「だめな日々。」
こんな大人にならないで欲しいという気持ちと、
まあ人生なんてこんなもんだよなという気持ちと、
両方ある。
思い出にすがって生きているわけではない。
懐かしいなあと明るい気分になるわけでもない。
鉛のように心が動かない時、
もうないとわかっている未来の話ではなく、
ただ、僕だけにかけられた、
優しい言葉だけが思い出される。
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こんな大人にならないで欲しいという気持ちと、
まあ人生なんてこんなもんだよなという気持ちと、
両方ある。
思い出にすがって生きているわけではない。
懐かしいなあと明るい気分になるわけでもない。
鉛のように心が動かない時、
もうないとわかっている未来の話ではなく、
ただ、僕だけにかけられた、
優しい言葉だけが思い出される。
高校辺りでの失恋ダメージを負ったまま、
それっきり何年も十何年も何もない人がたくさんいる。
それを否定したいわけじゃない。
その人の人生はその人が思うようにしか歩めない。
でもちゃんとつきあって人と過ごす楽しさを知ったなら、
また好きな人が出来るのが強くなって回復した証だと思う。
それを繰り返して、僕はやっと素直に人とつきあえるようになる。
なるほど君たちは思春期の失恋をトラウマとして僕によく話し、
それからずっと何もないですよと自虐的に笑うけれど、
違う。
トラウマのままにしておきたい子供のわがままだよそんなの。
トラウマというには、それはあまりに未熟で身勝手だ。
みなさんの初めての挫折は何だったろうか。
部活だろうか。受験だろうか。
そもそも学校自体全く馴染めなかった人もいるかもしれない。
僕はバスケ部や水泳部にも入っていたが、
最後まで闘争心がなく、正直関心もなく、
負けても全く悔しくなかった。だからこれは挫折ではない。
勉強はどうか。
僕は環境に恵まれて、書庫の中で本に囲まれて育った。
だから高校程度のいわゆる「知識を問うテスト勉強」は
ほぼしなくて済んだ。
嫌味に聞こえるかもしれないが、事実だ。
僕の大きな挫折は恋愛だけだ。
挫折とはつまり、自分の思い通りにならなかったこと、と言い換えてもいい。
一生懸命だとか努力だとか、あるいは座学、戦略では、
一つも思い通りにならないことがあるのだと、
そこで初めて知った。
だからこんなに覚えているのだ。
君がもし20年以上も前の初恋の人を覚えているのなら、
一切絵なんか描いたことなくていい、
一生懸命描いて見せて欲しい。
僕はそんなことで救われる。
それは君にしか描けない絵だからだ。
先輩を思い出す時、
いつも中原中也と長谷川泰子、小林秀雄の関係を思い出す。
もちろんそんな格好いいものではなかったし、
僕は結局小林秀雄にはなれず、相手にされなかった。
ただ僕がよく「ファン」を否定したがるのは、
この辺の経験からスタートしている。
とはいえ「ファンにも色々ある!」と君たちは怒るだろう。
そんなことは知っている。
僕のマンガには芸能人も著名人も出てこない。
天才もアーティストもいない。
いるのはただ平凡な少年と少女だけである。
ファンは必要ない。
話をしたければ、自分の話をただ素直に語ればいい。
当時の友人には、
「好きな人と自分の部屋にずっといてそういう気分にならなかったのか」
とたびたび訊かれた。
ならなかった。
多分ヌードデッサンの授業で変な気分にならないのと同じだ。
あるいは僕は先輩のことを好きじゃなかったんだと思う。
触れてはいけないという壁を自分で作って、
頑なにそれを守ることを恋愛と錯覚していたのかもしれない。
ただ一度だけ、
それを破って僕は先輩に触れた。
僕は大学生になるまで「おしゃべり」が出来なかった。
男女の違いなのか、ただの性格なのか、
しゃべればしゃべるほどストレスに感じた。
しゃべる=互いの時間の拘束
なんて考えていて、
どうせしゃべるなら意味がある(と思い込んでいた)ことを
話すべきだと思っていた。
やがて「意味のある会話」なんて言ってたことが
猛烈に恥ずかしくなる季節がくると、
僕はくるくるとよくしゃべるようになった。
その頃から「話をよく聞いてくれる人」「聞き上手」なんて
言われることも増えたが、
ハハハハ、笑ってしまう。
僕は全く人の話など聞かなくなっただけなのに。
あながち冗談ではなく、
これから死ぬまで仕事をとってきて働いて、という生活よりも、
今死亡して保険でまとまったお金を家内ちゃんに残した方が
幸せなのでは、と思う時がある。
もちろん家内ちゃんマンガはマンガなので、
本人はこんな金の亡者ではない。
しかしSMAPの亡者ではあるので大して変わらない。
もう起き上がるのが億劫なんだ。
でも起き上がらないと描けないんだ。
先生をしていると、「何かアドバイスを」と求められる機会も多々ありますが、
率直に言うと助言できることなんか何もないのです。
好きなようにやりなさいと思っています。
そのかわり、何かを得るための場所は提供してあげられます。
ある人はそんなの放置プレイだ、無責任だと怒ります。
ある人は、じゃー勝手にやるから後で見てくださいねとさっさと歩き始めます。
どっちがいいのかも、僕にはわかりません。
そういう意味では僕は無責任の塊です。
ただ僕は何も思い通りにならなかったので、
今でも何か思い通りにしたいという気持ちが渦巻いています。
うんざりして、げんなりして、全部人のせいにしたい時、
割とそのわがままが僕を救ってくれたりします。
僕はほとんど人に好かれるということがありませんでした。
というより、好きな人に嫌われるのが怖いので、
最初から「俺のことなんか好きなやつぁいねーよ」
という設定で自分を守っていました。
だから僕はいつも片思いが好きでした。
相手が迷惑な顔をしても平気でした。
迷惑だろうと思っていたからです。
つまり自分のことしか考えていないわけです。
いわゆる「ファン」です。
ファン状態になった人間には、人の気持ちなどわかりません。
ファンはファナティック(狂信者)のファンなのです。
例外はありません。
そんな僕を困惑に追い込んだのは、
僕の「ファン」になってしまったハニワちゃんでした。
ハニワちゃんは僕のことが好きでした。
でもその「僕」は僕自身とはかけはなれた僕でした。
僕はやっと幻想の外側にいる、
人間そのものに目を向け始めました。
お前のは偽善だ
その子のためにならない
犯罪者が調子乗るだけだろ
ただの感傷だ
大人になれ
さんざん色んなことつっこめるでしょ。
それは正しい。
でもイヤだったんですよ。20歳の僕は。
正しいことがイヤだったんです。
イヤでイヤで仕方なかったんです。
面白いもんで、自分に余裕がないと憂鬱にもなれないし、
憂鬱な絵も描けないのです。
本当に疲れてくるとどうでもいいものを描きたくなります。
それもまた純然たる僕の一部分です。
二次創作はほとんどしなくなりましたが、
「二次創作は原作と同等かそれ以上に絵のうまいやつが描いてこそ価値がある」
と考えるようになったからです。
なんかこう、会(アキバ会)というからには、
集まってみんなで何かやる、という目的があってもよさげなものですが、
僕はそういう目的意識が苦手です。
数週間先の予定を組んだりするのも苦手で、
その日たまたま暇な人だけ集まって、
「何もしない」というのが僕の好きな「会」です。
なのでまあマンガを描くとすれば、
人を描くしかないんですが、
それにしたって別に面白おかしいことは起きません。
でも僕は楽しいのです。
それで十分です。
記憶は美化されるものだし、されてくれなければ困る。
ただ、記憶だけでマンガを描くのは恥ずかしくてできない。
だから日記を見る。あるいは手紙やメールを見る。
そこから引っ張り出された美化だけを集めて描いている。
彼女は僕が大学をやめた後、
「君は私の大学生活の、そして青春の象徴だったよ」という手紙をくれた。
それを褒め言葉とだけ受け取るほど僕は楽天家ではない。
でもお金のない僕たちは、
公園のベンチで、駅のホームで、下宿で、大学の庭で、
昼も夜もなく、ずっとしゃべり通した。
腹が減ってることすら気づかずに話し続け、
さすがにもうお開きにしよう、と
最後に半分づつ食べたカップラーメンは
実にうまかった。
三重県の端っこのそのまた端っこにある大王崎波切(なきり)で
毎年美術部の合宿がおこなわれた。
今は知らないが、当時は民宿も数少ない、
崖と海と空と廃屋しかない小さな漁村だった。
大した思い出も残っていないが、
セキグチがある時「UFOを見た!」と叫んでいたのを覚えている。
見たと言うんだから、UFOはいたんだと思う。
UFOくらいいなけりゃやってられないくらいの、退屈な合宿だった。
2008年にアニメ「とらドラ!」を観た時に、
同じような状況で、UFOがどうのこうのという話が出てきた。
セキグチもああいうことが言いたかったのかな。
多分違う。
夜、部員みんなで花火をした。
僕はずっと、砂浜のすみっこで線香花火をした。
好きな人に褒めてもらいたい、喜んでもらいたい。
それは誰にとっても普通の感覚だと思う。
でも僕たちは失敗するまで
人が望むことと自分が褒められたいことの差に気づかない。
僕は優しい。
優しいので努力する。自分を犠牲にしても努力する。
体が壊れるまで力をこめ続ける。
そして最後に、自分自身も見失う。
プレゼントの失敗はわかりやすい。一度で理解する。
しかし一緒にご飯を食べる、眠る、掃除する、家事をする、
そんな日常生活に対して見返りを求めれば、
やがて二人の関係は崩壊する。
さあ、こんな失敗は誰でもする。君たちもしただろう?
その後に何をしたかが問題なのだ。
いったん家庭や教師や環境のせいにする癖がついたら
人間は二度と反省などしないことを、
僕はようく知っている。
ネパールと言えば首都のカトマンズ、
そしてヒマラヤ・アンナプルナが見えるポカラが観光地として有名です。
僕は観光には何の興味もないので
とにかく日本人がいないところを探して
名もない山間を転々と旅していきました。
ちなみにこの店は僕が居候してからしばらくして、
おまわり的な人たちが拳銃をもってやってきたので
つぶれました。
その写真もどっかにあったはずです。
探しておきます。