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1:2020.9.2 (23:34)

「枝くんの芸術。」

枝くんは同じ芸術学専攻の同期である。
僕は1浪、彼は2浪だったが、
のちに4浪であることが発覚した。
発覚したところでどうということもなかった。

彼とは相当長い時間を一緒に過ごしたが、
芸術や美術に関心を見せたことが一度もない。
彼が感情を見せたのは、共に留年した5年生の時、
大三元字一色のダブル役満を上がった瞬間のみである。

ずっと美術部に在籍していたが、一枚も絵は描かなかった。
氷河期の就職活動中、実家近くの火山が噴火、大学を辞めて北海道へ帰郷した。
その後、彼に会いにいった後輩が、
「枝さんは聖書を売る人になっていました」
という情報を与えたきり、行方は杳としてしれない。

あれからとうに20年が経つ。
生死も不明であるが、仲間内で集まると必ず彼の話になる。
そのたびみんなで「あいつ探そうぜ」と盛り上がるが、
誰も探さない。

僕の数少ない同性の友人である。

2:2021.1.3 (15:54)

「1994年の大学生たち。」

色々深読みできそうな発言を連発し、
我々の中では「99%バカだが1%の哲学者」と認識されていた
枝くん。

在学中に地元の火山が爆発し、
家が消し飛んで聖書売りとなった枝くん。

村木に会わせた唯一の人間である枝くん。

枝くんって人間なんですか、とよく質問が来ますが、
それは枝くんに聞いてください。

3:2021.1.11 (19:57)

「枝くんと僕と津軽。」

太宰の斜陽館がまだ宿泊業を行っている時代の話です。

文学散歩として、小樽出身の枝くんをガイドに、
北海道から青森、岩手、秋田、宮城と、
文学碑を訪れる2週間くらいの旅行をしました。

まあそれはそれで思い出に残っていますが、
やっぱり僕は文学碑よりも人、その辺の人が好きなので、
高校生かな、女の子が財布拾ってくれたことの方がよく覚えています。

枝くんは漫画に描くと最低ですが、
本当はいいやつなのかどうか、僕も知りません。

ごくまれにお知らせを送らせてください。 はい いいえ