「読みましたボタン」から送っていただいたメッセージに対して、独り言の形を借りてふわっと返信したりしなかったりします。
2025/11/22

打ち合わせというか、誰も面倒でやりたくないのをなすりつけあってる現状にいらいらし、一人で空回りして割りを食ってるだけの気もしますけど。

打ち合わせばっかりですわ土日も。

わたくしは「追い詰められてわーってなってその辺の人を襲う」よりは、2chみたいなところでグジグジといつまでも人の悪口を言ってる方が人間としてはまだましかなと思っています。
問題はSNSが現実型人間とネット型人間とをつなげてしまっていることなので、男女の分断や政治的思想の分断はさておき、現実とネットをどうにかして分断してしまえるなら、それが一番いい。
つまりそれはネットの時間を巻き戻すということで、今更もうできないんですけどね。これからの教育によってはできるかもしれません。
「匿名アカウントの向こうにもちゃんと人間がいるんだよ」という、背筋がぞくっとする道徳観が現状を産んでいるとわたくしは考えています。
2025/11/21

底にひびが入って使い物にならなくなった木のお椀があって、思い出も別にないし捨てりゃいいんだけど、なんだか置いてある。20年くらいそこにおいてある。
家内ちゃんと新しいお椀買おうと吟味している。
500円のにするか800円のにするかで、ふむうと二人で考えこんで、結論が出ない。
いやそんなもん、500円でも5000円でも好きなの買っちまえばいいじゃん、て話なんですけど、そうじゃない。
二人で考え込むというところに意味がある。
小銭をもってるとそういうところが杜撰になる。
生粋の吝嗇でない限り、何もかも適当になる。
わたくしにも、いくら使ってもまあまあ使い切れないという生活ができてた時もあった。
なんにも面白くなかった。今の貧窮暮らしのがずっといい。
話すこともため息をつくことも、たくさんある。

インフルは周りにうつさなくてほんとうによかったよ。
そういうの、永久に気にするからなわたくしは。
2025/11/20

雷が嫌いな理由は何度か描いた覚えがあるので、最初期の漫画にもある気がします。探す気も起きませんが…。
同じこと描いてるので逆に以前の漫画の描き方との違いがわかりやすいのかもしれませんね。
落雷が直撃した隣のお宅は、テレビつけっぱなしで旅行に行って、そんなことに。みたいな感じで、その記憶がどこまで正しいのか今になっては確かめようもありません。
しかしそれを見ていたという記憶はある。
こわいこわい。

なんかでもあのおもちゃ、店とか駄菓子屋とかで買った記憶もなく、なんだか「ただ家にあった」という感じなんですけど、どんな風にどんな箱に入って売ってたのかなあ。

あのばねのおもちゃってスリンキーなんて名前なんですか。
たくさん「知ってる!」ってメッセージいただきましたが、名前を知ってた人は誰もいませんでした。名前がつけづらいおもちゃでもありますよね。何するものかわからないので。
そうそう、結局繊細なおもちゃなんですぐ歪んでもとに戻らなくなるんですよね。ちゃんと稼働してた期間てものすごく短かった気がします。
2025/11/19

そう昨日書いた先輩との最後のやりとりは、
「だから」がものすごく重要な意味をもっていると思っています。
そこに気づいてもらえて大変うれしいです。

「秋映え」も美味しいよね。家内ちゃんはサンふじしか食べないので一個だけ買うのもなあと最近変えてないですが。
りんごで美味しくない種類ってのもあんまり思い浮かびませんけれども。

しばらく授業がつづきます。

自分じゃわからないので他の人に言葉にしてもらいたいって気持ちももちろんありますねえ。

澁澤龍彦のことをしばらく振り返って調べてて。
これかなり前のテレビ番組だと思うんですが、最初に写っている画廊がわたくしが20代から30代半ばまで関わっていた銀座の画廊です。
よく録画して残してる人いたよなあ。
2025/11/18

伝わりますかって疑問形にしておいて、わたくし自身はなんとも言えないという、この感じ。です。
2025/11/17

ちなみにわたくしは一度もきれいなお姉さんのいる店に行ったことはないし、多分今後も行く予定はありません。
が、行ってるやつはだめだなんてもちろん言わないですよ。
わたくしはおごってやると言われても好きじゃないので行きません。
好きな人は好きでいいじゃないですか。
ただそういう個人主義的な自分をどうかと思う時もあります。
何をし、何も見てもただ迷いが深まるばかりです。

わたくしもだいぶおきもちが軟化して、
「絶対許せない」なんて思うことはほとんどありません。
特にニュースやネットを見て義憤にかられることはなく、
「かわいそうとは感じるが、他人事だ」と思いがちです。
思っててそれでも「絶対許せん」と正義の人になるか、どこまで行っても最後は他人事なのだと正直に諦めるか、それはその人が辿ってきた経験と考え方に深く左右されます。
「自分もかつてはそうだったから」
わたくしは大体のことにそう考えて歯切れが悪くなります。
浅い経験と浅い考えから生まれてくる正義はいつの時代も戦争のきっかけだった。歴史が証明している。
クソ真面目に考えてないで、もっと人と喧嘩した方がいいんじゃないかとは思いますが、思うだけで言わないです。
卑怯と言われれば卑怯でしょうねえ。

風俗通いを自慢げに話す芸人を「汚点」と断罪するツイートが若者に大絶賛、みたいな記事を見た。
そういうおきもちならそれでいいんじゃないですか。
わたくしも「許せん」という風に考えてましたよ。大学生の頃はね。
わたくしの場合は「国の偉い役人が査察と称してアジアで少女を買いまくっている」というニュースを見聞きして、実際に放浪中、インドその他の売春宿まで行って様子を見てきました。
役人はいませんでしたけど、いっぱいいましたよ日本人は。
日本人は基本、一人では海外で行動しないで、群れてんですよね。現地人とあんまり話さないんですぐわかります。
それか絶対日本人とは口を利かないオーラを出してる、自分を現地人になれると勘違いしたわたくしたちのような、わざわざ汚い格好をしている人種かどっちかです。どっちもどっちです。
ちなみに90年代後半当時、あらゆるアジア系観光地で嫌われてるのは中国人でした。本当に、中国人は世界中どこの観光地行っても嫌われ者でしたねえ。今は違うかもしれませんが。
めんどくさい客引きに囲まれた時、チャイニーズと言えば離れていく、そのレベルでした。盛ってませんよ?
日本人が優しいからじゃない、文句を言わないのと、10倍高い金額を言っても笑って払うからです。
海外で日本人は嫌いだと叫ぶのは日本人だけ。
それがわたくしが見た事実であり、自虐史観の結果です。
わたくしたちは強くその教育による影響を受けています。
左傾向が強い地域の出身者はみなそうです。

この絵が好きとか嫌いとか送ってくれる方はあんまりいないので(というかわたくしが感想より自分語りよろしくとか言ってるからなんですけど)、それでも感想いただけるのはとても嬉しいです。
でもなんか「応援してやってんのに何も見返りがない!」って不公平に思う人もいますよね。きっと。
わたくしはほら、他の人にいいねボタンを押すわけでもなく何かしてあげるわけでもないので。
それをやり始めるとわたくし段々考えすぎて勝手に身動きできなくなっていくので「うるせえ!だまれ!」みたいな顔してた方が楽っちゃ楽になってしまってて。
2025/11/16

ラーメンズってチバ!シガ!サガ!の人でしたっけ。それしか知らないかも。あれは好きでしたよ。もういつ見たんだかわからないくらい昔ですが。

わたくしも関西弁=お笑い好きと思われるのは好きでないんで、青春モノクロームでは関西弁…三重弁ですが…真面目な話を描こうと意識しているふしはあります。

ちなみにお笑いについて話すといつも書いてる気がしますが、
わたくしは探偵ナイトスクープを面白いと感じ、家内ちゃんは一切感じない、というはっきりした違いがあります。
家内ちゃんの好きなのは、あーなんだっけなーウッチャンナンチャン?のコントみたいなのが好きみたい。
わたくしは中田カウス・ボタン師匠の漫才が好きです。
話があうわけありません。
京都のテレビ局にいたので吉本の方には実際に接することもありましたが、だいたい嫌なやつのがテレビで見ると面白かったです。
ちなみに個人的に大学生のわたくしがいやだなあと思ったのが、今色々もめて渋谷で高級焼肉屋をやったりなんだりしてた人と、タモリと同世代の大御所で顔がずっと笑ってていい人で売ってる二人です。

そう、わたくしの中では東北は友人が多いんですけど、九州が皆無なんですよね。
なので何かで間接的に見た方言の知識しかありません。
鹿児島ならじゃっどん、とか、おいどんはなんとかでもはん、とか。西郷隆盛と島津家のイメージなんだと思う。
あ、あとクッキングパパは九州が舞台なんで方言よく出てきますね。
例えば宮崎とか熊本とは全然違うんでしょうか。
三重と滋賀と奈良みたいに、その地方の人じゃないとわかんないくらいの違いなんでしょうか。
岐阜と三重って全然接点がないんで、岐阜の言葉ってわかんないんですよねえ。飛騨と美濃で違いそうな気はしますけど。
岐阜の同級生いたけどなまってなかったし。
つい先日友人が岐阜の恵那に引っ越したんで、ストリートビューで見て回ってたんですが、まあ田舎は田舎だけど、鈴鹿とそこまで違うかって言ったらそうでもないし、車さえあれば暮らすのは不便でもなさそうです。

やあ、やっぱり方言とか口調の文化についてはみなさん語りやすいようで、ありがとうございます。
奇しくも岐阜に関係する情報が数件あったので、やっぱり日本の真ん中だからか?と全然関係ないことを考えていました。
お笑いについて、面白い面白くないという線引は難しいんですけど、関西圏(特に大阪)の人が、標準語をバカにしがちなのは言葉自体じゃなくて風土の問題ですよね。
反骨体質というか。
わたくしは三重なのでなんとも言えないところですが、人に呼びかける時に「ねえ」って言ったら「女か!」って即刻バカにされる傾向はありました。「なあ」ですね、普通は。男女ともに。
でも東京の人からすると「なあ」って言われると馴れ馴れしくてすごく嫌みたい。
大学は京都でしたが、いわゆるお笑いみたいなしゃべり方の人なんかほぼ見たことなかったですけどねえ。
いや、お笑い芸人みたいなしゃべり方で、全く面白くないという人はいたか。いたな。
東京はよくも悪くも他人には無関心ですから。
神奈川やさいたま、茨城といった周辺はどうなんでしょう。
やっぱり東京と神奈川、東京とさいたまでは何か距離感は違うんでしょうか。さいたまは田舎田舎っていうけど大都会ですけどねえ。
京都と大阪もだいぶ違います。
きついしゃべり方なのは大阪で、京都はもっと愛想がいい感じです。
名古屋のだぎゃーと一緒で、どすえーとか言う人はおりませんけども。

自分に得がある嘘ってだいたいバレるじゃないですか。
道徳とかじゃなくて、経験則でそうでしょう。
例えば「僕は東大除籍です!」ってキャラをSNS上で作ったとして、ある程度までしかごまかせないことはやる前からわかります。
けど「盛る」についてはどうなんでしょう。
これは結構関東関西で価値観が変わるのではないかという、特にソースはないけどそんな気はしてましてね。
お笑いが身近にあふれている地域では、話を盛って面白くするところまでが一つの価値ですから、面白くできないなら話すな、みたいな考え方の人もいます。逆に面白くしないで話せ、という考え方の人もいますよね。
関東関西って分け方はどうなんだ、と思ってたんですが、やっぱりなんかあるよなとは感じてて。
東京に長くいすぎてわからなくなっているんですが、やっぱりその、関西方面の「関東の人間のしゃべり方が気に食わない」ってあるよなあと思い。
いまだに関東の人が面白いと思って変な関西弁しゃべると割合本気で怒る人いますもんね。

ろくでもないことばかり書いてしまうんでよくないなあとは思いつつも、まあこれはこれでわたくしの一部分ではあるので、申し訳ないですが正誤判定を求めていくつもりはありません。
削除もしません。
削除する時は、他人の名誉を明らかに損ねるようなことを書いちゃった時ですかね。名指しで「●●は変態でキチガイ」みたいなレベルの。
そんなの書くかなあ。それを「ついいらっとして毎日書いちゃう」レベルにまでなったら病院に閉じ込めてもらった方がいいと思います。

もう今さらAIの恐怖どうこうと言われても、わたくしその影響をまともに受けて実際に代理店経由の仕事が数分の一になってますがな。今年の頭から。
わたくしは元々使い捨ての技術者のような扱いを受けることも多いですし(面と向かってはものすごく丁重で丁寧な扱いですけどもね)、言ってみたら正職についてない人なんてみんなそんなもんじゃないでしょうか。
そのかわりわたくしは過度なノルマやプレッシャーとは関係なく、のほほんとそれなりに暮らしてきたわけなので、世の中にものすごい文句があるかというとそうでもないです。
わたくしはわたくしの友人たちのように、経営したり管理職になって上からも下からも突っつかれる生活の方が遥かに難易度が高いと思っておりますから、彼彼女らが高給取りなのは当然であって妬むべき内容ではない。
はたから見てうまいこと利益をかすめとっているように見えている仕事でも、実際裏で動いていることは厳しい調整だったりしますしね。
仮に漫画もアニメもゲームも全て0からAIが作り、しかもそれが大ヒットする時代が来たとして、人類はそこまでだったんだなと思うだけな気がします。
AIの問題はAI自体の問題ではなく、人間とは何かという問題であることはずうっと前から言われてきたことですから、
わたくしが言う「青春をサボったやつ」と同様に、安穏と問題を避けてきた人間に対する一つの大きな結節点であることは間違いないでしょう。

やっぱ「推し活」が一般化したあたりからだなあ、目に見えて面白くなくなったのは。
「他に救いがないから、それが唯一の救いなんです」「あなたは強いからいいかもしれませんが自分は弱いのです。できないのです。」「理解しなさい」「みんなもそう思うでしょ?」
わたくしが嫌うのはこういう感じです。
あなたに他に救いがないことと、わたくしがそういう考え方はつまらんと切って捨てるのと、どこに関係があるんでしょうか。
これがわたくしがよく言う、「他人と自分の間に線を引けない」という状態で、これね、わたくしが強く言うから真似して自分のSNSで同じこと言う人も見かけますが、大体そういう人は自分に都合のいい言葉だけを都合よく解釈して敵味方をわける、いわゆる強烈な差別主義者なわけです。大体左寄りの考え方ですが。
思春期に自我を育てることが出来なかった場合、あとは自分の実績とか学歴とかそんなもので自我を構築する他なく、それらも何も持たねば最終的に「自分<たち>は弱い」がアイデンティティになってしまう。
わたくしはそれをあまり幸せな状態とは思えません。

わたくしはネットとSNSがいわゆる昔の意味での「オタク」に居場所と意味を与えたのは失敗だと思ってて。
カウンターカルチャーは決まり切った概念に抵抗している間だけ存在価値を持つものであり、一般化した後ではもう「オタク」を名乗るアイデンティティ的な価値はありません。
「哲学」「美学」という名詞が陳腐化して「俺の哲学=俺いっぱい考えてる」「俺の美学=俺なりのカッコいいやり方」みたいな、低俗の極みにまで落とされた価値と同様に、
今「オタクです」と名乗ったところで「(自分がかわいいから)友達いなくてキモい自分だけど仲良くしてね許してね」くらいの意味しか感じられず、逆に旧来のオタクには居場所がないんでは、と思っています。
むしろ友達が全くできないレベルで狂ってるからオタクなんじゃないの、とわたくしは思うわけでね。
友達よりもアニメなりゲームなり何なりのが好きだから、自分でその道を選んでるんじゃないのかね。
人個人を否定する…「お前は馬鹿だ」とか「お前はブスだ」とか…には何の批判的価値もないので、そういうことしか言わない人間はどんどん淘汰されてこの世からいなくなればいいと思ってはいますが、
「作者を傷つけないように『嫌い』じゃなくて『合わない』って言おうね」みたいな空気を見ていると、そういう人間が率先して文化を破壊していることになぜ自分たちで気づかないんだ、とも思います。
2025/11/15

ただこうしたなんというか、表現に対する強い欲求を、ビジネスとうまく整合性を保ってやっていけなかったのはわたくしの才覚のなさですねえ。
両親からも、お前は絶対に商売には向かないから公務員になって空いた時間で好きなことやる方がいい、と言われていました。
そんなふうに言われて反発してなければ、自然と公務員になってお金にひたすら追われる生活をしなくてもよかったかもしれませんが、
まあそんなこと言っても仕方ありません。

メッセージでもたくさん「ご自愛ください」というありがたい言葉をいただいて、翌日にはどってことなく(さすがにどうってこともなくはないが)描いたり書いたりしている。
これだと見ている方は裏切られた気分になるのでは、と思うんです。
お前ぴんぴんしとるやんけ、ってね。
だから段々自分語り……自分の「今」を正直に話すことができなくなっていくんですが、でもね、だめだったり寂しかったりうまくいかなかったり、ってのはどこかで言葉なり絵なり音楽なりに表現しておかないと、間違った人間になるんじゃないかとも思うんですよ。

エンタメばかり追ってるとどんどん頭が思考停止に追い込まれていくので、時々は軌道修正しないとそのまま自分のやりたかった方角からずれていってしまう。
下のYouTubeチャンネルは最近お気に入りでよく見ているチャンネルですが、雰囲気も動画の作りも、また文化がとても濃かった頃の館長たちの対話も、わたくしがまさしく子供の頃から憧れていた「文化」というエッセンスを集めたような内容になっている。
こんな風に生きているはずだったのに。
人生とは不可思議なものだ。

わたくしは高熱が出ても食欲がなくなるということはなく、むしろ食べても食べてもお腹がすくという感じで、ここ2日で大食い選手権のような量のご飯を食べた。
異様にお腹がすく時はだいだい悪くなく前触れだった。

うちは眼の前に発熱外来があるクリニックがあるんで、へろへろになりながら自力で行けましたけど、階段を転げ落ちるリスクを考えると、9度台の熱がある時は動かない方がいい気もするし、難しい。
タミフルはよく効いて、一日で大分ものが考えられるようになった。
わたくしは入院するまでほとんど風邪も引かないたちだったんで、体調不良を甘くみてるところがある。
一緒にいた友人に移していなかったのが幸いだった。
たかが平熱より2、3度高いだけで動けなくなる。
なんと人間は脆弱ないきものなんだろうと思う。
2025/11/13

しばらくなんか調子変だなと思ってたんですが、本格的な風邪ですわ。
寝てます。

銭湯のフルーツ牛乳なんてのも昭和の代名詞だった気がしますが、わたくしは銭湯に一度も行ったことないので実際には飲んだことありません。

都心で2017年までビン牛乳が出ていたという事実の方がかなり衝撃的でした。なんたる有益な情報!
こういうのってネットで調べるとすぐ答えが出ちゃって面白くないんで、みなさんからの情報を待って楽しむことにしてるんですが、ちょっと調べてみたくはなりますねえ。
2025/11/12

長きにわたってドイツ語でメッセージを送り続けてくださる、おそらくは同じ大学の大先輩…先輩どころか先生…の方がいらっしゃいまして、毎度全部忘れてしまったドイツ語を思い出すのによい訓練になっておるのですが、
わたくしの漫画?キャラ?を「イギリスのAndy cappという漫画を思い出す」といただきまして、まったく聞いたことがなく、調べておるところです。読んでみたいな。
1950年代のイギリスのコミック。全然想像もつきません。
wikiは日本語版も存在しなかったしな。

えー今20歳で給食はビン牛乳だったんですか。
牛乳についてはメッセージをいただきましたが、そうすると2010年代後半でもビン牛乳だった地域があるということですね。新鮮です。
差し支えなければ特定できない程度に地域を教えてください。
牛乳のキャップでメンコみたいなことをよくやりましたが、その話はまた漫画に描こうと思っています。
ジェネレーションギャップというより、他に遊ぶ道具があんまりなかったからじゃないですかね。DSとかSWITCHがあったらわたくしたちもそれやってたと思いますし。

随分前の生徒ですが、就職して初日の仕事が電話番で、しかし電話に出ることができずに泣き叫びながら会社を飛び出し、そのままやめた生徒がおりました。
在学中はドールを肌身離さず抱いていて、ドール専用のマンションを借り続けるために大分濃ゆい方向の風俗で嬢をやってたり、まあこう、いわゆる大分おかしい子ではありましたが、言ってることは別におかしくなかったです。
わたくしはあなたがどんな病名でどういう経緯でそうなったのか知らないので、過去の逃亡エピソードについては「そっかあ」としか今の段階では言えないわけですけど、
わたくしが詐欺師だったらものすごく簡単に騙せそうな気がしますので、そのへんはご注意ください。

うちの周りは2人兄弟が多かったので、ぱっと三人兄弟が頭に出てこないんですが、イメージ的にはだいたい真ん中がちょっとおかしいイメージがあります。
あるいはほったらかしで自由な性格だったりとか。単なるイメージですけどね。
うちはやっぱりまだ長男を立てる文化の残っている田舎でしたから、妹は何かと兄と比較されて本当はいやだったでしょうね。
そういや関係ないけど鹿児島で今ゴールドラッシュというニュースを見ました。平和でいいニュースだと思いました。
2025/11/11

現実に対しては、わたくしのように京都から東京(誰も自分を知るものがいない場所)に逃げて、ものすごく楽になって一発で憂鬱が治るパターンの人と、孤独で死んじゃう人とがいるので、必ずしも逃げるのが最良の選択かどうかはわからなくなってきました。
いけないのは、
・絶対に逃げてはいけない場面(引くとそこで関係が終わるとか)
で
・相手をほったらかしたまま姿を消す
こういうパターンで、これをやると後々自分にダメージが跳ね返ってくるので、その場で傷ついて死にたくなったほうが正解だと思っています。
それができないのでみな後悔し続けるわけですが。
そして「絶対逃げてはいけない場面」も、逃げ回ってばかりいると気づけなかったりしますので、そこも外すとあとがつらいです。どんどんつらく、重くなる。
わたくしはようく知っています。当事者として。

わたくしアカウントを消して逃亡することを「逃げ」とは全く思っていません。むしろ逆で、面倒くさいことが起こったら即座に消して転生すればいいと思っている派です。
SNSで説明責任を果たせとか、黙ってないで説明しろなんて空気の方が異常すぎてついていけません。それはもうSNSではない気がします。

ほんとだ!スシローとコラボ?ってニュースでてたんですね。
ニュースも全然見ないんで全く知りませんでした。ありがとうございます。
最近大手はなんか色々揉め事ばかり聞きますね。大きくなると大変なんだなあ。新規のVtuber関連事業に就職したい学生も結構いるんで、わたくしも何も知らんというわけにはいかなくって。
そういやアカウント消しました?
2025/11/10

また日がのぼってきて憂鬱な気分です。
2025/11/9

わたくしの強い傾向として、「偏差値の高さに対して頭がいいと反射的に考える人間を俗物として強く見下す」があります。
これは時代背景を考えると仕方ない部分もあるんですが、今まで消えなかった悪癖というか偏見というか、つまりそういう人間にろくなやつがいなかった、という経験則となっている。
だったらまだ実際に偏差値が高くていばっている人間のがましです。
とは言え、死ぬほど勉強して無理やりいい学校に入ったタイプは、永久にそれを思い出および武勇伝として話し続けるので、「まだ言ってんの?」と思うことがたびたびあります。
が、わたくしはわたくしで「まだ学生の頃の恋愛話をしてんの?」と言われれば全くその通りなので、目くそ鼻くその話ではあります。

ヨシダにしても、他の登場人物にしても、わたくしの思春期の結論として「僕はバカで君は大人」というバイアスが強くかかっているので、わたくし以外の人間が見ればそうでもなかったりはします。
先輩については、時々描いたりしていますが、わたくしがあんまり先輩の話ばかりするので興味がわいて先輩に突撃していった友人がおり、
「俺にはただの頭の悪い女にしか思えん」と言ってたので、恋愛とはそういうものだろうと思いますし、それが前提となっています。
—-
小説にしろ映画にしろ、
父親が息子に「お前が私を尊敬あるいは反発している間は絶対に私を乗り越えられない」と呼びかけるような描写はよくありますが、
憧れとはコンプレックスであり、それは思春期を終わらせるために超克しなければならないものだとわたくしは考えています。
2025/11/8

「小学生の頃に人が牛乳を飲んでいる時にだけ、人を笑わせる能力が発現」って面白い能力ですねえ。
いいじゃないですか、何をすれば牛乳飲んでる時だけ人が笑うかなんて、わたくしには見当もつきませんもの。

派手というかレトロポップな色合いで描くのも楽しいんですけど、結局自分が表現したいものと違う世界観になっちゃっうんで、練習とか習作という扱いになると、じゃあ100枚は最低でも描こうとか考えちゃって、退屈になって進まない、と。
そんな感じです。
ただカラフルな方が抜群に人のウケはいいんですよね。
不安な時代には憂鬱な色彩は求めらません。

たなか亜希夫「リバーエンド・カフェ」を読んだ。
震災後の岩手・石巻を舞台に中年のマスターといじめられ中の女子高生の心温まる…とか書いちゃうと、なんか全然違う気がする。
いつもうまいこと感想を書こうとするんだけど、どうも難しい。
とりあえず読んでくれ、それから話そうと思ってしまう。
それじゃあ人は読んでくれはしないんだけど、なんだか人にものをすすめることに抵抗がある。
わたくしはあまりモノそのものを大事にするタイプではないので、貸したら返ってこないがそれでも貸すから読んでくれ、みたいな方だった。
心温まるハートフルストーリー…でもないんだが、しかしそうとしか表現できないニュアンスもあって、現実とフィクションがごちゃまぜになってるんだけど、この漫画は圧倒的な絵の力がそれを支えている。
ああ絵って大事だなあ。

サイトへのアクセスよりもこのページへのアクセスがダントツに多かったんで、やっぱり人は人が何かやってると集まってくるんだと思った。
あまり書かないでいるとすぐに減る。多分、ごく少数の人が何度も何度も見ていたんだと思う。
わたくしも長年見ているサイトでコメントしたこととかほぼないし。
一日に何回も見たりするからね。
何にせよ飽きてもたまに見てくれている人は貴重です。
2025/11/6

授業いってきます。
相変わらず授業の日の前日は眠れません。
もう何十年やってんでしょうって話です。

XBOX一回もさわったことないので残念です。
steamでもできるみたいなんでやってみようかな。
全体的に硬派な洋ゲーが多いイメージがありますが、どうなんでしょうか。
2025/11/5

大体小学校のクラスメイトが「ファミマガ」「ファミ通」「マルカツ」を読んでいた頃、わたくしは総合ゲーム情報誌「BEEP」を愛読しており、1984年創刊ということはわたくしは小4、書いてあることはわかるようなわかんないような感じでしたが、雑誌としてカオスで面白かったのを覚えています。
まだ何冊かは実家の蔵にあるんじゃないかな。
総合ゲーム雑誌として創刊されたんですが、この創刊号の特集が「ゲームとかやってないで彼女とディズニーランドいこうぜ」ってものだったので、なんというか、素晴らしい雑誌でした。


ゲームとして面白いかと言われるとどうだろうと思いますが、
田中角栄がタモリとジャイアント馬場とマイケル・ジャクソンを撲殺して私腹を肥やす、「ごんべえのあいむそ~り~」みたいな権利もへったくれもないゲームをリリースできた硬派な時代がもう一度到来することを望んでいます。


ブラッドボーンだけがPS4/5でしか遊べないんですよねー。さんざんやりましたが、もっかいやろうと思うとテレビつけてPS4起動して、とかいうのが面倒で、早くsteamで出してくれないかなあと思うんですが。
わたくしゲーム上手じゃないですが、「ずっと同じことやってたらいつかはクリアできる」みたいなのが好きなので、ずうっと同じことをやっています。
2025/11/4

わたくしもワンダと巨像、大鷲のトリコ、やりました。
結婚した頃にプレステ2が出たんだったと思いますが、だからプレステ2のゲームが一番よく覚えています。
家内ちゃんもわたくしもオンラインゲームはとても苦手なので、二人で交代でできるのがいい。操作するのはいつもわたくしでしたけど。

家系的にはガンや糖尿の家系ではないので、身内にそれで死んだ人はいないんですが、かわりに大体卒中で倒れて死ぬんで、前兆がない。
公園で散歩してたら死んでたり、朝起きたらトイレで死んでたり、そんな感じです。
死ねればいいけどねえ。生き残るとつらいよな。

ちょっと前から首から後頭部にかけてなんか違和感がありましてね。
多分描きすぎて首がこってるだけなんじゃないかと思うんですが、わたくし肩や首がこったことって全くないんです。
なのでこれがこってる状態なのかどうか、自分でもわかんなくてね。
2025/11/3

もープレステ2も3も10年くらい起動してない気がしますが、時々やりたくなるゲームあるんですよね。戦国無双2のエンパイアとか、百年戦争とか、デモンズソウルとか。
最近はエミュレータも進化してて、ある程度知識があれば自分でゲームのDVDからデータを吸い出して、windowsでPS3までのゲームはほぼ完全に動作します。
わたくしは同じことを繰り返すのが好きなので、レベル上げとか大好きです。最近の据え置きゲームはそういうのを否定してるんで、やりたいゲームがあまりありません。
icoはいいですね。
何度やっても。

踏み込まない、軽いつきあいが好きだったらよかったんですけど、わたくしは後ろ髪をひかれつつも、踏み込んで地雷を踏んでから関係を育てていきたい方でしてねえ。
だから生徒に人気があるような漫画の描き方をしてますけど、実際には蛇蝎のごとく嫌われてるんじゃないかとも思います。それはもう、わかりません。
わたくしをまがりなりにも好きだった生徒しか残りませんからね。
卒業して何年も経てば。

大してやりたくないけどやらなきゃいけないこと…例えば掃除とか食器洗うとか…って助かるんですよね。精神的には。
やっぱり一番だめなのは「何もしてない」「暇がある」だと思います。わたくしにとってはね。
傷ついた人が休憩してるのを否定しているわけじゃない。
というような一文を、言われてもないのにつけたしているこの世界を、どこかでひっくり返したくてたまらないんですが、
ひっくり返すより自分がすっと消える方が手っ取り早いわなあと考えてしまうと気持ちはすぐ萎えてしまいます。
2025/10/31

わたくしのろくでもない趣味として、「喫茶店で会話を盗み聞きする」がある。数字を眺めるマーケティングはちっとも面白くないが、これは実に面白くて、そのためにコーヒー一杯3000円みたいなところにも行く。
昨日はどうやらアジア各国から留学してきた20歳前後とおぼしき若い女の子たちが、日本の給料の安さに絶望してえんえんと愚痴を言っていた。
恐らく就職活動中と思われる。「ええ!30万しかもらえないの!」と言っていて、いやいやそれはメガバンクみたいなトップクラスの一般企業だけだぞうと思っていたが、どうやら平均給与が15~6万のクリエイター業界を志望しているらしい。
もともとクリエイター職は薄給だ。実績がない限り素人と同じ扱いだから2、3年みっちりやってスキルが身につくまではプロ扱いはされない。そういう意味では職人的な業界とも言える。
でも副業ブームのおかげで「そこそこの出来で安けりゃいい」みたいな世界になってしまって、レッドオーシャンどころではなく、お金持ってる企業と繋がっていない限り、安定して生きていくのは至難のわざになっている。
技術のみで生きてきたわたくしにはつらい話ではあるが、もう技術はいらないところまで来ている。
結局は人間関係しか残らない。
わたくしはとにかく学生にコミュ障は嫌でも治せとずっといっている。
楽しい学生生活の思い出を残すだけだったら、いいよいいよやりたくなきゃやらなくて無理しないでね、と言えばいいが、10年後の姿を想像するとそれでは完全に詰んでしまう。
詰むとわかっていて「まあ卒業まで面倒みりゃいいや」とはわたくしにはどうしても思えない。

数年前、友人の依頼でCM動画をつくった時に、ナレーションを音声合成で作成するのに先行投資して勉強しておいた。
かなり自然にはなってきているが、初音ミクの調教が難しいのと同じく、商業ベースで自然にしゃべらせるにはなかなかに技術がいる。
それっきり仕事としてはやっておらず、無駄投資だったかなあと思ったが、最近朗読を声優をつかわずに作りたいという依頼がきて、できますよーやったことありますので、などと言えた。
わたくしは技術の人間ですので技術以外のことにはあまり関心がない。
フリーランスとはそうあるべきだと思っている。
スキルがなければ食えない、実績がなければ食えないという強力なプレッシャーがないとわたくしは何もしないからな。
2025/10/30

「ど根性ガエルの娘」を完結まで読んだ。
10年前の、赤裸々な自分語り/共感ブーム(=SNSの拡大)の頃の作品だけに、内容も赤裸々な家族問題・自分語りになる。
最初はど根性ガエルの作者が一発あてたあと、ギャンブル依存になって家族も娘の自分も苦労した、というノンフィクションだが、
後半はその機能不全の家族のもとで育ったアダルトチルドレンである娘の自分が、夫や他人とうまくいかず、自分自身を掘り下げていく内容となっている。
10年前、わたくしが「村木」を描く気分になったように、世間的にも赤裸々な自分語りと共感が流行だったのだなあと考えると、あまり読後感はよくない。
この作品を起点にして機能不全家族や歪んだ認知、メンヘラ、DVなどを女性視点で扱った作品が増えていったような気がする。
そして現在では反転してすっかり殺伐とした自己責任の世界になってしまった。わたくしはやはり市場経済の中に自分語りを放り込む姿勢は好きでない。これを読むと、なぜわたくしが頑なに商業ベースに乗ろうとしないのか理解してもらえるのでは、と思う。
これはノンフィクションとして血の出るような思いで作家が描いたマンガでしかなく、特殊な生い立ちが特殊な人間を作り出した話にしか思えなかった。
そのかわり、どのような生い立ちであれ、どのような機能不全であれ、わたくしはわたくしでしかないのだという普遍的な方向を向いていくようになったとは思う。
多分こういう視点のものをさんざん読むうちに、わたくしは「君がメンヘラでもオタクでもヤンキーでもパリピでもわたくしには関係なく、わたくしが好きなら好き、嫌いなら嫌いである」と言うようになった。
2025/10/29

「ハートカクテル」「鈴木英人」「ヒロ・ヤマガタ」「ラッセン」みたいな、80年代を彩ったあの感じ、そう、ご指摘の通りわたくしはあの軽さがものすごく苦手で、今見るとトレンディドラマみたいでいいかもなあと思ったりもしますが、しかし自分の世界観にないので、なんだか描いてて変な感じもします。
でも80年代というお金もっていた時代、軽くてふざけてて何でもありだった時代、が文化としては一番充実していたんだろうと思います。
90年代になるとなんか世相は陰鬱でしたもんね。
まだわたくしたちの両親はお金を持っていましたが。
でも時々ますむらひろし版銀河鉄道の夜をアニメ映画で見返すと、いいなあと思いますね。陰鬱で。「風が吹くとき」も90年前後でしたっけ。

現実には何ひとついいことがない。
だからせめて漫画やアニメの中で夢を見たい。
これ全然恥ずかしい考え方じゃないと思いますけどね。
恥ずかしいと思っているのはご自身ではないかと思います。
気が強ければ「うるせえよ自分の好きでやってることにごちゃごちゃ言うな」とか跳ね返せると思うんですが、それができないから苦しむわけでして。
特に親子関係だとこじれます。他人はそこまで干渉してこないしね。
そしてこじれるのが正しい道であるとわたくしは思います。
わたくしは単にわたくし自身がそうしたこじれを、高校大学と放埒を繰り返して、人よりずっと長いモラトリアムを経たあと、たまたま世界によって生かせてもらえたに過ぎないんで、そのへんの立場でしかものを言えません。
もっとやっておけば…
もっということ聞いておけば…
これはいついかなる時も忘れることはない後悔ですが、
その後悔によってあなたが身動きがとれなくなってるなら、身動きをとりたくないんじゃないのかなと他人からは見えてしまいます。
コミュ障の治し方ですが、まあ治らないです。
わたくしの場合は、個人の喫茶店にただ黙って通いつめ、顔を覚えられた頃にマスターに「コーヒーおいしいです」と話しかけるところから始めました。
何の参考にもならんですね。すいません。

わたくしの目から見ている限り、「若者」だからって、いいねの数やフォロアー数にこだわってる人ってほんの一握りで、あらゆるネットで大人が醜態を晒しまくっている状況を考えれば、そりゃあ冷めてるのは当たり前の気もします。
わたくしは自分の漫画のターゲット(読者)を強く設定してはいません。人を楽しませるのが漫画の使命とか思ってないからだと思います。
ただ、厳然として「この状況はやはりがんばってやっても面白くない」と考えている人間ではあるので、教養でも学問でもビジネスでも創作でもなんでもいいですが、「現実とネット」のように分けて考えるのに飽きて、常に素の自分でいたいと願っている人とはやっていきたいと思っています。
ま、そんなんじゃ相変わらず一銭ももうかりませんがね。

「仕事の9割は人間関係」
ってむかしむかし母がよく言っておりましたが、まったくその通りでございます。
技術はあって当たり前なんで、そこは努力するしかない。それは自分の問題なんで人は関係ないです。
人間関係は努力でどうしようもない部分も多くて、運とも言えます。
しかし自分が運が悪い運が悪いと言ってると同じく運が悪い人しか寄ってこなくなるので、言わん方がいいという結論にはなります。
愚痴はいいんじゃないですかね。
言える相手を見つけるだけでもなかなか苦労しますが。
2025/10/28

「キングダム」を最新刊まで追いつきました。長かった…。
中国の歴史はどこを切り取ってもひたすら戦争なんで、ずうっと戦争やってる話なんですけど、ドラゴンボールや鬼滅の刃よりはこっちのがいいな。一気に77巻読める内容だったし。
ほぼ忘れかけていた古代中国史を若干思い出しました。
今高校で世界史をとってるみなさんにとっては「冒頓単于」なんて簡単すぎてテストでねえよ!ってレベルだと思いますが、わたくし30年間一回も冒頓単于のことなんて思い出しませんでしたよ。
いや、キングダムには冒頓単于全く出てこないですけどね、時代違うんで。「呉楚七国の乱」も急に思い出してこの時代だっけと調べてみたら、全然違いました。
しょせん受験レベルだと単語しか覚えてません。
ただ、単語を覚えていれば後から調べられるんで、暗記が無駄ってわけじゃないと思います。わたくし物事を暗記するのは非常に得意でした。
わたくし特に歴史に造詣が深くもないですが、未来の話(SF)、異世界の話(ファンタジー)と比べると歴史の話の方が好きです。
高校の頃読んだ本で面白かったのは、陳舜臣の「中国の歴史」と、辻邦生の「背教者ユリアヌス」、漫画だとやっぱり横山光輝ですねえ。
本については何でも買ってもらえたんで、そこは恵まれていたかもしれません。ほぼ国語教師の母から与えられるがままに読んでいた気もしますけど。
わたくし母親が赴任してる高校と同じ高校通ってまして、若い先生を除き、ほぼ全ての教科の先生が以前から顔見知りでした。
わたくしの青春モノクロームはそういうちょっと特殊な条件で成立していたので、「どうしてお前だけ美術室にこもってられるんだ」みたいな疑問については、それが回答です。

ほとんどの心理関係の話は、最終的に幼少期の親子関係に収斂していきますよね。発達関係の話題がここ20年で急速に進歩した(?)ので先天的なものが存在することはわたくしたちでも理解できるようになりましたけどもね。
わたくしも大学生の頃に病院に放り込まれてカウンセリングを受けた時、自分の話、自分と世界との話かと思っていたら、突然親子関係の話になったんで面食らいました。
それ関係あんのかなって思って。

なんかその、病気とかいうレベルでなくても
「頭の調子が悪くなる直前のソワソワした感じ」って伝わりますかね。
なんかソワソワするんですよね。
大体いろんなこといっぺんに頼まれたりする時もなったりします。
基本的にはそうした自分の感情に対して自覚的であれば、パンクしたり破裂したりすることはあまりない気がします。
多分病気かつ治療というのは、薬やその他の方法を使って、自覚できるレベルまで頭の働きを戻す作業なんでは、と思っています。
2025/10/27

時々言っておりますが、わたくしはプラモデルやジオラマのような立体物を作るのが非常に苦手で、図工の粘土細工や技術の木工もまったくだめでした。
なのでガンダムオタクでもミリタリーオタクでも何でもよいですが、そうした模型や3Dモデルを作れる人を大変尊敬しています。
彫金や漆塗り職人などもそうです。
宮大工や江戸時代のからくり人形もそうですね。
尊敬しているのもあり、羨ましいとも思っています。
例えば初代グラディウスのポスター背景のビッグコアと、一面最後で登場するビッグコアが頭の中で全く一致しなかったりします。
グラディウスの話はいっぱいできるので、いつかグラディウスの話をしたいですね。

わたくしはまだ、こう、語るということに対してとても臆病で、こんな風にだらだらと語っておいて何がだよとは思うけれども、でもわたくしはいつも何かを語っているようでいて、本当は何も語っていない。
バカが考えたところで休んでるのと一緒、ということわざの通り、あまり考えずに手を動かしている方が物事は好転する。
が、好転と暗転を飽きもせず繰り返していると、どこかで立ち止まって振り返りたいという思いも強くなる。
何でもかんでも言語化するという流れに嫌悪感をつのらせていたのだけれど、それは考えてみると、わたくし自身の嫉妬ややっかみを多く含んでいる。
改めて嫉妬ややっかみといった、自分の中のルサンチマンについてもぼんやり考えてみたりする。

「限りなく0円生活で」車も家も“手製の塩”と物々交換。宮崎移住から15年、3児のシングルファザーの軌跡
わたくしも強くこんな生き方に憧れたこともあったし、今も憧れてはいるけれど、結局何もしなかった。
何かした人を何もしなかった人が語るのは僭越でしかない。
が、だからと言って「自分はだめだ」と卑屈になるのも違う。
わたくしたちは個々にできることをコツコツとやっていくしかない。
前からそんなことわかってたけど、コツコツやるということの難しさを、やればやるほど理解する。

ビョルン=アンドレセン死去のニュース。
まだ70だったのかというきもち。遠い人のように感じてましたが、わたくしと20も離れていなかったのだねえ。合掌。
美少年だったなあ。
「世界で最も美しい少年」はそんなに大げさではなかったとわたくしも思う。

「作品をつくる」よりも、毎日描いてアップロードすることを優先しているのは、そんなガツガツした意欲がないということもありますが、webの世界で生きていると「何も形に残らない」ということが大きく関係しています。
がんばって作ったところで数年で消えちゃいますからね。webサイトなんて。
仕事でやってると特に気にもせず眼の前のことをこなすしかないんですが、やっぱり40代くらいを境目に、何かWEB上でも残り続けるものを、と思ったのは確かです。
ただわたくしが死んだりしてドメイン・サーバ代が払えなければ勝手に消滅するんですけどもね。

何度も書いてきたように、独学とか自習なんてものは自己満足で時間の無駄なことが多く、本当にやりたいことを目標にしているのであれば、無理でも自己投資してのちのち回収するという考え方にしないと何も達成できないと思いますねえ。
わたくしがそうであるように、10年もかけなくたって、恐らく「勉強する」という姿勢で集中的に学習すれば、小銭程度にはなる技術を習得する分には半年もかからないと思います。それが絵であれ、音楽であれ。
わたくしが独学や自習にこだわっているのは、わたくし自身がそうでないと納得できないし面白くないという端的な理由からで、誰にもそんな方法はおすすめしていません。
ただ、わたくしはその方が好きであると言い続けていると、同じような考え方の人は集まってきてくれます。
だから「好きなことで食っていく」ということを目標にしているのであれば、わたくしには何も言えることがありません。
現実的なお話です。
2025/10/26

最近「自分語り」じゃなくて「自語り」って言葉をよく見かけますね。
これ、自分語りとニュアンス違いますか?
自分語りだとネガティブなイメージなんで、自分の話をするという意味で新しく言葉を作ったのかな。
もしそうならわたくしがずーーーっと言ってた「自分の話しろよ」という空気が出てきた兆しと受け取ることもできますが。

今と30年前では大学の空気も比較にならないと思いますが、わたくしたちの頃はバイトかサークルに入らない限り、何一つ起きないまま時間だけが過ぎていく、という状態でした。
サークルなんて星の数ほどあったので何でもいいんですよね。
山ほどかけもちしてもいいし、別の大学のサークルに所属するのもなんの抵抗もなかったです。
そういう意味では京都みたいに大学が密集している地域は恵まれていたかもしれません。
どちらにお住まいかはわかりませんが、天文サークル、いいじゃないですか。合宿とかそういうのはよほど嫌いじゃない限り参加するとよいかと思います。

エヴァンゲリオンのAirは公開当時、大学生でした。
何度も見に行った気がします。
ビデオが発売されるまでは映画に行くしかありませんでしたからね。
何回行っただろう。7、8回は行ったと思います。
最後の「きもちわるい」がわからなすぎて理解しようとしたんです。
2025/10/25

わたくしはたいてい何をやっててもそんなに無駄じゃないと考える方ですけど、SNSにおける「フォローの整理」「リムーブ、ブロックやミュート」は本当に自分の時間を使う行動として無駄でした。何も得るものがない。
そのへんをシャットアウトしてからは楽になりましたよ。
SNS自体が無駄だとは全く思っていません。

生きていくためにお金は重要だということはわたくしにも身にしみてわかっていますが、せっかく絵や音楽をやろうとしているのに、とにかく最短でお金になる方向へ走っていってしまうのは残念で仕方ありません。
じゃあお前が金出してやれよって言われるとそんなことは出来ないんですけどもね。

こないだのショパンコンクールのさ、「音楽は拍手のためにあるのではない」みたいな苦言、わたくしは大変好きです。
2025/10/23

なんででしょうね、全然自分の健康に関心がわかなくって…。
健康的な生活を考えるなら、まず絵をやめることです。
これはもう10年前から医者に言われてるんですが、ますます絵に向かう時間が長くなってきて、貯金もないし、仕事もないしで、でもなんかどうしても表現しておきたいことがいっぱいあるんですよね。
人から見れば同じことを描いてるだけに見えるとは思いますが。

ご心配ありがとうございます。
漫画に描いた注射のやつはどうみてもインスリンに見えますが、あれはインスリンではなく最近美容界隈で悪いニュースになってたやせ薬でして、まあとりあえずやせろと。
うちは家系的には卒中で一発アウトな家系ですんで、その辺の数字にかまっている間に全然関係ないところから梗塞が起きて朝死んでた、みたいなことになりそうです。

わたくしの収入を8割近く依存していた下請け仕事(代理店から依頼をもらって制作する)は壊滅的ダメージを受け、フリーランスは自分でいうのもなんだけどわたくしレベルでもwebで食ってくのは難しくなっている。
動画は時間かかるばかりで大したデザイン的スキルは向上しないんで、動画編集については今後つぶしがきくとも思えない。
てっとりばやくお金になる方法を考えれば、「稼げるようになるぜ」って講座をオンラインでやるのが一番てっとりばやい。
が、全然魅力を感じない。結局スキルとは、「話がおもしろおかしい人間の話を聞いて理解した気がする」とは真逆の方向にある。とわたくしは考えている。
「キングダム」を読み始めた。
中国古代史を題材にした漫画は横山光輝の三国志を筆頭に、いくらでもあるけれど、でも読んでるとそりゃあこれ売れるよなあと思う。圧倒的に面白いもんね。
みんなが面白いと言ってるものはたいていどれでも面白い。
だから読む気がしない。

医療費だけが心配だったが、特に変わることはなかった。
でも正直ほんとうに自分に金使うのやなんだよね。
もうなんでもいいよって思ってしまってさ。
2025/10/22

明日は病院で、また別の科にいかなきゃならん。
とうとう飲み薬でなく注射するタイプの薬が追加になるようで、憂鬱だ。いったいいくらになるのか。(糖尿ではないです)。
2025/10/21

そんな時でも「低気圧だー」とか「やだー」とか送ってもらえるとわたくしは元気でますよ。わたくし別に褒められたいわけでないので、みなさんがそれなりに生きてることが知れればそれで満足です。

低気圧気味だとなんか文章を描く気が起きませんよねえ。
我が家でも家内ちゃんと二人で「低気圧!低気圧!」と叫んでおるばかりで何もせずただ一日が終わっていく毎日でございます。
2025/10/20

架空のVTuberの課題は、んーまあ面白そうなのもなくはなかったですけど、基本学生が作るものは「現在あるものの劣化コピー」でしかないので、「めちゃくちゃVTuber大好きです!」と言ってた学生ほど、先生が冗談で課題出してないことに気づくと、適当なところで逃げます。
課題とはそういうものです。
授業中の落書きは楽しいけど、美術の授業でちゃんとやらされると苦痛なのと同じ。
もちろん、不合格とかにはしませんけどね。出せば。
その時点でものすごい面白いものが作れる子なら、学校なんて来ないで一人で配信でも表現でもやってきゃいい話ですから、そこまで厳しく見ているわけではありません。
わたくしはどうあろうとわたくしのやりたいことは決まっています。
楽しいから続けられる…なんて単純な話ではないことは、絵を描いたことがある人なら理解いただけるでしょう。
わたくしの場合、人に伝わるかどうかは二の次です。
バカにされますけどね。それじゃ食えない!趣味だ!ってなりますから。
でもそれはもっともっと後で考えるべき話だと思っています。

あー。
2025/10/19

ひとに気を遣えるってことと、わがままな性格って一人の人間に同居できますよ。

雨。
2025/10/18

セキュリティアップデート系のおしごとはユーザがいる状態だと実施しずらいので、このような朝3時とか4時とかにやっています。
2025/10/17

AIの進化すごすぎる!動画すごすぎる!なんて、出てきたころからわかっていたじゃん、ってさすがに最近は白々しく思ってます。

入退院してもう丸8年になるわけですが、こう、なんか時々どこかしこが痛くてね。病気のせいなのか年齢のせいなのかわかりませんが、歳だ歳だと笑ってた方が深刻にならずに済むのでそうしてる部分もある。
が、「痛い」ってほんとにものを考えることが困難でねえ。
当たり前の話なんですけど。
胃が痛いとか頭が痛いとか、あるいは心が痛いとか、そういう「何度も繰り返してある程度慣れていく痛み」と違って、なんか名状できない痛みが常に繰り返される感じで、夏でも冬でも汗がとまりません。
頭が回らないと文章も書けないので、困りものです。
絵は結構描けるんですよ。多分使ってる頭の部分が違うんでしょうね。

いまだに「なんか一個でも得意といえるものがあればなあ」と思い続けてますんで、これは他人から見てどうこうでなく、欲望なんですよね。
例えば「彼女がほしい」という欲望は彼女ができたら「こんなもんか」に変わりましたし、「お金がほしい」はある程度のところで満足して消えていきました。
と考えるとわたくしは「自分が没個性である」「そしてそれは他人から見た没個性ではなく、わたくしの基準にある没個性である」という無限に満たされない欲求にさらされ続けておるわけです。
それが常に苦しいかというとそうでもない。
みなさんが「やる気」と呼んでいるものと同じだと思います。

朝起きようとしたら起き上がれないレベルで腰がいたくて
じっとしています。
2025/10/16

家内ちゃんが今日授業に行く服を用意してくれている!
ゴディバを買って帰る必要がある。
2025/10/15

昨夜は無理やりでも寝なければということで、レンドルミンを入れて寝たんですが、わたくしはこの手の薬はよく効きます。
レンドルミンは軽い睡眠導入剤なんですが、しかしわたくしは次の日に残ります。たいそう授業がしんどく、最後は眠すぎて「webサイト!webサイト!」と連呼するだけの精神錯乱みたいな授業になってしまいました。
明日も授業です。
しんどいです。

高校も大学も受験に手を抜きすぎたんで、進学校にいっていっぱい勉強した人の話を聞くの好きでねえ。
そらそんなスケジュールで勉強が進むなら、塾で補填しないと間に合わないだろうなあとは思いました。
特に縁がなかったのは中学受験で、「こばちゃん塾」というYouTubeチャンネルをかれこれ3年くらいは見ているんですが、小学生って難しいことやってんだなあと感心しています。
xとか三平方みたいな中学で習うことを使わずに解くっていうのがクイズっぽくて面白くて。やってるとパターンは同じでわかるようにはなってきますけど、でもこれ強制的に勉強させられてたら嫌いになるなあと。

オズ先輩はもったいぶるような人でもなかったんで、
「ちょっと散歩に行く」みたいな感じで
「私もう絵はやめる。」って言ってたのをよく覚えています。
オズ先輩自身、高校も美術部だったし、大学でも女子大の方では部長をやってて、それなりに絵は好きだったのかもしれないけど、寡作だった。
小さなキャンバスに貝とか石とかをえんえんと完成させることなく、ぺたぺたと描いていた。
やっぱり言葉の人なんですよねえ先輩は。
大学時代を関西で過ごした割に、機関銃のようにしゃべる人ってほとんど周りにはいませんでした。
◯◯津という名前が好きなのは、先輩がそうだったからです。
2025/10/14

「青春時代にやり残したことを」と考える友人は結構いて、そろそろ子供が成人して子育てが一段落する人もおれば、もう十分キャリアを積んでどこを最終地点にするかの人もいる。
わたくしのように最初から一生何かに追われている人もいるかもしれないし、うつ状態から回復できないまま連絡がとれない人もいる。
わたくしは特に青春時代にやり残したことはないと思う。
そのかわり今でも同じことをやり続けたいと思う気持ちが強い。
2025/10/13

ふと考えると、わたくしの眼の前にある壁の向こうに顔も見たことない隣の部屋の人がおると思うと、なんかこう、ものすごく異常事態なのではと今更思うことがある。

隣の家までだいぶあるよ。


ロンサム・ジョージの話は96年、リアルタイムで見たの覚えています。
今また見れるとは。
動物番組は莫大な費用がかかるから、テレビの衰退と共に作らなくなっちゃったもんね。海外ロケも減って犬猫ばっかりになって。
小学生の頃から、「自分の中のアイドル」と言われてすぐ思いつくのが、一人は音楽の父バッハ、一人は夏目漱石、そしてもう一人がこの動画に出てくる動物学者の千石正一先生です。
なくなってもう何年経ったっけ。
今でも千石先生はわたくしのアイドルなのです。

わたくしやっぱりこう、オフ会とかでハンドルで呼び合うのって照れくさいというか恥ずかしいというかで、ちょびっと苦手でね。
まあレイニーさんって呼ばれるくらいだと全然平気ですんで好きに呼んでもらって構わないんですが、相手がこう、バ美肉系とかで「いちごみるきーちゃん」とかだったりすると、いやもう、田中さんとか呼ばせてくれよって思ってしまいます。喫茶店だとね。

変わった名字というと、沖縄由来の名字には敵わないわけですけど、
仲村渠(なかんだかり)とか謝花(じゃはな)とかなんか反則感がありますね。ジャハナくんって生徒がいて、格好いい名字だなあと思ったけど、永久に2chを見続けているろくでもない生徒でした。
関係ないけどさ。
わたくしが知ってる人でこりゃあちょっと読めないなあと思った人は「シュール」くんですかね。漢字で書くと特定されちゃうんで書けないけど。お父さんが芸術家なんでシュールレアリズムのシュールにしたとかなんとか。
「シュールなギャグ」の方のシュールとは思わなかったところに芸術家を感じます。
2025/10/12

「統合失調症アートの忘れられない世界」。
人間が人間であるために必要な条件ってなんなんでしょうか。

有名な、「若年性アルツハイマーを発症した画家が描く、段々自我が崩壊してゆく自画像」を含む、統合失調その他の病に罹患した画家がどんな絵を描くかがまとめられた動画です。
わたくしは恐ろしいと思うよりも、崩壊してゆく自意識が作り出すものの方が好きです。
わたくしがおかしくなっていったなら、
みなさんに絵からそれに気づいてもらえるんでしょうか。
そうであるならなんかそれはわたくしにとっては幸せな気がします。
2025/10/11

下のスマホの話、みなさんのメッセージは色々参考になりました。
ありがとうございます。
お気づきになられたかもしれませんが、わたくしは必ず「わたくしはこう思う」という自分の意見を述べてからこういう内容を掲載するのですが、そうするとみなさん意見を述べにくいですよね。
なので自分がどう思ったかを書きませんでした。
—-
わたくしはですね、
・「虐待」という単語をカジュアルに使うな
・わたくしも「ファミコン持ってないと学校でいじめられる」と嘘をついたことがあるので、スマホがなくてもいじめられはしない。
・しかしゲンコツで頭をはたかれる程度で済んだ時代とは大きく異なり、下手すると父親の失職から一家離散まであり得る(そしてあながちそれが妄想ではない)という絶望感がある。
と感情的に思ったんで、「今の時代きらーい」ということが言いたかったんです。すいません。

今日何枚描いたっけ。7枚?
もう描けない。家事以外何もやってない。

「高校生の姉です。中学生の弟がSNSでバカなことを書いて開示請求された結果、契約者である父親の情報が開示されました。」
「父親は怒り、弟のスマホを取り上げて一切禁止としました。かわいそうなので姉の私が時々貸してあげています。」
「今の中学生なんて学校でもスマホないと生きていけないと思います。これは父親の虐待ではないんでしょうか。」
—-
という悩み相談サイトの記事を見ました。
どうですか。
感想をお聞かせください。

こっくりさんって流行りました?
わたくし一度も誰かがやってるの見たことないんですよね。
全然関係ないんですけど、味を表現する言葉として、
「こってり」はわかるんですよ。ええ。あぶらっこいってことで。
「こっくりした味」
これが全くピンと来ないんですよなあ。なんでしょうか。
こっくりした味って。
わたくし「こってり」の誤植をどっかの評論家かなんかがパクったんじゃないかと思ってるんですが。
2025/10/10

ま、イラストがこんだけ流行るのは金かかんないからってのもありますわね。
油絵しか存在しない世界だったら、誰も面倒でやらんと思います。
気軽にアップロードもできないしな。油絵って写真取るのすごい難しいんですよ。ピカピカ光るんで。

美術の世界はそれまでになかった「新しい価値観」を作り出さない限り、絶対に名前は残りませんので、性格が悪いとか社会不適合者とか精神的病であるとか、そんなものは美の前には関係なく、
ただし性格が悪くて社会不適合者で病気持ちでは「現世では幸せにはならん」というだけで、結局今生きていきつつ現世での利益を享受するためには、社会生活をうまくやる他選択肢はないのです。
それはどんな職業でも同じでしょう。
犯罪グループにだってそれなりのルールや縛りがあって、きっと窮屈な世界なんじゃないかと思いますし。

ミスター味っ子なんかは、原作漫画とアニメで全然違う話になってますけど、わたくしは好きでしたねえ。
料理評論家の教育ママと主人公の味っ子が、料理対決で息子に嫌いな魚を食べさせる話があるんですが、
原作では勝負に負けた教育ママが反省する話、
アニメでは勝負に負けたけど、判定役の息子が「それでもママの料理がいい」という話になってて、わたくしはどっちも好きでした。
細かい表現の話ではなく、根本的に話が変わってしまう場合、今だとネットやファンの評価が怖すぎて、かつ製作委員会方式だと出資する側を説得するのが難しいので、もう「画面の質を上げる」とか、そんなことしかやることがない。
わたくしはそれはクリエイティブなんだろうかと考えることがよくあります。
ただ、売れないものを作る余裕などないことも、情報として知ってしまっているので何も言えない。
何も言えないってつまらんなあと思うわけです。

下に貼り付けたグールドが好きだったのは、作曲家の意図よりも音楽の純粋性を求めて、自分が正しいと思えば作曲家の指示を無視して勝手に変えちゃうようなピアニストだったからです。
はっ、また余計なことをぐだぐだと書いてしまいました。
最近は合ってるかどうか調べて書くのが面倒でねえ。
正しいことを書こうとするのって楽しくないよね。
わたくしはアニメや漫画についても、自分が正しいと思えば必ずしも原作をリスペクトしなくてもよい、と考えている方です。
だって漫画で読んだものをそっくりそのままアニメで見ようとはあんまり思わないもの。ファンからしたら「勝手に変えんな」みたいな話でしょうけど、なんでそこまでファンの言うことが絶対なのか。
絵描きとファンが同じ生き物のように癒着し、べとべととくっつき過ぎているネットのあの感じが、わたくしは非常に嫌いです。

バッハの平均律クラヴィーア曲集は比較的演奏難易度が高く、音大受験の課題曲として出されるレベルなんですが、唯一の例外が1巻の最初のプレリュードで、これは弾くだけなら小学生でも簡単に弾けます。
平均律はハ長調から始まって、全ての調で作られた24曲から成り立っていて、それぞれがプレリュードとフーガという形式の異なる2曲で構成されています。
第一巻の1番、ハ長調のプレリュードは簡単ですが、フーガは激烈に難しく、大体中級者は挫折します。そして聞く側にも一定の知識がないと、なんかもにゃもにゃしてとらえどころのない難しそうな曲に聞こえます。

ノイエザハリヒカイトは芸術史、特にピアノの演奏史において現代につながる大きな転換点だったので、大いに興味がありました。
ピアノ演奏史は流行の波が2つあって、一つは「楽譜は絶対=主観性を排して作曲家をリスペクト」の流れと、「あくまで楽譜は元ネタ=自分の内面を表現する主観こそ芸術」の流れ。
具体的にはショパンの死後、ショパンの弟子たちが好き勝手に(ウケルように)独自の解釈をして何でもありになっていたのを、「ショパンそんなこと言ってない」と勝手な解釈を否定し、楽譜と作曲家の意思を絶対のものとして原点回帰する流れになった、これがクラシックにおけるノイエザハリッヒカイトです。
アニメで考えるとわかりやすい。
面白くなるなら(あるいは自分の作品なんだから)元ネタは改変してよいのだ!という時代が終わると、「いや改変すんなよ原作に忠実に作れ」という時代になる。今がそう。そしてその流れがずっと続いている。
クラシックの場合、それが行き過ぎて演奏家の個性が消滅、なんなら個性=悪とまで思われるようになり、一般人には聞き分けができないレベルの同じ演奏ばかりになって衰退。
洗練が生むその先は常に退屈であるという、大変意味深い概念だったのです。絵画や文学、あるいは建築ではそれぞれ文脈が異なるんですが、オタクに向かって「現実みろよ」と身も蓋もないことを言ってるようなもんで、わたくしはこの身も蓋もない考え方を打破したいとずうっと考えていました。
主観こそ全て、みたいなのも極端ですが、わたくしが自分語りに強力にこだわるのもその辺の歴史を鑑みてということがあります。
2025/10/09

そっか、ギュンター=グラスはドイツの人だったか。
そりゃあ外してはならんなあ。
マン、ヘッセもドイツですよね。
個々の作家は認識できてても文学史として考えると完全に抜け落ちている。

コロナの時がよかったことの一つに、保険の営業がぴたっと止んだということがあります。
確認もオンラインミーティングで済んでたし。
しつこい人に当たるとほんとしつこいんだよなあ。まああの人たちもフリーランスだからしょうがないけどさ。
「あなたのため」「あなたに寄り添う」
っていうのを大上段に掲げてくるから苦手なんですよね。

ドイツ文学もわたくしは明るいわけではないので、ゲーテやシラーが頑張ってた頃から、リルケ、その後のカフカがでてきてノイエザハリヒカイトと、知識が全部とびとびです。
リルケってドイツだっけ。
哲学史・音楽史だとドイツって重要な位置にありますけど、文学史的にはなんだかよくわかんなくって。
ヨーロッパはいっつも戦争してて形が変わるんで、世界史勉強してる時に「戦争をやめろお!」とか思いました。

昨日ロシアの留学生に「僕はソルジェニーツィンが好きでねえ」という話をしたら、「大学で名前だけは聞いたが読んでる人誰もいないっす」と言ってたので、日本人だからと言って夏目漱石読んでるわけでもないもんなあと思った。
ロシア人の感覚なのか彼の感覚なのかはわからないが、ロシアで一番有名な文豪はプーシキンだそうだ。
プーシキンって日本じゃそこまで誰でも知ってるわけでもないよなあ。
オネーギン、大尉の娘、スペードの女王、ルスランとリュドミラ、タイトルが出てくるのもその程度、そして内容は1mmも頭に残っていない。
2025/10/08

ずっと正解が出ないものとして、
専門学校の先生として、生徒に夢を見させるようなことを言うか、シビアな現実を伝えるか、そのさじ加減があります。
君たちはすごいんだよ、こんなことも出来るし、あんなことも出来るようになるんだよ、という夢のある話は必要ですが、
何割かは「俺ってすごいんだ」って信じ込んで、社会に出てから叩きのめされます。ひどいとそのまま病んで失職とかね。ありました。
と言って、現実は厳しいという話では、生徒のやる気はしぼむばかりで「別の業界にしようかな」と思ってしまう。
アメとムチのバランスはもう、何十年やっても正解がない。
クラスによりますしね。
でもね、わたくしは高校の先生じゃないのです。
正直越権行為なんです。学校側からしたら、あんたはそんなとこまで面倒みんでいい、って話なんです。
そしてたちが悪いことに、わたくしは教えるという立場にいまだ立てていなくて、どうしてもプレイヤー側でいることにこだわりがあるのです。

医療漫画の傑作といえば「ブラックジャックによろしく」もそうだと思います。先日紹介したドクターズエッグはなんというか、作者の価値観とか漫画技法を調べるとよくわかるんですが、人間味が全然ないのに対して、ブラックジャックによろしくは感情にダイレクトに訴えかけてきますよね。
こういう漫画を作れる人はいくら問題起こしてもいいと思います。
すごい人ですよ、作者の佐藤先生は。
さっきもらったメッセージの話を見て、
ブラックジャックによろしくの9~10巻に出てくる精神医療、閉鎖病棟と恋愛についての話をすぐ思い出しました。
機会があったら読んでみてください。

江口寿史だけの問題じゃなくて、たとえ練習だとしても、写真をなぞって描く、写真を見て描くことに慣れてしまうと、罪悪感もなくなったり、描く前にひたすら「いい写真を探す」ことに時間使ったりで、それが悪いことかどうかはわかんないけど、わたくしはやってて面白くない。
クリスタに入ってる3D人形とかも一緒だよ。ポーズマニアックスみたいな人体標本をモデルにするならわかるけど、最初からイラストに寄せたポーズ人形で慣れちゃうとなあとは思う。
わたくしはお人形さんみたいな魂が感じられないきれいな絵は元々好きじゃないので、たとえ絵柄がイラストチックでも、できたらわたくしの超主観による人間的な情緒を描いているのが好きです。

このところいつもの「人前に立つ日の前はめいっぱい憂鬱になっておいて、当日テンションを上げる調整」がうまくいかなくなってきて。
目測を見誤って、授業開始5分前に急にいやになったりし、まあそんなことは顔には出せないのでやるんですが、くたびれるんですよね。
だめな時は「はいこれ今日の課題。とりあえず3時間でやって」ってあとうろうろしてるだけでも授業にはなるんですが、嫌いなんですよ。そういうの。
わたくしは詰め込みタイプの人間ですので、とにかく詰め込んで詰め込んで、教えて教えて、そのうち1割2割が後でなんかの役に立てばいいと思っている方です。
なので正直授業の準備もしんどいんですよ。

家庭環境があんまりよくなくて、親よりも自分が大人になるしかなかった子にも色々いますから、これはこうすればよくなる、みたいなものってないですもんねえ。
土足で人の心に踏み込む役は、いつかは誰かがやらないといけないんで、わたくしは詮索好きの中年として生きております。
2025/10/07

やってみないとわからんですね。
わたくし自身も何もかも一度自分でやってみないと、何とも言えないです。
恋愛についてはわたくしは数回ではありますが、真面目に失敗しましたんで、言えますけど、でもしょせん一般論です。

わたくしは片思いは恋愛経験に含めませんが、何回もこっぴどくふられてそれでもまだめげずに誰かを好きになる人は応援したくなりますんで、めげないのがやっぱりいいんじゃないですか。
しかし、いいねされただけで好きになっちゃうような、残念ながらそれはもう病気ですレベルだとどうやったら止められるんだろうね。
生徒にも結構いますけど、やっぱり欲しかった愛情が得られないまま成長すると、相手に親のかわりを求めますもんね。そりゃ無理ってものです。
そとづらは取り繕えますが、生活するのは無理かもなあ。

わたくしも、もう少し能力があれば色々道を考えたんですけど、基本的にさほど高い能力があるわけではないんで、メールの返信が速いとか、むちゃくちゃなこと言われてもめげたり怒ったりしないとか、そういうところをコツコツやるしか仕方ないですもの。
でもわたくしは、自分のことを末端とは言いますが「底辺」とは絶対言わないですよ。
底辺ってなんか、甘ったるいじゃないですか。

わたくしも一緒に何かするなら、めげない人とか飛ばない人とか病まない人ってなります。
めげて飛んで病んだ人と友達にはなれるかもしれないけど、一緒にはできんだろうなあ。同じ方向を向いて歩いては行けないからさ。

ネットで食い扶持を稼ぐのはもう難しいでしょうねえ。
こういうのって最初からやっててやめなかった人だけが強いので。
特に自分を応援してくれるファンを金づるにして、推し活で食っていこうとすれば、今売れている人以上に何かないとだめだってことでしょうし。
個人技で成功するのは強烈な負けず嫌いの人だけですよ。
周りを蹴飛ばしてでも自分が上に行きたいって欲がないと何にもなれないです。

ハイスクール奇面組がアニメでやってた頃は小学生だった気がする。
OP/ED集をみてると、ほんと秋元康って最初っからやりたいこと一貫してたんですなあ。自分でプロデュースしたアイドルと結婚してるしさ。
すごい覚えてるわどの曲も。
でもこれ、OPだけ見るとものすごい青春ラブコメだけど、本編は子供向けのギャグ漫画だったよね。
最後の方にちょっとラブコメによっていって、最後夢オチという壮絶な最後だった。
でも最終回すごい好きだったよ。マンガの。
2025/10/06

「銀河特急 ミルキー☆サブウェイ」という3分アニメが話題!ということでいくつか見てみたんですが、とうとう内容じゃなくて作品のテンポにもついていけない季節がおとずれ、自分の脳の劣化を痛感しただけでした。
きびしい。

低気圧。
2025/10/05

ドラゴン桜の作者が今描いている「ドクターエッグス」という医学生の漫画を読んでいます。
大学の医学部に行った友人なんて一人もおらんので、こんな感じなのかあ、自分の学生時代がはずかしくなるな!という内容です。
あと、医者になるのって大変だなあとも思いました。アホみたいな感想ですけど。
わたくしは自己主張や自己顕示欲の強い快楽主義者ですから、こうした「ちょっと気弱でおとなしい、やりたいことないから頑張って勉強しただけで、いつもコンプレックスから逃れられない」という、今どきの主人公の気持ちはわかるようなわからないような感じですが、
反対にちょっと嫌なヤツとして配置されてる浜尾、浜尾だけが今作おいて異常に人間くさく、つい浜尾を応援したくなりました。
まあ友達できんわなお前、って性格ですけどな!

ほとんどの人は今、自分をさておいて他人についてあれこれ言うことに激しい抵抗を感じているはずです。
だから何も言えないと感じてるんじゃないかと。
わたくしはそうです。
なのでわたくしは意見ではなく、わたくしの思い出を話しているわけですけど、ただ「ファミコン懐かしいなあ」とかそんな話だけがしたいわけではないかな。
わたくしはなんでもない人間ですので、同じくなんでもない人となんでもない話をして生きていきたいだけなんですけどねえ。

昔は「寂しい」という感情がある種の詩的な文脈によって人をつなげる絆になり得たこともありましたが(青春モノクロームはそれが主なテーマでもあるので)。
失敗したくないって感情…その源流は被害者意識ですが…の方が強くなってきて、自分はさておき他人を値踏みしてばかりになってる空気もよく見かけます。
男が弱いとか寂しいとか言うな!って檄は平成初頭のドラマでは許されてましたけど、どんどん男女関係なく弱いとか寂しいとか言ったメロウな感情に手厳しくなってるなあとも思いますね。
でも恋愛したことなかったら、自分が相手に持ってる気持ちを恋愛なのか憐憫なのか、ただの自己満足なのかマウントなのか、自分で理解するのって無理じゃないですかねえ。
無理なんで諦めろと再三言ってきたわけですけど。

10月入ったねえって思ってから5日までが半日くらいの感覚。
2025/10/04

今出川の別館はこわすぎて、ほとんど散策したことないんですよね。人の気配もあったりなかったりで。
わたくしが覚えているのは、最上階…6階?にあった美術部のボックスとアトリエ、3階か4階の階段をのぼった正面にあった現代文学研究会、最上階の1つ下の階にあった囲碁研究会(麻雀やる場所)くらいしかないです。
老人Zって何年でしたかね。わたくしも見ました。見たことしか覚えていないですけども。そういや同志社に漫研とかげんしけんみたいなオタク系サークルってあったんでしょうか。
なんか鳥人間のサークルは4月の勧誘時期にえらく目立ってたなあとか、そんなこと思い出しました。大学ってほんとに他のサークルのこと何もわかんないですね。

iPadも12.9インチだと重たくて、あとこの角度で描いているので本体を回転するのはまず無理なんですよね。
画面の回転と左右反転はデジタル作画の最も重要なポイントです。わたくしにとっては。


江口寿史のニュース見ましたか。
SNSに流れてきた女の子の写真がきれいだったんで、そのまんま仕事に使ってルミネで公開されてたら、写真の本人も有名人でどういうこと?って連絡が来て、事後確認でOKになった!とは言うものの、作品は撤去された、ってやつ。
この先生吉祥寺の人なんで、なにかっていうと吉祥寺の商店街に絵がつかわれるんですけどもね。
昭和の感覚をアップデートするのって成功してればしてるほど難しいんだなあと思いました。
わたくしもちろん、あんなに上手に描けないですけど、
好きじゃないです。お人形さんみたいなきれいな女の子。

実際に使うかどうかは別として、使い方なり仕組みなりは知っておかないといけないだろうと思うわけですよAIについてはね。
ただ別になくても大して困らないもんじゃないだろうかと思い始めていて。
「読むだけで教養が身につく本」なんてタイトルの本があったとして、身につくはずがないのに、コンプレックスや不安からつい買って読んでしまうタイプの人にはAIはいらないんじゃないかなあ。あんまりいい方向に行かない気がするし。
本気で身につくと思って読んでる人だと、まあがんばってくださいとしか言えないわけですけど。

なんにも悪いことしてないのに周りから嫌われていく人って残念ながらいるんですよねえ。誤解されやすい人ね。
本人と話して、あ、こりゃ誤解があるなあと思った時はやりようがあるじゃないですか。わたくしが周囲に説明したりすることもできるし。
厄介なのは本人に自覚がない時、あるいは全然あさっての理由で自分が嫌われてると思い込んでる時で、そのズレっぷりが嫌われる原因なんですけど、指摘してもそうそう治るもんでなく。
今はそういうのも病名とか特性で自己認識するようになってきましたから、昔よりはいいかもしれませんね。
「自分の何がおかしいのかわからない」よりは「自分は発達特性あるから」とした方が簡単に納得いくし。
でもその納得の仕方が嫌われる原因になってることもままあるでしょう、最近は。便利に病名や特性が使われすぎたおかげで。
わたくしたちの時もそうでしたけど、最初は「何コイツ」って思った人でも長くつきあって理解していけば、別に病気とか発達とか言われなくても慣れていくもんなんですが、
やっぱちょっと急ぎすぎるんだよね。好かれようとするのも、嫌われたくないってのも。ほら、ネットだと相手に簡単にアクセスして自分の気持ち送れちゃうから、我慢することができなくて。
わたくしたちの時もそうでしたけど、相手の顔色ばかり気にしてるのが伝わってくるとイヤにはなりますからねえ。
2025/10/03

わたくしね、こういうことばかり昔から言ってたんですけど、答えようがないでしょう?
だから明快な答えをくれる人じゃなくて、
ただただ、時間と空間を共有してくれる人を好きになるんですよ。
議論して最適解を見つけたいわけじゃないんでね。
この辺がわたくしの最も非合理的な部分だと思います。

大人になると同情心とか段々薄くなりますし、共感能力も下がってきます。それが自立ということでもあるし、なんというか…どうでもいいと切って捨てることが増えるというか。
行動の主体は社会的な責任感であるとか義務に変わっていくわけです。
やらんといかんのでやるしかない、と。
ミドルエイジクライシスというのは、「結局俺ってなんだったんだろ」ってやつなんで、責任と義務だけで行動してきた人ほど、重くなるんじゃないでしょうか。
わたくしは責任や義務を一人で背負おうとする…これは無能の証拠です。まだ自分一人でなんとか出来ると思ってるってことなんで。
学生の頃に考えていた優しさと、今わたくしが考えている優しさは、源流は同じでも人に接する時に見せる形は変わっています。
なんなんでしょう。
喫茶店で教え子の女の子相手に「なんなんだろうね」といつもいいます。
女の子も「なんなんでしょうね」といいます。
ま、いっか、となります。
そんな程度の憂鬱ではあります。

あんまりストレートに言うのもどうかとは思うんですけど、初恋の失恋の痛みを永久に引きずってる人って40代でも50代でもいましてね。
こう、皮肉じゃなくて、今までに自分が格好悪すぎて死にたいって思ったことって、なかったですか?
いや、直せとか思ってるわけじゃなくてね。
ほとんどのことは時間が解決するんですが、その自然に逆らって癒えなかった人が、どんなパーソナリティで何でそうなのか、ということには興味あってね。
まあ、あんまりいい趣味じゃないんで、
単なる疑問にとどめておいているんですが。
自分が格好悪すぎて死にたい、ってのは、結構共感を得ると思うんです。で、そこから別れていくわけじゃないですか。
永久に「自分が格好悪すぎて死にたい」と言ってるだけの人と、
そうした自己嫌悪が行動原理に変わっていく人と。
それを単純に強さ弱さでくくるのも違うなあって思って。
弱い自分が好きなのかな。
自己嫌悪してる自分が好きとか。

そういやいじめられたとかそういう話題も、高校くらいからしなくなりましたねえ。なんででしょう。
忘れちゃうからなのか、他に楽しいことがあって上書きされちゃうからなのか。
わたくし自分で言うのもなんですが、物覚え相当いい方だと思うんです。でもこれだけ中学の思い出だけが抜け落ちてるのは、思い出したくないことでもあったんじゃないかと思って。
まあそれ思い出したから今更どうってわけじゃないんですけどね。
覚えてるネタみたいなことなら結構ありますけど、怪しいんですよね。
なにか大きなことがあって、一つ掴み出せれば芋づる式に思いだすのでは、と考えているんですが。

AIが長期スパンでもたらすものは、最終的に「無料コンテンツの終焉だ」という予測にはわたくしも賛成です。
すべてのコンテンツがそのうち「全部みたかったらサブスク」になるのは必然でしょうね。

これから自分がやってみたい、やりたいなあという目標にしているのが、この「ゆる学徒カフェ」というチャンネルでしてね。
ゆる◯◯学シリーズはいっぱいあって、右の堀元さんという、慶応の理系の人が実業家として色々やっている感じなんですが、ある程度学がある人にとってはどれも面白くてラジオとして垂れ流しています。
ゆる学徒カフェは池袋に一昨年開店した文学?教養?カフェ件スタジオなんですが、面白い人を探してきて世に出す知的エンタメコンテンツとしては出色の面白さだと勝手に思ってましてね。
特に左の店長の黒川くんが好きでねえ。
筑波の比較文化の子なんですが、35くらいかなと思ってたら20代だった。
国公立のテンプレみたいな素朴な感じがいいんですよ、ああ京大にもこんな感じの子いたけど、もっとすさまじくイヤな感じだったなあとか、色々思い出しました。黒川くんほんといい子。
役割としては堀元さんがいつも理系のヒール役で、文系学問や経済について専門家あるいは専攻してた人間を連れてきてうんちくを面白く語るという内容です。
どうせ集まってなんかやるなら、わたくしもこういう感じのことをやりたいわけです。下の動画だけではよくわかんないと思いますけど。
堀元さんの会社の名前が「株式会社ペダンティック」ってのも、完全にアカデミズムに対する斜に構えたイロニーですよね。ああ、わたくしの時代にYouTubeとか発信できるプラットホームがあったらなあ!と思わざるを得ない。
時々同族嫌悪でムカッとする時もあるんですが、
文化っていいよねえ。

ひじきとかきんぴらとかモズクとか、大して美味しいと思ったことなかったそういう地味な食べ物が美味しく感じるのは、ほんとう不思議な話です。
大学の頃はお金がないんで、ワゴンセールでパスタとレトルトカレーをまとめ買いして、パスタにカレーかけたやつをずっと食べてた気がする。
お金があると料亭とかを食べ歩いたりしましたが、グルメというより日本文化的なものに強い興味があって。
懐石料理を考えたのは島根の藩主・松平不昧ですが、あれも様式として一つの美の極地だなあとは思います。
ごく狭い地域でのみ発達した文化とかも好きなんですよねえ。
雑煮の話も好きです。雑煮はほんとに全然違うから面白いよねえ。

天巻って難しいのかなあ。作ったことないです。
酢飯ではないので、ただシソ巻いた海老天が入った太巻きってだけでして、どうなんだろう醤油つけて食べる人もいるのかなあ。
わたくしが食べていた天巻はごま塩がふってあるだけの味でした。
天ぷらに味もついてなくって。
天むすは甘辛いタレがしみた天ぷらですもんね。あれは新幹線に乗る時名古屋駅で買って毎回食べますが、あれも好きです。
天つゆ?なのかなあ。
そういやもう天ぷらもずうっと食べてません。
寿司ですら大好物だったサバとかサーモンが脂乗りすぎてあんまり食べたくなくなってきて、イカとタコと貝ばかりになってます。

バカにしているわけではなく、例えば偏差値とか模試の話を一生続ける人もいれば、いじめられた話や両親との確執の話を死ぬまで恨み節で話す人もいて、ツァイ=ガルニク効果というかなんというか、つまづいた経験ってそこから立ち直りたくない、アイデンティティのようなものになりやすいんだなあって。
立ち直って前向きに生きてる人と、後ろ向きに過去にとらわれ続ける人と、でもどっちが正しくてどっちがいいかと考えたら、どっちでもいいよなってわたくしは思います。自分の生き方ですからな。
ただ、「後ろ向きでぐじゅぐじゅしてる人生」は見てるとイライラさせるんでやめろお!って空気を出して同調圧力に変えてるわけで、それは気にくわないし、
ぐじゅぐじゅしてる人生を選んでいるのに「死にたい、やめたい、いい人生を送りたい」ってルサンチマン的な態度もわたくしは選択したくないですねえ。
けど死にたい死にたい言いたい時なんかいっぱいある…というか毎日そんな気分なんで、言ってもいいんじゃないですか。
ただちょっと、SNSで思春期とモラトリアムを吹き飛ばした代償を30代で支払っている子はかなり多いと感じてはいますんで、わたくしたちの世代でいうシンデレラ・コンプレックスとか、ピーターパンシンドローム、青い鳥シンドロームみたいな、ああいうコンプレックスをまとめて後で考えなきゃいけないのはかわいそうだなとは思っています。

やっぱりねえ、高校や大学の志望動機は話しやすいのか、面白かったですねえ。無理して面白くしないところがいい。卒業して何十年も経ってるといい感じに記憶も改ざん…ていうと言葉が悪いか、美化されてるんで、どういうスタンスで学生時代をとらえていたのか、よくわかります。
なんかこう、人に読ませなきゃ、理解してもらわなきゃ、エンタメにしなきゃって気持ちは若い人ほど強くて、そのへんがSNSの弊害だなあと思うこともよくあります。
わたくしはつまんなくても手で触ることができる現実だけが好きなわけですよ。地味な人間なのでね。

そうなんですよねえ。
さみだれちゃんまで肉肉しく描くのもどうかとは自分で思ったんですが、なんかこう、そこに確かにいて、確かにさわれそうな人間を描きたいなあという気持ちがずっとあって、これは実在する人間を描いていたいという気持ちからかもしれません。

傾向として、男は意味のない雑談が苦手なことが多く、一つのテーマにそって「オチ」がつかないと許せない人が多くてねえ。「で?」って。
わたくしは逆に、結論を出すのも一つのテーマを深く考えることも苦手で、気分次第で言うことがころころ変わるんで、
だから当時は女の子の方がしゃべりやすかったんです。
恋愛対象には常にならないので、当然モテていたわけではない。
女の子としゃべってるだけでモテてるように見てしまうところが、お前もうちょっと青春サボらないでがんばれやと言いたくなってしまう原因でもありますが。
オタク気質でもないんで、すごいマニアックなことを詳細に語れるほどものを知りませんしね。そういう場合は聞いています。
でもなんか、オタクが社会にある程度認知され、それが一般的な文化として定着し過ぎている今の空気はあんまり好きじゃありません。

「表層的でない人間関係」を求めている人が多くいる…つまり自分が置いていかれて孤独であると感じている人は多いようです。
だからこう、誰もが被害妄想が強く、自意識が過剰で、人の話を聞いてない感じになりがちだと感じています。わたくしもそうです。
人間関係を構築するのは日々の雑談です。
わたくしは先にのせたような雑談をメールという人目につかないところで年がら年中繰り返し、それを何年も続けて人と仲良くなってきた人間ですから、2chのような匿名紋切り型の文化とは合わないのです。
また、そういうのが鬱陶しいと感じる人とも合わないと思います。
雑談せずに主張ばかりになっては長続きしませんし、雑談ばかりでプライベートを一切話さないのも長続きしません。
わたくしの言う「自分語り」は誤解されやすいので、ふとノスタルジーを感じた今夜、わたくしの思いを語ってみました。

その図書館情報大学の子はニシヲというハンドルでしたが、わたくしは手紙やメッセージだけは死守するタイプの人間ですので、当時物理的にぶっ壊れたMacから根性でサルベージしたデータの中にニシヲさんのメールも大分残存しています。
ちょっと今探してみました。
1998年のメールなんで貼っても構わないだろう。
27年前のネットの雰囲気が伝わるでしょうか。
——
1998/12/7
どうもこんにちわ。ニシヲです。
なんだか最近、ネット生活イヤイヤであります。
たいして知らないネット上の人から、
「あなたの日記の文体は、最近、僕の文体に似てきている」
というような事を言われ
どう反応していいのかわからなかったりしました。
その人は、なんだか怒っているようでした。
ちなみに私はその人のHPをロクに読んでいないのです。
言われたあと、きちんと読みましたが
どこがどう似てるのか分かりませんでした。
友人に読ませても、同じ。
なんだかしばらくオロオロした挙げ句、
やっぱりネットは怖いなあ。などと思ったわけです。
ほおら、怖い怖い。
話は変わって
彼氏さんと、仲が悪くなってしまいました。
私が何時間もコタツに潜んで気分を悪くして
「きもちわるーい。暑いー」と騒いだ挙げ句、
「アイス食べるー」と言って、冷蔵庫のアイスを食らい、
そのまま眠ったら、寒くてくしゃみをして熱だして
気がつけば風邪ひいてたのです。
彼氏さんは
「ニシヲは本当におバカさんだね」と言いつつ、
風邪薬を飲ませてくれましたが、
今回は心底呆れたようで、ちっと見捨てられています。
> ああ、そうか、あなたはまだ20才でないのですか。
そうなのです。三月で二十歳になるのです。
とてもイヤで、どうしようかなあ。と考えるたび、
どうしようもないなあ。と思っています。
手紙は、ここの住所に送ってくれたら
私に届きます。
〒305 茨城県つくば市春日2ー8ー1
そうです、彼氏さんとこの住所です。
しゃぶしゃぶを食べる夢をみたので、
しゃぶしゃぶを食べます。
——————-
どうでしょう。今とそんなに変わんないんじゃないですか?
青字は多分24歳のわたくしが書いた文章ですね。
気取ってるなあ。
住所まで載ってましたが、郵便番号が3桁なことに感動したのでそのままのっけてみました。アパート名は一応削ってあります。
ね、わたくしは当時起きている間中、そんなやりとりを誰かとしていました。100人くらいと超長文で交流していましたから。
半分くらいは大学生で、その半分くらいは死にたい人で、その半分は精神病で、そのうち何人かは喜んでわたくしに劇物や薬物をプレゼントしに京都までやってくる人たちでした。
でもわたくしの好きだったやりとりや自分語りってこんな感じでした。
みなさんが送ってくれるメッセージもわたくしの空気を読んで大体こんな感じですよね。だから嬉しいです。
ニシヲさんの出演する演劇をみにつくばまで行こうとしたけど、当日台風が来て公演中止になり、結局一度も会うことはありませんでしたが、
今でもやりとりは覚えています。
そんな風なネットを復活させたいわけです。
なんとしても。

ネットを始めて最初にできたネット友達が家内ちゃんですが、
次にできたのが図書館情報大学の娘でした。
演劇をやってた娘でしたねえ。
ulis.ac.jpって変わったドメインだったんでよく覚えています。
入学から卒業までやりとりしてましたから、学生生活のすべてをメールで詳細に送ってくれましてね。
それ以降行方不明になっちゃったんで、25年後の今はどうなってるかわかりませんが、
顔もわからない子の大学1年~4年のすべての恋愛遍歴と性生活を知っている、って自分がなんかこう、うわあインターネット!って当時思いました。
2025/10/02

昔やってたみのもんたの、なんだっけ、あ、県民ショー。
県民ショーで愛知の人は実は味噌カツとか味噌煮込みとか味噌はあんまり食べない、なんてやってたの思い出したんですが、そうですか?
わたくしは味噌カツも味噌煮込みも好物ですんであれば食べますけど、なんか東京で食べると全然違う気がします。
そうそう、天むすは三重の津が発祥でーとかいうのも聞いたことありますが、まあ味付けはどう考えても名古屋の味ですな。

あー地方と田舎の差はありますね。絶対あると思います。
わたくしの高校は一人暮らししてまで遠い大学に行きたい人って少なかった。たいていは地元か、行っても名古屋の大学くらいだった気がします。
外にでてくのが嫌いな土地柄だったんですよね。
特に東京志望の人なんか全然いなかった気がする。

昔より今のが受験も大変なのかなあ。
子どもいないと全然関係ないからわかんないんだよね。
ただテストの内容は難しくはなってるでしょうね。
歴史にしたって30年分、わたくしたちの時より範囲が広くなってるわけで。

わたくしはおんなごころなどわからんと公私ともに明言しておりますし、だからと言って男権を振りかざすタイプでもないと思っていますが、ただわたくしの中核には、
「最終的にわからんものはわからんままで構わん」
「が、最初からわからんと切り捨てるのは怠慢」
があります。
言うのは簡単ですが、誤解と怒りを繰り返しながら、長い時間をかけて「なんとなく了解していく」というプロセスが欲しい。
わたくしの場合、誰彼になく求めてしまうからだめなんでしょうけども。

「美学」という言葉は18世紀の哲学者であるバウムガルテンが「美学」という本を書いたことからスタートするんですが、まず出だしの一行が
「美学(自由な技術の理論、下位認識論、美しく思惟することの技術、理性類似者の技術)は感性的認識の学である。」
ですからなあ。これ高校出たてで何の予備知識も持たない人間にいきなり読ませてレポート書かせる大学教育は間違っとるとわたくしは思いますよ、ええ。
上の文章、一文字も意味わかんなくないですか?
わたくし6年かけても(授業には行ってなかったけどさあ)、自分の中で噛み砕くことが困難だったんですよね。

わたくしこう…先生のくせに人を褒めるのへたくそでねえ。
でも偉そうにしたい、褒めたくない、ってわけじゃないんですよ。
面と向かってると愛想よくもできますが、ネットだと逆に相手のことがよくわからない分、愛想よくできないというか。
わたくしの超個人的な感想でよろしければ書きますよ。

なんかSNSでは創作論とか創作環境みたいなの書くと、素人のくせに草!って反応が返ってくるんで書きたくないですよねえ。
でも割と人の環境って興味はあったりします。

好き嫌いでいうと、デジタルっぽい線の漫画ってあんまり好きになれなくて。イラストレータさんの講座みると、「雑な処理を許さず、一本一本描いてはアンドゥして描いてはアンドゥして」ってやってますけど、わたくしは好きじゃないので雑なものを雑なまま放置しています。
iPadで描いている大きな理由が「紙に手描き」だと、もう見えないんですよ。老眼でね。それだけです。
あと机がなくて床にあぐらかいて仕事も絵もやってるので、ほぼ垂直に近い角度のipadに小指だけ乗せて重心をとってる感じですねえ。
油絵の描き方と似ています。
あ、クリスタのペンの、なんだっけ、「手ブレ補正」か。
あれ使うと線が死ぬんで補正しません。手ブレ補正を最高値まで上げてかくと、chatGPTが出力するような退屈な絵になるんで、ぜひお試しあれ。

わたくしクリスタで描いてますけど、クリスタの便利機能はほぼ使ってないんで、クリスタでもメディバンでもPhotoshopでも多分同じです。
クリスタのいいところは何かと言われると別にないな。最初に使ってみたから、という理由と生徒が教えてくれって言ったから、しかないです。
いちいち新規書類を作るのは面倒なんで、あらかじめわたくしが必要なレイヤーや必要なテクスチャをすべてまとめたテンプレートを一つ作っておいて、それを開いて別名保存して、あとはただ描いているだけです。
最初のラフは最初から入ってる「薄い鉛筆」ツール、次のラフはそれを三分の2の太さで、更にもう三分の2の太さにして書き直して下書きは終わりです。
ペン入れは気分で毎回変えますが、基本は「リアルGペン」、あと「シャーペン」とか。今家内ちゃんなんかの漫画で主に使っているペンは無料素材の「にじみミリペン」です。これは多用しています。かすれを出せるペンですね。
色はバケツとGペンで塗ってるだけだし、特になんかすごいツール使ってないと思いますよ。あ、背景がいつももやもやしてるのは、あれはテクスチャです。買ったものもあるし、自分で作ったものもあります。
主に使うのは2枚だけです。
今まで枠の色は黒で、枠線も手で全部引いていたんですが、
最近枠線ツールをやっと覚えたので使うようになりました。
背景が白い漫画は枠線ツールを使っています。
言葉で説明するの難しいね。
動画で配信しようと思ってるうちに半年経ってしまいました。

「初恋語り」について思ったことを書くとすると、
初恋の話というより「結局自分は他人とは相容れないのだなあ(チラッ)」というATフィールド及び自分語りに感じちゃいましたけど。
ポエムではないと思いますが、この文章がわたくしに直接送られてきて、どう思いますか、と言われたら返答に大分困りますけど。今もわりかし何を言えばいいのか困惑はしてます。
自分語りじゃなくて初恋語り(って言葉自体初めて聞きましたが)だと、わたくしの場合の初恋はどうしても「もう理由もへったくれもなくてマキタが好きで仕方ない」という「自分が自分でなくなること」を恋であると定義してて、それが高校2年生でしたから、小4でそんなウェットで複雑な内省的世界が存在することに驚きです。
でも面白いですね。小学生の時に初恋があった人の話、特に女性の話はあんまり聞いたことないので。「サッカー部の○○くんかっこよかったー」くらいの話は聞きましたけど。
女子は早熟なんだろうか、とかそういうことを考えていました。
2025/10/01

AIの恩恵は等しく誰でも受けられますが、恩恵の質には各個人の能力によって差があるんで、世の中が「質なんかどうでもいいよ手軽でやすければ」の中華思想的な方向へ動けば動くほど、「何にもできないやつ」が得をするという仕組みになっている。
テレビの仕組みを知らなくてもテレビを見て楽しむことはできる、技術とはそういうものだから。
でも今から教育を始めて、既に丸投げ体質になった人たちを論理と思考の世界に戻せるだろうか。わからない。不安な気はする。

やっと原因が特定され、動いた。
絵を描くのと同程度のアドレナリンが出るんで、
これはこれでやめれないんですよね。
プログラムって動かないと腹立ちますけど、動くと爽快ではありますでしょ。それ以外の動機でプログラムなんて書きたかないです。

AIつかっても動かねえもんは動かねえ。
一日かけて色々やったがどうやってもサイトのある部分が動かねえ。
それで「お前は無能」って言われたらそりゃあやだなあ。
じゃあやってみろって言いたくなるわよ言わないけども。

そう、例えばビジネス新書のような目的のはっきりしたものは全然読めないんですけど、これはなんででしょうかね。
「知って得する、すごい法則77」とかね。
今検索して題名だけ色々出してみたんですが、
「知って得する、すごい法則77」ですよ?
それ見てとてもじゃないけど知って得する内容があるとは思えんな。
じゃなくて
埴谷雄高「悪霊」
とかめちゃくちゃ読みたくなるじゃないですか。題名だけで。
サルトル「嘔吐」
とかさ。

「絵は自信ないけど文章は自信ある」って人、ものすごーく多いんですよ。ええ。
わたくしは上手な文章というのがピンと来てません。
例えば三島由紀夫は美文として名高かったわけですが、それはそう書いてあっただけで、三島の小説を読んで「文章が極めて美しい」と思ったことはないです。
ちなみに読みやすさが最大のウリであるラノベに関しても、例えば「狼と香辛料」とかは全然すらすら読めませんでしたし、「キノの旅」も意外と読みづらかったです。
でもわたくしが中学生の時に読んだ故・団龍彦先生の「こちら幽霊探偵局」は一瞬で読めました。
「帝都物語」は読みづらかったけど「魔界水滸伝」は読みやすかったし、「宇宙皇子」は読めたり読めなかったりでした。
カフカの「変身」は読みやすかったが、「審判」はつらかった。
カミュの「異邦人」は読みやすかったが、「ペスト」は時間かかった。
まあ長さが全然違いますけども。
何が違うんでしょうね。
よくわかりません。

全然関係ないですけど、これらを140文字でツイートするとしたら、一体何回連投すればいいんだろう。
膨大な数になりそうです。
時々ネットの小賢しい人生相談動画で、長文送ってくんなよ!頭悪いな!みたいな配信者を見かけます。
頭がよくて、短く悩みをまとめられる能力があったら誰も人に相談しねえよって思いますけどね。思いません?
長いか短いかはあんまり本質的な話ではない。
ただ、長い文章ほど言いたいことが伝わりづらく、書いてる方も何を言ってるのか自分でわからなくなるんで、受け取った方はいらいらするわけですよね。こいつ一体何が言いたいんだ、って。
じゃあ相談乗るよとか気安く言うなばかやろう、とわたくしなら思います。わたくしは緊張して何を書いてるのかわからなくなっている人が好きです。
しかしポエムはだめです。
長いポエムを人に送るのは暴力ですからな。
ポエムとはなにか。
自分にしかわからない言葉で他人を語る行為です。
中二病と言ってもいい。
素直にコミュニケーションをする度胸がなくて、膨大で難解な言い回しを使って意地でも主導権が自分にあると言いたげな文章のことです。
自己愛が強すぎたり、嫌われるのを過度に恐れる性格ほど長文な上、わたくしが読むことを想定してないので、回答不能です。
わたくしはTwitterでも「読んで5秒以内に返信が思い浮かばないリプライは無視」というルールを適用していました。

まあね、そんな頭でっかちなことばかり考えて恋愛してたわけじゃないので、全部後付けではあるんですが、日記として書いておかないと、必ず同じことを繰り返すという変な自信がありました。
性的な話で言うと、ヨシダではあまり感じられなかった気持ちよさとか充実感などは、村木で覚えました。
やっぱり高校生の肉体関係というのは、情報が少なかったこともあって、うまくいかないもんで。そういう話をする男友達もいなかったしな。どうしても自分の欲望が優先する。
村木はずいぶん慣れてて、恋愛とかそういうことに関してはわたくしのはるか先を歩いているように感じられましたから、まあわたくしへの熱が冷めてしまうと、ただのクソガキに見えていたでしょうね。

そんなにややこしく考えなくても、好きなら好き、嫌いなら嫌いでいいんじゃないの、と思ったこともあり、マキタやヨシダでの失敗を繰り返すまいと、村木にはあんまり考えないで感情を割とむき出し気味に接し、最初はそれで恋愛関係になりましたが、あっという間に崩壊しました。
いいところも悪いところも、素直に最初から見せすぎたせいですね。
駆け引きというにはあまりに拙いですが、
「きちがいのお母さんが学費を出してくれないなら俺がバイトしてなんとかしてやる」
「が、時給5000円の大学指定講師のバイトはいやだ。歪んだ教育の片棒をかつぎたくない。時給680円の牛乳配達をやる。それが労働の本質である」
こう考えていました。日記に書いてありますから。
こういうところがわたくしの本質的な虚栄・欺瞞・自己愛の象徴であり、早く大人になりたいあまりに、本末が完全に転倒し、そして恋人である村木の声すら届かないという、青春暴走型の人間関係へと走っていきます。

わたくしもあまりにやかましいのや、打算が見え透いている関係は苦手でしたんで、わかる気もします。
そう、いろんな方からいろんな自分語りをいただきますが、
やっぱり自分を語ると特徴がよくわかって面白くて。面白いとか言うと腹が立つ人もいるでしょうけど。
わたくしの自分語りは昔から、好きとか嫌いの「自分なりの理由」が欲しいタイプで、自分語りに必ずなぜそう思うのかという自己解釈がくっついてきます。
すっかり今ではかわいく描いてしまえるようになったムロイも、最初は苦手…というか嫌いでした。
どういうところが嫌いだったかというと、判断をすべて人に委ねている(甘えている)ように一見見える主体性のなさとか、その癖言動にはデリカシーがなくて、人のこと見てないなと思わされるところとか。
そしてそう思った後で、「しかしなぜ自分は主体性のない人間が嫌いなのか」と考えを先に進めると、わたくし自身の主体性のなさ…人が判断するわたくしではなく、わたくしの判断するわたくし…を眼の前でムロイが体現していることへの同族嫌悪だと理解しました。
それを繰り返すうちに、会うたびに相手の嫌なところが見えてきて、相手がいいことをしても自分の中の評価が下がり続ける、つまり減点方式の人間関係だったものが、逆の加点方式に変わっていった気がします。
2025/09/30

わたくしもアイドルには全く関心なく来たんで、アイドルのどこに惹かれるかを好きな人にじっくり聞いてみたくはあります。
関心がない(どうでもいい)わけじゃなくて、激しく嫌いという場合も、それは自分の中にある何かを刺激するから嫌いということなので、どうしてそんなに嫌いなのかも聞いたみたくなる。
わたくしの場合は、対象がアイドルだろうが芸術家だろうがアニメだろうが純文学だろうが、
「みんなで叫ぶかわいい」という同調圧力的な行動に敏感に反応して嫌悪感を抱くので、要するに天邪鬼、または偏屈でけりがつきます。
もうちょっと言うと、わたくしはわたくしの中にある世界が絶対なんで、なんの情報もなく自分で探して見つけてきたものであれば、たいてい何でも好きです。
ということは?
独占欲が強いということですな。わたくしの話ですが。
自己愛とも言えます。
あらゆる分野において言えます。
だから友達の紹介で人を好きになることもまずない。
最初のきっかけは常に受け身でなく自分でなくてはならない、
という気がします。

大人が金金金金って言ってますんで、子どももそりゃそうなりますわな。
男だから女だからという話が、なんとなくの共通了解を得られる前に陳腐化して学級会になってしまってるのと同じで、
「子供だから許される」=モラトリアムはあってしかるべきなのに、何でもかんでも明るみに出した結果、「子どもだからって許されると思うな」なんて子供大人ばっかりネットに残るようになったら、それ見て真似するようになるでしょ。
わたくしの生徒にも見飽きるくらいいましたよ。
見た目は大人しくて優しい感じの子が突然たがが外れて「うんこうんこ」「クソが!」とか言いはじめるの。第一次反抗期からやり直しのやつね。
わたくしはそういう子を拒絶したり説教したりしなかったけど、
手懐けて手を出すとかとんでもないよ。人間として見てないもの。
「いい子」にしてなきゃいけなかった分だけ、反抗期は遅くくる。
在学中にやってくれればいいんですが、それも2000年代までで、
SNSが広まってからは明らかに空気が変わり、思春期・反抗期がさらに遅くなって、こぞって現実を先延ばしできるようになった。
だから社会に出て緊張が解けたころ…30歳前後で来るんですよ。
青春をサボったツケが一気にね。
これもう10年以上言ってますけど、ほんとなんだもん。
だから30越えてから「初めて人を好きになったけどどうしよう、どうしていいかわかんなくて死にたい」とか、
「ちょっとしたことでものに当たるクソ彼氏をどうしたらバレずに殺せるか」とか、
そんなんですよ。相談内容が。
悩みなんて人それぞれだからなんでもいいんですけど、
問題は遅れていくとどうなるかというと、
「周りに相談できる同じレベルの人間がいない」ということになる。置いてけぼり、つまり孤独です。
そんなアホみたいな悩みをまともに聞いてくれる同級生も減るからさ。だから学生の時だけなんですよ、全員で「何でもない存在」でいられるのって。
「自分とはなにか」ってそこにつながるわけですが。
ええ、なんともなりませんでしたし、伝わりませんでしたねえ。
よほどわたくしの近くにいる子じゃないと常時見てられないし。
・コミュ障とか知らん。直せ。
・そのままを受けいれるとか無理。他人に期待しない。
・立ち直らなくても別にいいけどわたくしは知らん。
という冷たい態度で接するには、どうしても近くでこっそり見てる必要がありますし、それは本来親の役目ですからな。
これでは回答になってなくて申し訳ないんですが、
色々考えた上で、自分語りしかないのだとわたくしは思っています。
自分語りくだらねえ、中年の自意識キモいと思っている人に向けて描いているつもりです。

と同時にこまごました小物やふりふりした面倒な服なんかは、これはわたくしが努力してもおそらく描けるようにならないなあという意味でも、少女マンガが好きだったりします。
いや、服とか小物とかじゃなくて、すべての画面においてそんな風には絶対描けないという憧れはある。
昔大友克洋が全力で少女漫画に寄せて描いた短編があるけれど、でもやっぱり大友克洋だった。きっと自分の画力を見せつけるためだったんろうとは思いますが(大友克洋はそういうことを隠さなくていい数少ない人物ですし)。

その辺から逃げずに…というか、そういう嘘を自分につけなかった作家が、山田花子だったりその周辺のガロ的なサブカル作家だったわけですけど。
山田花子なんて不快な気分にしかなりませんからねえ。普通に読んだら。純粋(ピュア)って実は多くの人を不快にさせるのだということを、あんなにつきつけてくる漫画ってそうないと思います。
じゃあわたくしはと言えば、「わたくしは(不快でない程度に)醜く、そしてわたくしの好きな子はどこまでも美しい」という、これもまた中途半端なお花畑が描きたい世界ではあります。
だから今を描いちゃいけないんですよ。
今を描くと美しくはならないので。
今の世界の絶望感はギャグにするしかありません。
で、描いているのが家内ちゃんです。

べったべたなりぼんやなかよしの少女マンガが好きだったのは、どこにもわたくしと重なるところがなく、描いてる方も中学生高校生なんで、世界が極端に狭くて完膚なきまでに傍観できるからですよ。
女性作家が描いた男性的なテーマの漫画にいまいち好きな作品が少ないのは、やっぱり女性作家って基本は見た目が醜いものを描きたくない傾向にあって、心の醜さは徹底的に執拗に描くかわりに、見た目も同じく醜いってことがあんまりないんですよね。
鬼滅や呪術廻戦を読んで改めて思いました。
嫌なやつはたくさん出てきますが、「性格は嫌なやつだけど見た目は格好いい」が多いでしょ。
わたくしは例えばタイムボカンシリーズやキューティハニーみたいに、主人公は絶対に主人公で、ゴミはゴミみたいなわかりやすい方がどっちかというと好きです。
要するに、ブスやブサイク(という体の多数派)をどう描いてるかがわたくしの中の一つの好き嫌いの基準にもなっています。
だから山本直樹の、特に「極めてかもしだ」が好きなんですよ。
主人公のくせに本当にいいとこ一つもないですからな。
実はあれは男(わたくし)から見ると格好いいんですが。

いくらそれがビジネスの世界と言われても、
コピペみたいな創造性の低いものを量産し、法律で縛るものがないから何もやってもいい、みたいなのはどうしても許容できませんで。
同じように「それが当たり前」という文化、つまり中国的発想も大嫌いです。
小さな界隈でいつもファンがどう、ライバーがどう、と揉めてるのも子どもじみていて不快な気分にはなりますが、
政治・思想・経済がらみのどろどろはそんな揉め事の比ではなく、心の底からどうしようもない底辺中の底辺な話ばかりです。人間なんか存在しない方がいいって気になりますよ、ええ。
だからそんな世界の話題をお手軽におきもちツイートしてたような人物はわたくしの青春エリアには即刻出禁です。
それに比べればエンタメの揉め事はまあ、なんていうかうん、子どもじみてるけど子どもだと思えば許容できる。

わたくし元々博愛主義者ではないし、そもそも愛国主義的な考え方はみじんもなかったわけですが。
ただ今の結論を言うと、
わたくしたちはあらゆる事象に対して傍観者であることしかできないんじゃないかって。そう思っています。
他人事ではなく自分の話として物事を受け取っていくには、あまりにも人間そのものが脆弱になりすぎました。
どうなれば解消するんだか、見当もつきません。
誰か教えてください。

こないだまで山岳系の遭難事故の動画ばかり見てたんですが、それも結局もともとあったチャンネルの丸パクリにAIで作った適当なアニメーションを足しただけだった、みたいなことがわかってみると急速に冷めてしまって。
わたくしねえ、今一番気になってるのが、まあエコーチェンバーなんて言葉で簡単に説明されてますけど、
わたくしの中にある強力な差別観でしてね。
以前はそんなに考えたこともなかったんですけど、
このところ「学校で留学生に接してる分には何も感じないけど、町を歩いてて外国人だらけだといい加減にしろと苛立つ」これが結構激しく心の中に渦巻いていて。

Vtuberって言うのは日本的なアイドルの文脈から登場していると思うんで、アイドル(偶像崇拝)に関心のある思春期を送ったか送ってないかで、楽しめるかどうか決まる気がしますねえ。
長らく続いたアニメや漫画、ゲーム文化も、どうみても凋落の一途を辿っているようにしか見えないんで、そのかわりになるものをみんな探していたんでしょうなあ。
韓国の芸能のように、完璧なパフォーマンスを見せられるまで外に出さない文化と、日本のように判官贔屓、弱いものがだんだん強くなっていくことに魅力に感じる文化と、色々あるなあと思います。
2025/09/29

東浩紀ってアニメの「フラクタル」で揉めてたなあという印象と、なんかネットで色々頑張ってるという2つの印象しかなかったんですけど、インタビュー見ると共感できる部分も結構あった。
年齢的には2、3歳ずれてるけど当時のアカデミズムの閉塞的な感じとか、なんかわかる。わかるって言っていいのかわからないけれど。
モラトリアムの感じも。
前編の最後の方でちょろっと経営の話になり、「共同経営者が現れて、経営は私がやるからあなたは売上のことだけ考えてくれればいい」みたいな話があって、ああわたくしが心から求めているのはそういうことなのだと。

わたくしTwitterをやってて不思議だったのが、一言もオタクをバカにするようなことを言った覚えはないにもかかわらず、ごくごくまれに「お前はオタクをバカにしている」って言われるんですよね。
何度か「オタクが嫌いなんじゃなくてお前が嫌いだと言っている。いやなら直せ。」という内容の漫画を描いた。
ネットではなく現実の体験として。
でも彼彼女はいつも「自分がオタクだから嫌なんでしょ?」という。
話通じないなあということで、いつももういいやとなった。
何をして欲しかったんだろう。
わたくしにも彼彼女らの中の「オタク」になって、そのくくりの中で仲良くしていきたかったんだろうか。
わたくしの仲間意識が薄いのがいやだったんだろうか。
単に偉そうだったんだろうか。
彼彼女の中ではわたくしは自由すぎ、勝手過ぎたんだろうか。
あんまり考えたことはなかった。
それはわたくしにとってあまり大事なことではなかったから。
わたくしにとって人間関係とは主に「僕と君」を指す言葉で、主語が広がるにつれてよくわからなくなった。

知識…知ってるか知らないかで優劣を競うのは、楽しい。
クイズでもオタク話でも、えらく詳しい人が一人いると、その話を聞くのは楽しい。
楽しくないときもある。
あからさまに人を下に見ている(誤解であっても)のは楽しくない。
いや、「そういうキャラ」の人間の場合は全然許せる。
ああ、最終的には人柄とは何で、コミュニケーションとは何かという話になる。
だって、「知識マウントやめようぜ」と言ったところで、わたくしにできるのは「言わない」ということであって、「あ、この人バカかも」と思うのをやめることは多分無理だもの。
そしてそんな当たり前のことわざわざ言いたくない
という本音も、マウントに敏感なルサンチマンからは「当たり前」「わざわざ」にマウントを感じてそれで頭がいっぱいになるわけで、
またこれも、自分とは、自我とはという話になる。
ずうっとわたくしは同じことを言っている。
その辺が青春モノクロームの大きなテーマでもある。

教育はすでに崩壊した…と現場にいて感じていますが、
全体的に人間の質が下がっている、なんてことは絶対にない。
科学的な証拠はないけど、実感として。
わたくしの学生時代に比べて、教育の質も、また学生の倫理観も甚だしく向上している、またはさして変わっていない。
とてもじゃないけれど、自分の時代のがよかったとは思えない。
そうではなく、全体的に向上した分だけ、こぼれ落ちた人間を復旧する手段がないということだと思う。
できない人間をできるようにするのが教育なのか、
できなくても大丈夫と励ますのが教育なのか、
じゃ好きにしろと切断して他の生徒に被害が及ばないようにするのが教育なのか、
どう思います?
わたくしはわからない。
わたくしは上の3つとも個人個人で行ってきたが、正解か不正解かもわからない。
10年後、「先生のおかげで学校では無理だったけどなんとかなった!」という連絡がもらえればわたくしは救われるが、
そんなケースはほぼない。

共通の思い出、共通の常識(常識はもともと共通のものだろうけど)が消滅し、小さなコミュニティの中で独自に通用する言葉だけでコミュニケーションをする。
これが「スラング」だとして、
そうは言ってもそれは「TPOで使い分けるが前提」がわたくしの常識でもある。
改めて考えると、わたくしに送られるメッセージのうち、99%はわたくしなどよりずっと優しく丁寧だ(言葉遣いの問題ではなく)。突然わたくしをお前と言ったり、草なんて言葉を使うユーザは数年に一度の希少種である。
わたくしはそれらを、「悪意」であると認識してきた。
なぜなら「お前」とメッセージを送ってきた時点でまともに読んでもらう気がないと解釈するからだ。
つまりコミュニケーションする気がない、と。
でもそうでなく、彼彼女が本気で「無言の帰宅」が存在しない世界だけで生きているとすれば、悪意はなくわたくしの誤解なのかもしれない。
そんな生き方できるんだろうか。
できる。自分の好きなものにしか触れない生活は現代では可能だ。
だが一歩外に出ると外国並に話が通じ合わない自分に辟易とする。
引きこもりが増えるのも仕方ないと思っています。
わたくしもほぼ引きこもりのようなものだし、だから企業戦士が抱えるようなストレスはあまり感じていないような気がする。

昨日教え子と話している時に、
「昨日、夫が無言の帰宅をしました。」
という文章に対して
「よかったですね!」というコメントが結構な数あって炎上している。
という話を聞いた。
・「無言の帰宅」が「死」を意味することがわかってない。
・わかってて嫌味的に言っている。
どちらにしてもわたくしは「そんなバカが存在するのいやだあ」と喫茶店で叫んでしまった。
気のおけない人と喫茶店で話してる分には、何も言葉を選ばないのでそういうこともよく言う。
しかしよく考えると、わたくしは「無言の帰宅=死」をどこかで学んだだろうか。いや、習った覚えはない。
主にニュース番組を見ている間に、ニュアンスとして学習したに過ぎない。
レスバトルの中に「俺は2000冊ラノベを読んだがそんな言葉知らねえ」という発言があったらしい(うろおぼえ)。
ということは、ラノベを全く読まないわたくしは、ラノベで多用される言葉も全く知らない。もし彼がラノベでは常識の単語を使ってわたくしに話しかけた場合、わたくしはとんちんかんな回答をするだろう。
そして彼は「こいつバカだ」と嗤うかもしれない。

長文の自分語り、確かに拝読しました。
わたくしもだいぶあなたに対する印象は変わりました。手がかりがなさすぎたので、わたくしの中で、今までの経験と照らし合わせて勝手に大きく歪んでいたのかもしれません。失礼しました。
たいていわたくしが思っていることを書いてしまうと、ブロックやミュートで全てなかったことになってしまうので、そういう方向に進まなくてよかったとは一安心しています。
2025/09/28

本日は夜まで休憩です。
2025/09/27

数人規模の同窓会の出欠なんて、直接電話して断らなきゃいけない昔と違って、いまじゃリンクをクリックして「欠席」をチェックして送信ボタンを押すだけなんだけどさ。
かえってその行動が人間味がなさすぎるように感じて、一週間経つ今となってもなんだか返答できないという、なんかこう、ね。

実際にサイトのアクセス統計を提出して、「我が社のサイトは全世界からこんなにもアクセスがあるのかね!すばらしい」と実績資料に掲載して営業に使用してしまった人がわたくしの近くにもいる。
わたくしはそのプレゼンに同席しながら、「いやそれアクセスじゃなくて攻撃…」と言いたかったが、言ったら終わりなので言えずに、うんうん悩むことになる。非常にストレスがたまる。
令和になっても何も変わっていない。
ITが世界を変えたのは手段であって意識ではない。
意識を根っこから変えるには、どうしてもそれまでの自分を全否定するような深い知識や経験が必要になる。そして深い知識や経験を得ると、今度は恐ろしくて行動できなくなる。
わたくしは20年以上このジレンマに苦しんでおり、
だから「俺作る人。作った。あとはしらん。」という立場に立ちたかった。が、中途半端に知っているとすっとぼけていることもできない。
聞かれてもない実態を話してしまう。
これでは儲かるはずがない。自分でもよくわかっている。
社会経験が薄いということはそういうことだ。
他山の石としていただきたい。
(ITニュース口調)
なんだこの文章くっだらねえ!と書きながら思いました。

自動化に必要なのは、「仮にその自動化されたツールがなんらかの障害でダウンした場合の危機対応マニュアル」でもある。
わたくしは「うっかり1クリックしてしまった」ことで、取り返しのつかない広範囲な被害が発生することをよく知っている。
知っているがゆえに、歯切れも悪いし「これはこうです」と言いづらい。だからお金に全然ならない。基本的に、なにか起きてしまった場合、責任を取ることは不可能に近いからだ。
セキュリティ業務で自信をもって報酬を受け取れるのは、自分が世界トップクラスのエンジニアであると自負できる人間だけの気がする。
そしてそんな優秀な人材は守るより攻撃側に回った方が確実に金持ちになれる。そういうジレンマがある。
99.9%のITは「なにか起きてから考えようぜ!リスクリスク言ってたら何もできないだろ!」という根性論でできている。
そして「なにか起きた」場合に全ての責任をかぶせられ、トカゲの尻尾のように切られるのは末端の作業者である。わたくしがそうであるように。

アクセスを増やそう!みたいなろくでもない記事はたくさん見るが、目に見えづらい世界で暗躍し、サイトを探索・攻撃し続けているbot(自動化ツール)の話題は少ない。
目に見えづらいからだ。
自社のサイトがどんな攻撃に晒されているのか、可視化してやれば気持ち悪すぎてお金出してくれるんだろうと思ったんだけれど、ITになど基本的に興味のない社長さんたちは、そのアクセスリストすら「アクセスが増えてるってことじゃないの?」と喜ぶ始末で、
「数字が増える」ということに対し異常な執着を見せるこの世界は、やはり狂っているんではないかとわたくしには思える。
というわけでわたくしは自分のサイトを人柱にして、日夜怪しい動きをするログを見続けている。

今でもそんな感じかもしれませんね。
なんでも丸くおさまるよう、面倒事を避けて生きていますが、
時々いやなものはやっぱりいやだよ、とぼそっと語りたくなります。
2025/09/26

小林亜星「夜が来る」。
なんかわかんないけど大人な感じがする!と大学生のわたくしは思ったわけです。
もうね、とにかく子どもっぽいのがすごく嫌だった時があって。それ自体がまた子どもっぽいことに自分では気づいてなかったんですが。
はやく大人になりたかったですねえ。
奥崎もよく「君は大人になりたい大きな子供」と言っていました。
「できない」って言うことも、適当に周りとうまくやっていくことも、違うと直感したことにYESというのも、何もかもいやでした。

ムロイがハマってて一緒に見始めたのがNIGHT HEAD、今見てももっかい見たくなるけど劇場版は配信してないんですよね。
飯田譲治が90年代に出てきた衝撃は大きかったですねえ。
ああ、久しぶりに好きなものの話ばかり書いたので楽しくなってきました。

1994年、同じ美学専攻のまいちんと映画の話をするにあたって、「この場面が好き」ということで意見が合致したのが、カラックス三部作の「汚れた血」の中で、ドニ=ラヴァンがフランスの下町を疾走する、あの有名なシーンです。
そこだけ切り取った動画がありました。
ラストシーンもありました。
映画の中の青春というと、わたくしはドニ=ラヴァンとジュリエット=ビノシュからスタートしております。
当時「汚れた血」は「よごれた」か「けがれた」かで、一晩中まいちんとああでもなくこうでもなく、と話し合った気がします。
今ならネットで原題のフランス語でも検索すれば一発でわかるんですけど。答え探すより一晩中話す方が楽しいじゃないですか。ねえ。

トリュフォー・ゴダール・ドゥミの流れを継承した(と書いてあるけどそうかなあ)クロード=ミレール監督の映画はフランス映画の中ではずいぶんわかりやすいし、いかにもフランスっぽいところもあっていいんじゃないですか。
わたくしシャルロット=ゲンズブールも好きですが、ロマーヌ=ボーランジェみたいな顔も大好きです。
ゲンズブール家族についてはもう調べれば調べるだけフランス人のいいとこも悪いとこも全部出てくるんで、憧れではありましたね。平たい顔族のわたくしたちにとっては。

わたくし現在の行き過ぎたポリコレの流れを「アホか!」と内心激怒しておりますんで、ゲームに出てくる女の子が微妙にかわいくないのは全然イヤです。なんでゲームやらなくなりました。
人種差別の話と、指輪物語のエルフをムキムキの黒人が演じるのは全然違う話です。
わたくしが近年エンタメを忌避しているのは、エンタメに思想や政治が過度に介入しているためです。
かわりに陰惨で残酷で暴力的な表現は一層派手になってますよね。
おなかいっぱいです。
もっとこう、小粋で洒脱なもの作れないのか。作れないだろうなあ。ウケそうにないから。

ポール・モーリアとかリチャード・クレイダーマンってイージーリスリングの王道で、わたくしはクラシックの対極にあるナンパな音楽として当時はあまり好きではなかった。
当時たってこの「恋は水色(1967)」とかは生まれる前ですけど。
でもこう、フランス人にフランス語で歌わせるとなんでもいい曲になるんですよね。なんでかね。
一般にフランス語は世界で最も美しい響きの言語、対してドイツ語は最も汚い響きの言語と言われますが、それ言ったの誰なんですかね。なんかフランス人のような気がしてなりません。
フランス語の発音はできる気がしない。津軽弁と同じく、日本人に発音できない音韻を含んでますからな。
ヴィッキーもそうだしフランス・ギャルとか、60年代のフレンチ・ロリータはみなそうですけど、こう、なんか眠たいとろんとした顔してんですよね。だからちょっと小悪魔的に見えるんでしょう。
シャルロット・ゲンズブールもそうだ。

わたくし長塚京三が好きなんで、94年のサントリーオールド「恋は、遠い日の花火ではない」のCMがかっこよくて好きでねえ。
憧れました。大学一年の頃ですね。
このBGMがまた名曲だと思うんですよ。
小林亜星の作った曲ですね。
CMは金のある時代に作られたものが抜群に面白いよね。
CMに限らず、文化についてはそういうものかもしれない。
貧乏になってくるとイメージCMより、直接的に対費用効果の高い内容の広告ばっかりになって、まあ面白くはない。

なんかえらいちっさいなと思って調べたらトム☆キャットって140cmなんだ。そりゃあだいぶちいさいなあ。

たまたま一回聴こえてきただけの音楽を何十年経っても寸分違わず覚えている、というようなことがある。多分誰にでもあると思う。
テレビっ子ではないわたくしの場合、曲名は後年判明することが多く、インストゥルメンタルだとそのまま永久に判明せずに、今も頭の中だけにある音楽もある。
どの辺からそういう、一回聴こえてきただけの曲を完全記憶という現象が始まったか遡っていると、どうも最初はこの、同世代なら誰でも知っているトム☆キャット「ふられ気分でROCK’N ROLL」からではないかと思われる。
きっとわたくしの能力ではなく、音楽の力なんだろう。
1983年、小学校2年。
売れる曲って聞いた瞬間売れるってわかりますよね。なんか。
それがクラシックであろうがJPOPであろうがアニソンであろうが、名曲とよばれる曲は人類共通のなんかがあるんだろうと思います。
個人的な好き嫌いは別にしてね。

ああくたびれた。もう動けない。

さて前期最後の授業に行ってきます。
気分的コントロールは間に合いました。
超元気です。よかった。

大人になった今では、天気の話とかそういう一見退屈に見えた会話が、実はコミュニケーション上強い意味をもつことを理解しているので、逆に「話が合う人とだけ濃いオタク話をしたい!」みたいな学生の話を聞くと、なんだこのお子様め、と思ってしまいますけどもね。

大学まではなんかこう、面白みがないというか、いわく悪い意味でちゃんとした大人しか周りにいなくて息が詰まりそうだったんですが、
上京して専門学校に行ってからは、先生といえども結構めちゃくちゃで、あ、こんなんで許されるんだ、と肩の荷が降りた感がありました。
そういうわけで専門学校はわたくしの肌にはあっていたと言えますね。
2025/09/25

学生の頃は派手で斜に構えた態度が格好いいと内心思っていましたんで、真面目で地味な人をおもしろくねえなあ!と断罪しがちだったんですが、時間が過ぎ去ってみるとほんとにわたくしのような、形だけにこだわって見栄を張る、実質が感じられない生き方を、激しく後悔はしています。
何をしても後悔ばかりではあります。
しかしそれでも何かしら自分にできることを探し続けるしかなく、ああ、これもやっぱりわたくしの人生をサボったツケなのです。

2000年くらいによく見てた、みのもんたが司会の「愛の貧乏脱出大作戦」という番組があって。
色々理由があって(主に人間性)飲食店の経営に失敗した中年を、成功してる側の人間が愛ある厳しさで叩き直すという内容だったと思うんですが、
この先の修行を続けられるかどうかの一次試験みたいな回の時に、言われたレシピじゃなくて勝手にオリジナリティを加えた中年が落第して号泣してた場面を覚えてましてね。
若者だったわたくしは、そりゃそうだろバカだなと思ったんですが、今同じ立場に自分が立ったら、果たして自分が教わる立場だったとしても、謙虚に我を出さずに言われた通りのことをできるだろうか。
なんかできない気がする。
どこかで自分のやってきた失敗を個性だと履き違えて実行してしまう気がする。
そんなことを考えていた。

実際に自分が世界に必要とされているかされていないかはともかく、「必要とされていない」という強い負の気分はきついよね。

今月もほぼ収入なく終わりそうで、考えるな考えるなと別のことを考えようとしているんですけども、どうにもうまくいかず、一旦一つのことに囚われると、振り払うにも気力がいるなあ、なんて他人事のように考えておるわけです。

あ、ほんとだ。いつの間にやらプロフィールのページ消えてましたね。
教えていただいてありがとうございます。
多分どっかで間違ってゴミ箱に捨てちゃったんだな。

別にわたくしの顔色なんて伺わなくたって、いいところがあれば勝手に仲良くなりますし、いやなところがあれば勝手に決裂します。
裏を読んで変に工作してもねえ、しばらく一緒にいたらわかりますよ。
大体。
だから愛着障害ってものすごい厄介でね。
愛着障害っていうのは、とにかく人が離れていく、見放されることに対して強い恐怖をいだく性格のことです。
病気とは言いたくないねえ。
まあそのへんをネットで調べちゃうと何がなんでも全部親のせいになっちゃいますけど、事実がそうだとして、今わたくしが対面してる相手は親じゃなくてあなた自身ですからな。
そういう理屈では一切解決しないから厄介なわけです。ええ。

いやあネットで政治とか思想強めの話はあんまりしたくないなあ。
わたくしの知人にも、国を憂いて語る真面目な人もおるんですが、およそ9割は「んじゃ小さいことでいいからまずお前がなんかやれ」って言いたくなるタイプの、他に語れることがない人の話題なんですよね。
だったら面白いマンガの話いっぱいしてくれる人のがいいです。
話題なんてなんだっていいんですけど、なんかどうも、わたくしが黙ってることを「こいつは何も知らないんだ」と勘違いしやすい人っているでしょう?
いません?
いないならそれは幸せな環境だと思います。
恋愛の話はいいですよ、とても。
相手がどんな人間であっても話そうと思えば話せる話題ですからな。
2025/09/24

結構誤解されるんだけど、愛煙家でも人から流れてくる煙は不快だと感じる場合が多いんですよ。わたくしもそうです。自分も吸ってるんで言えないだけでね。
銘柄や種類がちょっとでも違うと吸えなかったりするしね。
だから基本、人とは交換しない。
わたくしは愛煙家というよりも、タバコ自体に思い出が降り積もっていてやめられなかった、というタイプです。
先輩とのつながりが切れてしまう気がしてさ。

わたくしとしては、今はルノアールと上島珈琲くらいしか選択肢がない、「加熱式のみOK」という喫茶店または飲み屋が増えるといいなあと思っておりまして。
ニコチンは確かに入ってるんだけど、ヤニが発生するわけじゃないので自分自身の服にニオイが染み付くということはない気がする。
ただ、狭いところで何十人も吸ってればそりゃあ服にもつくかもしれないけど。
そんなことも言いづらいんで、こそっと書いてみた。
わたくしは授業に行く時はそもそも持っていかないし、吸わなくても平気っちゃあ平気なんですけど、
・自宅で仕事する時や絵を描く時
・人と酒やコーヒーを飲んで長時間話す時
だけは席で吸えるところがあるといいなと思っている。
あ、そうそう、個人的に一番気にいってるのは、「火事になる心配がない」ということかしら。あっためてるだけで燃えてないからね。
紙巻きの時は吸い殻や灰を捨てる時に、種火がまだ残ってたりして、一日置いてからじゃないと怖くてゴミ袋に入れられなかった。
あれ雑な性格の人だと適当にまとめて捨てちゃうから、すぐ火事になるだろうと思う。こわいこわい。

しかしいつの世の中も、叩いていい対象を考えなしにめちゃくちゃに叩いた後は、少しづつ冷静さを取り戻すもので、逆にめちゃくちゃに叩いていた側の心象は悪い。
「そこまで言わんでもマナーさえ守ってくれれば」という感じもする。
従来のタバコはこれはもう、言い逃れができないレベルで周囲に強い害がある。そしてそれをわかっていながら、依存によってやめられない人間を軽蔑するという流れになっている。
タバコの葉が燃えて発生する煙は焚き火と同じことで、空気より軽いのと、分子が小さいゆえに上に昇ってあらゆる隙間に入りこみ、ヤニとなって付着する。
加熱式の場合はヒーターであっためると、タバコの中のグリセリンが蒸発して水蒸気が発生し、それを吸って吐く。水蒸気の分子は空気よりも重いため、上に向かって拡散せず、近距離で消滅する。
焚き火をたいているのと、喘息の吸入器を吸っているような違いがある。見た目は同じでもね。
ただタバコとは違う、強く甘いような何とも言えないニオイが発生するので、加熱式オンリーの狭い喫煙室にいくと、「煙たくはない(空気は淀んでない)が独特のニオイがする」となる。このニオイは他の何かに例えられないニオイなので、敏感な人はいやだし、だからご飯を食べる場所では全面禁煙でいいと思う。

従来の紙巻きタバコ、加熱式タバコ、電子タバコの違いについてはあまりにも周知とか情報発信が少ない気がするんですが、
そもそもよく喫茶店にアイコスなんかを売りにきてたJTの販売の子に訊いても、まだ加熱式は登場したばかりで、データがなくてよくわかってない、と言っていた。
だからはっきりこう、とは言えないのだろうと思う。
わたくしはgloという加熱式タバコを1日に1~2箱吸っているが、従来のタバコと比べると、体への負担は明らかに少ない。
そのかわり吸ってる気もしないので、「タバコのかわりに」とは思えないだろう。
ただ、味ではなく吸っている姿がタバコと全く同じである以上(口から吐いているのも、煙と水蒸気という大きな違いはあるんだが)、タバコが世界から消滅して欲しいと思っている強力な嫌煙家には何を説明しても聞いてはもらえない気がする。

昨日の歯をピンク色にするやつ(カラーテスター)って、その後ドラッグストアで買えるって情報ももらいましたよ。
味ね、なんかちょっと甘くなかったっけ。
でもこう、美味しい方の甘さじゃなくて、幼児用の、風邪の飲み薬+シロップみたいな、なんか気持ち悪い味だった気がします。
美味しかったらきんたまが大騒ぎしそうなんですけど、それは覚えてないなあ。

わたくしは本やマンガの方が映画やアニメよりどちらかと言えば好きです。
もちろん、どちらかと言えばという話で漫画が絶対でアニメは駄目とか、そんな話をしてるわけじゃないです。
わたくし単純に、マンガを読みながらものを考えることはできますが、映画やアニメやあるいは無数の動画を見る時、「感じる」ことはできても、ものを考えることはできません。
これはわたくしの頭の回転がシングルタスクで、一度時間の流れをとめないと考えがまとまらないせいだと思います。

早朝からがんばったおかげでなんとかプログラムが動きました。
あ、個人事業主(フリーランス)は労働基準法の適用外、つまり人間ではないので、誰かに文句言ったところで何も解決しません。
人間として生きていきたいのであれば、フリーランスなど選択しない方がいいのでは、と思います。

そもそもTwitterはSNSではない、とドーシーは名言していましたから、いつの間にやらSNSの代表格みたいな扱いになってしまってそりゃあイヤだったろうなあとは思います。
結論としては、「ルールを作れば作るほどネットは儲からん」という、現実と同じ世界であることにユーザレベルでさえも気づいてしまい、「現実とは一線引かれてるからこそいいんだ」と思っていたわたくしたちのような旧世代は置いていかれた、という現状かと思います。
現実世界では、資本の集まるところはみなグレーゾーンで出来てますから、わたくしはそれをネットに持ち込まれるのがすごくイヤだったというところもあります。
というわけで90年代後半の香りを残した、「わたくしが管理者である」というアイデンティティを取り戻そうとして個人サイトへ回帰した、というのがわたくしの現状です。

バズるシステムは読書感想文褒められシステムでもありますし、もっとドラスティックに言えば、「2chのまとめサイトをそうとは知らずに全員で運営している」に近いと思います。
Twitterみたいなサービスは、元々収益モデルを考えてなくて、そこらの若者が思いつきで「ブログとか長くて書くのめんどいから一言書くだけの手軽な承認欲求満足システムを」と作ったものを、ちょうど2chが管理者問題で5chになり廃れていったタイミングでユーザが乗り換えたという経緯もあります。
常に赤字を垂れ流し続けていたTwitterをイーロン・マスクがXに変えて、もっとめちゃくちゃな方がめちゃくちゃなので儲かるという方針にしたわけですね。
かつてTwitterを作った若者ジャック・ドーシーは、「企業の参戦を許したのは失敗だった」と言って、中央集権ではないシステムを目指してブルースカイを作りましたが、ユーザにとっては平和かどうかよりも、自分がバズるかどうかの方が重要ですんで、ユーザー母数の大きいTwitterには結局勝ててないといったところです。

2000年以降でもカラーテスターでチェックするのはやってたというメッセージもいただいたので、今でもやってるのかもしれませんね。
一昨年、35年ぶりに歯医者行った時、ピンクのう蝕感知液で虫歯部分を染めてるところを写真撮って説明された(すごい丁寧に説明してくれるんだなと思った)んで、虫歯チェックかと勘違いしてた。
手鏡もってきて自分で塗った、という方もいらっしゃいますし、色々です。
そういや手鏡を持っていったこともあったかもしれない。
祖母ちよの昭和初期の鏡をもってって笑われた記憶がかすかにある。

今日は排水溝を中心にキッチンにハイターをかけたんで、割と清々しい気分でしたが、やらなきゃいけない仕事がやはり1mmも進んでおらず、とっくに貯蓄には赤信号灯っているのに、なぜかこう、だめだ。
絵だったらなんぼでも描けるのにな。

処理するのが面倒で、頭も内蔵も落としてあるサンマを買ってきて食べたんですけど、悲しいほど縮んで食べた気がしなかった。
サンマ豊漁じゃなかったっけ。
2尾で500円だから結構高いよなあ。新サンマって100円くらいでしょ。
2025/09/23

あーあの小学生の時の歯がピンクになるやつ、カラーテスターって名前なんですね。検索したら一発ででました。
わたくし歯医者って小学生の時一回いって、一昨年まで35年くらい一度も行きませんでしたから、歯について無知も無知でした。
歯並びはガッタガタですけど虫歯にはならなかったんですよねえ。
体質とかあるんでしょうか、不思議な話です。
わたくしは人間が絡まないとほとんど何も記憶できないんで、「昭和の思い出」を思い出そうとしても、意外と出てこなかったりします。

いやあ、美術的な絵じゃなくて萌え絵を描き始めた頃に、アニメに詳しい人に見せたら「80年代か!」って笑われたのが今でも残ってましてねえ。
傷ついてるわけでもないんですけど、自分では今のアニメの今の絵柄を真似したつもりだったんで、これだと80年代に見えるのか!って思ったことがあって。

人間が病気で死ぬ闘病生活のvlogよりも、ペットの犬猫が死んじゃう動画のがよほど見ててかなしいので見たくないです。

特に絵とかそういう、なくても困らないものを生業にしようとしてる人は、名前が売れるまで、イヤでも下のようなことをしなくちゃいけないわけで、そんな形だけのコミュニケーション、わたくしが嫌った高校のクラスと同じです。
わたくしが学級会と呼んでいるのは、そういうことですね。
これでどうしてこんな面倒な方法でわたくしがコミュニケーションをとろうとしているのか、ご理解いただけましたでしょうか。
それでもやめないのは、
・自分で始めたことを自分でやめるのが嫌い
・孤立して透明人間みたいになってるアカウントでも、毎度いいねを押してわたくしに存在を知らせてくれる誰かがいる限りはやめたくない。
そういう理由です。
わたくしが欲しいのはファンではなく(いや、そりゃあファンが増えれば嬉しいですけどもね)、それよりも対等な関係のコミュニケーションです。それにはある程度長い期間、飽きずにただ見ててもらう必要があります。
じゃないとわたくしの人間としての情緒がおかしくなります。

SNSでは本当に絵の上手な神絵師と呼ばれる人もたくさんいますが、へたくそでも「いい人かつネット内コミュ強」になればいくらでもいいねを量産できます。インプレッション(表示回数)が増えますから。
特にTwitterは絵なんか誰も求めてないんですよ。
もうメインユーザが善人オタクじゃないんだから。
それが何につながるか。
X社はそうやってどんどんバズと拡散を増やし、タイムラインに表示される広告を表示させるのが営利的な目的なわけです。
だからXが喜びそうなことをすればするほどバズりやすくなります。
こんな程度のゴミ知識が情報商材として1~3万とかで売ってんですよ。
本当にリテラシーの低い相手の商売……口悪く言うとバカ(情弱)を騙す商売は大嫌いです。
こんなもんいっくらでもただで教えてあげます。
わたくしは何も損しないんで。得もしないけど。

改めて説明しますと、SNSは交流しないと伸びない仕組みになってますので、わたくしのTwitterは孤立アカウント扱いです。どんな絵を描いても絶対バズりません。
バズるとすれば、強力なインフルエンサーがリツイートした時のみです。
ということは、逆に言うとフレンドリーな態度ほど「フォロアー増」「バズる」「収益化」の目的があると受け取られます。絵描きなど、目的がはっきりしているアカウントが異常なほどフレンドリーに接してくるのは大体それが目的です。
別に悪いことじゃあないんです。
でもなんかそんなのイヤじゃないですか?現実的すぎて。
知ってしまうと見てみぬふりはできない。
絵描きにいいねが押されても、「あ、この人自分のアカウントを強くするのが目的なんだ」って思ったら急速に冷めてしまいました。
それが10年くらい前です。
前のアカウントは普通に交流してたので、しょっちゅうバズっていましたよ。いくらくらい反応があればバズるなのかわかりませんが、わたくしは一応5000から1万以上のいいねという風に当時はカウントしていました。
だから、アルゴリズムから孤立した現在のわたくしの状態で、10とか20のいいねがつくのは、個人的には奇跡だと思っています。表面上、一切誰とも仲良くしてませんからね。
わたくしね、こういうゲーム攻略みたいなことすごく嫌いなんです。
こうすればバズる、こうすれば人気になる、みたいな。


わたくしはおコメだけは実家から送ってもらえるんで、よく食べますが、パンに比べると面倒っちゃ面倒ですよね。ムシもわくし。
家内ちゃんはあんまりおコメ食べないです。
嫌いなんじゃなくて、炊きたてじゃないと食べないので、自分専用の小さな炊飯器を持っています。
パンは超熟6枚切しか食べないし、パスタはなんとかっていう特定のブランドしか食べないし、毎日たいへんです。
でも大学生の頃から、同居してる妹のご飯を作るのもわたくしでしたし、奥崎の弁当を作るのもわたくしでしたし、一人だと食べるのも面倒でふりかけでいいかってなりますが、誰かいると作りますね。

わたくしも学生の頃は東京暮らしは無理だと思ってましたし、すでに四半世紀が経過した今も全然東京らしいところ行ったことないです。
でもわたくしのようなデザイン業広告業とかはやっぱり東京に集中していたんで、あのまま京都や三重にいたらいきなりフリーランスで食ってくのは無理だったかもしれません。
高尾や青梅、奥多摩まで行くと気持ちは楽ですけどね。
あ、でも車も自転車もなくても暮らしていけるのはやっぱり便利だなと思ったりします。自転車すらとめるところないのもどうかと思いますが。
そういや岐阜や長野の山奥に、外国人観光客が大挙して押し寄せているという話をその辺の住人から聞きました。
伊賀も相当インバウンドが多いらしいですね。
忍者好きそうだもんな。

結構くだものの熟し具合については家内ちゃんと同じ、あんまり熟れすぎてない、若くて青い方が好きって人多いですよね。
統計とったらどっちのが多いのかな。
みなさんいかがでしょうか。
例えばバナナは2日くらいで黒いところができてくると思うんですけど、食べれませんか?わたくしは全然好きです。
特にキウイかな、キウイのすっぱさはあんまり好きじゃなくて、ぐずぐずになるくらい熟れてる方が好きかもしれません。
いちじくも元々そう甘い果物でもないんで、ぐずぐずの方が好きかも。
歯ごたえがある方がいいなと思うのは、リンゴとか梨です。
2025/09/22

コメってどれくらい消費しますか。
こないだ初めてコメを買ったんだけど、新米が届くまでのつなぎに3kg買おうか5kg買おうか迷いましてねえ。
5kgのを買ったんですが、家内ちゃんと二人だと1ヶ月は余裕で持ちますな。月に10kg買わなきゃいけないとなると家計も苦しいよなあと思って。

「最強ちゃん」って知ってます?
マンションをゴミ屋敷にして何万匹もゴキブリを発生させ、それを配信して金を稼いでた人です。わたくしは動画は見たことないです。
近隣住民に訴えられてニュースになっています。
で、最初にゴミ屋敷化した理由が「虐待といじめによる精神病」です。
いわゆる無敵状態というやつです。
わたくしは裁判記録だけ追っている。
これどんどん模倣犯が増えて深刻な社会問題になっていくと思う。老人のゴミ屋敷問題とは本質が異なる。
汚くすればするほど動画が伸びて収益が増える。
ここがこの問題の本質です。
近隣住民の実害は文章で読むだけで絶望します。
直接的にではなく間接的に迷惑をかける迷惑系の新バージョンです。
だからわたくしは去年あたりから、自分が精神的な疾患を抱えていることをSNSやネットではあまり大きく言わない方がいい、病気を自分のキャラ付けには使わない方がいい(自覚・無自覚ともに)と繰り返して言ってきました。
そんなのと一緒にされたらいやでしょ。

そういえば去年は異常な数のコバエが発生して、隣で誰か死んでんじゃないかと疑われるレベルだったんですが、隣の女子大生が引っ越していったらいなくなったんで、生ゴミをベランダにでも置いてたのかもしれない。
今年はコバエホイホイ(高い)をしこたま買い込み、三角コーナーの生ゴミは水がきれたら即座に袋に入れて冷凍庫に詰め、排水溝は3日にいっぺん全部取り外して掃除し…を徹底した結果、3ヶ月に2匹を見つけたにとどまった。
コバエホイホイは無駄になってしまった。
そして家事が増えてつかれた。
バランスがよい状態とはとてもむつかしいものだ。
家内ちゃんにも協力を要請したが、コバエがぶんぶん飛んでてもあまり気にならないらしい。
わたくしは気になる。
精神が摩耗するほど気になる。
というわけで夫がやることになる。

最終的にわたくしは、51歳の今になっても自分の得意なものを見つけられず、あっちこっちちょっぴり聞きかじっては、専門家にはなれずにふらふらしておる。
だから何者にもなれなかった人の気持ちはよくわかりますよ。
何者かになりたいという気持ちもどっかに消えてしまいましたけど。
同級生の友人たちと話をしていると、わたくしはそれほど大きなしがらみももたずに、まあ多少嫌なことがあっても適当に回避して「家事優先」でやってこれたようで、そういう意味では幸せな人生だったと思ってはいます。
また短いスパンで憂鬱の虫がわいてくるので、その前に普通のこと書いておこうかなと思ったんですが、
AIの吐き出す修正案が馬鹿すぎて腹を立てておるので、さっき気分転換に家内ちゃん漫画などを書いておったところです。

受験レベル程度であれば、わたくしは特にものすごく苦手な教科はなかった気がするので、どちらかと言えば国公立向きだったかもしれませんね。
全体的な傾向としては文系科目のが成績はよかったですけど。
ただまあ、国語は全く勉強する必要がなかったんで(私大文系の人が大抵そうであるように)、その分の時間を物理とか世界史にあてていただけだと考えると、別にだからどうってわけでもなく。
中間考査とか期末考査の、範囲が決まっててテスト前にそれをノートで勉強する、なんてわたくしは馬鹿らしくて全然やる気がしませんでした。
今と同じです。仕事こそがんばらないといけないとわかっていながら、絵に膨大な時間をあててしまう。
勉強自体は嫌いじゃないと思います。
覚えることも考えることも、比較的好きな方じゃないかなあ。
ただこう、自分勝手に「わあばからしい」と思ってしまうと何ひとつ頭に入って来なくなるので、頭がいいか悪いかで言えば悪いような気はします。

webもそうなんですが、なんか専門的っぽくてようわからんという扱いだったものが、一般的な情報として「AIはコーディングやプログラミングに強くてなんでも答えてくれるらしい」という空気になると、「なんでもできる(自分ではよくわかんないけど)」になっちゃうんですよね。
わたくしはグレーゾーンも含めて、今年からバリバリに授業でAIを使っています。テレビをつければ番組が見れるのと同じで、AIに「サイト作って」って言えば作ってくれます。
が、それはやっぱりなんの意味ももたない「サイト」でしかないので、目的をもったサイトを制作するには、やっぱり専門的な知識や思考能力が必要だとは実感しています。
でも誰でも出来てる「気」にはなるんで、面倒なことになったなあと思っておる次第です。
そういう包括的な基礎知識を与える授業は必要だと思うんですけど、それすら「AIに聞けばいい」って考えちゃうでしょ。
わたくしが何か一つのことを学習する際に最も重要だと考えている、「自分は何がわからないのか」をAIのみで理解できる知能をもった人はいいんですが、大半の人はそんなことはないです。

どんどんwebの世界は高難易度+低価格が進み過ぎていて、やってられんなあというのが正直な愚痴です。
AIでやったらいいんじゃないの?ってすぐ言われるんですよね。
じゃーそっちでやれよというのはぐっと我慢しなきゃいけないとして、ところでAIの本質についてどこまであなたは勉強してんです?って話に結局なるんです。
Yahooニュースなんかを見て、あーこういう使い方あるんだ、使ってみよ、なるほど便利、という一般利用レベルで「わかんないけどAIでできるんじゃないの?」って言われたらたまったもんじゃないですねえ。
2025/09/21

Twitterには投稿しても自分のタイムラインにも表示されないし、友人のタイムラインにも一回も表示されたことないらしいんで、もうちょっとやるだけ無駄かなあとも思っています。
描きすぎなのかもしれませんけどね。

運動でも勉強でも仕事でもなんでもそうですけど、一回やるとすぐできる人っていますよね。要領がいい人。
あれは嫉妬もあり、憧れもあります。
わたくしは納得したり腑に落ちない限り、何をやっても同じ失敗を繰り返すので。
「人の話聞けないやつ」なんて言い方をわたくしもよくしますが、あれには自分も含まれています。

家内ちゃんが料理が上手(というか絶対にオリジナル要素を加えず正確にレシピ通り作る)なのは、料理好きだからではなく、子どもの頃から偏食なので、自分の食べれるものを勝手に作って勝手に食べていたからです。
家内ちゃんが食べないものは作れないし、作る気もないので、何食べたい?と聞かれた時に、例えば「八宝菜」と答えても、では自ら作るがよい、となる。
わたくしは典型的な下手の横好きで、出来もしないのにやりたがり、全然うまくできてないが気にしない、という雑な感じです。

女子は知りませんが、高校生の男子にとっては、「ああふられちゃったつらいしにたい、○○ちゃーん」みたいな時に必要なのは、
お前は馬鹿なのか。
と目を覚ましてくれる人ではないかとわたくしは思っています。
わたくしの場合はノムラ先生でしたが。
慰めてやって何が変わるわけでもないんで。
女子はみんなで「かわいそかわいそ!」ってやるじゃないですか。
あれはあれで羨ましいなあとは思いました。
そこまでする関係でもない場合は、
距離を置くでしょう。
自分が寂しい人だと友達減るなあってわたくしはよく思いました。

昔2chのまとめで、ストーカーが生まれる瞬間のスレみたいなのあったでしょう。執着がとめられない人の。
あの執着する人は、金をキャバ嬢(だっけ?メイドだっけ?)につっこんだことが執着の引き金になっていた。
あれは愛情と金銭を等価値だと思い込む(思い込みたい)という、婚活の話を聞いてると大量に出てくるテンプレ的な考え方でした。
男は稼いでなんぼ!の旧来的な価値観と劣等感が生むやつです。
まー相手はたまったもんじゃありませんが、色恋営業には避けられん事態でもあるんで、わたくしには他人事です。
失恋による執着だと、逆にそういう恋愛=お金みたいなところを下に見てて、自分は絶対に純愛であると思い込む(思い込みたい)傾向が更に強く、もっと厄介です。これは学校ではよく起こります。
だから先生たるわたくしは相談されたところで、「お前はもう何もするな、何も言うな」しか言うことができないわけですよ。
これは男子側にも女子側にも言います。
匿名だろうがなんだろうが、一切何もするな、何も言うな、我慢しろと。
みなさんでしたらどう言います?
知ったこっちゃねえという態度をとるのも選択の一つですが。
自分が悪いと思ってないやつほど、しおらしいんですよ。
「自分が悪かったんですが」ってわたくしには言うんです。
まったくそんなこと思ってないのは他人から見るとバレバレなんですが。

なんかこう、小賢しいのはあんまり好きでないです。
どの道嘘ついて騙すんなら、わたくしが疑いないようがないくらい徹底してだまくらかして欲しいと思う方です。

どうなんでしょうね。
わたくしは、わたくしこういうのは好きでない、と明言した方が最初っから近づこうとも思わないかなあと思ってよく書くんですけど、
誰でも怒るようなバカにされかたをしない限り、ちょっとムッとしても次の日には全部忘れています。じゃないとやっとれんでしょ、人づきあいなんて。
「こいつは絶対許さん」っていますか。
わたくしも話を面白くしようと思って流れで言うことはあります。
けど本気で許せんということはなく。
圧倒的に今まで人から聞いた話の中で、「本気で許せん」に対する回答は肉親ですね。
両親または兄弟、親戚です。
あるいはわたくしの知り合いではいませんが、例えば身内を殺されたとか、飲酒運転の車に轢かれたとか、それは一生許せなくても仕方ない気がする。
わたくしも家内ちゃんを殺されたら、おそらく誰が何を言っても復讐すしそうな気もするし。
両親との確執は、先生をやっていると数え切れないほど聞きます。
そして自分から切断して離れることを選択しなかった場合、たいていわたくしなどの他人が癒やし、楽にしてあげることは不可能です。

最近のわたくしのNGワードは
「一定数」ですので、「そういう人は一定数いますね」みたいな言い方を連発すると、わたくしは気分がよろしくなくなります。
多分「一部のバカのせいで~」がやんわりした言い方に変化したんじゃないかと思いますが、だったらわたくしは「うるせえ黙れ」と怒ってる人のがまだ好きかな。
なんかいやらしい言い換えが好きじゃなくて。

これだけ流行ってから時間あけて読んだから大丈夫かなあと思ったんですが、だめなものはだめでしたねえ。
だからって例えばつげ義春が芸術的で最高だと思ってるわけでもないんですけどね。それはそれでどうなのとも思うし。
手塚治虫の漫画だったらどれが好きですか?
わたくしも全部が全部好きってわけでもないです。
鉄腕アトムとかりぼんの騎士とか、初期のものは全然読む気しません。
個人的には、打ち切りみたいな形で終わってはいますけど、「奇子」かなあ。内容は完全に大人向けですがね。
SNSは、もうこれ嫌いあれ嫌いって言うと面倒くさいので、好きなこと言っても怒り出さない、つまり「個人の好き嫌いは個人の好き嫌い」とちゃんとわけて考えられる人だけで、ありゃーだめだ、えーそうかしら、と喫茶店で話したいですなあ。
ってそんなこといつもやってますけど。

あ、そうだ。
1巻で挫折した「鬼滅の刃」をようやく最後まで一気に読みました。
「呪術廻戦」にも感じたんですけど、もう完全にわたくしたちはターゲットから外れているんだなあって思いだけが強く、ほぼ何一つ頭の中に残らなかった。両方アニメはもういいです。お腹いっぱい。
あえて感想を言うなら、「作者の吾峠先生はたぶん浅くつきあうならものすごくいい人」というどうしようもない感じに。
差別的な言い方をあえてすると、わたくしあんまり最近の女性作家の描く男性像が好きじゃないです。ブルーピリオドも全然好きじゃない。
わたくしはどうしても、登場人物の性別は男女どっちでもなんでもいいんですが、自分を投影できる人物がいない漫画は小難しい哲学書以上に読み進めることが困難です。
どんどん遠ざかった視点で読むようになってしまうので。

サイレントヒルFの発売が来週に迫ってきましたが…。
10年前なら即購入してるところですけど(家内ちゃんも好きなので)、今は買っても最後までできるかなあと怪しいところです。
ゲームはやっぱり100円いれて3分以内に死んじゃうのがいいな。
待ち合わせの時、30分早くついちゃって時間を潰すゲームセンターが欲しい。
2025/09/20

朝起きて夜寝るまでの基本動作、例えば起きて布団を直すとか、歯を磨くとか、皿を洗うとか、顔を洗うとか…そういうことをいちいち丁寧にやってみると、どこにも仕事も絵もネットもつっこむ時間はない。
本来生きているだけで一日は終わっていくのだと思う。
今のわたくしのように、「立とう」と思ってぱっと立ち上がれない人間にとってはなおのことそうだ。
米が炊きあがるのを待っている。
炊きあがったらすぐさま10個のタッパーに小分けして冷凍する。
その炊きあがる約50分の間、色々と考えたり、今これを書いたりしてみている。

鳥取県が開発したコメの品種に「プリンセスかおり」というものがあり、日本米(短粒種)とインドカレーで使われるバスマティライス(長粒種)のあいのこだそうだ。
気になっている。
先週、実家の新米が届いた。
わたくしはおかずも漬物も味噌汁もなしに、コメをコメだけで食べられる派です。みなさんはどうですか。
新米を送ってもらうたびに、本来は長男のわたくしが継がねばならなかったコメだと考えると、ちょっとうーんと思ったりします。

いてて。
2025/09/19

わたくしは性格的に不労所得が好きでないのと、そもそも給料で働いたことがバイト以外ほぼなくて、すべてわたくしが手を動かして作り出すものだけで生計を立ててきました。
場合によっては作っても0円になってしまう場合もありますが、それはそのうち何かの形で返ってくる(といいな)という性善説で生きております。
ただ、そんなわたくしの変な意固地さが現状を生んでおるので、多分マネーゲームは死ぬまで得意にはならないと思いますが、知人友人あるいは見ていただいているみなさんのの力を借りて、胸を張って創作活動をしていると言えるような展開を考えていこうとは思っています。
デザインやプログラミングも好きなんですが、やっぱり絵がいいなあって。ただし、じゃあ売れ筋美少女のエロマンガが努力で描けるようになるか、と考えると、わたくしにはそういう素養はない気がしています。

漫画を紹介し始めた時にもちょっと書きましたが、何度も説明しないとフェアじゃないのでもう一度書きますと、
わたくしがこのページで紹介してamazonにリンクを貼っている漫画は、amazonアソシエイトという紹介プログラムに入っています。
わたくしが貼ったリンクをクリックして漫画(や本)が購入されると、その数%がわたくしにamazonポイントとして還元される仕組みです。
わたくしはそういうマルチみたいな宣伝活動も嫌いで今まで絶対にやらなかったのですが、仕組みがわからんと教えることもできませんので、このページでのみ、そんなことをしています。
今まで紹介した漫画を買ってくださった方は結構いますので、
トータルで1,600ポイントくらいが数カ月後、わたくしに還元される予定です。現金はヤなのでポイント還元にしています。
もちろんそれが商品の値段に乗っかっているというわけではありません。
YouTubeなどを見ていて、概要欄のURLから買って~と言ってる場合はそういう仕組みになっています。特に誰も損しないし悪徳商法ではないですが、隠してやってるのも好きではありません。
心理的に抵抗を感じる方は漫画の名前で別タブで検索し、そこで購入すれば対象外になるので大丈夫です。
ちなみに漫画の還元率は3~8%なので、1万円分漫画を買うと、わたくしに300~800円くらいポイントがたまるということですね。
そういうことです。
ただ、わたくしがほんとに面白い…かどうかはともかく、何がしか感じたものだけをリンクしていますので、その辺はご了承くださいまし。

しかしまあ仮に酔った冗談だとしても、娘のスカートやら股やらに手をつっこんでくる父はいくらなんでもやり過ぎですわな。
フロイト先生は「無意識」と「トラウマ」「夢診断」を発見し、提唱したことで大層有名な学者ではありますが、いかんせん100年も前の人ですからなあ。
今読むとあらゆる感情の反応を性欲と結びつけ過ぎてて、科学的根拠が薄めなので、まあそうかもしんないね、くらいの話です。
とにかくどんな夢を見て、どんな妄想にとりつかれても、その根本はすべてエロである、という考え方です。誤解を招きそうなので、後はご自分で調査なさってください。
わたくしの中では「トラウマという無意識が人間の中にあることを発見した人」くらいの感じです。
フロイトと並び立つユングもファンが多い心理学者ですが、ユングはユングで途中からスピリチュアル世界に傾いていってしまわれたので、確かにものすごく重要な人物ではありますが、さりとて今それを全て真に受けていいかというと、何ともなあとわたくしは思います。
わたくしはいつも、精神科医や心理学者は自分自身が狂っているのでその道を走っていったのか、純粋に狂人を治療したかったのか、その2つで大きく方向が分かれると思っています。
哲学者のニーチェなんかもそうですが、言ってることは格好いい名言が多いかわりに、たいてい晩年は心神耗弱で狂っている。
狂わないと狂っている人の気持ちはわからないが、
狂っている人に狂った人を扱い切れるのか。
などとよく考えます。

うちの妹も、父が酔って帰ってきて夜中でもたたき起こすんで、大概怒ってたのは覚えています。
そのうち犬をいじめる(いじめるといっても尻尾を掴んだりするくらいですけど)ようになり、わたくしの強力なよっぱらい嫌いは父に由来しています。
家では一滴も飲まないんですけどね。家族みんな。
だから家にお酒はありません。
しかし下戸ではなく強めです。
強めというか飲んでも飲んでもいい気分にはならないので、飲むだけもったいないのです。

学校から戻ってきました。20数年間、かならず駅は遠回りして歩いて30分くらいのところから電車に乗るようにしてたんですが、
ついに一番近い5分の改札口の、それも階段が登れずエレベータで上り下りして体力を温存することにしました。
もう歩けん。

授業準備まにあった。
行ってきます。

汚い話ですけど、例えば鼻毛をぶちっと抜いた時に、
5本のうち4本が白髪だったりする。
と、途端に年齢を感じてふううとため息をついたりする。
です。

まー自分でほんとに「わたくし絵うまい」って思ってたら毎日描かないですよ。めんどうだもん。体にすごい負荷かかりますし。
俺うまい!俺すごい!って思わないとやってられん時は思うようにしますけど。
2025/09/18

わたくしの今の率直なきもちとして、
「うそばっかじゃねえか」
というモヤモヤというか怒り?苛立ち?のようなものはあり、
その、大人だったら全部グレーゾーンで、白黒決着することなんぞない、というのは理解してて、そういうことではなく、
上手な嘘つきは9割くらいは本当のことで、1割につきたい嘘を混ぜる、というようなことだと思うんですが、「ぜんぶうそじゃねえか」ってことは、嘘の質の低さに腹を立てておるのかもしれません。
単なる小賢しい虚栄と見栄を「盛る」と表現するような、なんかこう、いやらしい自分自身への甘さみたいなことに対して、わたくしは激しく不快感があります。

大体自分のことが気になって仕方ないのは思春期は誰でもそうだろうと思うんですが、大学も後半になってくると、もうなんか、だらしなくというか、自分に疲れてというか面倒くさくなってというか、自分自分って感じじゃなくなる…のが普通だと思ってたんですけど、
外国をうろうろしたり専門学校行ってみたりすると、その思春期で永久にとまったまま、自我と他人の境界を永遠にさまよい続ける人には結構会いました。
わたくしもそんなもんなんですが、しかしいい加減自分には飽きたという季節はあり、それがまあ25、6だったと思います。
人それぞれで事情があるのは前提とした上で、両親との決着がつかないまま、つまり親離れ子離れに失敗してると、ほんとに30でも40でも引きずり続けるのは、これはネット社会になってから可視化されたことなのではと思っています。
引きこもりなんてのも大学生の間は知りませんでしたしね。
本人もいやで仕方ないのに自分ではどうしようもないのはつらいでしょうね。

今の時代から見ると女性心理についてもある程度調べればわかるんで、素人ながら心理学用語とあわせてこういうことかなと類推することもできますが、当時はなーんにもわかりませんでしたからねえ。
エディプス・コンプレックスは知ってました。
筒井康隆の「エディプスの恋人」で。
息子は母親に愛情を抱き、父親を殺そうとする、というやつです。
逆に娘が父親に愛情を抱き、母親を遠ざけようとするのはエレクトラ・コンプレックスですが、これは結構後になるまで知りませんでした。
まーフロイト先生ですからなんせ。話半分で。
村木は父親を知らんので、そういう子は今の用語でいう愛着障害みたいな行動をとりましたね。後で考えると。
わたくしはエディプスもエレクトラも全然関係なく育ったんで、実際「母親が高校生の私に嫉妬する」なんて話を聞くと、ほんとにあるんだーと思ってしまいますが。

「らーめん再遊記」は前作の「ラーメン発見伝」「らーめん才遊記」とともに全部読んでます。
まだ連載中の再遊記はラーメンの話というよりも、ミドルエイジ・クライシスと経営・ビジネス論の話になってて、わたくしは共感するというより、「お前がだめだ」と言われているようで、だいぶげんなりくるシリーズです。
わたくしと同世代、あるいはなんだかもうやる気がわいてこないという人には読んでみてほしく、そしてどう思うかを聞いてみたい。
世代が違う人にとっては、このラーメンハゲ…芹沢は格好良く見えるんだろうなあと思いつつ。

適当に写真をのっけると炎上する「絶対バズるSNS・Y」というコンテンツがあります。
とりあえずわたくしがクソリプにキーキーなってる時に、「じゃあ絵なんかアップするのやめればいいのに」「ちょっとくらい言われたからって気にしなければいいのに」なんて思った人にはぜひ体験してみていただきたいわけです。
現実的に人を自殺にまで追い込むネットの悪口に対して、「気にしなければいい」もまた大きな言葉の暴力です。
失恋直後で気が狂ってる状態の人に対して「次があるさ」などと言って慰めた気になっている、このデリカシーのない世界をもう少しはなんとかしろとわたくしは言いたい。
しかしわたくしの肌感で言うと、「悪口はよくないね」と言えば言うほど、その悪口を長年に渡ってコンテンツとしてきた、例えば2chに常駐して憂さを晴らしてきたような人間にとっては、居場所を奪われたような気がしてるんじゃないかなと思って。
ゾーニングやフィルタリング、要するに「嫌なら見ない」「表示させない」という試みもうまくいってないように思います。
弱者の最後の楽しみは怒り、そんな差別的な言葉が席巻するくらい、わたくしたちには余裕がない。

恋愛ってしなくても困らないものなのかどうか、結構微妙だなあと思ってましてね。
顔がブスブサイクだろうが、頭がよかろうが悪かろうが、人は人を好きになるように出来ていると考えた方が自然ですし、しかし繁殖が第一義である猿との違いを明確に線引きできるのが恋愛という不条理・不可解な行動だとも思っています。
自我の問題なんですよね。恋愛って。
感情が揺れ動くということを恥じる傾向が強い。日本人は特に。
その中で、中学高校の頃の情緒不安は思春期として容認されています。うんうん、高校生だったら仕方ないよね、かわいいもんだね的に。
ちょっと馬鹿にしてる感じも入ってますけど。
それは自我が確立する前の通過儀礼なもんじゃないですか。
刺したり刺されたりな事件を見たり、SNSでわざわざ醜態を晒し続けるとてもまともな人間がやることとも思えない態度(正論でつっこむと「ネタにマジレス?」とかって逃げますけど)、を見てると、まあこれはわたくしがよく言う青春をサボったツケなんじゃないかと、やっぱり思っちゃうわけですよ。

勉強はいくらでも教えてくれるものがあるんで、知識が足らないのは不勉強と努力不足で言い訳できないものがありますけど、
よく考えたら恋愛について教えてくれるものってほぼなくないですか。
小説やアニメ、漫画、ゲーム、その辺のエンタメには山ほど恋愛コンテンツがありますが、それ現実の恋愛とはまったく別世界ですよね。
また、ものすごい恋愛コンテンツに詳しいって全然素敵そうな感じがしないんで、やっぱり恋愛という概念自体が相当低い位置にあるんだなと思います。
性教育は結構ですが、じゃあその前段階となる恋愛について授業で教えろってなったところで無理じゃないですか。道徳と同じで。

わたくしの苦手とするもの。
①交渉
②自分自身の売り込み
③依存心の強い人
④本気っぽい本気
わたくしの得意なもの。
①暴走
②没頭
③ことなかれ主義
④斜に構えた本気

家内ちゃんに消費期限早いからささみ茹でといて、とお願いしたらキッチンに出したまま寝てしまったので、寝起きであわててささみを茹でておる。

借金までして個展を開いても、宣伝する費用も媒体もなかった頃に比べれば、アップロードさえすれば誰かには見てもらえる今の環境はわたくしにとっては幸福です。
技術は日々の反復によってしか向上しないことはよく知っているので、どうあろうと毎日描くしかないわけですが、
さて、それをどういう人にどう届けるかのマーケティングの話になると、途端にうさんくさい話になってきます。
分別くさい、説教臭い話は誰にも届かないので、どこかしらエンタメにしないと誰も見てもらえない、というのは常識ですが、本当にそうか?と思ってて。
わたくしの考えてることって、あんまりエンタメと相性よくない気がしています。

小中学校の授業にいやな思い出が多いのも、わたくしたちに共通する体験のひとつかもしれませんね。
確かにわたくしの小学校のクラスは1クラス50人でした。
50人*6クラスなんでもう誰が誰やらという感じですね。
運動会とか卒業式のたびに、倒れても疲れても何度も何度も行進や礼の練習をさせられるとか、何もかも全体で動け和を乱すなの大号令で、わたくしはあれが一番いやでした。
まあ、家庭内暴力(積木くずし)、校内暴力が沈静化するしないのギリギリの世代ですから、そうしないと収集つかなかったのかもしれませんが。
わたくしも5人くらいのクラスでとことん面倒みたいと思ったりしますが、やはり20~30人のクラスで教えています。
合同授業で70人とかになると、もはや個別指導は不可能です。
成人相手でも大変ですから、子ども相手で50人とかいた頃ってどんなに大変だったんでしょうねえ。
2025/09/17

こんな授業もやります。
「自分の理想のお店の企画書を作り、
イメージをデザインする」
+
「くじで男女ペアを作り、
互いに企画書を交換して男子は女子の理想、
女子は男子の理想を作る」
まだ勉強を始めたばかりの彼彼女らは、自分の好きなものしか作れないんで、どこかに隠せない「男が作ったろこれ」みたいな箇所が作品に出てきます。
まずそこを突破しないと視野の狭いデザイナーになるので、好きなものしか作りたくないというプライドをへし折る授業です。
わたくしも全く褒めたりしません。
人によりますが、褒めて伸びるタイプは実はかなり少ないのです。
自信がない子は褒められても自分が褒められてる気になれないので、ちょっとでも的外れな褒め方をすると、「この先生は馬鹿だ」とすぐ認識します。
褒めるのは相当難しいスキルだと今も思いますねえ。
「いいね」「かわいいね」ではだめですしね。アホでも言えるから。
なので「お前実は強気に見せてるけど追い詰められるとばっくれるだろ?ん?」などと作品から性格を言い当ててやったりしていると、そのうち信用されます。
それか死ぬほど嫌われるか、どっちかです。
そんなことはわたくしの知ったことではありません。
わたくしは意識高いのは大変嫌いです。
教育は1対1で性格まで踏まえてなんぼだと思っています。


今日はPhotoshopが全然できない子のための、
「5分でつくろうYouTubeサムネ」という内容だったんですが、
家出る直前の5分でぺぺっと作ったのがこのなんとも言えない適当クオリティのサムネです。
あんまり難しい技術を使うとみな寝てしまうので、知ってれば5分で(ただしわたくしが、ですが)作れるお題用の簡単サムネを考えるのがまた難しくてね。
しかし授業でわたくしのその5分を言語化して、全部解説したらまるっと3時間かかる。3時間しゃべりっぱなしです。
先生なんか生徒が好きじゃないと絶対やってらんないよ。
ちなみにわたくしの主な依頼主はエンタメではなく、お固い業種なので、わたくし自身もエンタメの練習にはなってよいです。


戻ってきて寝転がっていると家内ちゃんも寝転がっているので
何もかたづきませんがもう動きたくないです。。

授業にいくまであと10分!というところでサイトダウンして汗が出ましたがまあなんとか復旧しました。
webこわい。25年くらいやっててもまだ怖い。

ドメインいじったらまた表示不可に。
慌てて戻したけど、いつまで経ってもドメインの操作はよくわからん。
根本がわかってないからなんとなくやって失敗する。

というわけで早朝から授業の準備をし、今一段落したので家内ちゃんを寝かせたり掃除したり皿洗いをしたり、シャワー浴びたりなんだったり、もう何もかも面倒で今から寝てしまいたい。愚痴です。
そういう時が一番絵が描きたくなるんで困りものです。
毎日そんな風に絵を描いています。
暇だったら絶対絵なんて描きたくならない。

お金も大事ですが信用が一番です。
つまんない話ですけど、だってすごい大変なんだもの。人から信用されるのって。
絵を褒められるよりも人間として信用されたいという気持ちは強いです。そのためには自分のいやなところも、エンタメ化しないで率直に表現する必要はあるかなと思います。
ネットを主戦場にすると全部エンタメにしてしまうんで、社会の基準からどんどん逸れていってしまいます。
Twitterしか見てない人はTwitterしか見てない感じがやっぱりするもの。

どの業界にも話が通じない人というのは老若男女問わず存在し、もしかしたらわたくしもそうなのかもしれませんが。
絵とかVTuberなんかのエンタメ業界なんかはよっぽど大手じゃない限り、個人の同人誌ノリでやってたんではこっちはストレスしか溜まりません。
性格がいいのと仕事ができるのとは全く無関係ですからねえ。
無関係というか、性格が悪い方が仕事できたりします。知恵が回るってことなんで。性格が悪いってどういうことかと考えるとまた難しい話ですけどね。
だからまず制作費など現実的なお金の話をしないで、実現したいことを熱っぽく語り始める人は、よほどカリスマ性でもない限り、わたくしたちの業界では地雷扱いになります。

わたくし今まで、個人の依頼は受け付けておりませんで。
トラブルばかり起きて疲弊したんでね。ロゴを作るにしても何を作るにしても。
あ、絵じゃないですよ。絵は仕事にしてませんから。
かなり昔ですが、新しくネイルの店を開くからロゴとちらしとサイトを作って欲しいって依頼がメールで来て、なーんか全然話が噛み合わないしめちゃくちゃ言っとるなと思ったんで、制作開始前に実際会ってみたんですよね。
17歳のニートがママ同伴でやってきまして。
もうね、話が通じなさすぎて大変でした。
そんなことを結構経験し、だからネットだけ、ハンドルネームだけで金銭の絡む制作を行うのは大変抵抗があります。
しかしやると言ったら形になるまではどんなイヤでもやらんといかんです。自分の信用に関わるので。
2025/09/16

今日は午後からサイトがダウンしていたっぽいようで。
教えていただいてありがとうございました。
原因は多分、昨日メンテナンスしてて、消しちゃいけないデータベースを消しちゃったという単純なヒューマンエラーだと思います。
助かりました!

わたくし、YouTubeの動画でいいねボタンを押したの、この動画1回きりなんですが、まさに1994年、青春モノクローム大学編にあたる三山木駅周辺の貴重な写真集です。
時々これを眺めて、あったなあ、こんなんだったなあと思い出に浸っています。駅の高架工事が始まってからのことは一切知らないので、その経過を知る上でも貴重でした。

あっ、カニの形した給食のチーズ覚えてます!
こういうやつですよね。ものすごい久しぶりに思い出しました。
なつかしいなあ。「型抜きチーズ」だそうです。いつごろまであったんですかねえ。
パンダ、新幹線、コアラがあるんでやっぱ昭和ですよね。
牛乳でミックスベジタブルを煮込んだ献立は微妙そうですが…。わたくしは多分洋食っぽいんで大丈夫そうな気がします。


すっと眠れた日はたいてい悪夢を見る。
今日はつとめていた会社の不正が発覚したが告発する勇気がなく、裏口からつっかけを履いてそっと抜け出し、池袋をうろうろした挙げ句、朝4時に実家の鈴鹿に着いたら両親も妹も姪も死んでいた、というものだった。
忘れる前に今急いで書き込んだ。
実家に徒歩でたどり着く直前に入ったマクドナルドで、なぜかカレイの煮付けを注文した。食べたかったんだと思う。
会社につとめたことも、池袋をうろうろしたことも一度もないわけだが、会社勤めと池袋が憧れだったんだろうか。
眠れなくなった午前3時に、もそもそと麦茶を作っている。




