない未成年に、
「逃げていいよ」ではなく、逃げてくればいい、と言って
下宿に呼んでいた。

それだけでもう今ならアウトだが、
しかし「逃げていいよ」なんて口当たりのいいことを言って、
近くの児童相談所に通報して手続きを踏んでどうのこうの、
みたいなことをやっていては彼女たちは死ぬしかない。

だから僕は、逃げたいならここに逃げてくればいいと
具体的な回答を与えた。

それは決して僕の正義ではない。
「死にたいではなく消えたいのだ」という
不可解な彼女たちに関心があっただけだ。

この話はいつか長編として描きたいと思っているのだけれど、
相変わらずオチも展開もない上、
恋愛も青春もない、中身もない。

だがその後の僕の考え方に大きな影響を与えたことは間違いない。

ごくまれにお知らせを送らせてください。 はい いいえ