「思春期の本気なんて。」
誰だって自分を悪者にしたくはないし、傷つきたくもない。
しかし不穏な空気が流れてくれば、それにたやすく流され、
自分の責任ではないと自分自身に言い聞かせようとし始める。
思春期の正義や優しさなど誰も幸せにしない。
人からレッテルを貼られる前に、
自分から先に不幸を背負って見せることで
傷口を最小限度にとどめようとする、
それが子供の正義であり、優しさである。
わあ、何て最低なやつだ……、って思いました?
君はそう言い切れるほど自分自身を知っていますか。
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誰だって自分を悪者にしたくはないし、傷つきたくもない。
しかし不穏な空気が流れてくれば、それにたやすく流され、
自分の責任ではないと自分自身に言い聞かせようとし始める。
思春期の正義や優しさなど誰も幸せにしない。
人からレッテルを貼られる前に、
自分から先に不幸を背負って見せることで
傷口を最小限度にとどめようとする、
それが子供の正義であり、優しさである。
わあ、何て最低なやつだ……、って思いました?
君はそう言い切れるほど自分自身を知っていますか。
好きな人に褒めてもらいたい、喜んでもらいたい。
それは誰にとっても普通の感覚だと思う。
でも僕たちは失敗するまで
人が望むことと自分が褒められたいことの差に気づかない。
僕は優しい。
優しいので努力する。自分を犠牲にしても努力する。
体が壊れるまで力をこめ続ける。
そして最後に、自分自身も見失う。
プレゼントの失敗はわかりやすい。一度で理解する。
しかし一緒にご飯を食べる、眠る、掃除する、家事をする、
そんな日常生活に対して見返りを求めれば、
やがて二人の関係は崩壊する。
さあ、こんな失敗は誰でもする。君たちもしただろう?
その後に何をしたかが問題なのだ。
いったん家庭や教師や環境のせいにする癖がついたら
人間は二度と反省などしないことを、
僕はようく知っている。
先輩を思い出す時、
いつも中原中也と長谷川泰子、小林秀雄の関係を思い出す。
もちろんそんな格好いいものではなかったし、
僕は結局小林秀雄にはなれず、相手にされなかった。
ただ僕がよく「ファン」を否定したがるのは、
この辺の経験からスタートしている。
とはいえ「ファンにも色々ある!」と君たちは怒るだろう。
そんなことは知っている。
僕のマンガには芸能人も著名人も出てこない。
天才もアーティストもいない。
いるのはただ平凡な少年と少女だけである。
ファンは必要ない。
話をしたければ、自分の話をただ素直に語ればいい。
作られたお話とは違って、僕の記憶に正解はない。
結局この記憶が、単純に決別の表明だったのか、
あるいは僕に選択を迫る村木の最終通告だったのか、
僕にはどちらとも言えないし、どちらとも思える。
ただ、一つの事実として、
僕は言われるがままに自分の部屋を出て、
肌寒い深夜の駐車場でぼんやりタバコを吸っていた。
何か考えた気もするが、多分何も考えていなかった。
村木の言葉を、言葉通り受け取っただけだった。
いずれにせよ、それが最後のチャンスだったことには違いない。
なぜならこのすぐ後に最後が訪れたからだ。
最後のチャンスは、
いつだって最後だとわからない。