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「1999年のディストピア-ヒカル③」

ショートヘアの少女が猫クッションを抱え座る

僕は「逃げていい」なんて思わない。
「死ぬくらいなら逃げていいよ」も正しそうでいて、違和感を覚える。

その違和感は、
逃げ場などない、
一刻の猶予もなく追い詰められた人間に対して、
あまりに他人事で突き放した無責任な言い方に聞こえるからだ。

僕が逃げていいと言う時は、
「ここに、僕のところに逃げてくればいい」という意味であり、
僕自身がその責任をとる、という意味でもある。

それを信用するかしないかは死にたい君自身であり、
それは僕とは関係がない。

僕は「死にたい」と僕を頼る人間に対しても、
常に最初から
僕に君たちを救いたい意思はないこと、
ただの興味本位であること、
ただし、決して鼻で嗤ったり、説教したりはしないこと、
でもただ聞いてるだけではなく、僕の意見は意見として言うこと、
を説明した。

それでも人はやってくる。
それほど追い詰められている。

そしてそんな追い詰められる世界を作ったのが
僕たち自身であるという罪悪感が、
テレビやネットで芸能人が適当にしゃべる、
いじめ体験や不幸な生い立ちやきれい事の「逃げていい」
に対して、

激しい反発を引き起こす。

このマンガ・イラストの説明

ショートヘアの女性が猫のクッションを抱え、物憂げな表情で座っている。ナレーションでは、かつて「死ぬ」と言った未成年のヒカルに「ここに逃げて来ても構わない」と伝えた事実が語られる。しかし、今ではそんなことは言えず、20年前でも許されなかっただろうと振り返る。そして、ただ「逃げていい」と言うだけで誰も逃げ場を作ってくれないこの世界で、誰がヒカルの受け皿になったのかと問いかけている。

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