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「無表情とは。」

周りの言葉にはすぐ影響されるし、
生き方や考え方もいまだにブレブレですけどね、

でもどうあってもやってることは一緒で、
言いたいこともずうっと一緒なので、

言葉の上での共感というよりは
周波数が重なったときの共振というか、
どうせなら僕の持っている周波数と重なって
よくもわるくもその人の周波数が増幅していってくれたらいいな
とは思います。

表情や感情の表現に乏しい人は嫌いじゃないです。
深く自分を知ろうとすればするほど、表情を作っている場合でなくなることは
僕もよく知っていますので。

「不安の季節。」

それで、君は誰かのために何をしましたか。

それはその誰かのためになりましたか。

それをどうやって確かめましたか。
言葉ですか。態度ですか。

君はなんのためにそこにそうやっていますか。

「際限なく話は続く。」

そこそこ深い話ができなくもないクラシックやらアートの話やらは、
あんまり盛り上がらん上に荒れやすいんで語る気がしないが、
アニメとかマンガは聞いてくれる人が多い。

ただこう、どれが推しでどれがおすすめという話になると心もとなく、
本当に僕は好きだったんだろうかといういつものグルグルが始まってしまうので、
ただ見たものを垂れ流すだけになりがちで、だったら別に自分から話さんでもいいかとなる。

「これ絶対見て!」ってできる人はすごいなと思う。

「絶対見て!」って言われると僕は絶対見る。
逆にクラシックだと、あーそれは僕はちょっとなー…となってしまって感じが悪い。
詳しくならない方が得だなあといつも考える。
偏った知識は誇れるどころかなんとなく気恥ずかしく思ったりもする。

マジカルエミの蝉時雨は有名どころに入ると思うので
傑作だと言ってもそんなに異論は出ないだろう。

マジカルエミの何がいいかと言えば、魔法で夢を叶えるファンタジーではなく、
少女の精神的な自立と共に自分で魔法を捨てる話だからだ。

40年前の作品だけれど、時々見返す。
そりゃあ絵が古くてノリも古いのは当たり前だ。
でも今の最新技術で作ったアニメーションより僕は好きだな。
ノスタルジーではなく、僕の好みにあっている。

前半はテレビ放送のダイジェストなので飛ばす。
本編は特に何も起きないし、ストーリーらしきものもない。

淡々とありふれた日常の様子が最後まで続く。
ただ、随所に微妙に不安になる叙情的描写が挟まる。
多分これがのちのちフランス映画が好きになるきっかけだったと思う。

配信されてないので今観る手段はなさそうだ。
昔だったら「なら貸してあげるよ!」って言えるのにな。

「だが俺は間違っていない。」

女の子は高校までに、
しつこくされて嫌な思いをする経験をある程度してきている。

ただおっかける以外に脳がない、目覚めたばかりの僕のような男を、
以前の記憶と照合して最初から警戒している。

小学校の時からそんな経験を経てきた人間ならともかく、
高校まで来て急に目覚めた人間には
人の気持ちよりも自分の気持ちが最優先であり、
やることなすこと全てが間違っている。

間違っている自分を見つめることもできない。
人間に到達していない進化前の動物だからだ。

人気ものが何故人気ものかと言えば、
人気があることに慣れているから。
そうでない動物は、失敗し痛みで学習する以外人間になる方法はない。

それはそれとして、
僕はその僕を間違っていたとは思わない。

世界中の空気が悪くなっていく(ような気がする)さなか、
どうしてこんな退屈な話を描きたいのかと言えば、

それまで自分の中に存在しなかった概念が突如生まれた時、
人はそれに対してどう接し、どう折り合っていくか、
できるだけ小さい小さい目線で語りたいからだ。

例えばなんの変哲もない主人公が
突如として世界の終末や陰謀に巻き込まれる。
エヴァンゲリオンを起点とするセカイ系の物語は、
僕が描いているような小さな自我をめいっぱいまで肥大させた創作物語だ。

僕が描いているのも平和な話だとは思っていない。
エヴァにのって人類を補完する話と同じくらい
これは僕の中では重要な話だったのだ。

そういう意味で、僕は少しも間違っていない。