「読みましたボタン」から送っていただいたメッセージに対して、独り言の形を借りてふわっと返信したりしなかったりします。
2025/07/11

取り憑かれたように意地悪になる自分と、なんとか社会に馴染もうとニコニコしてやり過ごそうとする自分と、まあ何もうまくは行ってませんよ。
ああいやだなあ。余裕のない自分はほんとうにいやです。

今朝ひどいこと書いてますね。
授業前でいらいらしていました。本当にごめんなさい。

アートは自己表現なので、更に商業ベースと折り合いをつけるのが難しく、実績がないと自分に関するストーリーを作らなきゃいけないですからねえ。伝説みたいなものとか。
人を戦略でプロモーションするのは好きですけど、自分を売ってくのは極端に苦手です。ここも戦略の場所にしたら息を抜ける場所なくなるしさ。

わたくしは趣味と仕事は完全な線引きをして10年くらい過ごしてきたわけですが、このところせっかくだからと欲が出てきたこともあり、webがかなり斜陽であることもあって、もうちょっとちゃんとやりたいなあと思い始めたばかりの段階です。
なのでまずアートじゃなくてイラストをやるんであれば、業界のことに詳しくならんといかんですしね。もちろん絵はまだまだ趣味というか下手くその域を出ないので、そこは努力するしかないわけですけど。

エンタメ分野のこういう仕事術的な配信は多くて、見てるとやっぱりプロ・アマや仕事と趣味の境界線があいまいな業界なんだなあと痛感します。これどれくらいの年齢層の人に向けてる配信なんですかね。キッズでしょうか。
ここから説明しないといけないんだと、一回バイトでもして外の世界を見てこいとは言いたくなるでしょうね。
わたくしたちが聞くと至極当たり前の話で、わたくしが授業で言ってることとほぼ一緒なんですが、これが厳しくて傷つくんだと生業にするのは無理なのではと思ったりします。
専門学校はふわっとした考え方を数年かけて諦めさせるところなので。

歳がいくつになっても「必要とされたい」って気持ちはなくならないんで、人間の生存本能なんでしょうねえ。
個人サイト同士でつながって仲良くなる、実はわたくしの最初の相手は家内ちゃんだったのです。
家内ちゃんとわたくしの個人サイトはやりたいことは全然違いましたが、世界に対してモヤモヤとしている点では共通していました。
そこに設置してあった掲示板でなれあうようになったのがヒカルです。
そんな思い出まで説明しなくていいんですが、今日も大学生くらいの男がしにたい女子中学生をそそのかして自殺させたとか、そんなニュースを朝から見ると、絶対だめだという義憤には駆られますよ。
義憤はたいていろくでもないですが、必要なこともまれにあります。

やっぱり昔ながらのメモ帳でぽちぽちHTMLを打って個人サイトを作るのは有効だと思うんですよねえ。まず
①セキュリティリスクが低くてのっとられる可能性が極めて低いこと、
②表示が速いこと、
③好き勝手できること(センスがなければセンスないサイトが出来てその方が楽しい)、
があります。
検索すれば作り方なんていっくらでも出てくるんですが、そういう講座やろうかなとは前から思ってて。難しくはないですよ。見栄えのいいものを作ろうとすると勉強が必要なだけ。
カウンター作ってキリ番とかやりたいよね。誰も見に来なくて虚しくなるのもまたいいでしょう。
でもまあ無償では講座はできないな。人にものを教えて報酬をもらっている立場なので。
わたくしはwebの最初の授業で必ずバーナーズ=リーが作成した「世界初のwebサイト」を紹介します。
SNSもそうですが、そろそろ原点回帰しないといろんな仕組みが破綻してる気がします.

>Fさんへ
ここは独り言で、このように名指しするのは今回限りですが、やっぱりこう、どうしても書いてあることが全部自分を指しているように見えているようなので名指しで書きますね。これ一回きりですよ。
Fさんへの回答は「質問に対する~」から「まああれですね~」までの3つで、以降は別のメッセージへの私の感想です。
伝わるかどうかわかりませんが、はっきりいいますと、
①どこまでが自分への返信なのか読解できない場合は、触れずに我慢してください。その我慢ができないことがトラブルの要因です。
②ご自分でもわかってると思いますが、あなたの文章の癖は、質問の形で書くと全ての文脈が「私は悪くない」という結論にしか読めず、それが恐らく人をイライラさせています。
質問形式・自問自答形式の文章はご自身のアカウント以外ではやめた方がいいです。
マシュマロなどの文化をいつも利用しているのであれば、そのノリをわたくしのサイトでは適用しないでください。わたくしはあの文化が嫌いです。
③深夜に盛り上がった状態で書くのはやめましょう。
この3つを聞くか聞かないかは自由ですが、わたくしとコミュニケーションをとりたいのであれば注意してもらえばよく、うるせえなと思うのであれば無視しても結構です。

今日と来週1回授業へ行けば夏休みです。
正直ほんとうに体がしんどくてもう寝たきりでいたいという気持ちもある。そうなるとおしまいですが。
全然関係ないですが、わたくしは合成音声動画(ずんだもんとかゆっくりとか)の声を聞いていると段々イライラするようになってしまったので、滑舌悪くて何を言ってるのかよくわからなくても人間がしゃべってる動画のが好きです。

わたくしは高いところ、スピードの出るもの、そして雷が三大大嫌いなものですので、窓の外がぴかぴかしている間は何があっても部屋から出ません。ゆえに本日は買い出しを中止し、ふりかけご飯でした。

多分アイドルとかVTuberのような1対他のコミュニケーション関係には、そういうかなり認知がずれている人が集うようで、辛口で売っているVTuberなんかはよくそういう認知のズレたマシュマロを取り上げて、断罪してコンテンツにしてますね、公開処刑みたいな形で。
犯罪学教室のかなえ先生とか。
今は、普通に思ったこと書いてるだけなのに何故か怒られたり嫌われたりする人も、投稿する前にchatGPTに添削してもらえばトラブルも減るのになあと思うんですが、
なぜだかそういう人に限って頑なにそういう使い方を拒否するんですよね。だから嫌われるんですけど。何が嫌なんでしょうか。
そう、こういうことなんですよ。何をしたいのか、どうして欲しいのかわからなくて不気味という。

日本語が恐ろしく下手なのか、自分のことしか考えられないのか、まあ色々ありますけど、現実ではじっくりつきあえても、ネットだとちょっとでもおかしいとフェードアウトになりますからねえ。
以前はそんな殺伐ともしてなかったと思うんですが、それはもう仕方ないことだろうと思います。
わたくしはあまり感じのよい人間ではない自分をよく知っておりますので、現実の方がうまくいきます。言葉以外の態度や表情でフォローできるから。

なんかこう…どうもつきあい辛い人っていうのはどこにでもいますが、どうしてこの人つきあい辛いのかなあと観察してると、結局わたくしとどうなりたいのかわかんない人の場合そう感じるなあと。
仲良くしたいのか、喧嘩したいのか、好かれたいのか嫌われたいのかよくわからない。お前は何がしたいんだっていうね。本人はなんか考えてるんでしょうけど、伝わってない以上無意味です。
ネットではめちゃくちゃな暴言を吐いておいて「返信ください」ってメールアドレス書いてきたりするんで、最初は理解できなかったんですが、要するにわたくしのことなどどうでもよく、誰でもいいからかまってもらいたいかわいそうな人なんだなということはわかりました。

まああれですね、自分が大して仲良くもない絵描きかなんかを◯◯先生!◯◯先生!と呼んで崇め奉っている様子に苛つく気持ちはわからんでもないです。
その裏にあるのはわたくしの場合は変なプライドだったりするんで、あーこりゃあかんわと反省するわけですが。

それはそれとして、わたくしは偉い方の先生ではなく、先に生まれたという意味での先生ですので、どう呼ばれようとどうでもいいですね。
そんなことすごい気にされる方が嫌なんで、だったら「先生と呼べ」と限定してやった方がお互い楽でよいです。
先生って名前で呼ぶより呼びやすいしね。卒業生もいきなりわたくしをハセガワさんと呼ぶのは抵抗がありますし。

質問に対する答えかどうかはわかりませんけど、こうした自分の言葉で何かを書く時、例えば漫画の話をする時に、「手塚治虫」と書くか「手塚治虫先生」と書くかで非常に悩みます。
故人の場合は全然気にしないで敬称略でいけるなと考えた時、先生をつけるのは結局わたくしの中ではリスペクトではなく、万一本人の目に入った時に失礼かしら、という、書いてみるとバカバカしい気を遣っているからなのでした。そんな遠い距離の人間にまで嫌われたくないんだなと。
有名人の方はそんなもん気にしてやしないのにねえ。
と自分に呆れることは多いです。

あの日の海。


あの日の空。

2025/07/10

わたくしそんなに悠々自適でお気楽な生活してるように見えますかね。
ギリギリですよ。ギリッギリ。
多分人から見えている以上にギリギリです。
ギリギリに追い詰められるとかえって腹は座るものですけども。

これから大きな流れとして、自分自身の成長だったり壊れた世界の立て直しだったり、そういうポジティブな側面がクローズアップされていくと思います。じゃないとさすがにマズイとみんな思い始めてるからさ。
そういうポジティブって始まりはいつも嘘ポジティブではありますが。
と、どういうことになるかというと、ますます今までなあなあで「まあいいよねえ」と言ってたことが許されなくなって、結果自尊心を各自が取り戻そうという方向に気持ちは動くんじゃないでしょうか。
予言で右往左往するのは変な漫画のせいじゃないでしょう。
それだけ不安だってことでしょうから。

つまんない世界だなあとは思う部分もありますが、
わたくしは早々に、自分のことさえ邪魔されないならあとのことはまあいいやみたいな方にはいけたので、まあ描くしかないですなあ。
本当にそれ以外なんとも助言できません。

ほぼ現実社会とSNSは今はイコールなんで、例えば「乳首を描きさえしなきゃ大丈夫だろう」みたいな基準はもう過去のものだし、互いに監視しあってミスを犯さないかとウォッチしあってるわけで、それでも言いたいことがあるかというと、別にない。
特に政治思想を語る人間をコミュニティに入れては絶対にいけないのだ。オフ会でしゃべるのはいいけどもね。まあそんなのわたくしとのオフ会でしゃべったら二度と呼びませんけど。

SNSで愚痴るくらいええやん、文句いうくらいええやん。
とわたくしも思うし、誰もやめろなんて言ってないわけで、好きにしたらいい。
フォロアーが減るとか嫌われるとかおかしな中年が突撃してくるとか、その辺が理由でやらないだけでしょう。
そりゃあもう、自分でその選択してるんだからその空気を変えたければ自分で声を張り上げるしかないわけです。
誰も聞きゃしませんけどね。聞いてくれないから愚痴るわけで。
わたくしは大分色々やってはみましたが、無理だったんでここで思いの丈を何の考えもなしに書いておるわけですが。

好きなことをやって誰にも文句を言わせないためには、やらないといけないことをやっておく必要がある。
というのは理想で、わたくしができてるかというと出来てない。
でもわたくしが生活できないレベルの稼ぎしかない状態で1銭にもならん絵を「自己表現」「人間らしさ」などと叫びながら描いていたら、頭に虫でもわいてるの?という話になる。
誰が考えてもなる。
しゃあない。やらんとしゃあない。
しかしそんな風に考えてやったことで上手くいくはずがない。

「景気がよくてみんな元気な時はアニメやイラストの絵の目も大きくなって元気がある、みんな元気がなくなってくると目が大きいと圧を感じるので小さめになっていく」という意見をみました。
そうかもしれないし、若干こじつけっぽい気もする。どうだろう。
アニメのアニメっぽさが3Dゲームなどの台頭によってよりリアル路線に近づいたんではという気がしてます。あとはまあ、見てる人間が歳食ったのもあるでしょう。
手塚治虫のカートゥーン的な絵が古くなって、リアルな劇画が台頭した時代の頃と近しい気がしないでもない。

他の人は知りませんけど、わたくしは絵や漫画については自我丸出しのが楽です。というか抑えたところで溢れ出てくるので考えても無意味です。
この自我って言葉もどうも最近の人と自分では違う意味を指して言ってるような気がして、話がずれてるような感じもあるんですが。

これ今更書くとうーんて思っちゃう人もいるかなと思うんで迷ったんですが、黙ってるのも卑怯な気がするんで書きますと、
読みましたボタンは匿名でも無記名でもなんでもメッセージは送れますが、自作自演の荒らし防止のため、名前を変えても同じユーザが投稿している場合はわかります。2chのID形式と同じで、IDが表に出ていないだけです。
なので別人が投稿しているように見せかけるのはあまり意味がありません。
大抵のコミュニケーションシステムにはこうしたなりすまし防止機能をつけてありますので、お気をつけください。

なんか思い出があったんだけど忘れてしまった。

「ブリキの太鼓」なつかしい。ギュンター・グラス。

普段虫も殺さないような善人の仮面をかぶろうとする人間ほど、その仮面を剥いだ時の中身は醜悪だったりする。古今東西の原則です。
その仮面から時々ふっと漏れてくるガスのような臭気を吸うと、自分まで同じ偽善の仮面を纏うことになる。
谷川俊太郎の「かくされた悪を注意深くこばむこと」はきっとこのことだとわたくしはいつも思います。

自分で配信するならのんびりしたAMラジオみたいなのがいいなあと今ふと思いました。10人くらいの人が聞いているような。

そうした著名人は腐っても著名人なので、基本揉め事は起こしません。
揉め事は30過ぎてまだメインMCをもらえない、知名度のない微妙な立ち位置の女性タレント同士で起きます。わたくしも大学生のくせにそういう話に首をつっこみたがり、双方から悪口を聞き出したりするのが得意でしてねえ。聞いて後悔する内容ばかりでした。顔は美人なのになあと。
顔が残念だと大体ラジオ担当になっちゃったりするんですよね。
今ではそんなことないかもしれませんが90年代です。その辺は現実でした。
まーわたくしはああした世界はあの季節だけで十分です。
あ、一番話す技術がすごいなあと思ったのは、関東の人は知らないと思いますがタージンです。タージンさんは何しろすごかったです。

これも多分Twitterでは書いたことない気がしますが、印象に残ってるのはパープルサンガ設立の記者会見でインタビューしたラモス。サッカー野球に全く関心のないわたくしは「キリストだ」という感想を抱きました。それしか覚えてなくてなんて失礼なスタッフだろうと。
あと2018年になくなった女優の江波杏子さんですかねえ。京都南座での講演のインタビューでした。当時50代くらいでしたか。
なんて格好いい人なんだろうとうっかりキュー出すのを忘れたくらいでした。

ネットのおかげで、昔見た昭和のCM、昭和のアニメ、昭和の歌、昭和のゲームなどはだいたい集め終わってまして、もうそういうのを求めてネットを探すということはあまりないです。
ただ、わたくしが主に平日担当していた番組は、AMの午後に毎日流れていた長時間の生放送番組だったため、どんなに探してもネット上に録音が存在しません。
かなりの頻度で「スタジオの現役同大生・ハセガワくん」というそのままの状態で番組キャスターにいじられ、番組に登場しておりましたんで、その録音がどっかから出てこないかなあと言うのが最後の望みです。
まあないね。
インドをうろうろしてた時は電話で番組に登場したりもしたんで、その時の放送聞いてみたいんですよねえ。何しゃべったかは忘れました。
わたくしがやめた後は妹に引き継いだんで、「同志社大のハセガワくんの後を継いだスタッフ・立命館のハセガワちゃんです」みたいなことになっておりました。

芸能人とかもそうですね。わたくしはテレビ局でバイトしておりましたので、雑用係的な立場で色々な芸能人の方を見ました。
ものすごく丁寧で腰が低くて礼儀正しかったのは、ブルーハーツが解散してハイロウズを結成した直後のあのお二人です。
ありゃあ誰でもファンなるわと思いました。わたくしもなりました。
逆になんかどうも感じ悪いなあと思ったのが、NHKでその辺の人のおうちに上がりこむバラエティなどをやっていた人です。テレビではいい人で売ってましたがね。
東京へ行く前の雨上がりとかも担当していました。ノーコメントということにしておきます。初めて言った気がする。
わたくしはそもそも芸能人著名人にまるで興味がないので、中継スタッフとして京都の尺八奏者の人間国宝にインタビューしたり、一般人が入れない国宝の建物に入れたり、レポーターが食レポした後の残った食事を全部食べていい係だったり、そういうことが大変いい思い出として残っております。

多分セクハラが一番少ないのは成人向けの何かを作ったりしてるところだと思いますよ。AVの制作現場とかTEN○Aとか。
TE○GAについては知り合いがいるので話を聞いたことありますが、女性社員に一言でもセクハラまがいの冗談言ったら即刻飛ばされて訴訟らしいです。当たり前ですね。普通の企業よりも相当厳しい基準のようでした。
かなり前にアキバにあるアダルトゲームの会社に仕事で行った時も、しーんと張り詰めた空気の中、グラフィッカーの女性絵師が黙々とドエロシーンを描きつつ、収録した声優さんの喘ぎ声をテストする大音量が響き渡っていて、まだ若かった私は大変居心地が悪かったです。
—
同人関係で、わたくしが挨拶した中で最も丁寧でできた人格だと感じた方は、ちっちゃな子がおもらしする様子だけを何十年もえんえんと描写されている方でしたので、扱っている内容が尖っているほど、普段の行いはまっとうになるんだと思いました。
そう考えると、正しい人間であることを求められる職業、その代表が教師ですから、一部の教師の性癖が歪むのはわかる気もします。
2025/07/9

旧一覧ページと新トップページ、どちらが読まれてるかは正直よくわからないです。サイトが重くなるのがいやで、正確な解析ツールは入れてないので。
単純なPVで見ると旧一覧は新トップの3分の1くらいですかね。
絵じゃなくてわたくし自身に関心がある人(もしくは構って欲しい人)は旧一覧みたいな方がいいんですよ。ブログみたいに読めて人間性が強調されるんで。
ただわたくしに興味持つ人などほぼおらんわけで、ヌードがみたければヌード絵の一覧がすぐ探せないとだめなわけです。
また、実はトップページはあまり意味はありません。
検索でトップページを見たいって人あんまりいないでしょ。
探してるもののページに飛ぶんで。

はやく冬にならんかな。冬ももうあんまり寒くないけど。
わたくし夏は暑い暑いばかり言ってセイウチみたいになってるから嫌われるんですよね。動かないし。
冬に恋愛話が多いのは、体温がえらく高くて冷え性が多い女子全般と相性がいいからです。

本日も授業です。行く前からくたびれてちゃいかんよねえ。
わたくしはエナジードリンクとか栄養剤が好きでないので全く飲みません。
昔一回だけえらい高いユンケルを買ったことありますが、別になにも起きなかったです。
そういや昔はリタリンが割とすぐ処方されて手に入りましたよね。
完全にリタリン漬けになってた人は今どうしてるんでしょうか。

だらだら読める一覧ページのページタイトルに1ページ目へのリンクを追加しました。何ページか読んだ後で一覧トップに戻るためのリンクです。

さみだれちゃんはまっすぐしてられないのでいつもぐにゃぐにゃしていました。くすぐったら反応するかなと思ったんですが、やっぱりぐにゃぐにゃしているだけでした。
散歩していてもすぐその辺でぐにゃぐにゃと座りこんでしまうので、ずっと手を繋いでいないとそこら辺に忘れてきてしまいそうでした。
色んな人がいるなあと思います。
しゃべらない人は、しゃべらなくていいと思います。


写真部加藤が部下の女子部員に命じて、演劇部の楽屋に忍び込んで撮ってきたものを、わたくしが金を払って購入した写真です。1992年。
わたくしは加藤をゲスだと罵りながら、写真を購入します。
バカという者がバカ、ゲスと言う者がゲスです。
加藤もわたくしもゲスです。
マキタはすごくちっこいので時々空き箱に隠れていたりします。
楽屋でも同じことやってんのかあと思いました。
女子の楽屋きったねえなとドキドキしたりもしました。
モザイクはかけていますが、マキタに見えますか。


実家にある茶室にはwifiも携帯も電波が届きません。
四方を畑で囲まれているので物音もしません。
物音がしないと炭の音、茶釜の湯がしゅんしゅん言う音だけがよく聞こえます。
わたくしは母から作法を習わなかったので、茶道については美術史的な話以外は無知ですが、お茶を点ててもらってそれを飲むだけなら作法も関係ないです。
写真の茶碗はとてもいい茶碗です。
でも目が飛び出るほど高価なものではありません。何千円ってわけじゃないけれど。いい茶碗は撫でたくなる茶碗です。
高校生の毎日がうろんな日々、時々そんな夜を過ごしました。
時々ヨシダを呼んでわたくしが適当にお茶を入れる時もありました。
これがわたくしの中の喫茶です。
喫茶は二人で話したり黙ったりすることです。

2025/07/8

わたくしは頭をからっぽにしたいと思うほど日頃から頭を使っておりません。
なので頭をからっぽにして何をみたいのかもよくわかりません。

それでも「学生がネットで集客して生活できるレベルの稼ぎを得られる」可能性は限りなく低く、フォロアー数が何万人とかでもほぼ関係ありません。
なのでちょっと頭のいい学生…大体頭がいいのはギャルです…は我慢して課題に真面目に取り組みはじめます。目的があるからです。
わたくしの絵は目的がないので自己満足です。
自己満足にお金を出す人がいるとすれば、わたくしが誰もが認める天才だった時だけで、そうではないので商売にはしていません。
これは家が商売やっているとか、高校生の頃どれだけバイトしたかとか、そういうことが関係してきます。
わたくしはよく「青春をサボったな」という言い方をします。
やらなくてもなんとなく人間て生きていけるものですんで。
それもいいでしょう。わたくしの時代にも「だめ連」というニート礼賛みたいな人たちが一生懸命そんなこと言っていました。
しかしサボったものはいずれそのツケを払わねばなりません。
それが病気なのか、自殺なのか、犯罪なのかはわたくしにはわかりません。

わたくしの話を授業ですると、「俺私も先生みたいに一人で気楽に自宅でできる仕事をやっていきたい。好きなものを作りたい。」と必ず言ってくる学生がいます。
否定はしません。
でも「今すぐ先生と全く同じことができればやっていけるよ」といいます。大体はおとなしくなります。
わたくしにそういう質問をしている時点で多分無理です。
なぜなら、可能性のある学生は既に絵なりデザインなりをネット上で集客して小銭に変えており、わたくしに対する質問は
「このサイトがうまく行かないんですが何が原因ですか」
という答えやすい質問を投げてくるからです。

わたくしが何でもいいから何かの天才だったらいいのになーと思ったことはありますが、そうでないことは中学生くらいでわかりました。
何のセンスがないかと言えば、ちゃんと「普通の人のように」生活するというセンスがない。
こだわりもあんまりなくて、どうでもええやんと思っている。
基本的に世の中を舐めているのです。
でもねえ、ずうっとずうっといつだって何かやりたいんですよ。
ね。高校生みたいな感覚だなあと自分でも思ってるんですが、
それでここまで来れちゃったんでねえ。
わたくしがおきもちを述べるたびに周りの人間はさあっと引いていきます。それは学生の間ずうっとそうでしたし、今もそうです。
50を過ぎた機会に、もう好きなようにやってもいいかなあと思い始めています。

絵は描けば描くほどそうしたコンプライアンスの呪いから開放されて魂が浄化されるんで、いっくらでも描けます。
という前提があるんで、素人の自己満足ですよーという姿勢を変えたくなかったんですよね。
商売商売みたいなの、やっぱりあんまり好きじゃないんですよ。
ただそれは、自分の本業が他にあるという甘えでもあるよなとは思っていました。

わたくしの本業は一応デザイナーであり、系統としては主に学校・病院・大企業のサイト制作やその上流工程の策定・設計・実装を一人で全部やるというフロントエンジニアでもあります。
エンタメとは全く無関係で、非常にコンプライアンスの厳しい世界です。じゃないと食ってけんしな。そのへんの個人飲食店のサイトとロゴとメニュー作るとかだけではね。そういう仕事もしますけど。
ただ、エンタメの世界と違って、秘密保持契約によってわたくしがどのサイトを作成したと名前を出せないんで、口コミとか人づてて「ハセガワさんは信用できる」と紹介されないと一つも仕事は回ってこないんです。
なので堅苦しいまでに信用や信頼にこだわるのは生きていくため、仕方ありません。信用をなくすことをすれば一発でおしまいです。
味方いないので。それがフリーランスという立場です。
お金を払う側がこの社会では絶対に偉いのです。
正しいかどうかは知りませんが。

今まで「とにかくネットでお金に絡むのがいやだ」というのを頑なに厳守してきたんですが(個人間の仕事依頼はもうほんとにトラブルになるばかりだったんで)、
もうそうも言ってられなくなってきました。(とか言ってるとまたどさっと仕事が来たりするんですけどね)
「今風のイラストの描き方のテクニック」も取得したくなってきて、神絵師のオンラインスクールを受講しようとも考えてたり、
SNSの別アカは絶対作らないというルールも覆し、二次創作専用のアカウントを作ろうとも思ってます。1アカウントですべての自分を見せたいというわたくしの考え方が間違ってるとは思っていませんが、やれることは何でもやらんといかんなと思っています。
なんか俄然やる気がでてきました。
それもこれも、試しにちょろっとnoteで2話分だけ描いた家内ちゃん漫画に、全然宣伝してもないのに投げ銭を投げてくれた何人かの素敵なあなたのおかげです。
わたくしは本当に感謝しています。

わたくしは日本史も世界史もやりましたが、メインは世界史でした。
世界史にゴロ覚えってあったっけ。ひとつも思い出せない。

7月×7日=(昭和)49(年)
は一回しか聞いてないのに異常な覚えやすさです。
「いいくにつくろう」とか「なくようぐいす」レベルです。
なくようぐいすだって平城京か平安京か肝心なところは忘れがちで「なくようぐいす」の語感が素晴らし過ぎるわけですねえ。
「なんと立派な平城京」も一緒に覚えてると間違わないけどさ。
あなたのお友達の「8(月)×2=16(日)」
のゴロの中の「2」ってどっから出て来たんですか?

というような、時代に対する自己主張と自分のやりたいことを混ぜて、うまーく漫画にしてるのが沙村広明の「波よ聞いてくれ」だと思ってましてね。エンタメより主張の方が大きく感じる場面もありますが。
画面の雰囲気や美大で基礎をやった人特有の描き方の感じは先輩の冬目景と似てるんですが、だからこそやっぱり男女の作家性って大分違うなあと思ったりします。
冬目景漫画も、もじゃもじゃ考えて対話する内向的な場面が多々登場しますが、主張じゃないんですよね。もっと引いて母親みたいな視点で登場人物たちが悩んでいるのを作者が眺めてる感じがする。
わたくしはどちらも好きです。
沙村広明的夜もあれば、冬目景的夜もあります。

2025/07/7

自分の話をすることが自分語りとして揶揄され続けた結果、本来はまず自己紹介、自分の話をしてからそれに対して質問を相手にするのが通常のコミュニケーションだったはずが、なんの前提もなしでいきなり質問だけぶつける感じになったでしょ。
あれは「人気者←→ファン」という構造前提の話で、人間関係としてはいびつに見えますねえ。
上下関係というか、身分制ですよね。王と家臣みたいな。
だから王じゃない人間がお題募集とかマシュマロとかやってもはたから見ると痛々しいでしょ。
なんでやっぱり最終的にそういうタイプのオタクとは話が噛み合わんわけですよ。
カルトの信者と話が噛み合わないとの同じです。
対等って意外と人間は嫌うんですよね。
だから人気者本人と直接関わるのはいやだけど、ファンとして絶対者に隷属する、という建前そのものに安心するわけです。
承認欲求という言葉ばかりが取り上げられますが、カビの生えたマズロー理論で言えばその前段階の帰属欲求というやつでしょう。
承認欲求の話は、その前の帰属欲求の話から始めないと時間の無駄だといつも思うんですが。

恋愛の話を聞いてると、その話が面白いかどうかでなくて、話してる人がどういう風に恋愛、ひいては人間を見ているかが端的にわかるから好きなんですよ。
みなさんがわたくしの恋バナなどどうでもいいように、自分と相手以外の人間にとっては酒のツマミ程度の意味しかもたないのが恋愛であって、だからこそ自分にとっての価値が高いわけじゃないですか。
だからストーリーやオチを作る必要はなく、時系列もどっちが悪いとかもどうでもいいから、ただただ自分語り、自分の話を聞かせてくれと言っているのです。
わたくしのマンガもそうなっているでしょう?

「友達がいない」とわたくしに言う人には2タイプあって、
1つは「友達」を重い概念として考えているひと。わたくしもこれに入ると思います。慎重派とも言える。
大体一生つきあえる友達なんて1人いたら相当大したもんで、そんなにいやしないですよ。自分が変わらなきゃいけないタイミングで自然に合わなくなりますし。
こういう人は友達がいないことを深くは悩んでないので、どういうのが友達かというラインの話をすると盛り上がります。
2つ目は周りにどんなに構ってもらっても、どうしても自分を「友達がいないかわいそうなぼっち」にキャラ付けしたい人ですね。
これは会った瞬間特有のクセや匂いがあるのですぐわかります。
そういう自分の性格に本気で悩んでいる場合は一回突き放してみて、それでもしつこく追ってくるようならその話につきあいます。まあそんな強靭な子めったにいませんけどね。いることはいます。
そうでない場合は痛い目に遭うまでほっとくしかないでしょう。

挫折なんてしなくて済むならしなくていいんでしょうけどね。
でも大抵面白い人って失敗話も面白いんで、失敗談が自慢話に聞こえたり、なんか常に底しれぬ呪詛がこめられてる感じのする人って、挫折したことがないか、立ち直れなかった人なんじゃないかしら。
とわたくしは思いますが。

謙虚かあ。
謙虚って多分成功した人しか身につかない概念なんじゃないですかね。
いつまでも何者かになろうとしてもがいてるだけのワナビーだと、謙虚というか卑屈にしかならないと思うんで。もちろんわたくし然り。
「なんかちょろっと成功する」
↓
「調子に乗って全部なくす」
↓
「荒れて全て人のせいにする」
ここからじゃないですか。謙虚が生まれてくるのって。
この最後の後の分岐で謙虚方向に行くかそのまんま死ぬかに別れると思いますけど。

だから友達という概念について、今またああでもないこうでもないとどうでもいいことを考えたりするのは、まだ友達を作ろうとしているからでね。
自分でもめんどくさい考え方だなあとは思いますが。

ただ以前の漫画に比べて使う言葉が軟化したのは、もちろん時代の空気もあるし、誹謗中傷で嫌な気分になるのはもう嫌というのもありますが、
それ以上に、病名や障害を巨大な盾にしてコミュニケーションしようとする空気が蔓延してしまったので、もうそれでは時間をかけても対等な関係を築くことは無理なんですよね。
例えばうつ病の人に直接腹を立てたりできないじゃないですか。
だからまず自分もうつ病になるしかないと悩んでしまったりね。
どう見ても甘えてんなとわたくしが感じたとしても、お前甘えてんなって返信できます?できないなあ。だってよく知らないんだもの。
学生の頃はばんばん言ってましたけどね。自分も傷つくのを覚悟で。でももうそんな関係は作れないのです。

ただわたくしは悩むのが趣味なんで、いつも何かに引っかかって立ち止まっている自分が好きなんですよね。
めんどくせえな自分で解決しろ、と切り捨てて生きていくこともできるわけですが、それじゃああんまりおもしろくないので。

何度も言ってきたことですが、すでに成人した人間に送るアドバイスって基本なくてですね。
成人っていったって19と20(17と18)なんて一緒なんですけど、自分の中では一緒でも、人はそれを許してはくれんということですよ。
30でも40でも50でも悩みが尽きることはないんですが、
まあ誰も助けてはくれませんし、困ったら助けてもらえるように自分で動かなくてはならないんで。
わたくしはこうやって絵で自己表現をしたり、情緒が乱高下した時にそれをそのまま言葉に書くことで自分で自分の安定を図っているわけです。よわよわなわたくしを承認して欲しいわけではない。

かかげ先生という辛口めの添削配信を色々見たことで、正論に偽悪のキャラクターをかぶせて発信するのは大事だなあと思いました。
わたくしも段々加齢が進んで、もう疲れたしみんなでなかよくやってこみたいな日和った気持ちになりつつあったんです。
が、やっぱり現実は常に現実でしかなく、10代から20代前半のうちに大人が本気でその天狗の鼻をへし折ってやらない限り、永久に「言うことは立派だが何にもやってない自分を見たくなくて逃げ続ける」という、誰にも相手にされない甘えにハマって抜け出せなくなるのは明らかで。

またサイトをいじることが増えるんで、アクセスする時間帯によってはめちゃくちゃになってることもありますが、そのうち直ります。

だから余計に「これしかできない」という職人気質に強い憧れがあるわけなんですけどね。
でもなんか「これしかできないって人が好き」って言うと見下してるみたいにとられることもあって、「お前はなんでもできるって言いたいのか!」みたいになるんで、言葉って難しいなあと思います。

めちゃくちゃ今更の話で恐縮ですが、やっぱりわたくしのように雑多な方向にアンテナが向きすぎていて、あれもこれもとやりたがる人間の作ってるものは何がしたいのか伝わりにくいですね。
昔っから一つの分野に集中してそれを頑張るというのがどうしても苦手でですね。興味があっちこっち散りすぎてて自分でも何やってんのかわかりません。

正確に漫画を描くには制服の種類も調べないといけないし、うちの制服は本当に地味だったんでなんかちゃんとデザインした方がいいんだろうなと思うんですけどね。
逆に全員まったく同じ服装だったから、より中身を見ていたということもあるかもしれません。リボンや髪留めの色・形状・長さ、靴下や靴まで何もかも同じでした。
何も考えなくていいので楽は楽でしたが、例えばうっかりやぶれたりして仕方なく私服のシャツで登校すると異様に目立って、それはそれで嫌だったかも。

「ブラウス」って言われてもどんな形の服なのかわからなかったりします。「カットソー」もさっぱり想像がつきません。電動ノコギリが頭に浮かびます。調べりゃいいし、何度か調べたんだけど、興味がないからなのか全然覚えられません。
男子は「カッター」と言いました。Yシャツとなんか違うのかな。
カッターとブラウスも同じようなもんに見えるんですが違うんですかね。
恐ろしいほど無知です。

わたくしは絵とか漫画は自分の素の全てをつっこんで作るものだと思っておるため、「リスナーさんのため」「読者のため」みたいな感じを全面に押し出してる感じはあんまり好きじゃないですなあ。
まあ「クリエイターは偉いんだ!」みたいなのよりはよほどいいですけど。
2025/07/6

「先生しにたくなったらLINEしていいですか。すっごいつまんない内容だけど送ってもいいですか。」
って言われるとだめだって言いにくい。
ただ現状、在校生に対してそれはできないと線引きをしている。
あとから来た若いイケイケの先生は気にせず交流したりもしている。
何が正しいかはわからないが、わたくしは卒業するまではだめだという態度でいる。だから卒業生はしにたくなるとしにたいですというLINEばかり送ってくる。
たまにはしにたいではない話が聞きたい。

小学生6年生の時にこのCMを見て、面白かったから次の日学校でモノマネをしてみたところ、女子が大騒ぎして学級会にかけられ、謝罪に追い込まれましてね。学級委員だと言うのに。
わたくしは春に目覚めるのが非常に遅くてね。ミジンコばかり見てたんで。だからなぜ断罪されるのか本当にその時はわからなかったんです。
何怒っとんねん説明せえやと女子に言ったら更に加熱して収集がつかなくなりました。
あれが炎上というなら炎上でしょうなあ。

青春モノクロームはアクセスが0になっても多分腐らずに続けられそうな気がしますが、仕事はそれでは食っていけませんのでねえ。
がんばらんといかんですね。

世間の空気も教師の負担が増えすぎて崩壊みたいな空気になってますし、その影響もあって先生全体がとにかく面倒なやつは知らんという感じに傾きつつあり、わたくしがやってること…一人一人と深く話したりとか…は非推奨どころか懲罰対象にもなり得ます。
これからは技術では食ってけなくなるので自分の中に哲学が必要なんですがそれは教わって身につくものではないですしね。
わたくしだけ頑張っても無意味なんですけど、
無意味だと思うとやりたくなっちゃうんでねえ。
無意味どころか有害でしょうね。他の先生にとっては。
でも正直なーんにも変わりませんでした。
独り相撲にくたびれてしまった感はあります。

というのは基本女子学生の話で、男子がんばれ!男子がんばれ!とここ10年くらい言い続けてますが、これはもうはっきりヤバいレベルです。
世間の空気もありますが、さすがに男子株が下がり過ぎている現状はかわいそうです。これ以上やると分断じゃなくて戦争になりそうで不安です。
冗談じゃなくてほんとに無反応な男子生徒って増えてましてね。怒ってるとかつまんないとか授業がわからないとかじゃないんです。
ぽかんとしているのです。ゲームが好きとかアニメが好きとかそういうのもなくってね。
正直これはもう医療の分野なのではと思うこともあります。

ネットでは恋愛きょうみなーい、彼氏も彼女もめんどうでいらなーい、なんて言ってても、学生にしつこく聞いてると何がしか出てくるんで、大体はみな嘘つきだとわたくしは思っています。
人と違ったことしてうっかり目立っちゃうのが嫌なだけなんだよね。
むしろ聞いてないのに何もかも全部しゃべっちゃう学生のが色んな疑いがあるんで、注意して見ることが多いです。
敬語とか挨拶とかはものすごいちゃんとしてますよ。
考え方もコロナが直撃したかわいそうな世代に比べると、その反動でめちゃくちゃしっかりしてる子も増えました。
ただその分、しっかりしてない子との差がありすぎて授業でカバーすることは不可能なレベルです。

わたくしとしては何かしら趣味を楽しんでやるのは最高の時代だとは思いますよ。金はかからないし始め方はどんなマイナー分野でも誰かが解説動画作ってるし、資料買わなくても探せばネットにあるし。
中学か高校か忘れましたけど、リキテックス(という絵の具)の参考資料に下の菊池道隆の画集がほしいなと思って、近所の耳の遠いばあさんの本屋で注文したらいつまで経っても来やしませんでしたよ。
なんにも手に入りませんでした。初めて名古屋の大きな書店に行った時、興奮しすぎて丸一日いたの覚えてます。岩波文庫だけで壁一面ある!ってね。


それはそれとして女の子をかわいくかけないと、初手の時点で全く顧みられないんで、そこはまあ地道にやるしかないですよねえ。
やってはいるんですけど、まあなかなか。

男同士の友人関係は基本的に傷つけ合いません。
言わなくても大体わかってるからね。どの辺が言われたくないか。
あとあんまり男同士だと人の話は聞いてないです。言いたいだけなんで。
だから楽で群れるわけでしょ。そういう意味では男同士でも女同士でも対して変わらんかもしれない。
そこは自覚して線を引かないとなあなあなだけになっちゃう。

まあでも考え方が極端で飛躍しすぎてる、という話はノムラ先生に始まって、仲良くなった誰にも言われたことですから、そりゃあもう治せないんじゃないかなあ。
だから学生の頃はオズ先輩のような、人をちゃんと見ている人を必要として探していましたし、結婚する頃は逆にいちいちわたくしの態度で右往左往しない人を求めていました。
恋愛自体が好きだったかと言われると、何か違う気がします。
自分がどんな季節にあるかで必要とする人間は変わっていきます。
だからつきあったり別れたりするわけでね。友達も恋人も。
別れるという経験は必要だというわたくしの気持ちに変化はありません。

「あなたの時代は人と人との距離が近かったからでしょ」ってメッセージが来ると、伝え方間違ったなあゴメンナサイといつも思います。
学生の頃も今も、わたくしの人に対する接し方や距離ってほとんど一緒なんで、時代はあんまり関係ないかな。
例えば死にたい人がいたとして、「死にたいなら死んでもいい」って言葉があるとするじゃないですか。
そう言う必要がある場面があったとして、言えるのは本当に死んでしまわないよう、そばで見ててあげられる時だけですよね。
言葉だけ送りつけたらどう解釈するかわからないですから。
そばにいればわたくしが本当に死んでもいいという意味で言ってないことは伝わります。
わたくしはいつもね、弱い人と話してると「君は冷たいなあ」って言います。弱い自分を人に肯定して欲しいうちは、人に優しくすることなんて出来ないとわたくしは思っています。

「あの頃は楽しかったね」って気分も多少はあるんですけど、わたくしが伝えたいのはそういうことではなく、どうやって自分と対話をし、どうやって自分を確立していくか、という部分でした。
でも今ここで書いてるようなことをツイートしたとて、って感じじゃないですか。あーなんかおっさんがまたなにかと戦っとるわってなるでしょ。
漫画やイラストなら…と最初に思ったって部分はあります。
単純に生徒が紹介してくれたアニメが面白かったってのもありますけど。

石膏デッサンとかクロッキーとかやってる時に「いいとこ一つもねえな」って講評で言われたのいまだに覚えててさ。ぐううってなるんですけど、それは言葉に傷ついたんではなく、その通りって内心自分でも思ってたからぐううう…ってなったわけでね。
そんなのもう30年以上も前の話ですけど、でもやっぱり必要だったとは思うよ。技術的な話は置いておいて、そういうの繰り返さないと自分が本当は何を思ってるかって気付けないから。

ほんとうにとめどなく言いたいことが出てくるな。
今までどんだけ溜めてたんだろうとちょっと自分でも引き気味ではあります。

わたくしはいつまでも迷ったり踏み切れなかったり同じところをぐるぐると回ってしまう、そうしたモラトリアムを苦しい期間ながらも必要だったと感じてしまっているため、そうした猶予期間を若い人たちに与えてあげられない状態にしてしまった世代として大変責任を感じている。
モラトリアムをもう少し与えてあげることが出来ていれば、なんでもかんでも人と違う精神状態に病名をつけて安易にラベリングするような拙速な考え方にはならなかったんじゃないかとも思ってて。ちょっと飛躍しすぎだけどさ。
たくさん話したいことがある。
聞いて欲しいというより、ただ話したいことがある。
面白いことを言いたい時もある。
面白くないことを言いたい時もある。
黙りたい時もある。
詩のように書きたい時もある。
新聞記事のように書きたい時もある。
人の心を動かすように書きたい時もある。
みんなそうじゃないのかね?
わたくしには目的がない。
目的や目標に縛られない限り、わたくしは自分自身に制限をかけずに済む。
わがままでいたいってことなんだと思う。
なるべく、ひっそりと。

高校の世界史を多少かじれば、なぜ中国がそういった現世肯定の利益追求主義なのかは簡単にわかる。勉強に意味がないなんてことはない。
そりゃあ、四方八方に荒くれ民族がいて、外敵の侵入と暴力による政府の転覆をえんえんと何千年も繰り返してきた国家に「いつかは幸せになれる」なんてのほほんとした考え方が生まれるわけがない。
貧乏になってくるとどうしても目先の利益に走る考え方が優勢になってくる。また精神論が前回の戦争を引き起こしたことを考えると過度な精神論・精神性にアレルギーを持つことも理解できる。
が、極端なプラグマティズム、実利主義が蔓延していくことに賛同はできない。
わたくしは政治経済を含む広範囲に及ぶ話題を話すのが好きでないため、ちゃんと人に話したことは一度もないのだけれど、だからと言って目を背けてきたわけではない。民族的な偏見は無知と同義なので、自分が無知であるという自覚があるなら黙っている方が誠実だと考えている。
それは卑怯とは違う。

わたくしは書道をやっていたので、中華思想や文化に学ぶべきところは多いと思っていますし、留学生と文化的な交流をするのも楽しいんですが、一方で
「事実はどうでもよく謝った方の負け」
「今が楽しいことだけに意味があり、後のことは考えるだけ無駄」
「もっとも効率的な方法で最大の利益を得ることだけが正義」
こうした徹底したプラグマティズムと、元々日本に根付いている事実より道徳や精神性を重んじる考え方は水と油なのだと思う。
上の考え方はちょっと話したくらいでは気づきにくいが、留学生と長く話しているとあちらこちらに見え隠れする。悪いと思っていないことを悪いと指摘したところで首を傾げるだけだ。
でももう中国の留学生と話すこともほぼなくなった。
なぜなら今来る留学生はほとんど日本語を話せないからだ。

わたくしが二次創作とかやってる頃は、まだ韓国や中国の絵描きはうまいけど全然かわいくないなーなんか違うなーって感じでしたけど、もはや日本人の若い子がこぞって見てる数万円の有料イラスト講座はみんな韓国・中国系絵描きじゃないですか。自動翻訳・音声合成配信で。商売も実にうまい。
PIXVも途中から段々中国系で占められていった。
国がばんばんお金出して超一級の美大生をイラスト方面に誘導し、なんでもいいから日本の技術に追いついて追い越せと厳命した国と、なんたらジャパンとか名前だけで結局「絵なんて所詮道楽」という意識が払拭できなかった国との違いがこの10年だと思う。わたくしはずっとそう見ていた。
流行りのイラストを見てて、技術力は高いけどどうしてみんななんか同じような着地点、プロ同士でないと気付かないような技術論のみに終始するようになったのはなぜだろうと考えると、一番大きいのは上記のような点だとわたくしは思っている。
と書くと嫌中嫌韓みたいな差別的な考え方に見えるけど、ゲームやアニメなんか実際そうじゃないですか。
7、8年前の留学生たちは(大体中国の留学生は自国が嫌いなんですが)、アニメが好きで日本に来た、母国の作るものは表面的な技術はすぐ追いつくけれど魂がない。真似してるだけ。とずっと言ってたの覚えている。
でももう日本のアニメが好きで、という留学生もとっくにいなくなった。

ちょっとしたことで相手の言動に引きずられておかしくなったりする感じだと、つきあうのはいいけど一緒には暮らせないと思う。わたくしはね。
相手に嫌われたくないって態度は、相手にバレた時点で嫌われるでしょ。そこは仲良くしたい人であればあるほど見せたらだめなのでは。
そこも含めて自分なんだからそこを好きになって欲しい、あるいは認めて欲しいというのは願望としてはあるけど脅迫にもなりますしね。
これらは誰かを指して言ってるわけでなく、自分がそうだったという話なんです。自分語りと言ってる通り。
それでうまくいかなかったから今はこう考えている、という話なのです。

ああそうだね、わたくしがどんなに一人で熱くなってても家内ちゃんは1mmも関心を示さないので、その温度差でもってわたくしは安心して熱くなったり情緒不安定になったりできてる部分はあるかと思います。
多分一人だったら虚しいし疲れるんでやらないと思う。

現実の人間関係では、むっとしてたり無表情で俯いてたらそれだけで不快な印象を与えてよくない方向に行きますから、不自然でない程度に笑っているのは重要だと思いますけどね。
逆なんですよね。ネットで顔が見えない、素性も知れない状態で何の気を誰に遣えばいいのかよくわからないでいます。
全然関係ないけど文野環が投げ銭に対して「おかねありがとう」と言うのがなんだかおかしくて好きです。

わたくしは基本的には保険のために冗談を言うということはあまりないので、どこまで本気なんですかと言われれば大体全部本気です。
なのでもちろん言ったことないですけど、仮に「許さねえぶっ殺すぞ」とか言ってたら威嚇ではなく本気です。ゆえに一生言葉に出して人に言う機会はないでしょう。言ったらその言葉に呪われますので。
VTuberがよくやる処世術として、「暴言の後自分で笑うことで冗談であることにしてしまう」というものがあるでしょう。ぺこーらも自分で解説してたので一つの暗黙のルールになってるんじゃないですか。
考えてみればそんなに珍しいことでもなく、普段誰でもやってることの気がします。
なにかに対して本気を剥き出しにすることを過剰に忌避しようとしますよね。大丈夫、これは冗談だよ?と匂わせることで。
わたくしは学生の頃、それが大変嫌いでした。

だから思い出をポエムで語るというようなことを、飲み屋で友達に語るのではなく形として残していく作業は、ニヤニヤしながら「うわあー俺はずかしー」みたいな調子でやってると格好わるいとわたくしは思ってて。
わたくしは昔から、面白い人は自分で言って自分で笑わない人だと考えていましてね。落語や漫才なんかもそうです。何か言って自分で笑うことでそれに観客をひっぱりこむタイプの芸人は、何の意味もなくテレビ番組の後ろに入ってるガヤと同じだと思っています。「ここで笑え」と。

大人になるにつれて今度は常識が邪魔をしすぎ、あらゆることに「知らんがな」が発動していくわけですよ。
よく中年になると羞恥心が減るといいますが、実感としては嘘ですね。わたくしは面白くもないことを面白いだろう?という勢いで言ったらやっぱり夜死にたくなります。忘れるのが速くなるだけなんじゃないかしら。
毎日それどころじゃないので。羞恥を感じる内容と速度は昔から変わってません。
それに今度は「いい歳して」に縛られることになるので、さっさと忘れていかないと「いい歳して」という誰も言ってない言葉に追いかけられます。

でも彼女彼氏作るってよく言うけど、そんな粘土でハニワ作るみたいに作れるもんなんかしら。作れる人は作れるのかもしれないが。
自分のこと好きでも嫌いでもどっちでもいいと思うんですけど、例えばよく知らない人が「自分のこと好き!」とか「嫌い!」とか言ってるのを見て共感するというのがなんかわたくしとしては変で、「知らんがな」がデフォルトなんじゃないかと思うんですけどね。
だってわたくしの自分語りを見たり読んだりしてても大半は「知らんがな」って思いませんか。友達じゃないんだから。
その中でわずかにわかるかもという部分があったとしたら、その一点で仲良くなれるかもしれない。仲良くなれるかもしれないと思ったがよく話してみたら幻想だった。
それの繰り返しですよね。学生生活って。

ええ、通じないと困るのであえて書きますが、わたくしが本気で言ってるか冗談を言おうとしているかは文脈で判断してください。
察するのが難しい場合は、是非全てを冗談ととっていただいた方が快適に人生を送れるかと存じます。

さきほどの心温まる手紙とは逆に、凶都大学のクソメガネが便箋に貼り付けて寄越した不愉快極まる手紙がこちらです。他に何も文字は書いてありません。多分字が下手なことに退屈なコンプレックスを持ってて全てをコピー機の引用で済まそうとしたのでしょう。そういうやつでした。わたくしはそういう似非インテリが大変嫌いです。
引用ならせめてオズ先輩みたいに手で書いて引用しろと言いたい。
これ誰の言葉かわかりますか?大杉栄ですよ?いつの時代の夢を見て生きてんだこいつらとわたくしたちは激怒しました。これだから国公立は!と国公立大学へのひどい偏見を植え付けるに至った書面でもあります。
すいません見栄を張って「わたくしたち」と書きましたが「わたくし」の間違いです。
わたくしは「何故オズ先輩があんなのと仲良しなのか理解できない」と先輩にくってかかりましたが、数年後別のクソメガネが奥崎に「君はハセガワに騙されている」としつこく言い寄った事実を踏まえ、わたくしも含め全員クソメガネだったんだなあと嘆息した次第です。

2025/07/5

彼女がいないという悩みは万国全時代共通な気がします、わたくしの大学時代の友人から来たお手紙を貼っておきます。
ちなみにわたくしこの友人のことは当時も大好きでした。文面や文字から大層その人柄とかわいらしさ及び必死さ屈託のなさが伝わってくる大変よいお手紙かと思います。
わざわざ赤ペンに持ち直して「苦節21年」って書いたんだなあと思うと誰だって応援したくなるじゃないですか。ねえ。
手書きで「今年こそビデオを卒業したいです」と好きな相手に送ってみてはいかがでしょうか。通報されるかどうかは日頃の行いによるかなとわたくしは思います。


下宿の写真なんか更に残ってないので、絵を描く時の資料がないわけですけど、カーテン、大きなクッション、ランプは頻繁に出てくると思います。唯一残ってるのがこれですけど、そんなに絵と違ってはない気はします。
ベッドは結婚するまで置いたことないので、絵の中に出てくるベッドは嘘ですね。実家でも毎日押入れにしまう、出すの生活でした。
家内ちゃんが結婚生活3日目でその面倒さに唸り声を上げ、勝手にお高いベッドを購入して一人で組み立てたという話は漫画に描いた気がします。


こんだけ思ってることを毎日言葉で連投しても、絵とか漫画を描く気は失せないことが自分で試してみてわかったので、表現欲と言語化欲は別物ですねきっと。
連投ツイートみたいなのしてたら、もう絵なんか描かなくてもいいやーってなるかと思ってて、なったらこのページはやめようと思ってたんですが全然関係なかったです。

ただわたくしがいつも言いたいのは、有名にならなくても画力が天才級でなくても、生きてはいけるということで。
そういう人以外死ぬしかない世界だったらとっくにわたくしも死んでいますし、0←→100の思考しかできないと何も事態は好転しない気がします。自ら望んで底なし沼にハマりこんでる子、結構いるじゃないですか。
一回期間を決めて完全に一人になった方がいい。
人は孤独が直接の原因で死んだりはしないと思う。

漫画はいいね。昔のと今のは全然違う。絵がうまいからいいってわけでもないし。すごい昔の作品も簡単に手に入れられるし。
20年前の印象的なイラストって言われてもよくわからないもんなあ。一瞬で消費されて消えてくので。
電波女とかはがないの時のブリキ絵なんて、一瞬でブリキ絵一色になるくらい破壊力があったのに、病気でお休みになってから遠い記憶の彼方になってしまったし。

ただわたくしは仕事としてのイラスト…特にVTuberやゲームが絡んだ今風のイラストのよしあしは何もわからないので、特に絵師100人展を見に行った時に思いましたが、段々全部同じに見えてきちゃってねえ。
見る目がない、知識がないわけです。
どういう絵がいいのかわからないので、どう描いていいかもわからないままです。

とは言え、見た感じスカしてるけど根は素直とか、その逆とか色々おりますからねえ。教育には正解はないなあと思う次第です。
YouTubeだったらモノになりそうな能力のある一部の人間だけとりあげてこんなに出来るようになった!って演出もできますが、学校ではどうにもならんやつもどうにかなるようにしなきゃいけないわけで。
専門学校は高校と違うんで、芽のないやつに早めに引導を渡すのも親切だろうとは思うんですが、わたくしはそれはなかなかできませんで。先生と学校のカラーに寄りますね。

わたくしは本当に人の話は聞かないわ斜に構えてるわでろくでもない学生でしたんで、ね、今も何も伸びていかないでしょ。
こじらせてるって言うんですかね。
ただまあ、そういうのは性格なんで治す治さないの問題ではないですね。本人次第です。
なんかしら先生の言ったことをそのまんま受け取るのが嫌で、変に改変したりアレンジしたりするやつはねえ、やればやるほど劣化する沼にハマるんですよ。だって先生がこうしたらいいって言ってんだからそりゃもう、そうなんです。人を信用してないか、自己愛の強さから独自の道を歩みたがるわけで。
趣味ならなんだっていいんですが、それを仕事に適用してやっていけるのは10年に一度の天才だけです。本当の天才は腰低いですけどね。

正直な話、先生の目から見て一番伸びてくやつって、何にも考えてないバカ正直なやつなんですよね。わたくしが言ったことをそのまんま実行する生徒。
なんか考え込んだり斜に構えてるタイプは、入学した時点では他の生徒よりよく出来ることが多いんですけど、1、2年であっという間に逆転するんですよ。専門学校って。

やっぱりエンタメに近い分野の人はサービス精神旺盛でなんでもエンタメにするから見てて面白いんだなあと。あれは教育なのかと言われるとわたくしは素直にうんとは言えないけど、教育者になりたいわけじゃないだろうし、言ってること全く正論だと思いましたよ。かかげ先生とか。
美術とかデッサンのチャンネルはまあ、やっぱりエンタメになりきれないし、エンタメに振らなくていいとわたくしは思います。
真面目に、茶化さずに、笑わずに、思い詰めて思い詰めて思い詰める季節にはそれなりの意味があると思っていますし。

わたくしはあんまり「今風の絵」のイラスト添削みたいなコンテンツは見なかったんですが、昨日今日とちょろちょろっといくつか見てみました。
あーこりゃあ人気出るわなあと思いました。面白いもん。多分絵描かない人でも。
でもこう、結構体育会系というか、「んな甘えたこと言ってんならやめちまえ」みたいなノリなのね。もっと褒め合って馴れ合ってんのかと思ってた。

ゆうべ?今朝?熱が8度越えてこりゃまた新宿か学校でなんかもらってきたかなあとうんうん唸ってたんですが、仮眠して1日中絵を描いてたら治りました。
とりあえず変な病気じゃなくてよかった。

高校の時、細木数子の占星術が大流行しました。震源地は天文部です。
お前たち理系だろうバカなの?と言ってみたんですが、直列くんは熱い男なんで、できたばかりの彼女・エリーに色々吹き込まれ、頭っから信じてしまいましてね。融通の効かない男でした。
天文部は人数が多く文化部全体に与える影響も強いため、美術部でも大殺界がどうたら、あれは占いではないの科学なの、夏合宿の日程変更してよ、とか大変迷惑しました。
わたくしはヨシダに、そんなもんに背中押してもらわないと「好きですつきあってくれ」とすら言えんやつと付き合いたくねえだろう?なあ?と言いました。
ヨシダはにこにこと「先輩みたいに『言わんでもわかれ』みたいなんはもっとあかんと思います」と言いました。

わたくしはノストラダムスとかそういうオカルトが好きなんで、信じてるというよりは「世界が崩壊すればこの退屈から逃れられるのに(でもそんなことは起きない)」という願望をこめて見ていました。
わたくしの世代であれば馬鹿にするなり面白がるなり、ノストラダムスは身近な存在でしたが、そういうのがなくなって久しい今、似たような予言で大騒ぎしたいのもわかる気がします。
しかし中国香港に波及して旅行がストップ、日本は経済的に大打撃、なんてニュースを見ると現代的だなあとは思いました。
なんていうか。
アホみたいなことをクソ真面目にやると誰かが得するという、やっぱり何を言い何をしても資本主義だなあとは思います。

思春期にタイパ・コスパ・意識高い系を結集して人格を作り上げたらどうなるかが、これから数年の大学生あるいは新卒の行動パターンで読めると思います。めちゃくちゃ多いですよ。
わたくしが普段見ている、ケツも腹も丸出しなギャル生徒たちですら「成長したい!」とか叫んでますからね。
あれはしっかりしてるんじゃなくてちゃっかりしてるの間違いです。ちゃっかりはしてます。すごく。
まあね、彼女たちをそうさせてしまったのは、我々が不景気だ鬱だ俺は悪くないとか30年間言ってるだけで何もできなかったせいなんですが。

否定から始めるのはやめよう!なんてなってますが、大概の人間は心の中で意に沿わないものは否定してるに決まっているので、要するに「表向き空気悪くならないようにしよう→なぜなら自分が不快だから」を柔らかく言ってるだけの気がします。
わたくしなど、この世の中の大部分を否定しておりますので、そもそも普通に生活しているだけで不快と言えば不快です。
だから否定しなくてもいい事柄を見つけると多幸感に包まれます。

「親に否定された」って怒って話す子はすごく多く、むしろ否定されなかった人のが少数派でわたくしは心配です。
毒親という言葉も独り歩きして、もうどんな親のことだかよくわかりません。子どもが大人になる過程で、「親も自分と変わらぬ単なるちっぽけな一人の人間である」とはっきり認識することが絶対条件だと思ってます。
親にとって子はいつまでも子ですが、その支配から逃れようとするのが反抗期であり、反抗期を恐れて(あるいは許さず)子を子のままでいさせようとするのが毒親ってことでしょうか。あってます?

子どものころ好きだったぬいぐるみは、さすがに両親が捨ててしまったでしょうねえ。蔵を探せば何か残っているかもしれませんが。
妹がいたので妹と共用だったものもあります。
とまあ色々昔のことを書き出してみると、「女みてえ」と近所の男の子たちにからかわれるのも無理ない気がしますねえ。

90年代後半はどういうネット時代だったと言うと、誰かとコミュニケーションするにはメーリングリスト(アイドルとか芸術とかのジャンルに分かれてて、登録するとメンバーからのメールが来る)が主体で、あとは個人サイトを一人一人がもち、相互リンクでお互いのサイトにリンクを貼って、友達を増やしていくという、クッションが色々挟まる構造でした。
今みたいに「思ったことに即時反応」ができない時代だったんで、手紙のようにラグがあったんですよね。あのラグが多分重要なんだと思います。

わたくしは特別心が広いとか包容力があるというわけでもなく、当然なら怒ったりイライラすることもあるので、厳しい言葉で断罪することもあるんですが、まあ余程悪意がこもってない限り1、2日で忘れるのと、今のネット特有の「仲直りできない」=一回何かやらかしたらそれまで、という空気はどうなんだと思うんで、ご自由になさってください。
何度も引用もしてきましたが、「死にたいと書くことで死ななくて済むならそれはクスリになる。」という詩はわたくしにとって非常に重要な意味をもっています。
わたくしはどうしても90年代後半の、個々の良心に基づいてすべての行動が許された空間をもう一度作らねばと考えています。

とは言え2時間くらい深く眠るとほぼ復活してまたごそごそ何かしだす。
寝てるのが好きでない。復活した。
2025/07/4

さっきぬいぐるみ4P漫画を急に描きたくなって描いて、熱をはかると8度ある。8度あるとさすがにわたくしも体がだるい。
が、普段も常にだるいので風邪なのかどうか気づかない。

わたくしの教えている学校はギャルっぽい生徒が多いんで、声はでかいわ本気で怒るわ泣くわで、年によっても違うけど、まあなかなかに感情的な世界です。
ものづくりってそれでいいんだとわたくしは思っています。
精神的な弱さや繊細さ、あるいは激しい感情の上下、社会人としては叩かれてしまいますが、大事な要素だとわたくしだけは思っています。

デパスは精神的な方でなく、内臓の方の薬の副作用で不眠になるので処方されたものです。もう今は心療内科では処方しないですよね。
それをとっといてどうにもならん時にだましだまし飲んでたんですが、もうないと思うと不安になる、立派な依存ですね。これは。

多少熱があっても、大声で講義して生徒とくだらない話をしているといつのまにか平気になってるので、病は気からです、気から。
って言ってて以前は倒れたんでやっぱだめだと思う。
弱音は吐くべきだし、迷惑がかかっても休むべきだと思う。

奇跡的に新宿から座れた。
わたくしは横幅が人の1.5倍あるので、通常時はよほどガラガラでないと電車では座らないんですが、最近は立ってることもままならんので座らせてもらってます。
でも3人席の真ん中に座る勇気はないです。

いつも体調を心配していただいたりほんと嬉しくてさ。社交辞令でも挨拶でもなんでもいいの。なんでもいいから反応があるのは嬉しいの。ありがとうございます。
灰になりそうな授業にいってきます。

なーんか昨日おかしいなあと思ったんですが熱が出ました。
熱に浮かされたようなこと書いてるなあと思いました。
今日授業できるかなあ。

残り10粒となったデパスを投入し、もうすでに世界がひらべったい地平線みたいになってしまって何も思考できません。
デパスがなくなると不安です。

「農村婦人の家」面白いねえ。名前からして出自が非常に気になります。ちょろっと調べたけど沿革はよくわかんなかった。

先輩は先日貼った最初の手紙の中で「卒論でやろうと思う」と吉原幸子の「無題(ナンセンス)」を挙げている。
わたくしはそこで初めて現代詩というものを知った。
よく考えるとそれ以降、吉原幸子の詩について討論したとか議論したとか情報を交換しあった覚えがない。先輩も人にむけて大仰に語る言葉を持たなかったので、時々ふと「追放」とか「通過」をつぶやいて、わたくしの心情を探ってみるようなところだけがあった。

わたくしは年齢と共に多くの人間が辿るであろうリベラルから保守方向へ急激に舵を切った人間ですんで、サブカルやオタク等文化について語る言葉をだいぶなくしちゃったんですが。
「表現規制」という言葉の背後にいるものを知ってしまうと、実際にわたくしたちの目に見えているものよりも、それらへのアレルギーが強くなってしまって。
2025/07/3

筆談。
会議中に机の下で隣の先輩に「描いていい?」って渡したメモの回答。


昔から、絵とかピアノとか、勉強でも仕事でもそうでしたが、人よりうまくなりたい・勝ちたいという気持ちは少なめで、壁打ちみたいにほっとけば止められるまでそれをやってるという感じでした。
それがそんなに嘘やキャラ付けでないことは普段描いている様子を見てればわかってもらえるものだと思っています。
だから対話して納得のいく形を模索していくのが苦手で、一方的に「これはこうだ」と決めちゃうんですよね。
ノムラ先生からは「暴走」と言われていました。
自己主張…みんな俺に従えとか…そういうことは思ってなくて、ただただ何か溢れてくるんです。うまく説明できませんけど。

薄々はこう、「おきもち」や「自分語り(自己主張)」は嫌われがちになってきてるなあと思っていましたが、多分わたくしが思っている以上にみなさんは「ものすごく嫌い」なんじゃないかとふと思って。
学生だって「この先生は安全」って確認できるまでは貼り付けたようにニコニコしてますもんね。
ごめん、わたくしはそういうところあんまり気にしない方で。
言葉もあんまり選びませんし。
積極的に人に嫌われるのはイヤですが、それよりいつも何かしたいことが心の中にありまして。

1回目の結石だけ記念として写真に撮ってあります。
こんなんが内臓をがりがりとひっかいて転がっていくわけですから、そりゃあ痛いに決まっとるわなと思いました。
実はこの時に、結石とは別にちょっと気になるところがある、と医者に言われたんですが、そのまま放置しちゃったんですよね。
で、2年後に倒れて生死をさまようという末路を辿ります。
血を吐いてるのに、俺は大丈夫だ、俺が稼がねばならんのだ、そんな風に当時は考えていました。病院が怖い…というか病院で事実を告げられるのが怖くて目を逸らしていたんだと思います。


新宿駅にあった今はなきアマーティのクリームソーダ。
アマーティは喫煙席が多かったんで相当よく通いました。
アマーティというのはストラディバリウスと同じ、バイオリンの名器の名前です。クラシックだけがかかっている喫茶店が好きです。
先日ルノアールでクリームソーダ頼んだら1,050円とかでした。
飲み物も大体1,000円超えてきましたね。


人のことはなんとでも分析できるのに、自分のことは上手く言葉にできない。誰でも激しい感情の中にある時はできないです。
その日思ったことを書いた日記もあれば、
それを書いた日を思い出して改めて書く日記もある。
それをまた何年後かに見る。
日記は多分わたくしの中でカウンセラーのような役割を果たしていたのだと思います。
じゃあわたくしの日記を当時その場でコピーしてばらまいていたら?
そりゃあかまって欲しい、あるいは反応を求めているエンタメとしか受け取られないでしょう。いくら「これは自分の独り言だ」と言い張ってもね。
web日記は日記ではないとわたくしが言っているのはそういうことです。
このページも独り言というタイトルをつけていますが、独り言ではもちろんありません。読ませるために書いているのです。

人のことはなんとでも分析できるのに、自分のことは上手く言葉にできない。誰でも激しい感情の中にある時はできないです。
その日思ったことを書いた日記もあれば、
それを書いた日を思い出して改めて書く日記もある。
それをまた何年後かに見る。
日記は多分わたくしの中でカウンセラーのような役割を果たしていたのだと思います。
じゃあわたくしの日記を当時その場でコピーしてばらまいていたら?
そりゃあかまって欲しい、あるいは反応を求めているエンタメとしか受け取られないでしょう。いくら「これは自分の独り言だ」と言い張ってもね。
web日記は日記ではないとわたくしが言っているのはそういうことです。
このページも独り言というタイトルをつけていますが、独り言ではもちろんありません。読ませるために書いているのです。

ネットでは苛烈ないじめの話を見ますけど、わたくしに「一生許さん」みたいないじめの話をぶつけてきた人はあんまりいないなあ。
長い間にストーリー化しちゃって、「そういうことにしないと自分が保てない」という状態になってる人は見ますけど。
ほとんどの人がそういう自分が嫌でなんとかして欲しい、でもどうしても消せない、みたいな強い自己否定の中で生きている印象があります。
それはまあ、普通じゃないですか。別に弱いとも思いません。
それと「刺し殺す」の間はかなり大きな溝がある気がします。
自殺もそうですが、魔が射す、見えないものに背中を押される、そういう刹那的な感覚。わたくしにはない感覚。

恨みについて考えることありますねえ。
何を恨んでます?
「絶対許さねえ」みたいなのってわたくしは特にないです。
わたくしが人の話を聞いたりメッセージをいただく中で、圧倒的に強い恨みが親子関係、もう圧倒的です。
・子どもの頃に起きる
・距離が近い
・自分ではどうにもならない
これがセットですからね。
後は恋愛とか夫婦とかお金絡みもちょくちょくは聞きますが、「恨み」と強い言葉で言い切るほどではない感じがする。

明るい話よりは暗い話のが好きですねえ。
でもこう、攻殻機動隊とか押井守的な方向よりも、灰羽連盟とかlainみたいな方が好きでした。やっぱり思春期の不安定な時期を描いた世界が好きなんだと思います。
PSYCHO-PASSとかああいうのも好きですけどね。
それでいくとまどか☆マギカなんか一番ピンポイントな気もするんですが、なぜだかそんなにハマりませんでした。
多分魔法とかSFが出てくると頭が混乱してついていけなくなるんだと思います。思春期にもっとそういうのを摂取していればよかった。
なるたるやぼくらのはSFだったりロボットだったりしますけど、主題はそういうことじゃないんで好きですねえ。
鬼頭莫宏先生は哲学出身だしね。

普段アニメなんか見ないギャル生徒もよく見てて、今後の展開をめぐって毎週ああでもないこうでもないと授業でよく話しましたし、女子の描写がリアル過ぎてもう見れんと言ってた生徒もいましたねえ。
わたくしは仕事中にラジオみたいにアニメをつけてることがほとんどなんで、正直絵はどんなんでもよくて、会話で好き嫌いを判定してるところがあります。

ん、これは!と思って早速1話から見直したけど、真面目な話が出てくるまでは大分つらかったです。
でも大学の時にエヴァンゲリオンを仲間内で見て、アスカが初めて登場した時に「この子は多分病んでいる」と直感したように、とらドラの前半は、櫛枝の仮面に気づくための12話な気がします。

とらドラを越えるラブコメはわたくしの中ではいまだに出てこないんですが、ってしつこく言ってますけどとらドラ見たことありますか?
あれ前半12話は深夜萌えアニメのオタクノリが続くんで、大人が見ると後半にたどり着くまでに挫折しちゃうと思うんですけど、わたくしはたまたまテレビつけた時にやってたのが後半だったんでねえ。
文化祭の写真を選んでいる時にとっさに櫛枝が番号を指で隠すシーンでした。

わたくしの場合は夏場が一番精神的によろしくないですね。
春もあんまりですけど、どうも暑いのがだめなんかもしれない。

大体30前後が「俺このままでいいんだろうか」と思う最初の転換期で、独立したり脱サラして成功してる友人の話を聞いてるうちにその気になったりする。
彼女がいる場合、結婚も視野に入ってきて「幸せにしたい」「だから勝負したい」となる。
わたくしに彼女から相談が来る。
「あいつアホなので止めてください。先生が言って止まらなかったら別れます。アホなので。」
もはや相談ではない。最後通告に近い。
この温度差をわたくしは一体これまで何度見てきたのか。
ほんとにテンプレートのように同じことやるんです。男という生き物は。

わたくしは同性には厳しいのです。同性の気持ちはよくわかるからです。
わたくしもふられる度に家出したり行方不明になったりダライ=ラマ14世と飯を食ったり、ただの失恋がえらいスケールに発展していく青少年ではあったので、仮にその頃SNSが存在したら「ああなんとかちゃん、なんとかちゃん」などとずっと書き込んでた可能性が高いです。
どうしてそういう行動に厳しい発言をするかと言うと、見ててムカつくからではなく、絶対にいい方向に転ばないということをよく知っているからです。

マキタと遭遇する確率が一番高かった農業デパート農業屋。
「農業デパート農業屋」ですぜ?
そりゃあここから出ずに一生を終えるのは嫌だって高校生のわたくしが思っても許してもらえるでしょう。


なんかヤフコメのレベルと大差ない気がしてきた。
低レベルの意見論評だなと自分でも思う。やめる。

日本人は特に潔癖度の高い国民性な気がするんで、「一人でも変なやつがいたら全部台無し」という考え方になりがち。
だから自分たちと毛色の違う人間に容赦がない。
オタク女子のローカルルールは男性よりも徹底してて、自分の快適空間を守るための様々な制約は、聞いてるとそりゃ大変だ俺はいいやってどうしてもなる。
恋愛について、男は獲得・収集、女は防衛がその本質である、って誰の言葉だったかな。これは人間の生物学的な話なのでジェンダー論とは違う。確かに主語は大きいが、的外れとは思わない。

秘匿性の高いアプリを使って~などと書いてあるが結局バレてる。
アプリの匿名性が高くても、うっかりしゃべっちゃった、書いちゃったみたいな要するにおバカさんを仲間に入れたらおしまいだし、背徳的なことをしている自分を承認してもらいたい気持ちの強い人間がいてもすぐバレる。
最初から悪いことしなきゃいいんだろうけど、それが完成した社会はもう人間の世界ではないのでそうもいかない。

ゲンズブール的なロリータ・コンプレックスじゃなくて、日本的なロリコンがどこから生まれてきたかは昔から興味があって、調べていくと文化人類学的な話になっていくと思うんですが。
まあしかしあらゆる分野に言えることですけど、大っぴらかつ明るみに出てくると何でも正義の名の下に潰されるわけで、どうやってこっそりやっていくかの隠匿の歴史でもある。
隠匿が難しい現代社会とは相性が悪いよな。
2025/07/2

裏垢とか複垢って、同じ端末、同じ環境で使ったらTwitter側では同じアカウントと認識されてますよ。鍵かけても一緒です。
裏垢でやべえことやったら本垢も内部的に同じペナルティくらうだろうし、万が一情報漏洩したら一撃でしょうし。
よくみんな普通にやってんなあと思います。
端末と回線を毎回変えてやってれば別アカウントと認識されますけど面倒でしょうがないじゃない。
ニュースとかになればみんな認識しますけど、その辺ブラックボックスじゃないですか。
エロい絵はこの垢で、アニメ雑談はこの垢で、ってなんかあった時にリスクヘッジできない運営方法だとわたくしは思いますね。

写真をタップで拡大した時、わたくしのGalaxyA55(Android)での動作=希望の想定動作は以下のようなものです。
以下の画面キャプチャのように動かせない方いらっしゃいますか。
機種を教えていただけると大変助かります。
もしアプリで見ていただいてる方がおりましたら、一度アンインストールして再度「ホームに追加」でインストールすると治るかもしれません。
情報ありがとうございます。

高校教師の母が、息子のわたくしより他の子(生徒)のことで日曜も呼び出されてどっか行ったり、なかなか帰ってこなかったり、というのが子どもの頃すっごくイヤで、
だから教育には絶対関わらない仕事につきたい、もっと自由でずっと家族の面倒を見ていられる生き方がいい、そんな風に強く思っていました。
でもさあ、教育とか人間関係とかの話になると急に熱くなるんですよね。自分でもよくわからなくなるくらい。
ね。イヤですね。

③わたくしはですので、声を上げてみんなで世界を変えてゆくよりも、個々に人とつきあう方が好きでしたし、そうしているつもりです。
という説教っぽい話を見ると脊髄がムズムズして草が生えちゃう季節の人はまだ多分人間になれてないので、人間になってから改めて話をしてください。わたくしは残念ながら人間の言葉以外理解することができません。
という話を頃合いを見て学生にしますね。どうにもならん学生にはね。
教育って既に崩壊した感があるんで、これから厳しい立て直しの季節になってくとわたくしは思いますよ。
このままみんな貧乏な状態では難しいと思いますが。

②さてここに条件を1つつけます。
「仲良くなって1年後も言える人」です。
これが現実だと意外と減ります。
人に何かしてもらうのが当たり前だと感じるようになるわけです。あるいは「もうわかってるよな」「何度も言うと鬱陶しいかな」と勝手に決めるようになります。勝手に決めんな。
今の世界の気の遣い方は「そうしてもらって当たり前」の、過剰に気を遣う方向に向いすぎててあんまりよくないと思ってて。
過剰とは言い換えると声が大きいということです。
声が大きいということは…どういう人かわかるでしょうか。

①まずメンヘラでもコミュ障でも発達なんとかでも普通の人でもなんでもいいですが、
・ありがとうございます
・ごめんなさい
が言える人ならわたくしは全くおかしな人扱いしません。
直接じゃなくて文字でもいいと思う。顔合わせるとしゃべれなくなる人は無理して顔合わせることもないし。
言えます?言えない人のが少ないでしょ?
口先でないことは前提です。口先で言ってる場合はすぐわかります。

こういうこと書いてるとさ、今のSNSだと「いや、盛大なおきもち連投すいません。」とか言いたくなっちゃうじゃん。言わなくていいのに空気を読んで。
誰も何も言ってないのにそうしてしまう。
そしてそんな空気に反駁し、「うるせえ言わせろ」と強行する人間もまた冷ややかな目で見てしまう。
ひどい自意識過剰だ。
わたくしは何かふと思った瞬間に怒涛のように溢れてくる言葉を、まとめることもなくこうして会話と同じ速度で入力し続けたいという排泄欲求が強いのです。
なかなか理解を得られませんが。

わたくしが2chやヤフコメよりも初期SNSを好んだのは自分次第の使い方ができる自由さにのみあって。交流しなきゃならないルールはないしね。
スレッドやニュースという<話題>に対して言及するのは匿名でも実名でもわたくしは好きでないです。内容が低俗でも高尚でも、必ず悪貨が良貨を駆逐することは歴史が証明しておるので。

もし大学時代に「サークル単位で情報発信活動をする」みたいな感じだったらどうなってたでしょうかねえ。
わたくしの時代は履歴書に「趣味:ネットサーフィン」と書ける時代ですから、そもそもネットへの接続方法を知ってる=キモいみたいなところもありました。
わたくしはきっとサークルの掲示板みたいなところで、長大で意味不明なおきもちを盛大に書き散らし、わたくししか書いてない・誰も近寄れないみたいな感じになったでしょうね。

わたくしは日々このような一銭にもならない考察を続けながら、これを授業でそのまま言ったら学生は知恵熱で死ぬので、
「お前らがいくら理想の推しを育てる努力をしても、黒幕の博士がでてきたら推しは突然裏切るんだぞ。人間と同じだ。あんまAIに依存するな」
と変換しなければならない。

現状の利用方法は、あらゆるネットの情報を学習した大規模言語モデル(ChatGPTなど)をAPIと呼ばれる連携機能を使ってこのサイトから有料で命令を送り、結果をフィードバックするだけの単純な図式だ。
つまり、わたくしの漫画を誤読した時に、それを訂正して学習させることはできない。大規模言語モデルをチューニングできるのは本社のエンジニアのみであり、どういったチューニングをほどこしているかはブラックボックスである。
以前AIの回答が白色人種向けに偏っているという結果がニュースになっただろう。ハルシネーションの問題だけでなく、「学習モデルを所有している企業の勝ち」という、google1強の構図と大して変わらない。

AIに漫画を解説させる試みは、門外漢からすればすぐ出来そうな気がすると思うんですが、1ページのイラストを解説するのと全く意味が異なる。
1ページイラストはほぼ修正の必要のないレベルまで読み取る。落ち着いた雰囲気、とか孤独な少女、とか二人の関係は険悪、とか、わたくしレベルの画力でも読み取ってくる。
ただそれをつなぎ合わせた漫画の場合、「1ページづつ描いてある内容を読み取ってその読み取った文章をつなぎ合わせて1つの文章に要約する」というロジックを踏むため、ページの途中で場面が転換しているとそれを認識できない。

google、yahooに代表される検索エンジンの今の考え方(yahooはgoogleと同じエンジンですが…)は、「人の役に立つ」ものを最優先するというアルゴリズムなので、役に立たないもの、いかがわしいもの、目的が不明瞭なもの、自分勝手なものを見えなくして村八分にする傾向にあります。
ですから、内容はただのコピペでもgoogleのbotが「このサイトは人の役に立ってる!」と判断したものから順に検索結果に並びます。
なので同じ内容のコピペブログが大量に上位に並ぶわけです。
面白くもなんともありません。「役に立ってる風の作り方」であって、内容は自分の利益への誘導ですから。
わたしは1998年にgoogle検索が誕生した瞬間から見ています。
一営利企業にネット世界を牛耳らせたのは歴史の大失敗でした。

あとどうしても読んだ人がその漫画に対して「かわいい」「切ない」「共感する」などのタグをつける(評価する)仕組みは実装したく、
なぜかというと描いてるわたくしはただ描いてるだけなんで、描いたものがセンチメンタルなのかギャグなのか傷つくのか自分ではタグ付けできないんですよね。
しかしスクラッチ(手書き)で実装するとなると結構大変なんで後回しになっております。

引き続きああしてくれこうしてくれという要望がありましたら読みましたボタンからお送りください。
後、昨日のように検索しても結果がでないなどのバグ報告は非常に助かります。自分では全く気付けないので…。

具体的に言うと、この1ヶ月間の分析で、ユーザが過去に遡って読むことはほぼないことがわかりました。
サムネイル型にしてもあまり変わらなかった。
つまり、「気分が暗い夜に、自分の気にいる内容を探してサイト内をじっくり探索する」、そんな暇と余裕は誰にもないのだ。
わたくしは見つけにくいものを時間をかけて探し出すということに喜びを感じる人間のため、最初のインターネット楽しい!体験がそれだったんですよね。アングラサイトも含めて。
なので「これがおすすめだから見て」というわかりやすい作り方を自分自身のサイトでするのが恥ずかしくて苦手です。
個人サイトって基本やりっぱなしで勝手に見てけよって感じでして、通っているうちに段々サイト主のやりたいことを理解していくという文化だったので。
ただそれは、コンテンツが少なくて、少ないコンテンツを余すことなく消費したいという情報の少ない時代の考え方で、今となっては「どれ見てほしいんだよ?わかんね」で離脱するんだと思います。
考えを改めるべきだと思いました。

仕事でつくるサイトと個人の趣味でつくるサイトは考え方が180度反対で、目的地(ページ)に誘導し、迷わないように作るのが仕事、趣味の場合仕事ではやってはいけない、「ユーザの行動に依存・放置」というテーマだったんだけど、やっぱり今はそれではだめなんだとリニューアル後の分析で思った。
仕事としてこんなのやりたくないからな。

一般男性と同じく共感能力に乏しいわたくしは、「ワカル」より「ワカラン」のが昔から多かった。
ChatGPTは二言目には「読者の共感を」と繰り返すんでうるせえとなって最近は漫画についての言語化を放棄している。
漫画における共感ってなんなんだろうなと考えると、結局「この主人公はあなたですよ」ってことなんだろう。
わたくしは人から共感されることもひどく少なかった気がする。
だからその少ない機会により深く濃く摂取しようとしていた。

「凪のお暇」最終巻読んだ。
毒親ドタバタラブコメマンガで、まあその、30前後の女性がターゲット層だろうから激しく共感できるかというと50歳男性にはできない部分もあるんだけど、圧倒的にマンガが上手なので普通に最後まで面白い。
若干90年代のトレンディドラマみたいな感じがする。鈴木保奈美と松下由樹と江口洋介と唐沢寿明でやってそうな。漫画自体のトーンは80年代な感じもする。
時々下のコマみたいなどうなってんのかわかんない強烈な絵がでてきてギョッとするけど、マンガが上手いとそういうのも全部プラスに働くんだなあと思った。
最近だいぶ現実的になってきた自分を思い、そろそろドツボに自分を落としてポエム気分にしないと説教漫画ばかりになりそうで怖い。

2025/07/1

そうなんですよ、マンガだと検索して後から調べるのが難しいんですよね。特にわたくしはちゃんとした漫画じゃなくて絵日記だし。
セリフをAIで抜き出してページ内に書いておく、ってことも考えましたが、それもやるか。
あと、旧サイトから、「読みました」を押すと履歴に残る機能は引き継げなかったんで、そのブックマーク機能を実装するか。
お手数おかけしました。

「そのせつは」の直前、卒業式の2次会の後、演劇部+美術部で撮った写真です。わたくしは後ろの背後霊、右端がマキタ、左端がムロイです。
自分が写ってる写真ってすごく少ないんですよね。
写真撮って回る側だったんで。要は使いっ走りということです。
これがハーレムに見えるならアニメの見すぎです。
でもわたくしはミソジニーにはなりませんでした。
美術部だけだったらなってたかもしれません。
1対他ではなく一人づつ呼び出して話を聞こうとするのは、この季節にわたくしの中に生まれたただの処世術です。


わたくしの漫画の中でも恋愛肯定のいい思い出漫画は全然見られなくなってしまいました。傷つけて欲しいマゾばっかりです。マゾの本質はクレクレ厨なんで、自覚があるなら治した方がいい病気です。
マゾの治療方法は薬ではありません。自覚、及び卒業です。
絵柄が萌えから青年誌風に変わっていったのも原因かもしれませんね。
萌えだとファンタジーとして受け取れるから。
難しいものです。

20代でやらなかったことは30代でもできないし、30代でできなかったことは40でも50でもどんどんレベルが下がっていくだけです。
わたくしがそれを一番身を持って現在進行系で体験しています。
なのでまあ、それを思うと絶望して死にたくなる方が自然だわなあと思いますよ。卒業生に会っても死にたい死にたいばっかです。
わたくしはそりゃ結構なことだと見物しています。
「いいことなんか一つもない!」とか泣くんで
「失礼な!先生が時間さいて一緒にいてやっとるだろうが」と反論します。
金儲けをしてる時間がありません。
わたくしはそういうのがとても好きです。

親離れ、子離れできなかった「友達親子」の成れの果てが30過ぎたあたりでどうなるか、わたくしは卒業生たちの現状をもって目の当たりにしています。
どうなるかって言ってもどうにもならんのが現実でして、ちゃんと「そばにいて!」と意思表示した者に限っては夜通し話につきあったりもしますが、明らかに高校生と比べると回復力は遅いと感じています。
夜通し話したところで楽になるのはその時だけで、働きながら自分を見つめ直すということは相当な根性がないと無理ですし、根性があれば最初からそういう状況になったりしません。
ダメ人間ほど頭使ってどこかの会社に潜り込みしがみつくしかない、というのも残念ながら現実的な回答です。それが出来ないからダメ人間なのだ、という話になるとコロンブスの卵ですが、短期間かつ一発で現状をひっくり返す方法はわたくしにも思いつきません。

そうですね、わたくしは考え方の基本が実存主義的なんで、ほぼ現代社会では生きていけないんじゃないかと思います。
いっときは「車でもマンションでも好きなの買えるぜ!わあわあ」みたいな季節もありましたが、全く面白くありませんでした。
今みたいに、毎日家賃が払えるかドキドキしながら、仕事より家内ちゃんのおにくを優先して一人でぶつぶつ言ってる生活のが性に合っています。

金が絡むと、結局どういう考え方の人間の天下になるかといえば、
「ゲーム感覚で人間を数字と見ている層」つまり上流にいるビジネスマンということになります。
投資と同じです。要するに頭が悪いと永久に搾取され続けるのです。
と書くとちょっと左寄り過ぎますが、わたくしは左寄りではありません。むしろ考え方は保守寄りです。金持ちはどうぞ金持ちでいて経済を回したりしてください。
でもわたくしを巻き込まないでください。
というのが基本的なスタンスです。
ちっちゃな空き地で2、3人で遊んでるから、ブルドーザーでやってきてマンション建てないでください。問答無用ではなく、話をちゃんと聞いてください。
あんまり説明したことなかったので説明してみました。
何年も何年も我慢していたので、いくらでも湧いてきます。
そして自分が歳を食ってしまったことを自覚します。

ここでは何にも考えてません。思ったことを思った瞬間に書く、そのまんま黎明期のTwitterと同じ使い方をしています。
面白いですか?面白い人にとっては面白いでしょう。
わたくしにはわかりません。面白いと思えば読めばいいですし、死ねと思ったら二度とアクセスしなければいい。
このページを広めたい!広めよう!と思ったらそうしてください。迷惑なんて思わないです。
ここはわたくしのサーバですべてがわたくしの管理化にありますので、匿名であれ、ろくでもない人間が悪さしたら報復する手段を持てるのです。
SNSではその権限が持てません。それが何よりストレスでした。

なのでわたくしは交流をやめ、絵を描くことだけに集中し、自分のやりたいことだけをやってきました。それは見ていればわかると思います。
SNSはどのSNSもそうですが、「コミュ障は低評価」という現実と同じアルゴリズムになってしまっているのです。
どうして大声で喚いているユーザばかり目立つようになったかわかりますか。
「なんでも噛みついてレスバする=ちゃんとコミュニケーションしている」と判定されているからです。
「アンチとのバトルに正面から勝つ」これでアカウントの評価が急速に高まるということです。いや、証拠はないんで僕はそう思ってるだけなんですが。
わたくしは大変いらいらします。
わたくしは別にたくさんの人とコミュニケーションしたくないからです。

だからSNSが主戦場であるイラストレータは絵が上手いのは前提で、どうふるまうを攻略対象にします。生活かかってるからね。
だから信用できません。
絵がうまいよりSNSがうまい方が人気者になれるからです。
だからそういう攻略情報を動画でやってるでしょ。そりゃみんな同じになるわいと思います。

みなさんがどれくらいSNSの仕組み(アルゴリズム)に詳しいかわからないんですが、なんか前と空気が違う…と感じていれば、それはアルゴリズムが変化したからで。
例えば10年前は絵はかわいいけど発言はめちゃくちゃ…でもバズりました。いいねの数がTwitterの評価ポイントだったからです。
数年前のソース公開で単体のポストの評価ではなく、そのアカウント自体の評価でバズるバズらないが決まる→いいねからインプレッションへの移行が確認され、端的にいうと「真面目な陰キャではなくちゃんとコミュニケーションする人」が高評価の基準に変わったのです。
従ってクリエイターは無難ないい人でいる以外の選択はなくなり、自由にやってる限り次第に誰にも見られなくなっていきます。
いいねの数はあんまり関係ありません。
絵が上手いか下手かといいね数が関係ないのは見てるとわかるでしょう?

かなたそ(天音かなた)が尿路結石の緊急ライブしとりますね。
女性はなりにくい(尿路が短いから)と思ってたんで、普通になるんだーと思っております。
いっぱいしゃべれるぞ。3回出来たし。
痛みに対しては割と我慢強いわたくしが「助けてくれ」と泣き出し、家内ちゃんがおろおろして狸寝入りした話とか。
つらいのは一回なるとまた出来ることですかね。
でも一回やると「これは結石」ってわかるんで次から耐えられます。

「サイト内を検索しても結果がでてこない」というメッセージをいただきました。なんていう単語で検索したかわからないので詳細は不明ですが、3文字以上の単語でないと検索されない設定にしてあったので、2文字以上を対象にするよう変更しました。
■例えば「窓辺」で検索した場合、
以前:検索されない
今:検索される
お試しください。

そんなことを思ったんで、日記というか自分の思ったことや心の動きみたいなものをポエムでメモしておく癖がついたんだと思います。
学校の勉強はばからしくて嫌いでした。
答えが絶対ある前提の質問になんでこのひとたちは必死に答えてるんだろうとずっと疑問でしたよ。
自分という存在にはいつも解答がなく、故に質問もなく、疑問だけがありました。今も疑問だけがあります。疑問だらけです。

としえちゃんがいじめられてた時に、かわいそうだと思って一人で怒ったことがあって、心のどこかでとしえちゃんはわたくしに感謝するだろうと思ってたんですが、としえちゃんからも無視されるという事態になりました。あるでしょう?
と言って、そんなことくらいで「人間は信じられない!」とか大きなこと考えるのは浅知恵にもほどがあるんで、よくよく考えてみると初めて「僕は感謝されたかっただけなのかも」という自分に気づくわけで。気づいたでしょう?
誰もがこんなことは経験していると思います。
どれを記憶して、どれを都合よく忘れるかでその後の性格が形成されていくんでしょうね。

結局普段から疑わしいことをしない、ということになります。
李下に冠を正さずというやつです。
そこでまた別のストレスが蓄積して、かえって本物の盗撮や痴漢や強姦に結びついたりしてないのかな。わかりませんが。
自分語りをしているのは、「他人について語るならまず自分のことから」という意味もあって。
自分を棚に置いて語る正義ほど悪辣なものはそうありませんからね。「金がないので人を殺した」のがよほど理解できます。是非は別として。
でもねえ、自分のことは棚に置くんですよ。
誰でも自分のことがかわいいですから。

うーん、電車の痴漢冤罪もそうですけど、自分がやってないことを証明するのは難しくて、例えばちょっと精神的に不安定で軽度の被害妄想を伴った人とたまたま乗り合わせ、「このオヤジは痴漢!」と騒がれたらもう何を反論しても無駄な気がします。で、きっとわたくしは黙るでしょう。
黙っていると認めたということになり、わたくしは犯罪者です。
学校もそうですね。わたくしにキツイこと言われて恨みが降り積もっている教え子が卒業して何年か後に「性被害にあいました!」と告発したらわたくしは何も証明できないので犯罪者です。
もちろん証拠もないので最終的には無罪かもしれませんが、騒がれた時点でおしまいなのは確実です。短絡的な人間なら逆に本気で相手を消そうとか考え出すんでは。
おそらく中年男性の80%くらいは以上のようなことを日々考えてストレスをためているのではないでしょうか。

・なるべく人と関わりたくない。
・好きなことだけ一生懸命やりたい。
・命令されたくない。
これがわたくしの本音部分ですが、当然これでは生きていけませんのでどこかを折り合う必要がある。
が、20代の時はやはり0←→100の考え方しかできないので、
・常に人と関わる
・好きなことは絶対やらない
・命令に必ず従う
という極端な方向をやってみたんですよ。結婚した時にね。
お金は貯まり生活は安定しました。あっという間に。
でもまあ、イヤでしたね。10年くらいで限界がきたので。

逆にわたくしは社会常識がほとんどないので、例えば◯◯会社の重役とか言われてもどれくらいすごい人なのかわからないし、どうすれば儲かるかということもわからないんで、彼らから見るとわたくしは非常に幼く見えることでしょう。

わたくしも自分が大人だとはちっとも思えないでいるわけですが(大体の大人がそうであるように)。
それを踏まえても「それにしたって幼いな」と人に対して感じる機会も多く、主に人間関係・家族関係・恋愛関係など、関係について感じることが大半です。
仕事や勉強や趣味など、人の個人的な行動には全然感じないことを考えると、わたくしが想像した以上に人間関係は希薄なのかもしれない。
2025/06/30

しばらくチェコ国籍の傭兵おじさんと一緒にいたことがありました。
チェコだったかハンガリーだったかちょっと怪しいですが、東欧だったことは確かです。
大理石の話をしてて、東欧なまりだと「マーブル」が「メラモル」って聞こえるので、何の話してんのか全然わかんないって言ったら「銃の撃ち方を教えよう」とか言い出したのでほんとわけわかんなかったです。
わたくしは全く英語もできませんで、でもまあなんとかなります。
翻訳アプリで旅行して楽しいのかな。わたくしはそんな旅全然惹かれません。


クリエイティブと言われる分野の仕事を実際にした人しかわからないんですが、毎日毎日クリエイティブ=創造的な仕事をするなんて無理です。
毎日刺し身にたんぽぽを乗せるようなルーティンワークで精神的の安定をはかり、たまーにそこそこ自分の自由になる仕事(たいてい金にならん)で思い切り遊んで発散する、それがわたくしにとって最も病まない生活です。
そういうのはAIにやらせよう、クリエイティブに生きよう、どう考えても実際に仕事したことない学生の理想にしか聞こえない。
何度も言いましたが金を払う側がこの世界では偉いのです。
まずそこです。かと言って自分が卑屈になる必要はない。
偉い人は偉くていいんです。偉いんだから。
でもわたくしはゴミではありません。
どうやって伝えたらいいんでしょうか。

さっき描いたこれ、「エッグカッター」だそうです。そのまんまで安心しました!
でも子どもの頃、なんて呼んでただろう。「アレ」とかだった気がする。

もう一度ネットが現実とは分離した「所詮トイレの落書き」に戻る日を夢見てやみません。

1999年の話とは言え、ヒカルの話は描こうかどうか迷ったところもあり、消した方がいいんだろうかとも思ったりしましたが、それでも手を差し伸べずにはいられなかった話として、やっぱり描いておかねばと思っています。特にやましいところもないのに消すのも変だしな。
わたくしは女の子の話ばかり描くので、疑おうと思えばなんとでも疑えます。男女が分断していく一方の世界に対して、そうではない世界を描きたいだけなのですが。
盗撮の話といい、グルーミングの話といい、毎日のように報道される刺す刺されたの話といい、なんか色々だめです。
恋愛はオワコンでも何でもいいですが、世界に人間性を回復してください。

今日のVTuberイラストレーターの話は、影響範囲の大きさを想像するとぞっとします。「男性絵描きはリスクが高い」って方向には傾いていくだろうと思いますし、同業者からは末代まで恨まれそう。
AI採用が加速する可能性もあるし、一体どこまで波及するんだろう。

わたくしは長いこと学校におるので、女子生徒から「ネットでファンになった何やらに会いにいってえらいことになった話」を本人から聞くことも多いです。ここ10年くらいは学生との距離を遠くしてるのでそういう個人的な話を聞く機会はありませんが。
タレントとファンという関係だけでなく、しにたい系だったり、悩み相談だったりゲーム一緒にやろうだったり色々です。
聞いててかなり気分悪くなる話も多い。

残念ながらわたくしは人格が壊れるほどひどくいじめられたりした経験がなく、学校行ったら机がないとか靴がないとか教科書がないとか、とにかくいろんなものがない程度のいじめなんで、「どこのバカか知らんがねたんでないで自分で何かやれバカ野郎」くらいしか考えてませんでした。
そういう全く優しくないわたくしは、ひどく傷ついている人に対して何とも言えないわけですよ。
しばらく甘やかすことは出来ますが、甘えって無尽蔵に生まれてくるんで、普通の感覚で「いつかは自分でやり始めるだろう」と思ってると、全然そうはなりません。甘えっぱなしです。
一個人として、これ以上他人の面倒を見るなら、仕事にするか友達になるかくらいしか選択肢ないと思いません?ほっとく、無視するでもいいけどさ。今の世の中みたいに。

まあねえ、親子関係いまいちだった人は、本音では無限にずっとそばにいて欲しいって欲があるでしょ。
でも思春期の頃にそれやって拒絶された経験が尾を引いてて、極端に自分が重たくないか、変なことしてないか気にするんですよね。親の顔色を伺うように。
子どもなのに大人になるしかなかった、つまりアダルトチルドレンというやつです。
そういう気にしてる姿は他人から見ると自分のことばかり考えているように映ってしまうんで、上手くいかないと。しかし自分では治せないと。
これっていろんな人を見てますけど、まあ心療内科に行ったところで治りはしないですよ。クリニックの役割は「眠れない」「嘔吐する」みたいな症状を治すだけなんで。
発育段階でわたくしにとってのマキタや先輩に出会うかは運でしかありません。運は努力で多少カバーできますが、でも運です。
大人は忙しくてそれどころじゃないんで学生の時に探せと言っている。
じゃなきゃ諦めろと。
冷たいようですが、「いい人もいつか見つかるよ」とか適当なこと言えんです。わたくしが言われたら「いい人ってどんなやつだよ!」とか怒りそう。

メンタルが強い弱いもあいまいで、結局他人を基準にして自分は強い弱いと勝手に決めてるだけですから、まあ言いたいだけなのかなと思います。
普通に生活していく中で、自然に友達や恋人ができたよ?という人には何も語りたいことはなく、いいなあ羨ましいとしか思いません。
そして全く共感しません。
わたくしがともだちと言ったらそれは大分重たい意味のともだちなので、そうなるには何段階かのプロセスが必要です。しかし年齢性別は無関係です。13歳のヒカルも友達だったし、70代の岩本さんも友達です。
昔からその場で意気投合して仲良くなったりつきあったりということはほとんどありませんでした。大体「何それ重い」か「キモい」からスタートです。わたくしにとっては日々不安定な情緒の中で、激しく好きになったり嫌いになったりしながら、それでも長く続いた関係だけに安心と信頼を寄せます。

頭ごなしの全否定はよくないというか、わざわざ「よくない」と言われないとわからないレベルなら言っても無駄な気もするけどねえ。
わたくしは自分の思っていることに説明を求められて「口で言わなきゃいけない」のが嫌すぎて、あまりにも言葉が足らない時間を過ごしてきました。
相手が求めている回答を返せない、という点でわたくしもコミュ障と言えましょう。
「男はしゃべるもんじゃない」
今みると吹き出しそうな昭和ですが、でも笑ってる場合じゃなくて、わたくしの中にはそういう気持ちもすごくあるんです。

単純な好みで言うと90年代後半のlainみたいな殺伐とした風景と殺伐とした絵柄が好きです。


確かにアニメやイラストの絵って10年くらいで大分変わるなあと思いつつ、わたくしは今風の、目がキラッキラしてる人物があんまり好みでなく、みんなもっと死んだ魚の目をしてて欲しいと思っています。


イラストやデザインにプロ・アマの差がなくなってからだいぶ経ちますが、マンガやゲームもほぼAI製になりつつあり、本当に誰でも適当に作れるのを見てると、質より量、アイデア勝負なんだなあと感じます。
アイデアとは何かと言えば現代ではほぼマーケティングのことであり、数字とイコールと考えてよいでしょう。
完全な供給過多になってるエンタメ分野でまだ何かできる気が全然わたくしはしない。

もうわたくしの本棚にはいくらかの詩集と画集、楽譜しか残っておりません。
楽譜は大きいんで大変スペースをとるんですが、やっぱり子どもの頃から使っているものを処分できないでおります。
読むだけなら著作権の切れた楽譜が無料で手に入るんで、iPadに大量につっこんでありはするんですが。
元々物欲は全然なかったんですが、こうやってはずみをつけて処分処分とやってると自分そのものを処分しているようで憂鬱になります。
家内ちゃんの偉いなあと思うところは、自分のものだけじゃなくてわたくしがわたくしのものを処分しようとしていても、じいっと寂しそうな目で見ていることです。

ずっとそばでかまって欲しいなら隣に引っ越してこい。
今日人に言ったこと。
2025/06/29

SNSでのツイートをこういう独り言ページに移動したことで、「誰が何回閲覧している」などのデータは全くわからなくなりました。調べようがないので、知りたいとも思わないです。
実装しようと思えば簡単につけられますけどね。
これを寂しいと感じるか自由と感じるかは人によるでしょう。
SNSでやることなくなった人々とコミュニティを作っていきたいなとは思います。昔のように。
コミュニティは場所を用意するのではなく、まずわたくしという存在があり、それを遠巻きに観察しているみなさんという構図からスタートするのがいい。その方がおかしくならずに済む。
わたくしはわたくしが居る場所が居場所なのです。

一般的に関西人、とりわけ大阪は現世肯定的で歯に衣着せぬ正直ものの文化、中国とかなり民族的傾向が似ていると言われます。
がわたくしを含め、わたくしが居心地のよい周辺はいつもどんよりと曇っていました。
湿ってはいましたが、陰湿ではなかったと思います。
あの湿り気は、20歳特有の湿り気です。
ずうっと出口のない迷路にいるような感覚がありました。

そういえば手紙はよく漫画の中に登場するけれど、封筒はアップしたことがないですね。オズ先輩から来た手紙のうち、一番最初のものがこれです。
先輩はいつも何ひとつ柄の入ってない、素っ気ない封筒と便箋でした。いかにも先輩らしいです。わたくしはものすごく少女趣味のかわいらしい封筒やら便箋を、しかも自作して送ったりしていました。
まるっと住所が写ってますが、まあ今更いいでしょう。
現在も存在するアパートです。村木の舞台もこの部屋です。
郵便番号がまだ5桁、郵便料金は80円です。今110円ですもんね。
先輩はいつも手紙は苦手だ、手紙は嫌いだ、と手紙の中で書いていました。先輩だけでなく、ほぼ全員がそんな感じでした。ナナさんくらいかな、達筆な字で毎回丁寧に書いてくれたのは。
嫌いの一番の理由が「残るから」だったと思います。ええ、残しました。すいません。
手紙が返ってくるのは、わたくしが出すからです。
わたくしは文字でコミュニケーションするのが好きでした。
オズ先輩には初対面の段階であまりに懐いてしまったので、すぐさま住所を訊いて「手紙出していいですか?」と言いました。
昨日のことのように覚えています。
わたくしにとっては、大学などより誰かに手紙を書く方がよほど重要でした。
