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「絵。」

長いことなにかをやり続けた経験があると、
自分の技術が上がる時間帯というか雰囲気がわかるようになる。

ここだと思ったらそれを逃すとまた逆戻りするので、
何がどうあってもやり続けないといけない。

そういう意味では継続は力だというのは本当でもあるし、
ずうっと継続するのはあんまり頭がよくないとも言える。

全部自分の気のせいであることもある。
でもなんか「これは」と僕は思った。

うっかり寝てしまうと手にいれかけた何かが逃げてしまう。
そう思って描いてると朝になる。
始業時間が不安になる。

寝なければならない。
しかしそういう時は決まって眠れない。

誰かに応援してほしいと思う。
でも心の中で応援してもらえれば十分だとも思う。

「不安。」

みんなも不安なんだな、って安心する

ことはなかった。
余計互いの不安不信が増すだけだった。
だから相手が不安な顔をしていたら
僕はそんなことはないとしか言えない。

その嘘は苦しい。
苦しいがみんなが不安になるよりはましかと思う。

「絵。」

年末くらいから
キャパを超える多忙な状況が続いていまして、
以前ならSNSで「あー忙しい忙しい」と独り言を言うことで
自分に鞭をくれていたんですが、
なんかもう世界はそんな雰囲気でもなくなってしまって、
どこにも、誰にも話せる(独り言でさえ)機会がありません。

そうしたことは言わない限り絶対に人には伝わらず、
(「空気を読む」とかしゃらくさい。読めてません。誰も。)
しかし言葉で言う限り絶対に正しくは伝わらない。

子どもの頃から繰り返してきた、そういう一種の絶望感みたいなものはあって、
だから論理や理屈から逃れたいという強い欲望があり、
自己表現の強い動機となっています。

僕はあまり「こうあるべきだ」と考えるのは好きでないので、
表現手段がアートなのかマンガなのか、JPOPなのかクラシックなのか、
ラノベなのか文学なのか俳句なのか、そんな分類はどうでもよく、
それは分類しないと理解できてるか不安になってしまう人のための
一種の形骸だと僕は思っています。

形骸も煎じ詰めれば様式美として成立しますが
僕はあんまり形には関心が持てなかった。

しばらく絵の質を上げようと
言葉を書く時間を絵にまわしてみました。
それは伝わるでしょうか。
それともなんかつまんないなと思ったでしょうか。

日曜はいつも憂鬱です。

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