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「海辺のバス停。」

僕は「描くのに人知れず苦労して苦労して、それが画面に全く現れていないさらっとした絵」をいい絵だと思っています。
これは高校生の時にノムラ先生が言った言葉の受け売りで、
先生も自分の先生から聞いた言葉なのかもしれません。

僕はまださらっと描こうとすると不安で不安で、
あっちこっち無闇に線を描いているうちに
すごく苦労して描いたっぽい絵になってしまいます。

それはそれでよいのかもしれませんが
いい加減そこから脱出したいといつも思っています。

思っているだけで、
やっぱり心の中では「こんなに苦労して描いたんだ!」と言いたい自分もいて、
あーあ、とうつむきながらまた次の絵を描き始めます。

「エル=グレコのあるヌード。」

リンク:エル・グレコ 受胎告知

倉敷の大原美術館にある一枚。
学生の頃何度もでかけて何度も観た。

こういう宗教画って我々日本人には理解しずらいテーマの一つで、
そもそも「受胎告知」だって意外と知られていないんでは、と思う。

源氏物語絵巻だって源氏物語の内容を知らなかったら
何の絵だかさっぱりわからない。キリスト教の話ならなおさらだ。

そういう絵画の背景を知ってから観るとまた別の見方ができる、
それが面白いという考え方もあるし、
そんなもんいらん、顔がかわいい、ダイナミックでなんだか好き、
そんな感じでも全然いいと思う。

ただ自分にわかるものだけが素晴らしいものなんて考え方は退屈で、
結局すぐ飽きて何も残らない、
だから無駄という結論になってしまうのでは。
恋愛もきっとそうだろう。

よくわからなくて不安だから面白いんだけどな。

ああ説教くさい。やめよう。