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「新田辺東第4公園。」

僕は大きくて遊具のたくさんある整備された公園よりも、
錆びて朽ちかけた小さな公園が好きで、
村木に呼び出されて話をした公園もよく覚えている。

ただ覚えているのはその雰囲気だけで、
名前や場所は全く記憶にない。日記にも書いていなかった。

以前ちょっと探した時にgoogleマップで候補を探してみたものの、
徒歩5分圏内に8箇所も小さな公園があり、
そのどれもが似たような、土地のすきまに作られたような公園のため
ストリートビューで見ても思い出せない。

たびたび真横を近鉄電車が通って、
大事なことを言おうとしては言い淀む、
そんなことだけを覚えている。

そんなことから、多分あの時の公園はここだったんだろうと思った。
30年前にこの公園があったのかどうか、
それは地元の人間ではなかった僕にはわからない。

そんな記憶にも残らない、
小さな小さな思い出が僕は好きだ。

「アトリエ。」

僕は平熱が37度あり、
いつも体温が高い。

いきなり会ったばかりの人に
僕は体温が高いので手をあっためてあげようなどと言ったら
かなりイカれた人ということになるが、

友達であれば割と普通に言う。
そういう距離が友達の距離であり、
特に他意はない。

もちろん壁を高く築く人には触れたりしない。
そして僕はその壁を乗り越えてまで友達になろうとは思わない。

なんとなく手を繋ぎたくなる時はある。
それは恋人の手を繋ぎたい気分ではなく、
多分、幼稚園児が互いに手を繋ぐのと同じ感覚なのだと思う。

アトリエは凍えそうな寒さだった。
僕の暖房器具としてのプライドは高い。

埴谷雄高の本名が般若豊というのがまずかっこいい。
僕も生まれ変わるなら般若家に生まれて名前負けしないように生きていきたいものです。

僕は高度経済成長やバブル期の「真面目に考えても無駄。世の中さくさく調子よく」
という空気が大嫌いでした。
だから僕が小中と過ごした80年代カルチャーは今もあまり好きじゃない。

歴史的な是非や思想的な功罪はともかく、
戦うものがあった時代に常に憧れを抱いてやみません。

吉本隆明と埴谷雄高を恐山のイタコを使って呼び戻し、
ついでに西田幾多郎か誰かも加えて現代について徹底討論をしていただき、
僕はそのLive配信を横目で見ながら、
女の子の絵など描いていることができればものすごく満ち足りることでしょう。

「変わらないもの。」

仕事でうまくいかないことがあったりとか、
家庭がうまくいってないとか、
病気とか経済的な話とか、
そういう明確な理由があって死にたいとか消えたいなら
どこかで自分に折り合いをつけることもできる。

ただなんとなく、
「もういいだろう?楽にしてくれ」
のような気持ちとは
どうやって折り合いをつければよいのか、

修行が足らぬ僕にはまだわからない。

直接言葉をかわさなくとも、いつも同じ人が同じところで同じことをやっている、それを見るだけで安心することもある。

僕をそう思って見ている人もきっといるはずだ。

そう思ってやっている。