独り言(2025.7.24~8.13)

「読みましたボタン」から送っていただいたメッセージに対して、独り言の形を借りてふわっと返信したりしなかったりします。

2025/08/12

思い出は有限で、今から新たに過去の思い出を作り出すことはできません。

もちろんちょっと妄想癖がある人ならば、ない思い出をあったことのように自己暗示をかけて物語を作れるのかもしれませんが。

わたくしは例えば「マキタという女の子とつきあって…」などと話を根本から捏造した場合、虚しさしか残りません。
恋愛において、ふられてもうまく行っても大した意味はないですからね。どのみちしばらくしたら別れるんで。

恋愛は常にバッドエンドです。

というのがわたくしの核の部分にあり、
同じ話を絵を変えて描き続けるのが青春モノクロームの骨子です。

たまにはマキタとうまくいった話を書いたっていいですけどね。
想像してみてくださいよ、めちゃくちゃ虚しくないですか。
ふられた女の子と漫画の中で相思相愛になる話なんて。
絶望しかありません。

わたくしはわざわざ知り合いもいない京大美術部にまで一人出向いて、「あのひと」の話を聞いてきました。まあ同志社と京大は原付で行けば10分くらいの距離なんですけどね。にしても異常な行動力だと思います。暇だったからな。

そこで「あのひと」が個展をしたというカフェの情報を聞き、先輩に行こうよと誘いました。その反応を見て内心を探ろうとしたわけです。

下のように、先輩は手紙でかなりはっきりと拒絶の意思を送ってきました。なのでわたくしはそれ以上の話をしませんでした。

この黒塗り部分ですが、名字じゃなくて名前なんですよ。
みんな同じ名前なんだから普通名字で書くでしょうに。

この黒塗り部分のわたくしと同じ名前(しかもカタカナ)で書いてあるところになんかこう、意味を感じてしまいました。
感じませんか。

オズ先輩はわたくしが最も他人に積極的だった頃に出会った人なので、その勢いに大層迷惑したと思います。

でも青春です。

喫茶店と個展の思い出

オズ先輩に関わる人物は三人いて、わたくし、彼氏のクソメガネ、そしてオズ先輩の好きだった「あのひと」です。

偶然にも3人とも下の名前が同じ(漢字は違いますが)という共通点があって、先輩が初対面の後で送ってきた手紙に「初めて会ったのに懐かしい気持ちがした」と書いていたことは、後になって事情を知るにつれて、色んな意味を含んでいたのだと理解しました。

珍しくもない名前ですけど、やっぱ何か思いますよね。3人も一緒だと。

先輩は「あのひと」の話をしたがらなかったので、詳しく知ってるわけではないのですが、わたくしが先輩をべったりと追いかけていたように、先輩も「あのひと」をべったりと追いかけていたようです。

だからわたくしのちょっと過剰な好意も、ただ拒絶するでなく、できの悪い弟を見るような視点で見ていたのだと思います。

あさってまた検査があるんで憂鬱です。

ここのところ本当に自分の座ってる場所で一日中ただじっとしているだけの毎日を送っておるのであんまりよろしくありません。

みなさんは憂鬱な時どうしていますか。
わたくしはどうにもならんのでじっとしておりますが。

どうやら1995年のものと思われるシステム手帳がもそっと出てきました。多分大学の授業だと思うんですが、こんなもんでしたっけ。授業数って。

わたくしは2年生からほぼ授業行ってないんで、がんばって登録だけした授業内容だと思うとなんとも言えないものがあります。

手書きの時間割表。

わたくしはある頃から「弱い自分を肯定したままではだめで、どこかでそれと決別しなければ」という論調に変わりました。

わたくしの嫌いな体育会系的な感じです。

きっかけとしては「弱さを持ち続ける強さもある」という、ふわっとした空気が台頭してきて、そうなると瞬く間に「弱いことは悪いことではない」という同調圧力に変化しちゃったからさ。極端すぎて。

結果的に本当に弱すぎて困っていた人は居場所をなくしてどっかへ行ってしまい、誰かが言った都合のいい言葉を盾にしたルサンチマンだけが堆積した格好になっていると思っています。

「そんなことないよ」「大丈夫だよ」と誰でもいいから言ってもらえるだけで安心し、温かい気分になれるのであれば、よほど心が摩耗している状態でしょう。今のネットのが多分そういう意味で優しくしてくれる人は多いんじゃないですか。表面的にはね。

わたくしはなんか違うなあと思っています。
わたくしが救われるのは、意見を交換して納得し、互いに頭がよくなることではなく、ただ闇雲に自分を語るという本能的な行動によってのみだからです。

冷たい人間だなあと自分を思うことはよくありますねえ。
多分同世代の人には通じるんじゃないかな。

同情や共感って、自分が自立していく過程で段々なくなっていって客観的になっていくでしょ。そうしないと自分がつらいからさ。
感情もなくなってくでしょ。社会はシステムでできてますから、感情的な異分子を許さないんで。

唯一芸術とかそういう方面だけが感性や感情を許されてたんですが、もう今は身も蓋もないじゃないですか。どうやって食ってくかって話ばっかで。それに怒りを覚えるんじゃなく、「まあそうだよね」と思ってしまうわたくしは、もう芸術をやってる資格はない気がします。

わたくしはそういう「いちぬけた」みたいな手のひら返しを醜いと強く感じてたんです。どうにか弱い自分の部分を残しておかないと不安でした。

正直ノスタルジーにはあんまり興味がなくて、現役で不安定でい続けたかったという気持ちがある。
じゃないと絵なんか描いても楽しくないし。

でもさあ、結局メンヘラって言葉についても結構調べましたけど、こりゃわたくし自身もそうだよなあと思いましたけどね。
いっつも気分は乱高下してるしさ。

20代の時と違うのは、他人との関係の中で自分を考えることはなくなって、独立した自分自身という存在について考えることが中心になったので、誰にも相手にされない寂しさというのはもうあんまりないかもしれない。結婚した後は特にそう思うようになった。

浅野いにお先生が配信の中でよく「あー僕はもう大人になっちゃったんで」って言うんですけど、その気持ちはなんとなくわかりますね。

だからわたくしは「今」のことを描くのが嫌いで、まあ言ってみれば不安定でメンヘラ然としていた短い季節のことを描きたいんだと思います。思い出として。

今すぐ助けて欲しい人にとって、ネットはもう機能していない。

いわゆる「メンヘラ」にとって「メンタル不調なら医者に行きなよ」というアドバイスは一番絶望する言葉でしょうね。

「んなこたあわかってんだよ。医者なんか行ってんだよ。治らねえんだよ」と言い返したいんじゃないかしら。ほんとうは。

ただただ無限にかまって欲しいんだと思うんですよ。
多分そのかまって欲しさの底が抜けてるんでだんだん人が離れていくってだけでね。

で、人が離れていくのは嫌だから一生懸命自分でそうならないように努力した結果、ますますおかしい方向にずれていくという。

今は分析、客観視という名前のマウント合戦が流行しているんで、自我が弱い人には本当に生きづらいだろうなあということがわたくしにも段々わかってきました。

消しても消しても政治系とか時事系の動画ばかりおすすめに上がってくるのは、年齢でフィルタリングされてるのか、わたくしは寝てる間も動画つけっぱなしなんでその時に自動再生されてるのか、単純に動画の数が増えてるのか。

でもこのままキラキラにしても、毒舌にしても、どんな人が何を発信していても、極端な方向に触れ続けていくなら見なくなっていくよなあとは思う。

エロ(男性向け女性向けに限らず)に興味ないとか嫌いって人がいても変ではないけど、エロが廃れた文化は末期も末期ですからなあ。
それが大多数になったら本格的に人類は終わりなのではとは思います。

エロというかエロス(生)な。
生の神エロスの反対は死の神タナトスですが、フロイトっぽく言えば暴力と破壊の象徴です。そっちのが多くないかね。なんとなく。

2025/08/11

「地頭(ぢあたま)」なんて言葉いつからあったんだろう。
わたくしはほんの10年くらい前までほとんど聞いたことなかったですよ。つまり会話の中で使われなかったということです。

なんかこう、コンプレックスを感じるんだよねえ。言葉から。

つか地頭ってなんなんだ。
守護と地頭ならよく知ってるけどな。

泣く子と地頭には勝てませんからな。

クローバーかあ、名前だと思い出せないなあ。三山木周辺から精華町、新田辺、遠くだと山科や滋賀の坂本のスーパーまで牛乳配達してたんで、乳製品は配達してたかもしれませんねえ。

今戻れるなら一生懸命勉強する気がします。

「自分は一体どこで人とつながればいいのか」
これはわたくし自身も昔っから抱えていた気持ちでもあるんで、わかるっちゃわかります。

たまたまわたくしは強い薬で寝たきりになってる毎日から、たまたま特に理由もなく脱出できただけの話で、何を言っても結果論にしかならないかもしれません。

ちょっと違うのは、わたくしは「誰でもいいからつながっていたい」という気持ちが薄かったことと、自分のことを誰も知らない土地(東京)に引っ越したら一発で元気になった、ということでしょうか。

メッセージから察するに、こうなにか強力な呪いみたいなものに昔かかって、そこからうまく脱出できなかった感じがします。

大体の人は自分を語ることを苦手とするものですが、あなたもかなり自分自身を語ることに怯えているふしがありますんで、自分について考えようとすると急にだめな感じになっちゃうのかもしれませんねえ。

本当は人のせいにしたいのに呪いで人のせいにできない、という状態はキツイものがあります。わたくしにはあなたの事情や何に呪われているのかがわからないのでなんとも言えませんが、余力がある時は思い出せる限りの自分史を書き出してわたくしに送りつけてみてはいかがでしょうか。

つきなみだけど、自分のやってることが正しいと後押しされた人間のやることって恐ろしいなあと改めて思っててね。

今までは歴史の教科書でしかその愚かさを学習できなかったけれど、今はすぐそこに、毎日繰り返し繰り返しそんな事例が転がっていて、いつ蹴っ飛ばして自分も巻き込まれるかわからない日々じゃないですか。

とは言え、いつも自分は間違ってる気がする、自信がない…ではうまくいくものもうまくいかんので、難しい話ですね。

わたくしはわたくしの話をする他ないです。

・悪口は楽しいんで、わたくしの知らない人の悪口はじゃんじゃん送ってください。親でも恋人でも配偶者でも、知らんおっさんでも。
あ、わたくしの悪口はいらないです。

・のろけも楽しいんで彼氏彼女ができたばかりの人はどうぞ存分に幸せ過ぎてしぬとか送ってきてください。
ふられて死にたい人は死にたいと存分に書くといいと思います。

・クソ真面目でもふざけててもその時の気分がいいと思います。
いつも一定の同じ気分なんて人間性の否定です。人間は不安定にできているからものを考えることができるわけでね。

・ごめんなさいね、自分の話をしろと色んなところで書きすぎて、無理やり自分の話をしようとして困ってしまう真面目な人もいらっしゃいますよね。あんまりわたくしの話は真に受けないで大丈夫です。
どこまで冗談でどこまで本気かわかりにくいのはもともとの性格です。

今も個人サイトの方から「相互リンクしませんか」とメールが届くのを心待ちにしております。

ただこれはあくまでわたくしの個人的な姿勢であって、自分が管理していない場所(TwitterでもYouTubeでも何でも)でそれを押し通そうとすれば、おきもち主導の変なやつとして当然叩き出されることになるでしょう。

なのでこういう場所を作るとわたくしは大変いきいきしてきます。
何でも受け入れてくれそうな優しい人物像をキャラづけしたいならマイナスですけども。

まあこんなわがままなんでビジネスでは大成しませんでしたなあ。
ぺこぺこするのは大好きなんですが、そら違うだろと思ったら言っちゃうしねえ。

そこら辺の秩序をあっという間にすべてぶち壊したのが、googleそして2chです。
これは多分わたくしだけの私論ではないと思う。

なので基本的にはわたくしはgoogle的なもの、そして2ch的なものは今も嫌いです。動画の中で語られている通り、「自分のサイトでは暴言を吐くが、メールでは腰低く丁寧」が当然の姿勢ですから、Twitterで一人で暴言を吐いてる分には好きにやればいいですが、人(わたくし)に向けて「草」などと投げてきた時点で盛大に恨みを買います。

これは残念ながら育った環境と時代の違いですから、表面上は合わせられても根本的な価値観は変えられません。

わたくしの求める自由というのは、実を言えば格差の上に成り立っていて、はっきりとカーストが別れていて互いに越境できないからこそ、その中では自由でいられるという逆説です。

現実社会ではそれが見た目だったり偏差値だったり経済力で決まっていたものが、黎明期のネットでは情報量だったり面白い文章を書ける能力だったりしただけです。

若木民喜と餅月ひまりが97年頃のインターネット世界(2chができる前)を語っている動画があって、わたくしは当時あんまりゲームやアニメには関心がありませんでしたが、どうやってネットで人と仲良くなっていたかについてはこの動画通りだと思う。

心地よい空間というのは、極言すると「言わなきゃわからないやつ」が一人でも現れた時点で台無しで、空気が読めないとか頭が悪いといった、そもそも人と仲良くするルールがわかってない人間に対しては厳しく断罪し、差別だろうがいじめだろうが、その空間から全員で即刻叩き出すというのが基本姿勢だったわけです。

なぜそんな修羅みたいな世界だったかというと、動画で語られているように、各々がサイトを持っている管理人だったから、そしてgoogleのようなロボット検索もまだないので、仲良くなるには直接管理人にメールをして友達になるしかなかったからでしょう。

自分が管理者だとその場の平和を保つために縛りを設ける必要があるわけで。

変なやつはそもそも仲間には入れないんです。現実と同じですよ。
だって「ネットだから」って概念自体がまだないんだから。

平和はそうした、ある意味「弱者は黙って去れ」という特権意識と自尊心の元に保たれていたのです。

閉塞した社会とはいうものの、何と比較して閉塞してるのか、どうなると閉塞の反対…開放的?な世界になるのか、あんまり人から聞かないんで、まあ文句言いたいだけなんだろうとは思っています。

何もやってないなら文句くらいしかいうことないしさ。

そうですね、ぽつぽつとnoteで家内ちゃん展開を試みておりますんで、よろしかったらご感想をお聞かせくださいませ。

近鉄宮津駅はわたくしが入学した時もありましたね。降りたことはない気がしますが…。
ストリートビューで久しぶりに見てみましたが、やっぱり府道側じゃなくて木津川側が最高ですね。いまだ何もありません。実家そっくりです。

ところでそのハンドルネームも宮津の住所由来でしょう?

ぴくちゃんは歩いて(というか徘徊して)サニーハイツにたどり着くことが多かったんで確か宮津のハズですが、だんだん記憶が曖昧になって狛田かもしれんとも疑い始めました。

わたくしは牛乳配達でそこら辺を毎朝めぐっていたので道自体は覚えてるんですけどもね。

田園風景と山々の遠景

まだ描いている。

2025/08/10

アーケードの初代グラディウス、初めてクリアした気がするわ。
40年以上かかって。

……巻き戻し使って。

わたくしの今の最寄り駅も20年前は大層不便でしたけどね。一度踏切が降りると二度と開かないみたいな感じで。
住んでる人間にとっては駅や商店街はきれいになったほうがそりゃいいです。

なので昔に戻りたいとは全く思いませんが。
どうしても年齢と共に考え方は保守的になっていくもので、「そんなに全部なくしちゃっていいのかな」という疑問が強く湧いてくるようになります。

思い出話っていうのは同じ時代を共有した人とのみ話して価値があるものなので、エイジレスな考え方になっていくと思い出やノスタルジーという概念そのものが消失しそうな気もしますね。

これが1993年の8mmビデオで撮影された三山木駅なんで、わたくしの記憶ではまさにこのままです。全然違うでしょ。

電車や駅は好きな人が多いんで結構みつかるんですけど、商店街や街角の昔の動画ってなかなかないんですよねえ。まつりでもない限り。

わたくしは電車もよくわかりません。

11年前の三山木駅前の動画ですが、このおじさんが一生懸命自分の持ちマンションを宣伝してる動画ばっかり出てきますね。三山木。

どこにも面影ないのでほんとにこれ三山木駅なのかという気分です。
どっちが東か西かさえわからないんで今いっても懐かしさは感じないだろうなあと思いますねえ。

わたくしも負けず嫌いではあるので、
やったらできるんじゃない?とか呑気に思っちゃう方なんですけども。
1ヶ月でプロ並みに上達しろと言われたらそりゃ厳しいと思いますが、
「いつかできるようになる」だったらなんか出来そうな気がします。

「いつかできるようになる」というゴールのない目標に向かって行動できるかどうかは性格ですね。性格は治らんので努力の問題ではありません。

わたくしはそういうのは割と得意です。逆に「3年後に絶対東大合格!」みたいな目標があるとだめな方でした。
必ず寄り道して間に合わないんで。

そう考えるとわたくしの長所は「脱線と寄り道」だと思います。
短所として紹介すれば「長続きしない」ということになりますが、絵はこうして長続きしてるので、コンプレックスも別にないです。

勉強だけできる、って人のが少ないんじゃないですかね。
勉強もできるし何でも大体できるって人のが多いんじゃないですか。全体的に見ると。

できるけどひけらかさない人のが大半なんで知られないだけでね。

医者をやりながらピアニストとしても画家としても活躍してる、なんてマルチな人は結構たくさんいて、そういう人たちに共通しているのはまずは要領がいいということ、言い換えると本質を抑えるのが上手だということかと思います。

どうして本質を抑えるのが上手かといえば、そりゃ頭がいいからなんで、まあ残念ながら彼彼女たちと同じことをやっててもわたくしはできるようにはならんですなあ。

進学校や頭のいい大学に行く意味は、それを早々に悟るということにもあるとは思いますね。憧れてもしゃあないので。

教育とか福祉はどうしても労働内容と賃金が見合ってないことが多くて、現実をだいぶ思い知った。

結局40代のしごとをそんなことに捧げているうちにお金も尽きてしまった。そしてわたくしとは無関係の内輪の揉め事で空中分解。

仕事は軌道に乗りかかるとろくでもない人間関係が増える。
愚痴ってもしゃあないんですけど、後悔は残る。

ろくでもない人間を知った後悔を覆すには、まっとうな人間に出会うしかない。まっとうな人間に出会うには、自分がまっとうであるしかない。

簡単なようで難しい。
あなたに声をかけてきた人間がろくでもない人間なら、とりあえず自分がろくでもない人間になっていないかよく確認したほうがいいと思います。

自戒をこめて。

お気に入りの墓場②。

遠くに見えているのが鈴鹿山脈。
わたくしは家内ちゃんと離婚しない限り、もう一生田舎で暮らす機会はないものと思われます。

正直もう都会にはいたくないですが、離婚してまで田舎に帰りたいわけでもなく、しかし年齢を重ねるに従って、東京の空気や人情のあり方がつらくなってきました。

田んぼと墓石のある風景。

2025/08/09

現在進行系で傷ついてるやつなんか全然やさしくない。
自分のことで手一杯なんだからさ。

傷ついたのを自分のちからで乗り越えるから、段々人に優しくなっていくんだと思いますよ。
そういうのって、できる人とできない人がいるんで、みんなができる必要はないし、卑屈になることもないと思いますけど、

わたくしはちゃんと傷ついてちゃんと乗り越えた人が好きだし、それは確かです。

アキバの野郎ラーメンも閉店かあ。
ラーメン毎日食べても平気だった頃は結構行きましたよ。
狭かったっすねー。

リスペクトとか敬意を表するとか、言い方はなんでもいいですけど、いうほど簡単じゃないなとわたくしは思ってましてね。

口先だけにならないようにするにはどうしたらいいんだろうと考えますけど、一つは相手について詳しく知ることが第一歩なんじゃないですかな。

だからそういうオタクのこう、熱心な感じはすごくいいじゃないですか。めちゃくちゃに詳しいの。

わたくしも自分の漫画ですごい細かいことまで覚えてる人がいたら嬉しいですよ。そんなこと期待してないからさ。

言葉が丁寧とかはあんまり関係ないですね。
自分が第一優先なのか、相手をたてているかは話すなり文章読むなりしたらすぐわかります。どっちがいいとかはないと思いますけどね。

ただ自分のことしか考えてないのに「リスペクトしてます!」とか嘘つくから疎まれるわけで。そういうのすぐ伝わるんですよ。他人には。

コミックコンプは読んでたんでサイレントメビウスも読んでましたよ。
4、5巻までは覚えています。

途中でわからなくなって、最近最終巻まで読もうとしたんですが、
絵柄が変わりすぎてなんかだめでした。

完結に10年かかったとは言え、同じキャラの顔がこんなに違ってていいんでしょうか。
どんどん鼻が巨大化してアゴが伸びていくんですが、一体何があったんでしょう。

90年代末期の流行りの絵柄って最終巻みたいな感じだったんでしょうか。

漫画キャラクターの初期と最終巻の比較

繰り返していいますが、例えばわたくしがどんな真摯な紳士に見えたとしても、信用しないことです。

わたくしは今はたまたま人を騙す理由がない(リスクが大きすぎる)だけで、理由が発生し自分の身が危うくなれば恐らく嘘をつき、人を騙すでしょう。

中には本気で「嘘をついている自分」を自覚できず、どんどん嘘を作って全部自分で信じ込むという病気の人もいます。
それはもう治療が必要なレベルで、善悪の話ではありません。

そういう時代だからこそ、わたくしは信用されたいと強く願っておるわけでね。

「よしよししてもらいたい」という気持ちは、まあ男というのは少なからずどこかに持っておるので、全否定してしまうのもうまくいかんとわたくしは思いますが。

しかし実際「よしよしして欲しいんだ」という中年のLINEやDMを恐怖する女子学生から見せられたわたくしは、

「こりゃだめだ」

とはっきり思ったんで、記録の残る方法で言わない方がよいと思われます。

多分みなさんは正常な世界に生きておるのでわからないと思いますが、おかしいやつは本気でおかしいのです。

「俺は本当は弱いんだ」これは常套手段なので、高校生のあなたは絶対に耳を貸してはいけません。

すっごい恥ずかしい話なんですが、
当時は「精神科で精神の薬をもらっている」というのがなんだか自分は特別な人間だって気がしてね。

恥ずかしいどころか心のどこかで「俺は普通の人間とは違うのだ」みたいなことを思ってたふしがあります。

30年前の話とは言え、大学生のわたくしはここまでバカだったのかとしょんぼりします。

下に挙げた薬はいずれも依存性が高く、しかも通院するたびにどんどん量が加算されていくので二度と病院は行かねえと思ったものです。

日記に残っていますが、家内ちゃんも当時同じように精神科に通っていて、わたくしは主治医に「家内ちゃんと同じ薬がよい」と希望を言って困らせていたようです。

いまだに覚えていますが、わたくしにはコントミンが一番合わない薬でしてねえ。1粒飲むとそのまま寝たきりでした。
だるすぎて動けないのです。
かつ副作用で猛烈に喉が渇きました。

3年くらい前、突然血糖値が急上昇して入院コースになった時、あ、これはコントミンを飲んだ時と同じ感覚だと思いました。

体を起こそうにも起こせないくらいだるいんですよ。
薬を飲んでる間の方が狂人に近いありさまでした。

今思うと恐ろしいですが、当時ネットの掲示板では「安定剤をすりつぶして粉にし、鼻から粘膜吸収するとよく効く」なんてことが話題になってて、わたくしもやりました。ドラッグをやってるみたいな格好です。

死ぬかと思いましたよ。脳天を殴られたような刺激で。涙がとまりません。

97年当時に府立医大の精神科でもらった薬の写真が出てきました。
最初はもの珍しくて写真とってたんだけど、この後どんどん種類が増え、寝たきりになって通院しなくなります。

初期は
レンドルミン/ニューレプチル/コントミン/ベンザリン/ヒルナミン/リスパダール/デパス
のような処方のされ方でした。今みたいにネットで調べられないので、情報交換掲示板みたいなところをよく見ていましたね。2chはまだなかったと思う。

手の中の薬のブリスター包装

ファイナルファイトも相当毎日ゲーセンでやりましたが、最高でも最終面のラスボス手前で、それも1~2回だった気がします。

同じく「天地を喰らうII」が浪人の時に出て、予備校にも行かずにやってましたが3、4面どまりだったような。

ゲーセンでクリアでしたゲームってほとんどないですね。あんなにやってたのに。今でもクリアできそうなのはファンタジーゾーンくらいです。

先日発売された「グラディウス オリジン コレクション」を買いました。
わたくしはグラディウスシリーズを全てリアルタイムでゲーセンでやっていた世代ですが、実は1コインでクリアしたことは一度もありません。

初代と沙羅曼蛇をちょろっとやってみましたが、やっぱり行って4、5面です。

ゲーム配信を見てるとみな苦も無くクリアしてますが、ものすごい難しいゲームなんではとわたくしは思っています。

攻略を見るとやる気なくなるのでああクリアできないクリアできないと言いながらコツコツやります。

ゲーム「グラディウス」PS5版パッケージ

わたくしが10代の頃、リアルタイムで読んでた漫画はこの辺ですかね。この頃はあれですね、スペースオペラというか「平凡な主人公の元にある日ビキニのお姉さんがやってきて、全宇宙の英雄になる」みたいな話が多かったと思います。

お色気も多分に含んでて、大体攻撃されて全裸にされます。

これらもマキタの好きな「魔神英雄伝ワタル」「グランゾート」に話を合わせようと読み始めたSFだったんですが、そのうちマキタは関係なくなってただただ乱読になる、いつものパターンを辿りました。

少年週刊誌はほとんど読まなかったですが、月刊コミコミ・キャプテン・コンプは読んでたと思います。最後に覚えているのはあさりよしとおの「地球防衛少女イコちゃん」です。三号連続で買うともらえるイコちゃんの下敷き、まだ実家にあるんじゃないかな。

ウィングス(高河ゆん)とか花ゆめ(ここはグリーン・ウッド、動物のお医者さん)とかもよく読んでましたね。

アニメ風の人物とロボット
マップス
漫画「OUTLANDERS」第1巻の表紙
アウトランダーズ
漫画の表紙、主人公とタイトル。
宇宙英雄物語
エルフ17の表紙イラスト
エルフ17

エンタメならエンタメ、萌えなら萌え、エロならエロに素直に特化してりゃそのうち拾ってくれる人もいそうな気がするんですが。

なにか一つだけをやり続けるってどうしてもできなくって。
これはもう自分一人でやってる間はやっぱりだめなんだろうなあと思う。

2025/08/08

共感とか理解とか、あるいは平等とか人権とか、ある種の世界に住んでる人間が好きそうな言葉をネットによって拡散していくとどんな世界になるか、これはもう現実として眼の前に展開されちゃったんで、わたくしは否定せざるを得ないです。一つの意見としてね。

うまくいってない、余裕がない、つらい、しにたい、
これらの特効薬は「すべての連絡を断って一人きりで数日引きこもる」、わたくしは本気でそう思っていますよ。

メイドインアビス」の最新刊が出てたんで早速kindleで読みました。
そういやこれはアニメもマンガも追ってますね。

もともとファンタジーは頭がついていかないんですが、これも年に一回新刊が出るたびに何巻か前から読み直さないと何の話だったかわかりません。

これも学生に教えてもらったんだったな。
みんな就職するとアニメ・マンガから卒業しちゃって、先生だけが細々と追っている。微妙に寂しいものです。

キャラクターが冒険に備えるシーン

鬼滅の刃を手放しで面白いと言っているのは、わたくしの周辺で一人しかいないため、そんなに人気があるのかと驚いてしまうわけですが。

わたくしは2話目でとまっているんですけど、みんなが面白いと言っているものはわたくしが見ても「面白い」という感想にしかならないので、まあ後でいいかなと。

ところで集まって話をすると、アニメとマンガどっちが好きという話になったりします。
わたくしは2010年前後はアニメばかり見てて、仕事中にラジオがわりにしてましたが、今はちょっとした時間に好きなように読めるマンガの方が読む機会が多いですね。

そういやアニメとマンガ、両方好きってのは滅多にないなあ。
とらドラも漫画は途中までしか読んでない。

わたくしは壮絶な人生、一発逆転の派手な人生の話より、くさらず地道にコツコツやってきた人が、最後にちょっとだけうかばれる話のが好きです。

つまり、わたくしはここを見ている方、偶然立ち寄った方のなんてことない話を聞くのが好きなのです。

さきほどもいただきましたが、
受験の頃、わたくしの漫画が精神的な支えになっていたってメッセージ結構多いんですよ。

ただまあ、ずっと平凡な話を平凡に描き続けてましたけど、段々限界を感じているので最近あんまり刺さらない内容にしています。
若い人には読んでもらえなくなるだろうとは思いながら。

音楽、特にクラシックで食ってくのは昔から難しくて、先生でもやりながらなんとか演奏活動もするってのがほとんどだと思います。そもそもクラシックって食うためにあくせくする必要がない家の子がやることも多いしな。

でも音楽家ってメンタルはすごい強靭だったりします。厳しい競争と練習に耐えた上で、人前で弾くプレッシャーに勝ってきた人たちなんで。ピアノの先生がトラウマになるくらい怖かったのはそういうことでもある。

みたいなことを、たまたま今日流れてきたこの動画を見ていました。

でもまあ結局応援してもらえるかどうかは人柄だよなあ。
なんか応援したくなるもの。見てて。

しばらく「若干あかるい話」を意識して描いていた。
そうするとくらーいくらーい絵が描きたくなる。

2025/08/07

オリジナルのジンギスカンのと日本声優のバオバブシンガーズの「めざせモスクワ」とはどういう関係なんだ。

結局調べずわからずのまま40年くらい経ってしまったが、わたくしは両方好きです。

バオバブの方は1名しか在籍してない科学部の、あー名前なんつったっけな、魔女の宅急便のトンボと浦見魔太郎をザ・フライみたいに合成したような男がテープでくれた。

科学部のマンガ描いたことあったっけ。ない気がする。

わたくしは絵を描くたびに落ち込んだり元気になったりします。
めんどくさいとは思う時もあるけど、苦痛だと感じたことはないですね。

でもそれは絵が好きなんじゃなくて、描いてる人の思い出が好きなだけじゃないかとまだ疑っています。

一回人に聞いてみたかったのですが、毎日でなくても日記をつけてたことがあったとして、その中にでてくる好きな子の名前(わたくしでしたらマキタなど)をなんと表記していましたか。

日記の中でも仮名にしましたか。普段は呼べない下の名前で書いてみたりしましたか。ああ、いいですねえ。わたくし、そういう話が大好きです。

わたくしは恥ずかしがりなもので、深い仲になっても相手にせっつかれない限りそれまで呼んでいた名字呼びで名前を呼びます。
マキタはマキタ、ヨシダもヨシダです。

これが日記の中ですと、様々な呼び方をしてるんですね。
さすがにちょっと恥ずかしいんですが、色んな呼び方をしたかったんだと思います。

マキタさんは~と書いたり、○○(名前)さんは~と書いたり、
オータニが呼んでたあだなで書いたり、「マキタさま」と書いたりしています。

こういう部分が誰にも見せる予定のない日記の、最大の恥部、かつ我ながらくすぐったい様子でもあります。

日記もそうですが、わたくしは写真の裏にこうしてメモを残していく方でして、今描く時に役に立っています。

授業の板書は全くしない方でした。
あんまり頑張らなくても落第しないために、超進学校ではなく真ん中ら辺の学校を選んだわけですから。

わたくしは入学当初、高校3年間をアーケードゲームに捧げる予定でした。
まさか途中から女の子の尻をおっかけるだけの生活になるとは、運命とはわからないものです。つくづく思います。

写真の裏側にコメントと名前。

こないだ初めてくら寿司に行きました。
近くに回転すしがないんで、行ったことなかったんですよね。

味はだーいぶ苦手でした。
まあね、値段ががんばってるからそれは言っちゃいけないんでしょうけども。魚介も高騰してるというのに、がんばってるなあと。

回転すしのチェーンはコーンマヨネーズ軍艦とかサラダ軍艦とかがあるんで、ああいうのは物珍しくて好きです。

わたくしは巨漢の割に10皿でちょうどお腹いっぱいになるんですが、おなかいっぱい食べて2000円くらいならラーメン行く感覚で行けますもんね。

まわらないお高い寿司屋が1万円くらいとして、わたくしがいつも行く回転すしはその間の、だいたいお腹いっぱいたべて4、5000円のところです。

いつもって言ったって数ヶ月にいっぺんですけども。

あいかわらずラブコメとしては「とらドラ」を超えるものはわたくしの中では出てきてないんですが(もう多分出てきませんが)、他にもブルーレイを買う程度には好きなラブコメもたくさんあります。

たまこラブストーリー
心が叫びたがっているんだ
謎の彼女X

まだまだあるな。

けいおんで初めてきらら系というジャンル?に触れました。日だまりスケッチとかもよく見ましたねえ。きららは漫画よりアニメの方が好きだったかもしれません。

どの辺で見なくなったかなあ。幸腹グラフィティのあたりかな。

2025/08/06

成城石井なんてぐるっと一周して美味しそうなの放り込んだだけですぐ1万円突破しますからなあ。

あんまり行きたくないわけですけど。
家内ちゃんはまいばすけっとや近所のスーパーで買ったものは全然食べないんでねえ。

わたくしはまいばすけっと大好きですよ。よく行きます。
ゼリー3個まとめ買いで30円お得、というやつが好きで、
毎日のようにスイカ・グレープ・オレンジのゼリーを凍らせて食べます。

ネットのキッズは面倒なだけなのでほっておくとして、虐待されている、いじめられている、ふられてしにたい、この辺の強い思い込みはやっぱり最初は肯定してあげないとなあとは思いますね。

だってわたくしもそんな風にクソガキだったわけですから。
ねえ。

大人を「大人という生き物」だと認識している時点で自分は子どもなわけですし、妥当すべき憎しみの対象として親を捉えているのはむしろ正常な気がします。

よくないのは誰もが同じフォント同じフォーマットで見ているということだけでね。中学生が動画でごちゃごちゃ文句言ってる動画なんか見てる暇はないです。

話を聞いて欲しければ話を聞いてもらえる言葉で話すのが基本ですので。ええ。でもそれはわたくしたちのエゴかもしれませんね。

ゴミ!カス!にちゃんと向き合ってあげた方がよかったんだろうなあと急にセンチメンタルになってきました。

「キッズ」というスラングが何歳までの子どもを指すのか、それとも年齢関係なくクソガキ的な挙動を指すのかわかりませんが、
この動画今みてて大笑いしました。キッズはばかだな!顔真っ赤だな!

わたくしの時と何も変わっていない。
親にファミコンを隠されるのと同じだ。
安心しました。

急にこういう言葉遣いのリプライが飛んできてびっくりすることはありましたが、こういうのを普段見慣れてれば、あーまたキッズかーということで気にせずに済むのかもしれないな。

もう「お前の漫画は嘘っぱちだ」なんて言ってくる人はいないんですが、どうにもまだ回復しておりませんで。

その頃の何かを証明するものがあるとすぐに書いたりアップロードしてたりしてしまいますね。

青春モノクローム大学生編は、三山木・興戸・
新田辺という近鉄沿線の駅が前半の舞台ですが、これは新田辺の動画です。

三山木はわたくしの下宿があった駅、興戸はピアノ教室があった駅、そして新田辺は村木の家があった駅です。

この動画に写っているいずれかの部屋が村木の家だったということになります。以前、記憶頼りでこんな漫画を描きましたが、まさにその団地です。

30年ぶりのその様子を見て、少しこみ上げるものがありました。
公園もたくさん写っていますね。この周辺は公園がすごく多いのです。

家内ちゃんがぐずぐず言っておるので成城石井に行って桃と杏仁豆腐を買って来たのです。
数百メートル程度の距離なんですが3回休憩しました。
そのうち本当に行き倒れそうです。

桃はわたくしも大好きですし、食べなくてもテーブルに置いてあるだけで幸せな気分になるので無理してよく買います。
そろそろ早生のナシも出回り始めました。

あまおうも高いですが桃も高い。
当たり外れが大きいんで、結局ちょっと高くても糖度表示がある大きな売り場に行って買う方が損せずに済みます。

桃なんて実家の庭に食べきれないくらいなってたのにな。
でももちろん、ちゃんと手をかけているわけでない桃は大して甘くなく、美味しくはないです。

まあ考え方なんて一瞬で変わりますよ。なんかあったら。

わたくしも絵を描き始めた当初は「中性的な女性」にこだわってて、胸を描かなかったり、乱暴なポーズをとらせていたんですが、だいぶ変わりました。

よくよく写真を見直したら、そりゃ当然女の子ですから胸はあるし男みたいな体型ではなくて。そんなことでも衝撃を受けて胸を描き始めたんです。アップデートなんて大層なもんじゃないけどね。

芸術とか特殊技能だと思わずに、今自分の眼の前に見えているものを絵に描いてみてはいかがでしょうか。
お金になる絵を描くのは難しいですが、絵は誰にでも描けます。
平等です。

色々見えますよ。何も見えていないってことが。

わたくしは特に支持政党も支持思想も持ち合わせていませんが、現実の世界で生きていたいと思ってます。

生きている限り、それは妥協と諦めの連続です。
その中で数字やデータに惑わされずに、かつ希望や夢を持ち続けるには、自身に哲学と自立が必要だとわたくしは思っています。
が、それは哲学書を読んで勉強することや、競争に買ってお金持ちになることではないです。

自分語りは一つの自分哲学とも言えますね。
この辺はピンと来る人はピンと来るし、ピンと来なくてもわかってる人はわかっています。なのでわたくしもことさら理解してもらおうとも思っていません。

ただこうして差が明確についた世界は、圧倒的な少数の成功者と、群れて文句を言い続けるだけの弱者にどうしてもわかれていってしまいます。歴史を勉強すると同じような時代がたくさん出てくるんで、漫画かなんかで読むといいと思いますよ。

わたくしはそんなもんは知らん、という姿勢です。
個人にしか興味がないので。

現実を見たくないという点では、一番身も蓋もないのが資本主義です。金がなきゃ何にもできんという世界ですし。
最近お金や数字のロジカルな理系的話題が多いのは、夢や幸福などふわっとしたものではもう食っていけなくなったからで。

対していわゆる左翼的思想、共産主義と言ってもいいですが、は文系のよりどころです。彼彼女らは議論が本当に好きでねえ。理論じゃないんですよ。議論です。「みんなで話し合っていることに価値がある」という感性的思想なんですよ。最初は違ったんだけどな。

だからいつも結論はなく、どうすればいいかの建設的な話もなく、「みんなで悪を打倒する」みたいな方向へ走りがちです。感性や情緒を優先するんで、特にやることがない暇な人がかぶれる。つまり、大学生や大学ですね。京大はその親玉です。京大の変なオタクノリはそういうところに由来するんだと思いますねえ。

大人になれなかった、あるいは大人になる必要がないところにいる人間はいつまでもそうやって小さな言葉尻を捕まえて、永久に議論を繰り返している自分たちに満足します。寂しがり屋なんです。

圧倒的な論理で詰めてくる資本主義に対して、文系はもうやることがあんまりありません。だから「感性と情緒で共感を得られるもの」、例えば環境問題、人権問題(LGBTとか)、原発問題を情緒によって大声を上げて反対します。それが活動家と言われる人々です。

もちろんそれが悪いわけでもなく、資本主義が正しいわけでもありませんが、世界が貧乏になるとそれを立て直すに必要なのは身も蓋もない現実的な理論と数字になってきます。

この30年は文系的な「感性」「情緒」が否定され、かわりにロジックと結果が台頭した30年だとわたくしは思いますよ。

わたくしが大学生の頃は文系の方が強くて、偏差値も高かったと思います。理系の扱いは「何を好き好んでそんな苦しそうな方向へ」という感じでした。

経済は既に崩壊してましたけど、人の気分はなかなか変わらないんでね。
だから芸術とか文学、音楽、あるいは恋愛とか夢とかにまだまだ価値があって、それでもなんとかなるさ、みたいなふわふわした世界でした。

そうそう、近鉄鈴鹿線です。青春モノクロームの舞台は。

すぐ隣の四日市が三重県では一番空襲が激しかったらしいんで、そこの帰りに落としていったのかもしれませんね。

こんな明治の頃からなんもかわっとらん、
なーんにもないところに爆弾落として、一体何がしたかったんだろうな。戦争って。

田舎の無人駅と鉄道の風景。

2025/08/05

実家のレモンとゆずの木。
左がレモン。

そんなにレモンばっかりとれても使い道がないのだけれど、ほっといても実がつくしあんまり鳥に食べられなくていいらしい。

いちごや柿、桃は大体鳥が一番美味しい時期を狙って全部食べてくからね。

庭に柑橘類の木が2本あります。

見た目とキャラだけで人を好きになるのって逆に難しくないかなあ。

わたくし学校でモデルとか芸能人とかアイドルが身元隠して学生やってるの見てますけど、ごくごく普通の子ですよ。大体。

家内ちゃんが「友達に見せられないから夫には格好よくしてて欲しい」って感じだったらちょっとは考えたかもしれませんけど、断絶された世界で生きてるんでそんなもん全くなくて楽でいいです。

それと「人と会うのに風呂入らない服着替えない」とは別の話です。
それは気にしすぎるくらい気にします。だって人を不快にさせたいわけではないので。

少なくともわたくしは人間嫌いではないので、それはあると思いますけどね。ただ最近はちょっと自分のことを集中してやりたいなあとも思っています。

今日のマキタの絵はいつもより今のイラスト寄り?にしたからかもしれません。わたくしはデフォルメが大層苦手で、特に自分の知ってる人を描いてる関係上、ものすごく手足や首を細く描いたり、あり得ないほど胸を大きくしたりすることにちょっと抵抗があって。

でもリアル志向ではないんですよね。なんで中途半端だなあとは思います。

頭は悪いよりいい方がいいかもしれませんけどねえ。
とはいえ、どういう人が頭のいい人なのかってそれもよくわかんないしなあ。

誰と話しても、「お前めちゃくちゃよう知ってんなあ」とは思いますけど、それで「お前頭ええなあ」とは思わないし。

どういう時、この人頭いいなあって思うかな。

わたくしはほら、マキタやオズ先輩みたいに自分の見えていないところを実はよく見ててわかっている、というような人物に対しておお、と思うという基準があるんで、「余計なことは言わないが必要なことは言う」ことに対して頭がいいと感じます。

逆にそれはなぜかと踏み込んで考えれば、わたくしが「余計なことしか言わないし、言わなきゃいけない肝心なことは言わない」と自分自身の性格を捉えているからだと思います。

そこそこ勉強ができた人ってインプットが好きでしょ。
人よりたくさん知ってるとか、詰め込むこと自体が快感なんですよ。それで褒められたり成績として順位がついた学生時代を送っていますから。

一方でぱんぱんにいろんなことを詰め込むせいか、それで自縄自縛になってることも多くてさ。すっごいいろんなことを調べてからじゃないと行動できないタイプもいます。あとまずいろんな人に聞いて回るとかね。リサーチって名目でね。

わたくしにも多少そういうところがあって、ただ幸せを感じるのはただただアウトプットしている瞬間なんですよ。
どうやったら注目される絵が描けるか、とかほとんど考えてないですし。

さすがにこのところちょっと意識するようにはなってきましたが。

インプットとアウトプットもバランス悪すぎると生きづらいよね。

かっこいいものより、どちらかと言うとかわいいものの方が好きだったと思います。

小学生の頃に流行した、「ヘッドストロングボンズ」というシリーズが特にお気に入りで、いろんなグッズや文房具が出ました。

文房具は近所のちいさな和田文具店で買うしか購入の手段がなかった。
6畳くらいのスペースにあらゆる文房具が詰め込まれた、昔ながらの文具屋です。

和田文具店と自販機と郵便ポスト。
坊主とカタツムリのイラスト

やっぱりみな不安の時代なのか話を聞いてくれと言われる機会が多く、これがまた聞いてばっかりいるとわたくしも負荷がかかるんで時々は言いたいこと言いたい。
でもSNSはもう話通じなくて無理だし、話通じないってことは現実と大して変わらんし、特にメンタルがもともと不調気味の人にはきつい季節なんじゃないかと思いますわ。ええ。

2025/08/04

そうそう、わたくしもあの水筒は水泳部やバスケ部の練習時にもっていってたと思います。段々恥ずかしくなってみんな普通のに変えるんですよね。中学生になると。

バカバカしい話なんですが、中学生の時は後輩はスポーツドリンク禁止で、水か麦茶以外の飲み物をもってくると先輩にいじめられるんですよ。

どういう気持なんすかね。
へたくそな後輩がスポーツドリンクもってくると生意気ってことなんかな。

「これが正常である」「これが異常である」って区別を誰もがさくっとつけられた頃はなんでも言えたんですけど、もうわかんないじゃないですか。精神的におかしくならない方がおかしいとも思えるしさ。

だから優しくして欲しいという寂しさに対する態度も、以前は「自分は他の人より弱い」ことをアピールすれば誰かしらかまってくれたんですけど、今は多分「優しくして欲しければ人に優しく接する」が正解な感じになっています。でしょ。

それがいつでもどこでもできたら平和でいいけどなあ。
まあ理想論ですわな。人間やめて神にでもならんとできん。

優しくして欲しい人は傷ついてるんで、そんな余裕ないもの。
わたくしはかわいげがあればかまうし、憎たらしかったらかまいません。その辺は理屈で考えるとおかしくなるんで、かまいたい人にかまうでいいんじゃないですか。

ウッドペッカーやトムとジェリーが再放送していたのと同時期に、日本のアニメも昆虫とか動物をフィーチャーしたものが多かったです。
しかしなんだか70年代の動物アニメって、例えばみなしごハッチとかガンバの冒険とか、過剰に道徳的なんですよね。

アメリカのカートゥーンと比較するとやっぱりこう、日本的なだなあと感じます。

下に貼ったのは若干マイナーですが「ハゼドン」というハゼが主人公の動物アニメです。わたくしハセガワなんで、よくからかわれたんでよく覚えてます。

弱いものが強い権力を打倒するのが美徳という、判官贔屓の精神があらゆる表現に見てとれますな。

ウッドペッカーもよく放送してましたね。
トムとジェリーほどではないですがよく覚えてます。
でもウッドペッカーの性格とか全然記憶にないな。

鳴き真似とオープニングの映像だけすごく覚えてる。

「アアアアーオ」って鳴き声(?)の真似が流行って、お調子者はあれやりながら手をくちばしの形にしてつつきに来るんですよ。

わたくしも今でもあの喉をふるわせる鳴き真似できます。
応用すると呪怨の「ア…アアアア…」という声もできます。

あーアリの巣の自由研究とかしてたやついたいた。
アリの巣も鉄板かもしれません。

貯金箱とアリの巣が多数派のようですよ。
貯金箱は作ったあと実際お金を貯めたんでしょうか。

自由研究とは別に、わたくしはアリの生態観察が好きでした。
神社にいるのは獰猛で巨大なクロアリ、家の中でお菓子こぼすと一瞬でどっかからやってくるのが小さいアカアリでしたねえ。

一回どこから来てんだと追いかけてみたことがありますが、古い窓の隙間から裏庭に出て、自宅の外壁超えてえらく遠いところから来訪しており、ぞっとして途中でやめた覚えがある。どうやってそんな遠方から一粒のお菓子を感知しておるのかと。

あっ、そういえばシーモンキーとかわたくし世代じゃないですか。
シーモンキーの観察とかやったやつもいそうだけど、記憶にないな。

わたくしの地方ではシーモンキーなんて流行る前から田んぼにいけばそこら中をふよふよ泳いでいたので、わざわざ金出して買わんでも、という感じでした。

ちなみにわたくしの地元では田金魚と呼ばれていました。

としえちゃんの自由研究が先鋭的過ぎてあとはまったく覚えていない。
中学生も自由研究ってあったっけか?小学生だけかな。

貯金箱かあ。貯金箱作った人多いですかね?
なんとなく自由研究って理科の授業的なイメージがあるんですが、工作でもよかったんですねえ。

押し花はわたくしも作るの好きでした。
電話帳の間に挟んだりして。

押し花の上にトレーシングペーパーを乗せて鉛筆で軽くこすって転写するあれ、正式にはフロッタージュという技法なんですが、あれも楽しかったです。

平日にやってたバージョンのトムとジェリーで一番覚えてるのは、有名なピアノのやつだねえ。

これ、フランツ・リスト(ラ・カンパネラの人)のハンガリー狂詩曲2番って曲なんですが、これ見て練習した覚えがある。
原曲はえらい難曲なんで、子供向けに簡単にした楽譜で。

小学校の夏休みの日記に、「戦前にこんなものすごいアニメーション作ってる国と戦争して勝てるわけないだろ」って書いたの覚えている。

って探したらあったわ。これこれ。
ああこのOP最初から最後までよく覚えてるな。

なんかシリーズ違うのかね。

「トムとジェリー」の話をしてて。
わたくしが小学校の時は夕方の5時か5時半くらいから毎日やってたと思う。チャンネルは覚えてないけど、35チャンネルじゃなかったっけ。35チャンネルって中京テレビ?

それで、土曜日だけ絵柄が違う、なんかもっとコミカルなトムとジェリーだったろうって記憶があるんだけど、これがどうも人に通じなくて、記憶にあるのは「英語の主題歌があった」だけでね。

普通のトムとジェリーって、「なかよく喧嘩しな」のEDのやつでしょ。あれじゃなくてさ。もっと新しい感じの。

しかし暑さもありますが、中野のブロードウェイをぐるっと一周した程度でぐったり動けなくなる体力の低下はいかんともしがたく、絵とか漫画を描くのに必要なのはとにかく体力だなあと改めて思った次第です。

しばらく今来てる仕事に集中しないといけないので更新頻度は減りそうですが、時々こそっとのぞいてやってください。

昨日は一日15~20年くらい前の卒業生たちと一日話をしていたんですが、わたくしにモンハンを教えた学年、わたくしにアニメを教えた学年など、仕事ではなくプライベートな現在のわたくしを形づくった人々であり、まあそれなりにみんな生きています。

ネットでゲームやアニメを忌憚なく語るとしょうもない争いばかり起きてげんなりしますが、わたくしが先生という立場で「教えてもらう」という態度でいる限り、何をどう語っても険悪な空気にはならないので気楽に話ができます。

2025/08/03

戻ってきた。
最近ちょっと足にしびれがあるので、何もないところで転びそうになる。

わたくしが漫画に桃を描くとSNSでセンシティブ判定になるらしい。面倒で異議申し立てもしなくなった。

橋本治の桃尻娘を読み直すか。

いや金を稼がんと本当にまずいんですけどもね。
今日もいまから教え子とファミレスでVTuberの話を10時間しにいくので。その前に絵を描いて、ってやってると金を稼いでる時間がない。

スマホにしゃべって自動で文字起こしをし、自動でこのページに投稿するというアプリも多分半日くらいあれば作れる。

それでやってみてもいいかもしれない。
でもわたくしは90年代後半をえんえんとこうしてタイピングし続けて過ごしたので、今はそれでいいと思っています。

どうでしょう。いにしえの個人サイト…「アクセスすると正直どうでもいい内容だが何かは更新されている」という雰囲気に近づいてきたでしょうか。

言葉を選ばずに言うと、わたくしが最も快適でストレスを感じないのは、学歴やIQ、あるいは趣味嗜好のような可視化される属性でつながった狭いコミュニティではなく、

そうした全ての属性を除いた上で「わたくしとあなたが対等である」、もっと言うと「あなたがわたくしより飛び抜けて優秀でもなく馬鹿でもない」、更にいうと「わたくしとあなたの人間性が近い」ことなのだと思う。

これはまだうまく言えない。だから「それ好きなアニメで仲良くなるのとどう違うの」と言われると、違うんだけどうまくいえないとしか答えられないし、それをAIと壁打ちして言語化したいとは思っていない。

SNSがなぜ分断を生むのかと言えば、優秀とか無能とかいった、本来は一側面で切り取れないものを、ことさらに切り取って可視化してしまうからでしょう。だからスーパースターになり損ねたものは、逆に底辺を目指すしか自我を担保できなくなるわけで。

真ん中辺にいる人間はもう何も言わないでROM専になってると思う。
極端によって極端が生成され続けるアルゴリズムは、ただの質の低いエンタメであって、エンタメを求めない人間にとっては居心地が悪い。

AIが要約してくれるんだから、わたくしはここでは読みやすい文章、伝わりやすい言葉選びをしない。する必要がない。
それよりも頭にぽっと浮かんだなにかのかたまりを、声に出して話すのと同じ速度でタイピングしている。

だからがんばって読んでもよくわかんないかもしれない。
どうしても理解したければページ全部、あるいはURLをまるごとコピペでAIに投げればよい。

「理解したければAIに投げればよい」という投げっぱなし、無責任な態度でいられることは、実に自由で快適だ。

わたくしはそもそも自分の考え方を浸透させ、人に言うことをきかせたいタイプの人間ではない。

でもこの10年の間に、「SNS」体験は楽しい出来事よりも不愉快な出来事の方が多くなってしまって、もういまさら新しいSNSとか言われてもな、というきもちになってしまっている。

下で紹介したSNSも、基本は90年代の掲示板文化にAIによる分類を追加したという意味では、わたくしの「自分ひとりでも90年代のネットに戻りたい」というおきもちは多分ノスタルジーではなく、間違ってない。

「SNSとその問題、及び未来的解決」についてこれはとってもわかりやすくて、だいたいわたくしが抱えていたモヤモヤをエンタメ入りで解消してくれた。

わたくしはその問題について、いにしえのこのページを作ることと、メッセージにふわっと対応することで解決を試みましたが、結局これは「わたくしのおきもち」というクローズドサークルにとどまってしまう。

それを集団に広げて次世代の民主主義を考える上では重要だなと思いました。ちょろっと見ておくといいと思います。

わたくしは育った家庭にクリティカルな問題があったわけでもなく(多少のいざこざはあったとしても)、一生癒やす気になれないほどいじめられたわけでもなく、明日食べるパンにことかくほど貧乏だったわけでもなく、自分の価値観が180度ひっくり返るような劇的な人生経験をしたわけでもなく、ただまあ、好きなものを好きなように追っかけているだけの生活でしたんで、

超絶凄惨な不運に見舞われた人の話には「大変でしたねえ」くらいしか言えなくてさ。冷たいなとも思うんですけど。

わたくしは人間を好きになるのが同級生と比較すれば遅めだったんで、逆に小学生高学年の頃誰かを好きだったみたいな話には興味あるんです。それって好きって自分で認識できたのか、言葉にできたのか、とか。

もしその時わたくしがマキタにしていたことと同じことをしていたなら、わたくしは小学生みたいなことを高校生になってからやってたわけで、それも面白いなあと。

大体そういう成長は女の子のが早いんで、女の子に聞くと納得感があったりしますね。

「初恋は保育園・幼稚園」は照れ隠しなんで、「そうなんだ」くらいでわたくしは話に乗っていきませんけど。自我が芽生えてからの話が聞きたいので。

まあ今はそれ女の子に聞くとセクハラですから、セクハラにならない関係、つまりお友達になってから聞くしかないですが。
セクハラってあれでしょ、仲良くないのに部下とか目下の社員に聞くからであって、とりあえず仲良くならないとね。

わたくしガンガンに聞きますからとっくに訴えられててもおかしくないです。要は中年男性の色目がキモくて断罪したいわけでしょ。わたくし色目もクソもないですから。真面目に聞いてんです。

先日いただいた、
「自分が最初に好きになった子もショートカットの子でした。」
ってメッセージの一文がなんかすごく心に残ってね。

どってことない一文なんですけど、こうなんか、率直な気持ちが伝わってきて。

遠い昔どんな人が好きだったかって中年になってからの話題としてはとっても美しくていいんですよ。家庭やローンや人生の話をしだすと、ほぼ闇しかないので。

わたくしがえんえんと描いていることは、

失恋や別離を認められない自分、
どうして?と相手に怒りを覚えたり悲しんだりする自分、
ようやく自分が愛されないことを認識して絶望しかない自分、
時間とともに傷が癒えてまた足を踏み出そうとする自分。

というわたくしにとって「誰もが経験する(べき)」と考えているプロセスであって、どうやったらモテるか・成功するかという話ではないからなあ。

かっこよくてお金もっててがんばって生きてたらモテるんじゃないですか?みたいな、それが出来ないから困ってんだよみたいな回答しかできませんし。

ただ、わたくしがいつも「恋愛」と言っている恋愛は、一般的な恋愛とはなんかズレてる気はしてて。

どっちかというと、○○ちゃんが好きって話じゃなくて、じゃあその○○ちゃんを好きな自分とは何かみたいな話が好きなんでねえ。

そう、だからわたくしクラスで一番かわいい子は誰かとか、学年で一番美人は誰かとか、そういう話全くしたことないんですよ。ほんと。
全然興味なくて。

わたくしの経験として、恋愛に必要なのは暇だけだった気がします。
金持ちだから暇なのか、学生だから暇なのか、その暇の質はあんまり関係ないような。

いつでも暇だったから、いつまでも話につきあえたり、いつまでも悩んでたりできてたんで、それどころじゃなければ人の話なんか聞いてる余裕なかっただろうし。

何も描きたくない日っていうのはあんまりないんですけど、毎日おんなじことやってんのに全然描けない日はやっぱりあって、日というか期間ですかね、気分的な乱高下と連動してるわけでもなく、いつまでも謎のままです。

2025/08/02

8月ということもあり、毎年戦争についてのデータをいい加減に調べたりしているんですが。

以前母に「僕が子どもの頃、祖母ちよがずっと空襲の話をしとって怖かった」と言ったら「この辺で爆弾落ちたとか聞いたことないなあ」と言ってたんで、祖母ちよが聞いた話を適当に盛って話してたと理解してたんだが、

調べたら県内に30数回も空襲がきている。鈴鹿市にも数回空襲の記録がある。死者も数十名でている。うち一箇所はいつもアップしているあの無人駅の一帯だ。
昔っからあの辺はほとんど田んぼで人家も少ないんだけど、なんのために空襲していったんだろう。

隣の四日市が一番ひどかったようだ。四日市は鈴鹿のすぐとなりのため、夜、空襲によって町が燃えているのが見え、次はうちらかと恐怖したというインタビューが残っていた。

2019年に群馬で目撃した、というのが一番新しい地球儀みたいなジャングルジムの情報でした。
ついこないだまで動いてたんだ。メンテナンスしてたんですねえ。できるところもなさそうだし、あれってすごいお金かかりそうなのにね。

昔の遊具って錆びたりしたら一巻の終わりな気がするんですけど、どれくらいの費用をかけてどのくらいのメンテしてたんですかねえ。

漫画家やイラストレータの志望動機の8割くらいが「家で一人でできるから」らしいんですけど、それが本当だとするとネガティブすぎるとは思いますね。

ちょっと前までは、クリエイター職って社会的にどうしようもない人の受け皿になってた部分もあったんですが、一般に認知されて人気職になってしまった今では上のような動機ではとてもむつかしいんじゃないでしょうか。

じゃーなんでお前はそんなのわざわざやってるのかと言えば、
それもこれも自分次第というところが大きいですねえ。

この数ヶ月色々だめになってるんで、ここぞとばかりに弱音を吐きたいところなんですが、ええ、例えば自分が絶対に社会悪だと思っていることに加担しないとか、そういう選択は会社員であればできないと思うんです。おかしいと思っててもやるしかないからね。

わたくしは100万円先にやるから特定政党の悪口動画を作れ、みたいな仕事の依頼が来たとして、家賃に困っててもやらんですよ。

そういう選別はできます。やる人はやります。
その結果どうなっても知ったこっちゃないという世界です。
あらゆる自分の行動が自己責任というわけです。

へこへこして媚びてれば仕事もらえるかっていうとそんなわけでもないので、まあ言ってしまうと嫌われ者にならなきゃいけないこともたくさんありますから。

その辺は全てメンタルにかかってるんで、超天才でメンタル弱い人よりも、能力は低いがメンタル強い人のがやってけます。

4、5年やそこらやるんだったらまあ大丈夫ですけど、
何十年も続けていかなきゃいけないし、ほんとに誰も何も助けてくれないんで、恐ろしい生活スタイルだとわたくし自身も思いますよ。ええ。

あと会社員なら多少会社にカバーしてもらえるけどフリーランスだと絶対許されないのは、
・飛ぶ
・連絡が遅い
・締め切りが守れない
です。

怒鳴られるわけじゃないですけど、次はないというだけです。
すっと連絡が来なくなります。

何もできなくてメンタル弱くて協調性がなくて言われないとやらない性格の場合、スーパー特殊な技能でも持ってない限りフリーランスには向いてないと思います。持ってても国内ではだめだろうなあ。

あとフリーランス同士は仲間というより簡単に敵同士になるので、人間関係も自分がしっかりしてないと劣悪になりがちです。
ドロドロしてますよ。

なんか好き勝手に自由にやってるイメージばかり表に出てきますけど、少なくともわたくしは自分で言ってる通り、社会の末端です。

全部自分でやんなきゃいけないんで、スキルもあがらんしな。
よっほど時間管理が上手じゃないと。

わたくしは好き放題書いてますけど、現在進行中でやってることはほとんど書かないでしょ。超個人的なことは何でも書きますけどね。業界と関係ないから。

これねえ、SNS全盛期の人はクセになっちゃってるんでやめられないんですよね。それが面白く受け取ってもらえる季節もありましたが、今もそう思ってるならやめといた方がいい気がします。

フォロアーが10000人程度増えたところでお金にはなりませんし。

まあねえ、心の病でメールも返信できなくなる、何もできなくなる、という状態はわかりますけどね。
やっぱりそういう状態で生活費を稼いでいくには会社に入る以外ないんじゃないかなあ。わたくしは会社に属したことないんで適当なこと言えませんけど。

フリーランス的な立場でやっていくんだと、そもそも「病んだらアウト」が鉄則なんで、どういう状況でも病んではならないんですよ。ええ。

「誰でもなる」が心の病の実情だとしても、病んではならんというプレッシャーを背負ってやってかなきゃいけないんで、まずそれですかねえ。プライベートの話じゃないですよ、あくまで仕事の話です。

前から言ってますけど、まず自分が天才でも何でも、この世界はお金を払う側が立場が上なのだということを理解しないといけません。

ネットは弱者的な意見のが強いんで勘違いしそうですが、依頼する側が絶対なのです。レストランで「なんだ俺が客だぞ」と威張り散らす中年は最悪のイメージですが、それは「威張り散らす」という点がだめなだけで、客が店に気を遣うのは本来おかしいんです。
また客に気を遣わせる店もおかしいですね。

ビジネスマナーなんかわたくしも全く知りませんけど、これは考え方の問題です。

あとは暴露グセですかね。相手や会社の対応が不満だとすぐSNSに書いてしまうクセですね。具体的に書かなくてもやっぱりバレます。
社会経験が薄いということはそういう態度からもバレるんで、SNSでやってることは、ごまかしても現実世界で相手に雰囲気として伝わります。

今の今まで33年間気づかなかったんですが、仲良し文化部で校内水鉄砲合戦をやった時の写真を見てたら、「E」のTシャツ着てるオータニの後ろにマキタが隠れてました。

こういう時わたくし(左)が大体いじめられ役なんで一人でべしょべしょになっています。マキタにホースで水ぶっかけられたからです。

今までこの写真「その他」ってフォルダに入れてたんですが、マキタの隠れ方といい、あと身長の資料として有用なのでマキタフォルダに入れ替えました。

わたくしが180cmちょいなんで、オータニおっきいでしょ。175とか178cmとかだったと思う。
マキタはすごい小さかったです。

この頃ってTシャツをズボンに入れるのが普通だったんですかねえ。
手前の写真部・加藤も入れてますしね。

古い建物前での集団写真。
人々が壁の前で集まる様子。

むかーし2chにスレタイで実名晒されてさんざんからかわれたように、わたくしみたいに変なところだけクソ真面目にできてるやつは、格好の笑いものになるんですよ。ええ。昔っからそうだったもん。

怒っても仕方ないんですよね。怒ってるのを遠くで見てくすくす笑いたいんだからさ。わたくしがそういうことをしない人間かというと、そうでもないんで、わかっている。

ただ「もういいでしょ」ってタイミングってあるじゃない。そこがやめどきっていう。

気が狂ってるかどうかは、そのやめどきを読み取れるかどうかで決まるんじゃないかな。同じ嘲笑を執拗に永久に繰り返し続けるじゃない。気が狂っていると。

「嫌いだ」「興味ねえ」とはっきり言ってもしつこく勧めてくれる友人はありがたいですよね。

それからすると会うたびに推しが変わっている、なんてのはあんまり好きでないです。

バトルが苦手とか言っといてアレですが、ある時代のプロレスは好きでしてねえ。まあ大学の時人気ねずみが空気を読まずにしつこく勧めて来なければ一生知ることもなかったでしょうけど。

わたくしも何か教えてもらうとあっと言う間に詳しくなる方でしてねえ。これと言って自分の得意な分野がないのも、まあ今では劣等感てほどじゃなくて、そんなもんかなと思っていますが。

ミリタリー系がお好きな方には大変申し訳ないんですが、わたくしはちょっと苦手な分野でしてねえ。軍艦や戦車とかには疎くって。

男の子は特に戦略とか勝負が好きですからなあ。

だから例えば「ハンター×ハンター」は頭がついていかんのですよ。
難しすぎて。

「月下の棋士」「哭きの竜」はリアルタイムで読んだ気がする。床屋だったかアトリエ近くの松乃家だったか、思い出せないけれど。

その能條純一が昭和史漫画を描いてるの知らなくって、まとめて最新刊まで読んだ。

わたくしは元々歴史は嫌いじゃなかったが、ふわっと興味を持ってる程度だと、人名だけが頭に入って流れが頭に残らない。
石原莞爾とか山本五十六とか東條英機とか、名前と名言だけが記憶されて、結局歴史上何をどうした人物なのかを自分の口で説明できない。

「あ、その人知ってる!○○の人でしょ!」
これは教養とは言えない。そうした自分に多少劣等感がある。
名前だけはいっぱい覚えてんだよ、テストに出るからな。ああくだらない。

そういう意味では昭和天皇の人物像を中心に、戦争前夜のことがダイジェストで説明されていてよかった。

古い寫眞」シリーズで描いたわたくしの祖父一郎の日中戦争の背景も、漫画で読むと絵の力で頭に残りやすくていいなと思った。

昭和天皇を描いた漫画表紙。

まあねーわたくしもそうなんですけど、なんにも残せてない人間ほど語る言葉が多いんで、自分でもあんまり格好よくないなとは思うこともありますけど。

なるべく人に迷惑をかけないよう、自分のやりたいことは今すぐさっさとやるなり書く方が気楽でいいですね。

オズ先輩もずうっと「腰の重い男はやだ」って言ってたし(今話したら私そんなこと言ってた?とか言うんでしょうけど)、腰は軽い方がなにかと後で苦労せずに済みます。これはほんとですよ。

メンヘラと「深く考えすぎてしまう人」の違いはどこにあるのかしら。
そんなものなくて、ただ便利に使えるスラングの一つってだけなのかもしれないですけどね。

わたくしの周辺には、中学高校あたりで自分に蓋をしたまま学生時代を終えた人(いい子にせよ悪い子にせよ)が、30辺りで突然思春期が発動する、というケースを頻繁に見かけます。

同級生(同世代)にはあんまりいなかったんで、色々知りたくなってしまうんですよね。これは男女差もあるだろう。

「メンヘラ」が何を指すのか、突き詰めて考えるのはもう無謀な気もするけれど、下の動画で解説されているような人物像がそうだと言うならそんなに珍しい存在ではないな。クラスに一人はいた。

村木もそんなケはあったと思うし、10代後半から20代前半にかけては誰でもある程度通る道ではないのかと思ったりする。なんならわたくしもそうだ。できれば自分のせいではなく、全部誰かのせいにしたかったし。

おそらく通常は、戻れなくなる前に何かのトリガーで目が覚めたり諦めたりするんだろうけど、それが出来ずに永遠に思春期が終わらない人を指していると言っていいのかな。いやあ何か違うな。

ぐるぐる回る遊具はだいたいの方が覚えているのに、名前はみなさんばらばらで面白かったです。結局呼び名はわからず好き勝手な名前で呼んでいたようですね。

「地球儀」って言われれば確かに地球儀にも見える。面白いもんです。
商品名としてグローブジャングルなんて名前もあるそうですが、全く聞いたことないので売るためにつけた適当な名前なんじゃないかな。

ああ、ありましたね、大きなブランコ。馬車みたいな形の。
あれも名前は不明です。

ちょっと発想は飛躍しすぎかもしれませんが、あらゆる属性に名前をつけ、それで区別とラベリング、あるいは悪い言葉で言えばレッテルを貼って細分化していく現代を見ていると、別に遊具の名前なんてなんだっていいじゃない、そこに確かに存在し、そこで遊んでいるだけなんだから、という方がおおらかでいい気がします。

2025/08/01

スーパーで夏の間だけ売ってるラムネわらび餅。
すごいすっぱくてしゅわしゅわする粉につけて食べる。

家内ちゃんとわたくし両方の好物なので、1つしか買ってこないととりあいになる。しかし人気なのか、夕方いくとたいてい1つしか残っていない。

わたくししか食べないものにゼリーがある。
くだものとかナタデココとかみっしり入っているものが好きである。
ラムネわらび餅が1つしかない時はゼリーを買う。

ラムネ風味のわらび餅プレート

何も失うものを持たない人を無敵の人というスラングで呼んだりしますが、
もともと自己否定の強い真面目な人間が、わけのわからない成功経験を得てしまうと、これもまた無敵の状態になってしまう。

彼女の文章からは強烈な暗示に近い「私は今幸せなのだ」という意識が伝わってくる。

他人の顔色を伺う他人中心的な考え方をやめよう、自己中心的になっていいんだ!というポエムに勇気づけられる人はそれでいいんだけれど、

それはでも、他人なんか踏み台にしていいってことじゃないと思います。

スピリチュアル的な世界にハマって痛い目に遭うのも経験の一つっちゃそうなんですけど、わたくしの場合

・教え子が怪しい教祖になってしまっている。

という点において他人事で片付けられないところがあり、
またインフルエンサーと呼ばれる存在に対して懐疑的なのもそれと関係しています。
素朴で真面目ないい子だったのに。

・変な男にだまされる
・うっかり成功して大金を掴んでしまう

それだけのことが人間をこうまで変えるのかという実例が目の前にある。もはやなんともできないながら、胸は痛む。
あの時こう言ってやったらよかった、とかね。

ああ、やっぱり言葉が強いなあ。
すいません。

人間は当然社会的動物なんで、一人でいても割合平気という方が少数派あるいは強がりで、群れなければ不安になるというのは本能ですから、別に格好悪いとかいいとかないとは思いますけど。

ほんとに一人で全く平気というのもサイコパス感がある。

わたくしはわがままなんで、自分のさみしさを埋めてくれる人を探して選んで突っ込んでいって、その間周りの人間は眼中になし、みたいな、
まああんまりよろしくない学生でしたから、多分今のこう、そうしたさみしさに対する繊細な考え方を見聞きすると、わたくしは知らんうちに生徒その他を傷つけておるだろうなあと思いますよ。

ただ、よくわからないものを何となくわかったようなていで「ですよね」と言ってみるのは、わたくしにとってどうでもいい人間に対するリアクションだったんで、そんなんでいいのかなと思う部分もあります。

わたくしにもさみしいという感情はありますが、わたくしのさみしさを埋められるのは人の気配ではなくってね。

あれかな、例えば小学校の遠足の日に、ものすごく早く集合場所にいっちゃって誰もいない、段々本当に今日なの?と不安になってくる、でようやく一人、大して仲良くもないクラスの人が来た、それでほっとした。

こういう感覚?これならわかる。

漫画やアニメを新しいの見ようかなあと思うとき、他のユーザのレビューやコメントって見ますか?

わたくしにはピンと来ないんだけど、YouTubeのチャットコメントが出てないと不安になるんですってね。そのアニメや動画をどう楽しめばいいかわからなくて。

これそのまま言葉通り鵜呑みにしちゃうとまた退屈な若者叩き方向にしか行かないんで、実際どうなんだろうと思ってさ。

わたくしはニコニコ動画が登場した時に、コメントが流れてくるとうるせえ邪魔だと思っちゃった方で、今もYouTubeのライブ配信見ててもメモリ食うんでチャット欄は消します。画面見てないことがほとんどであるという理由もありますけど。

「誰かがいるという気配がしないと寂しい」、もしかしてこれSNSもそうですか?誰かが何かをしているという気配だけで不安がやわらぎますか?

これはさ、わたくしにはほぼ共感できないんですよ。
共感できないけど理解はしたいなあと思ってて。
ほんとはどういう感情?さみしい?そんなに常にさみしい?

単行本になるのを心待ちにしていたマンガ「壇蜜」。

押切蓮介の友人でもある清野とおるが壇蜜と結婚するまでと、結婚生活を漫画にしたエッセイ漫画です。

清野とおる漫画は大体読んでますが、「ほんとにこんな人いる?」「証拠写真がついててほんとなんだ…と二度驚く」という、フィクションとドキュメンタリーの中間を行く作風にわたくしも影響受けてます。

きれいな絵ばかり見慣れてると、まず絵で弾き飛ばされちゃう気もしますけど、清野とおるにしか描けない絵・清野とおるにしか描けない漫画は憧れなんですよね。

わたくしは壇蜜について名前くらいしか知りませんが、こんな変な人好きになるよなあと思いますよ。恋愛・結婚漫画のはずなんですが、どこにも湿ったところが出てこなくて、わたくしの家内ちゃん漫画を強力にサブカルへ寄せて面白くした感じだと思います。

最近読んだ最近の漫画の中では一番おもしろかった。

壇蜜の漫画表紙、プロポーズシーン

昨日描いた名前のわからない遊具ですが、女の子や下級生は危なくないように中に入れて、男がぐるぐる回すという遊び方だったと思います。

怖がりな男の子を入れて、際限なく回転させ怖がらせるというような罰ゲームというかいじめっぽい遊び方もしてた気がしますね。

遠心力という力の強さをあれで知った気がします。

ただ、外に張り付いてても遠心力で吹き飛ばされて、さんざん膝やら何やらすりむくんですが、それが普通だった気もしますね。
幸い骨折したり死んだりした事故の記憶はありません。

どう考えてもいつかは重大な事故にはなりそうな遊具だったんで撤去されたんでしょうけど、どこまでやるとだめなのかを学習するにはよかったんじゃないかな。

もう8月。
わたくしは全然人の発言を見ないようにしているので、メッセージだけが近況を知る方法なんですが、調子はいかがですか。

わたくしは毎日のように上がったり下がったり、いつも通りです。
しかしあんまり閉じこもってるのもどうかと、なんとかドラッグストアにいってみたりスーパーに行ってみたりしておるんですが、ほんとにすぐ疲れます。

2025/07/31

やっぱちょっと1日4ページ以上とか描き続けるのは厳しくなってきたな。一枚絵だったら頭使わないからどんだけでも描けるんだけどもね。

マンガとイラストは全然違うよな。

ちなみにわたくしは現役の時点で既に合格していたものの、「そのままするっと大学生になっていいんだろうか(マキタも諦められないままで)」という謎の理由で浪人を選んだので、その不自由な寮生活の間、ただただ世界の名著を読み続けて一年を終えました。

ドストエフスキーとかそういうのは浪人の間にあらかた読んだと思います。おかげでそののち大して読む気は起こりませんでした。

あとは近くのゲームセンターで当時店頭に並んだ「魔法大作戦」をえんえんとやり続け、結局クリアできなかったとか、そんな思い出しかありません。

電話禁止なので手紙でやりとりをしました。
受験の3日くらい前にマキタの演劇公演を観に行きました。
それができたばかりのうりんこ劇場でした。

この辺はすることないので日記に全部書いてあります。
なので結構正確です。

ポンキッキ的な位置づけの番組だったんですが、とても子供向けに作られてるとは思えないシュールな内容で、3Dデジタル技術をふんだんに使った最初の番組だったと思います。

これを100人の男子浪人生たちが無言で見つめておるのです。
それこそが最もシュールな光景であったと言えましょう。

男子寮では音楽などの娯楽はおろか、外部との電話すら禁止されておったのでこの朝のテレビが唯一の息抜きらしい息抜きでした。

故に相当強い記憶となって頭に残っております。

高校を卒業したわたくしは浪人となり、河合塾名古屋校が紹介する男子寮「必勝寮」に1年間入っておったわけです。地下鉄東山線亀島駅の近くにありました。

河合塾の男子寮は3つほどあったんですが、わたくしはもっとも成績の低いものたちが集まる寮を自主的に選択しました。その方が面白そうだから。建物は古く、設備は劣悪で何もかも共同でした。

朝は決まった時間に食堂に集合し、100人近い寮生が無言で食事をします。唯一音が出るものは食堂のすみっこに設置されたテレビのみであり、寮を出るまで毎日流れていたのが下の動画「ウゴウゴルーガ」です。

AI絵はやっぱりAIっぽいと思う。すぐ飽きる。

ただそれはAIが悪いんじゃなくて、絵を描けない、つまり絵とは何かを経由してない人間が形だけ作ってるからで、表現に携わってきた人間がAIを使えば違う結果になる。

そんな人が華々しく登場する前に、コピー品だけが大量に出回った形になるんで、拒否感が強くなるのは仕方ない。
そのうち洗練されるだろう。

ボーカロイドもそんな運命を辿った気がする。
ボーカロイドの曲がばーっと売れてCDもどんどん売れたのは一瞬だった。
あれはでも、初音ミクは初音ミクの個性があり、PはPの個性があるから売れたんで、AI絵師自体に個性があれば受け入れられるんじゃないのかな。絵の方じゃなくて。

わたくしにメッセージをくれる方々は下は14から上は70まで、男女比もばらばらです。
あんまり極端に偏ってるのは好きじゃないんで、わたくしの望んだ傾向かと思います。

なんかね、もうインフルエンサーのお役立ち情報もこれが面白いぜ情報もいらんですわ。
どうせすぐ飽きるし、情報は全て資本と結びついているんで、現実の延長でしかない。

わたくしはわたくしの世界が最も素晴らしいと思っておるのです。

自分だけがこっそり知ってて、こっそり見てる場所って欲しくないですか。

わたくしはそういうサイトを1年2年と黙って見てて、ある時自分が憂鬱だったり不安だったりした夜、そのサイトのポエムに共感してメールを送ってみる、そんな感じが好きでした。

コンテンツの質が飽和して低下していくと、いい人は嫌になってやめちゃったりいなくなったりするんですよね。

わたくしはそれでも、そういう人と出会いたいなとはいつも思っているので、SNSにしろサイトにしろ、やめないで存続させているわけです。

いにしえの個人サイトの話が取り上げられるようになってきてますねえ。
侍魂継続とか。

20年前はまだテレビも面白かったし、ゲームやアニメもいきいきしてたし、感度の高い暇な大学生は情報発信するのが楽しくて仕方なかったんですよ。

わたくしは薬物・憂鬱・恋愛・芸術みたいなサイトでしたんで、最初っから情報発信ではなく、自分語りでした。

「どうやって生きていこうか途方にくれている」

これは今は「どうやってネットで稼ぐか」「ホワイトな会社はどこか」みたいなところに集中してしまっていて、多分わたくしと同じようなことを影でほそぼそとやってる人は大勢いるんだろうけど、見つけられないんですよね。

わたくしが好きなのは多分恋愛じゃなくて自立の話で、半人前の人間がどうにかこうにか自分の力で一人前になっていくというのがいいんだろうねえ。

なんか教師が多い一族っぽくてゲッとはなるが。

これだこれだ。
今見ると何が面白いのかさっぱりわからんな。

ポルナレフって言ったらジョジョじゃなくて元ネタのミシェル=ポルナレフでしょう。ジョジョ読んだことない。

この映像とんでもなく貴重ですよ。来日した時にポルナレフ本人とカバーしてた日本人の女の子グループが共演した時の。1979年。
残ってるのが奇跡。

昭和55年の女の子はこう、太ましくていいなあと思います。
わたくしは自分の時代より前のものが好きなのです。

わたくしは6歳ですからリアルタイムでは当然知りませんが、ポルナレフはなぜ半裸なのか、その服どうやって作ったんだとか、その変なサングラスはトム=キャットに影響を与えたんだろうかとか、文化史的に大変気になります。

2chだかflashだかでこの曲MADみたいに使われてたでしょ。
妙なネタにすんじゃねえよばかやろうとか思いました当時。

2025/07/30

ブラウスや不安定な姿勢をよく描くことについては山本直樹に大いに影響されてます。

体型はあまり影響されてないな。山本直樹は細長い体が好きなんだと思う。わたくしはずんぐりむっくりした体を描くのが好きである。

だって青春モノクロームの登場人物は実際みんなずんぐりむっくりしてたし。

ずんぐりむっくりって変な言葉だな。なんだずんぐりむっくりって。

漫画雑誌に囲まれた女性。

政治的な考え方や政党の理念はさておき、
百田尚樹先生のキャラクターは好きですよ。

一応同じ大学の先輩にあたるので先生つけときます。

じゃりんこチエにそのまんま出てきそうじゃないですか。
でもああいう典型的な大阪人みたいなキャラクターって関東だと受け入れられにくいよね。怖くないですか?ヤクザみたいで。

もちろんテレビマンですから作ってる部分はあるでしょうけど、
あれだけライブ配信してたら、腹に含んでるところがあれば見てる側も気づくと思うけどな。

わたくしは自分の意見を暴言として吐いて、それをごまかすように自分で笑うやつが嫌いでねえ。関西のお笑い芸人って自分は笑わないでしょ、さんまみたいなのは例外としても。だからわたくしは昔からさんまは嫌いでした。

芸能人のゴシップや炎上を配信してるチャンネルってだいたい自分で「ほんとに~?うへへ」みたいな喋り方するでしょ。あれをやらないだけでわたくしには好印象です。

接客仕事はだめだねえ。
やったこともないのにだめって言うのはだめなんだけど。

時々コンビニとかファミレスとかの超マニュアル対応のところでさ、定年かリストラかなんかのおっちゃんが超自由に接客してることあるじゃないですか。

間違いなくあんな感じになる。すごい丁寧でやってることはいいんだけど、マニュアル対応じゃないとびっくりするよね。
「袋いれる?いれとこか。はい、袋いれといた」
みたいなね。若い人は嫌うよねえきっと。

マニュアルに従うことができるというのも才能の一つだとわたくしは思います。ええ。

4ヶ月ぶりくらいに仕事きましてね。
まあなんやらごちゃごちゃやっとるんですが。

しばらくここで好き勝手なこと書いてたせいか、お客さんにろくでもない口をきいてしまいそうでびくびくしております。

ペコペコする練習しないといかん。

全然関係ないけど、こないだ授業で生徒に説明した内容がウケたんで「面白かったらチャンネル登録・高評価お願いします~!」って言ったらそれもウケたよ。
1クラス1回しかつかえんネタだけどな。

我慢できない人が増えたんじゃなくて、なんでもかんでも一律に我慢せよという無言の圧力が高まって、平均的な人間が我慢しうるラインを超えてるんじゃないかと時々思うんです。

八つ当たりしたくっても、色々知ってしまったらできないじゃない。ねえ。

一体どんな聖人になればいいんだとげんなりするよ。
そんな大層な人間なんかほぼいないぜ。周りを見たってさ。

アーケードゲームの話。

スカイキッド。
いいすね、珍しい右から左へスクロールするシューティングゲームです。1986年だったかな。

音楽の話を始めると更に終わりがなくなるんですが、ナムコがよかった頃の音楽はピコピコうるさいゲームセンターの中でもちゃんとメロディが聞こえるんですよ。

うまく作られてるなあと思いました。小学生のわたくしでもそう思ったんで、相当考えて作られてたんでしょう。

このスカイキッド動画の音声はDXなんでFM音源-Y2151ですが、わたくしは初代のPSG音源の方が聞き取りやすくて好きです。

ドルアーガやリブルラブル、トイポップなどを作った小沢純子さん、その先駆者となった、数年前お亡くなりになりましたがマッピーの大野木宜幸さん、ゲーム音楽史もつぶさに研究していくとテクノロジー史と漸近してるので面白いんですよねえ。

あの頃のナムコのゲームや音楽は基本的に明るかったんですよね。善性というか。わたくし自身は暗い性格ですが、暗いものだけが好きなわけではありませんで。

アーケードゲームの話。

グラディウスIIは中学1年生の時だったかと思います。
それまで音楽はレコードで聴いてきたのが、初めて買ったCDがグラディウスIIなのでよく覚えている。

難しすぎて当然クリアしたことないです。
高速スクロール面までが最高到達点でした。

下の動画はラスボスの場面ですが、何やら英語しゃべるんですよね。
わたくしは当時このボイスを聞き取れるようになるまで繰り返し聞いたので今でも英語で書けます。

「I am strongest.」
「I am just a small potion of the empire bacterian.」

クリアすることよりそういうことが気になっちゃうタイプではありました。

ボスのたびに英語しゃべるんですが、
「I’ll bash you down」(ぶち殺すぞ)
「You shall be crashed」(ぶち壊すぞ)
「You can’t go any further」(先へは進ません)
「You need some practice」(へたくそ)
などなど、柄の悪い英語から学習し始めた中学1年生でした。
「Hello,I am Nancy」とか教科書でやってた頃ですよ。

何も調べなくてもどんどん出てきます。
こういうの絶対忘れないよね。

津波のニュースが流れているので、実家鈴鹿市のハザードマップを確認していた。

津波で被害が出たなんてのは過去100年くらい遡っても聞いたことないんですけど、集中豪雨や台風はしょっちゅう来て、何十年かに一度川が決壊するとまちじゅう水浸しになる。

下の画像はネットで見つけたもの。
わたくしが生まれた日の集中豪雨が今も冊子にまとめられている。

昭和49年豪雨被害の地図と写真

そういや剣道の最初の挨拶の状態って蹲踞の姿勢ですね。失礼しました。

わたくしはすぐできました。足短くて重心がかなり下にあるから。
柔道に向いている体型でした。

座り方についてはなかなかみなさま関心がおありのようで。
とんび座りなんて言い方もあるんですね。調べてみると足を開いた形がとんびが羽をひらいた姿に似てるからだとか。まったく初耳でした。

面白いのが「とんび座り」で検索すると、「やめた方がいい」「直し方」というような、ネガティブな意味で使われた文脈が多くヒットします。
あまりいい意味では使われてないようです。

女の子座りではあんまりそういうのは見かけなかった気がするんだけどな。不思議。

> 割坐(わりざ)・亀居(かめい)・女の子坐り

> 正坐から足先を広げ、下腿部を太ももの外へ出しお尻を床に下ろした坐る姿勢。
> 亀居(かめい・ききょ)という日本の公家の正式な坐り方。
> アイアンガーヨガではヴィラーアーサナ(英雄坐)と呼ぶ。

ヴィラーアーサナいいな。
ヴィラーアーサナ。

英雄の座り方らしいですよ!へええ。

あ、はい。
最初から調べるとつまんないので、みなさまのメッセージを見てから調べることにしております。

「ググレカス」が流行った時代もありましたが、あれはだめだな。
広がらないから。

2025/07/29

「女の子座り」は「割座(わりざ)」とか「亀居(かめい)」とか言うらしいですよ。ははあ、こら面白いですなあ。

この図の中に「蹲踞(そんきょ)」というのがありますが、これは女子は知らないんじゃないですかね。

高校の武道で柔道を選択すると、一番最初の方に習うのが「蹲踞の姿勢」なんで男子はだいたい知ってると思います。

座り方のイラスト一覧。

すわる」の座り方は圧倒的多数で「女の子座り」でした。
なので女の子座りで通じますね。

おそらくメッセージ送っていただいたのは、ネカマでなければほぼ女性なのでその言い方で間違いないでしょう。

ぺたん座りとかアヒル座りなんて言い方もあるんですね。

ふと思ったんですが、「女の子座り」でなく「女座り(おんな座り)」といった場合、崩した正座というか横座りというか、そんなのが頭に浮かんだんですが、間違ってます?

全般的に女性の方が現実的なので、「後から段々好きになってきてくれる」というパターンが多いんです。
統計があるわけじゃなくて、わたくしの実感ですけどもね。

そこまでこっちを好きじゃなくても、一応つきあってはくれます。
一応つきあってもらったら、そこから一生懸命がんばればよい。

つきあってもらうことに一生懸命になるから失敗するんです。
男はそこがだめなんだ。目標がずれている。
それね、盛り上がってない相手から見ると大層気持ち悪いんですよ。

好きっつったって、顔とおっぱいだけでしょ見てるの。
大して話したこともなく、仲良くなってもないならさ。
そら女の子も好きって言われてもこいつバカかって思いますよ。ねえ。

何回もふられましょう。
いい加減どうでもよくなって、フランクに接することができるようになると思います。

わたくしは相手が自分を好きだと確信するまでは好きなんて言いませんでしたよ。マキタ以降はね。

基本的にこのページはメッセージへのふわっとした返信やら独り言やらで、サイトの表側からは目立つところにリンク貼っていません。
紹介もしてないので、サイトをうろうろ見て回る気のある人だけが見つけるでしょう。

なので君はここを見つけられないかもしれません。
が、わたくしはここに書くことにします。

そんなただ3ヶ月くらいこのサイトを見なかっただけで「懐かしい」って感想が出てくるのが面白くて(真面目に書いてるのが伝わってくるので一層)、君もぜひ漫画かポエムを描くといいと思うんですよ。向いてると思います。

ところで文体その他から確信してるんですけど、3~4年くらい前に、匿名で「ショーペンハウエルという哲学がおすすめです。読んだことありますか?」って書いてきたの君じゃないですか?

言うと傷つくかなと思ったんで言わなかったんですが、
わたくしその辺の哲学が専門分野なんですよね。ええ。

あまりにも一生懸命おすすめしてくれて、嬉しかったです。
どうすか成人してみて、まだショーペンハウエルは面白いですか。

恋人なんか誰でもいいからアプローチしてればそのうちできます。
「誰でもいいから」って言われると純粋な気持ちを冒涜されたようで、不快な気持ちになるかもしれませんが、真面目に言って非常に重要です。

君に必要なのは「まったく好きじゃなかったけどイヤイヤ話してたらなんか好きになってきた」という感覚だとわたくしは思います。

がんばってください。

「タニマチ」って言葉通じます?

主に相撲の世界で使う言葉です。格闘技とかスポーツでも使うかな。
落語とか歌舞伎でも使える。

平たく言うと固定ファン、応援団のことですね。贔屓筋(ひいきすじ)ともいいます。

わたくしファンって言うとまず原義のfanatic(狂信者)が思い浮かぶんで、そういう古い隠語のが好きだったりします。いや、ただの趣味なんですけどね。

【ご留意】

ちなみにモバイル環境の不具合は、端末の種類が多すぎてこちらで確かめられないので、
おま環(お前の環境のみ)なのか、どの端末でも症状が出るのかを切り分けるため、iOS/Android(わかればバージョンも)、とブラウザの種類(Chrome/Safari/Firefox/アプリ)なども教えていただけると手がかりになるかと思います。わからなければ大丈夫です。

おま環の可能性が高い場合は、治すと別の端末で不具合が起きるので直せない時もあります。

「読みましたボタン」のスクロールバーが機能しないってことですね(モバイル)。

わたくしのandroidでも機能しませんでした。
iPhone+safariだとスワイプでスクロールできました。

なのでテキストエリアから文字がはみ出た場合、
はみ出した分だけボックスが広がっていく設定にしました。

ただしsafari、Firefoxには対応していません。

お使いの端末にキャッシュが残ってると以前の状態のままですが、キャッシュクリアなりしばらく日をおいてデータが更新されるなりすれば、そういう風になると思います。

アプリを一回アンインストールしてもう一度インストールすれば反映される…かもしれません。
モバイルはなおしてもいつ反映されるのか端末によるので、1ヶ月くらい経っても反映されない場合は教えてください。

匿名メッセージ送信画面。

amazonに以下のものが売られるようになったら欲しいものリストを作成し、みなさまにご購入いただきたいと思います。

■家内ちゃんのamazonほしいものリスト
①金塊
②徳川埋蔵金
③本州

■夫のamazonほしいものリスト
①信用
②友達
③時間

ごめんなさーい、amazon欲しいものリストは作ったことありません。
というよりわたくし多分色んなことが時代遅れで、それが何かもよくわかっておりません。

あれですかね、お菓子みたいな安いものをリストに入れておいて、ファンに送ってもらう仕組みのやつですかね。

わたくしのこれまでの大反省点として、「なんてこわくて投げ銭をしたこともなければ積極的にコミュニケーションを求めたこともなく、自分のサイト以外書き込んだこともない」がありまして、だからすごいとっつきにくいと思われてる気がします。

まあ元々ものすごいフレンドリーな性格でもないんですが、とにかくネットになると恐ろしくてどう振る舞っていいかわからなくなる感じを改善したく、いろんなことを教えていただけて大変助かっています。

なるほどー大人になると味覚が鈍るから苦いものとか酸っぱいものとか食べれるようになる、というのはそうかも。

うるかとか酒盗とか、鮒ずしもそうですけど、びっくりするくらい美味しい食べ物ではないですしねえ。
味覚だけの話ではなくて、価値観が広がるからだとも思います。

わたくしは高校生までは肉しか食べられなかったので、極端な偏食でした。特になんだっけ、しいたけとか野菜とかは見るのもいやでしたね。

漫画でも何回か描いてますが、大学生の時に好き嫌いは一切なくなりました。物理的に食べられないもの以外はなんでも浅ましく食べます。
全然食べなかったことを後ろめたく思っているのです。

好みはありますけどね。
関西風のうどんと関東風のうどん、好きな方選んでいいよって言われたら関西風かな、みたいな。

わたくしの現時点での「わかってる人」と「わかってない人」の線引きはどこだろうと考えてたんです。

わたくしは「論破」や「レスバ」みたいなものを非常に嫌うので、それに影響を受けてそうな言葉を選んでる時点で、どんな素敵な人でも、自覚があってもなくても初手でもう結構となります。

どういう感じかと言いますと、おきもちに別の理屈をくっつけてパブリックな論点に転換する系ですね。

・あいつきらーい。

これは好きです。わたくしは「わたくしもー」か「わたくしはそうは思わんなー」と明快に回答します。つまりおしゃべりです。

・あの人の発言、けっこう多くの人が不快に思っているようです。今の時代にあの言い方はどうかと思うし、場の雰囲気も悪くなる。誰かが注意しないと、これからも繰り返されると思う。自分はただ、みんなが安心して活動できる環境がほしいだけなんですが。

これがだめなやつです。このところわたくしを非常に不愉快にさせる動画を集中的に見て研究しまして、すらすらと文章が書けるようになりました。

よく考えたらわたくしの文体と似てるな。文体はね。
おお、死にたくなります。

短文文化というのは、こうした「あいつきらい」をパブリックな話にすり替える偽善を断罪するために発達したと思うんです。
そういう意味では「三行で説明しろ」には納得がいく。

わたくしの欠点は、「考えていることがどんどん四方八方に広がってしまい、結論がどこにあるのか自分でもわからないまま、永遠におきもちを書き続ける」長文です。

でもまとめないで書いてると気持ちよくはあります。
メッセージも無理にまとめなくて大丈夫です。

あ、昨日お試しにと思ってamazonのアフィリエイトリンクを登録してみました。

わたくしの本当に好きな本や映画を紹介する時に貼ろうかなと思ってて、amazonにジャンプした場合はアフィリエイトリンクです。

広告はどんなものであれ絶対に許せないと考えている方はリンク踏まずに検索するとよいと思います。リンクを踏んだからと言って何かユーザに不利益があるわけじゃないですけども。

2025/07/28

永沢光雄のエッセイ「AV女優」シリーズは99年当時に読んですごく好きでしたよ。AV女優本人の生い立ちや考え方を上手に聞き出してて、「人間とは」「人と接するということは」にある程度の答えをくれた秀逸なエッセイでした。当時もだいぶ煮詰まってたんでね、わたくしは。

今の視点で読んだらと赤裸々な刺激が足らないとか思うのかなあ。
そういう俗悪なゴシップ週刊誌とは違いますよ。
めちゃくちゃ厚い本ですけどね。

女性がストールを巻いている写真。

そうだ、長年の疑問として、
「ネカマ」って何が目的でやってるのかなって。

釣られるやつを見て嗤うのが楽しいとか?
反応があるのがやめられないとか?
他には?

RPGとかやると必ず女の子キャラで始める感覚と近いのかな。
別の人間になってみたい的な。

それと連動して、「バ美肉」は?
ガワが美少女で声は中年そのままっていうのはネカマではないよね。
異世界に転生したい気持ちと近い?

正直なところを誰も言わんからな。ネタばかりで。
訊いても深くは考えてないとか言うしさ。
なんか言い淀む感じに非常に違和感があるんですよね。

象に乗ると無敵感がある。
どっかに写真あったんだけどなくなっちゃった。

インドで行った動物園の一番の見どころは、ヒョウの檻が壊れてからっぽだった光景だった。ワニとかヘビの水槽も…というか、全体の4分の3くらいの柵や檻が破れてて空っぽで、お化け屋敷などよりはるかに強い恐怖を感じる素晴らしいアトラクションだった。

らくだは結構高くて怖い。
あと痔持ちの人はやめた方がいい。

ピラミッド前でラクダに乗る人

いちご練乳と黒蜜きなこと宇治抹茶だったら、以前なら100%いちご練乳を頼むところだけど、段々抹茶率が高くなってきて、それも不思議なものだと思う。

抹茶とあんこのかき氷

加齢で味覚は変わるというけど、かんぴょうとかひじきとか、そんな大して好きでもなかった食べ物が無性に美味しく感じるのは何が原因なんでしょうね。

こういうスラングって「さくっと調べりゃ済む話だろ」ってお思いでしょうが、調べて知識として頭にいれるとすごいバイアスがかかるんでねえ。

それより「自分はこういう意味で使った、言われた」という話をたくさん聞いた方が納得行く気がします。

なんかそんなにバカにしてるようにも感じないんですけど、それはどういう文脈の中で使われてきたかによるか。

自分じゃまっとうな行動をしてるのに、嫉妬ややっかみからレッテル貼られたらどんな言葉だって腹立つもんねえ。

「オタサーの姫」はまあきっとメンヘラとかと同じで揶揄する言葉なんでしょうけど、揶揄してる側は男女どっちなんでしょう。
誰を揶揄しているんでしょう。
どういう裏の意味を含んでるんです?

・ちやほやされて勘違いしている女の子を嗤ってるのか
・ちやほやしている男の子を嗤ってるのか
両方だとしても、バカにしてるのは多分同じようなところで同じような活動してる人たちでしょう?同族嫌悪的な。

わたくしは「別にちやほやしたらいいじゃない、ちやほやされたらいいじゃない」って他人事目線で思っちゃうんで。

サークルクラッシャーとは違うの?という話にもなり、渡り鳥みたいに意図的にサークルをぶっ潰して大混乱する様子が好きなのか、ローカルルールより自分の意思を優先した結果、勝手に周りが動き出して道徳が崩壊するのかにもよるなあと思ったりしました。

昨日、女子(30)と飲んでて、「オタサーの姫」の話になり、しかし言葉としてはよく聞くけどまず「オタサー」がわからんとなりました。

オタサーってなんすか。げんしけんみたいなもんかなと漠然と思ってたんですけど。文化系で男子割合が高いサークル?趣味性の強いマイナーサークル?

結果的に人の役に立ってた、なんてことがあると嬉しいですけど、
最初っから「人の役に立ちたい!」なんて気持ちありきで始めることが続くとは思えんな。

ホームレスの炊き出しをガラの悪い男たちが率先してやってるってチャンネルを見てたけど、ある日「資金が尽きたのでやめます」ってあっさりやめてて、あれその後は誰も顧みないわけですけど、もっかい人を信じてみようかなあという気持ちになったところでハシゴ外される方が残酷じゃないの。

「君の役に立ちたい」のがわかりやすくていいな。恋愛的な下心ありきのさ。
いいんですよ下心あって。

メッセージでもよくいただきますが、いにしえの個人サイトは母艦として作った方が精神衛生上はいいだろうと思うわけです。

ただ、個人サイトはサイトを作り育てること自体が目的なんで、見られたい読まれたい応援されたい繋がりたいを目的にすると誰も見てくれなさすぎて続きません。多分。

そのへんはSNSを活用するのがいいと思います。リンク貼って宣伝すればまあ誰かは見てくれます。
問題はデザインではなく、どれだけ更新してるかです。
見るたびにサイトの色が変わってるだけでも気になって見ようとするものです。

「お客様は神様だ!」はもうやめようぜって空気が強い現実世界に対して、「ユーザーファースト」「ユーザのことを考えて」「ユーザの使いやすいように」が第一目的になっているwebの世界は全くおかしな話でね。

それを20年間追求した結果、だいたい最適解が生まれてみんな同じ見た目になっていったわけで。

プライドだけ高くて何も形を残せないわたくしは、自分では「完璧主義的な傾向」って言いたくなるんですよねえ。なんか完璧主義って格好良さげだし。



わたくしのデザインの授業で一番やってはいけないこと、と厳命しているのは「途中経過を削除する」です。
デザインの枠外につくったテストやラフ、落書きやメモを絶対に消すなとこっぴどく注意しています。

それを順次消して見た目だけこぎれいにしていくと、どういう思考過程を経てその状態にたどりついたかを自分で忘れてしまって同じ間違いを繰り返すからです。

授業でも学生によく言うんですけど、例えばツイートを消す、アカウントを消す、別垢で転生する、って行動がクセになってると何ひとつ学習しないし反省しないわけですよ。

なかったことにできちゃうからさ。リセット癖なんて言葉でいうとカジュアルだけど、要は逃避でしょ。誰でも自分が一番かわいいんで。

なのでわたくしは、「SNSから若干離れる」「思ったことは整理せずに書く」「消さない」「消さないという恥ずかしさに慣れる」が自尊心回復にはいいんじゃないかと思って。

なので突然このページみたいなの始めて、先生はこう考えてやってみているという説明をしてるんですけど。

わたくしだって正解なんてわかんないですよ。

わたくしも自信がない部分は自信なくて、自信ある部分は自信ありますよ。何当たり前のこと言ってんだって話ですが。

過度に保険をかけて「自信がないことにしてハードルを下げたい」「自信ありげにふるまって失敗すると格好わるい」はやりたくないなあと思っておるだけで。

全てに自信がない人間って存在するんでしょうか。
たまにそういう気分になることはありますけどね。

誰かとしゃべってると、
自己肯定感が低いと訴える人ほど、あちこちに自尊心がちら見えする気がしますが、そんなことないです?

タコピーの原罪」ってアニメになってたんだね。
漫画はだいぶ前に読みました。

こういうある種の人に強烈に刺さるようなのもいいけど、強烈に刺さった人がとんでもない熱量でおすすめ攻撃をしてくるので、それが怖すぎたことをよく覚えています。

「恋愛」という単語から思い浮かぶのが、ときメモみたいなゲームやNTRやASMRのようないわゆる妄想コンテンツなのか、現実の話なのかで会話が噛み合わないことがよくある。

わたくしはそうしたゲームやコンテンツを摂取していないので、相手の考え方を汲み取ってこうした方がいいとは答えにくいなあとはよく思います。

恋愛に本物も偽物もないんですが、「恋愛がものすごく尊い、素敵なものだ」という憧れが長年の間に膨らんでしまってると、なかなかそれをひっくり返すのは難しいなあと感じています。

高校・大学生の子がわたくしに送ってくる「ふられた」「しにたい」はそりゃーおめでとうみたいな気持ちなんですけど(バカにしてるんじゃなくて)、「恋愛したいけどどうすればいいの」は難しいなあって。

みなさんならどう答えます?

ふと思い出したんですが、高校生の頃に「好きという練習をしたい」という子につきあって、ほれ言ってみろ、ほれやってみろ、みたいなことを放課後にやってたことがありました。

今考えたらまんまSchoolDaysじゃねえかと思いましてね。
Nice Boatです。

もうこのネタも通じる人のが少ない気がします。
別にそれ以上面白いことは何も起きませんでしたけど。

2025/07/27

今日も8時間ほど話をしてきました。

恋愛がわからなくなってる30代、いっぱいおるっすなー。

残ってる写真が極端に少ないのと、全く気にしたことなかったんで、今更集合写真を見てて思ったんですが、開襟シャツのどこでボタンをとめるかもだいぶ人によって違うんだなと思って。

集合写真の中で、一番上で襟をとめているのは左のマキタ一人でした。1つ目でとめている人が9割で、胸元近くまで開けているのがちらほらと。オータニとか。

校則がえらく厳しかったんで、みんな同じ顔・同じ格好だと思いこんでたんですが、微妙に違うもんですね。単に暑かったとかそんなんかもしれませんけど。

でも他の写真でもマキタだけが一番上でボタンをとめてるので、それ自体はなにかの主張…というほどでもないにしろ、好みがあったんでしょう。

でも美術室にいる時は胸元を開けてて、そこに下敷きでバタバタあおいでやった記憶があるので、なんかこう、その辺からも性格が伺いしれる気がします。

制服自体に特別なフェティシズムを感じるわけではないんですが、同じ記号が並んでいるところにちょこっとした差異があると、何か意味を見出したくなります。

私服だとかえってよくわからんのよね。

制服姿の人々の集合写真

私立と公立でもきっと全然違うんでしょうね。

わたくしは中学は公立で男女とも真っ黒、高校も県立で男女とも真っ黒だったんで、薄いグレーとか淡い色の制服の子なんかほとんど見たことないです。

東京なら歩いてるといろんな学校の人が電車に乗ってきますが、わたくしの通学路で見かけるのは犬とトラクターだけでしたんでねえ。

彩度の高い色になるととたんにコスプレというか風俗っぽく見えるんで、「かわいい色」にしたって選択肢があるようなないような気がするんですが、制服ってやっぱり高校を選ぶ時の重要ポイントでしたか?

そうそう、ベストとチョッキは同じものを指し、ベストは英語、チョッキは日本語であるという情報も見ました。

わたくしベストもチョッキも一度も着たことない気がします。

ブラウス情報続編。
参考写真まで送っていただいて、まったく感謝でございます。本当にありがとうございます。

さすがにわたくしも生徒に「夏服どんなだった?」と聞いてまわってたら絵面的にヤバいのでネットが頼りです。

やはり女子は多種多様というか、「夏服がブラウス一枚」というのは基本的にはなくて、「着ても着なくてもいいが集合写真などの時は着る」「ブラウス一枚の時は大きなタイをつける」など、なんか色々あることはわかりました。

そういやセーラー服って主に中学生が着るものなんでしょうか。
母校の中学の集合写真を見たら真っ黒なセーラー服でした。
高校生でセーラー服ってあまり見たことない気がします。
子どもっぽい?の?

疑問は増え続けるばかりです。
家内ちゃんの高校は「ボレロ」という聴いたことない形の服なので更によくわかりません。

男子って中学も高校もほぼ半袖のカッターシャツ一枚ですよね。

朝起きてこのページの自分の言葉を見ると、
夜中書いたラブレターのように即刻消さねばという恥ずかしさで満たされるが、
今のところ「よほど人を貶めるような言葉でない限り消さない」という縛りを自分に課しておるため、そのままにしている。

Twitterの場合は寝ておきたら自分の発言など流れてしまっているが、ここはそうではなく、このフキダシの1コマ1コマをコピーペーストして入力しているため、発言しているというより、サイトを更新している感が強い。

であればなおのこと消してはならない。

夜中に盛り上がっているわたくしも、
目が覚めて盛り下がっているわたくしも同じわたくしである。

だから自分を語ればいいと言っています。
自慢しろと言ってるわけじゃないですよ。
自慢でもいいんですけど、ハードル高くないですか。自分の自慢をし続けるのって。普通できないと思うし。

ナチュラルにそれできてる人はうまくいってないでしょ。
それで対等な人間関係が築けるように世界は出来てないから。

例えばわたくしがすごく幸せな人間に見えているとして、ムカムカして「妄想乙」って言いたくなったとするじゃないですか。実際言わなかったとしても。

それに対して「違うわ俺がただ幸せになりたいだけだ」と自分で自動ツッコミが入れられるかどうかの差だと思います。自他境界の話は。

だからね、金持ちになりたいとか恋人が欲しいとか結婚したいとかって悩みに答える言葉がないんですよ。
なぜ自分がそう思ってるかを語らないからさ。

語らなきゃいけないことは、全部自分のことなのです。
それが語れない、語りたくないとなれば、自分の感情がわけわかんなくて駄々をこねている子どもと思われても反論できなくないですか。

ただその、これを「自分のためにやっている」と言っていいものかどうか、なんかちょっと恥ずかしくてそうは言いたくないかな。

結果的に、後から思うと自分のためにやっていることかもしれませんけど、やってる最中に自分で言うのってなんか変じゃないですか。
その暇で描けそうな気もしますし。
言い訳みたいな気もするし。

大体他の人のアラばっかり見える時って自分がうまくいってない時でしょ。それが自覚できない時は何もしない方がいいんですよ。箱にでも入ってじっとしている方がいい。マキタはそういう人間でした。

寂しいとか知らんよ。自分が寂しいとか他人に関係あんのかと言うとなんも関係ないです。自分の話です。

そういう寂しがり屋を難しく言うと自他境界が曖昧な人、つまり他人と自分の間に線を引けない人、と言います。

そういう時って
大体迷惑をかけますんで。ええ。よく知っています。

ろくなことになりません。

もう100万回くらい貼ってる気もしますが、97年にMacを買って初めてパソコンに触れた時に最初につくった、非常に大事にしておる画像です。

一番モチベーションが上がらなかったのが受験その他の勉強でした。そもそも大学なんか無理して行くつもりもなかったのでモチベーションを上げる必要もなかったのです。

「マキタに『ほんまは頭ええんやなあ』と言われたい」という強力なモチベーションがあった時だけ頑張りましたけど、「そういうことじゃない」という現実を思い知る結果となったので、以来全く勉強らしい勉強はしたことないです。

モチベーションを上げなきゃやれないことはやらんでいい、というのがわたくしの根本的な考え方です。

ピアノがだめになった時から絵に逃げたように、逃げ道はいつも確保しておくのが正しい生き方だと思っています。

恋人に振られた後の独白とイラスト

こういうツイートみたいな文章もそうです。
「なんでも書いていい」という場所を自分で作ると、無限に書きたいことはあって、ただそれはあまりどうしても誰かに聞いて欲しいということじゃないんですよ。

ただ、無限に書きたいだけなのです。
それが何の結果になってどこがゴールなのか、全く考えておりません。
考えたらちょっとおもしろくしようとするじゃない。

それはおもしろくない人の発想でしょ。

前提として、これもえらっそうな言い方になりますけど、わたくし42で倒れるまで幼稚園の時からピアノを弾かなかった日ってほぼありませんでしたし。エジプトとかインドいっても街のバーとか楽器屋とか探し回って弾いてましたし。

上手い下手は別にしてね。
大して誰も褒めてやくれませんよ。自分のために弾いてるとね。

ピアノって運動なんで、スポーツと一緒です。反射神経のいい人は指が早く動くし、気持ちをこめ過ぎる人は見てて恥ずかしいって言われるし。
上手くならんのはまあ諦めるしかありません。
でも毎回録音したいわけでもないし、人に聞いて欲しいわけでもなかったんで。

思うように弾けなくなって多少落ち込みはしましたが、そのかわりに絵とかえんえんと描いてるから、かわりがあってよかったなという感じです。

絵とか音楽とか「モチベーションがないという状態がわからない」というのはわたくしもわかります。
「今日は描きたくないなあ…」って日、ないからねえ。

そのかわり、多くの人からは評価されないですけどね。
評価される方法は知ってますよ。二次創作で妄想を描いてやれば下手でもなんでも反応されますし。でも何千リツイート!きもちいい!みたいなのは1、2回でいいです。それで友達が増えるわけでもなければ、1億とか入ってくるわけでもないので。仕事依頼も不要です(今はちょっと興味がわいてきてますが)。

目標の目安として据えるのはいいかもしれませんけど、わたくしはそれでは全く幸せを感じられない方です。

下の動画では「人の心がない」と表現されていますが、わたくしもそういう意味では人の心はないです。多分。

教え子も女の子が多いんで、それだけで曲解されたりもします。
他の人は知りませんけど、わたくしの場合性欲なんかとっくに枯れ果てており、多分裸とかパンツが見えたくらいではムラムラのムも起きません。無です。

わたくしたちの年代でまだワンチャンあるとか言ってるのは、もうちょっと、なんかの病気なんじゃないかとさえ思います。

少なくともわたくし周辺ではみなそんな感じで、男同士で話してても下ネタが飛び出すことは皆無であり、お金払うと女の子が優しくしてくれる店にはどんなに誘われても行かないので、もう泥人形みたいなものです。

中年男性へのバイアスがかかりすぎておるので、ほそぼそと弁解したいところではあります。

クラスの同窓会なんて行く気が全くしないんで一度も行ったことないですけど、そのうちなくなりそうですよね。

わたくし例えマキタやオータニやムロイ・セキグチが来るとわかったところで、同窓会なんか絶対行かないと思います。彼女たちの今について知りたいことがあるとすれば、生きてるか死んでるか程度です。
もし死んでたら漫画の内容も変わるかもしれません。

「昔好きだった人に今会いたいか」
これはわたくし周辺でも相当意見の分かれるところなんで、もしそういう同窓会に参加したことがあるとか、絶対行かないなど思うことはあれば教えていただけるとわたくしが喜びます。

ふと思うんですけど、いくらわたくしの趣味嗜好が同級生のそれとはかけ離れていたとは言え、こうしてほぼ同時期に同じ大学に在籍していた方からメッセージをいただいても、なんとなく当時の芸能人や番組の話はできるんですよね。

なんだかんだ言って同じものが視界に入っていたので。

例えば今、見てるものもバラッバラで、短期間で関係が解消されるSNSを中心に思い出が作られるとすると、
20年くらい経った後、同級生と何の話するんですかね。

そもそも「同級生だと判明して当時を懐かしむ」ということ自体なくなるんでしょうか。まあ20年も経てばわたくしはとっくに死んでると思うんで、どうでもいいっちゃいいんですけども。

何がひきがねになるかわかったもんじゃないですが、稲妻のようにNHKの悲しい人形劇を思い出しました。
探したらすぐ見つかりました。

こどもにんぎょう劇場<新> 「おばけのケンムン」 

救いのない話として覚えてたんだけど、今見たら普通のいい話でした。
一体何を刺激されて思い出したんだろうか。

赤鼻のキャラクターが笑顔

海外って敷居高かったでしたっけ。
2~3回生にかけて、わたくしの周りのほとんどの人間がどっかしら行ってたような気がします。

96年は大半を海外で過ごしたんで、なんもわかんないんですよね。
「アジアの純真で消えると誰もが思ってたパフィーが2曲目も当てた」というどうでもいい情報を、麻原彰晃が修行したヨガのアシュラムで日本人観光客から聞いたことだけ覚えてます。

そうかあ、そういやヒロスエいましたね。忘れてた。
ポケベルのCMで出てきたんだっけ。携帯だっけ。
じゃあ90年代中盤?

「木曜の怪談」というオムニバス番組で、田口浩正の回にちょい役で出てなかったっけ。アイドルというには自我があったような気がします。高知出身とか高跳びの県記録保持者とか、なんかそんなことをうっすら覚えてますが、いわゆるアイドルっぽくはなかった気がする。

探したらあったわ。なんでもあるな。
いや、でもこれは覚えてないな。田口浩正がいない。
田口浩正が好き。

アジアの中で一番好きなビザのデザインはパキスタンのです。
こういうビザのデザインも定期的に変わるんでしょうか。
偽造防止とかで。

銃は知識ゼロなので、なんだったかは全くわかんないですねえ。
特に射撃練習場とかでもなかったんで、ちゃんとしたやつでないことは確かで、なんか暴発しそうで「いや俺はいい」と遠慮したけど、おじさんがあんまり嬉しそうなんで、じゃあ、という感じでした。

30年前の話とは言え、これ言っていい内容なんだろうか。

パキスタンの観光ビザページ
パキスタンのビザ(1996)

2025/07/26

AKBとかなんとか坂とかは完全スルーでしたなあ。
安室奈美恵ってアイドルでした?歌手?

わたくしはポンキッキーズは見てたので、売れる前の安室奈美恵は見てましたけど、おさるさんみたいだなと思ったくらいしか記憶がない。

あ、鈴木蘭々は好きでした。
どうみても日本人には見えないなあと思ったけど、本名が鈴木智子っていうめちゃくちゃ普通の名前だというギャップで好きになりました。

1万円くらい出して吉川ひなのと鈴木蘭々のデビュー前のプロモーションビデオ…ジュブナイルフィリーズとかいう名前だったかな…を買ったんでよく覚えてます。

鈴木蘭々(14)髪長いじゃん!わあわあ!とか思いました。

奥崎に呼ばれて立命館の文化祭行った時に来てたのが、まだそんなに売れてない頃のモーニング娘だったと思う。

同志社は坂井真紀か誰かじゃなかったっけ。それしか覚えてない。
見に行ってないです。坂井真紀はいい女優さんだったよね。

わたくしがアイドルにハマらなかったのは性格もあるけど、アイドル不在の時代だったからじゃないかなあ。

わたくしと同世代の方ってアイドルって言われて誰かピンと来ます?
わたくし全然思い浮かびません。

松田聖子とか中森明菜は小学生の頃だし、
おにゃん子?おにゃん子も全然わからん。

南野陽子…も小学生じゃなかったかなあ。
あ、佐野量子は覚えてるわ。ダイビングした時にナマコをちょうちょ結びにしようとして内臓出た話だけ。

平成初頭はバンドブームだったんで、バンドの方がまだ詳しいかもしれません。

重大な勘違いをしていたかもしれない。
わたくし、女子はブラウス一枚が夏服だと思い込んでて、夏の漫画は基本ブラウスしか描いてなかった。(春と秋のイラストはチョッキ着てる)

数は少ないが、高校の頃の写真を見返してみたところ、女子がブラウス一枚の写真は全くなくて、全員このチョッキを着ている。これが夏服だったのかもしれない。多分そうだ。どの集合写真でも全員これ着てるし。

しまったなあ。
もしかしてブラウス…相変わらずブラウスはよくわかんなくて、男は同じシャツをカッターと呼ぶんだけど…一枚だと下着が透けたりしてダメだとかそういうことかしら。

あなたの高校、夏服ってどんなんでした?
ブラウス1枚(+リボンやタイ)の学校のが珍しいのかな、ひょっとして。

学生が教室を掃除している。

機関銃の撃ち方を丁寧に教えてくれた傭兵のおじさん。
今更だけどわたくしの方が背高かったんだな。
名前なんだっけ。忘れた。

「谷に向けて発射すると音が残響して穴ぐらに隠れてるタリバン共がわらわら飛び出してくるから絶対谷に向けて撃つな。」

という貴重な情報をいただいたが、それ以降その知識を活かせる機会は訪れていない。

2人の男性が肩を組んでいる。

一番肌にあったアジアの名も無い路地裏。
地震で村ごと消滅したけどな。

石造りの古い街並みと人物。

自己嫌悪や自己愛についてだらだら書こうと思ったけど、これはいい解説だと思うねえ。よくわかる。

でもこう、すっと入ってくる言葉ばっかりだと、引用が増えて間違ってても自分の言葉で語ろうという気にはならなくなってこない?
正論ばっかりだとやってられんでしょ。

「読みました」から送るメッセージは間違ってるとかそういうのないんですよ。思ったことを書けば少なくともわたくしは読みますし(5万字とかあっても読まないということはないです)、ジャッジはしません。

わたくしもそれに対して思ったことを書いたり書かなかったりするだけなので、悩み相談とは違います。

こうしてみるとやっぱりマンガのマキタはかなり実物に近い。
髪型とか頭身とか。

モザイクかけてもわかるでしょ。
似せたくなっちゃうのよね。

美術室での学生たちの休憩中。

わたくし日記もそうですが、読書感想文なども、今自分で読んでも意味がさっぱりわからないポエム文章でしてねえ。
これは日記より全然恥ずかしいです。

読書感想「文」ではなく、本を読んでその内容を絵に描いて説明文をつける、読書感想画コンクールという高校2年の時の宿題だったんですが、何をトチ狂ったのかこれが全国に出ていって一席をとってしまいましてね。

普遍的上位自我の覚醒が。
なんのこっちゃ。
自分で書いておいて1単語も意味がわかりません。

これ結構大きなコンクールで、ちゃんとした本にまとめられて全国の高校に配布されるというとんでもない恥晒しとなりました。

マキタに「これどういう意味なん?」と訊かれたんで、「ある意味お前のことでもある」と更に意味深な内容を回答してみたところ、イモムシを靴で踏んだみたいないやあな顔をしていました。

あとから司書の先生に聞いたんですが、審査員も誰も意味を理解できず、理解できないから落とすということもできず、まあなんか一生懸命でいいんじゃないか、という結論になったらしいです。
審査員のみなさまに土下座したい気持ちでいっぱいです。

次点の優秀作品は「星空のペガサス」という少女漫画みたいな作品でした。

普通的上位自我についての文章

天文部の集合写真。大所帯です。
今はもうありませんが、わたくしたちの時にはこのように屋上に天体観測用のドームがありました。

ここには美術室と天文部室の間にある階段からつながっていて、鍵さえ持っていれば屋上で授業をサボることも可能でした。

天体観測は定期的に行われ、夜を徹して記録をつけたりします。
わたくしは天文部部長直列くんと友達であり、天文部員ヨシダとつきあっている、という全く関係ない理由で図々しく参加したりしておりました。

夕方から朝まで学校で話したり何かしたりするってすごい興奮するじゃないですか。

今見ると女子のがちょっと多いですね。
わたくしはあらゆることに首を突っ込む…というか面倒事をもちかけられるタイプだったんで、この部のことはようく覚えています。

複雑でしたよう。人間関係が。

学生たちが天文台で集合写真

2025/07/25

こううだうだしてるとセンチメンタルな気分に全然ならないなあ。
そういう時は画力をあげるための絵ばかりになります。

わたくしは高校も大学も漫研とは無縁で、漫研があったかどうかさえ知らんので、どんな空気だったのか知りたいんですよね。

美術部と漫研がほぼ同じだった学校も多かったと思いますけど、わたくしははっきり違いました。

ただ恐らく、その空気はわたくし一人が強烈な自己主張によって作り上げていたもので、わたくしが存在しなければ多分もっとなんかこう、安心感のある穏やかな空気だったのかもしれません。

人間の本能的な「本当のことを直接確かめたい」みたいな欲求って現代では一瞬でライン超えになっちゃうからなあ。

「電車で見かけた人が気になったのでスケッチした」はわたくしはよく経験したことですけど、もう犯罪でしょ。

いや、今もう一回やりたいと言ってるわけじゃなくて、話を聞いてくれよとは思いますね。話をしたところで結果は変わらないとしても。

さきほど「美術部という部」という漫画を描いて、あくまでわたくし個人の経験した美術部の雰囲気を描いてみたが、性的な欲求と、見て触って確かめたいという欲求はわたくしの中で完全に別個のものです。

と説明したところで外野からはどうしても変態には見えてしまうので、なんとか溢れてくる好奇心を抑えようとはするんですが、ここが厄介なところで、どうしても「本当にそうなの?」という執着が勝つんですよね。

後ろ髪なんていつだって引かれておりますよ。
両親はわたくしが都会で嫁さんを見つけて、田舎に戻ってきて米作りをし、家を継いでいくことを夢見てたわけですしね。
一言もそんなことは言わなかったけど。

結局そんな風に出来なかったんだから、センチメンタルになる資格はないのです。

なんもできてねえっすよ。

さきほど書いたイラストをaiに解釈させたら、全12000枚の中で初めて
「전체で温かい色調を感じさせる絵だ。」
とハングルが混ざった誤答をした。

システムの中で明快に「日本語で」という指示は与えていないが、日本語で指示をすれば基本は日本語で返ってくる。

しかし何万枚か処理をするうち、このようなケースも出てくることがわかった。どうなんだAIって。

機会がありましたらあなたのそのゲーム好きの友人に、
「ゲームを作るにはまずハードウェアに精通すべきである。」と語ったスペースインベーダーの生みの親・タイトー西角氏の言葉についてどう考えるかお尋ねしてみたいところです。

黎明期はゲームデザイナーが基盤の設計からビジュアルの設計、プログラミングまでほぼ一人でやってた時代があって、あれがわたくしのもっとも憧れる世界のお話なのです。

わたくしの専攻していた美学・芸術学科はなんでもありなんで、日活ロマンポルノで卒論書いてたまいちんのような人間もおれば、アドルノやらニーチェやらのミソジニストにハマって結論が「女はよくない」になっていたアホもおれば、枝くんみたいに芸術とは一切関係ない「競馬の美学」みたいな単なる趣味で論文書くやつもおれば、まあめちゃくちゃでしたけどもね。

ゲームについての論文を書いたやつは当時はいなかったでしょうねえ。
仮にわたくしが大学の先生で、学生がゲームについての論文を書いてきた場合、重箱のすみをつつくような形でツッコミを入れたでしょう。

いや引用雑誌ファミ通だけかよBeepは入れないとだめだろ、とか。
Beepはジャンルを越境した総合ゲーム情報誌でしたが、創刊号の巻頭特集が「部屋でゲームしてないでディズニーランド行こうぜ」という大変素敵な雑誌でしたので、ゲームを文化史的に語る上では外してはならないと思います。

ちなみに一応ジャンルとしてはゲームなんですが、アートとして考えた時にわたくしが最も敬愛しておるのは往年のイタチョコシステムと作者ラショウ氏であり、ラショウさんと直接やりとりできたことが、Twitterをやっていて大変心に残っておる出来事です。

「あの素晴らしい弁当を2度3度」
「ニセミジンコのうそひみつ」
「蒸し蒸しチキンそり旅行」

絶対彼にしか作れないなんとも言えん内容となっており、ゲームなのかどうかすら些細な問題です。
Mac版初期ロットのパッケージを写真にとってあったのですが、どうにも見つかりませんでした。

一番有名なのはファミコン他に移植された「ボコスカウォーズ」です。
多分。

グラV・式神・サイヴァリアはわたくしの中ではだいぶ名作に入っておる方ですね。それらは今のわたくしから見て最新鋭のゲームであり、PS2またはドリキャスで自宅でプレイ可能な「ゲーセン行く必要もうないなあ…」という寂しい気持ちを抱かせる頃のゲームです。グラVはちょっと歴史的に扱いが特殊ですが。

わたくしの中の名作シューティングとなると、初代グラディウスの原型であるスクランブルとか、ああ、やっぱりわたくしは「超名作の原型」みたいな元ネタが好きなんでしょうね。漫画もアニメも好きになった時点から、新しいものを摂取するのではなく、永久に歴史を遡って源流をつきとめようとします。クセですね。

90年代末期にMAME他エミュレータが登場したことで(話題としてはグレーなのはわかっていますが)、一気に資料的なデータベースは充実し、ゲームで遊ぶよりも、なぜそのゲームが生まれてきたか、ということに関心が向いたりもしました。

式神の城は例えばケイブが98年にエスプレイドを作ってなければ生まれて来なかったかもしれませんし、エスプレイドは93年にエイティングが魔法大作戦を作ってなければ生まれて来なかった気がします。私見ですけど。

あ、だめだ。これは無限に話が終わらないパターンだ。
ありがとうございます。終わらないんでずっと自粛しておるのです。

中学生から高校1年生までで漫画に描きたいことは少なく、とにかく人間を避け、社会を避け、女子は恐ろしく不可解な動物であり、ちょろっと成績がいいとすぐに嫉妬と悪い噂でいっぱいになる田舎を呪っていた季節です。

それもこれも、わたくしが世界を呪ってNEOGEOの初期ゲーム「NAM-1975」で、アメリカ兵をマシンガンで皆殺しにすることに恍惚となっていたからだと思います。

そんなわたくしの性格を一瞬でくるっと反転させ、現実の人間に目を向けさせた初恋とか青春とか、そういう柔らかいピンク色の何かを漫画として描き続けています。

漫画としてはゲームしかやってない時代から描くべきかもしれませんがね。

色んなSNSで何度も何度も書いたのでもういいだろうとは思うんですが、「マキタに出会う直前の高校1年生時にわたくしが何をしていたか」を端的に説明する時。ひきあいに出すのがアーケードゲーム、ゲーメスト、そして懸賞論文です。

このハガー市長の表紙の号を購入すれば、わたくしの本名がわかるというしろものです。ちょうど風営法が改正される直前だったか直後だったかで、24時間いつでも空いてた国道の無人ゲーセンが閉鎖されるとなり、熱くなってばかやろうみたいなことを書いたものが佳作になりました。

あと、鈴鹿市の隣の四日市にキャロットというナムコの直営ゲーセンがあったのですが、ああいうところは大体身内で固まっていて、外様のわたくしがいくと嫌味言われたりバカにされたりし、これまた熱くなってばかやろう仲良しゲーマーはゴミだと書いた気がします。

孤独でした。
高校一年時の漫画がほとんどないのはそのためです。
これもわたくしの重要な青春なのですが、これは酒のつまみにしたい方の話であり、漫画で描きたい方の青春ではありません。
漫画は押切蓮介先生の「ピコピコ少年」があるのでそれでもう完璧です。

今日ひさしぶりにスキャンした画像を見てて、
あの著名なゲームライターの多根清史氏と同じ号に載ってたことに初めて気づきました。なのでアップしようと思った次第です。

わたくしあれですね、投稿者の中で最年少だったんですね。

ちなみに商品は雑君保プ先生のイラストが書かれた、ゲーメストがちょうど1年分収納できるバインダーでした。

月刊ゲーム誌表紙、ゲーム紹介。
ゲーム懸賞論文入選作品発表ページ
コンテスト結果と受賞者のリスト。

わたくしは、ファミコンなら一番よく遊んだのはファミリーベーシックV3で、中学生になるとMSX2に行ってしまい、ゲームではなく音楽をプログラムし始めるので、多分あんまりRPGには触れていない気がします。

やっぱりこう、自分がやってるだけだと物足りなくなってしまって、何かしら作りたくはなりました。
その頃のフロッピーディスクはまだ手元に残してあります。写真はそれです。
もう読み込めませんけどね。

一番左のペンギンはMSXのパロディウスだと思うんですけど、ここに13歳のわたくしがBASICで作った「THE★切腹」というゲームが入っているはずです。

起動すると切腹中の武士が表示され、ちょうどいいタイミングでスペースキーを押すと斬首され介錯に成功するが、失敗するといつまでも死ねない、というだいぶアレなゲームでした。

そういう13歳でした。

右から2番目のはMSXのドラクエIIですよね。
MSX板はあぶないみずぎに特別グラフィックが搭載されており、「MSX あぶないみずぎ」で検索すると見れると思います。

4枚のレトロなフロッピーディスク

アンガーコントロールという概念は、10数年くらい前に出てきた時は、自己啓発の一種か?きもちわりーと思いました。

しかし現在、自分の話ではなく、大暴れしてとめられない人間が倍々で増え続けるだろうと言う見込みから、自衛の手段として知りたいとは思っています。

怒りもそうですが、嫉妬ですね。
強い怒りや嫉妬を抑えるのではなく、別の有益な方向に転化できるスキルと、それを他人に適用できるスキルは欲しいです。

わたくしは何でも自分と自分の時代を基準に考えてしまうので、「嫉妬や独占欲に狂った結果ふられたことあるだろう?」という目線で話してしまいがちですが、ここまで恋愛がゲームみたいなエンタメになってしまうとそれじゃだめだなとは思ってて。

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