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「ダイアローグ。」

一回真剣に失恋でもすれば
誰だって嫌でも自分を見つめ直す機会になるだろうと
僕は自分の経験から思うんだけど、

「自分を見つめ直す」にもある程度の考える力と時間が必要で、
その最低ラインにすら到達できなくなってきてないか、
それが実感でもある。

何人とつきあった、何人を口説いた、貢がせた、
そんなゲームのようなものも恋愛かもしれないが、
僕が話したい恋愛話ではない。

僕が好きなのは人の意識が変わるその瞬間を見ることであり、
人が変わるには自分一人でいる限り絶対にないという確信がある。

コミュニケーションが苦手とか人間不信のトラウマが、
という話にどうしても繋げたい人の話は
本筋が恋愛ではなく自分の話なので、
僕は「大変だったね」以外の感想がない。

偉そうなことを言うだろう?
全部自分の話だからな。

「世界。」

どうしてそんなにもインフルエンサー、
つまり人に影響を与える人間になりたいかと言えば、
極言すれば「自分は必要とされている」という実感が欲しいだけなわけで。

「生きることに特に意味はない」と
大いに語る人間には今までにもたくさん会ったが、
意味を求めていない人間はそんな立派そうなことは主張しない。
嘘をついている。意識的にか、無意識かはわからないけれど。

意味をもたない人間は、ただ無意味に無為に無言で底辺へ落ちていく。
彼彼女らは可視化されず、手の施しようがない状態になって
初めてその存在が見つかる。

自分でものを考える、自分の頭で決断を下す、
今までそれはがんばれば、もう少しやれば
誰にでもできるようになる気がしていた。

でも多分、できないのだ。どうやっても。
僕が100mを10秒で走れないのと同じように、
できない人間にはそれがどうやってもできない。
できると思っていた道徳側の間違いだったんだと思う。

だから諦めろと言っている。
出来ている(ように見えている)人間を妬み、
自分より下の人間を嗤う、
ひたすらにスマホを触りながら何年もそんな生活を続けたら、
別の思考に切り替えるのはもう無理だ。

タイパに踊らされてその道を進んだ人間には
それ以外の考え方で行動することは恐らくできない。
自分の何が悪いのかを考えることはタイパが悪いもの。

誰にでもわかりやすい経済的な格差の時代は、
圧倒的な格差が可視化されたことで終了しようとしている。

しかし格差の本番はこれからだ。
絶対に取り返せない格差はこれからなのだ。
それは経験と、感情と、自我の格差だ。
その格差に気付くこともできない時代がくる。

そんなことを考えていた。
僕はただ描いている。
自分を描いている。
何があっても描いている。

その描いている間、僕はただ自己完結をし、
何にも縛られていない。

「ソファ(うつ伏せ)。」

美術準備室はモデルを頼んだ時、控え室として使ったりする部屋だ。
美術部部長の僕は鍵を持っているので、好きな時にソファを使えた。

同じクラスの演劇部マキタ、及び僕はサボり癖があって、気が向かない授業はさっさとボイコットした。

校舎の一番端にある美術準備室には誰も来なかった。
僕たちは何をするでもなく、ただ日が暮れるまでそこにいた。

僕はマキタが好きだったが、マキタは僕を好きではなかった。
隣座ってええかと訊いたら、いややと小さく言った。

—-

うつ伏せも想像で描くと僕にはかなり難しい。

ヌードの背中だけってのがまた難しいんだよね。
胸側はよく描くけど、背中だけってなかなか描かないし。

ただ描くだけならスケッチかクロッキーで十分なんだけど、
絵にしようとすると途端にこまる。

絵を描いたことある人ならわかってくれると思う。