独り言

「読みましたボタン」から送っていただいたメッセージに対して、独り言の形を借りてふわっと返信したりしなかったりします。

2026/2/21

エジプトいきましたよ。他当時の生徒何人かで。

2026/2/11

ノムラ先生はわたくしが大学に進学したあと、急にエジプト行こうと誘ってきたり、帰省するたび自宅までアポ無しで会いに行ったりしていたんですが、数年前から自宅は空き家となり、電話も繋がらなくなり、つながりのある誰に聞いてもどうなったんやらわかりません。

わたくしの母はノムラ先生に長いことお茶を教えていたんですが、母の方面ですら噂しか出てこないので、なんかあったというより、ふらっとどっか行っちゃったのかなあとも思っています。

もういくつだろう。だいぶお年ではあると思うので心配っちゃ心配ですけど、そういう人だと言われればそういう人な気もします。

わたくしが見たのは「アファンタジア」じゃなくて「ビジュアルシンカー」だった。この定義でいくと、わたくしは完全に絵で物事を考えるタイプだと思います。

「アファンタジア」っていっとき話題になりましたね。ディスクレジアと同じカテゴリで。
わたくし詳しくないので聞いたことあるくらいです。すみません。

思い出は動いてる映像として思い浮かぶ場合もあるし、浮かばない場合もありますが、例えばマキタの最後の舞台とか、卒業式の後とか、あるいは自分の結婚式とか、そういう具体的なものは映像として思い出せます。

まったくの妄想を映像で思い浮かべることが可能か、って話だとどうですかね。例えば「好きな人に告白する場面」を思い浮かべる時、自分の思い出でなければアニメや映画のワンシーンが流れるということかな。

それだとそう難しいことではない気がしますけど。

時代の空気というような、無理やり一つにまとめて話をするのって、ちょっと前まで猛烈に嫌いだったんですけど。

「そりゃ時代の影響は受けとるに決まっとるだろ」というのが現在のわたくしの心境です。

面白いよねえ。
わたくしたちはさんざん「日本人ははっきりものを言わない」「ガツンと言えガツンと!」みたいなの大人たちにずっと言われてたのにさ、それではってことでネットを駆使するようになったら「やっぱだめだったな」って言うのが今ですからね。

2026/2/10

相手が本当は自分をどういう人間だと思っているのか。
それを相手に求めてばかりいるから関係が破綻する。

ということは恋愛で学習するのが一番薬になっていいんじゃないかって思ってますよ。思ってるから描いてるんで。

自分を客観視するのと、客観視してるかのように語るのとでは大分意味あいが違う気がするけどなあ。

わたくし逆に自分のことは何でもしゃべりますけど直接的に「あなたはこう」みたいなことほとんど言わないと思いますけど。言ってるかしら。自分の話ばっかり!って思われた方が気が楽です。

下の動画みたいに「ASD=嘘が嫌い」みたいな変なバイアスかけちゃうと、嘘つきだ!って言ってくる人全員に対して「アスペ乙」ってなっちゃいませんか。

ふつうの人はふつうって何って考えない人のことだとわたくしは思っててね。

ふつうの対義語を「異常」として白黒つけないと気が済まないのは、原因が性格であれ病であれ社会性がないということで、自覚しても改善できないのであれば、それはもうわたくし個人のおきもちでどうなるもんでもない、と諦めてしまった。

誰も助けてくれないと言うならせめてわたくしが、と考えたあの季節はわたくしの優しさだったと思いたい。

しかしそういう優しさは「誰でもいいから助けてくれ」と自分から言ってしまえる時代にはもはや不要なのだと思っています。

わたくしは夫婦や家族といった関係が、最も相互理解からは遠いものだと思っています。
物理的に近ければ近いほど、相手の考えてることって見えなくなるもんじゃないですか。そうでしょ。

だからみな自分のことは語らず、自分と大して関係のない他人のことばっかり語るんでね。

ただし、「別に相手の考えてることなんかわからんでいい」というのもわたくしの考え方であって、わからんでも優しくはできると思っているのですよ。

下はたまたまさっき流れてきて絵を描きながらラジオみたいに聞いてたんですが、
わたくしが近年苦手になってきた感じをすべて突っ込んだような動画だなと思ってね(しゃべってる人がというよりこの空気が)。

わたくしこれみてイヤあな気分になったわけですよ。そのイヤあな気持ちってどこから湧いてくるんだろうって考えるとさ、

「生きづらい障害を抱えているなら人生破綻していて欲しい」という、もう言い訳できない薄暗い気持ちから来てるわけです。

そりゃあちょっと凹みます。

2026/2/9

机をつるは普通に「吊る」でしょうねえ。

思い出すと「なあ、ちょっとつってや!」って人に呼びかける時に言う印象があるんですけど、「(机を)つってきた」とは言わなくないですか。いや、言うか。もう地元を離れて30年ですからなあ。どうだっけ。

Darker than Blackって死んだ魚みたいな目の人がいっぱい出てくるんでわたくし大好きだったんですが、しかしどんな話だったかと言われると能力者がどうこうみたいな話で、最後結局なんだったのかもよくわからず。

ただこの主題歌はものすごく好きでした。

2026/2/8

わたくしの原体験として、思い出補正を除けば今まで一番美味しかったものって、やっぱりお金がない学生の頃に無理して食べ歩いた懐石とかフレンチだったりするので、すっかりグルメ気取りも飽き、米とつけものでいいやみたいになった今は、何が食べたいかと言われても何でも食べるし何も食べたくないとも思う。

わたくしは学生の頃からいつも作って食べさせる側でしたから、いざ自分が食べたいものとなると結構困るな。

とはいえ我が家は夫婦で同じものを食べるということが皆無なので、とんでもないエンゲル係数でございます。

そういやわたくし食べ物に関係する漫画ってすごく好きでいっぱい読んでるんですけど、欲望と結びついて描くタイプのはほんと苦手でねえ。

食べてる表情を性的に描く感じのやつね。
登場人物がもの食べる時エロ漫画みたいな顔になるやつです。

そう考えるとわたくしは食べるという行為について、極めて厳粛で道徳に捉えたいんだと思います。

わたくしは逆に「食べられない」「嫌い」ということに対して強力な罪悪感があるので、それはそれでなんか病めいたものを感じますけどもね。

わたくしは特に肉より内臓、真ん中より端っこ(魚のアラとか皮とか)、捨てるとこ、とかが大好きなんです。

禅とかの影響もあるのかもしれないけど。

馬とかクジラが食べられないって人は結構いますけど、
食べたことないけどなんとなくイメージでって言いますねえ。

食べ物についての単純な食感や味以外の好き嫌いは根が深いからなあ。
家内ちゃんみたいに普通の人より味覚が発達してて、これはこういう味で食べるべきであり、そうでない食べ方は食材を愚弄しておる、みたいな考え方にまで到れるなら大したもんですが。

2026/2/7

魚がだめな人と鳥がだめな人は共通して目がだめだっていいますよね。

そういや虫がだめって人は多いですが、大人になるとだめになる理由ってちゃんと言語化されてたかなあ。小学生の頃はさんざんトンボやちょうちょの羽をむしって殺してたのに。

高校生の頃、都会の親戚のおじちゃんが「最近飼い始めた」と手乗り文鳥をもってきて、こともあろうにうちの柴犬の眼の前で手に乗せて見せたりするもんだから、あぶっと犬に噛まれて召されてしまいました。

その後おばちゃんがやってきて、まあもう修羅場もいいとこだったんでよく覚えています。

人間てこんなに怒るんだってくらい怒ってましたねえ。
いつでもどこでも喧嘩ばっかしてていやでしたけどね。

もう二人ともこの世にはいませんが、文鳥も含め、みんなで仲良くあっちで大喧嘩してるんでしょう。

同じマンションに住む恩師が骨格標本を作るのが趣味で、庭に小動物を埋めて骨だけになってからきれいにつなぎ合わせて飾っています。

わたくしにはよくわからないがきっと楽しいんでしょう。

2026/2/5

収入を得る場所としてITはもう全くおすすめできない。
競争相手が多すぎるところはどんどん値崩れして、生活に追われる状態から脱出できない。今流行りのAIに特化した技術を持っていたとしても、それもすぐ終わる。

わたくしは10年くらい前にこれはもうだめだと思ったので、少しづつ離脱を計画しました。

収入が減っていくかわりに「やってて楽しいこと」=幸せ時間=絵を描く時間を増やし、クリティカルな憂鬱(働けないほどのうつ)を避けて「貧乏にはなったがそこまで不幸ではない」という環境作りに多くの時間を割いた。

これが正解だったかどうかはわからない。
大きな家、高級車、ぜいたくな食事、そういう暮らしに憧れ、大好きな人にとっては不満しかないと思う。

幸い、わたくしも家内ちゃんも、元々実家がそれなりに中流家庭だったんで、貧乏に対する恐怖はすくなめだ。

残念ながらせっぱつまっている人を救う余力はない。
わたくしもいつもせっぱつまっているからな。

でも自分にとって何が幸せでどう生きたいか。
せっぱつまってから悩んだってできることは少ない。
愚痴るくらいしかやることなくなる。

それはいやだよ。

2026/2/4

AIだけで作った初の地上波ドラマ、「サヨナラ港区女子」。

だってさ。
どう思う?

これが「初めて」という意味で話題を集めたってだけでなく、「わあ面白いね!」ってみんなが言うようになったら、わたくしもう何も作る気が起きないと思うわ。

ひたすら生理的に気持ち悪い。
そういう意見もSNSでがんがん言われて拡散するのかもしれんけどさ。

2026/1/30

わたくし時々人と話してて、それまでの会話の流れをぶった切って
「なぜ君は人を殺したことがないんだろう。」
と質問したりします。

どう答えますか。
わたくしは「たまたま」です。

常にわたくしの現在の姿は努力や信念ではなく、「たまたま」だけで出来上がっていると、いつもそう思います。

だからわたくしには「青春時代にやり残したこと」はほぼなくて、そういう意味の後悔はないです。

もちろん小さな後悔…大学はなんでもいいから卒業しときゃよかった(両親のために)、とか、周りに心配させることばかりやって申し訳ないとか、そんなことはありますが、結果的にわたくしは楽しかったんでまあ許してねって感じです。

結局この年齢になってしまうと、年下の人へのアドバイスは力バランスから言いにくく、相談が来ても歯切れよく回答することはできない。

「親からの虐待に耐えかねて大島から家出してきた中学生のヒカル」を下宿に泊めてやった話は少し漫画で描きましたが、今同じことが起こったら話を少し聞いて福祉あるいは行政に渡します。当然ね。

しかしわたくしは、その時のわたくしが間違っていたとは思ってなくて。その年齢のわたくしの正義を、今の年齢のわたくしが否定してもあまり意味はない気がします。

だからわたくしが人間を見る時、重要なのは年齢です。

ヤングケアラーの問題が表面化して、「若い時の苦労は買ってでもしろ」という石器時代のことわざは否定されました。
あれはあなたのせいではないという例の典型例かと思います。

そういう特殊例が実は特殊でもなく大量に存在していた、となったことにわたくしは大きく動揺し、傷ついているわけですよ。

わたくしは高校生の頃から人生の設計とかそういうのを考えるのが苦手で、進路やキャリアについて全く何も考えずに生きてきました。

一般的に、ふつうは現役世代の間は我慢して我慢して資産を形成し、老後はのんびりと、というのが安定したコースなんですが、

わたくしはいつ死ぬやらわからんという死に取り憑かれていたので、「老後も変わらず苦労して構わないから、全人生を自分の思い通りに生きていたい」という気持ちがすごく強かった。

SNSではこんなこと書けませんが、わたくしは行こうと思えば京大にしろ東大にしろ多分真っ当に努力すればいけただろうし(当時の成績からして)、絵なんかやってないで一流企業を目指していれば一流とは言わないまでも、安定した企業には入れたはずです。

まあね、頭のいい人は「いけたはず」なんて後から格好悪いこと言わないで、まず合格してからやめるとか結果を見せてから行動するわけですが、わたくしは待てなかった。なんかもう、今すぐ死んじゃう気持ちに取り憑かれてただ焦っていました。なんだったんだろう、あれ。

わたくしが学生の頃から仕事を回してくれた社長さんやえらいさんが続々と引退、あるいは急逝という年齢になり、まあなんというか、人間を感じています。

2026/1/29

秋ぐらいから検査の回数がだいぶ増えましてね。
ええまあ。
明日も行ってきます。

わたくしはあくまで自分を「何者にも大人にもなれなかったもの」と思っているので、そういう意味でも劣等感というのは強くあります。
劣等感というのは人がどう思うかは関係ないので、消そうと努力しない限り永遠にそのままです。

とはいえ、「まだなんとかなる」と必死の形相をしていた30代に比べると、さすがにいろんなことに諦めはつきました。

イラストやマンガを通じて自己表現をせず、ただニュースを見て政治が悪い、悪人が悪い、社会が悪いと書き込むだけの方向へ行っていたら多分何も変わってなかった気はします。

えいやっと一気に自己変革できるタイプの、見切りのいい人に比べると、わたくしはどうしても自我が強く、自分を曲げることができなくて、ぶつかることばかりでしたから、長い長い年月をかけて自分で身にしみていく以外に、学習できない愚か者ではあるのですよ。

「ご近所さんを探せ」なんてコンテンツもありましたねえ。
現住所を登録して、近くの人と交流しましょうみたいな。発想が90年代です。

自分が憂鬱なサイトをやってたこともあり、オフ会なんて概念もなかった当時、近くにネットに接続している人がいる!珍しい!となったら個人的にすぐ会う、みたいなのが普通でした。海外から帰ってきたばかりで頭おかしくなってたしなあ。

1対1を好むのはそういう名残りかもしれません。

今みたいに危機意識なんてなかったですよ。
ネットへ接続というだけでもだいぶ敷居が高くて、しかも女の子ならかなり優遇された時代でもありました。

今だとなんやかや問題があるんでしょうけど、わたくしは女の子には優しくしよう、みたいな方がやっぱり好きですよ。わかりやすいし。

インターネット黎明期に「このゆびとまれ」っていう、ネットで同窓会みたいなサービスがあって、なんせコンテンツ自体少ないんで登録しておいたら同じクラスの女の子から「お久しぶりです」みたいなメッセージが届いて。

わたくしは全然クラスに馴染んでなかったんで(自分のせいで)、わあ嬉しいと思ってばーって返信したらそれっきり音沙汰なくなってしまいました。かなしかったですねえ。

わたくし距離感距離感って結構こだわり強く書きますけど、ほとんどは自分自身の失敗話なんですよね。

「こういうやつが嫌い」とわたくしが書く場合、ほとんどが自己嫌悪から発生しているので、自分と似てる人もしくは自分がそうでありたい人への嫉妬だったと思います。

ネットでなにかを必死で叩いている人は、その対象そのものではなく、対象の向こう側に透けてみえる「自分の周りにいて、自分を不快にするやつ」という、誰にも知り得ないものを幻視してひたすら叩いている、というのはその通りかもしれません。

人気者本人を叩いているように見せかけつつ、その人気者に群がっている人間を自分の周りのいやなやつと認定して叩く、みたいなね。あるある。

考え方はころころ変わりますよ。
それこそ全然変わらない、ブレないなんて格好よくもなんともなくて、引き返すタイミングを見失ってしまっただけじゃないかなあ。

性格は変わりませんけどね。

元々やりたかったことが、「読むといやな気持ちになって死にたくなる」とか「かわいい絵のウシジマくん」とかだったりして、だからタコピーの原罪とかみいちゃんと山田くんみたいなものを描きたかったんですよ多分。

家内ちゃんを描き出したことが大きかったんじゃないかなあ。
つまり思い出だけじゃなくて、「現在」というわたくしの恋愛の結末を描き始めたんで、そこで変わったんだと思います。

最初はマンガを描こうとしてたわけですよ。
マンガというのはキャラクターを作らねばならないというような思い込みがあって、自分を投影するにせよ何にせよ、極端にしなきゃいけない、みたいなのはありました。

どっかで描いた気がするんですが、最初は自分の話というより、自分の話にかこつけて「こういうやつが嫌いなんだ」ということを描こうとしていた気がします。

2026/1/27

2日続けて授業です。腰がもつといいな。

ただ単純に「弱者男性」って言葉がぽっとあったら、ああ自分もそっち側だなあと思ってしまうってことはありますね。

成功とか達成とかキラキラしたものとはあまり縁が無いというより、「調子にのって失敗した」という経験するとそうなりますわな。

にしても増田の文体はガラが悪いわねえ。

わたくしの漫画にも、同じ学部で同じサークルで過ごしていても恋愛や結婚、つまりコミュニケーションに向いてない、あるいは興味ない枝くんみたいな存在はあまた登場しますが、

コミュニケーションに向いてないってだけなら、向いてない同士でそのうち仲良くなったりもしますし、そもそも家庭的に問題があって人間が嫌いとか強い憎悪があるとか、問題はそのへんなのかなあと思ったりします。

そのへんをなんとか出来るのってやっぱり高校大学あたりなんじゃないかと改めて思ってて。
クラス内ヒエラルキーとか言ってもちっちゃな世界の話で、大人になってからの格差ってもう取り戻せない差じゃないですか。

一応学力なりなんなりで似たような者同士が集められている学校って空間は意味あったんだろうなと思っています。

ガールズバーって行ったことも見たこともないんですけど、疑似恋愛と恋愛の違いを「恋愛経験がない」という状態から自覚できるんだろうかという疑問はあります。

わたくしの漫画もどうにも恋愛至上主義者のマウントと受け取られるケースが結構あって、伝えるのって難しいなあと思っています。

「恋愛経験」っていうのも恣意的に受け取られやすい単語ですよねえ。

2026/1/26

やっぱり人間って喜怒哀楽と記憶が密接にくっついているんで、嬉しかった楽しかったことと、音楽や絵は切り離せないなあとわたくしも思っています。

わたくしはネガティブな気分のわたくしを否定していないので、どうせネガティブなら絵にしろ漫画にしろ、その中で呆れるほどやればいいと考えていて、そうじゃないとネガティブも「本気」になっちゃって、本気は結局誰も幸せにならなくてやだなあと思ったりもします。

思い出とつながった曲って、丸一日聞いてられたりもしますよね。
視覚より聴覚のがダイレクトな分だけ、思い出すことも鮮明です。

絵とか音楽とか、こういう時代になると、もう生きてくのに必要ないものでみんないらないんじゃないかと思ってしまうことも多いです。

必要だと言ってもらえるだけで何があっても続けてられる気がします。
ありがとうございます。

わたくし保険屋の営業がひどく苦手でしてねえ。
裏側を知ってるもんで。

自分が入ってる生命保険も、毎年確認と言ってはぐいぐい別のプランを進めてくるし、オンラインじゃだめだ家まで来るとか言うし、ずうっっと無視しています。

保険屋の営業も個人事業主であることが多いんで、そのぐいぐいぶりもまあ理解できますが、「あなたのためを思って」が苦手なんですよね。

あと最近気になることと言うと、病としてのロリコンですね。
ポリコレとかは関係なく、ちっちゃい子しか愛せないって生きづらいにもほどがある上、絶対にどこからも全存在を否定されるじゃないですか今。

本人相当苦しいんじゃないかと思って。
性癖がどうとかネットでカジュアルにしてないで、発達特性と同程度の扱いで福祉と医療にもってった方がいい気もします。治らないんだもん。そういう趣味って。

愚痴か悪口かわかんないけど、わたくしは元々口がうまい方ではないので、論破王だかレスバ王だか言語化王だか、そんなインターネットの王様たちをまとめてジップロックで密閉して、王様だけで住民のいない島にでも追放したいなんてことは思っています。

正直言うと、SNSの拡大と共に明らかに自我、つまり自分は自分であるという感覚は弱くなって、エヴァの人類保管計画みたいな互いに溶け合って境界が見えなくなった世界になりつつあると思ってて。

自分の意見なんて別に言葉にして主張しなくてもよくって、おかしい人を見たらうわあおかしいと思えるなら、それは自我なんだろうと思うけどねえ。

わたくしがここ10年ほど気になっているのは、本気で「お互いさま」を考えることができない、つまり「自分はそれを言える立場なのか」みたいなことをすっ飛ばして完全に自分を棚上げしてしまう人の存在でしてね。

自己中心的な性格ってくらいならまあそりゃそういう人もいるよね、わたくしもそうだしね、とは思うんですが、「自分はどうなんだ」って考えてもみない人って結構怖いでしょ。

あんまり反省ばっかしてても何もできなくなるんで、何でもそこそこがいい(孔子)というのは正しいなあと思うんですが、とはいえそれは目標であってそうは生きられんしなとも思う。

ただ善意から生きづらい人を救済しようとした結果、どう考えても最初から「変な人お断り」になってしまったのって、これからどうすんだ?とは思っています。

「それまでお酒を飲む機会自体がなくて、結構な年齢になってから自分のアルコール許容量がわからず、人に迷惑をかけてしまった。」

これ自分が体験したなら、同じような人の失敗に対して心広くなりそうですが、しかし「自分の恥」がトラウマになって他人を許せない場合もあるんで、人間とは不完全ないきものだなあと思うわけです。

わたくしは本当の意味で心から他人の失敗を許せるようになる必要はない気もします。悟りを開きたいなら別ですが。許せないものは許せなくていいんじゃないですかね。

心の中で許せないか、許せなくて態度に出してしまうかの問題で、関係性の話でしょう。

失恋にしたって何回ふられても何ら学習しない人もおればそうでない人もいますしねえ。八つ当たりする自分を自覚できてるうちはいいですが、孤独は自分のことしか見えなくなるのでそれは恐れていたいです。

2026/1/25

まあまだ満足に立ち歩けないこともありますが、ほんとに朝から晩まで描き続けて他なんにもやってません。よくない。

この異常な熱ってどこから生まれてくるんでしょうね。

絵が好きだからじゃないんですよ。それは絶対そうです。
いまだに絵を描きながら、ディテールなんかどうでもよくて、犬描いて猫に間違われない程度で満足ですから。

そうではなく、人間なのです。
いつもわたくしの中心にあるのは人間です。

人間を軽く見てる世界はいやです。

とにかく文章の中に「べき」と「一定数」の割合が高い人となるべくかかわらないようにするだけでも人生の質は向上すると思いますよ。

2026/1/24

明るい空気(爽やかな夏の砂浜とか)って、あんまり自分の記憶に残ってなくて、やっぱりこう、暗い部屋でカーテンを少しだけ開けて、月光のもとでボソボソと話をした、みたいな思い出が一番わたくしの中で美しいんでしょうねえ。

夜がすきですねえ。やる気出さなきゃいけない時間帯や季節は苦手です。

褒められるにしてもけなされるにしても、
わたくしは絵についてなんか言ってもらえることほあんまりないので、何か言ってもらえると、こう、くすぐったいきもちです。

なにか言ってもらえる絵を描こうと思っても全然思いつかないので、自分がいいなと思う絵を描くしかなくって。

昨日授業から帰って、またあいてててとなって今日は寝てました。

2026/1/23

そう、あなたのおっしゃる「実際に人間と人間が関わろうとするとこれがビックリするぐらい上手くいかなかったり裏目にでる経験」、これこそが青春というものの正体であり、わたくしのテーマでもあります。

特に恋愛では様々な欲望と感情が絡んでくるため、自分でも気づいてなかった自我が表に出てきやすいと思っているのです。

数式の解き方や絵の描き方はいくらでもネットで勉強すりゃいいと思いますが(本音ではそれもいまいちだとは思っていますが)、

恋愛なんか絶対に誰も教えてくれないわけですよね。正解ないから。
だから人によって類型はあるけどパターン化されてなくて一番個性が発揮される場面だと思っています。

こう書くと偉そうに聞こえるかもしれませんが、以前よりずいぶん言いたいことがわかりやすく伝わる文章になりましたね。色々成長されたのでしょう。ありがとうございます。

さあ、今日から4回行くと今年度の授業も終わりです。
まだ生まれたての仔馬のような、足元がおぼつかない様子ではありますが、これ以上は休めないので授業に行きます。

2026/1/22

じっくりやるのが好きなくせに、信長の野望とか大戦略みたいな、シミュレーションはすごい苦手なんですよねえ。頭使うからかなあ。

大体うずうずするんで準備が整う前に攻め込んですぐ滅亡します。

ギャルゲー・エロゲーはやったことないんでなんとも言えませんが、ときメモについては家内ちゃんは大好きなようです。

わたくしはただただレベルを上げたりする単純作業をゲームに求めておるので、多分一番苦手なのは風来のシレン系の、努力が全て水の泡になるやつです。

実況動画を見てるとフロムのゲームはえらく難しそうに見えますが、なにかしら救済策はあるので、最終的にレベルをめちゃくちゃ上げればどんなヘタでもクリアできます。なので、レベル上げのような作業が大嫌いだと向いてないかもしれません。

昔のシューティングゲームは何回やっても全然クリアできないんですが、初見でクリアできるような人間もいて、なるほど、才能ってこういうもんかなあと思ったりもしました。

スーパーマリオだって相当難しいと思うんですが。

今のアートがあんまりおもしろくないのは、アートというコンテクストで語る限り、その最上位は「思想」つまり「言葉による説明」で、何を作ったかじゃないからなんです。

これが決定打になってわたくしは在学中にアカデミズムから手を引いたんで、やっぱり根っこは学徒ではないんだろうな。

美術史全体を眺め、それを踏まえて句読点を打てるかどうかがアートだ、って村上隆が言ってましたけど、それは直感的に「正しい!」と思えると同時に「つまらん!」とも思うんで、わたくしは自閉的な空間でモジモジとつつましくなにかをやってる方が性に合っています。

でもさ、「恋愛哲学」とかいうジャンルを仮に作ったとして、なんか「恋愛」って言葉がくっついてると、すごい軽いじゃないですか。イメージ的に。哲学って単語までアホっぽく見えてくる。

みんな最初は自己陶酔で悲劇のヒロインになって盛大に迷惑かけたくせにさ。それを表に出すかどうかは人によりますけど。

わたくしは、「酸いも甘いも噛み分けた」みたいな顔してる大人が非常に嫌いだったのです。

”恋愛は人を哲学者にする”とはよく言ったものですが、
わたくしのように特に家庭に絶望的な問題があるわけでなく、特段知能が高くも低くもなく、言ってみればおしなべて何をしてもまあそれなり、みたいな人間にとって、劣等感や葛藤に直接晒される初めての機会が思春期の恋愛でしたから。

それくらい衝撃的だったわけですよ、好きという感情が自分の中に芽生え、それを自覚したという瞬間が。

2026/1/21

いい加減、自然災害の動画ばっか見るのをやめたいんですけどねえ。
やめられませんね。

わたくし今災害や事故に巻き込まれたら、100%逃げられずにただ諦めて死を待つしかないんで、そんな自分を想像しながら震える毎日でございます。

しかしちょっと愚痴を言わせてもらうと、
こんな大量にひたすら「自分が好きだと思える人」を描き続けてるのに
、「いつも見てます。どういう女の子が好みですか?」って聞かれるとガクッとなります。

そこまで何も見てないのか。一体わたくしに何を求めているんだ。

自然に出会って自然にお互い好きになって…みたいなことは、もしかしたらわたくしの知らない世界にはあるのかもしれませんけど、わたくしは経験がないです。

というか好きって感情自体、ひどく利己的で薄気味悪く、自然とは対極の不自然なものだと思っていました。

だから中学生高校生の恋愛は、まず自分という存在の気持ちの悪さを肌身で感じるところからではないかと思います。

わたくしの一貫した考え方として、片思いは恋愛経験には含まれないというのと、つきあってドロドロして別れて立ち直るところまでが1セットで、そのサイクルを慣れて自認できるようになるには3セットくらいは必要だろうと思っています。

しかしほんとは数って問題じゃないですよね。
恋バナをする時にまず人数から入る人のことは(例えば「恋人いない歴=年齢」とか、「100人斬り達成した」とか)、それは恋バナではなく本当にただの退屈な自分の話なんで、あんまり聞いてません。

わたくしは頻繁に「どういう気持ちだった?」とか「どこが好きだった?」みたいな質問をし、微妙な回答が返ってくると「このひとは人より自分のことが好きな人だ」と思ったりしていました。

あんまりいい趣味じゃない。やめた方がいい。

写真は好きでないみたいなこと、以前はしょっちゅうツイートしてたんですけど、写真が嫌いというより、携帯が登場してから誰でも簡単に撮れるようになって、つまんなくなったのが嫌だったんですよね。

今使ってるスマホもやっすいアンドロイドですけど、写真すごいきれいに撮れるもんで、だから逆にまったく撮らないです。きれいなものを見たときとかね。

やっぱりただ天邪鬼ってだけで、誰でもできることはわざわざ自分がやらんでもいいとか思っちゃってねえ。

残った昔の写真は数が少ないですから、いつでも記憶の引き出しから取り出せるよう、スキャンしてデジタルで管理しています。

マキタや先輩がそこら辺に捨てたどうでもいいメモとか、拾って一生とってあるからねえ。
気持ち悪いと思われるのは仕方ないけど、わたくしの中で大事なものってそんなにたくさんはないのです。

恋愛・青春・高校生をテーマにした作品の中で、一番わたくしが共感を寄せたのがアニメ版とらドラ!だとすると、弱っている時にゆっくり読み返すのが「ふたつのスピカ」です。

これは逆にアニメはあんまり好きでなく、圧倒的にマンガ版のがいいと思っています。まあアニメ版の放映中は完結してなかったから仕方ない部分もあるけれど。

地味でひっこみ思案な女の子が宇宙飛行士を目指すってだけの物語なんですが、あまたある宇宙を目指す話と違うのは、このマンガ読んだ時だけ「作者は絶対好人物」という感想をもったってことでね。

あんまりマンガ読んで作者のこと考えたりしないんだけど、なんていうか、友達になりたいなあって思ったりしました。同世代ですし。

わたくしは基本的には単純なつくりの人間ですので、あんまり混みいったことは考えておらず、その癖まっすぐに何かに向かうということのできない高校生でしたから、こういうストレートなのも好きです。ジャンプ漫画で唯一好きなのが「キャプテン」「プレイボール」だしね。

この人、こんなに全部出し尽くして次作は描けるのかなあと思ってたら、やっぱり燃え尽きて次は続かなかった。
あの時、あの瞬間に描いておかなければならないというような情緒をそこかしこで感じます。特に最後の方。

最初面白くてだんだん退屈になっていくマンガが多いなあと思っている昨今、後半になればなるほど胸が苦しくなる、けど物語として全部きれいに終わっている、名作だと思いますねえ。

ふたつのスピカ 5巻の表紙

2026/1/20

わたくしも登山とはまったく無縁ですねえ。やれって言われてもやりたくないです。

唯一の登山?経験がヒマラヤのみというのもなかなか珍しいんではないでしょうか。とはいえ、装備が必要なすごい登山じゃなくて、散歩に毛が生えたようなもんでしたけど。

それでも標高4000mは超えてたんで、湯のわく温度が低かったと思います。運よく高山病にはならずに済みました。見渡す限り人はおろか生き物の気配もなかったんで、なんかあったら終わりでしたね。

21歳という年齢がやらせた無茶でしょう。

何日くらいいたんだっけなあ。
そのへんで穴掘って寝てましたよ。
夜は-20度、昼は20度の直射日光の世界です。雲はここより遥かに下でした。

山道の風景(1996年撮影)
ほんとに誰もいやしねえ。
雪山の風景、1996年撮影
遠くに見えるのが多分有名なアンナプルナで、あれに登るのが「ヒマラヤ登山」でしょうね。
氷河の川に立つ男性(1996年)
前も書いたっけ。ガンジス川の始まりをどうしても見つけたかったんですよ。ここです。凍ってます。今は観光地なんで「ゴームク」で検索すれば出てくると思います。

アジアをうろうろしてた時は、大概水道の水で体を拭くとか、そんなんでしたねえ。風呂があるところにほとんど宿泊しなかったんで。

シャワーもあんまり覚えてないなあ。手桶がそこらじゅうに置いてあるんで、水浴びに近かったかな。高地で水がきれいなら川で洗ったりもしました。

まあね、日本でも公園の水飲み場で洗濯したり体拭いたりしながら野宿でうろうろしてたんで、あんまり抵抗なかったです。

確かにインドやネパール、パキスタンは湿度は低いんで、猛烈に暑くても不快指数は低かったかも。

東南アジアは空港降りた瞬間にむわっとしててダメでしたねえ。シンガポールみたいなチリひとつ落ちてないこぎれいな国でも、いるだけで体力奪われる空気感でした。今はきっと日本のがひどいんだろうな。

そうそう、とらドラのクライマックスは修学旅行ですんで、あそこは一番好きです。

お話として俯瞰しちゃうとなんかまあ、そういう恋バナねって話なんですが、自分のこととして投影して見るとあらゆる登場人物のあらゆるセリフが意味を持ってくるのが不思議なところで、

作者がそこまで考えて描いたとはとても思えないんで、わたくしの深読みなんだろうなとは思っています。

ちなみにタイガーと竜児という主人公はファンタジーなので、それ以外のモブ達のなんてことない会話内容が大変好きです。

櫛枝が現実にいれば多分好きになって、そしてうまくいかなかっただろうと思います。

一週間ぶりにシャワーを浴びました。
家内ちゃんが給湯器をOFFにしていったので水しか出ず、
すっぱだかでリビングの給湯器パネルにたどり着き、すっぱだかのままそこで力尽き、一体何をやっているのかという話です。

家内ちゃんは一度寝たら大地震でも起きないので叫んでも起きてきません。

2026/1/18

立ってられないので一週間お風呂入ってません。
きったないですねえ。しかし風呂場で倒れたらこの巨漢ですし、誰も助けられないので慎重にしています。体を拭くくらいはしてますけども。

一週間ほとんど何も食べていないのでさっき測ったら8kgくらい減っていました。まあみなさんの1kg分程度に相当するので+-10kgなんか誤差です。仕事忙しいとそれくらいすぐ減ったり増えたりします。

先天的なホルモン異常の可能性も疑われてて、だから普通に同じ量食べてても急に増えたり急に減ったりするのかなあと思ってたんですが、まあ食わなきゃ減ります。そりゃそう。

ダイエットに無関心ということもあります。
健康を保つことにあんまり興味がないというか、そんなにも長生きしたくないなあと思います。みなさん大体はそう思ってますよね。

小さい時から「人間いつ死ぬかわからん」みたいなことには取り憑かれていて、だからムンクが好きだったんだと思います。ムンク家は精神病の家系ですからなあ。あとロートレックは近親相姦の呪われた貴族一族なんであの辺の破滅っぷりも好きです。

ただ、そんなか細いものと無縁なバッハが好きなのは、いつも一定で同じことを誰が何を言っても死ぬまでやってた、というような頑固さにも惹かれているからです。

音楽についてだけはショパンやシューマンと言った、精神的な弱さと芸術が結びついた個人の時代(ロマン派)は全然好きでなく、物理と数学と建築の力で大伽藍のような巨大なものを構築した、ベートーベンやバッハのような堅固なものが好きです。

わたくし人付き合いができない(例えばASD的な診断が降りるほどに)わけではなく、まあいたって普通です。
人間関係に問題を抱えた人間が何十年も先生やるのは無理な気がしますし、まあ特に悩んだことはないですね。

しかしやや過敏に人の言葉に考えこむ傾向にはあるんで、特に「適当な関係」を強調しようとします。適当とか自然とかいい塩梅、つまり過剰と反対方向の単語に安心を感じます。

吉原幸子の詩の、
傷によって愛を確かめようとしたのは嘘だ、というフレーズはロマンティックではありますが、事実ベースとしても深く心に残ります。

わたくしの場合、見た目とか性格なんかどうでもよくって、重要なのは一緒にいた時間です。
努力せずに関係が続く、つまり腐れ縁のようなものがわたくしの人間関係にとって理想です。

2026/1/17

正直に自分のおきもちを書くと、
「どうしてこんなに頑張ったのにこんな世界になってしまったんだ」
という厭世的な気分から脱することができずに困っています。

わたくしは宗教よりも美術や哲学の方に救いを感じるので、今までずっとそうしてきたわけですが、
ただインドの高僧が語る仏教の談話などを動画で見ていると、やはり救われる部分もあります。

キリスト教やイスラム教には全く感じられませんが……。

仏教はもう少し勉強しようかなという気にはなっています。

常に他者と戦うことを選びたがる人間を見ていると、暗澹とした気分になります。

ありていに言って気が狂いそうです。

わたくしは差別とかヘイトとかの人権話にはあまり興味が持てませんが、
「精神」「精神病」とは何かということと、福祉や医療とは何かということには強く関心があります。

わたくしの目からみて、お金の話から始まった格差と二極化は、「白と黒」「善と悪」というグレーを許さない世界へと拡大しているように見えます。

今までのブラックボックスやグレーゾーンを許さない気持ちもわからないではないですが、わたくしはこの流れは人間自身にとってよいものとはとても思えません。

わたくし頭痛もあんまり経験なく、腹痛とかお腹くだすこともほぼなく、心が痛むことは多々ありましたんでその辺の耐性はあるんでしょうが、物理的な痛みにほんとに弱いなあと思いましたね。

男は血を見ることがあまりないので、ちょっとした切り傷とか痔で大騒ぎ、みたいなのよく見ますけど、わたくしもそうです。血とか苦手です。

3日めに無理してスーパーに出て、再び初日のギックリ腰状態となったので、完全に安静しておりましたらだいぶましになりました。

寝返りをうつ、寝ている状態から座る、ということさえできなかったんですが(正確に言うとできないというか、怖くて躊躇する時間が長い)、到底我慢できない、刺すような痛みがだんだんビリっと電気程度の痛みにまでおさまっていく。

自己判断は危険ですが、まあこれは通常のぎっくり腰でしょう。

2026/1/15

飛ぶように無駄な時間が過ぎてゆきます。
立つということ、歩くということがいかに色んな構造を使っておこなわれているのか、実感する毎日です。

2026/1/14

男性の7割が経験すると言われている三大疝痛の第一位尿管結石ですが、あれも腰痛と同じで個人差が大きいんでしょう。

できた石の大きさと、元々の尿管の太さで決まりますしね。
わたくしも食べたものを全てリバースする痛みでしたが、救急車を呼ぶほどではなかった。

あんまり気持ちのいい写真ではありませんが、わたくしの内臓をゴロゴロと転げ回り、血尿と激痛をもたらした憎き石の写真をどうぞ。

綿の上の茶色い塊

ひええ、腰の病気って怖いんですねえ。
いやまあ、わたくしもこんな痛み二度とごめんだとは思いましたが。

わたくしの家系には全くといっていいほど腰痛の人間がおらず、家内ちゃんの家系には多いので、ついでに話も聞いてみましたが、
まあうん、しかし普段から気をつけないとどうにもならん、という結論でした。

うちも農家なんで子供の頃から重いものを持たされたりはしてたんですけど、わたくしは運よく大丈夫でしたねえ。時代も違うし、あんまり無茶なことはさせられたことないからでしょうね。

実は今日、無理して外出しました。
明日にでも描こうと思っていますが、時期尚早でした。
電信柱につかまって「助けてくれ…」と脂汗を流す結果となりまして、帰りの階段は這って登りました。

まだ早かった…。リハビリって早く始めた方がいいとは思ったんですが、自己判断難しい。

2026/1/13

近くに腰やった人もヘルニアの人もいなくって、わかんないんですよねえ。ヘルニアは調べる限り、足のしびれを伴うらしいけど、それはないし。

概ねぎっくり腰はとにかく動かないようにして様子みろほっときゃ治る的な説明で。体重が体重なんで、疲労骨折とかしてないかなあとか考えちゃってさ。

2026/1/11

「魔女の一撃」ってかっこよくていいなあ。よくもないか。
いかにもドイツらしい命名ですよね。

海外出張の当日にぎっくり腰で杖をついて…なんて、ものすごい精神力な気がします。あの痛みでは杖なんかついてもわたくしは立っていられません。

まあわたくしは体重120kgの巨漢でもありますからなあ。

わたくし速攻で明後日の授業を休講にしました。ごめんなさい、生徒。
絶対階段転げおちてしぬと思う。

あたたかいメッセージありがとございます。
半日かけて体を起こせました。

2026/1/10

動けない。ぎっくり腰かもしれん。

2026/1/9

フーコーとチョムスキーについてメッセージをいただいたので、対談を探してみたらすぐ出てきました。月並みですけど便利ねえ。

チョムスキーっていつまで生きてたっけ、と思ってみたらまだ生きてた。動画のチョムスキーは若いですねえ。ええ。

アナルコ・サンディカリズムなんて単語、30年ぶりに見ましたわ。

工事の人も人手不足なのか、3分に一回くらい電話がかかってきて、ずっと話しながら工事してたんで、配線かなんか間違ったのかもしれん。

わたくしも仕事が集中した時、あわあわなってコードを打ち間違えることなんか当たり前にあるので、文句も言うに言えませんでしたけど、また交換に来てもらうのかと思うと申し訳ないのと面倒くさいのと。

ベランダの給湯器が経年劣化でものすごい音を出すようになり、家内ちゃんが深夜に風呂に入るとその音でわたくしが目が覚めてしまうという状況が半年ほど続いておりました。

ようやく今日交換完了し、やれやれこれで起こされずに済む、と思ったんですが、

湯の温度を変えるパネルがまさかの初期不良ぽくて反応せず。
湯の温度変えれず。

2026/1/8

シガーライター、わたくしの車にもついてましたよ。
パワーウインドウもなくて、手で回すやつでした。

のちのちシガーソケットから電流をひっぱってきて、車中で湯をわかしたりキャンピング的な装備を備えて、ああ、楽しかったですねえ。魚釣りも琵琶湖へ大阪南港へ和歌山へ敦賀へと、いっぱい行った気がします。

学生の分際で車だと!という感じではありますが、わたくしのあの時期には決定的な要素でした。

東京に来てからは一度も車に乗ってないので、わたくしの車経験・車物語は大学生で終わりです。何十年もペーパーなので怖くて乗れませんわ。

しかし免許とってすぐ三山木の牛乳配達のバイト始めて、いきなりクセの強い2tトラックを運転して山科まで牛乳運んでたりしましたから、牛乳屋もブラック極まりなかったです。もちろん、ベテランのおじさんが助手席乗ってくれてるんですけどね。

あれのおかげで運転技術は向上したと思います。

しかし車を与えられたおかげで、2回生からは日本全国美術館・博物館巡りの車中泊に出ていくようになってしまい、それを引き金としてアジアのバックパック生活に発展し、結果除籍なわけですから、両親の選択は間違っていたんじゃないかと思います。

ええ、わたくしはこれ以上になく楽しい大学生活でしたけどね。
親のお金であらゆるやりたかったことを全部やったので、青春時代が過ぎてからはほとんどお金でできることについては関心がなくなりました。

これほど高校・大学時代に固執して描こうとするのも、そんな背景があったからだと思います。

「最近の車の顔が怖い」については結構みなさんそう思ってらっしゃるようで。よかったよかった。

アルファードでしたっけ?最近の若い子が乗ってるのって。
あんなん、見た目からして喧嘩売ってるデザインだとわたくし思っちゃうんですけどねえ。

わたくしは田辺の山城教習所で枝くんと一緒に免許とったんですが(枝くんは一段階めでつまづきまくって、わたくしより卒業はかなり遅かったですが)、

バイトしてメイフェアとかミニクーパーほしいなあと思ってたら、中古や外車は危ないから許さんという両親が、即日日本車の新車を買って田辺まで乗ってきて置いていきましてね。過保護ですねえ。

トヨタのコルサという車種でした。3ドアのね。
なんかかわいくないなあとは思いましたが、カローラII全盛の時代(小沢健二の歌にもなってましたっけ)のだったんで、その下位互換という感じで、安心安全の点で勝手に父が選んだんだと思います。

いつも勝手なんですよねえ。家を出て本当によかった。

わたくしはいわゆる「男の子が好きそうなもの」に疎いんで、車やバイクの話はもっぱら聞き役になってしまいますが、聞いてるのは好きですし、バイク好きの人の、熱心にエンジンがどうのこうのと語るのを見てるのも好きです。

ただ「さっぱりよさがわからんなあ」と言っていい関係の場合ですけどね。ちょっとでも否定したら烈火のごとく怒り出すような人だと、それはちょっと、とはなります。

そんな人、いるっちゃいるけど具体的に誰って言われると知り合いの中には思い当たらないんで、ネットによって思いの外いるんだとわかり、それからもう、恐ろしくて仕方なくなったというのは正直あります。

2026/1/7

うまく言葉にできないことも、長い間つきあいがあればわかってくるんで、やっぱり好きでも嫌いでもただただ長く関係が続くことを望むだけです。

ちょっと疎遠になったり、ちょっとやだなと思って離れて、そのままになってしまうのが大人の世界ですから、わたくしのこの願いも、所詮は懐古なのかもしれませんけれども。

車の運転は自分は下手だって思っている人は事故あんまりしないんで大丈夫ですよ。自分はうまいって思ってるやつが恐ろしいので。

絶対的な正義や悪がないなんてことは、「どんな低劣な腐った人間であれ、ネットでは必ず味方ができる」という事実によってみんなが知ったことことでしょ。

あとはもう、多数決の世界ですよ。多い方が勝ち。
だから学級会だって言ってますでしょ。

学級会は本当にくだらなかった。
給食のおかわりは何杯までか、とかが議題だった。
2杯がいいのか3杯までは許されるのか、そんなことで決を採るわたくしは心底どうでもよいと思っていた。

この日の問題は、「飯を早く食っておかわりすることが格好いいと思ってるバカ」VS「そういう男子がバカすぎていらいらしている女子」だったわけで、男女のフラストレーションをどこで解消するか、という部分が本質だったわけだ。

小学校四年のわたくしでもわかるその本質を、今の世界で老若男女問わずずっとやってるのを見てたらそりゃあイヤになるわい。

わたくしはニートではないわな。
一家の大黒柱ですから。

わたくしの自尊心は、やらねばならんことを全てやった上で、更に絵というやらなくてもいいことに膨大な時間をつっこんでるところにあり、

病気を理由に仕事しなくていい、家事しなくていい、治療に専念できる!っていう状態ならなんもせずに寝てると思います。

もともと吃音(どもり)に対しては偏見はないねえ。
まあ慌てんとゆっくりしゃべったらええやんくらいの気持ちで、特にバカにしたこともない。

ただなんていうか、ぶぶぶ部長、みたいな感じじゃなくて、トゥレットみたいなこちらが何も理解できないほどひどい症状の人に会ったことがないから、そう思うだけかもしれない。

あっというまに一週間経っていた。
ほんとうに一週間が1日くらいの感覚しかない。

2025/12/31

結局今年は配信やろうと思って手が回らなかったなあ。

2025/12/30

手塚治虫の伝記漫画が人気になった吉本浩二の「ルーザーズ」を読んだ


「漫画は子供が読むもの」だった昭和40年代に、初めて青年向けの漫画誌を創刊した出版社と編集部、漫画家のドキュメントです。

わたくしはあんまりそういうメイキングとか裏話っぽいものは好きでなく、また何となく「コミケの青春」「クリエイター魂」みたいなものに強い反発を感じるんで、最初から斜に構えて読んだんですが、

いやあ、わたくしには非常に面白かったですね。
わたくしが生まれる数年前、生まれた頃、そしてその後と、知りたかった時代の空気の風潮がよく描いてあって含蓄がありました。

「昭和のめちゃくちゃ」はあるんですけど、そんなに嫌味に感じないのは、決して上手ではないけど、丁寧な絵柄に好感を持てるからだと思います。

3巻で完結ですが、読み応えはありました。恐らく作者は器用なタイプじゃなさそうなので、「ブラック・ジャック創作秘話」とそっくりっちゃそっくりなんですが、わたくしは両方好きです。

漫画雑誌創生を描く物語。

ほんとうに今年もメッセージを送り続けていただいたみなさまには感謝です。

「変にテストの点数が良くて、話すと自慢に聞こえるから話しにくい」については共感するという声もありました。

格好よく、人柄もよくて、自然と人気者になるタイプの友人が、「俺は特別女が好きというわけやないから、正直迷惑や。一人で静かに過ごしたい」と言ってたので、他人から羨まれる能力の持ち主も、本人はいろんな苦労があるんだなあと思いますよ。ねえ。

それもみんなの眼の前で言っちゃったら「自慢か!」ってなりますもんね。そういう意味でも、なんでも話せる友達っているよなあとは思いました。

長谷川家がほんとうに栄えた旧家だったら、わたくしもそうかーと当主の自覚を持って行動したかもしれませんけど、

由緒正しきただの農民の家系ですからなあ。
たまたま祖母ちよの祖父の代に、寒村の村長をやってたという程度に過ぎません。

しかし子供の頃からことあるごとに幕府と維新と戦争の恨み言を聞かされて育ったんで、よほど時代のたびに土地を奪われたんだろうと思います。

散歩のたびにあそこからここまではほんまはうちの土地やったんや、ってずうっと言ってましたからね。
父にも感じますが、農民の土地に対する執着は怨念に近いものがあるんで、よそものの侵入に対して相当に過敏なのも理解できる気がします。

まさに「好きなことをやっていこう!」みたいな感じじゃなくて、
「好きなことやるしかしょうがないじゃん」という諦観に近いものが、わたくしの心境としてもありますねえ。

楽しいより楽がいいとはよく言いますが、わたくしはどこかしら「我慢したあとの開放感」が好きで、まだあんまり楽にはなれないでおります。

あれ、もう30日か!
ばったばったしてる間に言葉でなんか書く暇がありませんでした。

2025/12/26

わたくしも大学の頃は現代美術を熱心に見てましたけど、いつ頃からかシーンを追いかけるってことはなくなりましたねえ。

どっちかというとコンセプチュアルな方面(ボイスとか河原温とか)より、「なんかぐっちゃぐちゃだけどどこかしら品がある」みたいに作家の言いたいことは無視して、きれいかどうかで見てた気がします。

嘔吐しながら自分の頭の中のものを放出し続けている姿を想像してサルトルの嘔吐を思い出し、しかしサルトルとは全然反対の健全な道を歩いていらっしゃるなあと思いました。

わたくしほぼ酔わない体質なので二日酔いの時どうしたらいいなどのアドバイスができず申し訳ないのですが、頭の中にあるものを吐き出し続けるのももしや効果的?などと考えていました。

魚喃キリコの最後のツイート…4年くらい前のものでしたが…を見てきました。

—–
絵をキライになってから、もうどれくらい経つだろう、

おそろしく遠い昔からだ。
最近、絵を描いているが、絵を描くことを好きかと問われたら、まだわからない。

ただ、すこしだけ、たのしい。
—–

やっぱりすごく同時代的な感覚を覚えます。
わたくしにもいつもこの感覚がある。

わたくしの好きな場所は、死にたいと思ったら死にたいと言え、面白いと思ったら面白いと言えるという、ただそれだけの場所なので、

つまり大学の時の、「基本だいたいのことは他人事」という空気が一番好きなんですよね。

なんかコミュニケーションを勘違いしてないかと思うことがよくあって。どうしてこう、自分の価値観を自分以外の存在に委ねたがるのかと。

アイドル的な世界、VTuber的な世界って荒れるべくして今大荒れじゃないですか。ああなっちゃうともう、積極的に見て語ろうという気も起きなくなるわけで、自浄作用を失った世界はもう終わりが見えている。

どんな人間が粘着してアンチ活動して、というのも開示請求によってだんだん衆目にさらされるようになってきた。

その結果が「自分は被害者である」と自身の正当性を決して譲らない人間の姿なわけですよ。
そりゃ本人にとってみたら「どうして自分がいじめられるんだ!いじめだ!」ってなりますよね。でも更に燃えますよね、そんな燃料投下してたら。

で、わたくしは自分の話をしなさい、自分の話だけをまず語っていなさいと言っております。

別におすすめじゃないんで、聞く必要はないんですが、被害妄想の強い人間が「僕私は」を主語にして文章書くと、かなり他人から見ている世界とギャップがあります。

まずそこから認識しないと…というか、自分を直視するかわりにやたら他人の行動を追ってばかりいると、関係は破綻すべくしてするわけで、そこに「自分実は病気持ちで」が加わると、ねえ、そんな人誰も相手にするわけないでしょう。関わってもいいこと起きる気しないじゃないですか。

そんなつまんないことを言わなきゃいけなくなってる時点で、わたくしはもうわたくしのことだけやってようって思ったりします。
数は少なくても理解してくれる人がいればそれで十分楽しいですし。

数字や証拠がなければ何も判断できない人間なんて魅力ありますかねえ。

だから、社会には必要ですよ?もちろん。
客観的証拠がなければ法治国家自体が存在できませんからね。

でも直観的な感情に対して数字で反駁してやりこめた気になっているのを見ると、いっぺん刺されて死にかけた方が人間をよく理解できていいんでは、なんて思ったりもします。

こう、被害妄想って自分ではあんまり気づかず、他人にはものすごく大きなものとして映るんです。だから世界にかなりギャップができるんで、まず認識から改めてないと無理で、しかし「認識を改める」ってめちゃくちゃ難しいわけですよ。
ま、言葉だけ適当に合わせておくくらいなら比較的簡単だとしても。

今まではあえて口に出してまで言うことでもない、と各自胸におさめていたものが、それを全部正論という形で吐き出してやると儲かることがわかった。

だから被害妄想の強い人には、いったん前に出ないでROMに回った方が今は幸せなんでは…と考えたりもしますが、これは友達でもない限り言えませんね。

あんまり精神的な病気を表に出してコミュニケーションしようとしない方がいいという話を以前しましたが、

一つにはかつてないほど、「被害者意識」「被害妄想」について厳しい世界になっているからというのがあり。

それもこれも、友達関係ならある程度ゆるゆるとラインを超えるまで許せていたのが、SNSほかネットがビジネスとして機能するようになると、結局現実で上手くいかなかったけどネットでは…というわけにいかなくなっちゃったからでねえ。

ええ。わたくしネットでビジネスとか政治思想の話をするのがミサイルを落として界隈を壊滅させたいくらい嫌いなんですが、どうしてそんなに嫌いなのかと言えば、「正論」にひっぱられる人間が大量に湧くからです。

正論なんてねえ、現実で正論ばっか言ってるやつなんかイカれたやつとして爪弾きですよ。でしょう?

そういや、浅野いにおきらーいって人、かなりいますよね。
どのへんがクリティカルにイヤなんでしょう。

わたくし全然好きで大体でてる漫画全部読んでますし、YouTubeも結構繰り返しみてますよ。

そう、わたくしスカしてる人間は嫌いだと公言してるんで、浅野いにおっぽいスカした感じが苦手そうに映るかもしれませんが。

でもなんかYouTubeで話してることには強い説得力があるんですよね。スカしてる人間の何がイヤかって「口だけでなんも出来てねーじゃん」ってのがあるので、まああんだけやってれば何でも言えるよなとは思いました。

元々イヤな気分にさせたろと思って描いてるところもあるでしょうしね。そのへんはわたくしもよくわかる。狙いすぎてる感じがイヤなんかな。

最近流行ってる「みいちゃんと山田さん」とかどうです?
わたくし「タコピーの原罪」の時も思いましたが、ああいう感じ、わたくしにとってはなんか趣味悪いなあって思っちゃって、あんまり好きでないです。

どこへいって何をしてても浮いているって感じはわたくしもありましたよ。ただし、友人の目から見れば、うまいこと場に適応するやつに見えてたと思いますが。

正解がわからない(教えてほしい)人及び世界にとって、今法律・法学にハマるのは自然な流れなんじゃないでしょうか。

筋トレが流行った時も、まあそうだろうなと思いましたよ。
要するに褒められたいんですよね。
褒められることを一生懸命やりたいというか。
それを自分の意思でやってるというのもどうなんかなとは思います。
どっちでも大した意味はない話かもしれませんけど。

魚喃キリコもお亡くなりになっておりましたかー。
専門学校の先輩です。面識はないけど。
成功者としてよく引用はされてたと思う。

岡崎京子が流行った文脈で大学の頃に結構流行った。
流行ったというのは嘘で、めちゃくちゃに魚喃キリコを好きな女子からめちゃくちゃにおすすめされたというだけなのだが。

おそらく魚喃キリコはそういう女が一番嫌いだぜ?と言おうと思ったがもちろん言わなかった。

わたくしはどうだろう。
絵はすごく達者で好き。

ひさしぶりに読み返した。「俺らの時代!」って感じがする。90年代終わりの、あの感じ。

女性が暗い部屋で落ち込む姿。
魚喃キリコ「strawberry shortcakes」

2025/12/25

元々巨大病院なのに長い時間工事して改装オープンしたら、どこに何があるかわかんなくなっちゃって、もう本当にウォーキングレベルですよ。

ほんとにつかれた…。

あ、今日はモヤモヤしないで検査を受けたので数字が比較的よかったです。

メーヘレンとかベルトラッキみたいな、贋作師の話って結構痛快なところがあって好きでね。

贋作と判明するまでは、「すごい絵だ天才の絵だ」とみんな感動して見ているわけですよ。なぜかといえば「みんながそう言うから」。

滑稽だねえ。

絵だけを見て、その絵の価値を見極められる人間なんてほとんどいないんです。絵だけじゃない。何に関してもそうだと思います。

だから人は「自分はわかり手だ」という承認欲求から逃れられないのであり、そんな卑近なものに関わってたらこっちの精神まで腐るわ、とわたくしは大学の頃の日記に何度も書いています。

わかりやすい例は食べ物…グルメだね。
ただほとんどが味なんかわかってなくて、情報を仕入れて適当なこと言ってる俗物の中で、わたくしはほんの数人、食べたスープに何が入っているか全部当てられる人に会ったことがある。

わかる人にはわかるんだなあと思った。
そしてわかる人をわかるためには、自分自身もわかる人に近づかないとだめなのだ、と思った。

2025/12/24

ハチクロはどの部分をどう捉えてるかでだいぶ変わりますからなあ。以前、ハチクロみたいな青春に憧れて、ムサビかどっかに留学した台湾の子が「そんなもんはない」とまくしたてるインタビューを見た覚えがあるんですが、あれをそういう「ありうる青春」として捉えてると、まあちょっとどうかなあという気はします。

羽海野チカからは強烈な母性を感じるんで、母性だなあと思いつつ。
ハチクロは漫画は好きで、アニメは恥ずかしくてちょっと見れなかった。

リカさんをストーキングしてた真山の気持ちはすごくよくわかります。

沙村広明ってこう、なんかもろてを挙げて「好き」って言えないところがあって、ブラッドハーレーなんかは特にそうじゃないかと思うんですけど、なんかこう、”男”なんですよね、わたくしの中で。

よくわかんない同族嫌悪みたいなものを感じる時があって、皮肉なことに絵柄の近い冬目景のじくじくした青春ポエムと比較すると、どうしてもポエム方向に目がいってしまって。

今まで聞いた大学の雰囲気から察すると、鬼頭莫宏とか大流行してませんでした?それともメジャー過ぎて反発したかな。

うちのサークルに置いてあったのが「課長島耕作」と「宮本から君へ」という時点で、だいぶお察しな感じです。当時はわたくしも漫画全然読まなかったんで、あんまり気になりませんでしたけど。

大学の時に読んだ漫画で一番何度も読んだのは坂口尚の「石の花」だと思います。

鬼頭莫宏は手首を切るのが趣味である学生が、むかし強くおすすめするので読みました。「ぼくらの」も「なるたる」も好きです両方。
ただ女の子の体型がみんな本気のロリ過ぎて怖いので、もうちょっとこう、ぷよぷよしてたらいいのになあとかアホな感想を言った気がします。

最終兵器彼女は電子版で持っています。
できれば学生の時読みたかった!と最初読んだ時思いました。

前作の「いいひと。」がちょうど高校大学の時リアルタイムで、主人公に非常に納得がいかなかったんですが、あれは逆に大人になってから読めばよかったと思いました。

なんか最近そんな風に、「あの頃出会っていれば」と思うことが多くて、ああだめだだめだとしんなりする日々です。

2025/12/22

満州アヘンスクワッド」はわたくしが連載を追っている数少ない作品だったが、作画担当者の訃報を本日のニュースが伝えている。

圧倒的に絵のうまい漫画だった。故人の意思により、代理をたてて物語を完結させるとあるけれど、あれだけ絵がうまい人の代わりとなるとなかなか見つからないように思う。

漫画『満州アヘンスクワッド』表紙。

家内ちゃんが朝まで「何食べたらいいの!何食べたらいいの!」と怒っている。

風がごうごうと強く吹いている。

2025/12/19

あんまり愛想のいい男もなんかうさんくさくて嫌ですけれども、今日スーパーで見かけた、「お客さんおつりおつり!」ってレジのおばちゃんが追いかけて渡してくれてんのに、にこりともしないで無言のまま立ち去る若い男、あれはあれでだめだと思う。

だからさあ、ああいう態度に「自分はコミュ障だから」みたいな言い訳を与えてはだめだとは思います。

実際、SNSで絵描きがよくやってるように、「応援してもらうために仲良くする」をやった方がよかったのか、自分のやり方でよかったんだろうか、そんな風に思う時もありますけどもね。

結局そんな風に愛想ふりまいて生きてた瞬間がほぼないわけですから、付け焼き刃で愛想よくしてもすぐバレるし無駄だろうとは思っています。

中島らもは「他人の話の中で最もくだらないのはゆうべ見た夢の話」とエッセイで言っておりましたが、最近夢の話もまあいいじゃないの、という気持ちになってきて、なんでもいい気分です。

先輩、ちょっと似せてしまいました。

わたくしはわたくし自身のことはもうどうでもよいのですが、マキタや村木や先輩やさみだれちゃんが褒められると大変喜びます。

ありがとうございます。

2025/12/18

明日中には間に合うかわかりませんが、同人誌版の「村木」とwebに載せてる「村木」は言葉や絵を変えたところも結構あるんで、もう10年たったしwebで完全版として公開しようかなあと思っています。

今年あまりにも財政難で今も厳しい状況が続いているんで、有料記事にしようかとも思ったんですが、やっぱ小銭稼ぎに自分の思い出を使うのってどうしても嫌だなあと思っちゃってね。

無料公開でよかったら投げ銭て形が一番いいよね。

明日は「村木」の1ページ目を描いてからちょうど10周年になります。
その間、アップしなかった日は確か入院直後の生死をさまよってた3日間くらいじゃなかったかな。

やっぱりわたくしは絵が好きなんじゃなくて、
好きな人が好きなだけなんですよね。

どんなに絵が好きだと言っても、それだけではこんなに描き残す気にはなれなかったと思います。

未練とは違います。
好きとか嫌いとか、そうした感情を何より大事なものだと価値を置いているだけなのです。

2025/12/17

わたくしの強い実感として、これも何度も書いてきたことなんですが、日常的に20歳前後の若者と接する中で、

・ゆとり世代は嘘。先生として実感なし。他と変わらん。
・SNS世代はある。特にTwitter全盛期に中高大でどっぷりツイ廃だった子の考え方には独特のクセがある。

世代でくくるのは無理がありますが、それでもどことなく感じられる世代感覚というのはあります。考え方に妙なバイアスがかかってる感じは強くある。

2000年代初頭に2chから嫌韓ブームというのがありました。
あれをまともにくらったやつはずっと韓国の悪口言ってましたからねえ。こちらが引くほどに。
もともと深く考える習慣のない人間とは、ここまで目にしたものに簡単に思考を左右されるのかと嘆息しました。

そしてその洗脳は「ブームが去る」ことによって跡形もなく消え去る、実に儚い自我です。完全に無駄なんですよ。その時間。

わたくしだって氷河期世代や弱者男性でくくられると気分悪いですが、誰かが言わないと取り返しがつかない年齢まで自分で気づくことができない、ということもやっぱりあります。

じゃんけんの前に穴の形で占うというのは、ローカルルールでも色々あるみたいですねえ。面白いね。一種の暗示とも思える。

「最初はグー」というのも、小学校の頃ドリフが全員集合で始めたかけあいだったと記憶していますが、わたくしはドリフ禁止だったので詳しくはわかりません。

最初はグー、でパーを出すお調子ものいましたねえ。
いつまで経っても決着がつかないので、学級委員のわたくしはなんだかいらいらしてた覚えがあります。

わたくししばらく前から、自分の精神疾患はSNSで言うな会話の中で強調するなと結構繰り返し言ってたんですけど、そんなこと言ってる間にまた事件起きたじゃないですか。

アイドルオタク30歳無職男性が、相手にされずに疎外感を募らせて推し活の果てに関係ない人間を刃物で刺す、とか。あったでしょ先日。

どんな未熟児なんだという話です。
そんなのばっかりです。

だからわたくしは言っておるのです。
被害妄想を直せ、または人前で言うな、コミュ障は学生のうちに卒業しろ、無理でも卒業しろ、
恋愛経験がないなら諦めろ、人に迷惑かけてんのも理解できないのなら期待持つな、と。

30代は20代と違って差は開く一方でもう取り返しがつかない季節なんですよ。だから20代の時と同じ感覚で、まだやれる、まだ大丈夫と思ってるともっと誰からも相手にされなくなると思います。

心配させたくないから家内ちゃんにはほとんど何も言わないんですが、
こういう場所を作るとわたくしは言いたいことがたくさんあって、ついつい書いてしまう。

家内ちゃんは何も知らず、わたくしをよく知らない、わたくしもよく知らない人がよく知っている。

考えてみるとすごく変な話だなと思ったりもします。

今年のクリスマスは病院のベッドの上です。

2025/12/16

今日明日の授業をのりきればしばらく授業はないので他のことに手をつけられる。

2025/12/15

永井真理子なつかしいですねえ。わたくしは好きでした。
写真集持ってましたよ。ご指摘のようにマキタにちょっと似てたから。顔は全然違いますが、髪型はあんな感じでした。

やまだかつてないテレビにちょっと出てたのと、映画ガンヘッドの主題歌歌ってた頃までが記憶にあります。

永井真理子は、当時CBCラジオで夜やってた小堀勝啓のわ!ワイド内の「ぺきんぱパーティー」という5分番組からメジャーに出ていったと記憶してます。

わたくしはさかんにハガキ投稿や電話リクエストなどをして、読まれると缶バッジがもらえました。まだ実家にあるんじゃないかなあ。録音したテープとともに。

ラジオが育ててメジャーになった歌手って結構いますよね。名古屋ローカルって特にそういうの強かった気がします。
故・川村カオリもそうですよね。

わたくしはCBCラジオをメインで聴いてましたが、東海ラジオも時々聴いた気がする。小森まなみのラディカルコミュニケーションとか。

わたくしマメなんで、読まれた日とかもらったものとか、全部日記につけてました。中学の頃がメインかな。

2025/12/14

セーラー服の襟の後ろからスカーフ出てたら彼氏募集って、自分で見えるんですかね。意図せずはみ出してそう。
はみ出し方とかあんのかな。

忘れちゃったけど、ゲイはゲイ同士通じる暗号というかそういうドレスコード?みたいなのがあるとか聞いたことあります。

わたくしは頑なに内輪ノリみたいなのを拒否してきたんで、今になってみるともうちょっとやんわりした態度でいればよかったなあとは思いますねえ。

2025/12/12

お金が絡むと誰も彼もみな嘘ばっかりつきます。

と書いた瞬間に大きな揺れがあったのでなんか怒ってたけど忘れました。

2025/12/11

そうやって子供の頃、別に好きでもなんでもないけどただ続けた、という習い事が、今になってまた面白くなってくる、そんなことをひしひしと感じています。

きれいな字を書けるようになるための練習じゃなくて、やっぱり芸術寄り文化寄りの歴史だったり作品だったりの方が好きですねえ、

なんにせよ、文化的なものがジャンル問わず好きなんだと思います。
それはきっとジャンル関係なしに、「こういうものが美しいのだ」という価値観がわたくしの中にあるからでしょう。

表現されるものが絵であれ陶芸であれ文字であれ音楽であれ、そこは<美とは何であるのか>という一点において全て繋がっているとわたくしは思います。

最近仲が悪くなってきてる(というか元々あんま仲良くない)中国についてですが、書道に関する限り、レベルが段違いです。

わたくしの行ってた書道教室も、年一回ほど中国の子供たちの交流会があったりするんですが(成績優秀者だと中国旅行に行ける)、そりゃもうね、ものすごいですよ。大陸の技術は。恥ずかしくて自分の書いた字なんか出せたもんじゃない。

書家のスーパースターがいっぱいいますからねえ。中国は。
政治は知ったこっちゃありませんが、文化はやはり偉大な国だと思います。

書道と青春を描いた数少ないマンガ「とめはね!」はわたくしも全巻紙の本で持っています。
全く書道とは無関係の主人公とヒロインが段々面白さに目覚めていく、初心者向けの話ですが、高校の世界史で勉強する程度の書道史は追ってるので、最初の入門編としてはいいんじゃないかなと思います。

月ノ美兎は面白いよね。わたくし好きですよ。
ああ大学のサブカルに寄ってるサークルにこういうのいたなあというね。やっぱりVtuberでもなんでも、黎明期に始めた人が一番面白いなという偏見はあります。

それはそれとして、わたくしは大した思い入れがなくとも、ただただサボらず続けるというのは得意でしたので、小学校1年生から大学進学で三重を離れるまで、10年ちょいくらい?同じ書道教室で週一回文字を書いたりしておりました。

そう考えると絵は習ったことがないんで、字の方がちゃんとやってる気がしますな。

そう、まあコンプレックスを解消しようとしてがんばるのも楽しいですけれど、あんまり教科書っぽいきれいな字にこだわる必要はなくて、いい加減な人が書くいい加減な字もわたくしは好きですし、几帳面な人の几帳面な字もとても好きです。

iPadで書くと、ガラス板にボールペンで書いてる感覚なんで、難易度高いですから、やっぱり紙に書いた方がいいんじゃないですかねえ。

ああしんど。。

もそもそと何言ってるかわかんない先生きらいだったなーという覚えがあって、わたくしは隣に座ってる子には騒音レベルな大声で授業をやっておるわけですが、6時間大声でしゃべりっぱなしというのを続けると、多分カラオケとかと同じでストレスが軽減する気はします。

そういう意味ではストレス解消になっているとも考えられなくはない。
ただ年々そんなことをしていると疲弊するようにはなってきました。

マイクもあるんですけどね。マイク苦手なんですよね。大声がクセになっててつい熱中すると音割れするんで。

毎日ギリギリですよ。
穏やかな老後の生活などわたくしには望むべくもありません。

ようし気合気合。
間に合った。

イライラしてる感じはしない。
わたくしはさほど以前と変わらず生活していると思う。

昨日見た、よくいるクレーマー(突然の激昂)は、わたくし自身にも起こり得る。あれはどう見ても、感情の蛇口がぶっ壊れて、激情が自分で止められない状態だった。

思い返してみると、心はさめたまま、しかし怒りをとめられないというアンバランスな状態は経験したことがある。
しかしわたくしは学生時代以降、怒りにまかせて他人にキレたなんてことは覚えがない。

せいぜい夫婦喧嘩くらいだ。
そして夫婦喧嘩は必要悪だと思っている。

それによって被る自分自身への被害の方がはるかに大きいことを天秤にかけて知っているからだ。打算とも言えるし、当然とも言える。

でも大分長いこと無理してたと考えれば、まあ無理してるわな誰でも、と答えたくなる。さきほど貼った動画の中の「自責」に近いのかもしれない。

漫画にも描いたが、昨日ラーメン屋でみかけたクレーマーは入ってきた時から様子がおかしい中年だった。50代後半だろうか。

若い女を連れていて、甲高い声で早口で「どしても食べたいんだどしても」と繰り返していて、わあいやなのが来たなあと思ってしまった。

個人店なので6席しかない。女はおなかいっぱーいなどと言うので中年は自分の分だけ買って二人で席に着いた。田舎の巨大なラーメンチェーンならともかく、混雑してる6席しかないラーメン屋で、注文しない女を座らせるという時点でどうかしている。

店員は当然、すいませんうちそういうのやってないんで、と冷たく対応した。確かに横で聞いていても冷たくは聞こえたけれど、明らかにおかしい客におもねってもろくなことにならないので、そう教育されているんだと思う。いやな感じはしなかったから。

女の前で恥をかかされたとでも思ったのか、返金処理しますので申し訳ありませんが外でお待ちを、というのが気に食わなかったようで、返金処理が行われてからまた店に戻ってきて、クレームをつけ始めた。

よく考えたら電車とか客引きのいる繁華街とか、
この手の揉め事は年一回は見る。

愚かだ。
愚かなんだが、どうしてこういう人間になったんだろうとか、現時点でも何か病を抱えているのかとか、そんなことを考える。

多分大学生の頃だったら「ゴミだ」と思って終わりだった。

道徳的には褒められたものではないが、そうやって切り捨てることができない(こうして考え込んでしまう)というわたくしの状態が、わたくし個人の不安定からくるのか、社会の歪みからくるのか、両方なのか、

両方だろうなとも思う。

ここ数年、自分でも異常なほど「意地悪」「俗悪」に対して嫌悪感があって、それは言葉が強いとか荒いという問題ではない。

改めて考えてみると病気や通院は直接のきっかけではないと思う。むしろ自分の入院をきっかけに人間性の低い、ろくでもない人間をあぶり出して切断できたんで、いい機会だったと考えている。

ここ数年でわたくしに起きた大きな変化として、

・学校の方針が変わりわたくしが考える教育とは違う方向に向かっている。
・理由の明確でない仕事依頼の減少(資産の減少)。
・年齢に付随する不安(健康面でも生活面でも)。
・ネット経由での悪意あるメッセージ

こんな程度しかない。
「こんな程度」と言いたくなってしまう辺り、わたくしは虚勢を張っているんだろう。

傷ついているという自分の弱さを認めたくないのだ。

寝ても1、2時間で目が覚めてしまうというのはもう大学の頃からそうなんで、特に今どうして?どうして?とはならない。

しかしわたくしの現状の問題点を、現時点で上手に言語化できてるかというとそうでもない。わたくしもやっぱり、自分自身の現実と向き合うには元気が必要だ。

オタク界隈、あるいはエンタメ界隈だけ、現実とは乖離した理想像というか、「創作は尊い」「クリエイターは神」のような信仰に近い極端さを、わたくしはどうもやっぱり気持ちが悪いという思いがあり、それは誰が悪いわけでもなく、強いていえば資本主義の原則であるとしか言えないわけですが。

大衆の好むわかりやすさだけを合理的として選択していくと文化は滅ぶわけで、でも段々もう、世界とか界隈とか、そんなもののために一生懸命になるのも馬鹿らしい気もしてきて、

ああまた今日も授業のための体力を温存せねばならんのに夜が明けてしまう。

AIの利用を授業に組み込んでみたのはいいが、結局「動きません」「わかりません」となり、色んなAIを渡り歩いた結果、とんでもないプログラムが完成し、そしてそれが動かないのでわたくしがいちいち全部読んでは直す、という、100倍面倒な状況が生まれました。

結論として、「一切何も知らない人間でも何か作れる」というのは幻想だと思いました。

やっぱり最初からこちらに丸投げでやらせてもらった方が手間は少ないですなあ。

2025/12/10

夫婦の後片付けの話はどうなんでしょうねえ。
わたくしも別に整理整頓が好きなわけでもないんで、ある程度はほっとらかしで平気ですが、「さすがにこれはだめだ」というラインはありますから、そこをどっちが先に越えるかじゃないかしら。

国が違うとそのへんも考え方違うでしょうねえ。
人がどう思うか、世間体があまり気にならない国の人はおおらかなのかもしれません。

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