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「背中。」

胸側は描くところが色々あるんで描きやすいんだけど、
背中は何もなくて途方に暮れる。
背中を上手に描ける人は本当に上手な人だと思う。

逸脱TVというチャンネルで、統合失調症の患者を追いかけたドキュメンタリーが公開されている。
僕はこのシリーズが好きで最初から追いかけていた。
一昨日、第一章が完結したという。

最初から追っていくと、不思議な感覚に襲われる。
このひとが狂っているのか、自分が狂っているのかわからなくなる、という感覚だ。
頭のネジが我知らずずれてしまった人と話しているといつも感じる。

狂っているのは俺なのか世界なのか。
それを俺一人で考えることに意味はあるのか。
子どもの頃からよくそんなことを考えた。

以前、予備校の隣の部屋だったオガワくんの話を描いた。
上記ドキュメンタリーの主人公・野田さんの強い名古屋訛りを聞いていると
オガワくんと重なる。そして言っていることも雰囲気も、
おかしくなってしまった後のオガワくんと非常によく似ている。

ぴくちゃんもこんな感じだったが割とすぐ治った。
オガワくんは僕が京都の大学に進学した後、更に重症化し、
毎夜毎夜電話をかけてきて、さすがにもうだめだと僕が出なくなった後、
「ごめんなごめんな」と連呼する留守電を残し、それ以来没交渉である。

心のどこかに引っかかっている。
僕はこういう時、彼彼女らに最後までつきあってしまう。
それがよかったのかどうだったのか、今もよくわからない。
さっさと病院に入れた方がよかったのかもしれない。

そしてまた考える。
病院にいなきゃいけないのは僕の方じゃないのかと。

「ジブンガタリ。」

最近、一週間にいっぺんくらいは
このようなきもちをもてる日が出来た。

これが40代の苦しみを突破したということなのか、
これから始まる更なる苦しみへの予兆なのか、
それは僕にはわからない。

しかしどう笑われようと
自分語りは必要なのだと固く思っている。

「時代が違いますよ」はもう聞き飽きた。

「授業中の落書きは。」

こういうのって自分で気づくと
「俺は天才じゃないか」と思ったりします。

もちろん天才ではなく、
誰でもやってると気づくことではあるんですが、
この「自分で気づいた」というところが
一番アドレナリンが出るところなのです。

つまづいた時に素直に教えを請う姿勢も大事ですが、
最初から「共有されて誰でも知っている」と思うとやる気なくなります。
かといって「俺は天才じゃないか」を突き進み過ぎてもやがて失速します。

そういう時何が一番楽しいのかを改めて振り返ります。
僕は何よりも先輩と一緒にいた時が一番楽しかったのです。
なのでそんなことはさっさと忘れて次の絵を描き始めます。

「苦手。」

嫌なことは全てナチュラルに避けて通る、
そんな家内ちゃんをずっと見ているので、

何かに悩んだりこれでいいのかと自問自答したりする
僕と同じような性格の人は逃げない方が結果的に楽だ。

「逃げていいよ」と言われなくても
脱兎のごとく逃げられる人間だけが
逃げて得をする人間なのだ。