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協調や人との繋がりは生きていく上では大事なことだと今では思うけれど、
一番重要かと考えるとそうでもない。

むしろ順位的にはかなり低い。
僕がどのような人間でどんな態度をとったとしても
残る人は残り、そうでない人は去るだけの話で、
結局誰も残らなかったとしても僕だけは残り、
そして誰しも死ぬ時は必ず一人で死んでいく。

だから僕は僕が幸せになる方法を知っていればいいと思っている。

毎日毎日描いている。
暗い絵の時もあれば明るい絵の時もある。
怒っている時もあるし、悲しい時もある。そのまま絵に出ている。
何も作り出していない。だから僕はクリエイターではない。

でもそんなには不幸でない。

1997年。
携帯電話は持ってる人と持ってない人が半々程度だった頃。
僕はさんざん放浪ばかりしてたから心配した両親に持たされ、
奥崎は持っていなかった。
そんな頃。

奥崎は他大学美術部との親交会で知り合った。
少し話すようになると、
僕は自分の大学をほったらかして
奥崎の大学に遊びに行くようになる。
(なんだかいつもそう)

住所だけは絶対教えてくれなかった。
手紙はR大学まで行っては本人に渡した。
妹もR大学だったため、「妹の様子を見に」なんて言い訳をした。

何度かの手紙のあと、住所が書かれていた。
僕は夜中にも関わらず奥崎の下宿まで押しかけていった。

それだけのことだ。
それだけのことだけれど、
それが青春でなくてなんだろう。