だらだら読める一覧ページ

旧サイトのようなブログ形式でだらだらと読みたい場合はこちらのページをブックマークしてください。
新着から過去に向かってすべての投稿が掲載されます。

「美術部とマキタともう一人のマキタ。」

この手のいたずらの極北が「偽ラブレター」だと思いますが、
こういうの(別のマキタを呼んでくる)も地味にイヤでした。

マンガで描くと楽しそうに描けますが、
いやだったでしょ、向こうの方でクスクス笑われるのって。

ちなみに唯一の郷土史研究部(部長兼部員)の牧田は
色々不可解な伝説が残っているので、
描いたら描いたでこんなヤツいるのかという話になるんですが、
いました。

「何年経っても家内ちゃん。」

老後の不安とか人生設計とかキャリアとか
お金とかお金とかお金とか、

考えることはそりゃあたくさんあるだろう。

でもそんなことの前に、
もっと大事なことがあると僕は思う。

「夜に。」

逃げていい、という言葉は、
よくわからん芸能人や誰だか知らんえらい人が
口々に叫んだ結果、虚しい形だけの言葉になってしまった。

逃げたあとどうするのかを一言も言わずに
ただ逃げていい、僕も私も昔しにたかった、などと、

知らんよ。とは思わないか?
僕が高校生だったら余計信用できなくなるな。

好きな人に、迷惑をかけていいと思えることは
大分救われる。

その時、とっても嫌われたなら、
元気になってからがんばって取り返せばいいと思う。

「僕はそれでもブーメランを投げる。」

描いてるうちにムロイというキャラクターに愛着がわき、
ちょっとかわいく描くようになってしまった。
しかしそれは僕の本意ではない。

元々は嫌いだった美術部員数名の性格と出来事をかけあわせて作った、
「僕の嫌いな女子」であり、
僕のイヤな部分とどこか似ている人物ということになる。

僕は努力自体に大した価値はないと思っている。
なぜなら努力は「しようと思うかどうか」だけの、
自分の中で完結する気分だからだ。
だから結果とは無関係に、努力が必要な人はするし、
必要ない人はしない。

簡単なことなのだ。他人からどう見えるかは関係ないのだから。

しかしそれをしないで、
自分の生きる価値が「ある」「ない」という話にすり替える欺瞞が
高校生の僕には許せなかった。
つまり、自分自身のイヤなところをムロイの中に見ていたことになる。

本当に人と仲良くなるためには、
こうしなければならない、と思い込んでいた。

今はもちろんそんなことはしない。いたって優しい。
優しいんじゃない。面倒くさくなったに過ぎない。
何もかも面倒になって、耳をふさいでいる間に忘れていく。

だから思春期を過ぎた人間に、
かける言葉はもうないと僕はいつも言う。