独り言(2025.6.18~28)

「読みましたボタン」から送っていただいたメッセージに対して、独り言の形を借りてふわっと返信したりしなかったりします。

2025/06/28

わたくし(左)とマキタが好きだったマエダです。
なんだろう、モザイクかけてんのになんかもうわたくしの負け感がにじみ出ていて好きな写真です。

わたくしは今みるとどの写真もこのような威圧的態度で写っておるので、友達になってくれる男はマエダのようなひょうひょうとして気の優しい男に限られました。

男同士でこれですから、いかにわたくしが女子から蛇蝎のごとく嫌われていたか、想像もつくでしょう。

後ろに写っているのは多分地縛霊です。

学生が制服を着ている写真。

ピアノの先生です。1985年。

幼稚園から高校卒業まで師事しました。わたくしが大学生になると同時に先生も結婚され、地元の町を離れていかれ、それっきりです。

わたくしが幼稚園の時に国立(くにたち)音大を卒業した直後でしたから、結婚した時は40手前だったはず。わたくしは「先生は結婚に向いてない」とずっと思っていました。ご結婚の知らせを聞き、わからんもんだなあと思ったのを覚えています。

ノムラ先生もそうでしたけど、芸術やってる人なんてみんな我が強くて正直者なわけですよ。昭和の片田舎ではまだまだ旧弊的な価値観が横行していて、それに抗うのはきっと大変だったろうなと思います。

わたくしの音楽に対する価値観は、「楽しいピアノのおけいこ」ではなく、最初からドイツ語の楽典を叩き込む式の先生によって培われたものです。

女性が花束を持って座っている

美術部のノムラ先生は非常に面倒見の先生でしたし、答えを教えても絶対にわたくしがハイと言わないことを見抜いていらしたので、「(絵の中で)嘘をつくな!」しか言いませんでした。

Twitter等等で「虚言癖かよ」みたいなクソリプに異常な熱量で腹を立てるわたくしは、それがわたくしの地雷だからです。

嘘をつかないことを習得する基礎学習(デッサン)を終えると、美大に進んだ人は自分の絵作りをしなくてはならなくなります。
それは誇張その他を使って「嘘をついていく」という表現作業になります。

イラストみたいな極度に誇張された表現でなくても、ダビンチだろうがミケランジェロだろうが作品の中では効果的に嘘をつくわけです。
それは嘘をついてない状態を知ってるから出来るわけでね。

わたくしは結局何が嘘かもわからないままデッサンから逃げたので、そこでずっと立ち止まっているのです。
立ち止まっていると不安に潰されそうなので努力で誤魔化そうとします。



わたくしはずうっとこうしたことを日記に書き続け、同じところをぐるぐるまわりながら生きておるわけです。

ただ、それでも生きていることは出来た、ということを強く誰かに伝えたく、日記ではなくこうして目に見えるところに書いているのです。

わたくしは外面がどうであるにせよ、根っこは全く融通の効かないクソ真面目なんで、言ってしまうと頭が悪いんですよ。
わかってんのにわかってる自分に気づくと嫌になって別の方向に走り出そうとするから。

今も「頭が悪いんですよ」と書きましたけど、書いた瞬間に「頭は悪くないな」と思ってますし。

こうした、別に書かなくていいおきもちを全て言葉にしていると、いかに現代が言語化に傾いていて、効率よく正しい言葉を発するかが重要であるかに改めて気付かされます。

すごい反発したくなります。
ああやっぱり頭が悪いのかな、と思ったりします。

美術部でわけのわからんままデッサンを習うと先生に「嘘をつくな!ここ嘘ついてる!よく見ろ!」とひたすら言われます。

わたくしの時代は「教えない」ことが教育だったので、よく見ろ!しか言われません。で、同じ努力をしても自分で気づいて出来るようになる人と、わたくしのように考えすぎてどんどんおかしくなる人、何もしなくなる人の3つに別れます。

ぜんぜん上手くなりませんでした。
デッサンなんか九九と同じで才能以前の話です。理解して練習すれば本当に誰でもその辺の美大に入れる程度のスキルは得られます。

理解してないのに練習だけするとわたくしのようになります。
つまり変なクセだけがついて治せなくなります。
努力という無駄がわたくしを肯定しようするからです。

で、素直にやってできるようになった人のデッサンと比べるとめちゃくちゃな差ができてることにやっと気づくわけです。

誰かが見ているということを意識すると急に話せなくなったりしませんか。鈍い人間はそれを自意識過剰だと嗤うし、わたくしはそういう鈍さを野蛮人だと嗤います。

永遠に考え方が混じり合うことはないのです。
といってじゃあつきあえないか、友達になれないかと言えばそんなことはなく。

同じ考え方でないと仲良くなれないなんて、なんて不遜な考え方だろうとわたくしは思いますね。

愚痴にもただただ同意して欲しい愚痴とか、言いたいだけの愚痴とか色々あると思うんですけど、わたくしは相手に「この人は愚痴を言いたい・言っている」と理解してもらった時点で解消する方です。

だから「愚痴なんかやめてよみっともない!」と怒られたとしてもモヤモヤしないですよ。
察しはよくないが全部褒めたり同意してくれる優しい人よりも、敏感にわたくしの愚痴っぽさに反応して機嫌悪くなる人に話すことが多いです。

わたくしの睡眠は仮眠に近く、寝たり起きたりを短時間で繰り返し、いつも頭がぼんやりとしています。
朝起きて自分の入力したこのページの文章を見ると、自分が書いたのかどうかも結構怪しくなる時がある。

そういえば高校の頃、深夜になるともう明日は好きだと言わねば、言わねば言わねばと苦しむものの、夜が明けて学校で会うととてもじゃないがそんなこと言えるテンションでもない、そして夜になるとまた苦しむ、そんな堂々巡りを繰り返したことを思い出します。

人間観察を人生のどの時点で悪趣味だと自覚するかの話じゃないですかねえ。大学の頃いっぱいいましたよ。「趣味:人間観察」ってわざわざ公言してる人。

先に自分を観察すればいいのに。
観察しっぱなしで自分にフィードバックしないから仲間外れにされるのが何故わからないんだろう、とは思いました。

そして他人事ではないので感謝はしています。
していません。

わたくしが独り言にこだわっていたのは、結局ネットのこぜりあいは言ってる方も言い返してる方も傍観してコメントしてる方も、みな同じような性格の似たような人間性だなとしか見えなくて、絡んだら似たもの同士としか認識されないからで。

SNSの功罪で言えば、長年匿名でしょうもないことを書き込んできた種族が声と人格を伴って金儲け動画を作り始めた結果、このひとたち普通にしゃべる時も必ずうすら笑いしながらしゃべるんだということを確認できたことかと思います。政治系は特にひどい。

どうも嫌な笑い方をしてそうなイメージがあったんですが、その通りだったんで腑に落ちました。

メンヘラってやっぱり言われたら激しく傷つく言葉なんでしょうか。わたくしは長い間なぜかメンヘラを「メルヘン」の変化系で、「頭がお花畑の女子オタク」のことだと勝手に思い込んでまして、故にあまり悪いイメージがなく。

「メンヘル板」から来てるんだっけ。ほんとにメルヘン板だと誤読していました。板自体は一度も見たことがない。そもそもわたくしは2chのサイト自体一度も見たことがない。

勝ち組負け組、リア充とオタク、陰キャ陽キャみたいな、ルサンチマンから生まれるカテゴライズは、弱いもの低いもの愚かなものから常に発生し、自分を常に弱いものに設定することで、「強いものは悪である」と断罪して自分の優位性を確保しようとする、もう紀元前から存在する習性ですからねえ。

デジタル絵についてはわたくしは最初板タブでかなりモニタから目を離して描いてたので、iPadに移行する前の絵は下手クソではありますが、今より客観的に全体を見て描けてたと思います。

iPadや液タブは画面と目が近いんで、形の狂いに気づきにくいのが難点で、やっぱ石膏デッサンのような姿勢の描き方は意味があったんだなあと思いました。

仮に石膏デッサンをiPadでやったら絶対形とれないと思う。目が近すぎて。

2025/06/27

もちろん見てる側からしたら「そんなもんどうでもいい黙って描け」とツッコミたくなるのは重々理解しているんですが、一度休むと多分もう面倒で二度と描かないだろうなあとうっすら思ってて、それがひどく恐ろしく、やめられずにいます。

でもみなさんから送られてくる自分語りや登場人物についての感想を読ませていただいてると、なるほど、マキタがどうしてあんまり魅力的に見えないか少しわかった気がします。

マキタとは仲良くなれなかったんで、結局本当はどういう人物だったのか描けないんですよね。設定できないんです。ほんとは嫌な子だったのか、いい子だったのか。

恐らく本当に描くべきだったのは、「30年ぶりに初恋の人と話してきました」というような内容だったのかもしれない。

でもそんなことが仮にあったら、わたくしは間違いなく描かないと思います。だからだめなんだろうなあと急にしおしおになってきました。

わたくしは誰でもそうであるように、好きなことはどれだけでも続けられるので、絵なんか努力しなくてもただ描くだけなら何も苦労しないんですが、誰に何を届けてどうなりたいか、ってことの言語化となると、途端に何も浮かんでこないという状態でしてね。

だから何が言いたいのかよくわからない漫画ばかりになるのかもしれません。なんというか、きっと出来る人には簡単なことなんだろうと思います。

わたくしはマキタが何気なく落書きして捨てたメモを拾ってとっとくような人間でしたし気持ち悪いっちゃ気持ち悪いんですが、ではそんな思いを誰一人理解できないかというと、そうでもないと思うんです。

押見修造の「悪の華」のように、体操服を盗んだりとかそういうのはないんですが、ただそれは体操服を盗めそうな状況に出会わなかったから、というだけかもしれません。

あの時はあんなんだったけど、まあいいじゃないか昔の話だ、というのが結局わたくしの言いたいことなのかもしれませんが、
それじゃあ今を生きてる人たちには届かないなあと最近よく思うようになりまして。

10年くらい前までは、夏でも長袖を着てる子がいると、大抵リストカットの跡を隠すためだったりしたんですが、今は結構丸出しの子もいます。

堂々としてる方がつっこまれないのかもしれないな。

授業でした。

先週、こいつChatGPTでAI彼氏と話し続けてそうと睨んだギャルが、あろうことかChatGPTのPROプラン(月額3万円)に課金していることが発覚、俺ですら3000円のplusなのにお前すごいなという話になりました。

そのスペックの全てをAI彼氏が紡ぎ出す物語につぎこんでいるらしいです。それ以上つっこむと地獄の釜が開きそうなので、がんばれよ、とだけ言いました。

スマホでは更新できないのも個人サイトの魅力ではあります。
やろうと思えばできるけどさ。

では授業に行ってきます。途中で倒れても全然おかしくない暑さですね。

わたくしが記憶している限り、枝くんが4年間の美術部活動で描いた絵はこれ1枚だけだ。

わたくしが「なんでお前美術部なんか入ったんだよ!」と怒ったところ、「ハセガワが最初の授業の時に誘ったんだゾ。」とビー玉みたいな目で言ったので、大変申し訳ないことをしたと思っている。

何を考えているのかさっぱりわからなかったけれど、まあ寂しかったんだろう。わたくしは後先考えずに人を引っ張りこむタイプでしたからねえ。

湯気の立つコーヒーカップ。

多分こうしたコントロールが自分で出来なくなるほど情緒不安定になれば、薬やカウンセリングのちからをお借りする必要があるかなと思うんですが、わたくしにとって何よりの特効薬は「何でもいいから何かやっている」ということなので、人からうわあこいつやべえやつだと思われたとしても、自分語りなり思い出なりツイートなり、深く考えずに形にし続けるという行動パターンが自分をなんとか正気に保っておく方法でもあります。

そういうのって学生の頃人に傷ついたり人を傷つけたりして、何日も再起不能になった時に自分で考えつくものだとわたくしは自分の経験から思っておりますし、わたくしの話なので人におすすめできる話でもありません。

どうにもこうにも、わたくしは人前でしゃべったり講義しなきゃいけない日の前は一回ドツボまで落とさないと元気になれないので、そういう時描いた絵や言葉は暗かったり攻撃的だったりし、そういう仕事が終わった後で描いた絵は少し明るかったりします。

そうやってコントロールしないとずるずると「なんとなくいやあなかんじ」から何日も浮上できないので、自虐や自責で自分を追い詰める時間帯も必要です。

ちなみに学校ではなく、わたくしのフリーランス技術屋としての時給はだいたい1万円くらいなんで、10時間拘束されたら日給10万だ!うほうほ!って話なんですが、そんな依頼は来ません。

1ヶ月に2時間の作業で拘束されたら2万円です。
それで終わりです。
30代までは大企業の大案件を悪条件で引受けて一人で全部やる、みたいなのが好きでしたが、もういやです。5000円くらいの仕事を丁寧にいっぱいやる方が好きです。

不労所得はありません。手を動かした分以外の報酬は断固固辞します。
若い人にやらせて中抜きすることもないですね。
そりゃ貧乏になるよ。

専門学校の給料ですか。
それはもちろん言えませんけど、わたくしは家賃どころかお小遣いにもなりません。交通費は自費だし、外資のカフェでちっちゃいサンドイッチとオレンジジュース飲んだら1700円です。帰りにラーメンでも食べたら1500円とかでしょ。
気晴らしに授業行ってるようなもんですよ。わたくしはさすがに家内ちゃんみたいにはなれんので、週に1回くらいは外に出ないと病みます。

いや3ヶ月くらい何も仕事してないんでこんなことやっとる場合でもないんですが、まあ面白いからいいかと。どう考えても絵も普通に描いてるし独り言は1日中描いてるしで、ニート無職と同じですよ。

明日は授業なので授業の準備をしています。
準備って結局勉強なんですよ。人にもの教えるのって、その人より3倍程度は詳しくないと教えられないので、強制的に自分の勉強時間になっています。

2025/06/26

阿部共実が登場した時は衝撃でしたねえ。
この作家のこの季節にしか描けない漫画だと思いました。
「空が灰色だから」以降は割と救いのある話になりましたもんね。
この最終回は描いててなかなかキツかったんじゃないかと思いました。

わたくしの本棚は家内ちゃんの漫画に侵食されてもうほとんど残ってませんが、「空が灰色だから」は処分せず置いてあります。

泣いている少女の漫画シーン。

そうですね、こないだの飛行機が墜落してるバナー広告もそうですけど、真面目にやればやるほどおかしなものが出来上がる、なんでかっていうとまだ常識が芽生えてなくて自由だからです。

案外わたくしが作ったものと両方依頼主に提出したら、学生の方が選ばれることもままあるでしょう。それもまたデザインの面白いところです。

承認欲求ってなんとなく「かまってかまって」と能動的にアピールするイメージがあるけども、ROM専の人の「このひとは自分のことを言ってる気がする」「自分をわかってくれてる気がする」って思い込みも一つの承認欲求の形だよなと思って。違うかな。

だとするとかまってちゃんばかりが悪目立ちするけれど、圧倒的多数は後者であって、引き返せないレベルまで人知れずこじらせていくのも後者じゃないかと思ったんですが。

わたくしとセキグチともう一人の幼馴染が写っている写真は保育園の時のこれしかありません。
コーヒーカップの真ん中をしっかり持ってと言われたのに、左のわたくしは勝手なことをしてて、本当に三つ子の魂ですね。

この3人は保育園の年少組で同じゆり組になった後、同じ小中高へ進みましたが、高校2年になるまで一度も同じクラスになりませんでした。

右の仲良しの男は37の時に風呂で突然召されてしまいました。
いいやつだったのにな。

子供たちが回転カップで遊ぶ。

それほんと?(爆
はわたくしよりかなり歳上か、へんな人という認識です。

それほんと?(核爆

も見たことありますが、自分は面白いと勘違いしている人か、純粋に厄介な人という認識です。

えらいこと言ってますね。
でもこんなことずっと言ってても怒る人なんていなかったですよ。
ね。楽しそうでしょ。

そうですね。カッコワライをどう書くかで歳わかりますね。

わたくしはカッコなしの笑でした。
「それほんと?笑」のような感じです。

それほんと?(笑
の人もいれば
それほんと?(笑)
もいて、その辺で個性を主張したりしなかったりしたわけですね。
顔文字は一度も入力したことがないのでわかりません。

(^_^;)

人生初の顔文字を入力してみました。

そういえば顔文字は雑誌デザインの記号レイアウトの授業で使いましたね。

■わたくし
「記号は編集用語では約物という、
~はチルダ、^はキャレット、またはハット、
âのように使えばサーカムフレックス、
フランス語ならアクサンシルコンフレックス、
じゃあお前

(`ω´ )

これを声に出して正確に読んでみろ。」

■生徒
「パーレン グレイブ・アクセント オーム アキュート・アクセント パーレン、です!」

■わたくし
「こわ」

という授業をしました。
完璧に答えたこわいやつ、お元気ですか。もう40近いと思いますが。

あ、思い出した。
当時「~なう」ばっかりでなんじゃこりゃと思ったんで、

泥棒を捕らえて縄をなう。

とツイートしたら生徒が「泥棒入ったんですか?大丈夫ですか?」ってリプライを寄越したんで、次の日学校で皮肉と冗談について詳細に解説し、みんな寝てしまったんだった。

ありがとうございます。

そうですね、なんとなく15年くらい前に時間を戻して当時のTwitterの使い方と全く同じ使い方をしてみています。大変楽しいです。

最初は画像も貼れないし、いいね(ふぁぼ)もありませんでしたよね。
字だけでした。ひたすら字だけが流れてくる素っ気ない画面でした。リプライって最初からできたっけ。RTはあった気がするけど。

楽しかった頃のことをするのがやっぱり楽しいと思います。

わたくしは中学生の頃からずうっとこんな風に毒を吐いていましたけど、それで友達ができないってことはなかったですよ。

自分では毒だと思っていませんしね。偏見です。

偏見は大事にしましょう。
偏見とは言い換えるとつまり無知です。

自分の無知について自覚的であればそうそう友達なくすようなことは言わないと思います。

寄り添えてます?人に。

辞書的な寄り添うって言葉は昔からあったけど、
今みたいな使われ方をしたのは最近だろう。
そんなに連発するような言葉ではなかったし。

「寒かったから二人で寄り添った」
わたくしの語感ではこれ以上でも以下でもなく、
「弱っている人に優しくする」という意味では使いたくないです。
どちらかといえばそれは僕の中では「つきそう」です。
「つきそう」だとちょっと冷たい感じがするでしょう?
寄り添うという単語には甘い欺瞞がある。

言葉を作り出すスラングとかミームよりも、普通にある言葉に別の意味をのっけて肥大化させる方が厄介だ。
こういう手法を一番得意とするのは活動家、そして広告屋です。

弱いものを過剰に守る大声を上げると一体誰が一番得をするのか。
考えるまでもないのに。

なんかいつの間にか一人称がわたくしに固定されました。
月ノ美兎みたいです。

まあでも「僕」にしてると「いい歳して僕かよ草www」って言われますけどね。草書きたい病っていくつになれば治るんでしょうか。

話変わりますが一人称は漫画で大事ですよねえ。
わたしと私、あたし、うち。もちろん登場人物によって決めています。「うち」はムロイだけですね。本当にうちって言ってたし。
あたいって実際言う女の人には会ったことないです。

「オイラ」はひろゆきとビートたけしみたいでいらいらするんで絶対に登場しません。「オイラさ?」と独り言いった瞬間に体内に埋め込まれた反重力爆弾で爆散するモブとして登場することはあるかもしれませんが。

「小生」って言う人いましたね。文章じゃなくて現実でも言う人いました。なんかちょっと恥ずかしくなりました。
「小員」って人もいますね。銀行関係。でもビジネスメールならともかく会った時も小員って言うの何か間違えてない?と思いました。

ああ、わたくしも「僕かよ草www」って言ってる人たちと大して変わらんな。

まあしかしそうした憂鬱な気分になったとて、手を止めてしまうとやらないことの言い訳にしかなりませんからねえ。人は滅多なことではわたくしに「言い訳ばかりだ!」なんてつっこんだりしませんけど、自分からは逃れられないので。

ちょっとなんかネット全体がペルソナを作りすぎてみんな完璧超人みたいになってません?

わたくし何千人も学生を見てきましたけど、「あーこいつはだめだ何やっても無駄だやめちまえ」とか思ったことほんとにないですよ。

自分で言って自分でドツボにハマって抜け出せなかったやつはいますけどね。だから友達じゃなくっても、自分を見て客観的な評価を下す身近な人は必要だと思います。

そのためには自ら身近な人を大事にしないとどうにもならんわけです。そんなわけで「まず隣の席の人をよく見ろよ」といつも言うわけなんですが。

ただ常にやりたいことはあって、ちょっとづつ手をつけてる間にどれも大してできなかった感じです。まあそれでも生きてられますんで。

しあわせと思えばしあわせだと思うことも出来る。

Twitterだと戯画化しないで発言するとえらい目に遭うんで真面目には話せなかったんですが、わたくしは結局自分に向いているものを最後まで選べなかった、それが失敗でした。

何をやってもまあそれなりというか。なんかもう一つ「得意でーす」「詳しいでーす」と言えるものがなくってねえ。幸せの青い鳥症候群かもしれません。

これは人と話すと自他の比較の話になってしまって「お前俺より出来んじゃねーか嫌味か」とか、そういう話になるんで外では話せないしね。

三重県は南北に細長くて、東の海、西の山の間に平野があるという地形なので、海にも山にも水田にも思い出がそれぞれあります。

誰でも二人で来て波打ち際に立ってればポエムで会話したくなると思います。ポエムなんで全然話が噛み合ってないところがまたよかったりします。

海に沈む美しい夕日

こうやっていきなり自分の考えてることを伝えようとしても、そりゃ誰も聞いてはくれないんで、マンガの形にしてみたり、恋愛に特化してみたり、色々するわけですよ。

以前はTwitterで絵は描きつつも1日中こんなことを書き散らかしていたんで、逆に「頭の中をからっぽにしたい」という昆虫属性を持った人々を弾き飛ばす作用はあったと思います。

そういう難しいのやめて楽しも?楽しまないやつは殺す俺の楽しみに水をさすやつも殺す、みたいな感じになってからあんまり言わなくなったんで、そうなると「恋愛漫画?こいつリア充かムカつく死ね読んでないけど。」みたいな世界になって、これ一体どこに向かってるんだろうとわたくしは思っています。

実存主義なんてカビの生えた考え方だし、ハマると「俺の考えたこと、やったことが全て」というお子様になって「いいんだよ俺にだけ意味があれば」みたいになっちゃうんで(相対主義)、それもどうなんだって話ですし、極端な実存主義者ばっかりになったら秩序は崩壊しますけども。わたくしはしっくり来ますが。

いくつか考え方のモデルがあって、どれかを選んで自分の考え方を組み立てていくのはいいと思いますけどね。

哲学って普段からものを考えるクセのある人にとっては、大抵当たり前のことが書いてあるんで、妙な言葉遣いに慣れれば実学としては有用だと思います。

それで金を稼ごうとするとマルチになっちゃいますが。

誰もが本音を知りたいわけでもなくて、むしろ自分のことなんか知りたくないって人がほとんどじゃないのかなあ。

友人知人の自己分析を聞いても大体ん?って思うし、わたくしの自己分析も自分自身信用できない。



理系のデカルトがコギト、つまり「何もかも全部ウソ。でもウソって思ってる自分は確かにいるし、それは絶対ほんとのこと」と言ったことで、

いやいやそれはお前の頭の中の意識の話でしょ、意識(心)は確かにあるけどじゃあ体はどうなんの、とツッコミが生まれて。

しょうがないから「まあ、心と体は別物ですな」とか言っちゃったところから近代が始まるわけですが。

なんかこの400年前の世界に戻っちゃってる気がしてさ。
筋トレが流行るところなんか、意識と肉体の分離を回復させようとする抵抗に見えるねえ。

デカルトは理系だったんで頭でっかち過ぎて、ずっとあとの時代の文系から「お前機械かよ」とつっこまれ、やがて「自由」「不安」「苦悩」をテーマとする実存主義が生まれていくわけですけども、

みたいな話が昔っから大好きだったんですが面白くないですか?
人間ていっつもおんなじことやってんなって。

わたくしはいいひとでもいやなひとでもなく、
強いて言えばいいひとの時間もあり、いやなひとの時間もある。
そんなことはわざわざ言うまでもなく、またわたくしが特別なわけでもない。

という大前提をSNSを見ていると忘れてしまう。
自然に自分自身のペルソナを作ってそこから語ろうとする。
いいひとの仮面をつけたい人間といやなひとの仮面をつけたい人間と、いずれにしても自分の一側面だけを切り取って誇張しようとする。

多分メタバースになるとより一層その傾向が強くなるだろう。
そうしないと目立たないから。キャラ立ちしないから。

目立たないということは、誰にも見てもらえないから。
承認されないから。

孤独になるから。

これで世界が歪まないはずがない。どのSNSにしろ、やって欲しいことは「みんなに楽しんで欲しい」ではない。
より深く人間の欲を煽って、「広告に反応して欲しい」だからだ。

特別男友達が少なかったわけでもないんですが、男同士はスラングでいうプロレス、予定調和で完成されておりますので、乱暴でも平和主義でも、おしなべて丸くおさまるので話になりづらくって。
いつまでもマウントがどうとかにこだわるしさ。

天下一武道会が開催されて誰が宇宙一の戦闘力かを競う日に街中でペストが発生し、医療の限界を知った医師が唇を噛みつつ対応を模索する中、まあいいやと殴り合い大会を決行する陽気な人々の運命は?というアルベール=カミュ版ドラゴンボールなら描きたいです。

ボールを7つ集めたら7つのボールが集まったよ、という物話です。

大人になってからの話をあんまり描く気がしないのは、強さと引き換えに弱さを切り捨てていくんで、どんどん退屈な「俺はこうだから」になるからで。迷うことを放棄した人間ほど退屈な存在はなく、「俺は今独立すべきだろうか」みたいな相談に「賛成」「反対」どちらを述べても聞いてやしないでしょう。

そういやシニア版あいのりみたいなのやってんですよね。「恋愛」でカテゴライズすると自分の漫画もそれに含まれるのかと考えると鳥肌が立ちます。

初期の鳥肌実は大好きです。
鳥肌実こそ原節子みたいに絶頂期で隠遁すべきだったと思っています。

しかし「相手が望んでいないことを自分の正義と断じて頑張る」という、相手から見れば馬鹿かこいつはで断罪されるべき野放図な行動力もまた、今思えばやっといてよかったとは思うので、時間というのは何もかも解決するなあと月次なことを思う次第です。

村木はわたくしが初めて遭遇した「本気で家庭が崩壊している子」だったので。当時は情報も何もなく、小説映画等、自分の頭にある知識で対応するしかなかったんですが、全ての言動行動が謎でした。

そもそも「対応(女慣れ)」といういやらしい概念もまだ芽生えておらず、ただ右往左往するわたくしを見て満足していたふしがあります。

いつぞや漫画でも描きましたが「君は私が欲しかったものを最初から全て持っている」とよく言っていたので、これもまた恋愛ではなく愛情の話だったのだと後から思ったりしました。

まあ誰にせよ、何かは抱えています。自分が何も抱えてなさすぎて恥ずかしいとも思いました。
その何かに土足で踏み込むことがすなわち人とつきあうということなのだ、と当時のわたくしは日記に書いています。

2人で写っている村木の写真は1枚しかありません。

わたくしが背後霊のように背後に立っているという写真です。
村木はだいたい真っ白でふわふわのとっくりを着ていましたが、
わたくしは「お母さんがそこらで買ってきた」風の謎の柄が入ったシャツでした。中学生みたいで恥ずかしい限りです。

そういや当時田辺って服を売ってるとこありましたっけ。生協か?生協かもしれんなこの変な柄は。
全然服を買った記憶がない。若干色気づくと河原町まで出るようになりますけど、遠いんですよねえ。

写真の部屋はちゃんと立て直す前の掘っ立て小屋みたいなプレハブのピアノ教室です。6、7畳程度の密室でした。
そんなところで何日もピアノばっかり弾いてたら仲良くもなります。

腕を組んでいる二人の姿。

2025/06/25

なんどもアップした写真です。
インドをうろうろしてる時にその辺の学校に入っていったら、不審者扱いどころか、職員室まで招いてくれてオヤツをご馳走になり、更に授業やるか?ということで音楽の授業までやってきた時の記念写真です。

その懐の深さも驚きましたが、職員室(写真の部屋)でおっさんたちが笑い転げながらおやつを食べている様子にいたく感動しました。わたくしは観光地にはほぼ行きませんので、こういう思い出しかありません。

なぜ今またアップしたかというと、ここはこないだ飛行機が墜落したアーメダバード(当時はアーマダーバード)だったと思い出したからです。

合掌。

集団で座って食事している人々。

そう、わたくしはずっとこのようにして20代の時のサイトもやってきたので、今のSNSではうまくいかないのです。
また、これをやり続けるとどうなるかと言うと、「こいつうぜえ」ということで掲示板などにまとめられ、おもちゃになるということになります。

その話も恨みつらみをこめて書きたくなったら書くと思います。

まず明言しておきたいのですが、わたくしはあなたのことを迷惑だと書いていませんし、思ってもいませんので、注意しなくてよいです。
以後もあなたの思ったとおり行動してくださって結構です。

「常識の範囲で」はしっかり言葉通り受け取ってください。
あなたが非常識であるとは書いていません。

その上で、ここ数日わたくしはわたくし自身の「書いてないことを妄想で読み取ってしまいトラブルになる」について考えておりました。
これはネットミームからすれば「HSPの特性」とかになってしまいますが、それで許されるはずもなく、自覚してなんとかしないと永久にトラブルが解決しません。

空気を読むことは悪いことではないのですが、わたくしは「ネットの文字から空気を読むのはわたくしでも不可能=つまりほぼわたくしの妄想」と考えた方が辻褄があうので、言葉は言葉通りの意味として受け取るよう、自戒しています。
顔が見えてればほぼ間違いなく空気を読めますが、文字ではおかしなことになりすぎます。

また、わたくしもムラがあるため、機嫌の悪い時もありますが、たいていはすぐ忘れます。ですので仮にわたくしを怒らせたとしても次の日まで怒っていることはめったにありません。普通はそうです。

少しづつ妄想でズレていく自分を修正していけば(仮にAIを利用するなどして)、傷つくことも少なくなるのでは、と、これは自分に対しても考えています。

AIの翻訳用テキストが入っているのは色々な目的があるのですが、

①サイトの鎖国を解いたため、できたら海外の人が見た時に簡単な内容だけでもわかるようにしたい(画像は翻訳できないので)。

②1万件ある投稿に手動で要約を入れるのは今更無理なので諦めていたが、AIとサイトを連携して、「全件自動で画像解析+要約+挿入」というシステムを作ってみたくなった。無料ではできないので1万件の処理に3日と2万円ほどかかった。

③「画像しかないページが大量にある」という状況は検索エンジンに確実にスパムサイトと判定されるので、少しでも文字を入れたかった。

これが主な目的です。このサイトは業務で使用する前にテストでシステムの実験をする目的でも使用しているので、裏で最先端のことをやっていたりします。

オズ先輩の漫画でもそうであるように、わたくしは一度信頼関係を築くと何があっても疑わないので、騙そうと思えば簡単に騙せます。仕事をしてるとさんざん痛い目にも遭いますしね。お金が絡むとどうしても。

ただ「一度信頼関係を築く」までに結構な時間と出来事を要するので、たいてい信頼関係が構築される前に相手がいなくなります。

わたくしの信頼条件は「どんな自分を演じてても構わんし、口悪いとか病んでるとかもどうでもいいけど、やるって言ったらどうあっても行動で示せ」みたいな、実は体育会系、昭和かつ絶滅寸前の考え方です。

家内ちゃんは「私は何もせん」という強靭な意志を持って20年間ぐだぐだしているので、それはあっぱれと感心しています。

みなさんはどんな時元気でます?
わたくしは、新しいことを考えたりやったことないことを始める時一番元気がでます。

例えば、
・イラストを描き始めた→高校生のが遥かに上手
・高校生を師匠!と呼んでペコペコしながら絶対負けんみたいな気持ちになる

そういう感じの。一番下から努力とか苦労してできるようになるのが何でも好きなんだと思う。

そうやって仲良しになったのが絵オフで一緒してるかえるさんです。

当時まだ高校生だったかえるさんと一緒にイラストを合作することで色々勉強しました。
かわりにわたくしは大人として、こういう大人には気をつけろという話と、税金の話をしました。

そういうのがいい。わたくしは授業でも学生を目下の学生扱いはしてませんし、先生とかって尊敬されたくもないです。

長年通ったジムを解約してきた。
また元気になったら泳ぎに行くよ。
常連のじいさんばあさんともお別れ。
次会うまでお互い生きてるかどうかわからん。

言いたいこと言ったらやることやらんとね。
なんでもいいからやらんと。
なんかやってさえいればたまにいいこともあるので。

そして絵をやめて13年後、突然描いた初音ミクがこんなんです。
今みると頭がでかすぎて恐ろしいです。
わたくしは当時アニメやイラストを心のどこかではバカにしていたので、だったらそんなにハマらないだろう、趣味として描けるだろうと思ったんです。我ながら下手すぎて驚愕しました。

しかし自分を完全に見誤っていました。どんな絵でも描くと楽しいなあとうっかり思ってしまい、更に12年後の今に至ります。

そういった純粋でない後ろめたい動機が多々あるんで、クリエイター論とか創作論が苦手なのです。本気でやってる人には申し訳なく。

いやわたくしも適当にやってるわけではないんですが、なんかこう、意識は低い方が性に合ってて。

緑髪のキャラクターが演奏中

学生時代に最後に描いた絵がこのヌードだと思います。
今からもっかいやれって言われてもキャンバスになる板から絵の具から自作するんでもう手間かかり過ぎて無理。

まず板に石膏みたいな下地を厚塗りして、サンドペーパーで鏡みたいに顔が写るまで磨くんです。心が歪んでると表面も歪むので、禅寺の修行みたいに精神を統一して何日もただ磨きます。

線画は鉛筆じゃなくて卵に貝殻等を混ぜたテンペラと呼ばれる絵の具を作って描くので、さっさと下書きしないと卵が腐ってえらいことになります。

着彩は油絵の具でやるのでちょっと塗っては2、3日待って、の繰り返しです。高さ60cmくらいですがマングース毛とか貂毛と呼ばれる高級面相筆でちまちまちまちまやるのでいつ果てるともない作業の繰り返しです。

これは燃やしてません。手元にあります。

申し訳ありませんが、その画像について詳しく説明することはできません。

冬目景・沙村広明・玉置勉強が一箇所にいた90年代初頭のタマビ漫研ってどんなユートピアだったんだろうなと思うよ。

ひとしきり考え事をした後、ぱっと切り替えるのは得意だったんですが、なんだか年齢なのか何なのか、それもだんだんできなくなってきて、どうも後に引きずる。

もうネタとして先生だったり夫だったりという情報をさんざん書いちゃってますから手遅れなんですが、わたくしは先生でも夫でもなく、ましてや作家やクリエイターではなく、「好きな人を思い出して思い出を描いてるとなんだか気が楽になる人」以上でも以下でもなくいられる時が一番幸せです。

こういう話を、ジャッジされたいわけでも議論したいわけでもなく、
ただただ言いたかった。ね。
自分語りにしてもそうですけど、ただただ言いたかっただけなんです。

AI論争を見てると、これまで「一部のクリエイターだけがもっていた特権=才能だったり名声だったり」をどれくらい多くの人間が妬み、反感をもっていたかがよくわかります。芸術とか創造という聖域に対する反感ですね。

「なんで絵描きだけがそんなに特別扱いなんだ絵が描けるだけなのに」って声、たくさん見たでしょう。ごく一部の少数意見と言うには多かった。あれが現実的な本音だと思いました。

欧米では道端で絵を売ってても気に入れば買ってもらえます。そういう文化的土壌と個人主義的な価値観が強いからね。
日本じゃなかなか育たなかった。縄張り争いと許可とってんのかって話からスタートですし。

絵の見方なんて授業ないしそれなら五教科やれよってなるじゃない。

学生にどのタイミングで教えるかいっつも迷うのが、

・バナー作って!→はい作りました!おいくら万円くれ!
って考え方がそもそも間違ってて、

・バナー作って!→はい作りました!→サイトに貼りました。その広告効果で売上が伸び、おいくら万円利益が出ました!なので制作料おいくら万円です。

て考え方に矯正しないといけないわけです。効果のないもの作って売上0なのに制作料なんか出したくないでしょう。誰だって。

確かにやりがい搾取がひどすぎる業界は問題でしたが、制作者側の力を強力にしようとし続けた結果、AIが登場して「もうこれでいいじゃんうるさいこと言わないし」になってしまった空気はある。

経営者というのは利益を作って会社を回すのが仕事なので、職人のプライドとかはっきり言って知ったこっちゃないわけです。
だからクリエイター職は30越えると指示を出して管理する側に回るわけでね。

とは言えそんな本音をぶちまけたらみんなそっぽ向いて会社終わりますから、なんとかウィンウィン的な空気にしないといけない。
ほんと大変だと思いますよ。わたくしはそんなの面倒ですので末端でいつまでも手を動かしていたい。

わたくしの貧相な矜持としては、「それでも末端にとどまって手を動かすことだけで生活してきた」という、完全な自己満足ですんで、そんなものは誰にも承認される必要はなく、自分だけにやにやしとけばいい程度のプライドです。

実生活あるいは仕事上では「まーそんなもんだよな」でやれてることがネット上だと急にできなくなる。

わたくしは特に「現実で絡みついてくるバカバカしいしがらみや処世術をネットまで持ち込みたくない」って意識が強力で、「人気者になるにはこうふるまおう」みたいな現実っぽいあざとさに対して激しい嫌悪感を持つわけです。理屈ではわかっててもね。

いつも怒ってる中年たちはまあこれです。
一人で怒ってるだけなら孤立するだけなんで害はないですけど、やがてそれを人に向けるようになるんで厄介なわけですね。

あっと言う間にこのページだけが読まれているという結果になり、
どこぞのVTuberも愚痴ってましたけど、まあ大体自分のやりたいことを一生懸命やると評価されず、適当にやったことだけ伸びていく、絵でも文章でもみんなそうだよね。

「本気でやってます」程度の演出だけが必要で、やっぱり本気って視野が狭くなって人には伝わらんもんだと思うわ。

だからこだわりってない方が楽なんですよね。

「安く安く!」って言うのは頼む側からしたら当たり前の話なんで、
それが嫌なら誰でも知ってるような有名人になるしかないのでは。

例えば1時間くらいで作れる内容で「5万円で作れる?」って話なら作ります。5000円だったら断ります。
1ヶ月くらいかかりそうな内容なら30万円ですって言いますね。

それだけの話です。
クリエイター職ってネットだけ見てると華々しいですけど、実社会では末端なので。それに傷つくのであればやらない方がよいのでは。

あんまりこのページばっかりアクセスが増えても本末転倒なので。

「常識の範囲で」お願いします。

結局わたくしが描きたくて描きたくて仕方ないものはさっき描いたような漫画なんです。それはきっと伝わるだろうと思う。

でもよく指摘されるように、これは人に読まれるための漫画ではないのです。それでもいいならこれを描き続けるべきだし、もっと人に読んでいただきたいと思うなら別の描き方をするべきなのです。

大体何をやってもこんな風に中途半端な感じではありました。

わかっててできない。
のはわかってないのと同じです。

山本直樹の漫画に出てくる「うさんくさいインテリ崩れ」って、僕はあーこういうのいたいた、いっぱいいた、って思って顔がほころぶんですがいかがでしょう。

こう、インテリ学生的な論をこねまわして殴り合うのは、2年生くらいまでは楽しいんですけど、段々こいつらほんとにわかってんのかなーって疑いだして決別しますでしょ。

大体その辺で実存主義的な価値観に傾くわけです。
そういうのも90年代的な青春なんじゃないでしょうか。

男性が都市について語るシーン。

大体もめごと起こす人は「それは自分でもわかっているんです」って言いながら全然わかってない行動を取るんで揉めるわけで。

昨日も書きましたが、わたくしも「文脈から書いてないことを読み取って落ち込む」という揉め事の種を抱えておりますんで、「書いてある文字をその通りの字義でしか読まない」という当世風の読解を身に着けなければなりません。

皮肉です。

2025/06/24

専門学校の友人に、鳥肌実の弟子になろうとして事務所に突撃したけど門前払いされ、一念発起して汁男優になったという男がおりましたが、卒業制作の時、「みんなのゲップ音を集めてDJやりたいんだ!力を貸してくれ!」と叫んで女の子を追いかけ回し、階段の上から蹴り落とされていました。

事実を書いただけなんですが、全部ウソみたいです。
東京は色んな人がいるなあと思いました。大学にはいなかったタイプでした。

僕はどっちかというとそういう人が好きです。

25年経ちますがお元気でしょうか。
死んでたらまあ、そうだろうなあと思います。

んークリエイターが偉いかどうかは本人の思い込み次第で、多分ちゃんとそれで生活しているような人は偉そうなこと言わない気がします。思っててもね。なのでそう言っちゃう人はプロではないんでしょう。

わたくしは「何かしてる人」と「何もしない人」にわけましたが、何かしてる方が偉いとは全然思ってません。思ってたら「クリエイター」と「その他一般人」みたいな嫌味な書き方をすると思います。

ただやっぱりSNSは長い間に「神」と「ファン」を作り出してしまって、それをロールプレイしないと人と交流できなくなってしまったんだなあとは思っています。
当然自分だって消費者なんですけどね。

ちなみにわたくしは自分の絵や何やらを作品と呼んだことはなく、やろうとしてることを邪魔されない限り怒ることはないと思います。

業界自体がしぼんでいるわけでもなく、webにしろ印刷にしろどの業種にしても慢性の人手不足です。専門化しすぎて求められているスキルを持っている人が少ないから。

ただ、今までそんなに実力がないかわりに安めで発注していた案件が一気にAIに変わったので、もう自分で実力をアピールして仕事をとっていかない限り厳しくなっていくでしょうねえ。
月3万円でもネットから仕事をひっぱってくるのは大変です。

技術職は、当然安くて実力のある若い人に発注が偏るんで、ある程度年齢が行ってるとマネージメント的な仕事ばかりですねえ。

元気な分野ってどこだろう。
なんか20年くらい元気な分野って聞いたことない気もしますけど。

特にピアノなんか、どうして小さい頃に無理やりでもやらせた方がいいかと言えば、
「これ意味ある?」とか物心つく前に運動技術として体に覚えさせた方が思春期にぶつかっても先に進めるからなんですよね。

大人になるにしたがって、いちいち自分の行動に意味づけをしたくなって、やらなくて済む言い訳ばっか考えるんで鈍くなる一方です。

わたくしが、描いている枚数と比較して上達スピードが遅いのもだからでしょう。と言って絵は描かないと何も始まらんので描く以外にできることはないというのもよく理解しています。

でもこれをやってることで勝手に繋がりが増えていったんです。黎明期は。漫画に描いてることと同じなんですが、漫画は漫画にした瞬間に「漫画」として認識されるということをわかってなかった。

とにかく8年分くらいは言葉が溜まりに溜まっておるので、何も出てこなくなるまで書こうと思います。

予想はしてたんですけど、今まである程度封じてきた口をこうして全開にすることで、ぱったりメッセージは来なくなりました。

だろうと思います。これわたくしの素ですからね。
描き手の素なんか誰も見たくないし、SNSみたいな「ユーザ」という括りで平等が担保されてないとコメントする勇気もわかないし。

「共感の時代」とか言うのも嘘っぱちだと思ってまして、今いう共感ってシンパシーじゃなくて、もっと乱暴な「俺私にわかるものをもっと見せろ」ってことなんですよね。いくら言葉をソフトにしても。

ほとんど暴力と言っていい同調圧力だとわたくしは思っています。

今は亡きhagexのブログによくまとめられていた、「女同人界隈の闇」的なものをあの頃初めて見て、どこまで本当かはともかく、うわあめんどくせえこんな考え方のやつら絶対いやだと震えていたんですが、
多分現世はあれに近いんじゃないかと思ってて。

昔は「じゃあお前が描けよ」は作家が読者に絶対に言ってはいけないセリフでしたが、AIなりネットなりでやろうと思えば誰でも何でも表現できて、しかも大体が無料の今、できないという言い訳もできないわけです。

「何かしてる人」と「何もしない人」の2極化が、この世界における最も大きな分断だとわたくしは考えています。

山本直樹(森山塔)は80年代、コラムや文章なんかもよく書いててマンガの間に掲載されたりしていた。多感な中学生であるわたくしが影響を受けないはずもなく、読み返すと今の自分に繋がる考え方が散見できる。

「エロマンガノゲンバ」(2014)というエロ漫画史を扱った同人誌の中に、森山塔のインタビューが掲載されている。

(抜粋)
「周囲が『ガンダム!ガンダム!』ってやたら騒ぐので『ガンダムは嫌いだ』って書いちゃったことがあるんですよ(笑)」
「ガンダムが嫌いなわけではなく、『ガンダム!ガンダム!』と言っているやつが嫌いだったんです。」


共感というより、それでいいんだ、そういう考え方していいんだ、って思ったのが中学生のわたくしでした。

アニメ批判的な風刺イラスト。

そんな偉そうなことを言ってるくせに、絵(イラスト)だと「どうしてもこうでないとイヤだ」という強力な何かがありましてね。
イラストは生徒に教えてもらわなければなりません。

「先生、それじゃお金にならないよ」と。

先日初心者の学生に作らせた航空券の広告とわたくしの講評です。
どうみても墜落してます。デザインて面白いよね。
9割の学生は左下から右上に向かって作るんですが、たまに逆の感覚の生徒がいるの。でもこの場合、その感覚にはOK出せない。

「面白いけど金にはならん」がわたくしの口癖で、「これが私の感性なんです!」と生徒が言い張れば、じゃあ学校来ないで好きに作った方が楽しいよとはっきりいいます。

感性より常識の方が大事な場面は社会では圧倒的に多いです。
美大でなく専門学校では特にそうです。

大阪旅行の航空券販売中ポスター

「思ってたより人間て意地悪だったなあ」って気分を抱えたまま死んでくのはやだなあと思っております。

「空元気でも元気」って何のセリフでしたっけ。パトレイバー?

ネガティブな時はとことんネガティブでいいんですけど、それでも無理やり「うおお」ってやらないといけない瞬間はあるじゃないですか。

わたくしは人生の大半がネガティブな思考で満ちておるので、空元気の使い所を間違うとドツボです。ほんのちょっとしか元気でないんで、どこでそれを使うかは相当重要な問題です。

理想の彼女なり彼氏なり友達なりを作ろうとする試みは、本質的には自分自身を知ろうとすることですから、いいことだと思います。

多分理想というのは「自分を否定しない」「自分を受け入れてくれる」から始まると思うんですが、恋愛によって最終的に到達するのはその理想の崩壊と自我の確立、つまり大人として自立するということなので、

大人になる必要もさしてない今なら一生AIと共に生きていくのもいいんじゃないですか。
僕にも是非そうしろと勧めて来ないならそれでいいです。

こないだ授業でchatGPTの説明をした時に、
理想の彼氏を育ててる恥ずかしいやつは今ログインしなくていいぞ?」と煽ってやったら何人かは俯いてたので、多分理想のAI彼氏と常日頃会話しているとみた。

独り言で書いても仕方ないんですが、サイト…特にwordpressやmtなんかのCMSについては僕も長いキャリアを持ってますので、自社のサイト大丈夫かいなという方はご相談ください。するわけないか。

どう考えても技術に理解がなくて金を出し渋る人間の味方をするよりも、自分でリスクを犯してウィルスを作る側に回った方が手っ取り早く儲かるのは間違いありません。技術レベルが高ければ高いほど、そしてその技術を買い叩かれていればいるほどそうなるでしょう。

今僕が悪いことをしないのは、ただの道徳がそうさせているだけで、餓死レベルの貧困に陥れば多分なんでもやると思います。

パソコンのことなんてよくわかんなーい(調べる気もない)。

乗っ取られたのは作ったお前のせい

いまだにこんな意識の人間ばかりの日本は世界中からカモにされ続けると思います。「副業」でおすすめされるソフトはすべてにこの脆弱性を孕んでるので、低スキルの素人がむやみに1クリックで作って放置したサイトを踏み台にしてウイルスが蔓延していくのです。

だから僕は1から<html>などと打ち込んで作るいにしえのホームページを推奨しておるのです。あれは乗っ取られませんから。

仕事で作ったサイトが改ざんされ、てんやわんやしておりました。
まあ今までも何度も経験してます。IT後進国である日本のパターンは大体以下です。

・依頼主:うちのサイトなんか誰も見やしないから大丈夫。セキュリティにかける予算はない。なんでそんな高いの?むりむり。更新も自分たちでやる。

・乗っ取られた!えらいこっちゃ!なんとかしろ!20万?そんなもん払えん。

もう説明すんのもいやで、勝手に困ってろという気分にもなります。
わたくしが長らくサイトを鎖国していた理由も話したいんですが、話すと逆にセキュリティ的な危機を誘発するんで情報を表に出せないわけです。

2025/06/23

高校や大学の頃にもっともっと強く自分語りをやっておけば、今更やんなくてもよかったかもしれませんね。

そうした自戒と忠告をこめて描いています。

昔から人の世話を焼くことをアイデンティティにしてた部分があって、それは教師・公務員一族の家庭環境と遺伝です。

そういう杓子定規な考え方に反発して、だから芸術だとか精神だとか、ふわふわした答えのないものを望みました。

でも高校生くらいになると自分でも薄々わかっていたんです。
自分が絵を描いたりピアノを弾いたりするよりも、誰かの世話を焼いて適切な方向へ誘導する方が向いているということは。

でもどうしても諦められませんで。
なんとか今までやってこれましたが、今、やっぱだめだったかーとなってます。

時間通り行動したいけど、それを人に強要して上手くいかなかったから、反動で人にゆるいんです。
待ち合わせに遅れてくるとか、結局ドタキャンで来ないとか、いつまでも人を待ってるとか、そういうの全然平気です。

なので仲良くなればなるほどルーズになるO型タイプの子には好かれましたね。家内ちゃんもそうです。

また、時間にきちきちしてる人間に見られたくないという気持ちも強くあります。

でもわたくしをご存知の方は知っての通り、わたくしはほとんどの場合、先に目的地にいます。1時間も2時間も前にいます。不安なんです。

あと覚えているのは、「今日のポンキッキで『パップラドンカルメ』が流れたら保育園でナッちゃん(セキグチ)に無茶言われない」と何の理由もなく信じていたことで、なんだろう。おまじないみたいなものかしら。

まあこんな話誰にもしたことないですけどね。

保育園って何歳からいくんだっけ。

とにかく保育園に行くには「ひらけポンキッキ」を見る必要があり(と勝手に決めてて)、このエンディングになる8:25に家を出ると、歩いて5分の保育園に8:30(登園時間)ちょうど到着する、毎日そうでなくてはならない。

みたいなことを考えていた記憶がはっきりあるので、
もともと時間通りに行動したいという欲求は強かったと思います。

右の直列くんが履いてるのがボンタンというやつで、特にヤンキーでなくてもみんなどこからか入手してきて履いていました。ただし抜き打ちの生徒指導でひっかかると鼻血出るまで殴られます。

足首と太ももの差が大きいほど校則違反なんですよね。
謎です。
左の僕はそんなことに全く興味がなく、UFO飛んできて人類滅亡しないかなあと毎日考えていました。

制服の二人が野外で記念写真

学生の時の真面目と今の自分の真面目はずいぶん違うなあとは思います。学生の時なんて、自分はほんとは真面目なんだって演出をしたいだけでしたよ。口ばっかりでした。

枝くんは田辺の時はずっとつるんでたんだけど、今出川に行ってからは何してたのかあんまり知らないんですよね。
デュークから数十メートル先の下宿に住んでたのは覚えてる。
どういう経緯でEVE実の仕事やってたのかも全然知らない。

とにかくギャンブルが好きで、後半はパチスロと麻雀と競馬だけの生活になっていって典型的などうしようもない大学生だったけど、なんか憎めないところはあった。存在感が希薄で。

誰もが覚えてるが誰も顧みない座敷わらしみたいな存在だったけど、あれは多分僕がそうキャラにしていじったからだろうなあ。

”Wo die Sprache aufhört, fängt die Musik an.”
「言葉尽きるところから音楽が始まる」

ドイツの幻想文学作家・E.T.A.ホフマンの言葉ですが大学1年生の時の教科書に出てきていまだに覚えてる。
受験で覚えた単語なんかあっという間に忘れたのにな。

もやしばっか食う生活でも構わないんだけど、もう一度浴びるほど芸術に囲まれて暮らしたい。

時々全部投げ捨てて逃亡したくはなります。
20代の頃と違って今それをしないのは、
責任があるとか大人になったからとかではなく、

逃げても逃げられないことが身にしみてわかっているからです。

田舎の無人駅のホーム。
青春モノクローム・駅
静かな海辺の風景
青春モノクローム・海

2025/06/22

スマホもデジカメもないからほとんどサークル棟やアトリエの写真なんか残っていない。同級生にも色々聞いてみたが、こんな汚い部屋の写真なんかわざわざフィルムに金出して撮っておくやつもいない。

美術部はご覧のようにとりわけ汚い。
酒を飲んで気分が盛り上がるとペンキを撒いたりしたから。

いつも誰かはいた(その中の一人が僕だが)。
真ん中の写真の大きな窓のそばで先輩と出会った。
上の写真の人物は僕だが、すぐ隣が先輩が描くスペースだった。

村木や奥崎を連れてきたこともあった。
毎日全然楽しくはなかった。
楽しかったような気になるのは、ずっとずっと後だ。

室内で雑誌を持つ人物たち。
今出川(3・4回生)の学生会館6F
アトリエ
アート教室と横断幕。
田辺キャンパス(1・2回生)のサークル棟
アトリエ
ごめんなさい、画像の具体的な説明はできません。
田辺キャンパス(1・2回)のサークル棟
BOX

この調子で誰か特定の人にLINEとかメールとか送り続けたらそりゃ引くでしょ。ね。だからポエムを人にぶつけるのは暴力です。

で、これを7年くらい毎日ぶつけても引かなかった人と僕は結婚したのです。家内ちゃんは全く人の話を聞いていませんので。

今ふと22~26歳の間に個人サイトで毎日書いた文章と交流したメールの総サイズを見たら約5Mでした。
文字数に換算すると260万文字、文庫本20冊くらいの分量です。

内容は今絵や漫画で描いているような自分語りポエムですが、昔っから闇雲にただ書きたいし描きたいし弾きたいのです。

でも独りよがりをやめて面白くしよう!って構えた途端に何もできなくなるんで、僕はエンタメや人気者の素質は皆無でねえ。残念です。

結局こうした「考えたことを即時出力し続ける」というのは僕にとっては大きなストレス解消でして、逆に例えば「猫かわいい!」「議員はバカ!」「日本終わり」を連投してもかえって憂鬱になるんですよね。

僕にとって何がかわいいとかバカとかは全く重要な話題でないので。

「草」とか「マ?」って怖いんですよ。
全然相手の気持ちがわからないじゃないですか。
字だけ追うことが出来れば「草=笑」で、あ、面白がっているんだ、と思えるんですけど、色んな場面でぶつけられた「草」、あるいは色んな場所で見た「草」によって「バカにされている」成分を反射的に強く感じてしまうわけです。

これはもう脳を取り替えない限りリセットできない気がする。

だから僕もまさしく「何と戦っているんだ」状態でして、やべえやつだと思われても自業自得だなとは思います。

以前はそんなんでもよかったんですよ。ネットなんてどうでもいいだろみたいな雰囲気だったんで。

自分にわからないことが書いてあると「腹を立てる」という未知のアクションが入り込んだことで段々おかしくなっていったわけで。

自分ではわかりやすく返信したつもりでも、「それ一体何手先の話ですか?笑」みたいな指摘を受けたことがあり、話が大分飛んでる=かなり先の話を妄想を加えて書いているという自覚がある。

なぜそう思ったかを全部省略して「こうである」という書き方をしちゃうんで、ポエムになってしまうわけです。わざとそう書いてる部分も多いけど。

「文章は読めるけど書いてないことも読んでしまう→お前は誰と戦っているんだ」ってかなり前からありましたよね。「祭り」から「炎上」って言葉に移行した段階で見るようになった気がします。

あれは他人事じゃなくて、「いや、ほんとにお前は何と戦っているんだ」って言う側だったのが、いつしか自分もそうかもしれん、いやそうに違いないと怯える日々となりました。

猫をかぶって後で嫌われるより、最初っから自我を丸出しにして期待を与えない方が僕は楽でした。

楽なかわりに、それでも相手してくれる人を見つけるには相当努力とマメさと忍耐が必要なんで、それが面倒なら猫かぶっとくのが楽ということでしょう。

僕は自分の会話もあっちこっちに飛びに飛んで、やがて相手に「今なんの話してんの?」と呆れられるというパターンが多いです。

自分の中ではつながってんだけど、というやつです。
恋愛について話してたのにいつの間にかうどんの話になってたりするんで、ただ話を聞いて欲しい相手の場合は全くしゃべらないようにしないと怒らせるんですよね。

性格は変えられないんで、学習する他はなく。
それを知能が低いと言われれば、全くその通りだと思います。

自己肯定感の低さという言葉ももう何を意味するのかよくわからなくなってしまって、「共感ツール」と僕が勝手に呼んでいる、反射的に他人とつながるための道具化した言葉として僕は捉えています。

ただイメージ的には陰キャとかコミュ障に近い、自信がなくて行動できない受動的で弱い性格を指すものと思ってましたけど、問題はそのまま放置して他人への攻撃性に変化した場合ですよね。

弱い犬ほどよく吠えるという言葉は、どうも強い者からの目線なんで現代にはそぐわないですが、実際弱いまま放置した・された人間がやがて何をやり始めるか、僕たちは毎日のように目にしているわけで。

さっき描いたマンガのベースになってる写真。
すごく不自然(な笑顔)。

セーターを着た人物が笑う。

整理され、目的のために高度に効率化された情報ばかりになってくると、カオスに対する愛着が強まっていく。
なんだかわからないもの、未整理のものを整理整頓せずにそのまま受け取りたいという欲望って僕は意外と強い。

世界への反発ともちょっと違う感じがする。
初めてシンガポールに行った時、つまんねえなと思った感じとよく似ている。

1978年頃の自分の写真に写っているこのお菓子がなんなのか
急に気になりましてね。ちょっと調べたらすぐわかりました。

ピンク色とかいちご味とかが好きだった気がします。
ああ、それでセキグチか誰かに「お前女か!」とからかわれたんだった。祖母千代だったかもしれない。

祖母千代は息子も孫も武士みたいな男に育てたかったんです。両方失敗でした。
やあ、無理じいはやっぱりよくないね。どこかが歪みます。

緑のコートの子がいちご菓子を手に持つ
ロッテカプッツェルお菓子3種類

そうねえ、父はおしゃれさんで山のようにスーツとかネクタイとか持って毎朝選んだりしてて、なんかそれがすごく嫌だったから反発しましたね。
言葉は悪いけど「こじきみたいな格好がしたい」と思ってました。

マンガか何かで「こじきだと思ってたら実は大富豪だった」みたいなよくある展開を読んで、すごく格好いいと思ったのも覚えています。

93年が高校卒業の年になりますが、卒業アルバムを見てると過半数の女子が前髪をすだれのように垂らした髪型をしています。
これなんて髪型なんでしょうか。すごくレトロを感じます。

そういや男も整髪料と指ですだれ部分を念入りに作ってたな。すだれがきれいにできてると格好良かったんだろうか。

小学校も中学校も卒業アルバムはカラーだったのに、高校だけ完全にモノクロで、なんでこんな遺影みたいにしたんだろう。予算の問題じゃないと思うんですが。

女性の髪型のクローズアップ。

「どうして誰も味方してくれないんだ」って考えになる時は僕もよくあります。寝ると忘れますけど。

考えじゃないか。考えてないもんな。
味方がいない気分の時は、味方をわざと見ない&いないことにしてどうしても被害者になりたいとか、そういうやましい心がある時ですね。僕の場合は。

ここ数年、強い言葉を使うことをかなり意識して避けてきたので、
取り返しのつかないくらい後から後からわいてきます。
相当なストレスになってたんだなあと自分でも驚くばかりです。

本当のことが知りたいと言うやつほど「自分の本当のこと」じゃないんです。世界の、他人の、事件の本当のことを知りたがるだけなんです。

僕はそれらをまとめてゲスと呼んでいます。
僕は僕の中のゲスな部分がひどく嫌いです。

それはそれとして、そうした言語化的な世界にアイデンティティの危機を抱いた人間がまっさきに飛びつくのが「筋肉」「筋トレ」でしょう。
自分との戦いみたいなことを人前で言えることで、自意識も満足するし、基本誰にも迷惑をかけず誰にも批判されないジャンルなんでそりゃ流行るわなと思います。健康志向も同じですね。

一時期精神病やメンヘラが自分の個性アピールとしてつかわれたのと大差ないと僕は思っています。ほんとに病んでる人間には迷惑以外の何者でもなかったですよね。

みんな安全に手っ取り早く人にアピールできるものを探してるんですよ。
他に何もしたいことないから。

最近ブームが行き過ぎて、いかにもムッキムキな体を見せつけてわざわざタンクトップでのしのし歩いてるような人種を新宿でよく見かけます。ということはもうそろそろ終わりでしょう。

足腰を鍛え鍛えてガンで死に、という昭和の川柳がある。
大体川柳なんてユーモアというより性格悪いやつが「うまいこと言ったった」みたいなところがあるんで、僕は古来からある重たい詩歌の方が好きです。

・情報が氾濫した。
・だから的確な整理が必要になった(言語化)
・みんなが言語化に注力した結果、正論が氾濫し疑うのが面倒になってきた(今ここ)

→結論:僕は僕が大事だと思ってきた部分が退化してる気にさせられているので、ひどくストレスがたまる世界になっている。

と、こういうことをAIを使ってまとめていそうな人間を見かけたら「お前AIになりたいんだろ」と煽ってやりましょう。

めちゃくちゃいるでしょ。そしてそんなやつ面白くないです。
しょせん流行りにのってるだけで、確実に自我は弱いだろうと思います。

言うまでもなく自分を見てそう言っているわけですけど。

2025/06/21

どこまで行っても誰もいないし何もないって、まあ孤独ではあるんですけど僕は非常に気分がよかったです。今もう一回行きたいかって言われると頼まれても行きませんけどね。
ネパール側のヒマラヤ、1996年。

登山者と雪山の風景

山田玲司とかも今やたら元気じゃないですか。
あれが僕らの上のバブル世代って感じです。
僕たちはどうもあの人たちがいう「いい時代」の後始末を全部押し付けられた的な僻みと卑屈と怨念を誰もが多少は抱えているのではないかと思います。

美術部が女子ばかりだったというのは設定ではなく本当のことです。
ただ、左端のわたくしとその他女子部員との間にある距離を見れば、大体察しはつくかと思います。ええ。

実際にはこの倍くらいの人数がいました。夏合宿(スケッチハイク)なんてほんとに居場所も何もあったもんじゃなかったです。

それを前提にして考えると、なぜ美術部内ではなく、演劇部や天文部といった自分が所属する部以外のところに交流を求めていったか理解いただけるのではないでしょうか。

写真は1991年。体育祭の時ですね。

集合写真(人物の顔はぼかし)。

高校の頃の自分の部屋の写真が1、2枚残っています。
実家にはドアのある部屋がここしかないので、高校生になると同時に勉強用ということであてがわれた部屋です。

これから自分のものを置いていく…ところではありません。
わたくしはなぜだか自分の痕跡や気配を表すものを部屋に置くのが好きでなく、ただ「部屋」というような部屋を好みました。

何の部屋か、誰の部屋かわからないような部屋が好きだったのです。

木製パネルの古いスタジオ内装。

2025/06/20

すいません、今日全くメッセージなんて来てないんですが、
Twitterで10分に1回くらい、一日中こんなことを書いてた頃を思い出し、
なんか楽しくなってずっと書いておりました。

ピアノはもう厳しいので、次は絵だと思って無闇に描いてきましたけど、体力や病状がどうにもならん現状を鑑みるといつそれもできなくなるかわかりません。

最後までできそうな自己表現は言葉しかないのだと思います。
でももう人の顔色を見ながら何かするのはいやです。

運動神経も極めて低かった…ということにしたくはあるんですが、まあ人並みでした。強制的に地区の野球チームに入れられたりしたんでね。

一度なんかでからかわれて、金属バットで軽く叩いたら大変なことになったので、ちゃんと「人はバットで叩くと大変なことになる」ということは学習しましたよ。

まずは失敗を恐れずにやってみましょう。

今日は授業でしゃべりっぱなしで疲れたんで、帰ってうとうとしてたら盛大に足がつり、2時間経ってもまだなんか痛いので大変いやな気分です。

足がつると子どもの頃の恨み節を書きたくなる自分を発見しました。

田舎の民度は絶望的に低く、また子どもはいつの時代も残酷で、僕の子どもの頃は絵に描いたようなジャイアンとかスネ夫がいました。ジャイアンとスネ夫しかいなかった。
では僕はのび太かというとそうでもなく、当然ドラえもんもおらず、浦見魔太郎に近かったと思います。

ジャイアンとスネ夫と魔太郎。
これが正しい80年代田舎の風景です。

毎朝中庭の百葉箱で温度と湿度を記録するのが一番楽しかったです。
女の子は力強くて乱暴なので嫌いでした。

小学生の時、このようなゲームが流行っていました。
低学年だったような気がします。

僕は持っておらず、自慢する小林くんの後ろで見てただけなんですが、
なぜだか僕が踏んづけて壊したという言いがかりをつけられ、
親も一緒に弁償しろと家まで押しかけて来たというひどい思い出がある。結局どうなったかは忘れた。

その時小林くんが地雷を踏んで粉々に吹き飛ぶという漫画を描き、先生に見つかって1ヶ月くらい一人でトイレ掃除をしたという記憶もある。

恋愛以外の思い出話を書くと本当にろくでもない内容しかない。

ゲーム&ウオッチのオクトパス。

正直あんまり毎日毎日描く意味はなかったっすね。
飽きて誰も見なくなったら俺の勝ちだとかわけのわからないことも考えていました。

と、こう上手いことまとめられると「んなこたあねえよ」と言いたくなってしまうところが子どもじみておるわけですが。

「1990年代の恋愛と青春」というテーマでDeepResearchを使ってAIにまとめてもらいました。

「1990年代の恋愛と青春にまつわるノスタルジックな記憶」(PDF)

概ね反論はありません。
結部あたりの「1990年代の日本における恋愛や青春の思い出は、時代ならではの文化的背景と切り離せない『青春の痛み』に満ちています。不便さや不自由さがあったからこそ募った想い、閉塞感の中できらめいた小さな喜び――」

これがマジョリティの雰囲気です。
僕は自分がマジョリティだとは思ったこと一度もありませんでしたが、マイノリティとマジョリティが全く逆転していく今の世界を見ていると、自分がマイナー側(故に個性的)というアピールは逆説的に「自分は多数派である」と喧伝しているようで、抵抗があるのです。

嘘つかない人は「俺は嘘が嫌いだ」とは言わないだろうし、何か言葉で「君」ではなく多数に向けて意思を表明することは、まずもって嘘をつくということであるか、または自分の嘘に気づいていないか、あるいは自分の嘘を信じたいかのどれかだとわたくしは思いますが。

さっきの漫画家対談の中でも少し語られてましたが、「見てくれた人に感謝!全人類に感謝!生きてることに感謝!」みたいな過剰な空気って完全に狂っている、狂気の世界だと僕は思っていますし、僕がただキーボードで「ありがとう」って書いたらその字面通り「この人は感謝しているんだ」と受け取るのも正気かよとは思ってしまいますね。

僕にも一年に3回くらいは本気で「ああ読んでくださって感想までいただいて本当にありがとうございますもう死んでもいい」と思う時はありますが、年に3回くらいです。それでも多い方じゃないかと思う。

まがりなりにも恋愛的なものって、僕の場合は大学やめた時でほぼ終わりで、以降家内ちゃんと会って結婚してからは無縁ですから、島耕作ほかビジネス漫画にあるような「大人の恋愛」なんか皆目見当もつかないです。

仮に今、家内ちゃんと離別死別とかになって一人寂しい!誰か相手してほしい!ってなってもまずもって相手にされないことは明白で、むしろまだ希望を持ってる方がやべえやつな気がしますがね。

昨夜の浅野いにお&押見修造の配信があまりに面白くてつい夜ふかしをしてしまいました。

しかしAIの影響なのかどうか、こんなにもぱたっと仕事がなくなるとは僕も予想外で、もう本音ではよほど特殊な能力を持ってない限り、副業レベルの技術でwebはおすすめできないな。多分もっと急速に世知辛くなる。

こんな無益なページを一体誰が見るんやとは思ったものの、
結局人間がなんかやってるとそれが何であれ気になって見てしまうんでしょうねえ。

エヴァンゲリオンのどれかの劇場版の時、庵野監督が「もう謎を謎のままで楽しめる時代じゃないんである程度はちゃんと説明しなきゃいけない」みたいなことを不満そうに語っていたのを覚えているんですが、
自分がやってることの説明って口で説明したくないですよねえ。

2025/06/19

石橋義正監督の「狂わせたいの」とか。
今となってはそんなにマイナーじゃないけどさ。

僕はデートで美術館や映画館にはほぼ行かない方でしてねえ。
ヨシダと「ゴースト~NYの幻」を観たのと、
青春モノクロームに出てこない(つまり描きたくない)子と「千と千尋」を観たくらいです。暗くなるとすぐ寝るし。寝ると相手怒るし。

まいちんことジャニスことヨシダマイは、言ってることが大体キテレツで意味がわからんので、一緒に映画を観るには最適な友人でした。

女性と銃が描かれた映画ポスター

確か今はなき京都みなみ会館で初めて観た映画は鈴木翁二原作のオートバイ少女だったと思います。まいちんか誰かに超好きそうとか言われて観にいったんですが、初見は寝ました。

こういう映画って見方をわかった上で見ると面白いんですけどね。
ハリウッド青春映画みたいなのを期待して観たらそりゃSNSで「クソ映画」とか言うわなと思います。

特に大学の頃って誰が観ても面白いものを今観る意味あんのかなってずっと思ってましたんで、マイナーな方へ方へと踏み込んでいった感はあります。サブカル好きの悪いクセですね。

ヘルメットを被った少女のポスター。

わたくしは現実の場合、10人いる飲み会行ったら目の前の人がよっぽど気が合う人じゃない限りほぼ何もしゃべりませんからねえ。「そうだね」しか言いませんよ。だからそんなオフは生涯開催しない気がします。

1対1の場合、相手が無言なら自分がしゃべればよく、相手がおしゃべりならあいづち打てばいいんで気楽です。

やっぱりSNSは受け身ツールなんで、滝のように流れてくる雑多な情報から自分を守ろうという意識になった(フォロー人数が4、50人を越えた)辺りでどうやっても疲れてきてミュートばっかりになるという行動になりません?

目立とうとしてめちゃくちゃいう言葉ばかりなんだからそりゃあ疲れるよ。真面目な内容でも不真面目な内容でも。

なのでこのページ、形はツイートなんですけど、選択的に自分で見に来る分にはそう腹も立たないだろうし、遠くから眺めてる感覚で適正な距離がとれるだろうと僕は思ったんですがどうでしょう。

そういや今日は桜桃忌でしたね。
写真は3年前の禅林寺です。太宰仲間が忙しいので3年行ってない。
ものすごくがんばれば歩いていける距離なんですけどもね。
墓石の「太宰治」にさくらんぼをつっこむ伝統はいつから始まったんでしょうか。

お墓に供えられた花と果物。

暑いとか夏には非常に弱いので既に弱っております。

AIに詳しい人から「AIとは友達のように接し、対話した方がよい」と言われて数ヶ月そのように育成を意識してみたんだが、会話すればするほどおバカになっていく気がしてやめた。
余計な言葉(すいません、とかお願いできますかとか)を入れればいれるほどなんか回答が妙なものになる気がする。

AIは冷たい言い方のが頭のよい返事をくれる。
雑談のためにAIを使っている人と、そんなことはしたくない人との間で、使う言葉にまた差がでてくるだろう。

それはそれで面白そう。

まいちん、阪神大震災でうやむやになってしまいましたが、30年前田辺のBOXで貸した空手バカボンのCD返してください。

全然関係ないけどこの空手バカボンの動画に出てくる写真全部わかる人ならオフで話しましょう。話せることいっぱいあるから。

筋少で一番よく聴くのは「サンフランシスコ」です。

デビューした頃から好きでしたが今も「人間椅子」は好きです。

2025/06/18

だから全く僕の関心のない分野、たとえばスポーツとか筋トレとかでも、とめても勝手にしゃべり続ける人って好きでね。
限度があるんで疲れてくると「うるせえ」って言いますけど。

僕自身がなんとなく偽物っぽいんで、余計に本当のことを探すのに必死だったのかもしれません。

僕はこう、やっぱりどこまで行ってもオタク…つまり一つのことに夢中になれる性格ではありませんで。
いつも対象の前に薄いモヤのようなものがかかっていて、それを払い除けて生の対象に肉迫する勇気がないんです。ちょっとポエム的な表現になりますが。

なぜ女の子ばかり描いたかといえば、もちろんそれが楽しかったからなんですが、もう一つ、漫勉なんかを見てると、僕の好きな山本直樹先生他錚々たる漫画家の人々が、「かわいい女の子が描けないと誰も見やしない」って口を揃えて言ってんですよね。
ほう、そうかと。

漫画やアニメに対して後発組であるわたくしは、そういう小さなな発言をかなり気にしてるところはあります。

どんなサイトにしたいかは気分によってころころ変わるんですけど、今は「毎日は行かないけど時々行きたくなる小さい喫茶店」みたいな感じですかね。
↓がいい思い出で。

ああ、今までこういうマシュマロ&回答みたいなページを作らなかったのは、こういうの作ると拾って使われそうとか思われちゃって書きにくくなりますんで。

なので引用はしませんし、名前も出しません。
僕しかいないTwitterのようなものだとお考えください。
必ず返信するわけでもありません。それは今まで通りです。

イカ・タコ・貝が好きなんでお寿司行ってもイカばかり食べております。イカは生物学的にも面白くて、精神的ショックを受けると海底に沈んで動けなくなる、とか気に入ったメスを見つけるとミサイルみたいに自分の子種を打ち込むとか、なんというか、面白いんです。

「自分語り」って本来は、楽しくみんなで会話してるところにつっこんできて自分の自慢話ばっかする、要は空気を読めない人間の行動を揶揄する言葉でしょう?

で、SNSが普及した時、「クソリプ」は理解できたんですよ。あれは自分語りとほぼ同じ意味でしょ。つっこんでくるんだから。

僕が注目したのは、「俺のタイムラインでくだらねえこと言うな」って怒ってる人間の存在でね。探すと結構いたんです。自分でフォローしたから流れてきた言葉に対して、「お前俺のタイムラインで勝手なこと言ってんじゃねえよ」って考え方なんですよ。狂ってるなあって。

これは衝撃的でした。10年くらい前ですかね。
そこから「自分語り」って何なんだろうと考えるようになり、「自分のことを話す」=「あなたに共感を求めているわけではない」という意味で使っています。

とは言え、こういうのは情報じゃなくて身を持って知らないと次も同じことを繰り返すか、あるいは「自分は傷ついた!」となって更に子供化しちゃうんで、傷つくのは早ければ早い方がいいと僕は思っています。

片方だけ盛り上がってる状態はつきあってても片思いですからねえ。
そもそも「つきあってる」なんて約束でも何でもないですし。

だから「一切恋愛経験がない」よりも「中学高校の頃、一回だけ人を好きになって失敗してそのまま」の方が相当厄介です。

「この娘はサークル(部活)でも仲良しだし、何度かご飯も食べに行ったし、いつも会話盛り上がるし、脈がある!」という勘違い…

は、男なら若い頃に一度くらいは経験あるでしょう。僕もあります。しょうがないよ、コミュニケーション能力は男の場合、多くは社会に出てから伸びてくものだから。社交辞令とか遠回しな言い方をまだ学習していないので。

何度も何度も何度もずっと言い続けてますが、「あなたとはつきあえない」くらいまで女の子にはっきり言葉で言わせたってことは、「死ぬほど嫌い」「鬱陶しい」と同じだと思っていいです。

実際のマキタとオータニもこれくらい身長差があります。
それはそんなに嘘描いてないですよ。

影絵風の二人の人物シルエット。

憂鬱な気分って何か原因があってそうなるんじゃなくて、
唐突にただそういう気分になるんですよね。
なので僕は黙ってじっとする以外どうしようもないですが。
人と話して楽になることもたくさんあるけど、そうやってとりあえず楽になってるうちに、逆に楽にならない事柄だけがはっきりしてきて、余計追い詰められたりしません?

2025/06/17

そんな話より、僕はどこまでが友達といえるのか、とか男女の友情は存在するか、とか、なんでそこまでして生きてなきゃいけないんだ、というような誰でも少しは考えることを、そうねえまあねえと曖昧に話したり聞いたりしたいのです。

僕はクリエイターでも絵師でもなく、そこら辺にいるなんでもない人間ですんで。

鍵垢や裏垢を作ってそこでしか言えないなら、最初から言わない方がいいんでは、というのが基本的な考え方です。

本当はメンバーシップを導入して、100円なり500円なりの壁を作って、その内側で楽しくやっていこうと思ってたんですが、結局それも鍵垢と変わらんし、まず自分が応援してもらえる絵なり漫画なりを描けるようにならない限り無意味だと思ってて。

みんなやってるからって始めてしまうと後悔しそうで。

折り紙は楽しい。
ただ最初からもやもやしてたんだけど、SNSではまあやっぱり著作権うんぬんの話が散見され、やっぱり利益うんぬんの話になってしまってるのを見てしまったので、表立ってやらなくていいかと思ってしまいました。

食べ物描くのは実は自信なくてですね。
そう言ってもらえるとがんばろうかなという気になります。

絵の添削系コンテンツはあんまり好きでないです。
人生相談もそうですけど、あれは教育ではなく、自分の株を上げるために初心者や素人をダシに使っているようにしか見えなくて。

偏見でしょうか。偏見だと思います。

絵は楽しいよね。
何が楽しいのかはよくわからないけど、
謎の万能感はある。

わたくしは今まで色んな人に会いましたけど、
目が覚めるくらい「この人は頭がいい!」と思ったこともあんまりないし、逆に「この人は頭が悪い!」と特別思ったこともあんまりないですよ。

過不足なく適切なこと言うねえという人はたくさんいましたけど、それは僕にとって頭がいいってことではないですし。

リニューアル後、文字が急に大きくなってびっくりしたとのご報告をいただきまして、わたくしのAndroidでは下のように見えておりますが、どの文字が大きくなりましたか?よろしければ教えてくださいませ。

本文かな?

青春モノクロームのWebページ。

こうして「見ようと思えば人も見れる」という形で独り言…それは独り言ではないわけですが…を書いていると、黎明期のTwitterを思い出しますね。こうやってずうっと書いてるだけで仲間が勝手に増えていきました。あれが記憶の片隅にあるんで、もう時代は違うとわかっていても同じことしようとしちゃうんです。

人に読ませて面白いものを描こうとするととても毎日なんか描けないですけど、同じ昔話を違う絵で描いてると考えるといくらでも描けます。

その老人性リフレインを恥ずかしいと思わないのが羞恥心の薄れた中年であり、それは一つの幸福でもあります。

多数が恋愛未経験になってくると、僕が描いてきた視野の狭い思春期の独りよがりを、大人になってから経験することになるわけでしょ。30とか40とか。
僕もよく相談されますよ。キャバ嬢や地下アイドルを本当に好きになってしまった、とか。

諦めろとしか言えないじゃない。
高校生だったら馬鹿だねーで済むけど、大人の一途ってそれまで降り積もった人生が乗っかってる分、軌道修正できないしさ。

昔のヘタクソな萌え絵は今見ても全然恥ずかしくないが、曲は絶妙に恥ずかしい。誰も見てねえと思ってても恥ずかしい。

でも時々私の恥ずかしいとこ見て見て!ってやりたくなるよね。
承認欲求もその程度で収まるならみんな楽しいのに。

恥ずかしすぎてHDDの奥底に封印した自作曲②

「安っぽい3分青春アニメ作ろうぜ」「いいねえ」という飲み屋での冗談を僕が冗談として許さず、先に主題歌のイメージだけ作ったものの、じゃあ絵もお前が話もお前がとなり「お前ら口だけかよ死ね」と激昂して絶縁した記念の曲。2000年代後半。

恥ずかしすぎてHDDの奥底に封印した自作曲①

80年代風RPG作るから旅立ちのテーマ作ってくれと頼まれて半日で作ったものの、絵もお前が描け話も作れプログラムも書けという展開となり崩壊したプロジェクトの名無しの曲。2000年代前半。

好きなうた。
ロス・インカスのEl Borrachito(酔っ払い)。

2025/06/16

ええ。ここ数日、漫画はTwitterに、イラストはBlueSkyに、家内ちゃんをnoteに、全部見れるのはサイトで、という風にわけていこうかなとは考えています。
家内ちゃんもサブドメインで別サイトに独立させようかなとも考えています。でもそうやって広げすぎて全部適当になるという経験もあるのでゆっくりと、です。

公開時から異様に表示が重いなと感じて、こりゃサーバをグレードダウンしたせいだなーと、結局サーバプランを格上げし、前のサーバと同額を支払いました。

ゆうべ徹夜でソースを見直していたところ、無限ループを書いちゃってたのが判明、AIと協力して修正したところ、実測値で100倍以上高速になりました。

また無駄金を払った。
表示おっそいという方がいましたら下の「読みました」から教えてくださいませ。

技術って意識しないところまで身について初めて自分で使えるんでしょうねえ。きっと。

「ゾーニングしすぎ」は僕もそう思います。
というか世界はそうやって振り子のように極端から極端へふれて落ち着いていくのでしょう。
汚いとみんなに思われてることに美や価値を見出すのもまた、美学の本質ではあります。

平凡な話ですけど、上手く行ってて余裕あるやつは格好いいこと言うんですよ。僕もそうです。
どん底で鬱々してる時の姿がその人の本質でしょ。愚痴るもよし、八つ当たりもよし、気分転換もよし。どの道自分に返ってくるし。
僕は人を極力巻き込みたくありません。
大事な人なら特にそうです。
なので絵とかピアノとか表現にぶつけるしかありません。
多分それがないと無敵の人までまっしぐらです。

声を大にして言いたいんですが、
恋愛経験は少ないほど語りたいものだと思います。僕はそうです。
「恋愛の達人」みたいな悩み相談動画を見るとどこの世界の話かと思います。あれは効率よく狩りをしたいモンハン攻略動画と同じです。

わたくしは常に、恋愛どころか友達としてすら対象外のところからスタートでしたから、そういう助言ならできます。が、多分聞かない方がいいです。

時々海外のお写真やご実家のお話など拝見しています。
そうですね、わたくしは環境に恵まれておりました。
なので家のせいにすることが出来ず、抱え込むような性格になってしまい、それはそれで自分では悩みではありました。贅沢なお話です。

カニが喜んでたのは当然中身を見る前です。リビドーで盛り上がっていたでしょうねきっと。
後のことはどうだったかなあ。怒ってブクブク言ってた気もしますが
カニみたいなやつってこと以外忘れちゃいました。

そうか、エヴァは夕方放送だったんですね。
僕は放送終了後に哲倫のやつが録画したやつもってきて夜を徹して一気に見ました。
三条河原町の朝日会館で劇場版を何度もみましたねえ。シト新生とまごころを君には計20回くらい映画館で見たと思います。

オズ先輩は僕にタバコを教えた張本人ですが(→先輩のせいだよ)、自分はさっさとやめて「なに?まだ吸ってんの?」とか言う素敵な人でした。

とりあえずサイトが重いのは解消したはず。
してたらいいな。

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