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「ブラウス。」

制服の中でもブラウスを特に描きたい。

これは説明すると余計誤解を生む気もするけど、
女子のブラウスのしわの寄り方が一番描いていて楽しく、難しく
絵的に魅力がある。

ブレザーやスーツの上着は、大きなしわが寄って
大きな形を立体的に描きたい時には魅力的だけれど、
僕はもう少し柔らかい素材で、細かくしわが入る状態の方が
描いていて楽しい。

僕はもちろんブラウスを所有したこともなければ、
手にとってまじまじと観察したこともなく、
着たこともない。
へたすると左前か右前かすら間違える。

つまり無知だ。
スカートもそうだが正直どうなっているのか今もわからない。
そして調べようともあまり思わない。
機能には興味がないのだと思う。僕がスカートを履くことはないからな。

無知なものを遥か昔の記憶と想像で描くのがいい。
描いているうちに気づくといいなと思って描いている。

絵的に映える絵を優先するなら、男性の体の方が見栄えがする。
凹凸が大きく、影ができやすいので描くところがたくさんあるからだ。

これは男女両方のヌードデッサンをやるとわかる。
男性を描いた方がうまく描けた気がして満足度が高い。
石膏デッサンのモデルになる彫刻も、男性の彫像が多い。

柔らかいものを描くのは難しい。
何を描いても僕には難しいわけなんですけども。

「背中。」

胸側は描くところが色々あるんで描きやすいんだけど、
背中は何もなくて途方に暮れる。
背中を上手に描ける人は本当に上手な人だと思う。

逸脱TVというチャンネルで、統合失調症の患者を追いかけたドキュメンタリーが公開されている。
僕はこのシリーズが好きで最初から追いかけていた。
一昨日、第一章が完結したという。

最初から追っていくと、不思議な感覚に襲われる。
このひとが狂っているのか、自分が狂っているのかわからなくなる、という感覚だ。
頭のネジが我知らずずれてしまった人と話しているといつも感じる。

狂っているのは俺なのか世界なのか。
それを俺一人で考えることに意味はあるのか。
子どもの頃からよくそんなことを考えた。

以前、予備校の隣の部屋だったオガワくんの話を描いた。
上記ドキュメンタリーの主人公・野田さんの強い名古屋訛りを聞いていると
オガワくんと重なる。そして言っていることも雰囲気も、
おかしくなってしまった後のオガワくんと非常によく似ている。

ぴくちゃんもこんな感じだったが割とすぐ治った。
オガワくんは僕が京都の大学に進学した後、更に重症化し、
毎夜毎夜電話をかけてきて、さすがにもうだめだと僕が出なくなった後、
「ごめんなごめんな」と連呼する留守電を残し、それ以来没交渉である。

心のどこかに引っかかっている。
僕はこういう時、彼彼女らに最後までつきあってしまう。
それがよかったのかどうだったのか、今もよくわからない。
さっさと病院に入れた方がよかったのかもしれない。

そしてまた考える。
病院にいなきゃいけないのは僕の方じゃないのかと。

「ジブンガタリ。」

最近、一週間にいっぺんくらいは
このようなきもちをもてる日が出来た。

これが40代の苦しみを突破したということなのか、
これから始まる更なる苦しみへの予兆なのか、
それは僕にはわからない。

しかしどう笑われようと
自分語りは必要なのだと固く思っている。

「時代が違いますよ」はもう聞き飽きた。

「授業中の落書きは。」

こういうのって自分で気づくと
「俺は天才じゃないか」と思ったりします。

もちろん天才ではなく、
誰でもやってると気づくことではあるんですが、
この「自分で気づいた」というところが
一番アドレナリンが出るところなのです。

つまづいた時に素直に教えを請う姿勢も大事ですが、
最初から「共有されて誰でも知っている」と思うとやる気なくなります。
かといって「俺は天才じゃないか」を突き進み過ぎてもやがて失速します。

そういう時何が一番楽しいのかを改めて振り返ります。
僕は何よりも先輩と一緒にいた時が一番楽しかったのです。
なのでそんなことはさっさと忘れて次の絵を描き始めます。