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「二十歳の原点。」

「二十歳の原点。」

僕も京都の学生だったので、高野悦子「二十歳の原点」「原点序章」に登場する店、
「ろくよう」やシアンクレールの跡地には行ったりした。
今で言う、聖地巡礼なのだろうと思う。

それにしても二十歳の時って、
どうしてあんなにも虚しく、死にたく、つまらなかったのか。

友達がいても、彼女がいても、いい成績をとっても、絵を描いてもピアノを弾いても、
何も満たされない、あの虚しさは、
とどのつまり「自分は誰でもない、誰にもなっていない」という
不安に由来している。

残念ながらネットのおかげで、そんな後ろめたい背徳的な気持ちは、
たちまち自虐としてネタと化し、
人に読ませるためにTwitterで書きまくり、笑ってもらい、小さく満足し、
あるいは「見てもらっている」という妄想で簡単に自慰できる手段を得た。

でもあの真夜中、どうすることも出来ず、誰もいず、
不安で不安で何も手につかなかった夜、
あれは今にして見れば、人を大事にするために
どうしても必要な通過儀礼だったのだと思う。

孤独であること、
未熟であること。

これは一人で一晩中悶々と噛みしめるところに価値がある。

「青春美術部。」

「青春美術部。」

何のために面倒くさい思いをし、時間をかけて絵なんか描くんだろうか、
俺は何をやってるんだろうか、
そんな風に考えることもたびたびあって、
どこかで「俺は本当は絵なんて好きじゃない、ただの排泄行為だ」と
斜に構えているところもあった。

先輩がすごいねと言うような絵を描けば、
先輩は僕のことを見てくれるかもしれない、
そんな、今となればしょうもない媚を、
僕は自分に言い聞かせながら売り続けていたと思う。

それでもなお、僕は先輩に褒められたかった。
一言でいい、がんばったなと言われたかった。

情けない話ではあるけれども。

「期待。」

「期待。」

どうなんだろうね。
いつまでも期待させられても後にひきずるだけではあるんだけど、
自分がその立場の時は
ひきずってもいいから期待していたい気分でもある。