「美術準備室のオータニ。」
美術準備室は顧問の先生と美術部部長しか入れない、鍵のかかった小部屋だが、
僕が部長だった間は、僕と近しい人間のたまり場となっていた。
演劇部部長のオータニも、
勝手に来て勝手に昼寝などしていた。
いつも内に閉じこもって
何やら考えるふりをするのが癖になっている僕から見ると、
オータニも同級生ながらずいぶん大人に見えた。
大人になりたかった。
一瞬でも速く。
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美術準備室は顧問の先生と美術部部長しか入れない、鍵のかかった小部屋だが、
僕が部長だった間は、僕と近しい人間のたまり場となっていた。
演劇部部長のオータニも、
勝手に来て勝手に昼寝などしていた。
いつも内に閉じこもって
何やら考えるふりをするのが癖になっている僕から見ると、
オータニも同級生ながらずいぶん大人に見えた。
大人になりたかった。
一瞬でも速く。
僕の記憶のベースにこんな光景があって、
この頭の中の光景を形にできれば、
なんだか気が楽になるに違いない、
とずっと思っている。
絵で描くことはほんの少し出来るようになった。
なんとか映像にできないかな。
20代後半にさしかかると、
僕の人を好きになる力は急速に衰え、
けばけばしい情緒の上下はなくなってゆきます。
20歳の時には数ヶ月しかもたなかった人間関係が、
自分自身の安定と共に長く続けられるようになり、
「こうすべき」「ああすべき」と思っていたことが
どうでもよくなって、
最初から背伸びをしなくなりました。
そういう時にはそういう人と出会うようになっている。
さみだれちゃんとは大分歳が離れていましたが、
楽でした。
「お互い高めあうような関係」など
僕の歪んだ自尊心が生むただのくだらないこだわりだと、
僕は始終居眠りしながら考えていました。
僕はマゾヒストではないので、
傷つくセリフに喜ぶわけもなく
さりとて落ち込むこともできず
ただ矢のように刺さる先輩の言葉を
飲み込む以外に出来ることはない。
マゾヒストはいつも一方的だ。
ただ欲しいものを求めるだけで、
自分が与えることをしない。
自分をよく見てほしければ
人をもっと近くで
もっとよく見るしかないのだと
大学生になってやっと気づいた。
僕はいつも人より遅かった。
何も、かも。
今日家内ちゃんは実家に戻っていきました。
これで数日は自分のことだけできます。
とはいえ、僕はもうあまりしたいことがなく、
その気力もなく、
足をさすりながら
ぼんやり絨毯に寝転がっているだけです。
一人は気楽ですが
気楽も長く続けば無気力になることを
僕はよく知っています。
これ、最近色んな周りの若い子にやって
(多分)嫌がられているんですが。
自分でもよくわかんないんですよね。
実際の写真を見せて、あ、この人マキタさんでしょ、
って言われるとひどく嬉しい、その気持ちがどこから来るのか。
教えてもらえませんか。
この感情の正体が何なのか。
もう僕に未来はないです。
ないというか、なくてもいいかな、という気分です。
欲しいものも特にありません。
ただ描いてさえいれば僕は幸せです。
なんとかケンカや気まずさ、葛藤を回避したいと願う人間ほど
正解を自分の中以外のものに求め、
結局捨てられ、嫌われる。
つまり彼女が何を怒っているのか、
彼女自身、あるいは自分自身ではなく、
雑誌の一般論やネットの煽り記事に正解を求める人間だ。
これは勉強ができるできないとか、
性格がよいわるい、家庭環境がどうのこうのの話ではない。
適当に自分をごまかして
なんとなく生きてきた結果でしかない。
僕は捨てられる。
それに気づくまでどの世界線を生きても捨てられ続ける。
自分のことばかりに真剣になっている人を、
自分以外の人間は好き勝手に笑うが、
しかし
その季節は絶対に必要なのだ。
自分のことしか見えない季節だから
人を好きになっても実は人ではないものを好きになって
失敗するわけですけれどもね。
コンプレックスはじゃんじゃん
持っていいんじゃないでしょうか。
でもコンプレックスを
自虐でネタにする癖をつけると
ろくな大人にならないのでね。
別に頭おかしい病気になってもいいと思う。
思春期なら。
死なない程度に
思いっきり落ち込んだ方がいい。
大きな大学でしたので、
学生食堂はレストラン街のようにたくさんありましたが、
僕が愛用していたのは、
校舎から離れた、老朽化はなはだしい
別館の食堂でした。
ただだだっぴろくて、
ほとんど学生はいませんでした。
おしゃれに着飾って、
キラキラした同級生たちが校舎へ歩いていくのを見ながら、
僕はいつまでもそこで腐っていました。
6年間も腐っていたと考えると、
長い長い夢を見ていた気持ちがします。
今も僕は、そんな食堂が好きです。
いつだって、
何も見えていないのは自分だけだ。
好きって感情って相当気持ち悪いですよね。
僕もずいぶん経験しました。
すくなくともレモンやサイダーのような
爽やかさはどこにもありません。
泥沼で滑って転び
やけくそになって
泥まみれで踊っているような、
なんだか哀れでもあり
楽しくもあり
そんな毎日でした。
僕を常に縛るのは
学校や社会の規則やモラルなどではない。
人間なのだ。
僕は常に人間に呪われている。
呪われて、幸せになっている。
呪われたいと願っている。
呪いには、
自分では解けない呪いと
自分にしか解けない呪いがある。
この呪いは
恋愛と言い換えてもよい。
自分にしか解くことができない、
幸せな呪いだった。
ほんとに同級生と話あわなくてねえ。
今でもですが。
トラップ一家物語やセーラ、フローネ、ブッシュベイビー、若草物語といった、
日曜7時の名作劇場を、
家族全員で見ていました。中学生くらいまでかな。
僕たちがとっくになくしてしまったものが、
90年代の、それも海外原作のアニメに全部詰まっている。
なんて皮肉なんだろう。
もう色んなことにがっかりしすぎて、
気持ちが塞ぎっぱなしです。