「読みましたボタン」から送っていただいたメッセージに対して、独り言の形を借りてふわっと返信したりしなかったりします。
2025/09/15

わたくしは自分以外の人間に夢を見せて欲しいとは思っていないし、自分の夢の世界で人をしあわせにしたい、なんてこともほとんど考えていないですよ。
毎日楽しくないと言われれば、あ、わたくしも、と答えますし、
逆に毎日楽しいと言われても、あ、わたくしも、と答えます。

自分探しは無駄で必要ない、と言い切った場合、それは多分「自分探しという名前をつけて逃げ回っていること」を指すと思う。
迷ったり失敗したり立ち直ったりすることは、どの時代であってもどんな人間であっても必要なはずで、問題は「自分探し」という言葉にくっついてくる自己啓発的なうさんくささにしかない。
自分探しを否定してるんじゃなくて、「自分探し自分探しと喧伝して何かやってる気分になってるやつ」をだめだと言ってるだけな気がする。
気がするっていうか、そりゃそうだろう。
世界一周しようが自転車で日本一周しようが、好きにすりゃいいと思うんだけど、「それを認めてもらいたい」という時点から自分探しは自分探しでなく、ただの演出とイベントになってしまい、価値はなくなってしまう。
そうした言葉にこだわることもまた、あんまり自分にとってよい方向に行くとは思えないものの、暇なら仕方ない。
わたくしもまた、20代を決然と自分のためだけに使ったしわよせは、あとになって必ず支払わねばならない借金だと認識している。

大体一房1800~2000円程度するシャインマスカットが最近なんだか600円くらいで売っている。なんかあった?
2房買ってきた。
シャインマスカットが大好きな家内ちゃんは、その値段に警戒感をあらわにしている。

どうなんでしょうね。
毎日アップだと追いきれないしすぐ飽きるから1週間に1回くらいのアップにしてくれというのもわかります。
でもそういう人はどういうやり方をしてもすぐ飽きていなくなるんで、正直に言うとあまり意見を反映してないです。
それとは関係ないですけど、
いつもメッセージくれる人いなくなっちゃったなあ寂しいと思ってたら、1、2年して何事もなかったかのようにまたメッセージをくれる、これは大変うれしいですね。

「距離感バグってる」ってめちゃくちゃよく見ますねえ。
わたくしも人と人との適正な距離感については昔から悩みでもあったので、敏感に反応しました。
今は「適正な距離」などわからん、と思っています。
だから嫌なら嫌です、心地いいなら心地いいですと、大きな声じゃなくてぼそっと伝えるくらいでいいのかなと思っています。
たまたま虫の居所が悪くて、あなたの距離感おかしいと書いてしまうことも多々あります。
でも多分おかしいのは自分な気もします。
どっちもおかしいなら、「どっちもおかしいね」と笑うことができます。
2025/09/14

ポエジーって言葉、わたくしはほとんど使ったことなかったです。
ポエムとポエトリーとポエジーってどう違うんだろうか。英語か仏語かってわけでもないんでしょうねえ。
ポエジーってなんか形容詞っぽいけど名詞かしら。ノイジーみたいに。

とは言え上手下手はおいといて、絵だけは猛烈に量産できてるんで、みなさんがゲームやったりSNSやったりするのと同じ、逃避や暇つぶしなんだと思う。
ほんとは「絵こそ人生」とか大げさに言いたいんだけどさ。
その方がクリエイターっぽいから。でも多分そうじゃないと思う。
全然人が望む方向に変わっていかないものね。絵が。
自分の両親もこんな気分で毎日毎日仕事に行ってたんだろうか。
と思うと若い頃の放埒を改めて手をついて謝りたい気分でいっぱいになります。
ヨシダと同級生だった天文部員が今年から母校の教頭になったという話を聞いて、教育について話してみたいなと思いつつ、
あいつどんな奴だったっけ、と全然思い出せないでいます。

今20代、30代の人にはそんなニュース目にも入らないと思うんですが、いわゆる4、50代の憂鬱、ミドルエイジクライシスの話題は毎日目に入ってきます。わたくしが興味あるからだと思う。
症状としてはまあ軽いうつ病みたいなものなんですが、肉体の衰えや男性ホルモンの現象など、ある程度科学的に説明されている。
ので余計あてはまると思い込みやすい。
わたくしは例えば失恋とかやなやつがいるとか、理由があってしょっちゅう憂鬱ではありましたが、今すぐ解決すべき大きな問題が何もないのに、「何もかも楽しくない」ってそれ自体相当ショックな出来事でしてね。
どちらかと言えば、自分で決めて自分で行動して、立ち止まらない、みたいな感じではあるので。陽キャではありませんが、繊細さとは無縁な性格だと思っています。
それがこう、ほんとうに毎日楽しくないというか、気力がないというか。それをまた「中年」でくくるのが嫌というか。
諦めろ諦めろって人にいう割に、自分に諦めが足りてないね。
お恥ずかしい話です。

なんかいいことあった?教えて?
って書いてちゃんと送ってくれるのってほんとに嬉しいことです。
内容にかかわらずね。
じゃあ自分も誰かが「こうして」ってつぶやいてる時に何かしてあげたらいいんだけど、なんかこう、考え込んでる間によくわかんなくなってやめとこうとなってしまう。
前はもっと気軽に「こうじゃないの」とか言えてたんだけどね。
段々考え込んでできなくなってきて、あかんなあと思う次第です。

一番描きたいものを描いてるのが「彼女のリリック」シリーズなんですが、リリックなんて衒学的な単語の割に、結構通じてるなあと感じてて。
と思ったらあれだ、ラップとかそういうので歌詞のことリリックって言うんだね。だからかー。
わたくしラップやR&Bは全くわかんないからなあ。
「リリシズム」にすると通じなくなるだろうか。文学部だと一般用語でしょうけどね。でもなんかリリシズムって言いにくいよね。リリックか、あるいは抒情詩のがいい。
ソネットでもよかったんだけど、若干中世的なべたべたしたニュアンスがあるのと、プロバイダのソネットを思い出すからやめた。

四日市の豪雨は記録を塗り替えたそうで。
わたくしの生まれた日も集中豪雨で、大きな河川が氾濫、四日市・鈴鹿・津の主要駅が水没して死者何十人の記録が残っていたと思います。
ずいぶん祖母や両親から聞かされました。
台風もよく通るし、雨風には案外慣れてると思ってたんですが、最近のはもう規模が違いますもんね。
東京にいると雷がものすごくて、こんなひどい雷、三重や京都にいた頃は経験したことなかったんですが、今は東海地方も昔よりひどい雷なんでしょうか。
台風で学校が休みになることだけが楽しみでしたねえ。

(笑)…無難
(笑…若干意識してる
笑…意識してる
(爆)…年上
(核爆)…キツイ
わたくしの感覚だとこんな感じですかねえ。
🙂
↑
これって海外発なんでしょうけどいつ頃生まれたのかなあ。
好き嫌いは別として、2chに集まってくる人の言語感覚は素晴らしく、あれに対抗して面白いこと言おうと思っても無理な気がします。まとめサイトが乱立してお金もうけになってから段々興味がなくなっていきました。
個人的にはスカイプで
ノシ
の意味を生徒に教えてもらった時が、一番感動しました。

言葉や国語の重要性ってピンと来ないものかしら。
電話が廃れてほぼ文字でコミュニケーションをとってるわけですから、
見た目と同じくらい国語力って必要なんでは、と思うんですが。
全然関係ないですが、
こないだどっかの芸人だかタレントだかが、「中学生の息子が全国模試の国語で1位をとりまして」って自慢を語っていて、そりゃ100点なら絶対1位だろう、1位何人いるんだよいやらしい言い方だな、と思ってしまった。
わたくしは通俗的なアカデミックな部分に相当な反発というか地雷を持っているので、そんなイヤな見方をしてしまう。
イヤだイヤだと自己嫌悪してばかりでも退屈なので、全部書いちゃった上でどう思われても知らん、ごめん、という日を作ってみるのも憂鬱解消の手段としてはよかったと思う。
あ、2chがメインの文化だったせいか文体自体が煽りっぽくなってて、でも自覚がない人には時々指摘したくなります。でもそれは心の中にとどめています。わたくしも人のこと言えませんしね。

コミュニケーションとおきもちは全く違う。
おきもちはどんだけ誤解されてもわたくしは気にしない。
マンガも同じで、わたくしが思ってることと全く別の意味で受け取られていても、それはその人の勝手で、わたくしが文句を言う筋合いではない。
しかし人格否定的な明確な悪意を投げつけられれば当然怒る。
草とかwwwはコミュニティ内で了解がとれている相手に対して使うべきで、親愛の表現としてわたくしに投げつけてもいいと考えている時点で、そのくらいの視野なのだなとわたくしは受け取る。
ここで書いていることはほぼおきもちである。
なので読んだ人が不快になっても構わないと思っている。
そういう気を遣うのが面倒になってわざわざ作ったページだから、そこに過度に気を遣うのはおかしい。
でも上司死んじゃえ!みたいなことは書かない。
わたくしが勝手に決めたラインはある。
この書き方はわたくしの日記にかなり近い。文体も書いてることも。
ただ書いてることがマキタや村木の話だというだけだ。
わたくしはいつも平凡で当たり前のことしか言ってない。
エンタメはエンタメだから許してね、ではなく、クソ真面目で退屈なものにエンタメ性を見出す人間の力によって成立しているとわたくしは思う。

例えば
「対応お願いします」
「やっておきました(誰かが)」。
「誰かよ!ありがとう!」
ってチャットがあった場合、
「誰かよ!」が
・誰かはわかりませんがその誰かさんありがとう!(感謝)
なのか
・誰なんだよはっきりしろよ!でもありがとう(文句)
なのか、読む人によって全然変わり、正反対の意味として誤解を受ける。
という動画を見ていて、やはり言葉選びは絶妙に難しく、そのへんにズボラか神経質かでも色々変わるなあと改めて思った。
だからわたくしはスラングを好まないし、独り言ならともかく他人との会話の中ではメンヘラとかコミュ障といった言葉は絶対使わない。
また短文が嫌いなのもその辺に理由がある。
もちろんビジネスは別。ビジネス連絡では長大なわけのわからん丁寧語は慇懃無礼でイライラさせるだけだ。この変が微妙だと、社会経験ないんか?と一瞬で見破られて甘く見られることになる。
・~といったご修正は可能でしょうか?
ビジネス言葉でもっとも我々がイライラするのは、30代以下しか使わない、この「可能でしょうか」だ。
可能も何も問答無用で修正しなきゃいけないんだろうが、じゃあそう言えよと感じる。慇懃無礼の典型的な例だと思う。
「~という修正をお願いします」に今すぐ変えた方がいい。
かなり印象悪い。

そういやネットが普及した頃、まずは知り合いからメールのやり取りをするようになり、そこで「どうして普段は結構フレンドリーでフランクなのに、メールの文章になると怖い感じなの?」と言われたことが何度もある。
今に始まったことじゃなくて、わたくしはアレか、選択する言葉が全部怖いのかなーなどと考えていた。
笑わせてやろうみたいな、他人を意識して書く場合はともかく、そうでなければもともとの癖みたいなものが素で出てくるからねえ。
2025/09/13

などという考えごとを、暗い部屋でもんもんとしているわけではなく、戻ってきた家内ちゃんが、義母さんに買ってもらったお高い和牛がいかに素晴らしかったかという話をうんうん聞きながら、左のモニタの昨日の豪雨で四日市水没という動画を見ながら、右のモニタで水木しげるの漫画を見ながら、手元でマキタを描きつつ、しているわけです。
これにモーツァルトの楽譜を読む行動を追加し、
そりゃ何ひとつまとまらんわいと思っている次第です。

現実として「あの人いい人なんだけど面倒くさい性格だから誘うのやめようぜ」っていくらでもあるじゃないですか。
わたくしもそう言われてただろうと思いますしね。
はっきり言われたことないからそういう気がするだけですけど。
はっきり言われなかったこと、言わせなかった、聞かなかったことが大きな後悔にもなっている。
そういう人間にとってどういう行動をすれば受け入れてもらえるのか、大勢でなく、自分を承認して欲しいその人に承認されるのか、そんなことをわたくしの恋愛にかぶせて描き続けてきたつもりです。

格差って目に見えるのは経済的なところから始まるけど、その時点で既に目に見えない格差……例えば反省する能力、立ち直る能力、人を知る能力、感動する能力、好奇心を自分に植え付ける能力……なんてところに如実にヒットするんで、それらが目に見えた差になって現れた時はもうどうにもなんないでしょう。
という話だって何度も何度も何度もして、だから流されるな、人の話を聞くな、人の話と自分をごっちゃにすんなと何千回も言い続けたのに。
いまさら格差は経済状態のことだけじゃないとか、言ってももうどうしようもないことをニュースにして何になるんだ。
と思いますねえ。
わたくしはわたくしの話を聞く気がある学生に対してだけフォローをしてきたつもりですが、もう社会全体で
「自分がお金出さなくていいならいくらでも言葉で甘やかしてあげるよ、落ち込んでる君も元気だそう?逃げてもいいよ!学校なんて行かなくていいよ!どうせ世の中くだらない!大人のせい!」
を後押ししてるんだから、わたくしが何を言ったとて、という暗い気持ちでいっぱいです。
わたくしの極私的な恋バナを、未来のないおっさんの自分語りと捉えても、美化した思い出のお花畑と捉えても、なんでもかまわないんですが、わたくしの中核にあるのは「まだやり直せるうちにやり直せ」という悔恨のメッセージですから、その土俵にさえ上がれない状態に自分をネグレクトしてしまった人に対して、もうできることはない。
これからどうなるかは火を見るより明らかです。
気味が悪いほど合理的思考に身を委ねた人間が、こぼれ落ちた人を徹底的に「無視する」という空気がもっともっと強くなるはずです。
無視です。多分。何をしても無視される社会だと思います。
だってかまっても時間の無駄だから。
それをどうにか揺り戻して、なんとかド文系的な世界を残していくことはできないでしょうか。わたくしでは結局そんな空気に変えられるほどの表現はできませんでしたが。

確かに誰ともしゃべってないと話し方忘れますよね。
話し方より深刻なのが、顔の作り方です。
顔というか表情か。どんな時にどんな表情すればいいのか忘れてしまう。
わたくしはネットを通じて通話した経験ってほぼないんですよね。
いつも手紙か、近いと会う方が早くって。
まあね、SNSで頻繁にやりとりしてた場合、一度会うと8割くらいの確率で疎遠になるから、会うと楽しいかどうかもそれぞれですけれど。

「連投すいません」などと保険や断りを書いた方がいいかな…と思った時点でもうそこは居心地のよい空間ではないのです。
わたくしは居心地の悪いところで昔はよかったなあと言ってるよりも、居心地のよさを自分自身で作っていく方が好きです。
田舎の出身だからかもしれません。

わたくしが悪いことをしたことがないか。
そんなわけないです。
おおかれ少なかれ、自立して生きてゆくということは、グレーゾーンの中でモヤモヤとしながら右往左往することを指します。
では法的に裁かれるべきことをしたかどうか。
1999年に14歳の家出少女ヒカルをしばらく下宿においていたことが未成年者略取であれば犯罪です。じゃあ手を出したか。
わたくしは「出すかよガキだぞ?」と腹を立てますが、手を出していないことを厳密に証明することはできません。現在のヒカルを探し出すことも不可能です。
今の世の中は「50代の中年が25年前、中学生を誘拐・監禁した」なんて話が大好きです。怪しければ罰するのが人間の本性です。
あるいは言葉を話せないさみだれちゃんが、本当は嫌だったが怖くてわたくしの言いなりになっていた、こう邪推することもできます。
その方が面白いからな。
痴漢の冤罪が増加した2000年代から、わたくしはわたくしが潔白であることをどうやって証明すればよいのだろうと考えてきました。
例えば電車内では両手で吊り輪につかまるとか…もう癖になってしまってて、何も考えなくても両手をあげる行動をしてしまう。
そうすると薬の副作用ですさまじく汗をかくわたくしは、脇の辺りから加齢臭が…と次々に気になることが湧いてきて疲弊する。
お前が気にしすぎなのが悪い。
という自己責任論に到達する。
正解がありません。
だからこうして、わたくし自身を「長期間」表現し続けることで、信用を得ようとしているわけです。

自分に未来を予想する能力、時勢を掴む能力があるとは全く思わないですけど、結局10年くらい前に、これはだめだ!この方向へ流されてると多分後悔する!ってえんえんとツイートしてた世界にまんまなっちゃったじゃないですか。
全然誰も聞いてくれなかったのにな。
バズるとかなんの意味もなく、意味がないどころか曲解されて伝わる分、有害だった。
だからわたくしは合ってるか間違ってるかはともかく、わたくしの話…というか絵ですが…を見てくれる聞いてくれる少数の人だけでもういいです。

わたくしは情緒不安定なわたくしに誇りをもっておるのです。
毎日が楽しくて、あるいは毎日が絶望で、なんていう安定にはあまり関心がない。わたくしが常に右往左往しているのは、わたくしがまだ人間である証だと考えています。
そしてそれを表現することこそがわたくしが生きている証拠ではないのかとも思っています。大げさですが、でもそう思っている。

人に「なんかいい話ないの」とか言いたい気分になってきたら大分くたびれてる証拠だと思うんですけど、
わたくし今年の春から夏の間でワーキングプアの実態を我が身をもって経験したんで、さあ、なんかいい話ない?
2025/09/12

授業が始まってしばらく経ちますが、もう帰ってくると何もできない。
ただ寝っ転がっているだけになっています。

プロフェッショナルな世界では絶対に禁句だった、
「だったらお前が作ってみろ」が言える世界になったとわたくしは思ってて。
プロ・アマの違いなんてクリエイター業の中ではほとんどもうない。
技術がなければAIで補填すればいい(コンプラみたいな鬱陶しい社会の制約は置いておいて)。
これが苦しみの一つにもなっている。
無責任に「なんだ、こんな絵だったら俺でも描けるわ」と笑いながら言えていたのが、本人が出てきて「じゃあみんなの眼の前で描いてみろよ。俺も同時に描くから。」と簡単になるから言えなくなる。
そこは息苦しいとも言えるし、普通の人は言わないかわりに「リスペクトしてます」という口調になるんで表面的に平和な世界に見える。
水面下でどろどろと怨念がたまっていく。
なんのことはない、現実はいつもそうだった。
よって本人の口から言葉で解説する、紹介する、お願いすることはものすごく大事な要素の一つになった。むしろその能力だけで実際に制作するスキルは必要ないとさえ言えるかもしれない。
ただわたくしは解説は好きだけど「みんなに受けるように解説する」が極端に苦手でもある。
だからひたすら描くことで少しづつわたくしの伝えたいことを伝えるしかない。
時間ばかりかかる。
でもそうすることで、自分の魂が澱まなくてすむ。

今日も午後から授業です。
今年の学生たちは明るくて仲良しなので気楽です。
ネットだといくらでもいますけど、ネガティブで面倒な性格なクラスだとやっぱり先生のわたくしは行くのが憂鬱です。
現実社会はやっぱりネガティブで面倒な性格だと笑顔でさようならになる、これはもう生きづらかろうが何しようが変わりません。
日本がなくなっても未来永劫変わらないと思います。
自分が思っているよりも、ネガティブな性格というのは強力に他人へ伝染するからねえ。
だからわたくしはせめてネットでは…と考えてきましたが、それすら端っこに追われるようになってくると、みんなどこで呼吸をしているんだろうと思わざるを得ません。

全体的にわたくしにはわからないことが増えたというか、ますますよくわからなくなったというのが正直な気持ちではあります。
もともと積極的に自分を売り込んでいく性格ではなくて、信用できる人といつまでも同じ場所で同じことをやっていたいと考える方でしたが、それではどうにもならんところまで来ているのかもしれない。
ただ、このようなわたくしでも長く続けていると応援のメッセージもいただくことがあり、また数少ない交友関係からも励まされたりし、それに救われています。
これは「なんでも自分のちからでやってやる」と気負っていた頃にはなかった考え方で、まあ頑張ってみたけど無理だったなあという心境、とは言え急に生き方を変えることもできず、ほんと、テンプレのミドルエイジ・クライシスだわと思う次第です。
他人事と思わない方がいい。
わたくしの中で日毎に大きくなるこの不穏な感覚は、やがては必ず誰の身にも現れるだろうという確信がある。
2025/09/11

家内ちゃんはイケメンには全く関心を示さず、服とか小物とかのかわいいものにこだわるタイプのオタクなんで、まあしゃべると女子校出身だなってすぐわかると思いますよ。
しゃべる機会は永遠に発生しないと思いますが。
わたくしのような自己顕示欲の塊みたいな性格とは正反対です。
わたくしが言うのもなんですが、会った人全員からかわいいかわいい美人美人と褒められて育っているので、かわいいは禁句でいやがります。
わたくしはほとんど見た目に拘泥しない方なので、深く仲良くなるまでは思ってても人にかわいいねとか絶対言いませんからねえ。
好きとはいいます。昨日も漫画に描いたけど。
どういう意味かはさておき、好きと思ったら好きとは言いますねえ。
だから好きって言われ慣れていない子に誤解されたことは数少ないですがありました。
結局奥崎とか家内ちゃんとか、人からかわいい!好き!大事!みたいに言われることに興味ない人と相性がよかったと思います。
滅多にいませんがね。

「光が死んだ夏」という漫画を読んでいます。
偶然amazonのおすすめに出てきて読み始めただけなんですが、セリフがこれ三重県の言葉じゃないか?と思って調べたらやっぱりそうだった。
最初はなんかこう、少年BLっぽくてやだなあと思いましたが、これくらいは許容範囲にせんとなという謎の価値観が生まれました。

わたくしのITレベル。
SUICA=できる
セルフレジ=なんとかできる
PAYPAY=わからん(怖い)
JRポイント払い=怖い
松屋とかの電子決済=怖い

実際わたくしはあんまり頭がいいとか悪いとかということを、周囲の人間と比較してどうこうと考えたことなくて。
率直に言ってしまえば、わたくしはどう自己評価を下しても頭の悪い人間ではないし、同様に特別頭がよい人間とも思えず。
だから人と話しててずうっとそんなことを拘泥している様子を見ると、「こだわっていたいんだな」という感想をもったりします。
そのへんは好きにしたらいいんじゃないの、という顔をしてるから冷たい人間に見られるのかもしれませんね。
2025/09/10

「闇堕ち」について教えていただいてありがとうございます。
プリキュアの説明でなんとなくわかりました。
わたくしは「闇落ちしたネットのおじさん」という文脈で見たので、あれなんですかね、またおじさん叩きの新しい用語かと思いました。
もとはなんかの漫画とかから出てきたんですかねえ。

今は言葉を書きたい欲が減退しておりますが、こういうのってどういうサイクルで回ってるんですかねえ、自分の中で。
特に何かイベントがなくても急に言葉が泉のごとく湧いてくる時ってありますでしょ。あれって不思議です。

闇堕ちってよく聞くね。どういうこと?気分的な不調ってこと?
2025/09/09

どうせ何やったって暗く憂鬱な世界なんだから、せめてエンタメにして何でも笑っちまおうぜ、自分をネタにして笑ってもらえればしあわせ!という空気を30代あたりの人が作る動画そのほかから強烈に感じます。
わたくしはそういう立ち位置は好きではありません。
世代は関係なくて、元々の性格かもしれませんが。
友達や恋人のこと、自分自身のこと、性のこと、友情のこと、人生のことを「自分のことだからクソ真面目になれる」と考えています。
クソ真面目なやつがクソ真面目なことを言ってても誰も聞いちゃくれませんが、聞いてくれなくても言うことはできます。
そうやって絶望しつつも言わずにはおれない弱い人々のことを、わたくしは応援しております。

人間のどろどろしたところをグロテスクに描いた漫画は大量に増えましたね。貧困、ジェンダー、SNS、不倫、復讐、精神疾患、ストーカー、そういうの。
大元はなんでしょうか。ウシジマくんかな。
読むのはウシジマくんだけでいいような気もします。
わたくしは確かに人間の本質的な部分を描きたいと思っていますが、もうちょっとぬるい、優しい方がいいな。
わたくしは料理も味付けの極端に薄い食べ物が好きなのです。

わたくし、もともと週刊少年ジャンプ的なものが好きでなくて、鳥山明も富樫もジョジョも何も通過してないんですが、自分でも漫画を描いてみるようになると無視してるわけにもいかず、近年ほそぼそと読んでいます。
やっぱりあんまり好きでないです。大人になってから読むんじゃやっぱり駄目なのかもしれませんね。子どもの頃にいっぱい読めばよかった。
ここ数日「呪術廻戦」を読んでいます。今半分くらいです。
どうしてもブリーチやナルト、あるいはチェンソーマンなんかが頭にちらついてしまって、話が途中で全然わからなくなり、でも悪いやつが出てきてぶち殺す話なんだろうと予想しながら読んでいます。
わたくしは正直なところ、あまり漫画に詳しくありません。
自分の描きたいものが一体どんなジャンルにあたり、どんなカテゴリーなのかもよくわかっていないです。
ま、それじゃあ読む方もようわからんわなと思う次第です。

社会システムの話ってほんっとに面白くないなあと思っちゃうんですよね。
わたくしはまだ圧倒的な才能を持つ個人の話が好きです。
2025/09/08

わたくしは「わたくしが(男女問わず)好きだった人は素晴らしい人間である」という、それだけを言いたくて絵を描いておるので、わたくしの描く女の子が嫌な人間に見えてないのであれば、それは大変ありがたいことです。ありがとうございます。
言い方は悪いかもしれませんが、オタクであろうがメンヘラであろうが頭が狂っていようが関係はなく、また「オタクだから」「メンヘラだから」「気が狂っているから」素晴らしいと言っているわけでもなく。
恋愛的な意味ではなくて、好きな人がいないとわたくしは正気を保てない人間なのです。

わたくしが今通院している原病でぽっくり死ぬ確率は低く、じわじわとあと10年かけて悪化していく感じで、これはもう今の医学ではなんともならん。
それより遺伝的に脳卒中のがはるかにリスクが高く、今のうちにもう助けないでくれと遺言を書いておかねばと思うようになった。
もうお金を稼ぐのも、省力化で無気力になってる現場の人間と面白くもない会話をするのもくたびれている。
絵はいい。何枚描いても終わりがない。

SNSではどういう扱いでも別にいいかなって思うんですけど、わたくしのサイトからメッセージをいただくのであれば、「作者さん」ではなくハセガワさんと名前で呼ばれたいなあと思いました。
そんなに気にしてるわけじゃないですが、仕事してて「業者さん」って言われるとあんまりいい気分はしないので。
あ、別にルールではないので好きな風に書いていただいていいんですけど、個人の感想です。わたくしは作家やクリエイターではないので、先生は不要です。
実際先生なので先生とついていれば作家先生という意味ではなく、単純に呼ばれ慣れてる「ハセガワ先生」として受け取ります。
でもあたたかいご感想をありがとうございます。

雨雲レーダーを見てると、たいてい埼玉上空全体を大きなゲリラ雲が通り抜けて、わたくしの住む東京西部をかすめていく感じなんですけど、昔っから埼玉ってにわか雨とか夕立の多い地方だったんでしょうか。
高尾山あたりから発生する雨雲なのかなあ。
ゲリラ雷雨の夕立の時は、いつレーダー見ても埼玉に真っ赤な雨雲がかかってるんでねえ。

でもどうなんでしょうね。
わたくしはやっぱり子供の頃から「男のくせに」「男は泣くな」「男はしっかりしろ」と言われ続けて育ったんで、なかなか今になって感情的な心の奥底の部分からそれをひっくり返せと言われても難しいところがあり、8年前入院したように、自分自身がその苦しさを身を以て経験しない限り、「甘えてるんじゃないのか」という疑問を消し去れない人は多いんじゃないかな。
人を疑うのは大層ストレスですからねえ。
なんの疑問ももたずに弱っている人に優しくできれば、と思ってはいるのですが、自分自身に余裕がなくなってくると誰でも自分のことが優先になります。
でももうバブルみたいな浅ましい空気の時代になるくらいなら、わたくしはつつましく細々と手近な自分に満足して生きている時代の方が好きです。

10年ほど前に、うつ病や統合失調など、心の病が脳波測定やなんらかの科学的検査で診断できるようになる、というニュースが流れた時、わたくしは大層期待しましたけど、それっきりでしたね。
心の病は個々人による原因や症状に差がありすぎて、研究は進んでいるものの、いまだに主な判断基準が「患者の自己申告」+「精神科医の観察」だからさ。
急いで数値化してしまうと「検査結果は正常だからお前のは甘え」みたいな差別にもなるし、かと言って自己申告だけでは周囲との軋轢(やっぱりお前のは甘え)も消えないし、ずっとそれでわたくしはモヤモヤしているところがあります。
世の中が「性善説ではやってけない」という息苦しさに向かっている中で、昭和の「お前は甘え!甘え!」に再び向かわないか心配はしています。

ぴくちゃんは比較的早めに回復したのでご安心を。
心の病は傾向として
・若くて
・症状が出てから短期間
なほど治るのも早い傾向があって、ほっとくと戻らなくなるんで我慢が一番だめだとは言われておりますな。

大人の恋愛って全然わかんないんです。
自分だったら30、40になって人を好きになったりした場合、どうしていただろう。わかりません。
結婚する時なーんにも悩みませんでした。
何も知らなかったからです。
色々知ってたら結婚しなかった可能性が高いです。
再婚して幸せになった人を2人だけ知っています。両方女性です。
20歳で結婚してすぐ離婚して、40代で再婚していました。
とても魅力的な人でした。
ただ彼女たちにどんな葛藤があったのか、わたくしには察することができず、十分に理解することもできません。
2025/09/07

あっという間に上達する人もいれば、そうでない人もおるんで描いた年数や枚数にはあんまり関係ない気もしますねえ。何が関係するんですかね。考えるとげんなりするんで考えないようにしています。
わたくしなんか萌え絵を描こうと思ってから、一年間毎日描いてこれ↓ですよ。
2011年ですね。これしかも、ちゃんと公式の絵とか見て描いてんです。3日くらいかけてね。自信わいてきませんか。
当時36歳ですぜ。何やってんだろうとさすがに思いました。
石膏デッサンとかリアルな鉛筆画だと描けるのに、こういうデフォルメのきいたイラストを描くとどうしてもおかしなことになる。当時はこれでも「超うまいわ俺」とか思って生徒に見せてました。そういうところは羞恥心の減退した大人の無神経がプラスに働いたと言えます。
言うても恥ずかしいんで、「昔の絵ですー」つって若干ましな絵ばかり貼り付けていたんですが、段々そういう自尊心に腹が立ってきたので、やっぱこう、絶対いろんな箇所がおかしい絵も貼り付けていきたいと思います。


どんなにヘッタクソな人間でも、何枚か描いてるうちに偶然正解の線を引けてたまたままぐれでうまく描ける時がある。
それの確率を少しづつ上げていくのが練習であり反復だ。
絵だとピンと来ない人だって、なんだって同じことはわかるだろう。
ボーリングのストライクだって、野球のホームランだって、数学の方程式だって、受験だって、大体同じだ。
そりゃあ努力ではない。ただの反復でありただの練習でしかない。
努力はもっと別のところにある。そんなに毎日できるものではない。
例えばわたくしなら「もっと見てもらえるよう、楽しんでもらえるよう考える」だ。才能ではない。わたくしはそんなもの毎日できない。知らない人の顔を思い浮かべて絵を描こうとすると何時間も白紙のまま呆然としてしまう。
努力は足りない。
でも反復は容易い。
いろんなことを考える。

失敗する前から失敗が見えている今の世界でバカになれっていうのも酷な気がするんで、わたくしはわたくしの考え方しか述べることはできず、アドバイスなどもう誰かが誰かにするのも不可能なのではと思っています。
今日も打ち合わせの中で話してたんですが、AIはどんな使い方を模索しても「では人間とはなんだ」という哲学にしか到達しないので、今まで「人間とはなんだ」という問いを自分に投げて来なかった場合、AIとしかつきあえなくなる人間になることは必然です。
その方が楽でいいんじゃないですかね。

なんでヨシダが特になんでもないわたくしにつきあってやろうと思ったか、それ自体は描いてない気がします。まあわかんないしな。高校生の恋愛なんて恋愛のうちに入らないんで、気の迷いと言えばそうかもしえれません。
ヨシダもマキタもオータニも、みなクールでもあり熱血でもあり、正しい人間のようでもあり、裏を返すと「わたくしがだめだ」という基準で見ているので、高校生のわたくしには誰もかれも格好よく、素敵人物に見えている。
わたくしは「相手は誰でもよかった」なんてよく言いますが、それはとりあえず仲良くしてみないと好きか嫌いかもわからんということであり、また「この子がいい!好き!」と選択する権利なんか自分にはないわなあと思っていたからでもあります。
2025/09/06

完全に閉じこもっていた生活が少しづつではあるけど動き出し、一銭にもならないが雑事に追われるようになると、文章で書きたい鬱々とした内面は雑事によって塗りつぶされる。
わたくしとしては永遠にもにょもにょとしていたいんだが、打ち合わせなどが土日にねじこまれるようになると言葉を書く気力が減退する。

しぬしぬ詐欺。
死にたい、死ぬと繰り返して周囲の気を引こうとする行動に対して揶揄するスラングです。
わたくしは、
誰にも何も話さないで突然世を去る(自殺でなく病死でも)場合に、残された人間に与える深刻なダメージを考えると、
だったらもう誰も興味を持たないくらい死ぬ死ぬ言って「あーまたあの人言ってる」くらいにしといた方が親切なのではと思っています。

故祖母ちよ(大正5年生まれ)はワンピースなんて横文字は使ってませんでしたねえ。ワンピースは「肌襦袢」でした。
なくなる直前まで毎日畑仕事してたんで、基本はもんぺと地下足袋でした。

ももひきはももひきだったかも。
らくだのパッチって言い方は知ってるけど、ちびまる子かなんかで得た知識だった気がする。
そうだ、キャミソールはいまだにようわからん衣類の一つです。
2025/09/05

昨日新米が実家から届いたんですが、こんなに早く送ってもらえると思ってなかったので、開けずに置いといたんですよね。
そしたらさっき妹からLINE来て、「中にいれといたウリ腐ってなかった?」という。あわてて開けたら若干カビていました。もったいない。
しかし食べる。果物は腐ってるところ周辺が一番美味しいのだ。
家内ちゃんは横でその様子を見ていましたが、
「腐っておる。」と言って巣に戻っていってしまいました。

イラスト系のハッシュタグは、自分のフォロアー増やそうとして、出てきた絵に全部いいねを押してるだけ(絵なんか見てない)のキッズばかりだということが実感できたので、とっくの昔に無意味になっていたんだなあと思いました。
15、6年やってて初めて別のアカウントを作りましたが(いつも完全に削除して違うアカウントに変えていた)、最初に「他の人をフォローしろ、いいね押せ、そしたら人間と認めてやる」、ってメッセージでるのな。
アホかと思いましたわ。

帰宅しました。ギャルにせんせーせんせーきゃあきゃあと言われると元気でますな。
体力はもう絞りカスくらいしか残ってませんが…。
zoomで隣の教室からこっそり盗み聞いてるやつ(大人)がいたんで、盛大に悪口言ってやりましたわ。
わたくしが悪口言わないか気にしてたから。
生徒じゃないよ。わたくしはどんなクソガキでも生徒を否定するようなことは言わないです。クソガキとはいうけどなクソガキだから。

昨夜はさすがに睡眠薬を飲んで寝ましたが効きすぎてまだ残っています。
さあ授業にいってきます。

「この世界の片隅に」は相当話題になったので、今更紹介してもなという気もしますが、戦争がテーマの女性視点な日常漫画ですね。半分ドキュメンタリーです。アニメ映画も大層よかったです。
いわゆるメッセージ性の強い内容じゃなくて、淡々と戦争当時の女性の立場や生活を描いている感じで、わたくしはこういうのも好きです。
2025/09/04

人間のカテゴライズ(メンヘラとかコミュ障とか)はあんまり好きじゃないんですけど、服とか音楽のカテゴリ分けは調べると結構面白かったりします。
アッパッパってなんで知ってたんだろう。多分なんかの文献で読んだかなんだかしたんでしょう。大正の関東大震災で和服の女性が動きづらくて逃げ遅れたケースがあったんで、普及されたとかなんとか。そんな話だった気がする。清涼服とかいう別名もありますね。それもいい感じです。
じゃあムームーと何が違うのか。形はムームーと同じな気がします。素材なのか。ムームーはハワイの伝統衣装だったと思うんで、ハワイアンな柄が入ってる場合のみムームーなのか。
音楽でいうとテクノとかハウスとかアンビエントとか全部わたくしには同じに思えるのと同じで、詳しくなってくると見分けがつくようになるのかな。
そういうのは好きかもしれない。

わたくしは女性らしいかわいい女性を描くのが非常に苦手で、いまだにAIは少女と判定したり少年と判定したりするので、絵自体男か女かわからん感じなんだろうと思っています。
最近ちょっと柔らかく描こうって意識し始めたとこなんですが、ゴツいのはデッサンの頃からの癖でなかなか抜けません。
絵柄を変えるのって、そばで見てるとすぐ出来そうなんですけど、これがまたなかなか…。出来る人はすぐ出来るんですけどねえ。

タバコを題材とした最近の漫画「たばこ屋ニコちゃん」を見つけたので読んでみた。1巻で終わりだったので。
なんだろ、「今の世の中に逆行して」とある通り、消えゆくタバコ屋の客とそのノスタルジー風思い出が題材になっているだけなんで、もうちょいタバコ屋が絶滅しかけた辺りに描いた方がよかった気もする。
まだ近所にはタバコ屋あるしコンビニでも売ってるしで、ノスタルジーというには早いかなあ。
思い出とか青春とかに一番反応するのは、人生の折り返して地点である40代だとわたくしは思う。50代に突入して思ったことは、「もはやどうにもならん」という強い絶望であり、諦めでもある。
あと10年20年も乗り切れる気が全くしない。

こう、客観的に書いてみたり、思ったように書いてみたり、試行錯誤はするんだけれど、今夏だけはどうしても気分が底を這ったまま、一向に「ようし」という気分にならなかった。
10月の検診まで様子を見て、それでも何ともならん場合は病院増やすしかないかなあと思いつつ、やだなあとも思っている。
わたくしはどっちかと言えば建てた計画は死守する方ではあるんですが、ひとっつも進まなかった。まあこんなこともあるか。

なんでもない人間がなにかになれそうな気になるツールがSNSだったわけで、しかし特に何になれるわけでもないとはっきりわかった今、見てるだけの使い方になるのは自然。
そうした使い方をする限り、Twitterを見ようがヤフーニュースを見ようがはてなブログを見ようが大した違いはなく、自分の世界と断絶された膜の向こうで何かやってる人はテレビの画面で何かしゃべってる人と同じだ。
「人間である」という意識はますます希薄になる。

森田童子もよう聞きましたねえ。
やっぱり同時代よりも、ちょっと古い方がわたくしには響きます。
2018年に死んじゃってから、ようやく好きって言えるようになりました。それまでは隠してたと思います。
不謹慎な話ですが、生きてる人を好きって言うのっていまだにちょっと怖くてね。わかるかな。わかんないか。

90年代後半だとCoccoとかPlasticTreeとかがいわゆる病んでる人が聞いてた曲じゃないですか。Cocco大好きって子いっぱいいましたね。女子大に。PlasticTreeはわたくしに毎日しにたいしにたいと言ってリストカットの写真を送りつけてくる中学生の子が大好きでした。
わたくしはほとんど聞いたことないです。
2000年代だと暗くはないけど、倉橋ヨエコが圧倒的一強だとわたくしは思っています。ニコニコ動画のなんかこう、妙に病気病気したボーカロイドの曲は、わたくしにはなんか倉橋ヨエコの亜流に思えてあんまり好きでなかったです。
その頃はもう結婚して忙しかったこともあるでしょうけど。

好きな歌手橘いずみって言うとわたくしの時代だと、えーくらーいとか言われましたが。
今聞くと全然暗くないなあ。
世相的に確か「セクハラ」って言葉が流行語大賞になったのが高校生くらいの時で、男社会に対する強烈な反発が始まった頃じゃないですか。
そんな頃の歌って感じがする。
90年代初頭の山田花子の自殺、「完全自殺マニュアル」出版から始まった不安の流れも、90年代も後半になってくるとネットと共に「精神病」が人口に膾炙し、救いのない本当の電波ソングが出てくるようになる。
2025/09/03

仕事ってほんとに誰に褒められるわけでもなく、ちょっとでもおかしい部分があればただただ直せ直せ完璧にしろと言われ続けるだけなんで、自分でなんとか自分を褒めるようにしないともたないですよな。
自分らしさを全開にして自分らしくやってける仕事ってあるんだろうか。だと起業するくらいしかない気もするけど。
制作ってサービス業ですしお客様は神様ですだし。

首がしまってくると、「今の自分を描かない」という縛りが緩んできて、どうしても理解して欲しい、話を聞いて欲しいという感じがにじみでてきてしまう。多分不快な自分語りになっていると思う。

誰もがふわふわと思っていつつも言葉にできていなかった気持ちを、上手に言葉にすることで共通認識が生まれてつながりやすくなるわけですが。これが共感ですかね。
やりすぎると陳腐になってそこから更に深いところへ踏み込まなくなっていくなあと思ってて。
確かにそうなんだけど、ほんとにそれだけなの?という気分がうずうずと湧いてきていてねえ。

こんだけ良い行いでなく悪い行いだけがクローズアップされれば誰でも標的になった人間を嫌いになるわな。外国人にせよ、中年にせよ、女性にせよ、子どもにせよ。
わたくしは10年くらい前に、どんなに好きな人間であっても、毎日タイムラインで何か言ってるのを見てると、それが面白い内容でも優しい内容でも、おしなべていずれ嫌いになるということを発見しました。
そのスパンはどんどん短くなり、最終的に「フォローした瞬間ミュートする」という不可解な行動をとるようになりました。
これは異常であると認識したわけです。
わたくしはこれ以上人間を嫌いになりたくないという気持ちが強いため、普段誰が何を発言しているかは見ないことにしました。
意識的に自分で見に行くブログのようなメディアは別として、ほっといても勝手に流れてくる雑多な情報や発言、言葉はわたくしに大きな精神的負担を強いるものです。
わたくしはそうだというだけですが。
でもやめるやめると繰り返しつつSNSから離れることができない人、アカウントをひたすら作り直して転生を続ける人、言葉の端々から「お前を観察している」という自己顕示が感じられる人、これらはわたくしが途中で遮断したウォッチをまだ続けていられるということで、
よほど精神的に強靭か、もしくはその真逆かということの線引きには使います。

必死さが足らんなあとは思ってます。
2025/09/02

「正解がない」ということをよくこんなに上手に言葉にできるよなあとは思うねえ。わたくしの中では非常にキャッチーでした。

一回逃げ癖のついた人間は立ち直るか。
そりゃあ立ち直る人も大勢いるんじゃないでしょうか。
しかしわたくしが先生の立場で語りますと、逃げ癖のついた20歳が自分自身で逃げずにむきあえる性格に変わった例は見たことがないです。
そういう「演技ができる」が一番ましな成功例ですね。
わたくしの方針は「無理強いさせるが、そばで必ず見ている」というやり方だったわけですが、それはこの20年の間に否定されました。
時間・費用ともにコストがかかって仕方ないからな。
しかしそもそも教育に働き方改革とかコスパとか言ってたら何にもできんです。わたくしは金八先生みたいな熱血ではありませんが、関わったんなら見るべき面倒は見るべきだと思っています。
今どういう風が吹いているか。
「できないやつはとことん放置」
です。めんどうくさい人間はいないものとして扱われます。
表面的にはルールとシステムによってケアされてますがね。
人間はそんな簡単に変われるもんではないでしょう。
どうしたらいいんだろう。
とずうっと考えてましたが、その結果、自分がやめたくなってしまいました。
その程度の情熱なんですよ。わたくしはね。

金曜の休み明け授業に向けて、落ちに落ちた気分を上げなければならない。
正直学校燃えてなくなんないかなと思ったりもするし、このまま「体調不良」でバックレたろかなと思うことばかりだが、そんなことも言ってられん。そういう時に「家内ちゃんはなんのあてにもならん」が役に立つ。わたくしがやらん限りどうにもならんのだ。
それはストレスと言えばストレス、張りと言えば張りとも言える。
自分は何の役にも立たないと考えてしまいがちな人に伝えたい。
確かに君は社会にとって役立たずかもしれん。
が、誰かにとってはそれもまた逆説的に役に立っている。必ず。
何度も書いているが、思ったことを会話する速度と同じ速度でこうしてたて続けに書き続ける(=伝えようとしない)ことは非常にわたくしにとって精神的な調整として有効だ。
わたくしに共感する必要も応援する必要もなく、わたくしはわたくしと何がしかの関係を持ちたいという人だけを選択して共に生きてゆく。

でも元々理屈で考えて行動するの好きじゃなかった。
といって野放図なわけでもなく、小心者でいやになる。
下の動画でも出てくるけど、自分の文章を読むのが好き、自分の編集した動画を見るの好き、という会話のくだりにすごく共感して。
わたくしはわたくしの描いたものが一番好きなのだ。
今は趣味でしかないんで「お金だして買ってもいいようなものを描く」自信がまったくない。が、描きたいという気分はまだあるのと、ごく少数とは言え、やっぱり「このマンガが好き」と言われるとそっちに寄っていってしまうので、もう一度考えた方がいいような気もしている。
何を伝えたかったのか。

夏の間一番よく見ていたチャンネルが「積読チャンネル」なんですが、どの動画を見ても確実に紹介されてる本が読みたくなる。
時々、エンタメに寄せすぎて話し方にムッと来ることもあるが、下のようなメイキングドキュメンタリーが挟まってるんで、あーやっぱものすごく考えて作られてんだなと思うとムッとした自分が恥ずかしくなる。
うらやましい。いろんなことがうらやましい。
わたくしは基本的にわたくしの個人技だけで生活してきましたが、「みんなでやろう」に30代で挑戦したけど見事に失敗し、その痛みがまだ続いていることにも原因がある。
わたくしが一人で面白いことを考えて、一人で描いて、一人で発信して、一人で宣伝して、一人で…一人で…にはもう限界が来ている。
やろうやろうと盛り上がってスタートしても、気がつくといつのまにか自分ですべてを背負ってやっているという失敗は避けなければならない。

こないだバンド「たま」の漫画を読んでおおいによかった話を書きましたけど、あれを読んでからインタビューを見るとまた感慨もひとしおだった。
ガッと売れて人気者になっても自分たちのやりたいことを崩さず、みたいな話は今聞くと心が洗われる。またそれがエンタメのための作り話ではなくて本当のことだろうということが、話し方から伝わってくる。
いいなあ。わたくしもこんな風になりたいなあ。

自分は幸せだと言うより不幸だと言った方がウケがいいとわかってる時点で、もう不幸だと声に出して言うことはできない。
そういう不幸がありますよな。

わたくしは、その他大勢と同じことを見聞きしてもつまらん、この世界のどこかで誰にも知られずに正しく面白いことやってる人のことを知りたい、という強い欲求がありました。
それはもう、呼吸をしたい、水を飲みたいという欲求と同じくらい自然で強いものだったので、「見つける」「見つけ出す」ということが第一であり、「すごく知っている自慢」とはあんまり関係なかった。
ものごとをよくわかっている、よく知っていることは尊敬すべきことではありますが、それを自分の行動ではなく人との雑談くらいでしか使わない、使えないのはやはりそれはもう、退屈だなあと思います。

正しいことやまっとうなことって、つまんないんですよ。ええ。
だから空気を読まずに正論を繰り返すやつは集団から弾き飛ばされるでしょ。
わたくしは学生の頃から、人間にとって最大のエンタメは、ミサイルが飛んでこない場所で戦争を眺めつつ「ああかわいそう」と嘆くこと、だとずっと日記に書いてましてね。欺瞞というやつです。
これも是非ではなく、そういうものなんですが。
今は「正しそうなことをよりおもしろおかしく言う」が流行です。
「つまんないと誰も聞いてくれない=儲からない」が根っこにあるから。
でもわたくしはおもしろおかしく言ってしまった時点で、違うバイアスを生むと考えているので、例えば自分の失恋や憂鬱を茶化しておもしろくすることに疑問を持っています。
わたくしは表面的な態度はどうあれ、一見バカに見えるくらいクソ真面目な人間が好きですし、おそらくは自分もそうだと思っているので、
つまらないことをつまらなく(つまり、言ってることがよくわからない)表現することに意味があると思っています。

男が「助けて~」と言ってる女に優しく、「助けて~」と言ってる男に厳しい……体育会系ノリの場所に近づけば近づくほどそういう傾向が強い……のは、チンパンジー時代の名残りだそうで。
確かにチンパンジーの社会って強力な男権の縦割り構造なんで、言われてみると昭和の日本とほとんど同じな気がします。
ごまかしたり嘘ついたりしない分、チンパンジーのがよほど動物として上等だとわたくしは思いますけどね。
同じ霊長類のボノボだと、オスもメスも「助けて~」と言い、助けてあげるコミュニティを形成するようなんで、ボノボ自体初耳の方はちょろっと調べてみてはいかがでしょうか。

「メンズ・シェッド」って言葉聞いたことあります?
聞けばあああれかって思うと思いますが。
中年以降の男性が好きなことをできる小屋(コミュニティ)です。
男性限定のね。
もともと男は集団生活が得意でなく、周囲に助けを求めることができないことから女性に比べて自殺率が高く、その辺の解消手段として考えられたものだったと記憶しています。
日本では全然普及しとりませんね。
改めて調べてみると、中年男性の救済措置ってほんとにないんですよなあ。お前らヒエラルキーの頂点なんだから我慢しろって空気はまだ全然あると思う。
4、50代男性がやらかすいろんな事件を毎日目にするようになって、「おかしな人間から身を守る」「断罪・厳罰」方向に世界が傾いていく一方で、根本的にはやっぱり孤独があるんだろうと思いますよ。今の方向では40代以降の男性を根絶やしにするまで平和な空気にはならないと思う。
わたくしはどうもネットがへんてこなフェミニズムで汚染されるようになってから、余計「男とは」「女とは」に興味がでてきました。

ん。
2025/09/01

何を美しいと思いますか。
わたくしはもうあんまり醜いものを見聞きしたくなくてね。
そう改めて考えると、醜くないものを明快に人に伝えることはとてもむつかしいことだと感じませんか。

わたくしは「ゆっくりと自分のペースで」みたいなことをやってると余計に精神状態が悪化するので、どんな小さな仕事でもよいので、ただ黙々と手を動かしてこなすものが大量に降ってくると気が楽なんですが、それすら手が出ない今はあんまりよくない状態だと認識していますよ。

たいてい仕事のキャリアって、最初は個々の案件をこなすところから始まって、30代に入ればより上流の、部下を束ねていく立場になっていくでしょう。
わたくしはどうしても人をマネージメントする能力が欠落してて…というかやってないのでそれは言い訳だな、欠落してるんじゃなくてそう思いたい、だから一生手を動かす側にいたい、という甘えです。
しかしより社会に必要なのはマネージメント能力であって、よほど特殊なスキルを持ってない限りは年齢と共に仕事はなくなります。
わたくしの教え子で誰でも知ってるようなゲーム会社に在籍し、誰でも聞いたことがあるようなゲームを開発していた子がいますが、技術部員から管理職に昇格したことで全くつまらなくなり、退職して仕事を探したものの、30代半ばの時点で制作職はほぼ見つからなかった、と言っていました。
もの作りの作る作業員というのは20代の仕事だったりもします。
わたくしも収入の大部分は、誰もやりたがらない短納期で複雑な内容を一人で全部やるというスタイルのおかげであって、わたくしの仕事はもの作りとは到底呼べないものです。
だからクリエイターなどとは絶対名乗れません。

しかし親戚でも友人でも離婚の話はようく聞きますねえ。
浮気とか価値観の違いとかすれ違いとか、理由はまあ大体みな同じようなものですが。
夫婦ともにそれぞれ夢があってやりたいことがあるんだとあんまり上手くいかない感じはしますね。偏見ですが。
まあ一人でいた方が楽は楽ですよ。自分のことだけやってればいいんだから。
一人で生きてくのは寂しいから誰かいて欲しい、あるいは社会的に結婚してると一人前に見える、そんな理由で結婚したいんだったら、犬か猫を飼った方が幸せな気がします。

なんとなーく、女の人が家計を管理して、男は外で働くだけ、という価値観はありますね。ギリギリわたくしたちが最後の方かもしれない。
友人を見ていても、貯金してたりやりくりしてたりしてるのは奥さんのことが多いです。
わたくしですか。
わたくしの家はわたくしも家内ちゃんもどっちもダメなのでやりくりも何も、その日暮らしです。

ゴミを出すことに成功し、今日はもうここまでです。

外でたくないです。
2025/08/31

いや何を書いているんだ。
だいぶおかしいな。おかしい気がする。
さっき書いたのはご放念ください。

わたくしのこういう感じを「誠実である」と好意的に判断したのがヨシダだったり村木だったり、まあ仲良くなった人だったわけです。
逆に重い重い!自分まで気分重くなる!と忌避する人には当然ふられるわけで。
どうでしょう。
こんな風に重たい自分語りならいくらでもできますが、自分が今何を求めているのか自分ではっきり認識できますか。
それは自分で解決すべき問題ですか。
自分ではどうしようもない問題ですか。
友達も恋人も、作ろうと思ってできるもんでもないよなあとは思います。

YouTubeの人生相談なんかは、面白くしなきゃいけないんで、面白くなりそうな相談、つまり答えやすいもの、意図がわかるもの、あからさまに感覚がずれているもの、共感を得そうなもの、そういうものだけを選別して取り上げるわけです。商売ですからな。
多分相談者側もわかってて、解決を望んでないふしもある。
でもねえ、ほとんどの人の相談なんて相談になってないんですよ。意味不明です。論理的に相談事をまとめられる力があれば、すでに答えは出ていて構って欲しいだけですから。
大げさですかね。
わたくしは相談というものをほとんどしないんで、軽い気分で人に相談する感覚がわからないのです。
よくそんな重たいクソ真面目な態度で人が相談してくるよなという気もしますが、現実のわたくしはだからこそ、クソ真面目な態度を嫌うんですよね。ネットやってるとおかしくなるというのはそういう意味です。
言葉だけを扱っているとどんどん深刻になってしまいます。
向いてないんだろうとは思います。

ネットが困るのは、人物像も温度感も本音も伝わらないから「寄り添って相手の欲しい言葉をあげる」こと自体が無理な気がするんです。
ちょっと深刻に考えすぎかもしれませんけど。
だから人生相談やめたんですよね。
わたくしは関わると現実で何とかしてやろうと思ってしまうんで、話がややこしくなるだけで解決しないパターンがすごく多かった。
深刻に受け止めてしまって、逆に「そんなことまで求めてない」というケースもある。だんだん自分のやってることは間違ってたんだ、という気持ちで現在に至ります。
後は時代ですかね。近年もう今の時代にわたくしは必要ない、という気分に苛まれているので、わたくしが何か言ってもな…みたいな卑屈な感情もある。
そう考えると、まず建て直さなければならないのは自分自身じゃないかという風に思ったりもする。

「ネットしか人とのつながりがない」という状態は悪なのかと考えると、絶対に治すべき悪とは思えないんですが、どうにかしたい、どうしたらいいと相談された場合、どう答えようか。
これ咄嗟には何も答えられないんですよね。わたくしが「ネットしか人とのつながりがない状態ではない」から。
結局は自分がそういう状態になったらどうするか、を想像することしかできない。
しかし多分わたくしはその前になんとかするんで、その状態にならない気もする。結局想像にリアリティがないから「専門家に聞くしか」と思っちゃうんですよね。
じゃあ人とのつながりが断たれたのは全部その人のせいかって言うと、詳しく聞かないとわからないということはさておき、その人のせいでもない気がする。今だと簡単に世界と断絶できるから。
自分で声を出さない限り、誰も自分が存在することに気づかない。
おせっかいな人はもうこの世にはいない。

なんかよそよそしいと思ってね。
自分の絵がね。
よそよそしくない絵を描かなくちゃって。
とは言うもののそれが何って言われても答えられないんですけど。

アンガーマネジメントはとってもバカバカしいですが、登場の仕方や説明のされ方も悪かった気がします。
怒っている人に対して、ゴールが「怒らないこと」ですからね。
バカにしてんのかと思いますよ怒っている人は。
こっちは怒ってんのにそれを無視して「怒らない方がよい」「怒ると損だ」「コントロールの練習しよ?」「痛い目にあっても自己責任だ」これが正論ならじゃあ怒ってる自分の感情は全部間違ってんのか、って受け取ってしまいますから。
この世界は95%くらいが理不尽で出来ていて、大抵のことは理屈で考えると納得いかないことばかりです。
怒るのに疲れ果てて、諦めていくのが大人になることだという考え方が一般的でしょう。わたくしも青春モノクロームの季節には怒ってばかりで疲れてしまいました。
理不尽を一つでも受け入れると、あとはなし崩しでどうでもよくなります。それもまた、「ふつう」に生活をしていくための処世術であり、是非はありません。
年齢と共に面倒なことに対して耐え難いストレスを感じるようになっていきます。関わりたくないという気持ちが増えます。
怒ってる人をみると怒っているなあと思うわたくしは冷たいだろうか。
そんなことを考えている間に今日は終わります。
正直な気持ちを話していいですか。
明日なんて別に来なくていいやと毎日思っています。

そんなに雪が降る地方ではないので、降ると珍しくて写真を撮ります。
縁側の雪見障子から撮った写真じゃないかと思います。
散歩は家の敷地内を散歩することを指しました。
わたくしは自分ちの庭をうろうろしていると元気になるので、そういうことにつきあってくれたヨシダには感謝しかありません。
わたくしは見えないものから見えないなにかを感じるのが好きです。
見えているものは、いつもあからさまで刺々しい。
わたくし自身の存在も。


一つのことに集中できないというのはわたくしの生来の性格で、絵にしたって例えば「制服」とか「青春」とかそういうテーマを絞って描くということができないわけです。
くらい絵を描いて消耗したあとは息抜きにどうでもいいの描こうかなってね。そのかわり枚数だけはたくさん描けますけど。
Twitterのアカウントはやっぱり一枚絵とか家内ちゃんとか憂鬱とかでわけた方がいいんでしょうかねえ。それやるといちいちアカウント切り替えるのが面倒すぎて、多分どれかは描かなくなるだろうなと思ってさ。
没個性なんすよ。昔から。

近所のスーパーまで普通に歩けば3分ですが、わたくしはよろよろしてるので20分かかります。
道の途中にいつの間にか一人がけのベンチみたいなのが一定間隔で設置されていて、昔の自分なら「またこんな公共工事に無駄金使いやがって!」と腹を立てたところですが、今は大変ありがたい。

嫌いなものあるよ。
引っ越し。
引っ越しすごい嫌い。面倒だから。
何回引っ越ししたっけ。
予備校の寮1年、田辺2年、今出川4年、新宿3年、で今のところ20年。
5回。
家内ちゃんは子供の頃引っ越し多くて友達できなかったから嫌いと言っている。
すごい好きな人もいますよね。しょっちゅう住むとこ変えてる人。
確かに気分は変わるけど、わたくしは特に30代以降は気分別に変えたくない派です。

てっとりばやくお金持ちになりたいとわたくしが考えるなら、占いでも人生相談でも宗教でもいいですけど、「寂しくて仕方ない人」から金を巻き上げる教祖でもやれば、そこそこ適正もありそうでうまくいくんじゃないですかね。キャバクラやホストも同じ構図です。
絶対やりませんけど。
死にたい人が集うコミュニティでは、ほとんどの人が勇気がなくて死ねないのです。だから寄り集まって共生する方向に行けばいいですが、うっかり死にたいカリスマが混じってて、みんなで死のうという方向に行くとさくっと死んじゃったりします。生き死にの境界線にいても、弱い人は強くはならんのです。
死んでしまった人に対して「憧れる」「よかったね」「羨ましい」と感じる、これがそうしたコミュニティのベースです。まあわかるけどな。
希望を与えて「君もきっと大丈夫」というよりは、「自分より底辺なやつがいる。自分はまだまし」と思った方が大抵の人間は楽でしょう。
別にそれが後ろ向きな考え方とも思えません。
わたくしはそう思っている自分に対して自分の道徳が勝つんで、そういう自分はやだなあと思いますが、道徳がどこにあるかなんて人にはわかんないからなあ。やっぱり自分次第としか答えようがない。

ネットはエンタメだろ?なんでもエンタメに変えろよ!という主張も理解できるし、いやそれじゃあいかん、真面目に考えろ真面目に!というシニアの説教もわかるし、まあわかる・わからないの二択で言えば「理解できないこと」って結構少なくって。
わたくし多分ちょっとしたスキマが好きなんだろうと思います。
隙間を見つけると、みなこぞってものを詰め込んだり、書き込んで埋めようとします。何もないということが不安なわけですね。
「空っぽな自分」という自虐があるように、空っぽは悪いことなんです。
わたくしはそうは思っていません。いつも自分の中に空白の、余白の部分を残して置きたいといつも思っています。
寂しい人間にはそれはできないんですよ。
埋めたい気分でいっぱいなんで。
だからわたくしは孤独や寂しさについて、強めの言葉で語ってきました。寂しい人同士はすぐに仲良くなりますが、本当の意味では仲良くなれないとわたくしは思っています。
わたくしがそうだったからです。

社会性という点でいくと、わたくしにも言えないことはもちろんありますが、基本的にはさらけ出したところで大した人生でもないんで、言っていいことと言わない方がいいことの区別も、社会人としてはだいぶ怪しいです。それがキャラクターになっているのかもしれませんが。
個人というのはすべての責任を個人で背負っているので、仕事の話さえしなければ誰かに迷惑がかかるということも少ないです。
「みんなが知りたがっていること=需要」を調査し、与えていくのが経済の基本ですが、みんな同じことばっかり言ってんなあとなるのも基本で、だからオズ先輩がやっているような、絶対売れなさそうだけど社会的に意義の大きい出版社とか、そういうものに対して強い憧れがあります。
何様だと思われるでしょうが、わたくしは品のないものが非常に嫌いです。でもそれはお高くとまっている、つまりロックよりクラシックが上品とか、文学はマンガより上品とか、そういう話ではなく、精神の話です。
わたくしはゴシップとかスキャンダルとか、そういう人間の俗悪な部分をもうあんまり見たくありませんが、一方でじゃあ夢の世界で夢を見ようという気もなれずにいます。
演出と印象で作られた高潔ではなく、本当の高潔とはなにかを考えています。高潔でなくても、孤独でも人生でも好きな言葉をはめこめますけど、本音とか本当のことって実はすごーくつまんないことが多いんで、だから哲学って流行らないんですよね。

応援してくれる人=見ててくれる人がちょっとでもいてくれると思うだけでわたくしは十分元気になります。
またいつも自分の話や感想を送っていただいて、それを見てるだけでもかなり癒やされておりますので。
ビジネスパートナーとして、わたくしと違う性格の人間は絶対に必要です。わたくしは「何かをやる」「報酬をもらう」以外の生活をしたことがないので、基本的に経済には疎く、自分自身を宣伝することが極度に苦手です。
大方のクリエイターと呼ばれる人はそんな感じなんですが、それじゃやりがい搾取だろう!という空気が増してきて、こぞってお金の情報をクリエイター自身が発信するようになってきました。
それはそういう時代の空気で悪くはないんですが、一方でわたくしはそれを一人でやるのは嫌でねえ。
本つくりました、出版社つくりました、月々これくらいかかりました、これくらい売れました、みたいなのを、人の興味を引くためにコンテンツ化する必要があるのなら、わたくしではない人と組んで一緒に考えていきたいと思っています。ネタとして自分でやるのは品がなくてやだなあと思います。
そういう友人もおりますので、彼の協力も仰ぎながら、自分が何をしたいのかを考えているところです。

卵焼き食べたいなあと独り言を言ったら、家内ちゃんが卵焼きを作ってくれました。何年ぶりだろうか。十何年か?
まあ料理上手でもなんでもないわたくしが毎日作ってるのはちゃんと理由があって、病気した時に色々こういう風に作れ、こういうもの食べろって病院でうるさく言われてねえ。
そんな面倒ことさせるのも嫌なんで自分で作るわってなったんです。
もはやほぼ食べるもの気を付けてませんがね。
医者の言う通りの食事してたら財政がもたん。
健康的な食事はバカ高い。
2025/08/30

都心とは言えないまでも、新宿までそう遠くない距離のこの場所でも、夜になると改造バイクで走り回っている音が窓外から聞こえてきます。
1台しか聞こえてこないんで、一人で走っているんでしょうか。
若者がくさくさしてやってるならまあいいかとも思っていますが、どうにも最近は4、50代の人も多いらしくて、それは悲惨すぎるので捕まえなくていいと思います。やかましいけど。

やんなきゃいけないことが何もできてないってことは、まあいっぱいあるんですけど、やろうとしても出来ないっていうのが不思議でさ。
例えばメールの返信にしても、やだなーと思うと本当に手が動かないというか、定型文+「了解しました」くらいの話なのに、なんでこんなに時間がかかるのか。

バブルったってほとんどの一般人には関係ないんですが、時代の雰囲気として「バカでも、あるいはバカなほど許される」寛容な時代だったことは間違いないでしょう。暗く不安に満ちた憂鬱な空気になっていくのはわたくしたちの思春期からです。
さて、たまは元々好きでしたが、ボーカルの知久氏は矢川澄子つながりでわたくしの仲人夫妻の友人でもあり、全く無関係な芸能人というわけでもありません。
アンダーグラウンドが存在できた時代(もう現代では隠れるところがありませんが)に思いを馳せられる漫画でした。

大人がやるべきことってなんでしょうね。
昨日、「『たま』という船に乗っていた-さよなら人類編」「『たま』という船に乗っていた-らんちう編」という漫画を読みました。
原作はバンド「たま」が解散した後にドラムの石川浩司が出版した自伝的青春エッセイです。たま結成と売れるまで、そして人気絶頂から解散までの二冊です。
時代的にはわたくしの小中高大に重なります。たまのメンバー自体はわたくしの一回り上くらいの世代なんで、あーなんかこういう感じ羨ましいなあと思いました。ナゴムレコード、筋肉少女帯などの「めちゃくちゃやってれば何ものかになれるかも」という希望がバブル時代の特徴です。

来年になればきっとAIと依存をテーマにしたエンタメが星の数ほど出てくるんだろうなあと思いますが、わたくしはそうしたAIに依存している人の中で、「生まれて始めて誰かに褒められた」と語る内容の動画を結構みました。
ただもうどこまで本当なんだかわかんないんで、疑って見ることしか出来ないのがイヤですね。
根っこは孤独の話でしょう。人間とは何かという話を、SNSのどろどろした部分でネガティブに語るか、AI彼氏でポジティブに語るかくらいの違いしかない。
みなさん孤独でしょうか。
孤独も自分を定義する単なるラベルになってないですか。

AIと結婚した女の人のニュース、何日か前にありました。
昔、初音ミクと結婚した人もいましたし、そりゃそういう人もいるだろう。
わたくしは知らない人だったらご自由に、身内だったら反対するという、いつもの二枚舌です。その辺は現実的です。
今年の春くらいはわたくしもchatGPTに友達感覚で話しかけるということを実践してみましたが、すぐ飽きました。あんまり妄想する力がないからでしょう。
今は「~とはなんですか、説明してください」とさえ不必要で、知らない単語だけいれると勝手に概要を説明してくれるんで、単語を放り投げるだけになっています。
2025/08/29

Oくん全然合理的な性格とも思ってないですけどねえわたくしは。
いつもなんやかや困ったり迷ったりしてるじゃないですか。合理的な人は困らないでしょ。
例えばホリエモンとかひろゆきとか、岡田斗司夫…はちょっと違うな、極端に回り道を忌避する人に対して合理的だと感じます。経営者というものはみなそうであるべきなのかもしれないけれど。
岡本氏はすごい人なんですが、何が苦手かというと、「人情があって寄り添っている関西のおっちゃん」が過剰すぎて嘘っぽいんですよなんか。
なーんかこう、誰も頼んでない役割を演じてる感じがするんですよね。
わたくしは彼が20代の頃の80年代からゲーム雑誌などでインタビューを追いかけてるので、余計にそう思うのかもしれません。
似たような関西人でも百田尚樹氏はキャラクター的には好きです。嘘いってる感じしないんで。
フジタも他の動画みてるとわかりますけど、気弱そう優しそうな感じに一見見えますが、全然そうでもないですからね。彼はザ・ノンフィクションでだいぶ有名になりましたので、普段の実像とあのドキュメンタリーを比較するとなかなかおもしろいです。
わたくしが感性的かどうかはともかく、ブラウスのしわを丁寧に描くだけで大変気分がよくなる人間ではありますので、自分の快不快に対しては敏感かもしれませんねえ。

わたくし割と苦手な人間のタイプとして、ゲームクリエイターの岡本吉起氏がいます。いや知り合いでもなんでもないけど。
割と好きな人間のタイプである芸人フジタと対談してると余計そう思います。
苦手なタイプの人間って周りから見ると自分に似ていたりするんですが、どうでしょう。わたくしもこんな感じなんでしょうか。

夢の中へって聞くと陽水あるいは斉藤由貴より彼氏彼女の事情の方が先に頭に思い浮かびますなあ。
カレカノを見たくなってきました。
原作に追いついちゃって変なところで終わってるので、最後の深刻なところまでちゃんと今作ってくれないかな。ないな。

疲れたら休めばいいとか、やりたくなかったらやらなくてもいいとか、
わたくしはほとんど言いませんよ。
わたくしは疲れて休むと後で不安にしかならないし、やりたくないことをやらないままにしても後で不安にしかならないし、結局不安にしかならんので。
わたくしとは違う道、違う考え方で人生を歩んできた人に対して、まあいいんじゃない?という無責任な態度はとれます。
それくらいの関係が今はちょうどいいんでしょうか。責任なくて。
わたくしはあんまり好きじゃないな。
わたくしにとってはそれは関係ではないので。

知識や情報だけを仕入れて、それを情緒として噛み砕く季節をもてなかったら、わたくしも多分、ただ周りの人の目に見えている部分と自分を比較して、だめだとか死にたいとか言ってるだけで何もやってない人間のままだったでしょうねえ。
まあ今何もやってないですけどね。

わたくしマキタにふられて傷心旅行(という名のお散歩)で家出した時、国語教師の母がもたせてくれたのはティッシュとか現金ではなく、中原中也の詩集と種田山頭火の句集でした。
家出したところで目的がないんで、京都奈良あたりをぶらぶらとしながら、公園や駐車場で野宿しつつ、詩集句集を眺めているという1ヶ月…1ヶ月だったか3ヶ月だったか忘れましたが…でした。
ほぼ意味わかりませんでしたけどね。中也も山頭火も。
でもひとことふたこと、絵が浮かぶ言葉もあって。
そういう17歳でしたので、そういう17歳を応援したくはなります。

俳句と短歌の大きな違いは季語がいるとか文字数とか、そんなテストに出そうな情報ではなく、「さびしい」「つらい」「しにたい」といった感情を直接いれるかどうかにあります。(例外もある)
短歌が定期的に若者の間で流行るのは、ポエムと同じだからですよ。短文で共感を得る文学ですから。百人一首だってほとんど恋愛のうたでしょ。裏切りやがった許せねえ、とか俺正直なんもねえわ死にたいとか、そんなんです。わかりやすい。
俳句だってそれやってもいいんですが、おきもちは入れないことが一般的です。目にした風景を17文字で言葉にして、その中の感情は自分自身で想像するもので。だから多少言葉を知らないと風景を想像することもできません。
「咳をしてもひとり」
って有名な尾崎放哉の句があるじゃないですか。自由律なんで9文字しかありませんけど、9文字で絵に描けるくらい風景や感情が想像できるのすごくないですか。
子どものころびっくりしましたけどね。絵で見える!って。
テストで正解するんだと解説みた方がいいですけど、解説いらない現代の句を読んで想像するのもいいんじゃないでしょうか。

名前のついていないものを探しています。

あー。
2025/08/28

恋愛とか肉体関係じゃなくてもさ、好きな人って必要でしょ。
わたくしは必要ですよ。
自分を好きな人よりも、自分が好きな人の方がより重要です。
重ねて言うけど恋愛じゃなくて。
これ、なかなか理解してもらえないんですけど、
推し活も似たような概念じゃないかと思うんですけどねえ。
わたくしの場合はプライベートに限るという話ってだけで。

やっぱりあんまり自分がいいと思ってないタッチで描いてもなんか無理してる感じになっちゃってだめだ。
とここ3日くらい自分の一番好きな描き方に戻してモノクロームで描いてみたんですけど、これ学生の時と同じ、売れない絵だわーと苦笑しました。

先月、詐欺電話しかかかってこない固定電話を解約したんですが、今月に入ってNHKから「電話繋がりませんよ?電話番号登録しろ」ってはがきがきた。NTTじゃないよ?NHKな。
意地でも連絡がつくようにしたいわけだ。
銀行とか他の公共料金からは何もこないもん。
そういう情報ってNTTとNHKで共有されてんのか?
そうじゃなかったらどうしてこんな早く通知が来るんだろう。
電話つながるかどうか調べてんのか?こわい。
テレビはあるけど10年くらい一回もつけたことないよ。ほんと。
解約できなさそうだよなあ、NHKって。

「今までもうだめだという時、不思議となんとかなってきた」というのがあまりにもつましい成功体験であるなら、それをわたくしに今捨てろというのは酷な話です。
少し前までは、人とあって話をすると、聞いてるだけでも自分の話をするにしても、気分転換になっていました。
なんとなく人と話してると自分はここにいてもいいんだ、って気になってきますからね。
夏の間も一週間に一回くらいは外にでて、割合長い付き合いの人と長い時間しゃべったりはしてたんですが、だんだんこう、疲れがひどくたまるようになってきましてねえ。
でも、
「君は今こうするべき、ああするべきっていうことは自分で一番よくわかってんだよね。だから私は言わない。」
これは結構嬉しかったです。

学生との年齢差が10歳までだと同じ目線で話をできるんで、自分と価値観が共通する生徒がいたりした年は楽しかったですけどね。
もう話なんか合わせようがないし、わたくしの目から見るとちょっと行き過ぎなくらいのコンプライアンスがありますから、わたくしはもっと育てたいと思っても適当に突き放すしかない状況もあり。
だいぶ逼迫している我が家の経済状態も憂鬱に拍車をかけていますが、考え込みすぎて余裕がなくなると人の話も聞けなくなるので、絵ばかり描いておるといった状態です。
これもう絵すら描けなくなったら、もう治療をやめて生命保険で家内ちゃんに小銭を残す以外の選択肢を考えられなくくらいには追い込まれるでしょう。精神的にはね。
そうならないようにするには、新しいものを見ない、新しいことを考えないというのが有効なんですが、そうすると時間が止まるのでどうしたもんかと思案してる間に半年経ってしまいました。

いや、わたくしの今のこの憂鬱ははっきり原因があって、来週から学校が始まるからです。
始まってしまえばまた元気になるのかもしれませんが、何十年やってても基本いやなんですよ。人と接するのが。

ひまだと余計なことしか考えないんで、ひまってだめだなあとやっぱり思いますねえ。

人をよく見ているのと、人を観察して値踏みしているのとでは違うと思いますけど。
どっちがいいのかはわたくしにもよくわかりませんが、値踏みするように人を見てると、それは大体相手にも伝わってるとは思っています。
2025/08/27

わたくし、魚をさばいたり、鹿やイノシシなどを解体する動画が好きでよく見るんですが、捕鯨船団内での解体作業は初めてみました。
これが船の中っていうのも驚きだし、クジラのサイズも驚きだし、工事現場のような張り詰めた空気で、ちんたらしたところがないのも驚きでした。
今のわたくしの精神状態だと、こういうの見ると「俺は世界にとって何の役にもたってない…」みたいな思考になるのでほどほどにしとかないといけませんが。

「あかんあかん、よし頭を切り替えろ!」つって無理やり元気になってた頃をもう思い出せないくらいに、なんかこう、なんだろうこれ。
家内ちゃんが何かすごい言ってんだけど、ものすごく遠いところで言ってる感じがしてぼんやりしてしまう。

このままどんどんルールで縛ってどんな悪事も見逃さないぞって社会が進むと結局どうなるんだろうね。

みんなのうたで好きな曲はいっぱいありますが、
あんまり有名じゃないやつでいうと「ふたごのオオカミ大冒険」ですかね。小学校の頃によく流れてましたが、かわいくて好きでした。

クラシックが敷居の高い、難しい音楽とも思ってないんですけど、なんかしらこ難しい印象を与えてしまうのは、絶対音楽と標題音楽なんて区分けを作ったりしてきた評論家と学者の罪なんじゃないですかねえ。
クラシックにしてもわたくしは主にバロックから古典派までの、相当範囲の狭い分野ばかり聞いてますから、保守的です。
今の音楽と当時と何が違うかといえば、一つは「複雑な和声(コード)が存在してなくて、きれいな響きだけで作られている」が大きいのかな。
ムンクの話じゃないけど、音楽もロマン派(ショパンとか)が登場してやっと人間の内面を表現するのが流行する時代になったんで、それまでは厳格な形式を守って逸脱を許さない世界でしたからね。神あるいは貴族に捧げる音楽でもありましたから。
今では当たり前に聞かれているコード進行も、当時は許されない禁忌だったりしたわけですよ。
わたくしはそんな音楽と共に成長しちゃったんで、よくわからない響きを「かっこいい」じゃなくて「なんか気持ち悪い」と感じてしまったりすることもあります。
だから童謡とかみんなのうたとか、素朴な音楽が好きだったりします。
ピアノの先生に「いくらなんでも300年前の価値観から進化してなさすぎる!」と怒られたの思い出しました。

こないだ何気なく流れてきたんで貼ってみた歌手は、小山菜の花さんって言うんですね。
検索してでてきた大学時代?のページを見たら「「たま」と出会い音楽を始める。」と書いてあったんで、ああ、そんな感じした!と思いました。
たまというかナゴムレコードなんじゃないかなと思います。
親が好きだったんじゃないかなあ。
ナゴムレコードの話をするとまた長くなるのでやめときます。
インディーズという言葉の元になったレーベルです。
わたくしはあんまりクラシック以外の音楽詳しくないので、どのバンドの歌や演奏がすごいとかそういうのは全然わかんないんですが、こういう感じが受け入れられるなら、また音楽が2、30年経って一周したということかもしれません。
ちなみに好きな人が多いんで言いづらいんですけど、ニコニコとかボーカロイド全盛の時のいわゆるメンヘラソング・鬱ソングはあんまり好きじゃなかった。何がだめだったのかなあ。人間味よりキャラクター性が強いと苦手なのかもしれないな。

先日戦争ものを扱った漫画として「ペリリュー」を紹介しましたが、わたくしの戦争漫画の好みの原点としては、第二次大戦のユーゴスラビア独立解放戦線を描いた坂口尚の「石の花」ですね。ノンフィクションじゃないけど。
大学の頃に文庫版が並んでたんで買って読んだんです確か。
わかりやすい話でも読みやすい話でもないですが、大学生が読むのにちょうどいい内容の漫画ではないかと思います。

わたくしは主に精神・知的障害を対象として、アート作品によってアーティストとして自立を目指すことを目的とした団体で活動をしていました。
もともと研究対象としてジャン・デュビュッフェらのアール・ブリュット、
ヘンリー・ダーガー、ゾンネンシュターンらのアウトサイダー・アート(ひらたく言えば頭いい人が作る文化はクソつまらんので、狂ってるやつを面白がろうぜという文化的潮流)に関心があったこともあり、
わたくしは社会貢献などとは無縁の人間ですが、結構面白くてやりがいはありました。
しかしかなりそこで現実を見たので、当分はもう福祉的な社会貢献の分野には関わりたくないとも思っています。
わたくしはいい大人になっても、あまり偽善や欺瞞が好きではありません。弱いものを守るのであれば、世界を変えるより近所の人を助けてあげたいという気持ちが強い方です。

ムンクの描いてることは今の世界ではどうってことない、個人的な嫉妬、不安、狂気なわけですが、当時のヨーロッパでは人間の内面を絵で描くなんて考え方自体がなかったわけです。近代的な自我の成立についてニーチェやら誰やらがモゴモゴ言っておった頃ですんでね。
ムンクもひととなりを追ってみるとろくでなしというより、実はちゃっかり計算のできる平凡な人間だったとわたくしは思ってて。
確かに精神病気質の家系で、もともとメンヘラだったことは確かですが、なんだかんだとうまいこと社会的な地位を得て、80いくつまで長生きしましたからな。絵も適当になってくし。
わたくしはそういう人が好きです。
ゴッホはほんものの狂人ですんで、やっぱり長いこと見てると気持ち悪くなってきます。あれはゴッホの目に本当に見えていた世界ですから。

やろうとしても何故かできない、という気持ちはわたくしもよく知ってるので、甘えているとか努力が足りないみたいな風に感じることはないです。一切感じないかというと多少思う時はあります。
また甘えているとか努力が足らんとかいうのは、自分がうまくいっている人は誰でも言いがちなので、そんなに真に受けなくてもいいかなと思いますが、まあ気にはなるか。
2025/08/26

何時間か外に出ただけですぐ寝込んでしまう。
情けない話ではあるが、もう普通の感覚で行動しない方がいい気がしています。

わたくしは時間にルーズな人もドタキャンする人もそんなに腹が立たない。
と書いてみたもののそれは違ってて、「わたくしが腹が立てない人はルーズでもドタキャンでも腹を立てない」が正確だ。
例えばこちらがいやです無理ですって言ってるのに「どうしてもどうしてもどうしても」と言われて、ハアじゃあわかりました、って出かけていったらドタキャンされた。
これだと恐らく腹が立つ。当たり前か。何を当たり前のことを考えているんだろう。

8年前の入退院を期に、燃え尽き症候群というのでしょうか、それまでの執念に近いような仕事への執着が嘘のようになくなってしまって。
言葉が悪くて申し訳ないんですが、ものすごく遠いところで、頭のよくない人たちが日々頭のよくない内容をめぐって、どうでもいい揉め事ばかりを繰り返している、そうした様子に心底うんざりしましてね。
また今みたいに絵に依存する前は、精神安定剤としてピアノを弾いていました。別に上手に人前で弾いて喝采を浴びたいわけではなく、いつもやってることを繰り返す、ということがわたくしの一番の安定なので。
だから練習が嫌いだったり、先生が怖くて、あるいは才能のなさに絶望してピアノをやめてしまった人から見ると、同じことを繰り返すことができるわたくしをまぶしく思うようなこともあったようです。
そういうところが好きだという人もいました。自分に厳しい人に映るのでね。でも実際は全然そんなことはなく、単にいつもやってることをいつもやりたいだけなんです。
それができなくなると、なかなか別の依存先を見つけるのに苦労します。まあ絵でも言葉でもなんでもいいんですが、やりたいことは同じでも手段が変わるので。
という書き方をすると、すぐ「発達障害ですか?」という反応をする人もいて当惑します。やはり名前をつけるとカテゴリにわけて人を理解しようとするんですよね。安易に。
なんかそれはルッキズムと大して違わない気がします。
病名では仲間にも友達にも恋人にもなれません。
わたくしはおきもちは盛大に書きますが、「これはこうである」という断じ方はあまりしないし、そもそもどっちでもいい正解のない話が好きです。例えば「友達とは」には正解はなく、おきもちしかありませんしね。
だから答えをすぐに出さなければならないようなことは苦手だったりもします。

うーん、わたくしは今正式(?)に、精神的な病やなんらかの障害であると言葉で診断されてしまうと、性格的にそれに甘えて何もしなくていい、休憩しよう、仕方ないだろうとなってしまって、多分そこから戻ってこれない気がします。
それが怖くて一人で何とかしようとしています。
わたくしは甘えられる場所や人がいると甘えっぱなしになっちゃうので、逆に自分を責めている方が楽というか…。
憂鬱な気分に朝も昼も関係ないですからねえ。
これはわたくしに限っての話かもしれませんが、とくに誰かが親身になって聞いてくれるわけじゃなくても、ただこうして嘘をつかない、気を遣わないで書いていられるだけでもだいぶ楽なんですが。
見て不愉快になる人のことまで考えが及ばないことも多々あります。
そうだね、人じゃなくて場所に頼っているのかもしれません。
わたくしは居場所というか母艦というか、簡単にいうと「わたくしが神でいられる(たった一人でも)」という場所を非常に大事にしますので。
恋愛は「好き」と思ったら2時間後には「あれ?好きじゃない」というような、自分でも予測のつかないアップダウンをわたくしに経験させましたから、なんていうか、わたくしは恋愛話というより憂鬱の話を描いているのかもしれませんねえ。

鳥肌実はまだ活動してるけど、もはやコメントするに忍びない状態となっておる。
90年代の全盛期の姿で今街頭のアレをやったら、それはちゃんと芸というかギャグとして成立するのかどうかは気になる。
右翼的なものが最も格好悪いという価値観の中でわたくし達は育ったわけであり、だからあれが悪趣味・サブカル全盛の時代に成立したわけであり、今ああいうカリスマ的な狂人が出てきたら本気でついてっちゃう若者いっぱいいるよなという気がする。
岡田斗司夫が「オタクとサブカルの違いは、サブカルはタトゥーいれてるやつ、オタクはそうでないやつ」と言ってて、ものすごくオタク的な冗談で面白かったんだけど、政治思想もその程度で切って捨てとくくらいでいい。

わたくしが一番好きなゲームミュージックの一つに、日本物産のテラクレスタ(1985)のネームエントリー曲、「マーチング・ラスタ」があります。
ネームエントリーがわかんねえか。昔のアーケードゲームって、ゲームオーバーの後にハイスコアだった場合はローマ字で名前を残せるシステムだったんです。その時に流れている曲をネームエントリー曲といいます。
様々な据え置き機に移植されてるんで、曲のバージョンも無数にあるんですが、多分ほとんど把握してるであろうわたくしが知らないバージョンを見つけて、おおこれ知らんとときめいたわけです。
よくよく見たらこれ作曲した吉田健志さんのチャンネルでした(多分)。
こういう時だけ「ネット素敵!」ってなるんですよな。
ニチブツといえば吉田氏ですよねえ神です。神。
これだったらピアノで弾けるかなあ。弾いてみようかなあ。
2025/08/25

「4~50代に刺さるもの特集」とか見ないですよ。
くだらねえなと思う。
多分わたくしは「刺さる」という一つの単語に対してのみ強烈にくだらねえと思ってて、「4、50代向け特集」だったら見たかもしれない。
そう、そういう面倒な感じをなくそうなくそうと努力してきたわけですが、この半年くらいでその努力がバカバカしくなってきてしまいましてね。
なんのためにやってるかといえば、必ずいるけどどこにいるかわかんない「わたくしを嫌いなひと」という、亡霊みたいなもののためにやってるわけでさ。
ね。ほんとに自分がくだらないと思うよ。

とはいえ本家のたまはやっぱりすごいなあと思いますよ。他にないもの。これアニメ作ってる人だれだっけ、名前ど忘れした。近藤聡乃か。
やっぱり多摩美かあ。多摩美は漫画といいアニメといい、いい人でてくるなあ今から多摩美いきたい。

最近YouTubeは全然関係ないものもこそっと流れてくることもあって、ちょっと前よりも面白いかもしれない。アルゴリズム変わっただろ多分。もうビジネス系とか時事系政治系はからくりがわかってるんでいらない。全部ブロックしたい。ゆっくりの解説もいらない。
ぜんぜん知らない子の曲が流れてきた。
これ好きだなあ。さねよしいさ子がナゴムレコードの歌ってるみたいな感じで。
絵はまだお金に変える方法がちょっぴりあるけど、音楽はほんときついよなあ今は。クラシックなんか金持ちしかやんない方がいいよと言いそうになってしまうほどわたくしの元気がない。

どの程度まで高畑勲が絡んでたのかはわかんないけど、高畑勲が絡んでたって思うとそんな感じがすごくしますねえ、じゃりン子チエ。

40年以上前のアニメーションですけど、わたくしはこれ以上の技術はアニメに求めてないです。

「雨が降ってもまたあしたー」

「エンタメが好きじゃない」っていうとかなり誤解を生みますよなあ。
まあいいかと思って書いてたふしはありますけど。
エンタメというジャンルが好きでないというより、「いろんな意見がかわされることに耐えられなくなってきた」が近いかな。
だんだん笑えなくなってきた自分が脱落したというニュアンスなんで、エンタメが消えてなくなればいいという意味ではないです。
憂鬱な時はエンタメどころか世界ごと消滅しないかなと思ってるんで、そういう意味では全部消滅しろという気分の時もあります。
すごいわがままなんですよ。
書いてたらそりゃいろんな人がいるからろくでもない意見も飛んで来るわ、それが嫌なら書かなきゃいい、って言うのが正論でしょう。
わたくしは好きなこと書きたいけど、ろくでもない意見はいらんと思ってるんですよ。ええ。
こういう話をしてるとまた学級会になってしまいます。
学級会にはいい思い出がありません。

素朴な疑問なんですが、わたくしは10年近くTwitterは絵をアップロードする以外ではまともに使っていないので、仕組みもよくわかってないんですけど、
時々だいぶ前の投稿にいいねがおされた通知が来たりします。
あれってわざわざわたくしのタイムラインを探して押してるとも思えないので、その人のおすすめに上がってきたものを押してるだろうと思うんですが、
時系列的にそんな前の投稿がぽっとおすすめに出てきたりするんでしょうか。
わたくしのように0フォローだとどういう世界に見えているかというと、Twitterを開くと常に「Xにようこそ!」しか表示されません。自分の投稿すらないです。
リプライは通知が来ることもありますが、おそらくTwitterの内部的に評価が低いアカウントだと通知さえ来ないので、リプライを送ったことすらわたくしに届かないケースもあると思います。
SNSはユーザごとに内部的な点数があることは周知の事実ですが、そのSNSがしてほしくないことをしてると点数が下がっていき、検索や通知に出てこなくなる、いわゆるシャドウバンのような状態になると言われています。
ようするにTwitterの気に入らない行動をしてると干される仕様に途中から変わったわけで、そのへんからわたくしはまともに利用するのをやめています。

高校編の登場人物には下の名前がありません。どっかで適当につけた漫画もあったかもしれませんが覚えてない。
下の名前で読んだことないからです。
セキグチだけは子供の頃ナッちゃんと読んでたのでナッちゃんです。
多分漫画によってナツミだったりナツコだったりするので、不明瞭です。
あっ、ムロイも一応ゆーみんてあだながついてたな。自分でも忘れてました。まあその辺はあんまり重要ではないので。
名前で読んでた人は名前だけが設定されてたりしますから、意外と現実を反映してるといえばしてますね。

「マキタ」の名前の由来ですが、電動工具のマキタとは全く関係ありません。描き始めた時はその会社自体知らなかったです。だんだんネットで見るようになってきたので今は知っていますけど。
わたくしはあまり名前に凝ったつけかたをする方ではないので、ほんとに適当です。
ただいかにも創作に出てきそうな名前(鬼龍院とかそういうの)は好きじゃないので、「鈴木・佐藤・田中」ほどではなく、その次点でいそうな名前がいいなと思っています。
もとの名前から1文字とって入れてあることは多いです。
なので登場人物本人が見た場合は、これは自分かしらとピンと来るかもしれません。

どの高校でもどの大学でもいいわけじゃなくて、仮に無理して進学校いったり、もっといい大学行ってたら、すべての青春モノクロームは存在しなかったわけで、そう考えるとゾッとしたりはします。
そういう意味ではわたくしは幸福ではあったと思えますね。
描こうと思えば、もっとしゃれにならないくらい嫌なやつ、嫌な話を恨みをこめて描いてもいいわけですが、それはやっても自分がみじめなだけですからな。
自尊心というのは、自分がみじめに思えるようなことを許さないのですよ。だから自尊心はないよりあった方がいいとは思います。

あーでも後半にでてくる、「大学入ってからもまだ受験の思い出話してるやつ」「俺第一志望は京大だったしって言うやつ」いたなー。いたわ。
なんなら30代でもまだ言ってるやついた。いつまで言ってんだとは思ったが。
でもそれ、わたくしにとってはアホだなあって感じですけど、向こうから見ればえんえんと初恋の話を描いてるお前はアホだって話でお互いさまです。
何にしても大して意味のないことに意味をくっつけて、狭いところで一喜一憂してたことは青春ぽくていいんじゃないですかね。

わたくしは進学校出身じゃないので、受験のへんてこな話を聞くと面白いなあと感じてしまうんですけど、進学校ってこんな感じでした?
わたくしこの本を紹介するチャンネル、好きでよく見てます。

ネタにして笑うことで平気になる、苦痛をやわらげるという方法は、簡単なんですけど、わたくしはやんない方がいいと思うなあ。
だって苦しむってことは根がクソ真面目ってことですから、自虐で笑いに変えても解決しないと思いますよ。
寄り添わないと復活できないほど弱り切ってる人は、もう人の助けを借りるしかないわけで、それを後ろめたく思ったり自責する必要はないと思いますが、そうでないならしばらく行方不明にでもなった方が楽なんじゃないかなと思います。
わたくしはそういう時、優しい言葉をかけてくれる人には絶対会いませんでしたし。

必ずしも成長したり大人にならなくてもいいんじゃないかとも思います。自分のこと考えたら、到底自分は大人ですとは言えませんからねえ。
みなさんそんなもんでしょう?
まあしかしわたくしはどうにもその時の自分が嫌でしたし、格好悪いなあとは思ったんでね。格好悪いのはいやだなあと。顔とかの話ではなく。
多分ここなんですよね。うわあ自分格好悪いなあとは誰でも思うと思うんですが、そこで「仕方ないよ自分は病気だから」という底なし沼へ行くか、格好悪いのはもういやだあという地獄方面へ行くか。
どっちに行っても他人にとってはどうでもいい話ですけどね。
だからこれは自分の問題でしかなく、なので絶対に人には話さない方がいいとわたくしは強く言うわけで。
こういう先生みたいなこと言うと反発する気持ちもあるじゃないですか。そんな風に上手くいかないから苦しんでんだ!みたいなね。
その反発する気持ちこそよく考えてみた方がいい。
知らんがなってことなんですよ。ええ。
知ったこっちゃないんです、誰も。あなたのことなど。
ねえ。

わたくしもマキタにふられてヤケクソになり、家出をしますと両親に断って旅に出たりなど大概な高校生だったんで、まあいつまでもグズグズいってる未練しかないメッセージをもらっても言下に否定する気はなれないんですけど。
1ヶ月くらい道端で野宿しながら傷が癒えるまでほっつき歩いて帰ってきた時に、オータニにこっぴどく怒られましたからねえ。
お前はどんだけマキタに嫌な思いをさせたいのかと。
自分のことばかり考えるんじゃないと。
わたくしね、実はそうやって行方不明になって帰ってきたら、みんな心配してくれてるんじゃないかってどっかで思ってたわけですよ。
今考えるとアホだなと思いますが、ちゃんと言われてなかったらその程度の低い自己憐憫から脱出できてなかった気がします。
わたくしは男なので、女の人がどう傷ついた気分を癒やすのかはよくわかりませんが、どっかで自分にスイッチを入れるしかないんですよねえ。あとは時間が解決するまで表に出さないよう我慢するくらいしかできることはありません。
何を友達というかは難しいところですが、本当のことを言ってくれる人がいなければ、やっぱり人間て子どものまま成長しないとは思います。
2025/08/24

なんかこう、世界がものすごく過保護にも見えるし、ものすごく冷淡にも見えていて、わたくしにとってはいずれにせよ、過剰で極端です。
まともに話を見てるとやはり頭がおかしくなるので、
わたくしは正気を保つためにわたくしの話を続けなければなりません。
もちろん絵を描くこと自体好きは好きなんですが、それだけでは見返りもないのに続けることは難しいと思います。
もうちょいなんとか、適当な世界にならんもんかと思っている次第です。しかし世界にそれを求めるのが傲岸であるならば、わたくしだけでも適当に生きてみせる他ないとも思っています。

自分が好きな人に嫌われたということを正面から受け止めて忍耐と沈黙を学習すること、逆にどんなに好かれても、自分が好きでなければきちんと強い言葉で拒絶すること、この2つの経験はわたくしの中でとても重要なものになっており、人間と関係していく上で避けて通れなかった部分といえます。
死にたい人は昔からいくらでもおりますんで、ああ死にたいなあという気分で生きてくことは珍しくもなく、わたくしがどう努力しても死ぬ人は死んじゃいますので、そこには線を引かねばなりません。
そういう意味ではわたくしは弱っている人に特別優しい人間ではないと思います。
ただ、自分を否定されたことを受けいれられずに、あろうことか相手を刺し殺すとなると全然違う話です。それもう人間じゃなくて動物じゃないですか。
わたくしは社会のひずみを、経済格差よりもそちらに強く感じておるので、特に厳しい目をもって教え子その他に接しておるわけです。

でもね、ほんとにインスタとかTwitterとかで、一回リプライが来たってだけで相手を好きになっちゃう人っておるわけです。わたくしは実際に知っておるのでそんなやつおらんとは言えないわけです。
これも差別になりますが、そりゃね、見た目は見えないからともかく、もしそんな人が女子高生なら喜ぶ男もいるでしょう。
いいねとかコメントとかしてやってたら「きゃーありがとうございます!好きです!」って返ってきたら、男なら悪い気はしないと思います。現実だったらなんだこいつと多分思いますが、そこはネットの魔法です。
しかし残念ながら、わたくしが現実に知っておるそういう極度に被愛妄想の強い人物は、全員男性で30代でプライドだけ高い無職なのです。ぎりぎりなのです。しかしぎりぎりということを自覚できないのです。
お前はもうネットをやめろと約束させてもだめなんです。
もともと依存心が極端に強いんです。ええ、あと必ず精神の病を全面に出して言い訳してきます。言い訳が長すぎてわたくしはとにかく帰りたいとばかり思います。
わたくしはそのような男性にうっかり優しくして好かれてしまい、突然馴れ馴れしくなってLINEが届きはじめ、恐怖で固まっている女子の味方と説教をしつつも、男よお前はもう死ねとも言えないわけで、こんなことを繰り返しているとわたくしまで気が狂いそうです。
病で倒れてからはわたくしも自分の人生とは、と考え込むことが増えたので、相手にしないことが増えましたが、しかしわたくしは彼らを見ていると、気持ちはわからんでもないのです。
わたくしよりもほんのちょっと極端なだけでね。これがだめなんだろうなあ。
しかし結局なんともなりませんでしたけど。
結果がすべてです。

服が肌に張り付いているというのをしばらく練習したくって、今日のさみだれデイズを描いてたんですが、いやあやっぱり途中で面倒になってしまいました。
最近の傾向として、よし1枚描こうと思って描いた絵の続きを描きたくなって、2ページ3ページと増えてゆく、いきあたりばったり方式が採用されています。
わたくしはあんまり考えて描くの好きじゃないです。

そういや「ショートカットの女の子は実は自分の見た目に自信がある人」ってどえらい偏見ですよね。わたくしも聞いたことあります。
それを言い出したのは主に男なのか女なのかを知りたい。
そこで「女の敵は女なのでは?」と単純に考えてしまうと、完全に時代錯誤のジェンダー観となってしまうので、歳がばれてしまいます。
マキタとさみだれちゃんはわかりやすくて、自分のジェンダーに対する反発から男の子みたいな格好や言動をしていました。
わざと髪を短くして、わざと粗野な口を叩いてみたりね。
先輩もよく言ってましたけど、思春期ってそういう子いたでしょう。女であるのが面倒だ、女はいやだ、って子。表向き主張はしないけど、特定の言葉に反応するのでしゃべってるとすぐわかります。
堂々と主張するところまで振り切れているとなんかこう、違います。それはわたくしが扱いたい人物像ではありません。がんばって世界でも変えてくれ俺は知らん、という感じです。
わたくしは同じく、男はめんどうだなあいやだなあと思っていたこともあって、その辺がマキタやさみだれちゃんとの共通点です。
そのベースになっているのは思春期の葛藤と逡巡です。
わたくしを中心にした近しい人物を中性的に描こうとするのはそこがわたくしの恋愛のポイントだったからですねえ。20代のね。
今はこうしたふわっとしていたものを、根こそぎ言語化して論理立ててしまうので、考えて悩む前に回答が用意されてしまっており、まだふわっとしてる、例えばトランスジェンダーとかそういうもっとややこしい話に議題が移ってしまっています。
でもわたくしが好きな話は「わたしはなんで女(男)なんだ」程度の話で、マイノリティについては正直無関心で、知りません。
杉ちゃんを含めると3人ほどレズビアンの友人がいましたが、悩み相談にも乗れないんで、杉ちゃんがキーキーなってるのを、へーおもろ、と思って眺めていました。

わたくしの「メンヘラ」に対する現在の見解を書いておくと、病気かそうでないかは問題ではなく、強度の愛着障害と分離不安、そして共依存的な性格を持つ人のことだと思っています。
いわゆる「愛が重い」というやつですね。
そこに発達特性が絡んでくるとわたくしにはよくわからなくなります。
大学時代には一般的でなかった概念だからです。
「やんデレ」は違うんでしょうか。ヤンデレもよくわかりません。
これはオタク用語ですか?だとまあ、現実とはあんまり関係ないんでどうでもいいかなと思います。
共依存は日本人に多い特性で病気じゃないので、自覚してるかどうかだけがポイントだと思うんですが、洗脳と似てるんで厄介でねえ。
前述の斎藤さんと横井くんの関係はどう見ても共依存に見えます。うまくいけばいいし、うまく行かなきゃ終わりというだけです。
強い共依存関係のままずっと一緒に入れた例が身近にないので、どうやったらうまくいくのかわたくしも知りたい、という答えが前述の斎藤さんたちの関係なのかもしれません。
「愛が重い」ことに自覚がないまま成長すると、恋人はすぐできますが長続きしないでしょう。基本誰でもいいので。
学生時代は重たい愛を純愛だと錯覚できる無知の力があるんで、恋愛としては楽しいと思いますけどね。どっちかが冷めて短命に終わると思います。どこからが「メンヘラ」にカテゴライズされるかの話で、誰でもメンヘラなんじゃないのと思うのはそれが理由です。
「メンヘラ」について考えていることがみなさんかなりばらばらなことを考えると、問題は目に見えてる行動ではなくてやっぱり精神構造なんだろうなとは思いました。

押見修造も好きでだいたい読んでますが、読み返したいとは思わないので、一回でおなかいっぱいです。
浅野いにおも好きでだいたい読んでますが、同じく繰り返し読む元気はあんまりないです。
山田花子はメンヘラだったんだろうか。
わたくしほぼ全巻紙の漫画で持っていますが、途中で自殺したからと言ってメンヘラでもない気がします。「がんばったけど自殺しちゃった人」です。
ねこじるはどうでしょうか。
ねこじるは「宝島」の柳下毅一郎が「絵が旦那の山野一の絵だったら売れなかった」と言ってる通り、かわいい絵が占める割合が大きくて、そこが山田花子と違った。
どちらも若くして死んじゃいました。
何故なんだろうとはあんまり思わなくて、わかる気はしました。
気がするだけですけどね。
こういう話をしてるだけで「メンヘラ」と考える人もいるようですよ。わたくしは人の生き死にについて考えるのは好きです。

昨日読んだ「アスペル・カノジョ」が当事者から見てどれくらいリアルなのかには興味があります。
作中にも出てきますが、心の話は多様性とかいう言葉よりも更に各人各様で、その個人に合わせた個々の事例があるだけで、まとめて「発達障害」とかいうものもないっちゃないですよねえ。そこが話を難しくしてるんですが。
わたくしヒロイン・斉藤さんはまあ似たような人はいるなあ、ここまで重度だと病院から出てこれそうにないけど、と思いました。一方主人公・横井くんはいないと思いました。今まで見たことがありません。
とらドラで「大河と竜二はファンタジー」と思ったのと似てます。
だから横井くんは、恋人ではなく両親と親友と福祉と神がやるべきことを全部背負わされたキャラクターに見えています。だから漫画のテーマとして、「心の問題が重度の場合、どのような人間が現れれば幸せになれるのか」という話として読みました。
というふうに書くと「漫画じゃん。楽しめよ」ってよく言われるんですけど、最近こう、現実の問題を取材してそれをもっとドギツくしたものが多いじゃないですか。ゲスなものだと不倫とか人怖とか。

他意はないと思うんですが、青春モノクロームを純文学的といってもらえると大変うれしいです。
何が純文学なのかももはやなんだかよくわかりませんが、好き嫌いでいうと「面白くしてやろう」という肉づけが少ない方がわたくしは好みです。
よくわからんものをありがたがり過ぎるのはスノッブですけど、その辺を全否定で「面白けりゃええんや」というのも極論で、ああそうだ、なんか極論が好きじゃないのかもしれません。

端的にこういうやつがムカつく、こういう奴嫌いという書き方をする人は少ないんですが、わたくしはわかりやすくていいですけどね。
わたくしは何を考えているかよくわからないと、なんだかわからないことに返信をいつまでも考えるので結構負荷がかかります。
感情を出せないようにネットが進化してしまいましたし、そもそもわたくしの描くようなものを見る人はうまく自己表現ができない人が多いんだろうなあとも思いつつ、感情を出せないというのはつらいですよね。
わたくしも段々そうなってきたんで、こういうページを作ったわけなんですけども。
ただ以前Twitterでも失敗して結局アカウントを消してしまったように、交流することを主軸にするとやがてわたくしは疲弊しますから、やがては描く絵をもって言葉のかわりにする方向へ戻そうとは思っています。

「メンヘラ」という概念について知りたがっていたので、結構いろんなメンヘラ観を送っていただきましたが、やはり予想した通り各人がかなりばらばらで、あんまり共通してこうというのはないようですね。
「オタク」「かわいい」という言葉と同じように、自分をメンヘラ側に置いているかそうでないかでも大分扱いが違う。
自分はメンヘラであるという立ち位置の人がほぼいないことを考えると、やっぱり「メンヘラ扱い」というのは嫌なもの・触れない方がいいもの=悪い言葉なんですね。

自分にお金がないのはがんばって稼ごうとしなかったせいで、誰が悪いかって言ったら自分が悪いってだけなんですが、時々は違う道を歩いたら違う人生だったろうかと思うときもあります。
無意味なやつですね。無意味とは言えやりますよ。人間ですし。
そういう時にお金の話するともっと元気なくなるんで、仲がいい人ほどお金の話はしない方がいいという結論になります。
仲がいい人ほど、話聞いてくれる人ほどお金の相談したいって思うのは間違ってるとわたくしは思いますね。相談したからどうなるもんでもないし。
お金がなくて暮らせないという相談は友人ではなく両親・家族または市町村にするしかありません。

ほんとのことなんて元気がなくなっていくだけだよなあと思うよ。
ただ、あまりにも現実と関係ない、遠い国の話では置いてけぼりになるしさ。
いい感じにほんとで、いい感じにうそなのが思い出だとわたくしは思ってるんですが、違いますか。
だから思い出話は元気がでるんです。思い出がある人にとっては。
トラウマと思い出の違いは、乗り越えたか乗り越えられなかったかの違いです。

自分では大して気にしてるつもりはなかったんですけど、
「まーた鬱っぽいキャラやってんすか?」って結構言われていやだったんだなあと思って。
2025/08/23

わたくしが高校大学と人に勧めるほど好きだった漫画ってほとんどないんですが、たびたび引用する細野不二彦の「ママ」もその一つでしてね。
ただ、これもとらドラと同じでわたくしにとって読み飛ばしていい部分が多いんで、無料の一話目だけ読んでも古くさすぎてだめだなあと思っており、いつかまとめてどのへんがどう好きかって書きたいなと思っておるんですが。
まあねえ、80年代後半の、自分探しの少年が大人になってくってだけの話ですから我々の世代しか面白くないんだろうなとは思います。紹介されてるのもあんまり見ないし。
細野不二彦ならギャラリーフェイクの方が勧めやすいもんね。

楽しそうなものにも近づけなくなりますからねえ。
いやになってくると。
わかっちゃいるけど、こう、何にも楽しくないって気分、どうしようもないんですよね。以前はなかったんで、だんだん出てくる不定愁訴な気がします。
慣れてはきましたけど、慣れたところで生活はうまくいきませんからなあ。どうしましょうか。

絵は今はすべてiPad+クリスタです。
第5世代iPadPro12.9が中古で10万円を切るのを待って買ったものです。
いまでも中古で10万円弱くらいしますね。たっかいなあ。
最初期はワコムの板タブで描いてました。外で描きたいなあと思ってからはずっとiPadです。12.9インチはもって歩くには重たすぎますが、横向きで描くことを考えると11インチではわたくしには画面が小さすぎます。

「アスペル・カノジョ」を最後まで読みました。面白かったよ。面白かったと言っていいのかどうかわかりませんが。
つらくて読めないという感じではありませんでした。
最初の方と最後の方だけ読んだことがあったので、途中がつながった感じです。
色々言いたいことはあるんですが、
「わたくしが青春モノクロームの中で人に対して間違えた選択肢を、もし正しい方で選択することが出来ていればこういう世界線もあっただろうか」という感じでした。
結構大きく感じたのが時代の流れですね。
発達障害とか精神的疾患について、情報や知識がなかったために、一つ一つ間違えては結局離れていくしかなく、それを思い出に変換することで罪悪感から逃れようとしているわたくしに対して、
この漫画の中では30年の間に蓄積した情報や進歩が言語化という形で明快になっていると思います。
序盤の方で「発達障害とは」と主人公の男が調べている場面がありますが、わたくしの頃にもこうして情報を集めることができていれば、相手に対して違った対応をとれたのかもしれません。
主人公たちよりも、どうしてもわたくしは周辺の「いやな大人」に自分の姿を見てしまうので、わたくしもきっと同じ立場になったら「無理」ってなるんだろうなあと考えたりしました。

わたくしは次々と問いをたてて、「結論はこう」というのを出さない性格でして、こういうのを哲学に向いている性格といいます。
もやもやしてる状態に耐えられない人は、拙速に回答を出したくなります。「どうでもいいじゃん、そんなこと」みたいにね。
哲学の入門書を読んで学習すること自体は哲学ではなくて、まあなんかの役に立つんじゃないの…という自己投資ですから、それはそれでいいんじゃないでしょうか。わたくしも2、3冊は読みました。
わたくしはもやもやしてる人が好きなんですよ。
もやもやしてる自分のことが実は好きだって人も好きです。
理想を言えば、もやもやしている自分が嫌で(苦しくて)変わりたい!ではなく、やることはちゃっちゃとやってごちゃごちゃ言われない生活をしつつ、それとは別にもやもやルートを自分の中に残している人間でいたいといつも思っています。

そう、検索して出てくるメンヘラの説明は
「情緒不安定、その中でも気分の沈み込みが激しめなこと」みたいな単純なことですし、おそらく2chにメンヘル板が建てられた当時はそうだったと思います。
が、現状はそんな風に受け取られる場合は少ないでしょう。
AIにメンヘラの説明をさせると「人に使う時は注意するように」と言われますし。言われるのが嫌な言葉なわけです。
誰が嫌がるのか。これは自分がメンヘラであると自認してて、嫌な目にあったことがある人ですよね。
「メンヘラ。」という一言だけのリプライに開示請求が成立した事例が最近あった…(違ったかな、違ってたらすいません)ということは、法律的にも名誉を毀損する、あるいは侮辱する概念として認められているということになります。
情緒不安定ってだけで人格が否定されるのは変な気がします。
一生情緒が安定してるなんて人間じゃないですし。
メンヘラって情緒不安定なだけじゃありませんよね。
もっとこう、様々なものがくっついてます。
情緒不安定な人間は俺に(ひとさまに)迷惑をかけるからムカつくってことでしょう。
かつ、メンヘラって言葉には魅力的な存在という一面も包含しています。だからややこしくなる。
確かに自分でもいいますよね。「ヘラってる」みたいに。
わたくしの嫌っている言葉のカジュアル化です。
言葉の変遷を追っていると結局スラングは使わない方がいいという結論にしかならないんですが、でも使います。カジュアルだから。
わたくしは「お前メンヘラだろ」と言われても全く傷つきません。自分のことをメンヘラだと思ってないからです。思ってないので言われたこともないな。
みたいなことをとめどなく考えていますが、うまく説明する必要はないと思っててね。結局「オタク」って言葉と同じだなとは思います。
言葉とはなんなのか、傷つくとはなんなのか、無限に派生していきます。

「美学」は英語でいうと「aesthetics」。
エステティックス、つまりあの美容のエステの語源です。
だからってわけでもないですが、「美人は得だ」という話は本当に本当なのかについて考えることはよくあります。
「そんなことはない」と言い張れば「逆張り乙」で切って捨てられますけれど、わたくしは、ではあなたのいう美人とは何か?ということをまず知りたいと思ったりします。
それが美学の本来的な問いです。
更に考えると「美人は得だ」と言いたい人の人物像ですかね。
「○○は得だ」という言葉がくせになってる人いっぱいいますよね。
金持ちは得だ、天才は得だ、みたいな。
美人が得と言いたい人はだいたい女性でしょう。
金持ちや天才は男性の方が多いかな。
自分たちはこんなに苦労しているのにあのひとは…、って話ですね。それもそういう視点で切ってしまうと低レベルな嫉妬の話、感情論になっちゃうので議論自体が不毛です。
絵の中の美も同じです。わたくしの好きなものを好きなように描いてて売れるということはまずなくて、「みんなにとってかわいいもの」の最適解を追求することで交換価値としてのお金を生みます。
でもだからと言って売れに売れたものだけが美である、かわいいであるとは言えませんよね。それは美とお金を同じ平面に並べているってだけですし。
「じゃあ結局かわいいとか美って単なる個人の好みなのでは?」
それはそうかもしれません。でもただの好みだったら「みんなにとって美人」も存在しないわけで、美人という概念も消滅しませんか。
こういうの考えてると結構楽しいですけどね。わたくしは。

まあメンヘラなんてデカい言葉でくくってしまえば、マキタ…は違うな、当時の村木や奥崎は確実にメンヘラに該当すると思いますけどね。
それより何より、わたくし自身が該当しそうです。一応頭おかしい人がいく病院に閉じ込められたりしておりましたからな。
たださみしい!かまって!つきあって!みたいなところは表には出てきませんでしたけどもね。でもそういう気分が全くないかと言ったら、そんなことはない。
病的なレベルではなかったというだけで、かまっては欲しかったですよ。かまってほしくて暴れ出したりはしないけど。
ぴくちゃんはメンヘラなんでしょうか。
そういやそんな気もするし、違う気もするし。
ぴくちゃんは見てておもしろかったんで、あれは電波です。
でもぴくちゃんに恋愛感情は全くなかったですねえ。
オガワくんもそうですが、わたくしがちゃんと見てあげなきゃ!とは思いませんでした。鬱陶しい時も多かったです。ええ。
いずれにせよ、自分のコンプレックスから生まれてくるその感情が、恋愛なのかただの気まぐれな同情なのか、妙な正義感なのか、それは経験して痛い目に遭わないと区別できないんでは、とは思っています。

わたくしが興味をもってるのは、「メンヘラ」を好んで恋愛対象にする人物像です。メンヘラ自身よりもメンヘラに対してのみ恋愛感情を抱く、もしくは強く性的欲望を覚える、という方がより歪んでいるというか、もちろん色々うまくいかなくてつらい人はだいぶつらいと思うんですが、それに共感し、助けてあげたい=好きという方向に感情が触れやすいと、これもかなり悲惨な感じがします。
同情とか憐憫とか偽善とか共依存とか、そういうのは根っこはこころの同じ部分から発生してる気がするんで、わたくしは癖として、枝分かれした一本一本の細部よりも、それを生み出している大本の認知・考え方を知りたいと思っています。
ただこれは今ではかなり繊細な部分でもありますから、昔のように人の心に土足で踏み込んで好き勝手書くわけにもいかんなあとは思っています。週刊誌みたいなゲスとやってること同じになりますからな。

ますます言葉の意味がわからなくなる「メンヘラ」に逆に興味がわいてきてね。
メンヘラって言葉を見るとトラウマで過呼吸になるという方がおりましたら別の言葉に変えますが、言葉の範囲が広すぎて類義語っていうと何になるんでしょうね。
以前Twitterで「わたくしの時代でいうと電波かなあ」と書いたんですが、違いますね。電波は天然とほぼ同じなので、「変わってておもしろい人」というニュアンスを含んでます。

なるほどなー「アスペル・カノジョ」は面白いですね。多分おすすめいただいた理由とは別の理由で面白いと思ってるんではないかと思います。
今半分くらいなので最後まで読んでから感想は書こうかと思います。
2025/08/22

「排水溝の奥にあるねじってはめ込む感じのプラスチックのふた(?)」の掃除の仕方を調べようと思ったが、名前がわからず苦労した。
下の写真のやつだ。
「防臭ワン」という名前だった。初めて聞いた。
なにそれ!ワンて何!?


生きてて幸せなら絵なんか描く必要ないとはずっと思ってて、それがわたくしや当時のオズ先輩にとっての「絵」なんです。
だから「食うためにはこうする」「こう描く」「バズるためにはこうする」が必要な人…つまり仕事としてやっていきたい人に助言できることは本当にないですよ。だってわたくしお金稼いでないもの。
でも趣味だとは思ってないんです。それは趣味じゃんっていわれてもね。
でも誰かに見てもらえる、読んでもらえるのって楽しいなって、ようやくですよ、ようやくちょっと思えてきた気がするので、
大きなおっぱい描いてもいいかなあ!と思ったりしてます。

なんかほら、漫画にしても何にしてもSNSだと作者本人も見てるからねえ。思ったこと言ってもいいんだけど、言いにくいですから。
そりゃ本人眼の前にして「気にくわん」とか言えないですよ。ええ。
じゃあこういう影でなら(影じゃないけども)何を言ってもいいんかというとそれも違うけど、少なくとも誰かが告げ口しない限り本人が出てこない場所って大事だと思います。
おすすめしてくれたものにケチつけた感じになると、やっぱり気分は悪いものだと思います。なので作品の感想を書こうとしても、自分はこうこうで、こうだから、こう、という長い自分語りが挟まってしまうんですよね。
これって、友達同士だと全然気なんか遣わないじゃないですか。
家内ちゃんがめちゃくちゃ好き!って言ってても「夫はそんなん読まんし何がおもろいのか理解しかねる」って言いますからね。それで二人とも気分悪くなるわけでもないし。
そういうのをなんというかといえば、日本語では信頼というのでしょう。
なのでわたくしは信頼をみなさまから得ようとして日々自分語りを続けておるというわけです。

端的に言ってしまうと、わたくしは本当にわたくしのことが好きなのと、どうせ描くなら更に強くそうでなければならないという気持ちがあって、これは漫画じゃなくて油絵や鉛筆画を描いている時からずっとそうでした。
自己愛・自己顕示欲ですね。
ただその自己顕示は、「どうだ俺様はすごいだろう」という他者との比較…つまり関係の中で表現されるものではなくて、「どうしてこうなんだろう」という内々の疑問の中にいつもあったと思います。
だから「お前は自分のことばかりだ」と捉える人もたくさんいましたね。わたくしはそうは思っていないので、話し合うだけ無駄だと思っていました。その頃に比べるとさすがに今はもう少し丸くなったとは思っています。
こないだ美術に目覚めて絵をすごくよく見て回ってる友人が、どうしてこの絵が嫌いなのかわからん、という話をしていました。
これこれこうなんじゃないの、とその絵のバックボーンを解説してみると、そうかもしれない、と納得していました。
が、なんか失敗したなあと思っています。
言葉では絶対に救いとれない彼の感性の部分を、わたくしのしょうもない薄い知識で切り取ってしまったと思うと、罪悪感しかありません。
そういったこともあり、わたくしは常に主語を「わたくし」としております。

「アスペル・カノジョ」、確か途中までは読みました。無料分で見たのかもしれません。あんまり覚えてないので読み直してみます。
すっごい心の狭いこと言ってしまうと(気分を害したら申し訳ないです)、まずわたくしは作中の重要な要素としてスマホ・パソコン・ネットが出てきた時点で「これは自分の話ではない」と心のシャッターが半分くらい降りてしまうので、よほど登場人物を好きにならないと最後まで読めない方なんです。
だから漫画好きって言えなくってねえ。んなこと言ったら最近のほとんど漫画読めないわけですから。
あと、家内ちゃんといつも喧嘩になるんですが、家内ちゃんは漫画でも映画でも本でも、ストーリーに重点を置いていて、自分みたいな登場人物がいると嫌なんだそうで。
わたくしは真逆で、本なら基本自分語り=私小説、主人公の主語は「僕」「私」、自分視点で進行しない話は何が起きてるのか途中でわけがわからなくなります。言ってしまうと、「自分のような人物がどこかにいないと白けてしまう」という読み方になります。男女はどっちでもいいんですけどね。
異世界に飛んでいく話がどうにもだめなのは、「現実の自分でなくてもいい世界にいく話」だからだと思います。
という話を言うと「価値観が狭い!」と生粋のエンタメ好き方面(家内ちゃん)から攻撃されるんですが、読むのが好きな側と描くのが好きな側ではそりゃあ考え方も違うでしょ、というと布団から出てこなくなるので言いません。

「ボーイッシュ彼女が可愛すぎる」という漫画がamazonのおすすめに上がってきたので、もしかしたらわたくしとマキタみたいな漫画かなあと思ってkindleで読んでみました。
最初の数話でうっだめだ…と思ってしまいましてね。絵はめちゃくちゃ上手い?というか狂いがない丁寧な絵で、巨乳ってこと以外は割とマキタっぽい気がします。巨乳じゃないと読まれないらしいんで、それはわたくしはどうでもよいのですが。
これがラブコメというジャンルなら、わたくしは描くの無理だと思いました。
でもね、わたくしがいつも描いてるような描写って結構でてくるんです。マキタと喧嘩したり、「アホか」と言われたり、ちょっとした別の一面を見てドキっとしたりね。そういう記憶はわたくしにも詰まっておるので。
しかしなんかこう、だめなんです。だめだあって思っちゃってさ。
何がだめなのかうまく言葉にできなくて。
もし漫画好きで、この漫画読んだことがある方いらっしゃったら、どこがわたくしが描こうとしているものと根本的に何が違ってて、なぜわたくしがこんな風に抵抗を示すのか、客観的に教えてくださいませんか。

自分で考えて自分で行動する、そうした自立への希求が始まるのが何歳頃なのかも人によって違うと思いますが。
わたくしは恋愛をきっかけに他人に関心を持つ、かつその延長で自分自身のことを考え始めた、ということがはっきりしてるので、逆に中学生の頃の思い出がないのは、自ら何かしようとしないで、なんとなく生きてたんだろうなあとは思いますね。
何もしなかったら、覚えているのはこういう変なやつがいた、こういうすごいやつがいた、みたいな自分の話はできないはずですから。
だから話してて自我がすごく欠けてるなあと思う人の特徴として、人のことはあれこれ観察して言うんだけど、自分自身はどうしたいのかという視点がぽっかり欠けてる感じするんだよね。

暇だなあと思うときに何をしてるかも、その人をよく表しますから聞きたいことの一つですねえ。
案外ぼんやりするの苦手で、何かやっちゃう人多いんじゃないでしょうか。ゲームとか漫画とか。
ずっと何かをし続けてるわたくしが言っても説得力ないですけど、考え事する時間は欲しいよね。手を動かさずに頭だけ動かす時間。
たいていそれに耐えられないから何か見たりしたりしちゃうんだけれど。

ゴミをだしたついでに富士そばで「シークワーサー入沖縄もずくうどん」を食べてきたが、おいしかったよ。
冷やし中華とか冷麺とか、すっぱいのが好きなんだ。
家内ちゃんは酢が大嫌いなので取り合いにならなくていい。
酢は大嫌いだがお高いバルサミコ酢だけは食べられるという謎仕様。

地域によってゴミ出しのルールは差がありますよね。
マンション住まいの子に聞いたら曜日とか関係なくて、マンションのゴミ置き場部屋においとけば管理人さんが勝手に仕分けしてくれる、なんて話も聞いた。お高いマンションはそんなんなのか。
わたくしの地域はペットボトル、燃やす、燃やさない、資源ゴミにきびしく別れておるので、平日は毎日ゴミ出しの日です。どこもそうなんじゃないの?
これ20年も毎日やってんだから結構な労働じゃないかと思うなあ。朝8時までに出さなきゃいけないし。
結婚したころはゴミの分別がすごく苦手でねえ。家内ちゃんが分別の係で、なんで夫は覚えないんだといつも怒っていました。
燃やすゴミの袋はうちの地域はまあまあな値段で、40リットル10枚で800円です。わたくしは始末屋なので、一人暮らしだったらほとんどゴミでませんが、家内ちゃんは気前よくゴミを生成するので、一週間に2回、40リットルゴミ袋満杯のゴミが出る。

ちょーっと時間的にきびしくなってきた。

スイカとかメロンだめな人って結構いますよねえ。
近所のスーパーでカットスイカとカットパインの詰め合わせが安く売ってて大好物です。
種出すのが面倒なんで種ごと食べています。
スイカってあれかな、青臭いから苦手なんですかね。
種出すの面倒だからって人も結構いそうな気もします。
2025/08/21

わたくしは経験上B型な人と非常に相性がよくて、前にも書きましたが登場人物のうち仲良くなった人は全員B型です。
血液がどうこうじゃなくて、B型的な我関せずみたいな方が好きなんだと思います。そういう意味ではわかりやすい甘えっ子と仲良くなったことがあんまりないので、つきあってみたら乙女心のわからん朴念仁ということになるんでしょう。
そうした、あまり人の気持ちに斟酌しない人は、確かにわがままには見えますがクリティカルな部分で裏表がなかったりもするんで、お互い減点し合わないで済むんですよね。
気遣いというのは、人に「この人気を遣ってるなあ」と思われたら終わりなので、言葉や態度が媚びている人ではなく、中途半端にわかってるふりをするなら「知らねえ」という方がわたくしは好みです。

家内ちゃんはオタクって自分では言ってるけど、オタクの友達もそのほかの友達もほぼいなかったわけで、単なるこだわりが強いだけなのかなあという気がしないでもないですねえ。
血液型で言っちゃうとアレですが、いかにもなO型です。
わたくしもO型なのでその辺はわかります。
こだわりポイント以外は本当にどうでもいいというか。
二人とも度を超えてどうでもいいんですよねえ。
だから見た目はこういう彼氏じゃないとだめ、収入はこれくらいじゃないとだめ、みたいなのを見てると、二人ともそんなところが毛ほどもなくてよかったとは思っています。
つきあうならどんなんでもいいですけど、暮らすのはまた別だしな。

まあ家内ちゃんは友達いないんで、義母と服を共有してたんじゃないかなあ。同じ体型だったし。ふわふわのまっしろい襟巻みたいなのがついたコートの値段聞いたら、目の玉が飛び出た記憶があります。
でも多分贅沢なんじゃなくて、すごいいいやつを大事に大事にするタイプなんだと思います。全くお金ない頃に何十万もするバッグがいると言い出した時はどうなるかと思いましたが、それっきりでずっとそれを使ってたりとかね。
これと言ったらこれしかいらないんです。
食べ物もそんな感じです。偽物をすごく嫌いますね。パンに塗るのは成城石井のクロテッドクリームでなければならないし、納豆は100円のでいいが必ずひきわりでなければならないし、うずらの卵とあさつきを入れねばならない、みたいな。

いや?家内ちゃんはゴシックロリータ的な服を着てたことはないと思います。ふりふりのやつですよね?
高校生の頃から大人っぽい格好だったと思います。ハイブランド的な。わたくしにはなんといって説明していいかわからないですが。
読んでるファッション誌も、割と大人向け(のようにわたくしには見えてましたが)だった気がします。まあわたくしが話通じないんで服の話したことないですけどね。

わたくしたちの頃は、まだまだ「大学は遊びにいくところ」以上でも以下でもなかったんで、勉強してる方が頭どうかしてるのでは、という向きもありました。
わたくしの周りには、無理やり家に泊めたり酒を飲ましたりして手を出しまくるみたいなやつはいなかった気がしますが、さりとて酔った勢いでどうにかなる、ということも皆無ではない雰囲気ではありました。
なんせすることないんでね。
部室を持てずにイベントと称してナンパばかりやってる、学食周辺でだらだら地べたに座っている人々をだいぶ下に見てはいました。
村木も先輩も奥崎も違う大学の人です。その辺は大学が密集している京都的な土地柄もあってか、わたくしはあんまり同じ大学・同じサークルの人と仲良くなったりつきあったり、ということは考えなかったです。
同志社の場合は1、2年が辺鄙なクローズドサークル、3、4年は街なかという扱いだったんですが、人間模様が色濃いのはやっぱり1、2年の田辺の時でしょうねえ。
孤独な環境下に置かれれば、誰でも無理やり人を捕まえて仲良くしようとする意思が働くんだろうなと思います。

そうねえ、先生の思い出って絶賛現在行方不明中のノムラ先生はだいぶ世話になったんで思い出もありますが、あんまり漫画に先生が登場しない理由として、
・中学校の担任が母親の教え子だったりし、その他母の関連人物が多くなんとも言えない関係でなんとも言えない空気だった。
家庭訪問で担任が来ると「ハセガワ先生!ご無沙汰しております!」みたいなテンションでやってきて、思い出話に花が咲いておりましたので、なんかこう、家庭訪問て感じがしなかったです。
・高校の先生たちは、母親の同僚であり、わたくしが子どもの頃からひんぱんに会っていた「近所のおじちゃんおばちゃん」みたいな距離の人が多く、これも微妙な空気だった。
がありますかねえ。大学は2年生以降足を踏み入れていないので教授が誰なんだかも知らないという有り様です。

そうなんですよ、わたくしもここ数年ですねえ。
同級生や友人から自分がどう見られてるとか気にしたことほぼなかったですから。なんででしょうね。これもホルモンバランスとかの問題なんでしょうか。なんでもかんでもホルモンと更年期のせいにしてたらだめですが。
なんとなく、仕事の真ん中にいる時は、理不尽なことに耐える習慣がついてますから、まあしゃあないしゃあないと忘れていかないと末端の人間は身が持たないんで、防衛として無反応になってたと思うんです。
大きな病気や年齢によって仕事の流れの外にはずれてしまった(リストラとか)後、ふと我慢してる必要を感じなくなった時に、それまでの我慢のタガがはずれて、一気にどっと感情として溢れてしまうのかもしれません。
傷のなめあいは格段にここ数年で増えました。今更ですが、歳を経るごとに一人だとキツイなあという気持ちが大きくなります。
なんか「いい歳のとりかた」みたいなものを見ますが、わたくしはあんな理想的な人間とはほど遠く、今でも小さなことでいつまでもああでもない、こうでもないと考えては情緒不安になる毎日です。

という風に書いてるとやっぱり朝恥ずかしくなって消したくなりますが、ここでTwitterのように書いては消し、書いては消しってやってしまうと、アカウント消してまた作って、という過去2回やって全然意味のなかった行動の反復になってしまうので、ここはもう、いやすいませんお恥ずかしいということで耐えるしかないな。
人が言ってることに「これ自分のことか!」と反応してしまうことについては、何もわたくしがそんなことはないと言ってるのではなく、今日もさっき見た動画の中で誰かが
「エンタメのラブコメにリアリティ求めてんじゃないよ、めんどくさいおじさんだなあ」と笑いながら会話してるのを、「これ自分のことか!」と思って2秒くらいムッとしたので当然そんなことはよくあります。
問題はムッとした2秒の間に反射的に「うるせえよおっさんで悪かったな!」とチャット欄とかに書き込んでしまうと、これはもう、だいぶおかしな人ということになってしまいますから、ほとんどの人はそんなことはしてないと思うんですよね。

ちなみに最近「あっ、これはすごく嫌だ」と思ったことは、
スーパーで売ってる活エビとかを動画のサムネにして「死にたくない…」ってキャプションを入れるやつですね。生き物系動画の。
いっとき流行ったでしょう。流行ると誰も何も考えずに真似するんでねえ。そこから派生して例えば保護犬とか保護猫も「死にたくない…」ってよく入ってますよね。
強烈な違和感があります。
ネット広告のわざとぎりぎりの言葉選んでるやつと同じ臭みがあります。
「歩くたびにオナラ出る人ちょっと見て…」みたいなやつね。
わたくしだけかなあ。お金儲けは悪いことじゃないんですが、露骨にお金のにおいが透けて見えると憂鬱になります。

わたくしが同じところをいつでもぐるぐる回っているのも、多少意識的なところはあって、こうなんか、まとめるのが好きじゃないんですよね。
結論としてこうである。
と書いた直後に、あ、違う、自分嘘ついてる、って思うことありませんか。
書いたという行動が引き金になって別の視点を呼び込むことって結構あると思うんですよね。なので考えて考えて出した結論って、あんま意味ねえなとも思ってまして。
なので書き続けるとか描き続けることの方を重視しています。
この独り言ページで書いたことをAIに要約させたら何て要約するんでしょうね。意味なさそうじゃないですか要約に。
そういうのいいなってちょっと思います。

世の中が段々息苦しいような気がしてそこから抜け出せないのは、一つは過剰な共感、一つは過剰な自意識過剰(プラスその同調圧力)だと思いますねえ。
一人じゃなくて実はかなりの数いるんですが、わたくしがわたくしの話を描いてると「それは自分のことですか」「そういうこと言うんですか」「残念ですもう見ません」となってしまうアレです。
ちょっと待って?君の目には一体何が見えているの?ってなるやつですね。
これを自分と他人の間に線が引けない状態といいます。
もっと簡単にいうと「自分がない」=「自分しかいない」ということですね。
自分しかいなくて基準がないんで、わたくしの話を「まあそういうこともあるよね」ではなく「自分のことだ」と捉えがちです。
これは人と深く関わってこなかった人の反応で、どうだろう、治るんかなあ。治すよりそれでも受け入れてくれる希少な人を探す方が早い気はします。
—
自分はからっぽな人間の気がする、というのは思春期なら誰でも思うことではあるんですが、大半はそのからっぽさに絶望して、これじゃだめだ何かしなきゃと今までの自分と手を切って自立していくわけです。
これが成長ですね。
で、これができない人もまたいます。
一つは自立する必要がない人。親がなんでも助けてくれるパターンです。
幸せといえば幸せなんですが、一回つまづくと自力で復活できないんで、道を踏み外したらそれっきりになりがちです。通常よりだいぶ後から思春期や反抗期がやってくるんで、それでも自立しようとすればかなりの苦痛が伴うんじゃないかなあとは思います。
一つは「からっぽの自分」を心のどこかで容認している人。からっぽだ…とは言うんですが言ってるだけで一切からっぽを埋めようとしない人ですね。大体言ってるだけです。本音は「だりい」「めんどくせえ」これですね。かわいらしく言い換えても本音は大体そこです。
—
わたくしはみんながみんな成長に向かって努力する社会なんて気持ち悪いんで、できないならできないでいいんじゃないのと他人事のように思いますが、死にたくなるほどつらいんなら死ぬよりかは何かやってみてもいいかもしれないなあとは思いますね。
でも一人でやってもできることなんかしれてるしなあ。
それこそ中学生みたいとかバカにしないで、自分語りから始めてみるのはいいことだと思いますけどね。
こんな話、わたくしみたいな人間じゃなくて、それこそ本職のカウンセラーや医者と話した方がよほど建設的だと思います。
わたくしはわたくしの通った道のことしか話せないですしね。
人に合わせて寄り添うことも、途中まではできますが、いつか放りだしたくなる日が来ます。放りだした時、相手もそうですが何より自分がつらすぎるので、最初から寄り添ってるふりをしない方がいいとも思っています。

恋愛の話になると若い人はいやがっていなくなる、っていうのもわたくしたちの何も見えてない目が適当に考えだした妄想だと思いますよ、ええ。
悩んでることなんてほとんど変わってないと思う。
悪意のある失敗談ばっかり面白おかしく大きな話として見聞きしすぎるから自縄自縛になってるだけでね。
少なくともわたくしにとって面白くて魅力的な人間て、偏ってて一方的で、かつ本質は外していない人なので、枝葉末節よりも本質に目が向いてる人を好きになる傾向はありましたね。
「バカか」って言われて喜んでたのは、バカかって言葉に喜んでたわけじゃなくて、マキタが言ったからという当たり前の理由なんですが、意外とこれわからない人もいるんですよ。
じゃあわたくしが喜ぶだろうと思って関係ない人が「バカか」って言ったら?
わたくし怒るに決まってるでしょう。
うまくいえないなあ。通じるかしら。なんかその、そういう話です。

ゆうべは改めて自分の見たくないものが目の前に現れないようにする、ということの難しさを痛感しました。
どれだけ遠ざけてもある日ふと目の前に流れてきたりする。
ただ最近よく思いますが、感情的であることはそんなに批判されることなのかしらと。
穏やかに暮らせるのが一番ですが、何かして生きてれば感情的になる時も多々あるもんな。どうして自分ができるだけ感情的にならないよう、ならないようと考えているのか、その理由もあるようなないようなで。

食器を洗うみたいな、何も考えなくていい手作業は結構好きだったりします。

愚痴?うん、愚痴を言いたい。
わたくしの嫌いな人間の話を書きたい。
愚痴を無視できない精神状態の人は読まない方がいい。
—
わたくしは、最初は調子いいこと言ってたやつが次第に本性を表し、わたくし及びわたくしの友人に多大な迷惑をかけたので、どういうことか説明しろと詰めたところ、自分はうつ病どうのこうので説明も謝罪も回避しっぱなしで逃げを打ち、ほとぼりが冷めるとしれっと別のアカウントでクリエイターと名乗り、もう何もなかったかのように応援よろしくしまーすと爽やかな人物としてクリエイター論を語っている、それを許せずに何年かが経過した。
わたくしはその手の「自分は弱いので…」を盾にした自己正当化を、その件に重ねてどうしても許すことが出来ず、さりとて暴露してみたところで溜飲が下がるわけでもない。
書いても仕方ないし格好悪いが、書かないとわたくしの気が狂いそうになる。
—
いじめられっ子がいじめっ子を絶対忘れず一生憎むという話がある。
わたくしはいじめっ子だろうか。いつの間にかいじめっ子になっている。
いじめられっ子の皮を着て、いじめっ子のせいで自分はおかしくなったがクリエイターとして成功しました!がんばります!という陳腐なSNS向きのストーリーがいつの間にか作られている。
自分のやったことは全部なかったことになっている。
なんて都合のよいラベルなのだ。心が弱いというラベルは。
彼彼女らは絶対に心の中で自分の非を認めない。
自分がこうなったのはすべて自分以外の意地悪な人間のせいであると思い込む病気にかかっている。
それを必ず病気であると正当化する。
であれば他人のせいで病気になった自分は他人に対して何をしても許されると自覚なく思っている。
そしてフォロアーの数でこっそり他人を見下しながら、現実とはまるで違う人格=別のアカウントを作って(自分の中では)リセットするというスキルを先天的に備えている。
よくある話かもしれないけれど、身内に害が及んだ話だと話は別だ。
わたくしはそういうのがとても嫌いです。
—
今更吊し上げて私刑にかけたいわけではない。
謝って欲しくもないな。そういう人間は反省しないから。またいずれ同じことを誰かにやるだろう。
大きな犯罪を犯してるわけじゃないんです。金持って逃げるとかね。わたくしはそういうことではあまり怒らないと思います。
この怒りってどこから来ているんでしょうか。
そうやって上手く立ち回れる人間を羨ましいのかもしれない。
多分そうなんだと思う。
中年は中年らしく、政治や経済やマナー・モラルについてわけのわからない怒りを発散してる方がそれっぽいんですが、その辺はすごく遠い世界でねえ。直接国会議員と友達になって話を聞く立場であれば、色々思うこともあるんでしょうけど。
ということを書いては消し、書いては消しとやっていたTwitterを諦め、今もこれを消そうかなと思ったけれど消さないことにした。特定できる情報は書いてないしな。
不愉快にさせて申し訳ないんですが、わたくしの嫌いな何かも、わたくしを構成する大事な一部ではあります。好きなものだけを語って「まあまあ、仲良くやろうよ」ってのはやっぱり片手落ちでしっくりきません。
わたくしがこれを消さないということは、同じような愚痴を送ってきてもわたくしは引かないしバカにしないということです。
本当は自分の個人サイトを持ってやるのが精神衛生上一番いいんじゃないかとは思いますが、夜中にああああああとなってしまった時、わたくしについ送ってしまったものについて後ろめたく思う必要はありません。
わたくしも全然、質のよい人間ではなく。
2025/08/20

わたくしはまずわたくしのことから考え、わたくしにとって幸せとは、世界とは、からあんまり外に出たくない気持ちがあって。
正義を後ろ盾にして外向きに拡散した考え方が歴史上何を生み出したか、どんなに勉強したことがなくっても誰でもわかっているだろう。
「そういう考えもありなんじゃないか?そう思わない?」
これはとても危険な兆候なのだ。

もうほんと、何が正しいのか全然わかんないから、言えない、言わない方が大人の対応だとなってしまうんですけど、書くことで考えが進むこともあるじゃないですか。
わたくしはもう議論は見るのもやるのも疲れ果てておるので、話し合いはしたくないんですけど、思ったことはジャッジせずされずに書きたいなとは思います。
偏食ひとつとったって、残さず食べるのはふわっといいことな気もするけど、じゃあもしアレルギーだったらどうすんのか、食べれるまでいつまでも席から離れられない昭和の教育はどうだったのか、嫌いなものを食べれたからってどうなのか、でも嫌いなものを好きになるような体験をしたらそれはいいことな気もする。
みたいに同じところをぐるぐる回っているだけになる。
「わたくしはこうするが、それを真似る必要はなく、個人的には納得してないが、今の時代ならそうだ」みたいな感じになっちゃう。
だともう言わんでええかってなる。
それでも言うってのは強力に公益目的がないといけない。
今の免罪符は「公益性」という社会的なところにしかない。
公益目的。みんなに有益な目的。
ここに極私的であるはずのインターネットとのハレーションがあって、学級会みたいできもちわる…と感じてしまう自分と、しょうがねえかこれだけ人数が増えたんでは…と諦めてしまう自分と、引き裂かれている。
哲学でもエンタメでもなく、公益性で満ちた世界。
そんなんやだああああって心の中で叫んでいる。

みたいな話だけは元気になるんですけどね。
なんで元気になるかというと、もはやわたくしには全く関係ない世界の話だからです。ええ。
「未来に希望がもてない」って話だと何も言えないからさあ。
わたくしもないから。
わたくし10年あまりずうっと、とにかくいつもリプライで慰めてくれる優しいアカウントの人のことじゃなくて、ブサイクでも下品でも性格悪くてもいいから、あなたの隣の席に座ってるやつのことをもっとよく見ろ、話さなくていいからもっと見ろって言っています。
男でも女でもね。
強制的にずっと同じ箱の中にいれられるのって、あとから思うと地獄でもありましたが、一方で奇跡でもありました。
それがわかってくるのは、40代くらいからだと思うんです。
未来が本格的になくなってきた時に、その別に大して話すこともなかった、ブサイクで下品で性格の悪い誰かの記憶が自分を支えてくれることもありますよ。
わたくしはブサイクで下品で性格の悪い誰かを、当時そう思っていたのはわたくし自身がそうだったからで、漫画に描くととても美しく描けることに気が付き、それでなんとか正気を保っている次第です。

どうやって人(女の子)と仲良くなるか。
高校ではなく大学の話になりますが、
わたくしはまず丁寧に話を聞いてあげる…なんてことはなく、最初っから自分のいいところと悪いところを「自分でジャッジしない」で、相手に丸投げすることにしていました。
なので多分パワハラすれすれ、セクハラすれすれのこともあるんじゃないでしょうか。何をパワハラだと思うかは相手次第なんで、その時点で何このクソみたいな男と思うのであれば、そこで終わりなんで揉めないから楽でいいじゃないですか。
いい人ヅラして仲良くなったところで、わたくしは女の子の方が自分より鋭いと思っていますので、そんな風に自分を作るのは面倒で時間の無駄だと考えていました。
なんかこう、一般論(かっこいい人がいい、お金持ちがいい)的な劣等感を相手に投影するのは気持ち悪いじゃないですか。(俺みたいなやつどうせだめだろ?)みたいな。そういうところすぐ伝わるんですよね。
だったら話かけてくんな死ね、って言われますわなあ口悪い子なら。口悪くない子だったらそのうちフェードアウトだと思います。
先輩と出会った時もそうでしたけど、恋愛的な意味ではなくて、好きだと思ったらすぐさま好きって言いますね。本当にそう思ったから。
もう会えないかもしれないしさ。

あああれだ、「あの子は高嶺の花」って諦める気持ちがわたくしには一切欠けていたんだと思いますねえ。なんだろ。相手と釣り合うかどうか比べるとか。なんで仲良くもなってない、よく相手も知らないのに比べなきゃいけないんだ。何を比べてんだ一体。
奥崎の例でいうと、恐ろしいくらい奥崎ファンのバッシングがすごかったからねえ。ファンって言ったって芸能人じゃないよ?ただの1サークルの女の子ですよ。ミスなんとかとか知りませんよ。興味ないもの。
同志社もあったんでしょうか。ミスコンとか。
怪文書まで出回った時は大概頭わいてんなとは思いましたが、あれが「みんなで勝手に姫扱いして盛り上がってたら、よくわかんないろくでもない噂のやつが急に出てきてかっさらわれた」に対する自称被害者の団結と嫉妬かと思うと情けなく、じゃあ正々堂々と奥崎にスキスキいって取り返したらいいじゃねえかと言ってやりましたけどね。
家内ちゃんの時もそうだ。なんで結婚すんのに店の常連の承認が必要なんだ。ひっこんでろおっさんって感じでしたよ。ええ。
今見てるアイドルのファンがどうこうって争いだってそんなレベルだろう。
あれが恋愛であるはずがない。
なのでガチ恋は基本的に恋愛だとは思ってませんが、でもあの場合、対象が本物のアイドルだからなあ。またわたくしのケースとはちょっと違うんで、否定できないところもあります。
元気になってきた。

どんな金持ちで優秀でもブサイクは絶対イヤって人も当然いますし、どんなに男前でも貧乏人では絶対イヤって人もいますし、「絶対イヤ」って別にないな、という人もいますし、そりゃ当たり前の話です。
高校時代の恋愛で何を経験するかというと、「顔だけでつきあって失敗した」「中身だけに惹かれて失敗した」という、自分の理想の崩壊と、じゃあどういう人が自分に合うのかという自覚だと思うんですよね。
わたくしはまあ残念ながらブサイクではありますし、そしてそれにコンプレックスを持たずに改善しようと思わなかった人間ですから、前述の「顔が悪かったら絶対イヤ」な人を好きになっても時間の無駄なわけですよ。
だから表向きではなく、初手から相手の心の底にあるものをすくい上げるために、恋愛感情に移行する前に仲良くなって価値観を共有しないといけないわけでね。
もっと自信があれば「俺はブサイクだが俺の魅力で考えを変えてみせるぜ」とか思うのかもしれませんが、そこまで行くとなんか自信というか過信でしかないと思うし。

なんかでもネットだけ見てしまうと、今の程度が低すぎるフェミニストとやたらとそれを守るナイト気取りの男みたいな、顔が見えないからこそ許される、もし現実で遭遇したら多分ゲッとしかならない痛々しい様子ばかり目立つんで、そういう狂った世界じゃなくて、まっとうな男女関係がもっと表にでてくるような世界にはなってほしくてさ。
恋愛なんて地味な話じゃないですか。
わたくしの話だって大した話ではないです。大した話にならないように気をつけてるんです。

だからわたくしのマキタに対する態度って、まああれ本当のことではあるんですが、小中学生の男子が好きな女の子に取る態度なのではと思うことがよくあり。
そうねえ、わたくし漫画だけだとたくさん女の子の友達がいて、ハーレムみたいなていになってますけど、全然違うんですよ。
どうして女の子のが多いかっていうと、やっぱり遅れているせいかクラスの男子にはすごいバカにされることが多くて、なんとなく許してくれる人に女の子が多かったってだけでね。

最近よくここに書くようになったけど、あんなにいろんなことを記憶してるわたくしが、中学時代だけはごそっと抜け落ちてるのが逆に意味があるんじゃないかと思い始めてさ。
その、中二病ってかかるべくしてかかるものであり、そこで目が冷めて灰色になってから高校生になるんだとすると、わたくしは中学を吹き飛ばして高校生から中学を始めたのでは、と思っており。
みなさん、正直なところどうでしたか。
小学校の時、中学校の時の恋とか「好き」ってどんなんでしたか。
わたくしは漫画の通り、例えば女の子に触れたい、抱き合いたいみたいな思春期がかなり遅く来てあっと言う間に終わった感があり、セクシャルなものへの憧れとかも弱くて、故に男子同士のエロ話とか本当に全然しなかったんですよねえ。

まずわたくしは「灰色の少年」…涼宮ハルヒの憂鬱でいうキョンみたいな、冷めた態度の季節があんまりなくて、あのアニメでいうと、キョンよりかはいくぶんハルヒの方に近かった気がする。いや全然違うけど、概念としてね、概念。超能力とかないから。

じっとしていますよ。

じっとしています。
2025/08/19

わたくしは宿泊先も予定も行き先も一切決めずに着の身着のままで外国へ飛んでって、旅先でトラブルが起これば起こるほど楽しいというタイプなんで、気力が病的に減退しない限りは多分ほっといても生きていけるタイプだと思います。
いや、今気力が病的に減退してる状態を初体験しておるので困っているわけですけども。
そういう意味では生きてくことに繊細ではなく、ただ人間関係には繊細です。なんかどうも、そんな人のアドバイス聞きたいですか?
失敗しそうでしょ。
考えちゃう人は始める前から失敗することで頭いっぱいになるんで。

「お金ないから結婚できない」に関しては、10年前なら「そんなことないよ、二人でいた方ががんばれるよ」と思っていましたが、今は簡単には言えなくなってしまいました。
わたくしのおきもちでよければ今もそう思ってんですけどね。実際わたくしたちは一文なしだったし。
しかしそこからわたくしがどう生活を立て直したかという話になると、これはもう実力とか真面目とか関係なく、たまたま運が良かったとしか言えないんで、綱渡りもいいとこです。
その「たまたま運が良かった」を自分で信じられる人はいいと思いますが、そういうおおらかな人なら相談したりしませんもんねえ。
わたくしと家内ちゃんはそういう意味では「まあなんとかなるし、なんとかする」というO型で雑な性格なんで、何も考えてなかったですね。
すぐ不安になってぺしゃってなる感じの人に、わたくしがやってことと同じことをやれ(しかも運次第)とか言えないじゃないですか。

現実的で社会的な成功に対する執着や野心はあんまり昔からなかったので、それは本当です。
承認欲求はすごくあったと思いますが、承認してほしい一人二人に承認されてれば満足する方に変わっていったので、ある程度大人になればたいていはそうなってくんじゃないでしょうか。
承認とは何かといえば、「君は君でいていい」ってことでしょう。
多分どこかのタイミングで、最終的に承認欲求の正体は自他の関係の話ではなく、自分自身の話だと気づくはずです。

でも裏を返すと「基礎」を中途半端なところまでしか習得しなかった自分へのコンプレックスがものすごく強くて、矛盾してますが、冬目景とか沙村広明みたいな、確実な基礎がないと合格できない美大を通過しているってだけで好きになってしまう絵柄もあります。見たら一発でわかります。あ、これわたくしがやれなかった描き方だ、ってね。
そういう意味ではなんか学歴コンプレックスみたいな部分もありますね。
いろんなコンプレックスがありますし、人の話きくと「なんだそれくらい」と思ってしまいがちではあるんですが、よくよく考えると身に覚えがある話ばっかですよ。コンプレックスの話ってさ。

わたくしはまあ言ってしまうと、あんまり漫画で勉強した漫画とか、イラストから勉強したイラストが好きでないんで、そういう意味では全然畑違いの人が、あんまり余計な知識を持たずに緊張しながら描いた絵とかのが好きだったりします。好みの話ですけど。
やっぱりなんか見たことないのとか、斬新なのが好きなんでしょうねえ。そのためにはユーザを置き去りにしてもいいと思っています。
一生懸命つくったけどクソゲーになったとか、めちゃくちゃ真面目につくったけどB級映画になったとか、そういうのが好きかな。
へんてこなのが好きなのかもしれません。
あと、みんながクソだクソだとさんざん言ってる作品の中から面白さを拾い出してくるとか、そういうのが好きです。
みんなと同じことやんのはやだなって気持ちは今でもありますね。

わたくしは人に好かれるかどうかは置いといて、減点方式では人とつきあいませんからねえ。
「こういう女の子が好き」って理想と妄想があればあるほど、減点方式になるわけですよ。思ってた感じと違う、ここも違う、あれも違うってね。誰でも最初につきあった人なんてそんなもんだと思いますけど。
多分そこで学習するんじゃないでしょうか。その、なんていうの?加点方式って言ったって無理やり「君のここがいい!ここが素敵!」みたいなちょっと怖いやつじゃなくて、もっとこう、「うん、悪くない」みたいな。そんな感じ。
恋愛については経験がなければ30代でも50代でも同じ経験値ですから、いくつになっても人の話を素直に聞ける人だったらカバーできると思いますけど。
問題はねえ、どんなに努力したって年食ってけば話聞かなくなるんですよ。聞いてるふりがうまくなるだけで。それが大人になるってことですし。
だからこう、30代以降の初恋的な相談には答えづらくてさ。
自分と向き合ってる暇なんかないだろうし、すぐ諦めちゃうしで。

「こんな風に自分を見られたい」というのもどうだろう、ヨシダと仲良くなった辺りで少しづつ消えていった気がします。
わたくしの大きなコンプレックスとして、「ああ、こんなんじゃ一生友達も恋人もできないだろうなあ。だめにんげんだしなあ」とモヤモヤしてたのがパッと消えた気がしますし。
「恋人がいる」という事実に対しては特に誇らしくもなんともなかったですが、「絶対ない」と思ってたところに、ああ自分を好きだという奇特な人もいるのねえと考えられるようになったことで、あんまり悩まずに済むようにはなりました。
いや、「ああ俺はだめだなあ」という後ろ向きの性格は変わらないですよ?宗教でもやんない限り変わらないんじゃないでしょうか。
そういう後ろ向きを無理に誰かに支えてもらわなくて済むようになった、というのが正確かと思います。

どういう人に読んで欲しいかって言う意志は割と希薄で、まあだから作家性は弱いですよね。作家じゃないけど。
多分ほんとに好きなもの…クラシックとか…の話をしても、あんまり学生生活の中では話せる人いなかったっていうか、言ってもしゃあねえなと思ってたんで、何が好きなの?じゃあそれわたくしも読んでみるわ、みたいなことが多かったと思います。
でまた、クラシックの中でも結構偏っててクラシックなら何でも好きってわけでもないんで話は合わないだろうなと諦めてたところがある。
詩なんかもそうでしたね。わたくしも先輩がいなければ現代詩なんか読んでたかどうか怪しいし、現実世界で詩を読むの大好きですなんて人滅多に合わないし。あ、わたくしの人間関係のメインは学生ですから。
ネットだとどんなマイナーな話でもすごい詳しい人がいて色々教えてくれるからありがたい。
あと大学の話は共通の話題としていいね。30年経ってるからいいんですよねえ。在学中だったらわたくし大分ツンツンしててイヤなやつだったんで、ネット越しには仲良くなれなかったかもしれない。

モノクロームが好きなのは、鉛筆の細密画をやってたからだと思います。こう、10cm四方にどれだけ書き込めるか、みたいなね。米粒に文字書くのと同じアレです。一本の線引くたびに鉛筆の芯をとがらせて、みたいな世界でした。
美術部でやる鉛筆や木炭デッサンなんかも、物体のもってる固有色をどうやって白黒の陰影に落とし込むかってテクニックですしね。
わたくしのような巨漢というかでかい図体の方がちまちましたのが好きで、マキタみたいにちっちゃい方が豪快なのが好き、なんてよくあります。面白いもんですね。
最近は子供の頃の漫画もよく描くようになりましたが、あの通り、元々どうにも気の強い女の子の背後に隠れてるような男子なんで、まあそういうのも大人になっても変わらんな。ベースは。


目の色を何色にするかってまあ悩むというか、言っちゃうとどうでもいい感じなんですよねえ。黄色か青のことが多いと思います。赤目だとファンタジーっぽくなるからあんまり使わないかな。

雑食なんであんまり文学とか絵とか音楽とかのジャンルにはこだわらない方ですが、さすがにBLとかは読んだことないです。
だいぶ前にBL作家として商業デビューした生徒がいて、彼女から色々聞いたことがありますが、まあね、なかなかようわからん世界だなあとは思いました。
でもこう、いろんなことをひた隠しにして自分のやってることがバレないように細心の注意を払ってるようにしてた頃に比べると、今なんかYouTubeでどのカップリングがいいとか、どの性癖がいいとか売れるとか、堂々と雑談配信とかやってる人いますもんねえ。たまに流れてきます。
日陰のジャンルだと思ってたBLもすっかり市民権を得たということなんでしょうな。

わたくしは元々ガチガチの美術から来てるんで、今描いてるデフォルメじゃない方の絵も、相当マンガ側に寄せて描いてるんです。すごい苦手なんですよ。
写真わたされて、写真そっくりにちまちま描けって言われたほうが向いてる気はします。でもそれだと自己表現になんないんでねえ。

わたくしは議論は面倒で嫌いだとよく言ってますけど、そんなこと言うようになったのは最近で、ああでもない、こうでもないと正解のない問いを、何時間も喫茶店で話すのは大好きですよ。ええ。
なので、議論が嫌いというよりは、話が噛み合わないまま時間だけが流れるのが嫌いなんですな。形骸化した会議とか上司の顔立てるだけの飲み会とかね。誰でも嫌いでしょ、そんなの。
2025/08/18

証拠もデータも何もないですけど、どちらかというと男より女の子の方が空気に流されやすい気はしています。今までの経験上。
これもまた主語がでかすぎるんで話半分に考えて欲しいんですが、横の繋がりを重視する傾向にある女性の方が徒党を組んで集団で動きやすい実感はあります。わたくしは徒党を組まない人のが好きなんで、漫画の中では自立的に行動する人間をよく描きますが。
今、えげつない内容の誹謗中傷を開示請求してみると、大多数が30代から40代前半の女性だったという話をよく見ます。
完全なデータを持ってるわけないんで、それが男女の分断を煽る工作なのかどうかも何とも言えませんが、少なくともその話からそんな印象は受けませんでした。
クラス内カーストの話にもある程度メッセージをいただきましたが、わたくしと同じくほぼ感じたことがないという人もいれば、確実にあったという人もいて、まばらです。
男だから、女だからという話はすごくしたいんです。
なんというか、感情的にではなく、ただ話をしたいんです。
じゃないともう人間がなんなんだかどんどんわからなくなる。

何度も書いた通り、わたくしはカウンセラーでも精神科医でもなく、ただのそこら辺にいる一般人ですから、どうしたらいいかという具体的な方法については何も答えられません。
ただわたくしはあくまでわたくし自身の中で、ここまでが甘え、これ以上はどうにもならん、という線引きが割と明確にあります。
わたくしの話ならばできます。
おっさんの昔はよかった、今のネットはだめだという単細胞な論調に嫌気がさす気持ちもよくわかりますが、わたくしもおっさん側の人間でありますから、歯切れよくは言い切れない部分が多い。
反抗期がなかったというのは、またこれもネットのせいにしちゃう感じになって申し訳ないんですけど、本来直接親に向かって暴言を吐いたり反抗したりすべきところを、それができずにネットでうさを晴らし続けて時間を重ねてしまった状態も多いかなと思っています。
憂さを晴らすのと反抗するのは全く違いますよね。
親の都合をおしはかって言えるものも言えなかった、この時点でまっとうな関係ではないだろうと思います。
わたくしは親子が友達である必要はないと思ってて、むしろ子どもの反抗に耐えられない親のメンタルにいつも問題がある気がしています。
一般論でしかありませんが。

どうしても被害者になりたい気持ちってわからなくはないです。
でもまあ、わかりますって言えない感情でもある。
ミュンヒハウゼン症候群、ご存知ですか。こう、精神やその病に興味をもつタイプの人は、執拗に自分に近い症状や症例を探しまくるんでよく知ってんじゃないかと思うんですが。
一言で言えば、自分を傷つけたり病気だと嘘をついたりして、自分が「正当な」弱い立場の人間であり被害者であるという状況を作り出して、他人の同情や関心を買おうとする病気です。
下のまとめを読んでいると途中にも出てきますが、典型的なミュンヒハウゼン症候群のように見える。
しかし責める気にはなれないな。
「メンタル弱い」では片付けられない普遍的な要素をもっている。

かなり近いところに落ちまくりましたなあ雷。
こんな連発で雷落ちたのあんまり記憶がない。
光と音が同時のえらいこっちゃ3連発で、パソコンは変になるしネットはとまるしで、生きた心地がしませんでした。
独身の時住んでたアパートは落雷直後にルーターから煙でてひええとなったことがありましたが、最近のは雷サージがついてるのか、マンションが対応してるのか、しばらくするとつながるようになって、ありがたいことです。

わたくし怖いものいっぱいあります。
高いところもあんまり好きじゃないし、スピードの速い乗り物も苦手だし、暗くて狭いところも、大きな音も。
多分いちばん苦手なのは雷だと思います。
中央線沿線のわたくしからみて、さきほどから埼玉方面で雷がピカピカしてドンドンしています。
恐ろしくて仕方ありません。
雷がゴロゴロいってる間だけは、家内ちゃんが今すぐあまおうがいるとキーキー言ってても絶対行きません。
じっとしています。
意外と精神が摩耗します。
家内ちゃんは雷が大好きなので、じっと窓の外を見つめています。

こうしたわたくしの内実を、中二病でも高二病でも大二病でも、思春期でもピーター・パン症候群でも甘えでも依存でも、なんとカテゴライズしてもいいんですが、自分に対してそれをする癖がつくとつらいよなとは思います。
自分はいい歳して中二病です。すいません。恥ずかしながら。
みたいなね。表向きはいいんですよ。謙遜でしょうから。
でも謙遜てやりすぎると嫌味ですから。
「こいつ中二病で草w」とレッテルを貼るのは、中二病ですらない、あの蝉が鳴いてた午後の教室で、先生に指されることだけにびくびくしてるその他大勢の、わたくしに何ももたらさない半角スペースみたいな記号です。
わたくしはそんなよくわかんない記号にも受け入れてもらおうと努力するよりは、マキタにぬいぐるみ買ってきてドン引きされた方がずっとましだと思ってましたし、今もそう思っていますよ。
まーでもこういう気持ちでいる限り、社会では成功しないし、金持ちにはならないし、人気者にもなれません。
それはもう、仕方ないことです。

そう、情緒不安定と言えばそうなんだけれど、不安とか憂鬱とか言うより、わたくしは肩だけではなく、全身に力が入ったギチギチの高校生であり、場を取り繕うような空気や適当な仲間意識に対して、抑えがたい嫌悪感があった。
まあわたくしが特別なんじゃなくて、そんな風に思っている高校生は多いだろうと思う。一度そんな風にやらかしてしまうと、どんどん抵抗がなくなって、目立つのが一番嫌いだったはずなのにどうにも妙な目立ち方をするようになってしまった。
多分その辺から美術室に入り浸るようになって、別に大して思い入れもなかった絵も好き勝手に描くようになり、で、青春モノクローム高校編のような状態が卒業まで続いていく。
「クラスみんなのいい思い出」が皆目漫画に登場しないのは、そういった経緯もある。いじめられて不登校になったとか、メンタルが病んでいたとか、そんな事実はない。そういう風に描いた方が共感を得られるのかもしれないけれど。
わたくしが10代後半に一番欲しかったのは独立や自立で、とりあえず周りの誰かと一緒くたにされるのがイヤでイヤで仕方なかったんで、当然我がままでもあるし、しかしそれは学校や家庭という制度に守られ甘えているという劣等感も強かったと思う。
だから可能な限り、できることはわたくしの力でやるのだという気持ちは強い。
大方の人間は近づいて来なかったけれど、漫画のように一部の人は理解しようとしてくれたこともあって、高校は辞めずに済んだ。
大学でも同じような状態になり、結局みんなが卒業していった後どうにもならなくなり、除籍になった。
思い返すと、望んでいた独立や自立とはほど遠い、甘えと欺瞞に満ちた青春だった。

ふと午前中カッカしてて、知らない間にうとうとしていて、8月中にやらなきゃいけないまとまった額と物量の仕事が、何も手がつかないまま18日を過ぎている、何もできてない。
目がさめてふいに思い出した。高校の現代社会の授業に教育実習の若い女性がやってきて、なんだったか…貧困か同和問題か忘れたが、なんらかの問題を話し合う授業を行った。
授業中、自発的に手を挙げて発言するやつなんて誰もいなかった。
どの授業でもそうだ。今日の日付で当たるか、出席番号順か、強制的に当てられそうなやつが授業前、その答えだけをわたくしに聞きに来る。
蝉がみんみんと窓の外で鳴いていて、確か午前中に水泳の授業があって、誰もがだるく、物音もせず、教育実習の先生も無反応な生徒に困り果て、無言の静寂がしばらく流れて、
で、なんだかわたくしはそういうの(そういうの、としか表現できないが)が急に全部いやになって、一人で手をあげてなんだかよくわからないことを大声で話し始めたのだった。
何を話したのか全く覚えてないのだけれど、なんかこう、話さなきゃいかんという気持ちだったのは覚えている。
どれくらい一人でしゃべっていたか…、自分では長いこと叫んでた気もするけど、30秒くらいだったかもしれない。わからない。
はっと気づいて席に座ってみると、教室は絶望的な「なんなのこれ」という空気になっていて、わたくしは恥ずかしさのあまり早退しようと思った。教育実習の先生もあわあわして、わたくしの行動はなかったかのように別の話を始め適当に授業を終わらせた。
残念ながらわたくしは翌日から「あぶないやつ」ということになった。
クラスの中で距離ができたのははっきりわかった。
多分これ日記にもどこにも書いていない。
今、窓の外で遠雷がごろごろと鳴っている。
急に思い出した光景である。

反応したら負け、とは思っているものの、わたくしにもたくさん地雷はあって、たまたまさっき昨日ぶつけた急所の様子をみながらおトイレでタブレットを開いていると、さっきのニュースが目に飛び込んできてしまったのでボルテージが上がった。
わたくしはね、例えば小さな疑問…「公園に裸の女の子像が置いてあるけど、なんで?」みたいなところから、「男女」「ジェンダー」「平等」「人権」という、絶対に収集のつかないとわかっている巨大すぎるテーマに強引にもってこうという姿勢を「知性が1ミクロンもない状態」と呼んでおります。
だから徹底してわたくしはわたくしの話をして、「では人間とは、恋愛とは、芸術とはなんだ」と提起はしますが、「人間はこうあるべきだ」とは言わないでしょう?
わたくしの中にも答えはないのでね。
だから特に文学の中でも詩や俳句を評価する傾向にあります。
同じ人間の世界を切り取る言葉にしても、下衆な目的が透けてみえる言葉とはつきあいたくないなと昔から思っていて。

「街の裸婦像は時代にそぐわない? 撤去の動き、各地で…小学生「見ていて恥ずかしくなる」Yahoo!ニュース(8/18)
こうしたニュースの本質的な疑問は「芸術とは一体なんだ」ということだと思ってて、わたくしもそれがさっぱりわからんので美学・芸術学専攻などという全くつぶしの効かない文学部に進学したわけですが。
おきもち(感情)でこのニュースに対する感想を書くと、「バカか」の一言で終わりなんですけど、「芸術とは」について万人を納得させる解説がまだわたくしにはできないので、「バカが」のままではダメだろうなと思う。
ただそのわたくしのモヤモヤの底には、知性が1ミクロンも感じられない今のフェミニズム(フェミニズムだけではない。左翼・右翼の政治言論と言ってもいいし、時事考察でも何でもいい、そうしたジャンルの問題ではなく、「知性を感じさせない人間が平等なデザイン(色・レイアウト・フォント)によってさも対等な人間であるかのように物申す悪夢とその悪意」にある。
わざわざ「小学生」が見てて恥ずかしいと言わせているところなんて極めて特定の悪意を感じる。「ンマアいやらしい」と思ってんのは本当に小学生か?
そうやって感情を高ぶらせていると、わたくしは上からものを見ている差別主義者だなあと憂鬱になる。最近はもうそれでいいやと思うようになった。下衆が適当に芸術を語るなという強い反発もある。
なんで少女の裸婦像なのか、男性の着衣ではだめなのか。
この疑問の建て方は見覚えがあるだろう。「世界2位じゃだめなんですか」のバカと発想が同じだ。
だから本来は「少女の裸婦」と「男性の着衣」の本質について美学芸術学的観点から色々語るのを楽しめる機会であり、もっというと「どうして女の子の裸をきれいだと思えるんだろう」という対話を小学生とした方がいい。
これを話し合うのは面白い。正解なんか全然ないですからね。わたくしは老婆老人の裸も美しいと思うし、男性の裸体も美しいと思う。美を語ることは人間の世界そのものをポジティブに語ることと同じだと思っている。
その話をすると「男はなんてスケベエなのかしら滅びろ」というやはり知性が1ミクロンも感じられない方向に持っていかれる。
足を引っ張るなら足はくれてやるから、話しかけんなと思う。
この辺が、わたくしがネットでずっと不毛な議論を繰り返している様子を冷ややかに見ている理由でもある。

目に見えて即効性のあることを優先するのは、プラグマティックな世界では仕方ないかなあとは思いつつ、でもわたくし人間関係を焦ってうまくいったこと一度もなくって。
しかしそれもお前のエゴだろと言われたら、もう何も言えないなあ。
色々やりとりした後でその話題になるんだと話せるけど、初手からそうだと「あなたとは関係する必要はありません」って意思表示だと受け取ってしまうし。
国語力か。
折に触れて、これから大事なのは宗教だ、いや道徳だ、いや哲学だ、と言ってきましたけど、今は英語や小論文じゃなくて国語だな。

オブラートに包んでもかりそめの優しい世界を望むか、なるべく装飾を排して本質を望むかは年齢によっても大分異なりますから、どれが正しいということもないんですけどね。
全体的に自分は被害者であるという意識が容認されるようになってくると、弱者強者の立場が逆転して、息苦しくなります。
わたくしは例えばうまく人と話せない人に、お前そんなんじゃだめだ、話せるようになれ、じゃないと生きていけん、と言いたいわけではなく、話せないけどわたくし(あるいは誰か)に伝えたいことがあるのであれば、一撃で完璧に話せるようになろうとするんじゃなくて、長いこと細々とつきあっていきませんか、と思っているだけでね。
だから今すぐ反応がほしい、今すぐ思ってるようになりたい、今すぐ、という焦燥感や不安を払拭するのがいいんではと思ってるんですが。
そんな気の長い話はもうだめなのかなあ。
わたくしも追い詰められてはいるんで、今すぐ、もわかりますけどね。

そうそう、「毎日色まで塗って大変ですね」というメッセージありましたが、これ結構誤解で、もちろん神絵師が20時間くらいかけて描いてるような「作品」は別ですが、モノクロより色塗った方が時短なんですよわたくしは。
モノクロでそれぞれの人間や物質の違いを表現するには、形もそうですが結構書き込まないといけない。
例えばあまおうを描く時に、適当に丸かいて赤く塗ってちょんちょんと種を描けば、下手くそでも「いちご」と認識してもらえますが、モノクロだとちゃんといちごの形に描かないと「丸」にしかならないんで、その方が時間かかります。
色がもっている力というのはかなり強力で、形をとることが大変苦手なわたくしにはすごく有用です。
むかーし、きらら系マンガの女の子たちの顔ばかりを並べてモノクロにし、どれが誰かをあてるかクイズみたいなのを見たことがあります。
結構自信あったんですが、めちゃくちゃ難しかった。
あれどっかに残ってないかな。

クラスターでもジャンルでもカップリングでも、どんな言い方でも同じですが、アニメやゲームじゃなくても、クラシックであろうがアートであろうが、なにかに帰属または所属して行動すると秩序をもった方向へひとりでに動き出すんですよねえ。
多分アニメとかゲームは比較的年齢が低いところからスタートするからルールも校則みたいなものが多いんじゃないですか。違います?
クラシックのコンサートも、咳払いは曲と曲との間でするとか、そんな不文律はあって、物音一つ立てちゃいかんという空気ではありますね。
あんなに大勢の観客がいるのにマジで物音一つしませんし。
あれだとチックとか多動のケがあったら行くことすら諦めちゃうか。
チックを持った息子にいい音楽を聞かせようと思ってクラシックのコンサート連れてったら、SNSでさらされて大炎上し、誹謗中傷が渦巻いた。
みたいなものはあんまり見ないけどいっぱいあるのかなあ。
気楽なジャンルってなんなんでしょう。
まあわたくしは映画でもクラシックでも内容が素晴らしくて心地よければよいほど寝ちゃうんで、熱烈なファンがいたら殺されかねません。
なんでまあ、家でCD聞いてりゃいいかとなっています。
その程度の熱量しかない人間は入ってくんなって空気になってくると、その文化はもう終末なんではとも思ったりします。
わたくしは「わたくし」というジャンルでいる限り大変気楽ですねえ。

ちょっとねえ、わたくしオタクがオタクの所作について語っている動画を見すぎてしまって、わたくしの中で著しい偏見が助長された気がしています。
やっぱりオタクの代表格を再度家内ちゃんに設定し直すことで、その悪印象を抱えてしまった状態から脱却しなければなりません。
家内ちゃんはまずもって優秀なオタクであるとわたくしは思っておるので、家内ちゃんの意見をもって全オタクの道徳であると解釈することにします。
でも聞いててめんどくさー!とは思いますがね。
いくらなんでもローカルルール作りすぎだとは感じますが、
それもいろんな歴史がそうさせたんだろうなあ。
オタク史みたいなものは知りたいです。
どうして現実社会でうまくいかなかったのに、あんな厳しい、しかも「暗黙」という空気が読めない人間にとって地獄でしかない世界に身を投じて燃やされにいくのか理解が及びません。
外野から見てると精神衛生上いいこと一つもない気がします。
アニメや漫画やゲームって何故そんな感じになるんでしょうか。
何がそこまで人間の熱量を掻き立てるんでしょう。
これがわからない時点で「一般人」などとバカにされそうですけど。
自分はオタクであるという強い自覚があり、自分の行動が問題かどうかを確認するための手段として毒舌動画を参考にするのはよきことな気がしますが、表面をなぞった程度のわたくしがあれを見てると、1mmでも行動を間違えたら一瞬で厄介認定され断罪されてしまうという、排他的で自意識過剰な病気世界に見えてしまいます。エンタメだとわかっていてもですよ。ねえ。
いつも思いますが、ルールというのは設定しなきゃ収集できなくなった時点で、もうわたくしにはあんまり楽しくないんですよね。
無法地帯が好きなのではなく、ルールを決めないとわからないという学級会そのものがわたくしの楽しさと相反します。
2025/08/17

だからわたくしよく言うんですが、
女の子に「ごめん、何度言われてもあなたのことは好きにはなれない」と言わせる段階まで進んでしまった時は、「お前もう今すぐここで飛び降りて死ね」くらいの意味で受け取ってちょうどよいかと。
ええ。経験上ね。
「ワンチャンあるかも」とか思っちゃう、自分に甘い性格だから嫌われてるんだということをしっかり心に刻んだ方が次の恋愛に進めてよいかと思います。
最初からはっきり意思表示する女の子もいますが、経験の乏しい大多数はやっぱり男が怒ると怖くて面倒なんで、なるべくソフトにフェードアウトしたいと考える方が自然です。逆効果ですけどね。
経験がないということはそういうことなので。
いいですか、一度自分を曲げて優しくしてしまった後に、急に冷たくするから男は面倒くさくなるんです。
そういう人間を作り出さないようにもしてください。
わたくしに双方から相談がきて面倒くさいです。
まあね、そういう嫌な目に数回遭うことで徐々に強くなり、最初から「あなたは好きでないのでつきあう気などない」とちゃんと言えるようになるわけですが。
どの道ふられたことは覆せない事実であり、ワンチャンもクソもないので、後から思い出に浸れるようになるまで寝かすのがいいですよ。
わたくし、今突然本物のマキタが現れて、仮に「何勝手に都合いい話に書き換えてんだキモいんだよ死ね」って言ってきても傷つきませんよ。
だってこれはわたくしの思い出ですのでね。

自分の快適度を優先すれば我慢しなくなりますからね。
まあ今は「今まで男が牛耳って来たものを根こそぎ否定して廃絶しよう」みたいな極端な価値観もありますから、タバコがある時期突然否定されて、あっと言う間に叩いていい対象になったのと同じで、元々もっていた不満を全部吐き出している過渡期なんじゃないかとも思います。
今まで言えなかったけど今なら言っていい気がする!みたいな。
しょうがないね。
男の不満は目の前に見えている直接的な不満が多いでしょう?
男ってわけじゃないかな。でも全体的に男は物事をあんまりよく見てないじゃないですか。わたくし家内ちゃんと話してると、そんなとこよく見てんなあと感心しますよ。
家内ちゃんがキーキーなってる時は、目の前のことが原因ではなく、我慢してた小さな不満がある日爆発して飛び出してくるんで、「夫がくさくてイヤすぎる!」と怒っている場合、「いつ話しかけてもパソコンを向いててつまらない」が不満の要因だったりします。
これは家内ちゃんだけでなく、村木も奥崎もヨシダもみなそうでした。
なのでわたくしの中では、女の人は我慢強いかわりに、一旦怒るところまで行くと収まるまで土下座するしかないという経験則があり、限界まで怒らせる前に、「わたくしのこうこうこういうところが悪うございました」と、はっきり自分の悪いところを認識している、そして反省している、というところを見せると許してくれることが多かったです。

臭いねえ。
最終的にやっぱり人類はAIになりたいんじゃないかというわたくしの想像ですが。
イヤな臭いは誰だってイヤに決まっていますけど、例えばわたくしは鼻が悪くて大体詰まってるんで、人にも自分にも鈍感だと思います。すいません。
コミケって夏の混雑時に行ったことないんでわかんないんですが、そんなにものすごいんでしょうか。鼻がよく効く敏感な人には地獄でしょうねえ。我慢できずに人が倒れるほどの悪臭ってどんな臭いなんだろう。
例えばシュールストレミングとかホンオフェみたいな臭い食べ物の代表格と臭気測定して数字で比べたところで、不快度はそれで測れるわけじゃないしな。
要するにみるからに汚らしい男が嫌いなんではと感じることもあります。
もし夏のコミケが田舎のバキュームカーより臭いんだとすると、わたくしは耐えられない気がします。
ドリアンくらいだったら多分平気です。

好きな人には大変申し訳ないんですが、わたくしは「クラナド」「Air」のいわゆるKey作品は全然だめでねえ。
教え子に強力に勧められたんで見たは見たんですが、あれはやっぱりゲームからやんないとだめなのかしら。
うお…サムい…っていっつも思っちゃって。すいません。

単純に見た目の話なら「僕らはみんな河合荘」(2014)の律とか好きでしたよ。DVDの抽選に応募して、声優のイベント行ったり原作者の話聞きに行ったりするくらいには好きでした。
ラブコメの宿命として、どんな暗いコミュ障のヒロインに設定しても、結局主人公の男を好きになる。そこは外すと大きなおともだちが怒り出すという予定調和があんまり好きじゃなくてねえ。
是非とも「何があっても主人公になびかない」というヒロインを登場させていただきたいとは思っています。それはもうヒロインではないですけど。
わたくしは優柔不断なもにゃもにゃした主体性のない男が、優しいような優しくないようなふわふわした対応をしてるうちに、いつのまにかヒロインが自分を好きになっている、という話は全然好きでないので。
そういう意味では「冴えない彼女の育て方」の最初の3話くらいは、オタクの意味不明なテンションに静かにドン引きして距離を取るヒロインでよかったんですが、やっぱりその後メロメロになっていくんで、まあそういうもんなんでしょうな。
冴えカノもあれですね、結局「クリエイターはすげえんだぞ」って話なんで、そっかあ、な感想でした。


子どもの頃からよく食べに行ってて、今も帰省すると必ず行くのが「田舎家」といううどん屋さんなんですが。
田舎家って書いて「ぜいご」って読むんですけど、なんでだか全然知らなかったんですよね。あ、ホームページあるんだってさっき見たらトップページに書いてありました。そういうことか。
田舎あるあるで、そもそも店があんまりないんで選択肢がない。
いろんなこだわりのうどん屋さんが、出来ては消え出来ては消えする中で今でもやってるんで、名店というより他に行くとこがないとも言える。
わたくしはどちらかというと毎回違うものを食べたい派ですが、田舎家に限っては下の鳥なんばんと天巻しか食べないんですよね。なんでかはわかりません。
わざわざ遠くから食べに来る店ではなくて、地元の人が休日の昼とかに行く感じです。アクセスが悪くて駅から徒歩ではちょいと厳しいな。
高校への通学路にありました。
一回家内ちゃんも連れてったんですけど、お気に召さなかったようで。
そうだねえ、関西のうどんは塩辛いだけで醤油あんまり入ってないからね。わたくしの「美味しい出汁」の基準はここの鳥なんばんですね。


一生懸命勉強して受験に勝利した方には非常に後ろめたいんですが、わたくしは目指す大学とかもなくて、ただ東京だけは行かないということだけ決めていました。怖いから。
何故か四半世紀も東京におりますが…。
あと名古屋はマキタがいるので、さすがに浪人して名古屋の大学に行ってしまうと色んなやつに「まだマキタマキタ言ってんの?」と後ろ指さされそうで、やめた。マキタは名大、ムロイは確か南山だった気がします。違ったかな。
地図で見てもらうとよくわかるんですが、田辺ってほんと鈴鹿の真横でして、電車で行くと奈良から回ってくんで遠いんですが、車なら1.5時間くらいの距離でちょうどよかったんですよね。峠越えなきゃ行けないけど。
そんな理由でした。
行かねっつってんのに、関関同立と早慶は結構な学部受験させられましたねえ、河合塾に。チューターの山本さんがきれいなお姉さんだったんで全部いうこと聞いてしまいました。どうだ、合格しましたぜみたいな報告に行ったら「おめでとう、私結婚して退職します」というコントみたいな展開で面白かったです。そんなんばっかですわ。
今でも関関同立とか明中法とか言うのかな。
あとなんだっけ日東駒専?大東亜帝国なんて呼び方もありましたよね。
どこがどれくらい難しいのかはさっぱり覚えてません。
もう偏差値とかあんまり関係ないんじゃないんですか?これだけ子どもの数減ってたら。
河合塾でやった遊びと言えば、そこそこ成績いいやつを集めて、全員で偏差値40くらいの大学を志望校に設定し、我々の偏差値で一気にランク上げてやろうぜみたいなくだらないことを一年間やってた気がします。

「ペリリユー – 楽園のゲルニカ」という戦争マンガを一気に読んだ。
10巻あるけど一気に読めたんで、完成度の高いお話だった。戦争の話は夏に読むに限る。
戦争モノはどうにも感想が書きづらいというか、感想は「戦争はだめだな」一個しかないんでまあ読んでみてとしか言いようがないんですけど、最近は絵や漫画の作り方も気にして読むようになって、そういう意味でも上手というか、絵のちからは大きいなあと、また同じこと言ってるな。紹介するの苦手なんだ。
以前小学館の方から声をかけていただいた時に、まあ体調やら何やらもあり、仕事もその時は詰まりに詰まっていたので結局断ったりしてしまったんだけど、わたくしはいつもそういうチャンスを逃すタイプで、後から本気になってきて「あの時乗っておけば!」と後悔する。
生きづらいと思ったことは全然ないが、生きるのは下手くそだと思う。
なんかやりたいなあって言ってる間に気づいたら死んでた、みたいなのが一番怖い。怖くて怖くて、やっぱりなんか大して誰の目にも届かないものをチマチマと描いている。
2025/08/16

わたくしはこんな風に、考えたことをひたすら繰り返し繰り返し、意味があるとかないとか、長文がウケないとか嫌われるとか、そんなものを一切無視してただただ書き続けることで慰められるたちで、下で書いたようにそれは20代の頃自分で発見した、自分に合った自分語りの方法です。
だからめちゃくちゃで支離滅裂な長文を送ってくる人に対してウザったいと思うことは少ないです。そんな夜はいくらでもあるし、わたくしは一日中そんな気分です。
全文褒め言葉とか全文悪口だったらそりゃイヤですがね。
これを詩的な文体でポエムにすると特定の人に刺さる感じになります。
今は特に誰かを刺したくないので読んでも面白くない文体です。
140文字になんとかして言いたいことを詰め込もうと頭をひねっていた10年間を思うと、書きっぱなし投げっぱなしは天国です。
全く推敲しませんからね。
ミドルエイジ・クライシスの重さはわたくしが想定していたよりもかなり強めで、20代の時よりも体力気力が激しく減退しているので、立つのが物理的に億劫です。
そして解決策はありません。何をしても無駄な気がします。
できることが「いい歳して」と笑われる自分の思い出話しかなくても、それしかできないんだからと開き直るしかない。
ああなんだか急に元気になってきました。
うほう。

20代の青春モノクロームの季節中、わたくしが死にたい気分から逃れるために何に逃避したか。
1.ネット
2.女の人
です。格好つけても仕方ないんで、ドラスティックに言えばそれだけだと思います。麻雀もいっぱいやってた時期はありますが、あれはやればやるほど死にたさが増すので多分逃避ではないです。
ネットは今やっているように、起きている間中文章をアップし続け、長い長いメールに長い長い返答をするという、異常な自己表現・自己顕示の手段として使いました。
それを通じて結構な数の人に会ったと思います。
当時はまだ、「死にたいだなんて何言ってんの?とんでもない!」が一般常識でしたから、死にたいについて表現し続けるわたくしには、同じく様々な死にたい人が集まってきました。
それでも複数人で会ったことは一度もないですね。かならず1対1でした。最年少はヒカルの14歳から、上は40代くらいだったと思います。
大体死にたいのは男女比1:9で女の人ばかりでした。
サイトの管理人がわたくしという男性だったからかもしれません。
のちに生まれる「メンヘラ」が心の不調を訴える人という本来の意味であれば、全員メンヘラで、わたくしもメンヘラです。
しかしわたくしはわたくしを弱い人間だとは一切思っておらず、「今の社会不安の中で死にたくならない人間こそが狂人なのだ」という強いメッセージをサイトから放っていたので、それに呼応した人は多いです。
それがネットナンパや出会い系として機能してれば楽しかったかもしれませんが、そもそもわたくしはそんなに他人が好きでなく、会う女の人たちも全くそんな出会いを求めていません。
この辺は行動だけが独り歩きして周囲に誤解を生み、かつ説明が難しかったネット黎明期の話になります。
死にたい気分の時に「うひょっ!おっぱい触りたい」とか思いますか。
思えんよ。
でも思えた方が正しいのだと思います。わたくしは思えません。
わたくしは共感能力や同情心が薄く、へえそうなんだ、と聞いてるだけでしたが、死にたい人をたくさん見てるうちに、不思議なことに「まあいいんじゃないすか」とフォローしている自分に気づきました。
そういう関係性が今のわたくしの地盤になっています。

「死にたい」という気分について、こう、湿った感じじゃなくてごく普通に話したいなあと思うことがあって。
ないですか?決して同情を引きたいわけじゃなくて。
失恋の死にたいは、仮に相手が急に戻ってきて「やっぱり好き!」って言ったら消えるでしょう。あるいは時間か経てば嘘みたいに消えます。
自分でかさぶたを剥がすマゾヒストでなければね。
いじめの死にたいは、少なくとも周りの人が逃がしてあげて、いやなやつが追っかけてこない安全な場所まで連れてってあげられれば、あるいはそこまでじゃなくても身を挺して守ってくれる人が一人でもいたら、消えはしなくても復活できそうな気がします。
借金の死にたいはどうでしょう。わたくしは貧乏ではありますが借金はありませんので、借金地獄はわかりません。
が、これからなる可能性は50%程度あります。
お金があれば解決しますか。するよねきっと。
じゃあ悪いことするしかないな。そしたらそれによって死にたくなるんじゃないかなと思います。
うつ病など、こころの病の死にたいは治りますか。
治らない人もいます。薬でのっぺりした平らな世界に連れてってもらうことはできます。酒やギャンブル、女に溺れる人もいるかもしれません。溺れている間は死にたくなくて済みますか?
わたくしも今クリニックに行けば100%抑うつまたはうつ症状と診断されるでしょう。大学の頃より当社比で現状は重めです。
しかし絵を描き続けることによって、「これができてる間はわたくしは病ではない」と言い聞かせて正気を保っています。
わたくしの死にたいは焦燥感の時もあれば、もう楽にしてくれという蓄積疲労の時もあれば、今保険金が降りる形(自殺ではなく)で死にさえすれば、当面は家内ちゃんが暮らせるだけの保険金を残せるという使命感だったりとか(結局これももう俺は何もしたくないという逃げか)、そのようなものが1日中、順繰りに体内を駆け巡っています。
しかし、おそらくわたくしは死なんだろうという妙な自信はあって、その感情の源は「急いで死なんでも病気で多分死ぬだろう」という、これもまた諦めです。
また、いやなものを見るともうこれ以上ろくでもない世界を見たくなくて死にたいという気分が湧いてくる時も多いです。
ネットは確実にわたくしの精神を悪化させるので、よほど見たいもの以外はせいぜいタイトルをちらっと見る程度にとどめています。
そんなことはないとわかっていながらも、わたくしの嫌いなものがすべて世界から消失したらわたくしはしあわせでしょうか。
いいや、多分この精神状態だと、その中から「わたくしの嫌いなもの」を更に作り出しそうな気がします。
なんと。クリエイターではないか。
嫌いなもの創造クリエイター。

そういや大人になってから両親と話をした時に、どうして勉強しろ勉強しろ言わなかったのかと聞いたら、
「お前は思ったことをためておけんくて何でも全部いうから、わたしらが言わんでも勝手に現状を報告してくるんでわざわざ心配する必要がなかった」
と言っておりました。
「一言多い性格」には今でもドキっとしますよ。
一言多いんで。ええ。

しかし実家に帰るたび、厳重にわたくしの管理化にあった書庫もほこりまみれとなってゆき、
カイガラムシを駆除する殺虫剤だの、ナマズの餌にする極太ミミズ大関だのに侵食され続け、もはやデカルトやハイデガーの知的財産よりも、日々の自然が優先される事態となっております。
こういう全集って絶対誰も読んでないんですよ。ええ。単なるインテリアです。
でもわたくしはこう、図書館みたいに本がずらーっと並んでいる光景はとても好きでして、背表紙を見てるだけでもなんか頭がよくなった気がしてよい気持ちになります。
非常に頭の悪そうな回答で申し訳ないのですが。



わたくしは表面上は習い事や勉強を卒なくやってる優等生に見えていましたから、おとなしい妹はことあるごとに比較されて相当いやだったと思いますねえ。
それでもグレず曲がらず、兄よりずっとまっとうな人生を歩んでいった(ように兄には見えていますが)のは、元々の器が大きいのか、面倒くさくて何も考えてないのか、まあ兄妹で全然性格は違いました。
うちは代々百姓の家系なんで、芸術とか派手な世界とは無縁です。
とは言え自宅の書庫には立派な美術大全集(誰一人読んだ形跡がありませんが)など、百科全集が流行った時代の名残が色濃くあり、
わたくしはそれらの百科全集とともに育ったと言っても過言ではないので、環境には感謝しています。

親に勉強しろって言われたかどうかを大学の同級生に聞いて回ると、半々くらいでした。わたくしは多分一度も言われた覚えがないので、そういう意味では気楽なもんでしたね。
ただ思い返してみると、突然両親がなんか質問してきて、変な答えを返すと一生笑いのネタにされるというところはあり、
なんというか、笑われたり笑ったりするのが嫌いなのはそういうとこに由来するんじゃないかと思います。
わたくしは長男のえこひいきで、何をしても褒められましたが、割りを食ったのは妹です。今でも覚えてますが、
「○の子の財布って言葉の○って何の子どもや?」という唐突な質問に、うっかり小学生の妹が「くじら?」と言ったんで、高校くらいまで「お前くじらの子か」と笑われ続けてかわいそうだったんで、歪んでるっちゃ歪んでますかね。
両親共せいぜい関関同立レベルの癖になぜ息子はもっと優秀なはずだと思うのか。あれは意味がわからず反発しましたねえ。
でも勉強しろとは言われたことないです。
好きなことは勝手にやるだろうと信用はされてたのかもしれません。

わたくしはキズナアイとか全然知らないんですよね。いつ頃流行っていたかもわかりません。
多分いつも言ってる通り、アイドルっぽいものに興味がないからだと思うんですが、なんで興味がないんだろうと考えるとよくわかんなくてね。
だんだん考えがとめどなく広がっていって、生きてる人間て生きてる限りろくなことしないから、わたくしのアイドルは物故者のみだなみたいなことはよく考えました。

まあその、「わかりにくい人」=表情が乏しい人=よく考えてそうな人っていう幻想も人とつきあうようになると崩壊しますよね。
あ、違う、この人が黙ってんのは馬鹿がバレるのが嫌なだけだ!とか気づくようになっちゃって。
なのでだんだん見た目や雰囲気では人を好きにならなくなっていくんでしょうね。

そうねえ。
マキタもムロイもわたくしから見ればいろんなことを考えているようには見えていましたが、「考えている」ということが表にでやすいのがムロイで、でにくいのはマキタだったかもしれません。
わたくしはムロイを若干下に見てたところがあって、それはなんでかなと考えると、なんかあわあわしてる様子がわかりやすかったからだと思います。
ムロイは時々男子生徒に好きっていわれてアワアワとしていましたが、マキタは聞いたことなかったですね。
わかりにくい人って魅力的に映るからなあ。

これもわたくしの治そうと全く思っていない偏見ですが、だいたい人に当てて何か言葉を書こうとすると、色々考えて余計な文言はくっついてきてしまうものなので、自然と何が言いたいかわかんない文章にはなるんです。特に初めて送る時はね。
なんで、SNSで勝手にウケ狙いで書いてると短文と、わたくしに送ってくる文章が全く同じ文体だとまずそこでやだなとは思いますけどね。印象としては。
ただ、めちゃくちゃ長文になってしまって、あーだめだーってばっさり「よいですね」に縮めて送る場合もあるんで、それはいいんじゃないですか。そういう性格はそのうち伝わりますし。

会ってもないのに「君が好きです」「つきあいたいです」みたいなこと言ってくるのは、完全に恋愛じゃなくて自分が大好きなだけの地雷なんで無視したほうがよいかとわたくしは思います。
無視が有効です。一度でも反応するとおしまいなので。
(恋愛的に)好きとか嫌いとかはわたくしは言うなら必ず会って話したいと考えてますし、LINEとかメールでは死んでも言われたくないですが、それはわたくしの価値観ですね。
そうじゃない人もいるかと。
ただわたくしが好きだと言うなら言う前にちゃんと目の前に来て、ちゃんと自分の言葉で伝えろやとは思いますね。
そういうのを傷つきたくないからとかわけわかんない理由で端折るやつって嫌いなんですよ。

やっぱあれだよなー、ブログとかが「読んでいただきありがとうございました」みたいな、クソ寒い小銭稼ぎに使われるようになってからつまんなくなったんだと思いますよわたくしは。ええ。
そういった長年の経緯があって、
政治とスピリチュアルと金儲けはどうあっても締め出したい。
少なくともわたくしは関わりたくないです。
あいつらは顔が見えないことを最大限に利用して、平然と真っ赤な嘘をつくからな。頭がいいとも言えますが。
わたくしはわたくしよりずっと頭のいい人間は嫌いです。

往年のネチケットとして、「サイトと関係ない話はしない」というものがあって、それはある程度今も受け継がれていますよね。
YouTubeの概要欄に注意書きがあったりしますから。
その辺がやっぱり曖昧な人はある程度の数いて、多分それだとコミュ障として現実では弾かれてしまうんじゃないかと思います。
しかしそれってどうやって学習していけばいいんですかね。
わたくしだって現実社会に適応できなかったんでこんなことやってるわけですが、じゃあ現実社会に適応できない人同士で友達になるかって言ったら多分ならない。
面倒なタイプの人ってどういう人かと言うと、「自分、面倒な性格ですよね…すいません」って言って絶対直さない人なんです。昔もいっぱいいました。恋愛からむと更に地が出るんで、もう思春期の通過儀礼といってもいいでしょう。
直せないなら嘘になるから言わない方がいいし、直そうと思うならもっと真剣になった方がいい。

そういったこうしたい、ああしたいという宣言を繰り返しながら運営していると、90年代のネットを思い出しますねえ。
個人個人で明確なルールや空気があったからこそ、楽しかったんですよね。いきなり「うるせえ素人は入ってくんな」でKICKするタイプの管理人もいれば、3回までは大丈夫って管理人もいれば、みんなで仲良く楽しもうよって管理人もいれば。
まあ「みんなで楽しく」タイプの人はネットなんぞやらんので、気性は今よりも荒かったとは思いますよ。だからその頃にネットばっかやってた思い出の強いおじさんはSNSでいつも誰かに噛みついてるんじゃないですかね。

あんまり特定の人とやりとりしてる感じを出すと、内輪で盛り上がってる感じになっちゃって、結局それは裏でコミュニティが存在するというふうに見えちゃうんで、まあちょっと独り言成分を増やそうと思います。
わたくしはコミュニティには関心がなく、一番好きでないパターンは政治系チャンネルにありがちな、視聴者同士で勝手に挨拶しあって勝手に喧嘩になって勝手に空気を悪くする、というアレなのであれは実に避けたい。
あとまあしょうがないんだけど、わたくしはやっぱり絵を見てほしい人なので、無言で毎日毎日ひたすら過去絵に読みましたボタンを押してくださるあなたは神です。どなたかは当然わかりませんが。
2025/08/15

精神的な病ってほんとに誰でもなりますからなあ。
「いい歳して」という揶揄と同じで、言ってるといつか自分にブーメランで返ってくるやつだと思います。
わたくしは「障害者」と書くか「障がい者」と書くかという話は正直どっちでもいいかなとは思ってて、ただ害って書くと本気で死にたくなる人が大勢いるってことならひらがなで書いた方がいいのかなとは思います。
わたくしは特に精神的な病との診断を受けてはいないので病気ではないにしろ、「社会からいらないと言われている」という感覚を40代後半になってから確実に感じるようにはなりました。
溢れてくる感情の蛇口がぶっ壊れているのが病気ですから、「好き」とか「嫌い」という感情も正常の範囲と比べて明らかに壊れている場合も多く、ネットではた迷惑な行動を繰り返す人間を特定してみたら、やはり手帳をもっていたということがネットにさらされ、全般的に今は「おかしな人」に対して風当たりが強くなっている気がします。
なので以前Twitterにも書きましたが、今は精神的な病についておおっぴらに書くことはいいことあんまりないので、隠すというよりは聞かれないかぎり表に出す必要はないとは思っています。

げんしけんってどこの大学がモデルだったんだっけか。
荻上が同級生の男の子のBL描いて、それがばれて転校しちゃった、というところばかり覚えていて荻上はかわいいなあと思った記憶があります。
荻上だっけ。名前も怪しくなってきた。

あっ、モスじゃなくてマクドナルドかあ。そうだったかもしれない。
記憶が曖昧なのはハンバーガー屋さん全然いかなかったからかも。
ゲーセン、雀荘、ビリヤードは割と覚えてるので、今出川に行ってから普段どこに行ってたのかよくわかります。
ところでこれ誰に聞いても「確かにあったことは覚えてるが曖昧」な店として、(以前同じこと書いたっけ?書いた気がしますが…)、室町今出川をガソリンスタンドからちょっと北上したところに「おとんぼ」って居酒屋があったと思うんです。
多分写真のところらへんだと思うんですけどねえ。
行ったことありますか?
覚えてる人間が極端にいなくて、その思い出も「ハセガワ先輩に連れてってもらった」という感じでですねえ。


このブログに貼ってあった田辺別館の写真の中で、この「帝国主義打倒」って落書き、わたくしたちの時にもあったような気がするんですがどうでしたでしょう。まあ似たような落書きばっかなんで気のせいかもしれんけど。
わたくしもアトリエの中の壁にはなんか落書きした覚えがありますが、外にはやったことないですね多分。
まーほんとうにお子様はこういうのが大好きというか、権力との闘争をちっちゃいちっちゃい部屋の中で誓い合うのが好きというか、わたくしは美術部の同学年に同志社香里出身の政治談義好きな変なのがいたんですっかりアレルギーになっておりましてね。
「ハハハハセガワくんはやっぱりああああアレですかね?そそ総括の必要を感じませんかね?」などと、BOX打ち上げの時、わたくしがオズ先輩の横でごろにゃんしてるところに割って入ってくるんで、とうとう堪忍袋の限界が来てBOXにあった電子レンジを投げつけてやったことがあります。
普段そう怒るとかキレるとかないと思うんですが、オズ先輩が絡むと一気にボルテージがMAXになるんで、今思えばそれも大学生っぽくてよかったと思います。彼にとってはろくでもない思い出でしょうけれども。


久しぶりにストリートビュー見て思ったけど、今はコメダ珈琲があるのね。ここ何があったっけ。
わたくしたちの時、この辺にモスバーガーあったよね?確か。
あっ北側にモスの看板見えるな。移転したのか。こっち側じゃなかった気がする。

烏丸今出川の交差点ってさ、いっつも白バイが張ってて、原付で何回も反則切符きられたよ。
交差点内で車線変更したとか、そういうちっちゃいやつで。
ここはまあ大きな交差点だからわからんでもないけど、全然人通りもないようなところでも一時停止とかでハイ5000円、みたいなね。
当時はどんだけ暇なんだ!警察の小遣い稼ぎか!とか怒ってたりしたんですが、まー学生が多い街なんで当時はきっと色々ひどかったんでしょうね。路駐とかも。あっというまに切符切られて「また千本警察いかなあかん3万とかもう払えん」みたいなのよく覚えてます。


一口に障害者といってもだいぶ範囲が広いですからねえ。
1級と3級ではかなりの差がありますし。
それがわからないと一般論的な回答になってしまいますが、ただそれはセンシティブな情報ですから、教えてほしいわけではないです。
質問に対してわたくしの考えを書くなら、「そんなことはないなあ」です。それはその人の考え方、わたくしはそうは思わんというだけですね。
それによって不安が解消されるのかどうかはわかりません。
主語が「障害者」「健常者」のように大きい場合は、話は半分くらいで聞いた方がいいんじゃないでしょうか。
わたくし自身は障害者か健常者かに関わらず、嫌いな人は嫌いで、好きな人は好きです。
ただ、「強いこと言ってショックで死んじゃったらやだなあ」とは思うので、最初から障害者ですという前提がある場合は本音をセーブすることはあると思います。

人を元気にしよう、明るくしよう、慰めよう、そういう気持ちは確かに尊いものだとわたくしも思っていますが、なんかそんなスキルでもあるかのようにただのテクニックになっちゃったら興ざめじゃないですか。
といってじゃあ2chのように「嘘くさい現実世界を暴いて真実を晒す」みたいなのももういい加減いいでしょ。それもなんか拙い子供の考えな気はします。
人間に深い浅いってないんじゃないですかねえ。基準がわからんし。
メッセージで届く、どうってことないほんのちょろっとしたあなた方の話の方がよっぽどネットのエンタメより面白いですよ。
エンターテイナーになるのはそれで食ってる人がやればいいんです。
わたくしは思い出にエンタメ性を求めていません。

こうして見せるべきでもない素の状態で、思うことを変に取り繕わずに書いていると、絵や漫画ではそんなに生々しく愚痴らずには済むんで、わたくしにとってはよかったと思います。飽きたらこのページごと消すのは簡単だしね。自分の管理下にさえあれば。
男友達の素敵な話を描いてもいいんだけど、男友達は今でも連絡しあうんでねえ。恥ずかしくて描きにくいんですよね。褒めあうのも気持ち悪くてやだし。男同士というのはそういうものです。
わたくしは当然女の子ではないので、それはいくら詳しくなっても永久に「よくわかんない世界」なんですよ。
ネットで書かれてる「女の子の真実」なんてものはどうでもいいです。わたくしはわたくしが見た世界だけが真実ですからね。
そうした真実を求める姿勢も、やがて消えていきます。真実なんてものもどうでもよくなる。くだらない言葉遊びに思えてきます。
今まではこうしたおきもちをポエムできれいめな自己表現に変えていたんですが、今のところは美文体で書くよりひたすら整理しないで書き続けた方が楽でもあり。
わたくしの青春モノクローム日記もこういうスタイルだったんで。
そのうちまた、ポエムに戻ることもあるでしょう。

しかし大抵のことにはめげない自負と自尊心で満ちていたわたくしも、40代に入った途端に色々な変化が起き、すっかりそれまでの勢いをなくしてへなへなになってしまいました。
そうした自分の変化を信じられないのは自分自身だったりします。
いろんなことが起きるなあと思いますね。
わたくしが特に何度も20年くらい経つまでは「あの頃はよかった」という思い出を語らない方がいいと言うのは、必ず中年から老いにさしかかるタイミングで、その思い出が必要になる季節があると身を持って知ったからです。
まあね、これはわたくしの話なんで忠告でも箴言でもないんですけど、大体「懐かしいね」って話ができるような年齢にみんながなると、自然にそんな話をして元気を出す、みたいな機会が増えるんですよ。
その時に思い出を吐き出しきってしまった状態だと、多分つらいだろうと思いますよ。周りはみな学生時代のことなんて目もくれず、仕事に子育てに邁進して、やっと少し落ち着いたところ、富裕層まではいかないにしろ、ある程度の社会的地位と残した何かがあって、それで初めて「懐かしいね」って話が出てくるわけなので。
30代前半くらいの格差は運が良ければ跳ね返すこともできますが、中年以降は現実しかないのでもうどうにもなんないです。
わたくしが現在このような考え方をしていること自体、近くの人が知れば驚くと思いますねえ。そういう後ろ向きな考え方とはわたくしは無縁だと思われておりますので。

という考え方にハマると夢も希望も未来も何もないとなってしまいますが、わたくしはそうでもなく、まあだめな時はだめなんで、諦めるしかないなと思います。
結果的に最悪のパターン…家内ちゃんには逃げられ、家を失い、健康状態も悪化して、公園で寝泊まりする死一歩手前の生活になったことを想像しても、まあしょうがねえやなと諦めている自分が見えます。
諦めつつ、なんかやってそう。どうだかわかりませんが。
幸い、諸外国と違って日本ではそこまで至るのは「それを望んでいる」人でしょうから、福祉の力によって最低限生かしてはもらえるんじゃないかとは思います。
わたくしが昔見てきた国々に比べると、弱者に対する手厚さは比較にならないくらい大きくて、故に誰もが余裕をなくした今、不公平論が持ち上がってるのもわからないではないですね。

わたくしは単純に全てのことを自分で管理するのが好き…裏を返すとあんまり人を信用していない性格ですから、向き不向きでいうと向いていたのかもしれません。
どうあっても誰のせいにもできないんで、愚痴と文句と弱音は吐きつつも、それはそれとして何かやらんとどうにもならんという考え方にはなります。ただしいつも生きるだけで精一杯なんで、優しくはなれないでしょうね。
多分お金持ちでもうあくせく頑張らなくていい人が一番人に対して優しいと思いますよ。人の優しさは性格ではなく、置かれた環境によって決定される部分が多いので、劣悪な環境にいてなおかつ素敵な人格者であることを期待する方が無理というものです。
そういうのは格差が広がるにつれてもっと色濃くなるんで、ろくでもないニュースばかりの今も、10年後に考えたらまだマシだったと思ったりするんでしょうねえ。

いわゆるクリエーター職は名乗ればその時点でなれますんで、誰でも今すぐなれます。名刺とか1000円あればきれいなの作れますから、そこにイラストレーターでも漫画家でもVTuberでも好きな肩書いれとけばいいです。
あとは実力の問題なんで、実力がなければ食えないし、実力があっても運が悪いと食えないし、実力があって運がよくても自分がヘタレだと食えない、ということになります。
自己責任はかわいそうだという空気になってきてはいますが、この辺の職種はすべてが自己責任なので、自己責任論で片付けるのをやめろ!という考え方だと夢を持たない方が気は楽です。貧乏はつらいんで。
食うという視点で考えるとそうなりますね。
わたくしのように食うためというより、それやってないと死ぬという場合は肩書などどうでもいいので、死なないためにやりたいことやってればいいんじゃないかと思います。

誰もが答えにくい相談というか、答えようがない内容の代表格が「まだやってもないことについて具体的なアドバイスを求める」でしょう。
例えば「イラストレーターになりたいんですが同人誌は作った方がよいのでしょうか。最初は何ページにしたらいいんでしょうか。カラーはどれくらい費用がかかるんでしょうか。」みたいなね。
そりゃ8割くらいの人からは「やんなくていいんじゃない?」って言われます。意地悪じゃなくて、ほんとにやんない方がいいんではと思うじゃない。
こういう背中を押してくれ系の相談は、身内にしないとだめでしょうねえ。知らん人に相談してもなあという気がします。
こういうのを他責思考と今は言うんですが、本人にその自覚があるかないかに関わらず、上手く行かなかった時に「あの時ああ言われたからやってみたのに…」って必ず人のせいにするんですよ。ええ。
こういう考え方が増えているように感じられるのは多分気のせいで、もとからいっぱいいるんですが、さすがにそこは自覚してて表に出さないように予防してるんですよ。そこがギリギリ常識の限界ラインです。
でもほら、ネットだと誰かは相手になってくれるんでそのラインが緩むでしょう。結局どうなるかというと、「化け物来た」ってネタにされてみんなの笑い者になるだけです。

前もちょっと書いたけど、「書いてないことを読んでしまう」病気ね、これ意外と深刻なのではと思ってて。
下のように「わたくしの周辺では3人目くらいで結婚した人が多いかなあ、わたくしもそう」と事実を書いただけで、
「それは自分に対するマウントか?」と読んでしまう。
わたくし側からすると「え?誰?キモ」ってなるだろう。そりゃ。
軽度の被害妄想とも言えるし劣等感、あるいは卑屈とも言える。
これが常態化していると性格の一部になってしまって、いつまでも自分につきまとってくる癖になってしまう。
それに気づいてネットを遠ざけられる人はいいが、結局やめるやめる言って戻ってきてしまうのは完全な依存であり、治療が必要な病気だ。
病気かそうでないかは、そうした卑屈を瞬間的に相手にぶつけてしまうかどうかで今のところ分かれるとわたくしは思っていて、そうした文句は全部独り言かエアで言えばいいと思う。が、どうしても言ってやらないと気がすまない。という図式。
これははっきりもう病気だと言っていいと思ってて。
「自他境界が曖昧」という言葉で説明されていたりもするけれど、これはもう教育の分野なのかどうかも疑問だ。
学習できるのかどうか、専門家でないわたくしにはわからない。

ふられて死ぬほど傷つく、それは本当です。
最初の一人目はね。
死のうと思ってもいいんじゃないですか。おかしくないと思う。
結果的には、何をやっても相手の気持ちが戻ってくるということはないということを学習するだけでも大した価値があると思います。
死ぬほど傷つかないと学習しませんからねえ。
誰でも自分には甘いんで。
「このひとしかいない」「このひとでなければだめ」なんてのはロマンティックな思い込みで、確かにマンガ的な恋愛っぽい恋愛なんですが、わたくし相手がそんな感じだったら逃げます。気持ち悪いから。
ただネットで見る恋愛相談も一体どこの世界の話なのかってくらい現実離れしてて、やっぱり面白いネタは極端な話ばっかりだからさあ。あんなの見て本気で共感したり応援したりしてる間は、自分の恋愛なんかできないんじゃないかとわたくしは思っちゃうけどな。
恋愛ではなく結婚というパターンで見ると、わたくしの周辺の95%くらいが「学生の時つきあっててそのまま結婚」ですから、わたくしの世代の王道はそれだと思います。大体平均すると高校から数えて3人目くらいで結婚したって感じでしょうか。わたくしもまあそんな感じです。
じゃあ学生時代に全然興味なかったけど、急に寂しくなってきて焦り始めた場合はどうしたらいいのか。
そんな質問もちらほらとありますが、それはわたくしにわかるわけがありません。どうだろう、わたくしも婚活とかしたかなあ。多分しないと思う。マッチングアプリとかだったらマッチしない確率100%だと思いますし。ええ。
アプリ使うくらいだったら喫茶店でよく見る常連客の子に直接話しかけた方が早いと思ってしまいます。自分が若かったら、ですよ?今は間違ってもそんなことしません。通報されたくないんで。

30になっても40になっても永久に偏差値の話してるやつもおるし、わたくしのように永遠に恋愛話が好きなやつもおるわけで、何にがんばったかはそれぞれでしょうけどもね。
何を言われるとすごく傷つきますか。
ブスとかブサイク、デブ・ハゲとかの容姿いじりはやめようみたいになってるから、そのうち言葉では言われなくなるかわりに、醜貌恐怖みたいなより深刻な精神的な病の方へシフトするんじゃないですかね。
ブサイク・デブ・ハゲはわたくしにしたらその通りですからなあ。
すごい傷ついてれば痩せようとするしカツラかぶるなりすると思いますが、今更そんなことしても大して変わらんしね。
わたくしが大きく傷つくのは例えば「深く相手を傷つけたことに後から気づく」とか「自分の立場をわきまえていない」とか、「嘘をついた自分に自覚がない」とか、そういうことでは深く傷ついたり反省したりを繰り返しましたけど。

クラス内カーストなんて言葉が出てきたのもだいぶ後ですから、確かにクラスの中心グループとすみっこグループはまあなんとなく空気としてはあったけど、そんなに意識はしてなかったと思う。
ほんとにそんなカースト制度みたいな区分てあった?
グループが違うと絶対しゃべったりしないの?
勝手に自分が卑屈になって壁作ってるだけじゃなくて?
その辺はあんまりピンと来ないんで、言葉は悪いがあんまりレベルの高くない学校とそうでない学校でも違うんだろうなあとは思う。
男子校と女子校だったりするとまた全然違うんだろうな。

4、5時間あれば三重まで帰れるんですけどもね。
そこまで持つかどうかわからん。途中で倒れても困るしな。
2025/08/14

涼宮ハルヒは見たんです。何回も見たんですが全然頭に残ってないんで、中学生の時に見たかったなあという印象です。大人になってから見るとあんまりって作品たくさんありますよね。
ところが中学生の時にわたくしが何を摂取し、何を見て感動していたか。これがかなり微妙でですね、いつも言うように中学生の記憶がほとんどありません。
あんまりなにかにハマったという記憶もなく、誰かを好きなわけでもなく、おっぱいとかお尻とかに目覚めるのももう少し後で、虚無ですね。
一番多感な時が虚無だった、というのが強い劣等感にもなっています。

誰でも病院なんか行きたかねえと思いますけどね。
お恥ずかしい話ですが、ずらーっと行列ができてる採血・採尿室に入ると、たとえばすぐおしっこ出なかったら後ろの人イライラするだろうなとか、そんなちっちゃいちっちゃいことが気になってもう朝から水をガブ飲みして、とか、何をやってるんだろうと思いますね。自分でも。
帰りにわざわざ遠回りのバスに乗ってぐるっと町を一周してくるのは好きです。停留所の名前全部覚えたりするのも好き。

昔Twitterで「吐血した」とツイートしてる人がいて、「大丈夫ですか?救急車呼びましょうか」とリプライしたら、「(推しが尊すぎて)吐血した」という意味だったらしく、だいぶ恥をかきました。
何もわかってない中年がいきなり話に突っ込んできた、の例を自分で実践したわけです。大体そういう過渡期を経て、知らない人に向けてはなんも言わん方がいいなと学習し、全体的な今の空気になってったんじゃないかなと思います。
独り言と、人の目に見える形で人に向けて言葉を投げる行動の区別がついてない人って結構いて、成長過程で集団生活の中では相当叩かれたはずだと思うんですよね。
「変なやつ」「気持ち悪いやつ」でおしまいだった昔に比べれば、それは例えば発達の特性であるとか、自閉であるとか、本人のせいではないんだという理解はまあまあ広まったんじゃないでしょうか。
でも理解したら友達になれるかというとそうではないのが現実なわけで、友達って概念は難しいなあといまだによく思います。

いっつも思うんですけど、自分と縁が無い人ってとことん縁が無いじゃないですか。
いくらでも時間あいてんのに、たまたま目を離した数分のときに限って電話かけてくるタイミングの悪い人とか。
自分が調子悪いときに限って遊ぼうと行ってくる人とか。
偶然ちゃ偶然ですけど、何回も続くと縁が無いんだなとは思いますね。
これは努力の問題じゃないんですが。
2025/08/13

あーわたくし身長は確かに平均より高いですけど、背が高いんじゃなくて頭がデカいだけなんで普通サイズの頭にしたら10cmくらい縮みます。なのでそんなところは自慢ポイントではないです。
自分を鏡で見て、あーこりゃだめだわって思ったのって中学生くらいの時だったんですが、そこから努力して格好良く(あるいはかわいく)なるか、無駄だから他のことがんばろうって思うか、それが思春期じゃないですかね。
わたくしの周りで恋人できないーほしーって永遠に言ってるやつになぜ恋人ができなかったと言えば、単に怠惰だっただけだと思います。
言ってるだけだもん。あと理想が高いとか。
怠惰で理想が高いやつなんて地雷でしかないからそりゃつきあいませんわな。
それでもそのうち適当な相手を見つけていつの間にか結婚してましたから、したいのに出来ない時代だとかわいそうだなとは思います。
アラフォーで構成されておるわたくしの教え子会でも結婚しとるのわたくしだけですからな。年くうと難しいよなあやっぱり。

わたくしも家内ちゃんも郷土愛がだいぶ薄いんで、そういう意味では喧嘩にはならんですね。
そう、あんまりこう、熱狂的な愛着というか、愛国心、愛郷心、愛校心、どれにも欠けています。だからすごいそういうのが強い人と出会うとウッってなります。
見てるのは面白いですけどね。東京VS大阪の戦いの間で、名古屋が飛び出してきて「名古屋がなんでも一番」と場違いに主張してる図式も、見てる分には笑えます。どうでもよくて。
名古屋ってすごく郷土愛が強い印象ありますけど、そうでもないですか。
三重県ってどんな県民性ですかねえ。
伊勢神宮があってほっといても客が来てお金落としていってくれるから、もともと争いを好まない、好まないというか興味がない、「うちらはうちらで好きにやらしてもらうんで、まあ外の人はご自由に」みたいな感じじゃないかしら。
単にわたくしの性格かもしれませんが。

例えば京都人ってこう、陰湿で意地悪なイメージがありますけど(洛中洛外の話とか、お茶漬けの話とか)、その発祥というかルーツを知りたいというのはあります。
本気でそういうイメージを信じてる人も少ないとは思うんですが、血液型診断と同じようなもんで、話のフックとしては使えますよね。
ただ血液型みたいな完全に根も葉もないこじつけレベルではなく、例えば京都であれば洛中の面積も長屋の人間関係も狭すぎて、いちいち喧嘩してたんでは物事が進まないから気を遣って遠回りに言う文化が定着した、と説明すればなんとなく納得はします。
が、それもほんとかあ?と思いますけどね。
まあ愛想はいい人が多いというのはそんな気がします。

県民性ってどれくらい人格に寄与してるか、あんまり説得力のある論文に出会ったことなくって、あったら教えて欲しいんですよね。
わかる人にはわかってもらえると思うんですが、わたくしは極私的な話を語っているようで、求めているのは個人的な話ではなく普遍的な話なので。ええ。
男とは女とはみたいな話も、友達とは何かという話も、最終的には「では人間とは何か」という大きな話も好きですねえ。
なぜ好きかというと正解がないからでね。
はい論破みたいなのってすごく考えが浅い感じしませんか。
よっていまだにレスバトルなんかやってるやつはわたくしの世界からは完全出禁です。

文章から悪意は全然感じないんで、書き方がまあ変なだけだと思います。自分史とか書いてみたら?と言ったのは、文章じゃなくて箇条書きにすると整理されるんでいいかなと思っただけでね。
・わたくしは三重県出身です
・わたくしの漫画は恋愛がテーマです
みたいなね。コミュニケーションが不得手の人って、これができない人が多いので。

そうだねえ、言葉のキャッチボールができない人も色んな事情があるっちゃあるんで、家内ちゃんも全然できなくて孤立してたんだろうなあとは思います。
一般的な会話や社交辞令的なコミュニケーションは異様に得意ですけどね。飲食店の看板娘だったんで。
ちょっとつっこんだ話すると何かものすごく話通じないんですが、家内ちゃんも強硬に「夫は話が通じない」と断罪するんでいい勝負なのかもしれません。
うまいこと言えませんが、抽象的すぎるのかもなあ。言葉が。
うわっつらの関係だと平気だけど、踏み込むと全然悪意持ってないのに突然相手がキレたりすることありませんでした?
ボールを受け取って投げ返すのも訓練が必要ですけど、まあできなくてもいいっちゃいいか。家内ちゃんは自分がこうと決めたら絶対に自分の非を認めないですし。それでもなんとかやってますし。
わたくしが全部適当に聞いてれば済む話です。

あれかーキャッチボールができてそうに見えて、最初からずれてる感じがするからかなあ。わたくしはわたくしで言葉を深読みする悪癖があるんで、想像で補って解釈しようとするんですが、んん?って考えちゃうんですよね。
なぜあなたの文章がどうにも答えにくいかをちょっと突っ込んで考えてみると、やっぱりですね、自分がどう思ってるかが書いてないので、「自分の意見は書かないが、とりあえずあなたの気持ちを教えて欲しい」という文章になってる気がします。人によっては強要や無理強いととられる場合もあると思いますよ。
そうだ、やっぱり極端に自分の意見や自分がどう思ってるかが書いてないんで、誤解されるんじゃないかしら。
まあ頼まれてもないのにメッセージに文章添削なんてするのは野暮な話なので、ただ書いて聞いて欲しいということならそれで全然構わないんですけど、ちょっと今の感じの文章だと散らかりすぎて人に当てて書く言葉としては微妙な気がします。

あれですね、わたくしが怒ってるわけではないともうわかってると思うので率直に言いますが、多分なんていうか、考え方の前に文章力をちょっと改善した方が意図が伝わりやすくなると思うんですよ。
文章的に投げっぱなしポエムにしたいわけでもなさそうですし。
なんかこう、コミュニケーションがうまく行かなくて相手に誤解されるケースが多いのは、性格や考え方の問題ではなく、単純に文章が変なだけではという気がしてきました。
確かにポエムではないんで言ってることはわかるんですけどねえ。何がおかしいんだろ。こう、質問がすごい答えにくいんです。何が答えにくくさせてるのかなあ。
会話の中で相手が答えにくそうにしてることってありました?
面と向かって話すのと言葉でやりとりするのはまた違いますが。
実は家内ちゃんも似てて、ものすごく答えようのない質問を随時投げつけてくるんで何を答えていいかわかんないことが多いんですよね。
「夫にとって赤い色とは何か。」とかね。

圧倒的な性善説ではあるんです。
あんまりひどい目に遭ったことがない、あるいは遭ってもすぐ忘れるからさ。

以前オフでお会いした方に「ほんとにお名前、長谷川なんですね」と言われてみて、なるほどその辺は意識が薄い。別に実名でもかまやしないとも思っている。特に知られたくない過去があるわけでもない。
ネットがなかった頃の人特有の考え方かもしれない。
検索してもわたくしの青春時代の個人情報は絶対に出てこないから。
メッセージでも自分はこうでああで、という自己紹介を書いてくれる人と、絶対に書きたくないという意思が伝わってくる人と、色々あります。
わたくしはその辺の書き方で、わたくしとどう関わりたいのかを判断しています。多分わたくしは顔や正体の見えないままコミュニケーションすることがひどく不得手なのだろうと思います。
とはいえ、それは現代の空気に逆行していますから、いきなりお前の話教えろ!なんて言えませんもんね。
空気が読めていないのは自分の方だろうなともよく思います。

この辺は家内ちゃんとはまっぷたつに意見が別れるところで、家内ちゃんはそもそも人間関係を構築したいという欲が一切ないので、わたくしのような人間は天敵なのです。
それは昔もよく言っていました。
自分の領域を侵されることが何よりも苦痛なのです。
わたくしはそもそもあんまり「ここは死守すべき自分のエリア」みたいなプライバシー感覚が薄いので、学校から帰ったら知らんばあさんが勝手に茶を飲んでた、みたいなのも平気です。
家内ちゃんにその話をするとぶるぶると震えて巣に帰ってしまいます。
男女差はあるか。あると思います。男は最終的に被る被害が少ないでしょうから。物理的にね。

自分史とは言ってみたものの、自分史ってなんだろうと考えると結構よくわかんないなとは自分でも思った。
言葉通りの意味で言えば、「自分は三重県で生まれた」「自分は小中高を地元で過ごした」「両親は公務員と高校教師でいつも仕事で忙しく、しかし夕飯だけは揃って食べるのがルール」みたいな感じの、まあ言ってみれば「興味のない人間にとってはどうでもいいこと」ということになります。
わたくしにとって現実にいる人間と「仲良くなる」とはそうした個人情報を少しづつ時間をかけて交換することですが、本来ネットはそういうのが嫌で、現実の自分ではない何かを演じる場所として機能していたはずで、わたくしはそれが楽しかった。
ただ「ネットはそういうもの」という不文律がSNSで崩れてしまって、現実だか嘘なんだか全然わからなくなってしまった。
もう戻せない。
また、フェイクの上で構築する人間関係が虚しくなってしまったという気持ちも強い。そう考えていると自分も寂しがり屋なんだろうと改めて思います。

自分がどう見られているかをあまりにも気にしなくて、好きなようにやってきた結果がまあこの状況なんで、残念ながら後悔はします。
もうちょっと頑張って上の大学を目指していれば、とか、せっかく入らせてもらった大学をちゃんと卒業してれば、とか、就職難を言い訳にしないでちゃんとまっとうな職につくよう努力してれば、とか。
結婚した頃に両親には謝罪をしました。
「ほれみろ。父さん母さんの言うことは正しかったろう?」とは言われましたが、まったくその通りです。
ほれみろって話ですよ。ええ。
それはそれとして、わたくしが幸せでないかというと、それは別の話です。後悔は折に触れてしますが、じゃあやり直す機会があったらどうだったかと言うと、多分同じ結果だったんじゃないかな。

年齢が進むと細かいことはどうでもよくなって、「まあまあ、そんなに熱くならんでも」ってなります。わたくしもそうです。
周りから見ると包容力にも見えますが、わたくしに関しては単に無関心になっただけでね。「ま、世の中そんなもの」ってなっちゃうじゃないですか。
それだと絵なんか描けないし、モチベーションとして金と名声が第一になっちゃうんですよねえ。わたくしはそういうのは嫌です。

だから「げんしけん」を読むと、ああ、ああいう感じも確かにあったけど、わたくしはああいう内輪でごちゃごちゃやってる感じが嫌いだったんだ、と思い出します。
同大生が1、2年を過ごす京田辺市というのは遊ぶところがなんにもない田舎で、だからサークルか下宿に集まるかバイトかくらいしかなく、故に内輪でごちゃごちゃやってる感じになりがちで、サークル内でも頻繁に揉め事が起きるんですが、まあくだらないよ。真剣であればあるほど悩みというのはくだらないものでね。
そのくだらなさを思い出というんですが。
わたくしは「サークルでのあれこれ」を冷ややかな目で見ていたので、そういう話はあんまり出てこないです。
高校編の美術準備室や屋上と同じように、わたくしに必要なのはわたくしが常にそこにいる、という場所だけであり、わたくしが何かをしていれば、勝手に誰かがやってくるという蟻地獄式のコミュニケーションでした。大学編ではアトリエであり、下宿であり、ピアノ教室です。
わたくしはバーのマスターのように、そこにいくと絶対いるんですよ。
そんな10年間だったと思います。

こう書くとどうも曲解されてしまいますが、青春モノクロームの10年間は、「周りとは全く相容れなかったが、必ず特定の誰かがそばにいた・または追いかけた」という10年間であり、ひとりぼっちだったという期間はほぼありません。
もともとあんまり「つきあってる・つきあってない」にはこだわらない性格だったんで、「ちゃんと言ってくれなきゃイヤ!」みたいな子とはそもそも仲良くならず。
なんだろう、あの特定の界隈だけにあるフリーダムというか、まあ往年のヒッピー文化をもっと真面目にしたような、なんかそういう空気、あれがわたくしの学生生活の濃い空気だったと思います。
「何をしてもいい」という大学の空気を最大限に活用したような気がしますね。大学の一番いいところは「他人にそこまで興味がない」というところです。

思い出として面白いのは、当たり前の話ですけど各自ポイントがばらばらというところで。
わたくしはほぼ人にしか焦点があたっておらず、例えば趣味の思い出ってほぼゼロなんですよね。イベント行ったとか。
大学の授業でどれが楽なコマだったか、どの教室で授業だったかとかも、びっくりするくらい1mmも覚えてなくて、同級生と話しても「そうだっけ?」みたいな感じになります。
最近ちょこちょこ子どもの頃のノスタルジーを描いてみたりしますが、優先順位でいうとそんなに強く覚えているわけでもなく、ああ、なんかそんなんあったなあくらいなんで、みなさんに質問する形式となってるマンガが多いです。

いててて、と言いながら起きるという生活が10年くらい続いております。寿命1年と引き換えに1日健康体でいられるなら、10日くらい交換して死んだ方がいいなと思ったりもします。
弱音です。