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「そういう日々。」

もちろん弱いものに対する暴力や
メンツやら縄張りやら理屈で勝てないから出る暴力には
何の価値もなく、肯定するべきところは特にない。

それでもみんなが気持ちの悪い夢を見て、
日に日に目が覚めにくくなってきた今、

時に言葉で殴られるよりも
暴力で殴られた方がましな気分になることもきっとある。

目が覚めたところで
それが君にとっていいことなのかどうか、
僕にはわからないが。

「昔の、その手紙。」

昔どんな出来事があって、どんな経緯があって、
どんなことを話したか、
そういうことをこと細かく描くことで、
共感を得たり、人の感情を動かすことにカタルシスを覚えていました。

このところ、そういう事実はどうでもよく、
事実の羅列はくだらない週刊誌が人の下衆な感情を煽るのと
さして変わらないと思い、
もっと伝わりにくく、もっとふわっとした描き方に変わってきています。

それによってもっと退屈で、つまらない内容になるでしょう。

先輩の手紙です。
先輩の字です。
めったに見せない本音です。

このどうでもいい3行に
僕がどんな次の行動をとろうと頭を悩ませたか、想像してみてください。

楽しそうでしょう。
僕は真剣でしたから。

「こんなもんじゃないの。」

情報がない時代って、
みんなこんなもんじゃなかったのかなと思うんだけど。

なんでもかんでも人に聞いてみないことには、
気持ちやら自分のことやら何もわからない気がします。

客観的に自分を見るのと、
自分探しで自分を見つめるのとは
全然違う。

説教や老婆心や苦言は、
僕が信用している僕の好きな人が
直接僕に向かって言うから
真面目に考える気になるのであって、

誰やらわからん人間の苦言を
素直に聞いて大人しくして、
それで一体何が楽しいんだろうとは思うよ。

僕はかつて一度だって人気者だったことはない。
けれど僕は必ず誰かを好きになるし、
必ず誰かには好かれる。

それは事実であって期待ではない。