はじめに
作者について

ハンドルネーム | 長谷川レイニー |
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生年月日 | 1974年生 |
出身地 | 三重県鈴鹿市 |
職業 | フリーランスweb技術者 /デザイナー 専門学校講師 |
学校 | 同志社大学文学部除籍 専門学校デザイン科卒 |
専門 | 美学・芸術学・哲学 |
青春モノクロームについて
内容
主に作者の高校時代(1991年)から結婚(2004)までの思春期をテーマに、その間の青春や恋愛、人間関係をジブンガタリし続けるサイトです。
登場する人物は全て「個人を特定できる情報」を変更した実在の人物がモデルとなっており、様々な出来事は当時の私の日記をベースにしています。
インターネット黎明期の個人サイトを意識しており、小説のように連続した「物語」ではなく、時々手にとってぱらぱらとめくり自分の気持ちに合うような内容を探す、「詩集」のように考えていただけると幸いです。
描く際の基本ルール
・青春・恋愛に関しては出来事から20年以上経過している。
・時系列に沿って描かない。
・事実と全く異なる結末を描かない。
内容紹介
旧トップページ(新着順)
全てのマンガ・イラストが描いた順番で新着順に並んでいます。
ほとんどが1ページマンガですが、まれに4ページ以上ある場合は「続きを読む」ボタンが表示されます。以前の見た目が好きだった方向け。
短編
どれから読めばいいか迷った時はまずこちらから。
40代で思い出漫画を描き始めたきっかけ
僕は1970年代生まれで、平成元年には中学2年生でした。
インターネットもスマートフォンもなく、携帯電話さえ影も形もなかった時代。
「のんのんびより」のような田舎で、小・中・高校時代を過ごしました。
近所の同級生とはどうしても馴染めず、ままごと遊びや折り紙、あやとりといった、どちらかといえば女の子の遊びを好んでいた子どもでした。
一人で庭に出て虫を集め、顕微鏡で観察するのが日課で、そんな自分に疑問も持たず、ただ静かに日々を過ごしていました。
「青春」は、過ぎ去ったあとにしか意味を持たない
私にとって「青春」という言葉は、あの時には理解できなかった、遠く過ぎ去った時間を振り返るための言葉です。
学生時代、私はいつも自分に問いかけていました。
「なぜ、僕はここにいるんだろう?」
「僕は、誰なんだろう?」
自問自答を繰り返す日々に、「楽しい」という感情はほとんど存在しませんでした。
ただただ毎日がつらく、居心地が悪く、どこにも居場所がないと感じていました。
うまく馴染めない僕と、逃げ場としての日記
同級生が夢中になっていたファミコンや部活動、体育祭や文化祭といったイベントにはまったく興味が湧かず、無理に参加すれば、浮いて嫌われ、傷つく。
そんな経験を何度も繰り返すうちに、私は1対1の深い関係だけを求めるようになります。
しかし田舎の独特な横の繋がりや、噂の広まりの速さに苦しめられ、逃げたくなる毎日。
今思えば、自分だけが「真面目に生きている」と勘違いして、他人をどこかで見下していたのかもしれません。
そのイライラや孤独を、誰にも話せない私は、ひたすら日記に書き留めていました。
このサイトの目的
このサイトは、そんな極私的で断片的な思春期の記録を、漫画というかたちでアーカイブするために作りました。
登場する人物は、すべて実在の人たちをモデルにしています。
いわゆる「リア充」でも「引きこもり」「オタク」でもなかった私は、自分を自虐的に笑うこともできず、ロマンチックな恋愛や感動的な友情とは無縁でした。
それでも、砂を噛むような日々の中で、人を好きになり、「好き」とは何か、「つきあう」とはどういうことか、人と人が関係することそのものに、必死で向き合っていたように思います。
「毎日描く」ことで過去を抱きしめ直す
この10年間、私は毎日1ページ以上の漫画やイラストを描き続けてきました。
それは過去の自分を肯定する行為であり、同じように生きづらさを抱えていた誰かに届いてほしいという祈りでもあります。
最後に
僕は誰を好きだったのか。
自分だけを好きだったのか。
それでも、きっとまた、君を好きになる。
何も特別なことはなかった青春の蹉跌に、少しでも共感したり、感傷的な気持ちになってもらえたなら、これ以上の喜びはありません。