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「さみだれデイズ。」

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シリーズ:怖い話「奇祭」(2024.2.20)
妹が送ってくれた今の唐人の様子。
わたくしの40年前の記憶と1mmも変わっていない。
こうやって無言でふらふらと町を練り歩きながら、
家の中まで入ってきて、大きな音を出したり追いかけ回したりして
子どもを泣かせるのだ。
何を目的とし、何を祀っているのかわからないから
なお怖い。「ただ昔からそうなっている」。
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言ってもわかんないだろうなあと
諦める、あるいは放っておくことは
増えるばかり。
僕にとっての幸せは、
分析とか人間観察とか、そんな小賢しい小手先ではなく、
「絶対的にわかっている人が」
「絶対的に僕をわかっている」ということであり、
さあ、そこで君はどう思うだろう。
そんなやついねーよ、と思うだろうか。
そんな人いたらこわい、と思うだろうか。
順を追って説明するのが億劫で仕方ない。
年を追ってだんだんそれもひどくなる。
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語解を恐れるあまり、ついつい言葉が多くなる。
そしてしゃべりすぎていやあな気持ちになる。
時間芸術である音楽はもっとダイレクトに感情を表現できるけど、
絵はそれに比べるとやや内省的で、回りくどい。もどかしい。
ただ丸を描く人間に、「それは何を描いてるの?」と訊いたところで
「丸を描いている」としか答えようがない。
「ええ、自分の内面を表現しています」
とか自分で言ってたら馬鹿みたいだと思う。
自分にもよくわからないことを説明させるから
意味のありそうなことを言うしかなくてそうなる。
では、と上手に説明してみれば、
今度は馬鹿じゃなくてうさんくさい詐欺師めいてくる。
多分僕たちは、僕たちのやっていることが
伝わると思っているわけでないし、
むしろ伝わっている方が不安になる。
みたいなポエムを考えている深夜、
頭の中には常にアルバン・ベルクのピアノソナタが流れている。
伝統的なそれまでのクラシック音楽が限界に達して生まれてきた、
初めて聴くと不安にしかならないこの20世紀初頭の曲は、
何度も何度も繰り返し聴いていると、
不思議となんだか自分自身そのもののような気がしてきて、
つとにロマンティックだ。
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