2ページ漫画「俺日記1998」
ドイツ観念論がどうのこうの、人生は罰だのなんだの、どうしようもないアホ大学生日記が続く中、このページだけ
やったー
とある。
俺はそうなのだ。「また今度」の社交辞令など知ったことではないのだ。
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ドイツ観念論がどうのこうの、人生は罰だのなんだの、どうしようもないアホ大学生日記が続く中、このページだけ
やったー
とある。
俺はそうなのだ。「また今度」の社交辞令など知ったことではないのだ。
この給付金問題とは全く別に「夫婦持続化給付金」という制度が家内ちゃんによって制定され、
夫の口座から1個数千円の桃ゼリーが複数個購入された。
後でゆっくり食べようと思っていたが家内ちゃんが食べた。
僕が「君はそのままでいい」と本気で思えるのは、結局好きな人だけだから、そうでない知らない人から、弱さをたてにしてただ理解してくれと懇願されても困る。
それは本当の理解じゃない。
それこそ忖度であり差別だろうと僕は思う。
つらい人がみな悲痛な顔で病んだポエムをツイートできるわけではない。
むしろそれが出来ない大多数のつらい人に対して、
君はどう優しくできるのか。
僕は既に僕の解答を持っている。
それは描いても意味がない。
僕はこれを希望がある言葉と受け取りました。
そんなことはなかった。
「好きの反対は嫌いでなく無関心」などと上手いことネットではまとめられますが、自分のことはそんな言葉一つでまとめられやしないのです。
楽しかったことって、何も考えてないから何も覚えていないのです。
こいつアホやと笑ってもらうに越したことはないですが、心の底から僕を笑える人間は一体どれほどいるっていうのか。
一般論でなく僕の話だ。
「ママーよしよししてー」というマザコンが実在するのかどうかは知らないが、こういう僕も立派なマザコンだろう。
学生だから別れて済んだが、
結婚してたら確実に不幸にしていた。
破綻に至る前に、必ず彼女からはサインが出ている。気づいて欲しいと思っている。
僕は考えている。
彼女を怒らせないことばかり考えている。
漫画にすれば簡単だ。
自分で気づくのは大変なんだ。
それが僕の家族だ。
自信のなさから来る背伸びは、
どんなに格好をつけても説得力がない。
ちょっと言われただけで不機嫌になったりどんよりしたりする20歳の僕は、先輩の目が世界の何を見ているのかなんて想像もつかなかった。
空気を読んで同調する人間の嘘を、これでもかと目の前で見せられ続ける中、
詩や手紙の言葉で救われることは遠い昔話に思える。
エンディングは誰ともシェアできない。
選択肢はもう残り少ない。
分裂病、今の統合失調のぴくちゃんは、うつとは違い「真顔で語るが内容がおかしい」だけで元気いっぱいでした。
何もかも暗く湿ったこの時代にあって、全力で狂ってるぴくちゃんをある種爽快感と共に思い出します。