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1:2023.12.31 (23:40)

「ヌード。」

描きやすいか描きやすくないかと言うと
男性のヌードの方が筋肉などの凹凸があって描きやすいのです。
影ができない物体を立体的に描くってほんと難しくて。

女性のヌードもこう、やわらかくて継ぎ目がなくて
どう描いていいか今も全然手探りで、ちっとも上手くならない。

まあなので描いてるわけですが。

ヌードデッサンというとやっぱり安井曾太郎が頭に浮かぶし、
憧れでもあったりするんですが、
それをどうやって線がメインのイラストにするのか、
洋画と日本画の中間はどこになるのか、全く別物として考えないといけないのか、
そんなことを学生時代に戻って色々考えています。

2:2023.12.31 (19:27)

「2023年年末。」

今年は1961枚描きました。
よく描いたよほんと。満足する絵は描けてませんがね。

今年も色々あったようで特に何もありませんでしたが、
もうTwitterやSNSはだめになっていく一方だろうなと強く思わせる一年でした。
コミュニケーションのあり方をより深く考えた一年だったと思います。

noteに「2023年に描いた1961枚の中で自分のお気に入りを選ぶ。」を投稿しましたのでお暇なひとはどうぞ。
https://note.com/rainydayjp/n/ne5e4d0648c95

毎回見てくださって読みましたボタンを押したり
メッセージをいただいた方には感謝しかありません。
当然メッセージは僕だけが全て読んでいます。

逐一言葉で返信すべきなのですが、多分あなたのメッセージが心にのこり、
それが引き金となって描かれた絵や漫画も多いので、
それをもって返信とさせてください。

それではまた来年。
よいお年を。

家内ちゃんがさきほど惑星ダッペナに帰っていったので
私は心ゆくまで排水溝を掃除する元旦となるでしょう。

5:2023.12.30 (23:20)

「45年前の父と僕。」

父もあらゆるものを残しておく方で、僕にもその性格は遺伝した。

以下の動画は1978(昭和53)年10月7日に自宅の縁側で録音された、
34歳の父が4歳の僕に英語を教えている音声です。

父は地方公務員であり英語教師ではなく、自身も大学受験で勉強した程度にすぎないのだが、
とにかく間違っていようがあっていようがなんでもかんでも
息子に詰め込んでおこうという考え方だったようだ。

僕は受験というものにほとんど無縁な青春時代を送ったが、
この音声を聞く限り、父は本当は今で言うお受験をさせたかったのかもしれない。

あなたのご両親はあなたに何を教えてくれましたか。
私にも是非教えてください。

10:2023.12.28 (10:50)

「独立心。」

とうとう年内最後の紙ゴミの日に間に合わなかった。

僕もズボラな性格ではあるんですが、
なんていうかこう、身の回りの生活というか
雑事がたまっていくのが非常に嫌いです。

不思議なことに、そういうのきちっとしてる
人とは逆にうまくいかないんですよねえ。

11:2023.12.28 (1:26)

「線。」

気持ちを隠すことだけがうまくなってくると同時に、
人が自分に対して線を引く瞬間も読み取れなくなっていく。

自分の何がだめだったかを学習する機会も少なくなって、
その時点の自分を「自分のスタイル」なんて言葉で
ごまかすしかなくなる。

自由は
他人は自分ではないという
現実を前提にしないと成立しない。
僕たちは時々勘違いして他人が自分であると錯覚し、
そして勝手に傷つく。

他人の痛みを自分の痛みとして受け取けとる人間は
少しも優しくない。

この頃の僕自身がそうだったから。

13:2023.12.27 (1:25)

「私服。」

結局高校の外で休日に会うなんて機会はほとんどなかったので
どうしても僕の中では高校の中で見ていたボーイッシュなイメージなんですが、
ごく少ない私服の写真を見ると全然そうでもない。

そういったちょっとした思い込みを
迷惑というのだろう。

高校の頃のそういう経験がなければ
僕はずっと見た目と思い込みだけが全ての、
人の内側の柔らかいところに土足で踏み込むような人間には
ならなかったかもしれない。

16:2023.12.26 (3:25)

「さみだれデイズ。」

結局写真を見て描こうにも、ヌードポーズやグラビア、
デッサン用モデルのポーズなんて決まりきった、
体の線がきれいに見えるようなポーズなんですよ。

そんな不自然に美しいポーズを僕の前でとる人間なんていない。

いない人間を描いても意味がない。