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「アトリエ。」

僕は平熱が37度あり、
いつも体温が高い。

いきなり会ったばかりの人に
僕は体温が高いので手をあっためてあげようなどと言ったら
かなりイカれた人ということになるが、

友達であれば割と普通に言う。
そういう距離が友達の距離であり、
特に他意はない。

もちろん壁を高く築く人には触れたりしない。
そして僕はその壁を乗り越えてまで友達になろうとは思わない。

なんとなく手を繋ぎたくなる時はある。
それは恋人の手を繋ぎたい気分ではなく、
多分、幼稚園児が互いに手を繋ぐのと同じ感覚なのだと思う。

アトリエは凍えそうな寒さだった。
僕の暖房器具としてのプライドは高い。

埴谷雄高の本名が般若豊というのがまずかっこいい。
僕も生まれ変わるなら般若家に生まれて名前負けしないように生きていきたいものです。

僕は高度経済成長やバブル期の「真面目に考えても無駄。世の中さくさく調子よく」
という空気が大嫌いでした。
だから僕が小中と過ごした80年代カルチャーは今もあまり好きじゃない。

歴史的な是非や思想的な功罪はともかく、
戦うものがあった時代に常に憧れを抱いてやみません。

吉本隆明と埴谷雄高を恐山のイタコを使って呼び戻し、
ついでに西田幾多郎か誰かも加えて現代について徹底討論をしていただき、
僕はそのLive配信を横目で見ながら、
女の子の絵など描いていることができればものすごく満ち足りることでしょう。

「変わらないもの。」

仕事でうまくいかないことがあったりとか、
家庭がうまくいってないとか、
病気とか経済的な話とか、
そういう明確な理由があって死にたいとか消えたいなら
どこかで自分に折り合いをつけることもできる。

ただなんとなく、
「もういいだろう?楽にしてくれ」
のような気持ちとは
どうやって折り合いをつければよいのか、

修行が足らぬ僕にはまだわからない。

直接言葉をかわさなくとも、いつも同じ人が同じところで同じことをやっている、それを見るだけで安心することもある。

僕をそう思って見ている人もきっといるはずだ。

そう思ってやっている。

「青春モノクローム。」

だから僕は初恋というか片思いを恋愛経験にカウントしない。

自分の何が悪かったのかの答えを与えられることもなく、
単に拒絶されたなら、単純に自分が嫌われてただけの話だ。

それを認めるか認められないかだけの話で、
そこから立ち直れないのは立ち直る気がないからだと思う。
なので立ち直れない人間に対して僕は全く同情しない。

嘘をついているつもりはなかった。
だが結果的には嘘になった。

ロマンティックな苦痛とは全然違う、
あの、嫌な気持ち。

思ってなくても好きって言えるんだよ、一度言ってしまえば。
好きだと思ってたけどやっぱり嫌いでした。

これは苦しい。
しかし、それもまた時間が解決した。