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「歴史。」

特に自分の(個性的な)絵柄が欲しいと思ったことはなくて、
むしろ毎回別人が描いてるんじゃないのかと思われる方が好きなのは、
一つのパターンでは一つのことしか表現できないという
もどかしさがあるからだと思います。

ジブンガタリを始めて強く思ったことは、
僕はそんなにかわいいものが好きではなかった、
ということで、大分ショックでした。

制服が好きとかジト目が好きとか、
そんなもの何もなかったのです。
何もないからその時の気分を描くしかなく。

マンガ家や絵かきに一番大事なものが欠落しています。

「1999年のディストピア。」

90年代末、僕は20代前半、
自分のサイトの中で「パパ」などと呼ばれていて、

どこにも未来がない未成年に、
「逃げていいよ」ではなく、逃げてくればいい、と言って
下宿に呼んでいた。

それだけでもう今ならアウトだが、
しかし「逃げていいよ」なんて口当たりのいいことを言って、
近くの児童相談所に通報して手続きを踏んでどうのこうの、
みたいなことをやっていては彼女たちは死ぬしかない。

だから僕は、逃げたいならここに逃げてくればいいと
具体的な回答を与えた。

それは決して僕の正義ではない。
「死にたいではなく消えたいのだ」という
不可解な彼女たちに関心があっただけだ。

この話はいつか長編として描きたいと思っているのだけれど、
相変わらずオチも展開もない上、
恋愛も青春もない、中身もない。

だがその後の僕の考え方に大きな影響を与えたことは間違いない。

「僕は僕の顔を知らない。」

いつだって自分の表情はよくわからない。
そうやって言われて、初めてそんなものかと思った。

ちょっと恥ずかしくもあるが、
悪い気はしない。

「自分と向き合う」というのは、
部屋に閉じ持ってうんうん頭をひねることではない。

人を鏡にして、
そこから返ってきたもので自分を知るのだ。

ひとりぼっちでは
自分のことなど何もわからない。

「気分。」

僕は「なんでも見える化」には反対で、
見えなくていいものを引きずり出して白日のもとに晒すのは
不躾で興ざめだと思っています。

学生の頃は、哲学とか美術とか、そういうものを
「変えていかねばならない」という使命のもとに
一生懸命勉強していた気がしますが、

そんなことより、
ぼんやりしていい人と
ぼんやりしている方がよほど無意味に充実している。

人生はいつも皮肉だ。
そうなってみなければわからない。